安住の地 | 首(北野武) | 愛いろいろ〜lovely family | |
正欲 | ゴジラー1.0(英語字幕版) | こいびとのみつけかた | 青い真珠 |
車軸 | ウルトラセブン4K 庵野秀明セレクション | 花腐し | ザ・オーディション |
スリー・ブレッツ | 痛い街で | TOKYO,I LOVE YOU | 法廷遊戯 |
青すぎる、青 | 二人静か | 愛にイナズマ | ゴジラ―1.0 |
安住の地日時 2023年11月28日21:00〜 場所 テアトル新宿 監督 木村緩菜 東京での暮らしから逃れて海辺の故郷の町に帰ってきた愛子。実家では暮らさずにボウリング場でアルバイトしながら暮らしている。ボウリング場の支配人(川瀬陽太)は「何で東京からこっちに帰ってきたの?」「車は乗らないの?」「送ってこうか?」「車安く譲るよ」となにかとしつこい。 中学時代の友人が自殺し、葬式に行ってきた。そこで中学の同級生で今は市役所につとめている四谷晴彦と再会する。時々会うようになる二人。 愛子は車の免許を取るために教習所に通い出す。教官も「送っていこう」といい車に乗せられ、キスをされた。そしてセックスも。 やがてイヤになった愛子は雨の中、教官を振り切って自宅に帰る。そのおかげで風邪を引いてしまった。それを知った晴彦がアパートを訪ねてくれた。心を許していく愛子。晴彦は半ば強引に体を重ねたが、愛子は拒否しなかった。このまま幸せにいくかと思えた。 晴彦の職場に新しく入った女子が晴彦に迫ってきた。彼女とセックスしてしまい、「妊娠した」と行ってきた。仕方なく結婚の流れになる晴彦。 それを知った愛子は、晴彦と町を出ようとする。たまたまおいてあったボルボの車。なぜか鍵もかかっておらず、乗ることが出来た。 愛子と晴彦は旅を始めるのだが。 最近は全くみなくなったピンク映画。 新作は観なくなったなあ。大蔵映画は荒木太郎監督の「ハレンチ君主」の一件でいやになったのだ。 でも今回鑑賞したのは木村監督は知り合いだから。彼女が日本映画大学に入学した時にグリソムギャングで出会っているのだ。ピンク映画が上映されたときにゲストで来ていた倖田李梨さんにインタビューに来ていたのだ。(大学の課題で取材の練習で誰かにインタビューしてこいという課題だったようだ) それからいまおかしんじ監督の「たまもの」が大好きという話をしていまか監督作品の上映会にも来てくれた。卒業制作の映画も観た。その後フリーの助監督をしていた(「騙し絵の牙」とか参加したようだ)が、今回大蔵映画の「新人発掘プロジェクト」に応募して、ピンク映画デビューをしたのだ。 上映後に監督がいたので少し立ち話したが、いまおか監督の「たまもの」のオマージュが多い。OPの公式の紹介文にも「ピンク映画に対するリスペクトが感じられる」とあるけど、これは具体的には「たまもの」だろう。 話の方は若干せりふが聞き取れなかったせいか、シナリオの説明不足なのか解りにくいところがある。 途中から出てくる東京から愛子を追ってきた男の正体はなんのか? その男が「この車、どういう車か解ってるのか?」というが何なの? 最後に警察のパトカーのサイレン音で終わるが、愛子はなにか東京で何かしたのか? それとも車の問題で特に何かやったわけではないのか? そういう細かい点はよくわからなかったが、タイトルの「安住の地」と考えると、テーマとすることはよくわかる。 「私に安住の地はあるのだろうか?」 東京へ出ていったがうまくいかなかった、故郷に帰ってきてもつまらない男たちにつきまとわれる、同級生とは結婚できそうになったが彼は別の女と結婚する。 そりゃ逃げ出したくもなる。 そういった閉息感はよく伝わってきた。 「たまもの」へのオマージュでいうと、まず主人公が勤めているのがボウリング場。主人公は自転車で通勤している、「たまもの」というかいまおかピンク映画では主人公が自転車に乗っているカットがよくあった。 教習所の教官と不倫関係になるところだが、この教官の妻が愛子に喫茶店で「もう会わないでほしい」というあたりも「たまもの」を連想させる。その後、伝票を持ってレジに走るかと思ったらそれはなかった。 だから「たまもの」のように最後には晴彦を殺してしまうかと思ったが、それもなかったな。 木村監督の大蔵ピンク映画初作品。学生時代から知ってるのだから、これからも彼女は追いかけてみたい。 首(北野武)日時 2023年11月25日21:30〜 場所 TOHOシネマズ・スクリーン7 監督 北野武 戦国時代。信長(加瀬亮)の家臣の一人、荒木村重(遠藤憲一)が謀反を起こした。信長はその鎮圧に手を焼き、明智光秀(西島秀俊)、羽柴秀吉(ビートたけし)らの家臣に「働き次第で跡目は相続させるから死ぬ気で働け」と発破をかける。 広島の毛利軍で手が放せない秀吉ではなく、光秀にますは荒木の鎮圧を命じる。実は光秀と村重は刎頸の交わりであった。茶人千利休(岸部一徳)は謀略家でもあり、その手下の忍び、曽呂利新左衛門(木村祐一)によって捕らえられ、密かに光秀に渡された。光秀は村重をかくまい、徳川家康(小林薫)の元に逃げたと報告した。今回の謀反は裏に家康がいると思わせた。 秀吉は信長の真意を探るため、息子に宛てた書状を曽呂利の手配で金で買うことが出来た。その中身は信長は息子に跡目を相続させるつもりとかいてあった。 その手紙を光秀に見せる秀吉。秀吉は明智に「信長を倒すなら見方になる」として光秀を焚きつける。 光秀はついに本能寺に攻め込む。しかし村重を伴うことはなかった。 TOHOシネマズで映画を見ると半年くらい前からやたらと予告編が上映され何十回も予告編を観させられた。しかし新聞広告とかテレビの番組を観ていてもタイアップで俳優が出演したり、紹介されるのを観たことがない不思議な宣伝。千利休の側近の間宮として大竹まことが登場するが、先日自分のラジオ(文化放送「ゴールデンラジオ」)に岸部一徳をゲストで登場させこの映画の話をしていた。後半で話していたが、実は撮影は2年半前(2021年4月19日から9月23日まで〜公式HPに記載)に行われ、北野武のオフィス北野退社問題やら、角川の社長(角川歴彦)の東京五輪関係の汚職で逮捕などの余波を受け、すったもんだがあり、一時はお蔵入りとまで言われた映画だったようだ。 オールスターキャストで他にも中村獅童、浅野忠信、大森南朋、勝村政信、寺島進、桐谷健太、寛一郎、津田寛治、荒川良々、六平直政などなど。豪華である。 見終わって一晩経って思うのはこれはもう「仁義なき戦い」であり「アウトレイジ」である。陰謀、謀略、偽情報、裏切りなどなど完全に「仁義なき」の世界。秀吉が言ってみれば山守親分か。 チンピラが百姓出身の茂助(中村獅童)に代わりのし上がっていこうとする。 しかしまあ最後にはほとんどの人が死んでいく。それも無様な死に方である。信長は本能寺で攻め込まれ、森蘭丸(寛一郎)を介錯し、もう一人の従卒である弥助〜外国人である〜を介錯しようとして、逆にあっけなく殺される。 光秀は茂助に殺されそうになるが、自害、しかし茂助も光秀も落武者狩りの百姓に首を取られる。 タイトルの首、これが象徴的で光秀は本能寺を攻めた後、信長の首が見つからないために「武士の勝利の象徴」として首にこだわる。 しかし秀吉は百姓たちが首を持ってきて首実検をしてるとき、「首なんかどうでもいい。俺は光秀が死んでくれていたら首なんかどうでもいいんだ!」と百姓の持ってきた首(実は光秀の首)をけ飛ばす。 毛利の大将清水宗治(荒川良々)が自決する際に舞を踊ったり、辞世の句を詠んだりしてるのを見て「長えなあ。俺、百姓だから侍の考えがよくわからない」という。 ここがある種、肝か。 とにかく人があっさり死ぬ。そしてたいていはその死に様は無様である。