スキンレスナイト | |||
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女王陛下の007(4K版) | 名探偵ポワロ:ベネチアの亡霊 | ミステリと言う勿れ | 3―4X10月 |
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スキンレスナイト日時 2023年9月30日20:20〜 場所 新宿k's cinema 監督 望月六郎 製作 1991年(平成3年) 加山はAV制作プロダクションの社長。数名のスタッフと毎日AV制作のことで忙しい。発注元の製作会社が「ボンテージもの」と言えばわからなくてもとりあえず専門店に行ってみて自分なりに考えて小道具を揃える。 加山は以前はピンク映画の監督。だが映画が撮れなくなってAVを作るようになっていた。しかし映画への情熱が忘れられない。 製作会社に「一度は結婚を考えたが、結局結婚に至らなかった男女が偶然再会する。お互い別の人と結婚するが再び関係を結ぶ。そして金魚を買う家族のある身だから金魚をそれぞれが飼ってどちらかの金魚が死んだら別れよう、とする」という企画を持ち込んだが、反応は芳しくない。 学生時代の友人たちと唐十郎の芝居を見に行く。学生時代の好きだった女性・依子(桂木文)のことを思い出す。友人の一人がガンと解る。 加山はその好きだった依子の家の近くにアパートを借り、依子との偶然の再会を計画する。 そして大好きな映画「伊豆の踊子」の舞台となった旅館に泊まり、自分が撮りたい映画の脚本を書くのだった。 前日の9月29日、いまおかしんじ監督が川北ゆめき監督の「まなみ100%」初日舞台挨拶に立った。(キャストによる舞台挨拶は土曜日に行った)。その際にいまおか監督と話したのだが、この映画を絶賛していたし、城定秀夫監督も「自分の人生と重なることが多く、ぼろ泣きしてしまいました。(略)ちっともキラキラしていない青春映画の大傑作です」と書いている。 そんな傑作なのか!と思い、今日は昼間に渋谷で映画3本観たけど、昨日から始まった「沈黙の艦隊」も観に行きたいのだがレイトでの限定上映なので今日4本目として行ってきた。 (1日に映画4本観るなんて久しぶりである。たいてい2本ぐらいしか観ないし、多くて3本だ。今日はよほど体調がいいのか) う〜ん、そうかあ、という気分である。 いや、話が解らないわけではない。ストーリーは解る。やりたいことも解る。でもいまおか監督や城定監督ほど感じるものはなかったな。 それは完全に私が所詮業界の人間ではないからだろう。 「本当は映画を撮りたい。でも撮れない。だから作りたい映画と少しでも接点のあるAVで、その中でも何か自分の興味が持てるものを見つけて生きている。でも友人がガンと知り本当にやりたいことをやろうとする」ということがモチーフなのだろうけど、いまおか監督や城定監督は自分自身と重ねて大いに共感するだろうが、外の人間の私には頭ではその葛藤は理解するが、そこまで共感はしない。 だから上記の感想しか出てこない。 直接は関係ないが、「伊豆の踊子」の舞台になってこの映画でも出てくる旅館・福田家にはちょっと行ってみたいなと思った。 アイドル女優だった桂木文の出演が懐かしい。 almost people日時 2023年9月30日15:20〜 場所 渋谷ユーロスペース・シアター2 監督 横浜聡子、石井岳龍、加藤拓人、守屋文雄 神尾家の4人兄弟が集まっている。 長男・光(嶺豪一)はシナリオライターだが、新作の準備中に監督(平井亜門)から人物の再会の喜びのシーンのせりふが弱いといわれる。光は喜びの感情がわからない。 光は主演俳優の時男(宇野祥平)とともに再会の喜びの現場を見に行くために成田空港の到着ロビーに向かう。しかしそこで聞いたのは「久しぶり」「元気だった?」など割と普通の言葉だった。 長女・火水子(柳英里紗)は怒りの感情がなかった。会社を辞め、二人の青年と怒りの告発サイトアプリ「レボル」を立ち上げた。レボルにはパワハラ、セクハラ、長時間労働などの訴えが可視化される。 中には追いつめられて自殺した人も出てくる。火水子は自分の行動に疑問を感じたとき、多様性を認めようと運動する団体に出会う。 次男・太陽(井乃脇海)は喜びの感情がなかった。 結婚を考えている女性がいるが、彼女から「私といて楽しい?」と聞かれてしまう。 太陽は家族のアルバムを見せ、「うちはおじいちゃんの頃から写真を撮るときは笑わないんだ」という。 次女・花子(白田迪巴耶)は高校を中退し、ある温泉の旅館で働いていた。担任教師の藤巻(岩谷健司)は中退を思いとどまらせようとその旅館にやってきた。花子は3人の兄姉とは母親が違い、寂しいかったろうと訪ねてきた父親は言うが、花子は「寂しい」という感情がなかった。 やがて花子は藤巻と結婚したいと言いだし、藤巻もそれに応じた。 兄弟姉妹4人でレストランで食事をする。 花子の子供がぐずり始める。 コギトワークス制作の映画。兄弟姉妹4人の話を横浜聡子、石井岳龍、加藤拓人、守屋文雄の4人の監督が撮り、4人が集まっている冒頭と最後シーンは加藤拓人監督が撮った。 観るきっかけは平井亜門の出演である。 しかし平井亜門は第1話で台本の読み合わせをしていて「やっぱり台詞が弱いな。書き直してください」と指示する映画監督役。だからワンシーンのみの出演で、話にはあまり絡んでこない。 関西弁のままでの出演だった。 1話あたりの長さは同じではなく、だいたい30分だが、2話だけ50分ぐらいあったな。 パワハラを訴えるデモのシーンや、多様性を訴える団体の討論会ではエキセントリックに撮られていて、石井岳龍ぽい。 正直言うけどあまり面白くない。 映画というものは「存在するもの」しか写らない。だから笑いや怒りや寂しさを役者の感情表現その他で表現する。だから笑ったり泣いたり怒ったりするのだ。 ところがこの感情がない人の話である。「存在しないもの」を写そうとしても写らないだろう。 ないものはどうやったって写らないので正直根本的に企画に疑問を感じる。 実験精神で作ったのかも知れないけど、実験は時に失敗しますからねえ。 私には響かない映画だった。 明日は日本晴れ日時 2023年9月30日12:45〜 場所 シネマヴェーラ渋谷 監督 清水宏 製作 昭和23年(1948年) 田舎の山道を走る古びた路線バス。満員の乗客で立っている人も少なくない。闇米の商人、洋装のハイカラな女性、占い師、めくらのあんま、お産婆さんなど乗客は様々だ。 そんな時、調子の悪かったバスがついに故障して動けなくなってしまう。運転手(水島道太郎)はバスが停車できる広場のある場所までバスを押してもらうことを乗客に頼む。渋々バスを押す乗客たち。 とりあえず停車させたが、直る見込みはない。一部の乗客は麓まで歩き出した。 反対行きのバスがやってきた。また一部の乗客は出発地に戻ることにする。 同じ方向に行くトラックがやってきた。それに乗せてもらう乗客もいる。 やっと代わりのバスが来た。残りの乗客、運転手、車掌もそのバスに乗って目的地へ向かう。 話は全部書いた。たまたま同じバスに乗り合わせた人々の人間模様を描く。 去年、国立映画アーカイブで上映されたとき、Twitter上で旧作邦画ファンたちが絶賛していたのだ。