家康が逃げるときに影武者を無数に用意し、どんどん殺されて「はい次」と言われるところはもうギャグである。 武家社会の滑稽さだ。 村重と光秀は男色関係にあって、信長も村重を気に入っていてその三角関係のもつれ、みたいな話を事前に聞こえてきたが、そこはあまり重要ではない。光秀の謀反の引き金を引いたのはやはり「息子に跡目を相続させる」に怒ったということになっている。 この村重役を大人のイケメンにやらせることも可能なはずだが、あえて遠藤憲一である。 このセンスが北野流のセンスなのだろう。 情報量も多く、早口なので、細かい部分がわからなかったところもあるのだが、そこは「仁義なき戦い」シリーズと同じ。 史実と照らし合わせながら2、3回は楽しめそうな映画である。 愛いろいろ〜lovely family日時 2023年11月25日13:05〜 場所 光音座1 監督 池島ゆたか 製作 OP映画 エリカはデザイン学校に今年入学した18歳の女の子。彼女には父親が二人いる。ヘアデザイナーのカイト(竹本泰志)と中堅企業の経理部長のひろむ(なかみつせいじ)だ。カイトが友達のレズの子に頼まれて精子を提供して出来た子がエリカなのだが、その母親が事故で亡くなり、一応父親のカイトが引き取る決心をしたのだ。その時から付き合っていたひろむも3人で家族になると決めたのだ。 カイトは映画のヘアデザイナーもしているが、そこでイケメン新人と知り合う。いつしか二人はホテルで愛し合う仲に。二人で並んだ写真を撮ったら、携帯をひろむに見つかってしまう。 ひろむは自分もとバーに行って若い子に声をかけるが「僕おじさんだめなんで」と断られる。同情したバーのマスター(樹かず)とホテルで一晩を過ごした。 ある日、エリカが結婚したい人がいると言い出す。会ってみるとなかなか良さそうな青年・尚也だ。4人で食事をした晩、エリカは「妊娠してます」と言い出す。結婚式の前、エリカは「私がいなくなっても二人が別れませんように」とペアの指輪を渡す。 数ヶ月後、孫の写真を見て喜ぶカイトとひろむ。そこへ子供を抱えた尚也がやってきた。エリカが新しい男を作って家出したという。 泊まっていく尚也だったが、いい男の尚也をカイトとひろむは犯す。 しかしそれは夢。二人が朝になって起きると、赤ん坊を抱いたエリカと尚也がやってきた。 何度も同じことを書くけど、ゲイ映画も上映可能な作品は見尽くしたようで、今年も数回しか行ってない。もう観た映画しか上映されなくなってきたのだ。7年ぐらいかようと見終わる。1年24本上映されるから上映可能な170本ぐらいしか存在しないと思われる。 脚本・五代暁子 監督・池島ゆたかコンビの作品。 池島さんってゲイの家族の話を作りたがるんだなあ。今回も無理矢理子供を持った設定にしてる。しかも女の子。ここが女性好きの池島たちの発想で、ゲイのおっさんが女の子を持ちたいと思うだろうか? いや、女性の友達が多いゲイもいるだろうから、この設定が「絶対にあり得ない」とは言わないけどさ。なんか共感はよばないんだよね。 しかも演じてるのがいかにもピンク映画の新人のしかも売れてないようなど素人女優。彼女の甲高い自己紹介のナレーションから映画は始まるから、私としてはドン引きである。映画の世界に入れない。 せめてなかみつせいじのナレーションから入ればまだ、ましだったかも知れない。この辺が「女性の視点から映画を始める」という通常のピンク映画のクセとしかいいようがないのだな。 そしてなかみつせいじと竹本泰志のカラミである。そんな中年のおっさん同士のからみを観客がみたいと思うか? まあなかみつせいじが超タイプ!というひともいるだろうけど、やはり若い子をメインにした方が。 カイトがイケメン俳優とベッドインするのだが、イケメンがシャワーを浴びている間にカイトは喜んでパンツ1枚で一人で踊る。竹本の裸、客が喜ぶと思う? とにかく私の思うゲイ映画と完全にずれまくっているのだな。 ゲイで家族を持ってる奴なんて少数派だから。 しかも最後には娘の夫に手を出すという節操のなさ。いままで家族がどうのと言っておきながら娘の夫とセックスする? 夢オチにはなってるけど、あきれ果てる展開に言葉も出ない。 池島監督は通常のピンク映画ではいいのを撮るけど、ゲイ映画はほんとだめ。 まあ猟期的な佐藤寿保や芸術家気取りの山崎邦紀も困ったもんだし、基本的に映画になってない小林悟もだめ。小林悟は破綻ぶりを楽しむというゆがんだ楽しみになってるけど。 同時上映は佐藤寿保の「狩人たちの触覚」。感想は以前観てるのでパス。 追記:ひろむが浮気をしようとしてバーに行き、若い子に声をかけるシーンで、「僕おじさんだめなんで」と言った後に若い美少年が来る、とくだり。 この若い子はポスターにまで載っていて確かに美少年。でもシーンはここだけで話には絡んでこない。 クレジットを観ると「コウ」という子がいる。これは「せせらぎの淡い虹」の主演の子ではないか。 ってことは「せせらぎ」の前からつながりはあったのだな。 へ〜、無駄な知識ですが勉強になりました。 正欲日時 2023年11月24日18:15〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン3 監督 岸善幸 検事の寺井啓喜(稲垣吾郎)は小学生の息子が不登校になり悩んでいた。YOUTUBEの動画で学校には行かないで自分のやりたいことをして毎日が充実しているという女の子の動画を観て「僕もやりたいことをしたい」と言い出す。検事の寺井にはそれが自分の常識からは考えられない行動だった。 広島のホームセンターで働く桐生夏月(新垣結衣)は周りになじめず、気を使って話しかけてくる人が逆にうっとうしかった。横浜で働いていた佐々木佳道(磯村勇斗)は両親が交通事故でなくなり、実家の広島に帰ってきた。夏月と佳道は中学の同級生で同級生の結婚式で再会する。 神戸八重子(東野絢香)は男性恐怖症を抱えており、文化祭の実行委員としてダンスサークルの諸橋大也(佐藤寛太)と出会う。 佐々木と夏月は実は同じフェチを抱えていた。それは水フェチとでもいうべきもので、水に対して異様な関心を示してしまうのだ。 ネットなどの水を扱った動画に必ず「SATORU FUJIWARA」という人がいるのに気づく佐々木たち。「きっと同じフェチに違いない」と思い連絡を取ってみる。 そしてまずは佐々木がそのSATORUと会うことにする。SATORUは実は大也だった。SATORUは同じような水フェチの知り合いも呼び、佐々木と3人で公園で水遊びをしてその動画を撮るのだが。 朝井リョウ原作。50万部を超えるベストセラーになっているそうだ。その割には話題は聞かないし映画もそれほどヒットしてる感はないのだが。 最近見たい映画が目白押しなのでパスしようかと思ったが(昨日から「首」「シチリアサマー」など始まったし)、やっぱり観ることにした。 内容を全く知らずに観て「なんか特殊なものに関心を持つ人」が登場するいう程度の前知識で観に行った。最初の方で両親と暮らす夏月がLGBTQがパレードを行っているニュースが出る。 「夏月ってLで、佐々木がGなの?」とか思ってみていたら全然違って「水」の異常な関心を示すタイプとなる。 私としては「水」対して異常な関心(性的な興奮は無いようだが、同様の高揚感はあるようだ)を示すのは「そういう人もいるかも知れない」と思えるのだが、それが生きづらさになるのがピンとこない。佐々木も自殺まで考えるような人なのだ。 「そんなにつらい?」と思ってしまう。同性愛とかなら自殺もあるのかも知れないけど「水フェチ」でねえ。 その辺が原作では心境がつづられているかも知れない。 大也もそう。そしてもう一人八重子が登場するが、彼女は水フェチではなく、男性恐怖症だそうだ。なんらかの男性に対するトラウマがあるそうで彼女の物語における存在が薄くてイマイチ。 書き忘れたけど藤原悟というハンドルネームは過去にあった「水道の蛇口を壊して器物損壊で逮捕され、『水が吹きでるのを見るのがよかった』と供述した男」の名前。これは新聞に載った記事でこれを事務官(宇野祥平)示された寺井は「こいつバカなのか?」と言ってしまう。 大也や佐々木が水の撮影会を行った時に一緒に来た男、この男が問題で児童買春をしいていたのだ。しかも男性幼児性愛といういちばん世間からは理解されずに嫌われる性癖。 これで逮捕され、持っていた動画から佐々木や大也も児童性愛の仲間と疑われる。その取り調べを行うのが寺井。 佐々木や大也が「自分たちは水が好きなだけで男の子にはなにもしてない」と言っても信じてもらえない。 実は、思う。 LGBTQはまあ理解されつつある。それがまだまだとしても。 水フェチは信じられないながらも特に被害者がいるわけでもない(言い換えれば誰かに迷惑をかけるわけではない)から、まあ社会において許容されていくだろう。 しかし幼児性愛はどうか。 もちろん大人から性的なことをされた子供たちは精神的にもダメージを受けるだろう。しかし加害者はこの衝動が押さえられないのである。そしてそれは満たされることはない。許されない行為として世間からは認められない。加害者の視点にたてばなんともまあ余計な性癖になってしまったものだ。 これは「殺人が趣味」と同類でたぶん許されない範疇になるのだろうな。 寺井は佐々木の妻として(形式上だけだが二人は結婚している)「あなたの夫は子供に関心を示すようなことはありませんでしたか?」と詰問する。「佐々木も諸橋も『水が好きなだけで子供は関係ありません』と示し合わせたように言っています。そんなことあり得ないですけど」と口にしてしまう。 そして夏月が「自分の人生が『あり得ない』って否定されたことあります?」と問い直す。 「みんな違ってみんないい」「多様性の時代」などと世間では言っていて、それがみんな出来てるようなフリをみんなしてるけど、「本当にそう?」と作者は問うているのである。 この主張はすごくうなづく。 原作もちょっと読んでみたい。 稲垣吾郎が「日本の常識」を代表するようなキャラクターとして登場。でも稲垣吾郎には似合わないなあ。なんか稲垣吾郎ってなんでも許容してくれそうなキャラクターのイメージがあるので。 磯村勇斗が相変わらずいい。新垣結衣もよかった。二人ともせりふがないカットでの表情がいいのだな。 磯村勇斗、「月」といいホントに侮れない俳優だ。 ゴジラー1.0(英語字幕版)日時 2023年11月23日18:50〜 場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン12 監督 山崎貴 今日、シナリオセンターの特別講座で「ゴジラー1.0」の関係者が「シナリオを勉強する人に向けて」というトークイベント形式の講座があり、それに参加したそこでて「マイナスワン」の裏話を聞けた。 曰く、 ・山崎監督は「スター・ウォーズ」を観て映画監督を志した人だから、やっぱり考え方がハリウッド映画的になる。 ・だからラストで典子が生きていたのはハッピーエンドすぎると思ってしまうが、北米でのプレミアの観客の反応を観ると世界ベースではあれが好まれるのかも知れない。 ・銀座のシーンで敷島と典子が出会うのはご都合主義過ぎる、敷島も銀座にいた設定にした方がいいのではないか?と言ったけど「これでいいんです」と山崎監督に押し切られた。 ・海のシーン(爆雷)のあたりはやはり「ジョーズ」がベース。 ・戦後すぐの過去の話にしたのは同じ現代を舞台にすると「シン・ゴジラ」に比べ見劣りする感じがしたのだろう。 ・1作目のリメイクという企画もあった。 ・第1稿から大きく変わってしまったというところはない。最初から今の感じだった。 そしてやはりその方々が見終わって振り返ると観るとテーマは「生きることから逃げない」ということだったと思うと話されていた。 まさに「生きて抗え」ですね。 北米公開は脚本家協会のストなどで作品が少なかったことが1000館上映につながったそうだ。 観客の反応はゴジラ登場のシーンでは手をたたいての喝采だったが、後半に行くにつれ静かになった。「特攻」は「KAMIKAZE」と訳されているのだが、観客にも分かってくれてドラマに入ってくれたのだと思う。 というお話でした。 ゴジラとは直接関係ないが、「どの層に観てもらいたいか?」というプロデューサー的発想をもってもらいたい。そうするとシナリオを各段階でも、若い人に向けたい映画なら、その人たちに響くような台詞なりが出てくるのではないか」という話。 今後は原作ものだけでなくオリジナルを増やしていきたいが、どうしても企画の段階で「うまく行かないな」と思ったら閉じてしまう。テレビではプロデューサーが時間枠と作家を押さえれば極端な話、詰まらなくても番組は成立する。しかし映画は収入に直結するので、どうしても慎重になってしまう。 最後に質疑応答の時間があって女性の方が「ゴジラは男中心の感じがして見ていない。女性が活躍するゴジラ映画とかは作らないのか?」みたいな質問(というか批判)をされていました。あのね、女性を主人公にしたゴジラ映画は何本もあります。あなたの思いこみです。 といろいろと有意義な話が聞けました。 で終了したのが16時半。さんざ「マイナスワン」の話を聞いたので、北野武の「首」などを見ようかと思っていたが、やっぱり「マイナスワン」。 今日から日比谷と六本木では英語字幕版が上映されるので、せっかくだからそれを観に。 英語字幕で観るとなんか自分がアメリカ人になったような感覚で映画を見る、という気分になった。今まで何本か英語字幕付きで映画を見たことはあるけど、こういうのは初めてだなあ。なんでだろ。 やっぱり戦後すぐの風景が異世界の感じがするからか。 前から吉岡秀隆の野田のヘアスタイルが誰かに似てると思っていたが、艇長が呼ぶときの「学者」が「DOC」に訳されているのを観てやっと気がついた。 あれは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の「ドク」ではないのか? あと今回で5回目なのだが、「マハラ・モスラ」の曲が使われているというのだが、今回もわからなかった。歌がないから違って聞こえるのかな。 そしてこの映画のいいところは主人公たちが最後まで最前線で戦うところなんですよね。「シン・ゴジラ」は「最前線指揮所」であって「最前線」ではなかった。ましてや映画によっては主人公は完全に「怪獣同士の戦い」を観てるだけ、になってしまうケースもある。 最後まで最前線で戦うからかっこいいんだよなあ。 まだまだ観たいですね、「マイナスワン」は。 こいびとのみつけかた日時 2023年11月22日18:30〜 場所 新宿シネマカリテ・スクリーン2 監督 前田弘二 植木職人の助手をしている大島杜和(倉悠貴)はコンビニでバイトをしている上尾さん(芋生悠)が気になっていた。トワはちょっと世間ずれしたセンスの持ち主で昔から雑誌の気になった記事を切り取ってポケットに入れ、(相手からすれば脈絡なく)その記事の話を始める。 親方の大沢(川瀬陽太)から「そんなに好きなら声かければ?」と言ったがトワは声がかけられない。 トワは「伐採した後のはっぱがたくさんある。これをコンビニの前から枚ずつ並べていけばその先になにがあるか見に来るはず。人間の心理として」と言う。唖然とする大沢や先輩の脇坂(奥野瑛太)だったが、トワは実行した。そして上尾さんは来てくれた。名前は園子さん。 それから仲良くなりよく話すようになる二人。