しかもタイトルが「明日は日本晴れ」というから何か魅力的である。 終戦直後の日本、まだ貧しかったが、でもきっとこれからよくなる!という希望を感じさせる映画を期待して見に行った。(最近希望のない日々が多いのだ) 乗客の一人に戦争で片足を失い、松葉杖をついている人がいる。 そしてめくらがいるのだが、彼も生まれつきではなく、満州事変の時にめくらになったと後に明かされる。 広場で待っているときに居合わせた身なりのいい男性が、「戦争で亡くされたんですか?」と聞く。 「あんたは部隊長だったのですか?」と訊くと「そうです」と答える。 片足の男はここで激怒。「弾も少ないのに突撃という。いさんで飛び出した俺もだが、弾がなくなってもつっこめと行ったあんたは何なんだ!俺の足を返せ!」と詰め寄るシーンはすごい。 時代は昭和23年。公開当時は共感する観客も多かったのではないか。 それを「今更怒っても・・・」といさめるめくらの按摩。 そして洋装の女性は運転手の幼なじみで結婚するような仲だったのだ。ところが女性にとって父や弟のことがあるので、徴用逃れのために戦争中に軍需工場の関係者の世話になるために東京に行ったという。 そのために運転手とは別れてしまったのだ。 運転手もその後戦争に行ったりで未だに独身だ。 あんまは村の住民なので、運転手と洋装の女性の関係はなんとなくは知っている。気を利かせて二人きりの時間を作ってやったが、実は車掌の女性が運転手に惚れていて、運転手と洋装の女性の関係を知り、「余計なことをしてしまった」と公開する。 やがてバスが来て、残った人々がみんな乗る。 ここで映画は終わる。 うーん、期待したほどのハッピーエンドではなかったなあ。 もっと明るい希望いっぱいの終わり方だと思っていたので。 その点ちょっと期待はずれだったのだが、終戦直後の空気感が出ていてよかったと思う。 それにしてもあの左足のない傷痍軍人は本当に足がない役者だったのでは?と思った。 黒い誘惑日時 2023年9月30日11:00〜 場所 シネマヴェーラ渋谷 監督 井上梅次 製作 昭和40年(1965年) 新日本航空の羽田発大阪空港行きが和歌山県の海上で爆発、墜落した。 何者かに爆弾を仕掛けられたのだ。高見警部(北原義郎)以下の警察陣は乗員乗客に恨み、保険金殺人など殺される可能性があるものをピックアップした。同時に新日本航空の社員、獅子内(田宮二郎)が警察に窓口として協力することになる。 高利貸しの三崎(見明凡太郎)、ヤクザの親分松川、歌手の花屋かおるなどが捜査線上にあがった。三崎はある会社に融資の予定だったが、融資予定のライバル会社の方に融資すると決め、融資予定の会社の山本社長や桑田部長が疑われたが、桑田が「自分は爆弾を仕掛けようとしたが思いとどまった」という遺書を残して自殺した。 三崎の妻・邦子(江波杏子)は三崎の財産を狙っていた。花屋かおるの夫で落ちぶれた映画スターの竹村謙一(村上不二夫)はすでに関係がさめていて、新しい女のバーのマダム・まり子のために金が必要だった。松川は跡目相続のために郷田に命を狙われても不思議はない。 しかもまり子は郷田とも関係があった。 いったい事件の真相は? 本日上映の「明日は日本晴れ」を観に来て、チケットの売り切れを心配して10時半に来た。チケットは十分に間に合って買えてベローチェで本読んで時間をつぶそうと思ったが、その前に上映されるこの「黒い誘惑」が井上梅次ミステリーと解って急に見たくなった。 「黒」と付くから「黒」シリーズかと思ったらそうではないようだ。 「黒」シリーズは「黒の・・・」というタイトル。本作は「黒い誘惑」だから違うらしい。 テンポよく話は進み、次々と関係が明らかになる。高利貸し、ヤクザ、歌手が裏でつながっていき、その陰にいた女たちが浮かび上がる。 爆弾を作ったのはヤクザ側で親分を殺そうと計画、マダムまり子は歌手の保険金目当て、高利貸しは遺産目当て。遺産を目当てにするのは顧問の岡弁護士が遺産を渡したくない三崎に、昔の女が別れたあとの男との間に生まれた子供に渡させようとする。その娘の偽物をでっち上げて遺産をもらうことをもくろんでいる。 そういう風に次々と明らかになる人間関係。オリジナル脚本だが、どっかに元ネタのミステリーがあったのかも知れない。 最後は爆発した飛行機に乗務予定だったスチュワーデス(今のCA)である、獅子内の恋人(中原早苗)が三崎が遺産を渡そうとした女で、最終的に時限爆弾のスイッチを入れたという訳。 爆弾を作ったのはヤクザ側、三崎の鞄に入れたのは三崎の妻、でもスイッチは入れてないといい、「誰がスイッチを入れたのか?」が最後の謎になるんだが。 この獅子内の恋人が何か関わってるんだろうな、とは何となく解ったが、それでも十分に楽しめた。 井上梅次ミステリーにはずれなし、である。 大虐殺日時 2023年9月27日 場所 東映チャンネル録画 監督 小森白 製作 昭和35年(1960年) 第一次世界大戦も集結し、日本は不況にあえいでいた。そんな1923年9月1日午前11時58分、関東大震災が発生した。 「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が暴動を起こしている」といったデマが飛び交う中、憲兵隊の甘粕大尉(沼田曜一)は社会主義者のリーダーと言える大杉栄(細川俊夫)を逮捕、殺してしまう。 軍法会議が開かれ、甘粕の独断なのか、上層部の指示があったのか曖昧なまま甘粕は懲役10年となった。 大杉の同志であった古川(天知茂)らはこれを不服とし、当時の憲兵隊少将や戒厳令司令官の殺害を企てる。 まずは資金稼ぎのために同志を頼って大阪に行った。そこで銀行員を襲って金を得ようとしたが、失敗。銀行員を殺しただけに終わった。 東京に帰った古川は地下に潜伏。関東大震災一周年の記念講演会で憲兵少将を古川の先輩・和久田が狙ったが、失敗に終わった。 仲間も少なくなった古川は、ついに陸軍省に爆弾を仕掛ける計画を実行。 しかし以前から古川を過激な行動を心配する同郷の新聞記者・高松の妹・京子が警察に古川たちの隠れ家を通報した。 それにより、古川たちの陸軍省爆破計画は失敗。連行される古川は「俺たちが死刑になっても続くものは出てくる!」と彼らの正義を叫ぶのだった。 今年は関東大震災100年で、それを節目に東映チャンネルで放送。 今では否定説やら「正式な記録がない」という政治家も現れる「朝鮮人虐殺」事件も冒頭に描かれる。 「大虐殺」というタイトルだからここが映画の中心かと思ったら、ここはまだ導入部。そして甘粕大尉による大杉栄殺害が描かれる。 以前からうっとうしく思っていた社会主義者を弾圧しようと「関東大震災の混乱に乗じて革命を起こそうとしている」という理由を作って大杉、その内縁の妻、逮捕時に一緒にいた甥を拷問の上に殺したのだ。 世にいう「甘粕事件」である。 しかし社会主義者を拷問で殺してそれが逮捕裁判になったのだから、まだ正常だったと思えてくる。実際は減刑などがあったから、通常の殺人犯とは扱いが違ったようだが。 後に甘粕は満州に渡り、「ラストエンペラー」に登場するわけだ。 で、この甘粕事件が映画の中心ではない。ここもまだ導入部である。 本筋は(ここからはフィクションと思えるが)古川の復讐テロ行為である。 しかし「金が必要だ」と大阪で銀行員を殺害してしまうのがいただけない。