付き合っているわけでもない。 しかし彼女の家(廃工場なのだが)から突然出て行こうとする園子さん。 ある男(成田凌)の車に乗り込もうとしている。「誰?」と聞くトワ。 「夫です」。 「まともじゃないのは君も一緒」の前田弘二監督作品。時々予告編は観ていたので気になっていたが、金銭的なことやらでパスしようかと思っていたが、「れいこいるか」「天国か、ここ?」の河屋秀俊さんがご出演ということで結局観た。(河屋さん、吉岡睦雄さんは床屋の常連客役で出演) トワ君はちょっと変わったセンスの持ち主。しかしそれは親からほぼ育児放棄をされていて、近所に住んでいた大沢や理髪店の店主(宇野祥平)やその常連客からは可愛がられて育った。 別にいちいち説明しなくても「ちょっと変わったセンスの持ち主」でもいいような気もするが。 それを受け入れる園子も変わっていて周りからも「トワと話が合うからきっと変わった子」と言われる。実際植木の仕事中に弁当を食べるとき、園子が弁当を持ってくる。 タッパーを開けると白飯だけ。さすが園子だ!と思わせるが、その後でレトルトのカレーを取りだしてかけてあげる。なんかすれたセンスは楽しい。よく思いつく。 そういうラブコメだと思っていたら、実は園子は結婚していたという急展開。その前にもトワは時には凶暴になることもあるという人格まであかされる。なにかこう急展開しすぎな感もある。 園子は一度死産を経験して、それからちょっと病んでしまったのだった。 しかし夫の方は立派な一軒家で車はBMWだから、高給取りなイメージである。 なんかこう共感できないなあ。私は金持ちが苦手なのだ。 結局は最初の出会いと同じく落ち葉を置いて園子を呼び出し、「夫がいてもいい。会って時々話がしたい」という。 園子は了承するのだが、個人的にはこの結末はねえ。 最後は理髪店で園子の誕生日祝いの会を夫や常連客と一緒に祝う。 そして前に園子がトワの誕生日の時に自作の歌を歌ったように、今度はトワが歌う。 いろいろ時事問題を取り混ぜて結局は「ただいま、おかえり」が毎日言い合える仲でいたい、という歌を歌う。 これが体感的に5分ぐらいあって長いと感じる。 またトワらしく、という視点だと思うがわざと(たぶん)下手に歌っている。 「夫がいるけど、時々会って話したい」という気持ちは解るけど、それはやめた方がいいと思う。 だから作者の考え方に賛成できず、いい映画なんだろうけど、共感は出来ないなあ。 倉悠貴は丸顔の親しみやすいイケメンで好感が持てた。 青い真珠日時 2023年11月19日 場所 日本映画専門チャンネル録画 監督 本多猪四郎 製作 昭和26年(1951年) 三重県志摩半島の先端の村、ここでは女たちは海に潜り、あわびなどを捕って生計をたてていた。野枝(島崎雪子)もその一人。 その村に灯台員で小学校の教師も兼ねる西田(池部良)が赴任してきた。 同じ頃、東京に出て行ったリウ(浜田百合子)が戻ってきた。リウの派手な服装に村人は驚く。 野枝と西田はやがて愛しあうようになる。結婚を誓い合うが、野枝の叔母たちは賛成しない。というのも野枝の父親は村の者ではなく、結婚後村を出て行ってしまい、母もついて行き、「よそ者と結婚するとろくなことにならない」と村ではいわれてるからだ。実際、野枝には新太郎(柳谷寛)という周りが決めた婚約者もいる。 しかしリウは野枝の結婚が気に入らない。西田が勤める灯台に顔を出し、西田にちょっかいを出す。それだけでなく「今度の休みに西田と町へ遊びに行く」とかありもしないことを自分で言いふらす。それを無視し続ける野枝だった。 村にはかつては浜だったが今は浸食されて沈んだ場所には井戸があり、その井戸の中の真珠を見つけると恋が成就するという言い伝えがあった。 リウはある日、周りが危険だからと止めるのも聞かずに、その井戸を見つけようと海に潜る。それを止めようとした野枝だったが、結局はリウはロープを岩に絡ませてしまい、死んでしまった。 野枝はリウが助けを求める声が頭から離れない。ある月夜に野枝はリウを追うように海へ入っていった。 話は全部書いた。 言わずとしれた「ゴジラ」の本多猪四郎監督の監督デビュー作である。 上映用プリントがないのか、ここ20年ぐらいは私の知る限り上映されたことがない。 今回日本映画専門チャンネルで放送され、初めて鑑賞出来た。 よく「ゴジラ」との関連性が指摘されるが、その通り。 村の浜辺などは「ゴジラ」の大戸島でもロケされた場所だろう。しかも(驚いたのは)村祭りのシーンで天狗の面を着けた人たちが舞い踊る。 音楽こそ違うけど、これは大戸島の踊りと全く同じ衣装、面をつけている。地元に実際にあったものだったのだな。 そして多用される水中撮影。 そもそもドキュメンタリーの「伊勢志摩」を撮影したときに作った水中撮影カメラを活用出来る映画の企画はないか?というところから本作の企画が始まったらしい。 しかし驚いたのは前時代性である。 とにかく「よそものと結婚するとろくなことにならない」という風習がある村。 かなりご都合主義で野枝と西田はつきあい出す。 そして否定される。 なんかこう横溝正史的な「因習」を感じる。 戦後の変革期が起きつつある時代だが、まだまだ古い因習が残っていた時代なのだろう。映画はもちろんそれを肯定するわけではなく、それを否定する若者を描く。 しかし結論は主人公は自ら命を落としていく。 古い因習を打ち破って幸せになっていく訳ではない。これは意外だったなあ。じゃまする女が出てきても、それは恋愛映画の王道なので当たり前なのだが。 長い間気になっていた映画を観ることが出来、本当に満足である。 車軸日時 2023年11月18日21:20〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン11 監督 松本准平 岩手県の国会議員の娘、真奈美(錫木うり)は大学の友人とともに干すとクラブを体験する。友人が一緒につれてきたのはゲイで資産家の息子の潤(矢野聖人)だった。行った店で真奈美は潤のお気に入りのホスト聖也(水石亜飛夢)を指名する。 潤はたまたま一緒にいく予定だった友人が芝居の公演に行けなくなったため、真奈美を誘う。上演されていたのはバタイユの「マダムエドワルダ」の朗読劇だった。その芝居に感激する真奈美。 真奈美は聖也と旅行に出かけた。「自分は偽物でしかない」と告白する真奈美。 一方潤は真奈美に「ねえ、聖也と3人でしてみない?」と誘う。 3人で店に行った後ホテルに行った。 昨日までまったく知らなかった映画だが、17日にTwitterを見ていたら、ロフトプラスワンでこの映画のシークレットイベントがあったそうだ。東京新聞の望月衣塑子や宮台真司が参加したそうだ。望月記者が「3人でするところにプラトニックなものを感じた」とか行っていたので、望月記者の意見はともかく、ゲイとホストと女性の3Pというエロ描写に引かれて観に行った。 正直、内容が全く受け付けなかった。 ゲイの資産家、というのがIT長者なのかと思ったら親が資産を持っている金持ちというだけ。主人公の真奈美も父親が国会議員で金持ち。 真奈美が「私は偽物」「うちは本当は百姓だから」と自分を卑下する。 まあ金があるのも自分の力ではないのだから、そう卑下したくなるのかも知れないが、だからといって、ねえ。 金持ちには金持ちの悩みがあるのだろうけど。 潤も恋人はいないのだろうか?割とイケメンだし、金もあるから彼氏など出来そうなのだが、現実の男には興味がなく、金のかかるホスト遊びをしている。 真奈美はまるで自分を壊すためにホストに通うように見える。単なる世間知らずにしか見えない。 また「マダムエドワルダ」がモチーフというかなぞらえて彼らの悩みが語られるのだが、さっぱりわからない。一応朗読劇という形で説明されるが、潤が真奈美に「解説書ぐらい読んで予習してきてね」と言うけどこれはこの映画の観客にも向けられている気がする。 仕舞いにはホストでカードで400万以上使い、親に呼び出される。 そして実家に行き、父親(奥田瑛二)にはり倒されるシーンがあったと思いきや、これは妄想らしく、父親は「なんか困ったことがあるのか?」と聞くばかり。 そしてテーブルの上でおしっこをして(その前に子供の頃に怒られて正座させられおしっこを漏らしたが快感だったと話すエピソードあり)岩手県からタクシーで東京まで帰る。 (タクシー代はアメックスのプラチナの家族カードで50万円を引き出している) 途中、このカードを窓から捨てる。まあ親からの決別を言いたかったんだろうけど。 最後には風俗で働くようになったという。 まあ「満たされない気持ち」ってのはあると思うけど、登場人物には一切共感が持てず、私の気持ちは冷めるだけ。 映画というより原作自体の問題なんだろうな。 こういう映画がテアトル新宿とか池袋ロサではなく、TOHOシネマズで公開されること自体が驚きである。 そういえば17日に「ゴジラー1.0」を観に行ったとき、入り口エスカレーター前で映画の配給スタッフがチラシを配っていた。 あまり効果があるとは思えないけど、少しでも!という気分なのだろう。 水石亜飛夢は「老ナルキッソス」といい、なんだかエロ映画っぽい映画の常連になってきた。 ウルトラセブン4K 庵野秀明セレクション日時 2023年11月18日19:00〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン11 監督 満田かずほ、実相寺昭雄 製作 昭和42年(1967年) ストーリー省略。 11月25日26日に行われる円谷ファンイベントの円谷コンベンションの連動企画としてウルトラセブン55周年(放送開始は1967年)のフィナーレとして4K版を全国15館で上映。17日にはTOHO池袋では庵野秀明監督のトーク付き上映も行われた。 夜の7時の新宿での上映だが、観客は20名以下。意外と寂しい。 今回上映されたのは「マックス号応答せよ」「狙われた街」「ウルトラ警備隊西へ(前後編)の4本。 久々に観たけど、特撮が豪華である。 「セブン」は前半は特撮も豪華だが、後半になるに従って特撮がしょぼくなるというのがよく言われてるが、「マックス号」は特に豪華。 まずは登場メカが多い。 ポインター(しかも後半には複数〜あくまで設定上だが〜登場)、マックス号、ホーク1号、ホーク2号でる。これだけでお腹いっぱいである。 4K化された分、ゴドラ星人の表皮が発砲スチロール感が出てしまうのだが、多くのメカが活躍する姿は映画館の大スクリーンで観てその魅力がいっそう引き立つ。 「狙われた街」は有名なエピソードだが、とにかくお金がかかってる感がある。葬式のシーンで多くのエキストラも使って2分程度か。今ならせりふの説明でごまかすところ。 メトロン星人がダンプの砂利を巻いてモロボシダンを威嚇する。 脅しになるのかならないのか微妙なシーンだが、お金かけてる感がある。 そしてラストのアパート前。汚いどぶ川になにやらゴミが浮いていて、そこまで作り込んでいる感がすごい。あんなごみごみしてなくても話は成立するのだが、「金は惜しまん」感があるよなあ。 「警備隊西へ」はそろそろ予算のことも考えようよ感があるけど、それにしてもまだ立派である。 前編ラストの研究所の前でもわざわざプールまで作っている。 後編では神戸港でのプールを使ったセットだし。 豪華だなあ。 もう何度も観てるエピソードだけど、改めて4Kスクリーン上映でその真価が発揮された。 迷ったけど観てよかった。 花腐し日時 2023年11月18日14:30〜 場所 テアトル新宿 監督 荒井晴彦 2012年、ピンク映画もまったく商売にならなくなった時代、ピンク映画監督の栩谷(綾野剛)は同棲していた女性桐岡祥子(さとうほなみ)がピンク映画監督の同僚の桑山(吉岡睦雄)と心中した。理由は解らない。 祥子の実家に焼香に行ったものの、父親から追い返される。 栩谷は桑山のお通夜にも参加した。同僚の監督たち(いまおかいんじ、女池充、坂本礼)も心中の事情については首を傾げていた。 栩谷は自分が所属する製作会社の家賃の支払いを待ってもらうために大家に交渉に行く。大家は「自分が持っているアパートで住民の一人がでていいかないので困っている。なんとかしてくれたら家賃は考えてやる」と行ってくれた。 仕方なく立ち退き交渉に行く栩谷。 その部屋には伊関(柄本佑)という男がいた。 話をしているうちに伊関はかつてはシナリオライターを目指し、AVのシナリオも少し書いていたという。 そこから「かつてつきあっていた女」の話になる。出会いは20年前、その女が女優を目指して小さな劇団に所属しているときに、みんなで伊関がバイトしている居酒屋に飲みにきたことがきっかけだった。 荒井晴彦がピンク映画界を舞台にした映画を撮ったと聞いて気になっていたが、ちょっと観ようか迷っていたけど鑑賞。 結論をいうと見逃さなくてよかった! 冒頭の桑山のお通夜のシーンでピンク関係者が現状を嘆く。 川瀬陽太のベテラン監督が「ピンク映画が撮れなくなってそれにつけ込んで50万で映画作らせてDVDを売って自分たちは儲けようって腹が立つ。いまおか、お前そんな仕事してんじゃねーよ」「俺は映画を撮るためなら手を汚すんだ!」と言われて喧嘩になるが、実にリアル。 つかみ合いの喧嘩にはならなかったものの、同じような場面に遭遇したことはある。 ピンク映画専門館が新宿、浅草で閉館し、フィルムからデジタルになるというあの頃がピンク映画の一つの転換期だったのだろう。 そんな時代を背景に、「女を幸せに出来なかった男たち」が二人登場する。 現在のシーンはモノクロ、逆に回想シーンがカラーである。 「女優になりたい」「シナリオライターになりたい」「映画を撮りたい」といいつつ、うまく行かずただ焦るだけの男と女。 なんかこう切なくなるなあ。 セックスする、酒を飲む、喧嘩をする、批判される、アナルセックスを試してみる、良い時も一瞬だけあった、妊娠する、堕胎する、そして別れる。 栩谷にとっては「桑山と関係があった」と聞かされたとき、怒っていれば祥子は離れなかったかも知れない。でも怒れなかった。それは自分自身に怒れる資格を見いだせなかったから。 伊関も実は栩谷の幻想で、実は栩谷は一人で自問自答していただけかも知れない。 机の上のパソコンには今まで映画で描かれた内容がシナリオになっている。 その桑山との関係を聞かされたとき「そうか」としか言わなかった後悔。 そこを書き直す栩谷。 (ここで栩谷が祥子をぶってぶたれた祥子が「顔ぶたないで。私女優なんだから」と書くところは「Wの悲劇」のセルフパロディーか) ピンク映画を観たことない、AVと区別がついていない人には彼らの映画情熱自体が理解できないかも知れないけど、私には解った。 よかった。 ザ・オーディション日時 2023年11月12日18:30〜 場所 下北沢トリウッド 監督 今関あきよし 製作 2022年(令和4年) 山奥の廃校となった小学校に集められた俳優たち。彼らは有名映画監督の新作のオーディションに集められたのだった。 しかし時間になっても監督は現れない。助監督から「監督の到着が遅れているので開始を30分遅らせる」と連絡がある。 しかしまた30分の遅れの連絡がある。この監督の自称常連俳優が言い出す。 「今日は監督はたぶん来ないよ。前にもこういうのがあった。その代わり・・・」とビデオカメラが隠されているのを見つける。 監督はオーディションに来なくても俳優たちのこういう時の行動を見ているというのだ。 