いや、仮にテロに大義名分があってもここで一挙に心が離れてしまう。 官憲ならともかく、関係ない銀行員を殺しちゃだめでしょ。 映画では逃亡中の古川がカフェの女給に惚れられるエピソードが出てくるが、この女性が自分が殺した銀行員の娘だったというオチがつく。 ここ、強引だなあ。 そして暗殺も一度失敗し、ついに陸軍省爆破の計画にでる。 ここで最後に爆弾を仕掛けたあたりは、「ナバロンの要塞」のラストの爆破作戦に匹敵する(というほどではないけど)サスペンスである。 この映画、昭和35年の1月公開である。ここ重要。 6月の樺美智子さんも亡くなってないし、山口二矢による浅沼稲次郎暗殺事件も起こっていない。 その後の連合赤軍の一連の事件は、同じようなことが起きる。 大蔵のキワモノ映画、でもあるけど、未来を予言するような映画であったと言えるかも知れない(誉めすぎだな) 女王陛下の007(4K版)日時 2023年9月24日15:00〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン3 監督 ピーター・ハント 製作 1969年(昭和44年) 宿敵ブロフェルド(テリー・サバラス)を追う日々のボンド(ジョージ・レーゼンビー)だが、2年経っても何の手がかりもない。そんな時、ポルトガルでトレーシー(ダイアナ・リグ)という奔放な女性に出会う。海で自殺しかけた彼女を救うボンド。彼女とはホテルのカジノで再会した。負けたが金がないという彼女の代金も精算し救った。 翌日、彼女は挨拶もなしでチェックアウトした。その後、男たちに拉致されるボンド。連れて行かれた先は犯罪組織の大ボス、ドラコ(ガブリエル・フェルゼッティ)の元だった。実はトレーシーはドラコの娘だというのだ。娘を落ち着かせるために結婚してくれるようボンドに懇願するドラコ。ドラコからブロフェルドの情報を聞き出したボンド。ボンドは恋人としてトレーシーを意識するようになる。 ドラコからある弁護士がブロフェルドからの仕事を受けているらしいと知り、その弁護士事務所に入る。ボンドは金庫からブロフェルドが別名を名乗り、爵位を欲していると知る。爵位を与えるかどうかは紋章院の審査員が決める。ボンドは審査員になりすまし、ブロフェルドの研究所に入った。そこでは「各種アレルギーの治療」と称して世界各国の美女が集められてる場所だった。 今年はボンド映画誕生60周年ということで、レストアされた4K版007が10本、この秋に公開される。各ボンドから選ばれてるけど、初期作品では「ドクター・ノオ」「ロシアより愛をこめて」「サンダーボール作戦」「007は二度死ぬ」「女王陛下の007」である。 私としては「ゴールドフィンガー」が入っていないのが納得できない。 「女王陛下の007」はテレビ放送(Wikiによると1979年に月曜ロードショーであったようだ)と、学生時代に文芸座で見た覚えがある。 でもメインタイトル曲もルイ・アームストロングが歌う挿入歌「愛はすべてを越えて」は大好きである。 何せ何十年ぶりに見たので内容はさっぱり覚えていなかった。 最近は再評価の高い本作だが、私にはイマイチだったな。 理由はいくつかある。 1、まずジョージ・レーゼンビーが好きになれない。 というかロジャー・ムーアもティモシー・ダルトンもピアース・ブロスナンもダニエル・クレイグも好きじゃない。ショーン・コネリーのイメージが強すぎるという老害である、私は。 2、秘密兵器が出てこない。 弁護士事務所に潜入したときにドラコ建設の助けを借りて、「金庫解錠&コピー機」が登場する。だがこれだけなのである。 アストンマーチンも出てこない。 おそらく「007は二度死ぬ」で「宇宙船まで出てきて荒唐無稽すぎる」という批判もあったせいであろう。 ボンド役者も交代するし、「原点回帰だ!」と押さえたんじゃないだろうか?それでQの新兵器も出てこない。 (それでは寂しいと思ったのか、Qが「糸くずにしか見えない発信器です」と紹介するシーンがある。これが後に活躍するかと思ったら、そうではない) 3、アクションが地味。 もちろん最近のアクション映画みたいにやりすぎもどうかとは思う。 今回は2回同じことをするのが問題なのだ。 ブロフェルドの計画を知ったボンドが監禁されて基地から逃げ出すあたり。最初はロープウエイかと思いきや、結局スキーで逃げて追いかけられる。 そしてドラコの力を借りてブロフェルドの基地を急襲、逃げるブロフェルドを追うボンドというのが、ボブスレーでの追いかけ。 追うと追われるが変わるけど、やっぱり両方とも雪山の滑降というのが同じ。2回も同じことをしなくてもいいんじゃないかなあ。 4、ボンドの結婚。 いろいろご意見はありましょうが、私はボンドには結婚は似合わない気がして。結婚して終わりって訳にもいかないから、唐突に殺されちゃうけどね。ファンはこのシーンが好きだと言うけど。 こうやって書くとまったく魅力がないように見えるけど、歌も主題曲もいいしブロフェルドの部下のおばさん、イルマ・ブント(イルゼ・ステパット)が「ロシア」のKGBのおばちゃんに負けないくらいの迫力があってよかったと思うよ。 名探偵ポワロ:ベネチアの亡霊日時 2023年9月23日16:00〜 場所 TOHOシネマズ立川立飛・スクリーン8 監督 ケネス・ブラナー 探偵業を引退したポワロ(ケネス・ブラナー)はベネチアで引退生活を送っていた。彼の元をたくさんの人が「事件の謎を解いてほしい」と訪れるが、ポワロは取り合わない。 旧知の女性推理作家からある屋敷で降零会があるので、霊媒師の彼女が偽物であると見破ってほしいと頼まれる。 その屋敷はかつてペストが流行した頃に孤児院だったが、その時に医者や看護婦が子供たちを見捨てて、彼らの霊がでるという噂だった。1年前にこの屋敷の娘が屋上から落ちて死んでいた。今夜の降霊会では死んだ娘の霊を呼び寄せるという。 降霊会ではタイプライターが手を触れていないのに文字を打つなどの怪奇現象が起こった。しかしポワロはそれを霊媒師が助手を使ったトリックと見破った。 だがその晩、その霊媒師が死んだ。嵐が起こり、誰も入ることもでることも出来ない。ここにいる誰かが犯人だ。 最近の「オリエント急行殺人事件」や「ナイル殺人事件」(未見)に続くケネス・ブレナーのエルキュール・ポワロシリーズ第3弾である。 ミステリーだし何となく観たかったし(別に見逃してもいいレベル)、今日は立川駅前のkino cinemaで「さよならエリュマントス」の東京再上映記念舞台挨拶(平井亜門、川瀬陽太、藤本沙羅、瑚々、斉藤里奈)があり、それを12時15分から観てサイン会が終わったのが2時半過ぎ。 そこから歩いて20分の最近出来たTOHOシネマズ立川立飛でなんか観ようと思って時間が合ったのがこの映画。 (ホントは斉藤工監督の「スイート・マイホーム」が観たかったが、終わったのかやってなかったので) 面白くないなあ。何でだろう? 1、エルキュール・ポワロが私の好みでない。 なんか偉そうなんだよね、このポワロ。事件を頼みにきた人がいても「うるさい」とばかりに無視して通りすぎる。いやな奴。 あと服装がぱりっとしすぎてるんだ。名探偵は身なりには構わない方が私は好きである。 2、一晩の一つの屋敷の中の話だから。 暗い屋敷で映像は暗いし(もちろんちゃんと人物には照明は当たってるので低予算映画の暗さとは違うのだが)似たような画ばかりになって変化がない。