「痛い街で」「スリーブレッツ」と連続上映。 こちらは新作ではなく、去年作品の再上映だそうだ。オーディションにやってくる俳優の一人に上大迫祐希さんがいる。 俳優たちはいらいらして、「この中に監督から指示を受けている俳優がいるかもしれない」と言いだし、みんな疑心暗鬼になるという展開。 でも結局その仕込まれたという俳優はあかされることなく、一番受からなさそうだった男優と地下アイドルの女の子が半年後の映画撮影に参加しているところで終わり。 このオーディションはカメラを通して行う、という話のネタ、どっかで同じような作品を見たなあ。 何だったか思い出せないのが歯がゆい。 オチもなにもない映画だった。 スリー・ブレッツ日時 2023年11月12日18:30〜 場所 下北沢トリウッド 監督 山本浩貴 やくざの抗争で傷ついたやくざ者と女子高生が出会った。女子高生はやくざに「その拳銃を貸してくれ」という。やくざは「何人、殺したい?」と訊き、「3人」と女子高生が答えると弾を3発つけて拳銃を渡した。 女子高生は自分を学校でいじめた女子に復讐。しかし弾を抜いて引き金を引いた。次は自分の兄のところに来る借金取り。高利でとても払えない。 女子高生は同じく弾を抜いて撃った。 そして最後は自分に向けて撃った。弾は出なかった。女子高生は拳銃を捨て、生き直すことにした。 「痛い街で」と同じくアイエスフィールドの「クリエイターズ・フィールドショートフィルムセレクション」においての上映。 女子高生役の三浦理奈が小顔な美人で、拳銃を構えた姿も様になるクールビューティ。 彼女の魅力が引き出された企画だったと思う。 女子高生とやくざという組み合わせのノワールで、小品ながら見所があった。 痛い街で日時 2023年11月12日18:30〜 場所 下北沢トリウッド 監督 いまおかしんじ サラリーマンがホームレスに小銭くれと絡まれている。「あそこに女の子のお化けがいるぞ」と言われホームレスに追っ払ってもらう。サラリーマンは今朝女房子供に家出され落ち込んでいた。 居酒屋の店長は女子高生との交際が妻にばれ責められている。 売れない地下アイドルはアイドルオタクのおっさんに街で出会ってしつこく「握手してくれ」と言われ、ついにキレてしまう。 ある劇団は稽古中。演出家は役者にだめ出しするが、役者に逆襲にあう。演出家はこの公演が終わったら劇団を解散すると言い出す。 バイトをやめようかと思ってる女子二人。彼女たちのバイト仲間が事故で死んでリセットしたくなったのだ。劇団が解散するとなり、脚本を書いていた青年は故郷に帰ることにする。その脚本家の彼女が事故で死んだ彼女だった。脚本家の姉は弟を見送る。 「神田川のふたり」の制作会社アイエスフィールド制作の自主映画。 俳優のワークショップ(言ってみれば塾)を開催し、その生徒たちで映画を作る企画。年間に短編を数本作ってる。その1本で上映時間は30分。 今回はほかに2本同時上映。 オムニバス的に「がんばったけど何かうまくいかなかった人たち」の群像劇になっている。 ばらばらなようでつながりがあって、死んだ女の子が「バイト先」「バイト仲間」「舞台の脚本家の彼氏」「その劇団」などを見に行く展開。 さっきも書いたように「仕事がんばったけど女房子供に逃げられた」「劇団をやってきたけど借金でいよいよ無理」とか、何かうまくいなかった人々ばかりが登場する。 そう言った人々を見る監督の視点が優しい。 35分の短編小品だけど、公開規模が少ないのがちょっと惜しい映画だと思う。 よかった。 TOKYO,I LOVE YOU日時 2023年11月12日13:00〜 場所 新宿ピカデリー・シアター5 監督 中島 央 <Chapter1>東京タワー ケンは幼なじみのミミに思われていたが、ケンは何かとお節介のミミをうざいとしか思っておらず、いつもバーチャルリアリティの世界に浸っていた。 ある日、そのVRの世界でアニメキャラの美女、アイと出会う。アイこそが理想の彼女と思ったのだが、キスしようとしたら拒否された。彼女は未来の世界からログインしたケンの娘だという。ケンはミミに「俺の世界にはおまえはいない」と言ってしまったのが母親のミミはトラウマになっており、アイは母親に謝ってほしいという。ケンはミミに素直に謝って仲直りした。 <Chapter2>新宿界隈 キッチンカーで自慢の弁当を作って売るジョージ。昔は愛娘のカレンもキッチンカーを手伝ってくれたが今は映画監督を目指して学校に通っている。 最近は連絡も来れないカレンだが、ある日、会いに来た。「私には才能があるのにカメラもないので映画が撮れない。30万円のカメラを買ってほしい」と言ってきた。ジョージにはそんな金はない。しかしカメラ店のジャンク品のカメラが2000円で売っているのを発見。 それをカレンにプレゼントしたが「こんな時代遅れのカメラ!」とバカにされ、かえって怒らせてしまった。 数年後、ADとなって働くカレンだが、「役立たず」と罵倒されるばかり。 父が亡くなり残されたビデオカメラに父がカレンを思う気持ちが記録されていた。カレンはADを辞め、自分もキッチンカーで父の残したレシピを元に弁当を売る。 <Chapter3>お台場 NYで修行し、今度ブロードウエイの舞台に立てることになって帰国したリヒト(山下幸輝)。昔の仲間たちと再会した。7人組だったが迎えてくれたのは5人だ。シモンは今ガンのために余命3ヶ月だという。 しかし600万円の治療費があれば治る見込みはある。 6人の仲間たちは一人100万円ずつ用意することに。 ある者はライブ配信で、ある者は路上ライブで、ある者は資産家の父に頼み込む。リヒトはダンスバトルの優勝賞金を狙う。 リヒトはコンテストで順調に勝ち進むが、決勝戦の日、渋滞に巻き込まれ遅れてしまう。それで失格になってしまった。 あらすじだけで字数は稼いだ。 平井亜門が出演したテレビドラマ「ガチ恋粘着獣」で主役をしていたのが山下幸輝。その山下の主演ドラマというので鑑賞。 しかし配給も監督も知らないし、正直、何で新宿ピカデリーで上映できるか謎である。普通なら池袋シネマロサレベルだろう。 (ケイズやポレポレ、ユーロのようなレベルの映画ではない) はっきり言って「なんだこりゃ?金取って見せる映画かあ??」というのが偽りない本音である。 第1話は約30分。 半分ぐらい(でもないかも知れないが)VR世界でアニメである。しかも幼なじみとのラブコメ(コメディですらない)とか完全に手垢もついて腐った内容である。 第2話も30分。 この父親、はっきり言ってバカだし、娘もバカである。 2000円のカメラを買ってきて娘が喜ぶと考える方がバカすぎる。 この父親にしてこの娘で「私には才能がある。だがその才能をカメラがなくて発揮出来ない」。よくまあ「私には才能がある」って言うなあ。 観てるこっちが恥ずかしくなる。 そして2年後にはADになって映画の現場で監督に罵倒されている。今時あんな怒鳴りまくっている監督にはリアリティがない。 そして父が残したカメラの映像を観て考え変えるとか「じゃあお前の映画に対する熱意はそんなもんだったのかよ!」と思ってしまう。 第3話が長くて60分(合計で2時間以上あるのだ) あのな、100万円至急に欲しかったらサラ金で借りてこいよ。それから返済しろよ。 素人のちょっとイケメンがライブ配信して100万円稼げるの?路上ライブで3人で300万円も稼げるの?親に頭下げて出してもらうんじゃ映画にならないよ。 話が安易すぎ。 そして主人公のリヒトはニューヨークのプロデューサーから「早く帰ってこい」と言われたにも関わらす、「友情」を取る。 仕舞いには大会に遅刻して不戦敗。 バカの極致である。 次に保険に入って当たり屋をして100万円作ろうとする。 