飽きる。 3、人物の関係がよくわからなくなる。 こういうミステリーだとやっぱり人物を描き分けなかればならないのだが、こちらの認知能力が悪いのか、最初は苦労した。 推理作家、霊媒師、家政婦、死んだ娘の母親と中年女性が4人登場するのだが、最初は区別が付かなくて「あんた誰だっけ?」になった。まあ私の認知の問題が主の原因だけど。 あと医者と子供。私はてっきり死んだ娘の父親とその弟だと思っていた。 最初の説明を私がうまく理解していなかったらしい。 今回、ポワロ自身が幽霊を見たりして混乱する、というわけだが、実は薬による幻覚作用だった、という結論になる 備忘録で犯人を書いちゃうけど、死んだ娘の母親が、実は昨年娘を殺していて、それがばれて脅迫されていて、隠蔽するために今夜二人を殺した、という訳。 その脅迫状を書いていたのは殺した二人ではなく、別の少年だったというのが真相。 とにかくなんだか面白くないので、4作目があってもパスかな。 ミステリと言う勿れ日時 2023年9月17日11:40〜 場所 ユナイテッドシネマ・ウニクス秩父スクリーン3 監督 松山博昭 なぜか事件に巻き込まれる天然パーマの大学生、久能整(菅田将暉)は美術展を観に広島に来ていた。そこで知り合いの犬堂我路の紹介という狩集汐路に話しかけられる。「お金と命がかかっている」と言われ自分の家の遺産相続問題に巻き込まれる。 汐路曰く、代々遺産相続の時に先祖は亡くなっているという。汐路の父やその兄妹も8年前に交通事故で亡くなっていた。 狩集家と古くからのつき合いである弁護士の車坂や顧問税理士たちの立ち会いのもと遺言書が開封された。 そこには狩集家の庭にある4つの蔵を汐路たちのいとこに分け与えられ、その蔵にあるものを「あるべきものをあるべき場所に過不足なくせよ」という謎めいたものだった。汐路の前に植木鉢が落ちてきたり、階段に油が塗られたりの異変が続く。 この遺産相続に隠された真実とは? フジテレビ製作。去年の1月期のドラマでテレビシリーズが放送され、その映画版。ドラマは観なかった。菅田将暉の天然パーマが「キャラがたちすぎている」感を感じてしまってだめだったのだ。 でも時間がたって慣れてきて今回の映画は楽しみにしていた次第。 映画のせりふにもあったけど「犬神家の一族」をベースにしていることは明らか。整の天然パーマも金田一耕助を意識しているのかも知れない。 この整が単なる探偵ではなく、妙にいいことをいうのだ。 「あなたは子供の頃バカでしたか?」「子育てするのが女の幸せというなら、そんないいことをなぜ男はしないのでしょう?」 そう、この世にはすべてバイアス、思いこみに支配されている。 そこをチクチクと指摘する整。 かっこいいねえ。ハードボイルド探偵みたいですね。 犯人そのものは予想されたので意外性はなかったが、狩集家の過去の怨念も登場し、それがかつて芝居で上演されたとか、とにかく横溝ミステリーの王道を受け継ぐ展開で満足だった。 とにかく菅田将暉がいいんだよね。 後半は彼の長台詞が実に心地よいリズムで語られるように聞こえてきた。 犯人が分かってからの展開が親子愛で泣かせようとするのでそこが「フジテレビ的だなあ」と私の趣味に合わない。 また頭と終わりに出てきた「犬堂」なる人物は誰なのか?この辺はテレビシリーズを観てないとわからない展開でなんだかなあという気分である。 テレビシリーズも是非観たくなってきた。配信とかレンタルとかあるようなので、是非観てみよう。 追記 整が劇中で言っていた「昔の刑事映画に『犯罪は人間の負の努力の結果』というのがあります」という趣旨のことを言っていたけど、これはエンドクレジットによると1950年のアメリカ映画「アスファルトジャングル」らしい。こちらも観てみたい。 3ー4X10月日時 2023年9月16日17:45〜 場所 新文芸座 監督 北野武 製作 平成2年(1990年) 草野球チーム・イーグルスの雅樹(小野昌彦/柳ユーレイ)は覇気がなく代打で出してもらっても振りもしない。見かねた仲間は「振らなきゃ始まらないよ」という。働いているガソリンスタンドにやくざが来た。仕事が遅いといって難癖をつける。雅樹はそのやくざ大友組・金井(小沢仁志)の殴ってしまう。腕でよけた金井だが「腕の骨が折れた」と騒ぎ出す。 監督の隆志(井口薫仁/ガダルカナル・タカ)は今はスナックのマスターだが、以前は大友組の幹部だった。かつての舎弟大友組幹部・武藤(ベンガル)に話を付けにいく。部下の手前武藤は引き下がらない。帰り道で武藤を襲う。一旦は収まったかに見えたが、大友組組長(井川比佐志)によって隆志は襲われる。 「沖縄に行って拳銃買ってきて殺してやる」という隆志。雅樹と野球仲間の八百屋の和男(飯塚実/ダンカン)は沖縄に向かう。 そこで沖縄のやくざ・上原(ビートたけし)、その舎弟の玉城(渡嘉敷勝男)と知り合う。 たけしが「その男、凶暴につき」で監督デビューした2作目。「その男、」が面白かったのでこの映画も公開当時に観ようかと思ったが、内容がぜんぜん伝えられないし、タイトル意味不明で(読み方さえ判然としない。「3対4エックス10月」なのだが)いまいち興味がなくなって観なかった。 今回新文芸座で「北京の55日」を見に来てたけし特集もやっていてすぐ次の上映がこれで、しかも文芸座は不思議な料金体系でその日のうちに2本観ると2本目は300円の追加料金で観られる特殊な体系。最近(といっても2年ぐらい前か)にリニューアルして指定席入れ替え制なってからこうなった。で、ついでだからいい機会なので観た。 ストーリーにメリハリはなく、たけし映画らしいバイオレンスと「間」、そして省略である。この感覚は割と好きなので観てしまう。 たとえば本筋には関係ないが、野球チームのメンバーの一人(芦川誠)がバイク屋に勤めていて、バイクの納品に行く。お客はヤンキーなにいちゃんでバイクに喜んでいる。 芦川誠が「あいつ免許持ってないよ」と言われるが、カッコつけてノーヘルで走り出す。別のシーンがあって、さっきのバイクの新兄ちゃんの怪我した顔のアップ。引いた画でへこんだ車と壊れたバイク、怪我した兄ちゃん、別の男が立っているになる。 「事故を起こしたな」というこの編集がいい。山中貞雄に通じるものがある。 映画は途中から沖縄編になる。たけしの登場はこの沖縄だけ。後の「ソナチネ」を私は先に見ているが、「ソナチネ」でも登場したような場所も登場し、関連性が興味深い。 沖縄で米軍から銃を買うのだが、どうやって飛行機に持ち込むかが興味があった。 検査場でダンカンが前の客と一緒になるようにM16をX線検査機に入れる。銃が見つかって大騒ぎになってる瞬間に自分たちは荷物を持ってすり抜ける、というやり方だった。 描かれているのは「衝動的な暴力」だ。 「つい、カッとなって」という暴力の連鎖である。たけしの演じる沖縄の不良やくざ(という言い方もなんだか変だが。組織に従順でないやくざということだ)は衝動で女を殴り、男も犯す、人も殺す。 主人公雅樹は普段はおとなしく引っ込み思案だ。そんな彼も衝動的な暴力でやくざと喧嘩になり。徐々に広がっていく。 でも最後は最初の雅樹がトイレから出てきて野球のベンチに戻るところで終わる。つまりすべては雅樹の妄想、あこがれか? ロングで野球の試合は描かれるので、雅樹が活躍したかどうかはわからない。 