ますますバカである。 でその当たり屋の相手のバイクが、連続強盗の犯人で逮捕したので懸賞金を得るというオチ。 話がいい加減すぎる。 いったいどういう訳でこんなシナリオがOKになるのだろう。 とにかく登場人物がバカすぎてついていけない。 金取って見せる映画ではない。裏の事情が知りたくなる。 法廷遊戯日時 2023年11月12日10:40〜 場所 新宿バルト9・スクリーン9 監督 深川栄洋 司法修士生の結城馨(北村匠海)は在学中に司法試験に合格した秀才。ローススクールでは「無辜ゲーム」と称して学内で起こった問題の模擬裁判を行っていた。それは私刑にもなりかねないものでかなり危うい。 同級生の久我清義(永瀬廉)や織本美鈴(杉咲花)の元に彼らの過去を 暴く怪文書が出回る。 実は彼らは親がおらず、施設で育っていたが、美鈴は施設長から性的暴行を繰り返されており、それを助けるために清義は施設長を刺した過去があった。 それだけでなく、電車で美鈴が痴漢にあってそれを清義が助けた際に相手が金を出して謝ったことに味をしめ、何度か男を痴漢の言いがかりをつけ、金を巻き上げていた。 2年後、今は弁護士となった清義は馨から「無辜ゲーム」の誘いを受ける。 言われた場所に行ってみると馨は倒れ、胸にはナイフが刺さっており、美鈴がナイフを持ち返り血を浴びて立っていた。 美鈴は殺人犯として逮捕。清義に弁護を依頼する。 美鈴の無罪を立証しようとするが、証拠がそろいすぎていた。 果たして美鈴は無罪となるのか? 永瀬廉、北村匠海のW主演(正確には杉咲花も加えてトリプルだが)ということで鑑賞。 正直、馨が「司法試験に在学中に受かった秀才」というのもなんだかイヤである。そういうエリートって「アメリカ帰りの刑事」みたいでなんだかマンガっぽい。 マンガ原作かと思ったけど、そういう訳ではないらしい。 美鈴が殺してないなら、馨の自殺と考えるしかない。 で動機は?ということで、以前に馨が清義に「俺が死んだら父親の墓に花を手向けてくれ」といわれたことを思い出す。 言ってみると父や墓に入っていない。 それで調べてみると馨の父は佐久間悟(筒井道隆)と言って、美玲が痴漢詐欺をやっていたときにとがめた刑事だった。 美鈴や清義が佐久間に痴漢の容疑を着せて、それがきっかけで刑事を辞め果ては自殺したのだ。 その復讐、というか冤罪晴らしが根底にあるから、完全に美鈴と清義が悪い奴なので、真相が分かっても勧善懲悪のカタルシスがないのだなあ。 話の方は実は美鈴と馨が死ぬ直前の会話は録画されていて、それで馨が自分で刺した所が写っていた。 それで美鈴は無罪。 しかし実は馨の計画では馨は重傷で済む計画だったのだが、清義を守りたい美鈴は殺してしまったのだ。という話がややこしくなる。 すべてを知った清義は弁護士を辞めるという展開。 「あなたを守るつもりで殺した」という美鈴が慟哭の叫びをあげるシーンは演技過剰で引いた。 最近叫んだり怒鳴ったりするシーンを観ると逆に引くのだよ。 役柄のせいなのだと思うが、永瀬廉も表情が堅く、魅力を感じない。 北村匠海も同様。 なんか無理して観る必要なかったかな。 青すぎる、青日時 2023年11月5日12:00〜 場所 新宿K's cinema 監督 今関あきよし 美大の女子大生で卒業制作を控えた美己(上大迫祐希)は半年前に父親を亡くし、父がやっていた店を父の妹がやっている。だがなんだか美己は突然やってきた叔母になじめない。 そんな時、夢か現実かUFOの力で宙に連れ去れそうになった経験をする。光に連れて行かれそうになったのだが、ある男の子が助けてくれた。 卒業制作に悩んだ美己はとりあえず父が残したフィルムカメラで町の人々の写真を取り始める。その1枚がおばあさんと男の子が会話する様子を撮ったのだが、出来上がった写真には男の子は写っていなかった。 ある日フェリーである女性から「私の子を返して」と話しかけられる。 叔母を訪ねて男が何回も訪ねてくる。 美己の周りでは不思議なことが起きている。 「神田川のふたり」で魅力的だった上大迫祐希さんの主演作。昨日から11月4日から公開。2日目日曜日でパンフレット購入者へのサイン会付きで上映。 内容を全く知らないで「オール鹿児島ロケ」ということだけで見に行ったら、なにやらUFOとか出てきて「?」である。さらに謎の子供とか出てくる。 結局は舞台となった佐多岬にある、「ガジュマルの木」というのが死者の魂を呼び寄せてどうしたこうした、という話。 で叔母を訪ねてくる男は実は刑事。美己の叔母はある犯罪者の居所を知っていてその連絡先を刑事は聞きにきたのだ。 「刑事は何を聞きにきたの?」と問いつめるがなかなか答えない。 結局は教えてくれるのだが、叔母は「トラック事故に遭い失明しかけた。保険が利かないので治療費は高い。美己の父は漁船を売って金を作ったがそれでも足らない。そこへ寄付があって手術できた。その寄付は事故を起こした運転手がなんらかの犯罪をして作った金。だから恩がある」という話。 唐突に出てきてこちらは戸惑う。いや、第一運転手は保険に入っていなかったのか、いなかったんだろうな。それに美己の父も手術の料金は解ってるから船を売る前に「船を売っても足らない」ことに気付けよ。 なんかもうむちゃくちゃだなあ。 そして美己の同級生が親の経済的な理由で仕送りが無くなってパパ活してるという話になる。これが同級生の男の子からの情報で、「実はパパ活ではなかった!」という展開になるかと思いきや、訂正されない。しかも誰かの子を堕胎させたという話になる。 もうめちゃくちゃ。 最後の方で美己が佐多岬で「もうなんでUFOが来るの?なんで死んだ子供が来るの?おばさんが刑事に本当のことを言った方がいいの?もう訳わかんない!」と叫ぶが、それは見てる私も同じである。 訳解らん。 で最後、同級生と「結局卒業制作どうする?」と聞かれて、屋上で突然全裸になり、頭から青ペンキをかぶって吊してあるペンキにつっこんでいく。 で卒業生制作展で「アホすぎるアホ」というタイトルでそのシーツが展示されている。 パパ活同級生が「青すぎる、青」というタイトルで青を題材にした絵を展示していて、それちなんだタイトルなのは解るが、こんなんで卒業生制作単位取れるの? あんな10秒で作ったような作品で卒業制作として認められるのか??? そもそも美己が服を脱ぎだした点で驚いた。画面には写ってないが、設定では全裸である。 完全に今関あきよしが「上大迫祐希を全裸にしたい」という欲望以外何も感じない。やっぱりやばいだろ、コイツ。ぜんぜん反省してねえよ。 今年のワーストワン決定だ。 そして佐多岬に住んでいて車で桜島の港まで行ってフェリーに乗って鹿児島に行って大学に行ってるようだが、地図で調べると佐多岬からフェリー乗り場まで90km以上ある。 いくら車とはいえ通学には向かないんじゃないか? ロケしたいとかは解るけど、無茶苦茶な設定だよ。 二人静か日時 2023年11月4日18:30〜 場所 新宿K's cinema 監督 坂本 礼 雅之(水澤紳吾)と妻の涼子(西山真来)は地元の駅前でチラシを配る。 それは5年前に行方不明になった当時5歳だった娘の明菜の情報を集めるチラシだった。ある日、チラシ配りをしてるときに「私も手伝わせてください」と若い妊婦・莉奈(ぎぃ子)がやってきた。何やら普通ではない雰囲気をまとう莉奈を警戒する雅之だったが、女同士のためか涼子は仲良くなっていく。そんな日々だったが1ヶ月に1回程度「あきなはもう死んでいる」という手紙が届いていた。 お互いの家を行き来する涼子と莉奈。ある日、莉奈の家でノートを見つける。その字は例の手紙の字と同じだった。明菜についての手紙は莉奈が書いていたのだ。 一旦は喧嘩別れした涼子と莉奈。