だが人は「衝動的暴力」にあこがれる。普段は押さえているけど、やっぱりあこがれる。 北京の55日日時 2023年9月16日14:25〜 場所 新文芸座 監督 ニコラス・レイ 製作 1963年(昭和38年) 1900年、中国・北京には欧米が進出し米英仏独露や日本などの外国人居住区があった。当時そんな欧米+日本への抵抗勢力として義和団が力をつけ、欧米人は被害にあっていた。 そんな北京にアメリカ軍のマット・ルイス少佐(チャールトン・ヘストン)が着任した。現地の欧米各国のリーダー的存在のイギリス公使のアーサー・ロバートソン(デヴィッド・ニーヴン)に挨拶。アーサーとしては中国との摩擦は避けたいと考えていた。 そんな時、ドイツ公使が殺害された。それをきっかけに義和団の攻撃が始まった。少ない武器弾薬で防戦する連合軍。援軍が来る予定だったが義和団に阻まれ北京にはたどり着けない。 ルイスは敵に戦意を喪失させるため、敵の弾薬庫攻撃を計画。アーサー公使も参加し、日本軍の柴五郎中佐も参加した。なんとか成功した弾薬庫爆破。 次にアーサーは援軍と連絡を取ろうと脱出を試みるが、トロッコで移動したものの、途中に爆薬が仕掛けられ失敗。かろうじて北京に戻る。 いよいよ外国人居留区にも大挙して義和団が攻撃してきた。 城壁に守られていたが、城壁を超える高さの櫓を組んでそこから爆竹を打ち込んできた。アーサーたちも火炎瓶で応戦。 攻撃が始まってから55日が経った。 砲撃が起こる。義和団の攻撃かと思いきや、英インド軍をはじめ、フランス、日本などの軍隊が応援にやってきた。 伊丹十三(当時は「一三」名義)が出演したアメリカ映画ということで以前から一度観たいと思っていた。DVDとかで観る機会はなくもなかったが、今まで見逃していた。今回なぜか新文芸座で上映。午前十時の映画祭枠で上映されたわけではない。(チラシでは「スクリーンで観たい!名作たち」と題して「ワイルド・ギース」「合衆国最後の日」も一緒に上映された) 面白いという評判は聞いてなかったので期待はしてなかったが、予想通り冗長。 まあ企画自体が面白くないのだ。欧米列強+日本が清国に侵略してきて清側の義勇軍に攻撃されるという話だから、欧米側が被害者のように描かれるのはどうよ?という気分になる。 このあたりからして企画そのものに共感できない人も多かっただろう。 ウィキ情報ではイギリス公使がリーダー的存在だったのは正しいが、軍事的に引っ張っていたのは日本の柴中佐だったらしい。 アメリカ映画だからアメリカ軍が主役なのである。 映画の中では柴中佐の影は薄い。弾薬庫爆破作戦にもアーサーやマットと参加するのだが、弾薬庫に直接入る見せ場はヘストンとニーヴン。完全に史実ではなく、市場を意識した展開。だが柴の声は吹き替えではなく伊丹十三によるもの。 ここと最後の櫓による攻撃の攻防戦は(まあ)見応えがあった。 そしてあらすじでは省略したけどロシアのナタリー・イワノフ男爵夫人(エヴァ・ガードナー)が登場する。なんか高慢ちきな女で、意味もなくマットと恋仲になる。映画の都合で理由もなく恋人設定を持ち込んだ感がありあり。まあそんなもんだけどね。 ラストにマットの友人のアメリカ軍大尉が実は中国人と結婚しており10歳の娘までいる。大尉は戦闘で亡くなり、孤児になった娘をマットはアメリカに連れて帰るというエンディング。 帰国するにしても軍艦に部外者は乗せられないし、どう連れて帰るのか。 とにかく「歴史大作映画」のネタもなくなったから出来たような企画。企画からして間違っていた気がする。 あと記しておきたいのは大作のフォーマット。 まず映画の前に「序曲」として曲が流れ、2時間50分の上映時間中、途中10分の休憩が入る。そしてエンディングでは「PLAYOUT」としてアンディ・ウイリアムズの歌が流れる。 今日の文芸座では客電はつかなかったけど、本来なら歌が始まった段階で客電は点けていいのかも知れない。 恋脳Experiment日時 2023年9月15日 場所 国立映画アーカイブ大ホール 監督 岡田詩歌 山田仕草は子供の頃から絵を描くのが好きで王子様との結婚を夢見ていた。高校生になった仕草は「誰かとつきあうときれいになれるよ」という友達の立ち話を聞き、塾の友達の後藤君がフラれたのを知り、別に好きでもないけど告白し、つきあうことにした。後藤君は友達に「お前山田とつきあってるのか?」とからかわれ、「つきあってねーよ」と答えてしまう。また自分にちょっかい出してくる塾の先生も他の女の子が持って行った。 今は美大生になった仕草(祷(いのり)キララ)。同じ大学の佐伯翔太(平井亜門)とつきあっていて半同棲状態。現代アートで踊りのパフォーマンスも加えたことをしている。彼は「俺はがんばってる」「教授たちで俺のパフォーマンスがわかる奴いるか?」「お前は就活で逃げている」と自意識過剰。「卒業制作に専念したい」そんな理由で彼から別れを告げられた。自分の卒業制作では彼のアパートの部屋を再現したオブジェを作って、彼の呪縛、呪いから逃れた。 デザイン会社に就職した仕草。上司の西村は妻子持ちだが二人きりだと「かわいいね」を連発し、人前ではしかりつける、という変な奴。 ある日、西村の家でホームパーティが開かれ、そこで広告代理店の営業の 金子(中島歩)と知り合う。 金子とはつきあうようになったが、ある日、ハイキング登山に行って「毛虫がだめ」とか「梅干しは食えない」とか「どっちかというと人が握ったおにぎりも苦手」と言い出し、腹の調子が悪くて野グソした。最悪。 大学の助手として働き始める仕草。そこへ3週間の特別講師として佐伯がやってきた。 PFFスカラシップ作品。一昨年PFFで受賞した監督の初長編作品だ。 監督は若い女性。名前だけでは性別不明だし、予備知識もなしで見たので監督がどんな人か興味があった。PFFだから若いとは限らん。 上映後の舞台挨拶で登壇されたが、髪が真っ白だったので、「お年を召した方なの?」と一瞬思ったが、それは銀に染めていただけだった。 パンフでプロフを確認したら1996年生まれの今年27歳。 何せ予備知識なしで見たので、最初は幼稚園児の女の子が登場し、高校生の女の子の話になってデザイン会社で働く女性になる。これがオムニバスなのか少女の成長物語なのか最初は戸惑った。 やっぱり多少の予備知識は必要ですね。 仕草は男運が悪いという感想を最初に持ったが、パンフレットの監督のコラムを読むと、「恋愛の呪縛」といったものがテーマだという。 幼い頃から「かわいくなきゃ」「恋愛しなきゃ」という呪縛、呪いに支配されている。 そして出会う男もなんか変。彼女も美大に行くぐらいだから、やはり自己主張のある子で、卒業制作で彼の部屋を映画のセットのように再現し「恋愛の呪い」とタイトルをつけたりする。 会社の上司もいい加減な奴だし、知り合った金子も良さそうだったが、やはりこいつも変。 特に金子との山頂でのやりとりは爆笑である。 佐伯君は自信過剰でいやな奴。私は友達にはなりたくない。 「山田仕草告別式」というイベントを開く。葬式のシーンになったからほんとに死んだと思ってびっくりした。でも彼女もやっぱり変わってるので、葬儀のイベントという形で上司の西村や金子への心を整理をする。 佐伯との再会。その後佐伯は舞台演出家になってなんとかやっているようだ。学生たちが「飲みに行きましょうよ〜山田さんも一緒にどうですか?」と言われて飲みに行くシーンも楽しい。 最後、別れ際に「あの時は若くて余裕がなくてごめん」と謝る佐伯。 そして後藤も金子も謝っていた。なんで謝るんだろう。 翌週の授業でパフォーマンスの練習をする佐伯。 「僕が言葉を投げますから受ける芝居をしてください。見本を見せますから相手役を山田さんやってくれませんか?」と言われ、二人でパフォーマンスをする。 しかし映像では佐伯も学生もいなくなり、仕草一人で踊っている。 なにか吹っ切れたようなそんな表情の仕草。よかった。 出てくる男が全員だめ男だけど、前向きに生きていこう、という結末は「その場所に女ありて」を勝手に思い出した。 おもしろかった。 今回はPFFでの特別上映だが、正式公開の際にはまた観たいと思う。 卍日時 2023年9月11日20:40〜 場所 新宿K's cinema 監督 井土紀州 ブティックオーナー・柿内園子(小原徳子)は夫が歯科医で経済的にも恵まれていた。今は仕事が楽しいが、義母からは孫のことも言われる。 自分の店の洋服の写真も自分で撮影する園子。今のモデルがいまいちで夫に「なんかいい子知らない?」と相談し、紹介されたのが光子(新藤まなみ)だった。園子は光子をモデルとして気に入り、実際に売り上げにもつながっている。 何度も写真を撮る内に次第に惹かれていく。海岸での撮影があった日、ついに園子は光子と唇を重ねてしまう。そしてホテルへ。 光子の寝顔の写真をつい撮ってしまう園子。しかし家で写真の確認をしている時に夫の孝太郎(大西信満)は園子に内緒でその写真を見てしまう。 またショップに光子の彼氏というケイジ(黒住尚生)という男がやってきた。ケイジは光子と別れるつもりはなく、園子にもそのつもりはないだろうから光子を共有しようと言い出す。 園子と光子の関係を疑っていた孝太郎。二人で車で出かけた後、車のドライブレコーダーを調べてみる。そこにはカーセックスをしたような二人の声が録画されていた。確信を持った孝太郎は光子のアパートを訪ね、50万円を渡し、園子と別れるように頼む。承知した光子だったが、モデルと連絡が取れなくなって仕事にも影響が出てしまい憔悴する園子。そんな姿を見てられなくなった孝太郎は光子に「園子とはモデルとしてだけ会ってほしい」と頼む。承知する光子。しかし今度は孝太郎を誘惑する。一度は断った孝太郎だが、やがて光子と体を重ねてしまう。 谷崎潤一郎原作の「卍」。数度目の映画化だそうだが、前の作品は見ていない。ドライブレコーダーとか登場するから原作とはだいぶ改変してあるのだろう。レジェンド製作でケイズで1週間の限定上映だが、本日は月曜日のレイトショーだが、上映後にいまおか監督と新藤まなみさんのトークイベントがあるというので行ってきた。 結論からすると見逃さないでよかった。三角関係ではなく四角関係。だからこその「卍」なのだろう。 どんな結末を迎えてもおかしくないようなドキドキした展開を見せる。 ラストは孝太郎と光子の関係を知った園子は、光子を拉致し車で連れ去る。 この車が夜中の山道をスピードを出して走るのである。 もう車が崖に突っ込んで園子と光子は死んでしまうとてっきり思った。 でもそうはならずに、山道の途中で二人は車を降り、別れていく。光子は一人で夜道を去っていくのだ。 光子はDVの家庭で育ち、孝太郎や園子の世界がに加えてもらいたかったという。 その為の誘惑か。 特にレズではない女性が、女性のことを好きになるか?それって男の妄想じゃない?って思えるのだが。そういう人もいないとはいけないが、ああいうのって急に目覚めたりする人がいるもんかのかな? ラストなどは新しいモデルが来てニヤッと園子は笑う。 もはや園子は女の子が好きになったのか? これも男子の妄想の気がするが、谷崎潤一郎さんの妄想なんだろうか。 春に散る日時 2023年9月10日13:40〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン1 監督 瀬々敬久 不公平な判定負けで一度はボクサー辞めた・黒木翔吾(横浜流星) は居酒屋でビールを飲むじじいが騒いでいた奴らをぶちのめすのを目撃する。じじいは広岡仁一(佐藤浩市)。彼も40年前は未来を期待されたボクサーだったが、判定負けをきっかけにアメリカに渡り、実業家に転身して成功していた。 日本に帰国し、かつての仲間佐瀬(片岡鶴太郎)や藤原次郎(哀川翔)を訪ねる。二人とも成功しているとは言い難い。仁一は佐瀬を誘って借家で暮らすようになる。そこへデリバリーでやってきた黒木は仁一と再会。ボクシングを教えてくれるように嘆願する。 最初は渋っていた仁一だが、黒木の懇願にトレーニングを始めた。 そしてかつての自分の事務の後輩、大塚やフェザー級チャンピョンの中西(窪田正孝)と決戦をするようになる。 瀬々敬久監督最新作。 予想通りの映画でそれ以上でもそれ以下でもない。 老トレーナーが若手ボクサーと出会い、彼を育てそしてチャンピョンに挑むってパターンじゃないですか。 そしてその期待は裏切られない。 別に気をてらった展開になるわけでもなく、話が脱線することはない。横浜流星の体はボクサー体型で美しい。 対戦相手の窪田正孝も最近の趣味はボクシングとテレビで語っていただけあってこちらも見劣りはない。 でもそれだけなのである。 ラストの30分の対決も迫力十分。打ち合いをして最後の最後は音楽とスローモーションで盛り上げる。 でもそれだけなのである。 脚本もぶれてないし、キャストも完璧だし、誰が撮ったって面白くなるだろうという感じの出来なのだ。 私はなにを期待していたのだろう。何か定石ではない展開を期待していたのだろうか? 感想に困るな、こういう映画。 細かいことなのだが、土地の距離感が感じられない。 黒木や仁一は荒川沿いに住んでいるようだが、後半で佐瀬がつとめる田舎のボクシングジムは富士山の近くのようだ。感じからして山梨県っぽい。 その割には仁一も黒木もしょっちゅう佐瀬の事務に顔を出し、まるで距離感が感じられないのだ。 せいぜい電車で30分くらいの感覚なのだ。 東京と山梨は近いと言えば近いけど、通勤圏ぐらいに近くはないだろう。 あと、仁一の兄が亡くなって死体で登場するのだが、これが下元史郎さんに見えた。「とんび」で足立正生を死体役で登場させた瀬々さんだからそうだったかも知れない。 (クレジットでは確認出来なかった) 映画 政見放送日時 2023年9月9日21:00〜 場所 池袋シネマロサ(2F) 監督 谷 健二 北沖田町では町長選挙が行われようとしていた。前町長は不倫で、しかも遊んだ金を経費で落としたスキャンダルで退陣したのだ。地元のテレビ局が政見放送を収録した後、公開討論会が行われることになった。 企画したのはテレビ局の若きAD本宮(瀬戸利樹)。彼も北沖田町の出身だった。上司のディレクターの神崎(馬場良馬)はこの企画には乗り気ではない。 町長選の立候補者は長年町会議員を務めた佐々木ひろかず(だんかん)、同じく議員の城山淳子(藤田朋子)、この町出身の売れない役者・トランプ啓介(なだぎ武)、スーパーでパートをしている若きシングルマザー山崎加奈(小宮有紗)だった。 討論会の控え室、佐々木は「控え室は個室を用意しろ!」と恫喝。しかし監視カメラの存在を察知し、やたら下手に出るようになる。 神崎がやってきて公開討論会会場へ皆を送るが控え室の様子をカメラに収めたことを話す。 公開討論会が始まった。まずは今話題のダム建設。佐々木はダムの仕事を親戚の会社に受注させるのが本音で建設賛成、城山はダム建設で中央に恩を売り、次期参議院選に出るために賛成、トランプや山崎は「それよりも福祉を!」というスタンスだった。 そのとき、本宮が1枚の写真を出した。その写真には若き佐々木と本宮の母が写っていた。 この映画は2、3日前に知った。 「福田村事件」が新宿では混んでるらしいので別の劇場を探していたらシネマロサになり、シネマロサのHPを見ていたら「政見放送」という映画が上映される。しかも瀬戸利樹出てるし、初日には舞台挨拶もある。主演が馬場良馬なので(私の中では彼は地下アイドル映画の常連のイメージなので)内容に不安は感じたが、去年の「決戦は日曜日」位の出来ならよしとしようと思ってやってきた。 結論からいえば、まあ面白かった。 公開討論会が徐々に暴露大会に変わってく様は面白い。佐々木は過去に本宮の母と結婚の約束をしていたが、資産家の娘と結婚したのだ。本宮は佐々木の息子でもあるのだ。城山は秘書と恋人関係にあったが、同時に別の議員秘書とも関係を持っていた。そのことを暴露したのは神崎。 神崎はこの討論会で本宮が裏の意図があることを察知し、すべて先手を打っていたのだ。 とまあこのあたりまではいいのだが、山崎が手製の爆弾で「すべてを壊してやる」と言い出すと、城山が「私もシングルマザーで本当につらかった。しかし議員になって放漫になってしまった」と反省する。 神崎が仕掛けた爆弾の効果音がなったとき、佐々木は本宮の上になり、彼をかばう。そこで「やっぱりいい人」になる。 そう、この映画登場人物が結局「いい人」になってしまい、政治的な毒とかは何もない。社会派の映画でもないんだろうけど。 まあベースは舞台版があったそうで(だからタイトルが「映画 政見放送」なのだ)主演が馬場良馬で、こっちのイメージだが馬場良馬が出てるくらいだからそんなもんである。(そう思わせる馬場良馬もさすがである) 瀬戸利樹って顔はメチャクチャいいけど、なんか演技いまいちだよね。顔がいいだけ。でもそれだけでも十分だけどね。 本日は初日舞台挨拶が30分付いた。 登壇は谷健二監督(司会も)、なだぎ武、馬場良馬、瀬戸利樹、城山の有能や秘書の新田役の北代高士。 本作は本編70分ぐらいの映画だが、ラストの討論会のシーンが30分くらい。台本にして40ページぐらいあったそうだが、ここが1日で撮ろうとしたらしい。当然現場は混乱してなだぎさんは「この映画大丈夫?」と心配したそうな。 この映画もAFF作品で、とにかく撮影日数は短かったそう。その調子でいえば撮影合計日数は3日ぐらいじゃないのか。(AFFあるあるですな)。 瀬戸君いわく「出演者の方々とゆっくりお話する余裕もなかった」という。瀬戸君は他の出演者と違って長いせりふはないけど、無ければ無いで、相手の長せりふに対してタイミング良く自分のせりふをいわねばならないので、タイミングをあわせるのに緊張したという。 舞台挨拶が面白かったので、つい帰りに久しぶりにパンフ(500円と安かった)を買った。(「福田村事件」は買わなかった) 案の定、文章はないスチルを並べただけのスカスカの内容だった。 福田村事件日時 2023年9月9日14:45〜 場所 池袋シネマロサ(2F) 監督 森 達也 1923年夏、京城で教師をしていた澤田智一(井浦新)は妻・静子(田中麗奈)と共に千葉県の福田村(現在の野田市)に帰った。ある事で朝鮮にいる気がなくなってしまったのだ。 村長(豊原功輔)や、在郷軍人会のリーダー長谷川(水道橋博士)はかつての同級生。村長は再び教師になってほしいと頼むが澤田は拒んだ。 香川県の薬売りの一行が関東に行商に来ていた。 そんな時、関東大震災が発生。東京はパニック状態。そんな時、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が日本人を虐殺している」というデマが横行する。しかしそれは政府が流したデマだった。 福田村でもそれを受け、在郷軍人会を中心とした自警団を結成。村の開会に当たる。村長は「冷静に」というが長谷川は聞かない。むしろ「お前は朝鮮人の味方か!」と罵倒する。 内務省からは「民間人が人を誰何したり、武器を持ってはいけない」と通知が来て、村長は自警団の解散を長谷川たちにいう。 そこへ薬売りの一行がやってきた。利根川の渡しの船頭に「船賃を負けてくれ」と交渉するうちに口論になってしまう。長谷川たちが通りかかる。見慣れない人々に村人たちが集まってくる。聞き慣れない方言に「こいつら朝鮮人か!」と言い出す。薬売りのリーダー(永山瑛太)が許可証を出す。警官がそれを本物か確かめようとする。それまで待てと言われた村人だが、村人は納得しない。 ドキュメンタリーで知られる森達也監督の初の劇場用映画。去年の8月〜9月に京都で撮影されたそうだが、足立正生が「REVOLUTION+1」を撮ろうとしたら当てにしていたスタッフがみんな「福田村」が先に決まっていたのでそっちにいってしまい困ったというのは一部では有名な話。 大正時代の千葉県なんて完全に時代劇の景色である。 森さんが出席するトークイベントには何度も出たし、酒席でお話したしたこともある。本も数冊読んだ。普段から森さんがおっしゃってることが散りばめられまくった映画である。 「正義は時々暴走する」 「人は主語が複数化(私→我々)になると暴走する」 「暴力化する集団を見ると一人一人は特に暴力的な人ではない」 という感じ。これはオウム真理教の取材の頃からよく言っている。 今回取り上げたのは関東大震災時のデマによる朝鮮人虐殺(それだけでも十分大事件だが)それの巻き添えを食らってしまった人々。 当初はドキュメンタリーを考えたそうだが、生存者もいなくて土地を訪ねても全く変わってるし、ドキュメンタリーとして成立しえないから劇映画になったそうだ。 意欲的な作品だし、それは評価するのだが、話を盛りすぎてないか? 福田村事件だけでなく、そこにソウルにおける朝鮮人虐殺(澤田はそれを止められなかったというトラウマを抱えている)とか社会主義者への弾圧が絡む。そこに大正デモクラシーも登場する。新聞報道のあり方も女性記者を通じて挿入される。 フィクションだからって盛り込みすぎていやしないか。 あんまりフィクションを加えると、最初の「福田村事件」もフィクションではなかったかと思えてくる。 そこまでがフィクションだったのだろう。 恐らくは 1、東京では朝鮮人が日本人を殺しているというデマがあった。 2、それを聞いた福田村の人間たちは日頃の自分たちの朝鮮人差別感情からそれを信じ込んだ。 3、恐怖に支配されていた村人は日頃聞き慣れない言葉を話す一行を見て朝鮮人と思いこんだ。 4、そして集団心理と過剰な防衛本能で彼らを殺してしまった。 という程度が事実であとのキャラクターは作者のテーマのための創作ではないか? 違ったらごめんなさい。 澤田のようなキャラクターが偶然福田村にいたとも思えないし(ホントならごめんなさい)、村人の柄本明が「日清戦争の時、中国人を斬りまくった」と言われてるが実はただ死体を片づけただけだが英雄談になってしまったというのもなんだかフィクションっぽい。 千葉日々という新聞社の女性記者(この時代にいたのか。いやいたかもしれんけど)「朝鮮人暴動はデマだとはっきり書かなければ世間の不安はなくなりません!」と編集長(ピエール瀧)に訴えるあたりも。 要するに「福田村事件」をベースにし当時の空気を描き、それは現代にも通じるということがテーマだと考えると納得する。 これはもう五味川純平の「人間の条件」や「戦争と人間」と同じである。 最初から「事実をベースとしたフィクション」と考えれば違和感はない。 そうすると「福田村事件」というタイトルが引っかかるのだ。 フィクションではない作品を想像してしまうので。そうすると「ニッポンの恐怖」とでもしたほうが私にはしっくりくるのだ。 「戦争と人間・完結編」を「ノモンハン事件」としたら同じ映画でも変だろう。 「事実をベースとしたフィクション」と考えれば東出昌大が「もし本当だったら日本人を殺すことになるんだぞ!」と言いそれに永山瑛太が「朝鮮人なら殺していいのか!」と言ったりするシーンも強烈だし、一番驚いたのは在郷軍人会のリーダーが「俺たちは国を、村を守ろうとしただけなんだ!」というのも「正義は暴走する」というテーマと合致する。 また女性記者が下に見られたりするあたりは現在にも通じる女性蔑視だ。 とにかく、「差別意識による暴走」を思いっきり描いた映画で、賞賛に値する。 東出昌大の澤田の妻や死んだ軍人の妻との恋愛がなんか溶け込んでいないきがするけど。でも船頭役で半裸の東出はセクシーさ全開だった。 罠 THE TRAP日時 2023年9月8日19:30〜 場所 新宿ピカデリー・シアター3 監督 林 海象 製作 平成8年(1996年) 濱マイクは探偵業は順調だった。声が出せないが耳は聞こえる恋人の百合子(夏川結衣)との仲も順調だった。 その頃、横浜横須賀で若い女性が誘拐され、数日後に死体となって発見される事件が相次いでいた。 百合子も犯人の標的にされ、危ういところをマイクが救った。犯人は毒物を注射器で注射する手口だが、その注射器を壊したが、相手の手に残った注射器にマイクの指紋が残った。 マイクの指紋から偽の指紋が作られ、犯人は次の犯行を行い、マイクが指名手配された。中山刑事(麿赤児)と神津刑事(杉本哲太)がマイクを逮捕。だが神津は中山の決めつけに元々疑問を持っていた。今回の犯行時刻とされる時刻に神津はマイクと会っていたため、マイクの無実には確信を持っていた。マイクは神津の手引きで警察から脱走。探偵の師匠(宍戸錠)や探偵仲間によって捜査が開始された。 神津は被害者についていた香水から犯人を追っていて、その線上に水月(山口智子)と、彼女が弟のようにかわいがっているミッキー(永瀬正敏・二役)が浮かび上がる。 濱マイクシリーズ第3弾にして最終作(このあと2000年代になってからテレビシリーズとして復活するのだが)。存在は知っていたが、この頃仕事が忙しくて映画から離れていた時期だったので見逃していた。 4K化で三部作上映なので、今回は観た。 今回は連続殺人犯の話。 水月という女は実にさわやかで人当たりがよく、鶴見の工場で働いているが周りの評判も上々。しかし二重人格で精神異常者で殺人鬼、という設定。 この頃の山口智子は実に魅力的である。そんなさわやか女性が殺人犯だから恐ろしい。 なのですが、話の展開として香水から水月にあたりをつけるのは神津刑事だが、その情報を元に彼女の過去を洗うのは探偵たち。 錠がマイクに「お前は出歩かない方がいい」と港に匿って、探偵たちが調査の結果を報告に来るのだ。 こういうのを丁寧にしてくれないと私はがっかりするのだよ。「警視庁物語」が好きなのは、こういう聞き込み、捜査、が実に丁寧だった。濱マイクはすべて雰囲気(ムード)で押し切るのでいまいちなんだよなあ。 協力者の星野くん(南原清隆)とか映画館のモギリのおばちゃん(千石規子)、対立する刑事などのサブキャラがにぎやかとかの好きな要素はあるので観てしまうが、私の好みとはちょっと違う。 水月とミッキーは孤児で、孤児院時代から異常人格で人殺しが楽しい、という設定だが、なぜ最近になって立て続けに事件を起こしたのか、ミッキーを永瀬が二役で演じているのがどうも演出意図が不明、前2作では外国人ヤクザ役の佐野史郎が今回はただの牧師役、など納得のいかない点も残る。 特に佐野史郎は「こいつ今は牧師のふりをしてるけど悪い奴?」と疑ってしまう。 でも見逃していた3作目を今回鑑賞してよかった。 ちなみに1作目は白黒、2作目3作目はカラー。 MEG ザ・モンスターズ2日時 2023年9月2日21:45〜 場所 新宿ピカデリー・シアター7 監督 ベン・ウィートリー ジョナス・テイラー(ジェイソン・ステイサム)は海洋不法投棄を行っているものたちを逮捕に導いた。 その2年後、中国の海洋学者ジウミン・ジャン(ウー・ジン)が開発した深海潜行艇の深海調査に同行した。2隻に分乗して海底に向かうジウミンとジョナス。深海に潜ってみると、すでにそこには海底ステーションがあり、何者かに攻撃を受けた。潜水艇は破損、自力での浮上は無理。3Km先には先ほどの国籍不明の海底ステーションがある。パワーアップした潜水スーツでステーションに移動してみた。 何とか中に入ったが、そこは違法に海底のレアメタルを採掘するための基地だった。敵に捕まってしまったジョナスたち。 果たして脱出は出来るか? アメリカ・中国合作。ワーナーの映画だが中国との合作なので、副主人公は中国人。日本のポスターにはジェイソン・ステイサムと巨大鮫だけなので、ピンこないけど。 中国映画が海底資源を違法に採掘する集団を敵にしているのは面白い。 別に私は反中ではないつもりだけど、裏の意味でもあるのだろうか? で、中国映画だからヒロインの一人も中国人。ジウミンの姪・メイイン(ソフィア・ツァイ)が「今回の潜水は危険だから連れて行かないよ」と言われたにも関わらず、ついてくる14歳の少女役。こういうキャラってめんどくさいなあ。単に足引っ張るんだよ。 まあ主人公の活躍を描くためなんだろうけど、かえってうるさくて私はこういう「無断で着いてくる奴」「勝手な行動を取って危機に陥る奴」が嫌いである。 前半は海底ステーションからの脱出話で、メグ(巨大鮫の通称)はあまり出てこない。でもねえ、潜水艇からいくらパワードスーツを着ているとは言え、3Kmも歩いて海底ステーションまで移動とか「出来るかよ?!」と思ってしまう。 さらに海底ステーションの部屋に閉じこめられ、いったん海底に出て、もう一度中に入るとかおかしいよ。潜水服なしのそのままで7800mの深海に出て(息を止めれば大丈夫とか一応説明はあるけど)無防備で海底を移動して再びステーションに入るとか、超人的すぎて「アホらし」とシラケてしまった。 最近の「ミッションインポシブル」とか観ないのはそのせいである。 やりすぎに見えるんだよな。今の人は大丈夫か? いづれ逆にリアル指向が始まってくれるといいなあ。 後半はメグやトカゲ状の水陸両用の生物が悪い奴を次々と倒してくれる。 でもこのトカゲ、普段は水深7800mにいて急に地上に上がってこれるもん?これも超人(人じゃないけど)過ぎて気になる。 あとカットが速すぎるのね。最近(といってもここ20年ぐらい)の映画はこれが多いけど、アクションももう少し「間」を大事にして欲しいなあ。 というわけで「1」の方が面白かった記憶が強いです、はい。 |