しかし莉奈の夫(川瀬陽太)から莉奈が会いたがってると連絡があった。 坂本礼監督の新作。「乃梨子の場合」以来の新作だ。 でもねえ、正直長いのだよ。芝居のテンポというか間が長くて退屈してくる。で70分ぐらいかと思いきや、103分である。ちょっと長いよなあ。 雅之は出版社勤務なのだが、その後輩女性が奨学金の返済に苦しんでパパ活を始める。パパ活の具体的な描写はないけど後輩女性が休憩中に雅之に「首絞めさせてくれたら10万円と言われた」「指折らせてくれたら100万円と言われた」などと話す。かなりやばい奴らしい。でも金は持っている。 莉奈の夫から莉奈は実は10歳の頃に誘拐され、9年間監禁生活を送っていたと言われる。 再会した涼子と莉奈だが、二人で行きたいところがあると車で出かける。 そこは空港の近く(成田らしい)の一軒の家の前に行く。 ここが莉奈が監禁されていた家なのだ。 雅之と涼子が居酒屋に行くシーンがある。そこですぐそばに座ったおばさんから「あんたら子供は?がんばらなきゃ!」って言われて雅之が涼子とは子供がなかなか出来ずに苦しんだ話をする。 ここの水澤紳吾さんの語りのシーンは見所である。 映画は結局涼子たちの子供の件は何にも解決せずに、終わる。 それぞれの人生の苦しみを見せつけられるようで苦しかった。 エンドクレジットが出てからバーのシーンになる。 そこで女子大生らしい女性が恋人らしい男性と待ち合わせるシーンになる。 バックではラジオが行方不明になっていた女児が成田で見つかったニュースが流れる。 「えっ、これ誰?もしかして俺がわからないだけ?」と思ったら、どうも解らなくて普通らしい。 本日は初日で舞台挨拶があって登壇した女優さんの一人が、「涼子の女子大生時代を演じました」って言っていて、初めて解った。 あのラストのシーンは「幸せだった時代の二人」の話だったのだ。 その後、結婚してからは子供が出来ず、出来た子供は行方不明。 いばらの人生になるという話だ。 愛にイナズマ日時 2023年11月4日9:30〜 場所 シネ・リーブル池袋・スクリーン2 監督 石井裕也 自主映画監督の折村花子(松岡茉優)はプロデューサーに認められて1500万円予算の小規模な映画ながら監督デビューをしようとしていた。 自分の家族を描くのだが、「こんな人いない」などと年上の助監督(三浦貴大)からガンガン責められていた。今までのやり方と違うとか日本映画の伝統的なやり方が〜とか、何を言っても否定される。あげくはいつの間にか監督を降ろされ、企画はその年上の助監督が撮ることになった。 そのすったもんだの間に知り合った空気は読めないがいい奴の正男(窪田正孝)は「花子さんはそれでいいんですか!」と詰め寄る。 正男の貯金70万円を使って(正男はあげたといい、花子は借りたという)で実際の家族にインタビューを始める。 花子の母親は花子が小さいときにどこかへ行ったのだ。 父・治(佐藤浩市)、長男・誠一(池松壮亮)、次男・雄二(若葉竜也)を集めて映画を撮り始める。 タイトルからしてなんだか地雷な感じはしたが、佐藤浩市、池松壮亮、窪田正孝というお気に入り男優の共演ということで見に行った。 はっきり言って長い。 特に前半が長い。プロデューサーや助監督にいじめられるあたりは不要である。もしくは回想等で描けばいい。本題は家族が本音で向き合う後半である。 父、兄二人、恋人、花子の5人がわちゃわちゃとディスカッションするあたりは面白い。 そして母親はいなくなったわけではなく、治のDVに耐えかねて逃げ出しだのだ。そして母親の携帯はまだ持っているという。 電話をかけて母がでるかと思いきや、母が向かった男が出て母は3年前に死んだと告げられる。 このあたりで映画は終わるかと思いきや、思い出の海鮮料理屋に行って、なぜ父が傷害で逮捕されたり、DV化したかがわかる。 そしてさらに同じ店にいた特殊詐欺グループを「許せない」と喧嘩を売りに行く。 そして母親の携帯を解約できる出来ないで携帯ショップでもめる。 (順番違ったかも知れん) そのあたりで終わるかと思いきや、父は1年後にガンで亡くなり、誠一がBMWに乗っていたのでさぞ高収入かと思いきや、ベンチャー企業の社長秘書でへこへこしてる男(BMWは社長に借りただけだった)であることが明かされ、社長ともめる。 いつまで経っても話が終わらん。 どこがクライマックスなのかはっきりしない。 こういう構成はどうなんだろうねえ。 佐藤浩市、池松壮亮、窪田正孝はよかったが、前半の花子の映画監督ぶりもなんだかなあという感じで、好きになれなかった。 石井裕也、「月」はよかったけど、これは全然乗れなかった。 ゴジラ−1.0日時 2023年11月3日9:00〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン10(IMAX) 監督 山崎貴 終戦直前、日本海軍の敷島浩一少尉(神木隆之介)は大戸島飛行場に零戦で着陸した。特攻に向かったが、機体故障の報告をして降り立ったのだった。しかし整備兵の橘は「どこにも異常はない」と報告した。 その晩、大戸島を謎の巨大生物が襲った。兵の一人は大戸島の伝説の「ゴジラ」ではないかという。銃で撃っても歯が立たず、兵たちを喰い殺していくゴジラ。橘から「零戦の20mmで撃ってくれ」と敷島は頼まれるが、敷島は恐怖のあまり撃てなかった。整備兵たちは次々と喰われ、生き残ったのは敷島と橘だけだった。 戦争が終わり復員した敷島。だが家は空襲で焼かれ、両親は亡くなっていた。 闇市で偶然子供を抱えた女性大石典子(浜辺美波)と出会う。成り行きで一緒に暮らすようになる敷島と典子。年も明け、敷島は東京湾の機雷除去の仕事に携わった。すべては順調に見えた。 そんな時、アメリカの核実験が始まった。その影響か、ゴジラが東京に上陸した。 銀座を蹂躙するゴジラ。その混乱の中で典子は行方不明になった。 日本政府には武器はない。占領のアメリカもソ連への刺激を恐れてなにも対応しないと決めた。 民間でゴジラを駆逐するしかない。敷島と掃海艇で働く艇長秋津(佐々木蔵之介)、元技術士官の野田(吉岡秀隆)、若い乗組員の水島(山田裕貴)も参加する。敷島はゴジラを誘導するために戦闘機の手配を頼んだ。 彼は今度はゴジラに特攻するつもりだ。 ゴジラ映画30作目。今回は「ゴジラの日」の11月3日公開。 この日の公開は1作目を除けば初めてである。 「シン・ゴジラ」の成功があったせいか、事前に映画の内容は完全に伏せられていて、「終戦直後が舞台」「主人公は特攻帰り」というぐらい。 で映画が始まって零戦が大戸島(!)飛行場に着陸するところから始まる。 敷島は特攻隊だが、逃げてきたらしい。どうもこのあたりでちょっと付いていけないんだよなあ。そしてゴジラ襲来。由来はなにもなし。 20mmで撃てばいいのに撃てないヘタレ。 「仲間を見殺しにしてしまった」というトラウマを抱える設定にしたかったのはわかるけど、なら「撃ったけど救えなかった」という設定でもいいはず。 と思っていたらパンフレットに「神木君が出てくれそうだということで、撃たなかった男でも出来そうなのでこうした」と言っている。 山崎監督とはあわない。 そして「仁義なき戦い」の終戦後の闇市のような状況で典子と出会う敷島。浜辺美波が子供連れとは驚いた。そういう展開なの? 勝手に居着く身勝手さ。好きになれないな、典子。 機雷除去の仕事に着く敷島。 この二人で暮らしはじめて幸せ描写が長い。あのね、ゴジラ映画では「ゴジラ」を話の中心にして欲しいんだ。 「シン・ゴジラ」は「現れたゴジラに対してどう対応するか」という視点からまったくぶれてなかったよ。 またまたパンフを読むと「終戦後に暮らす人の話をやりたかった。今回のゴジラならそれは出来ると思った」 山崎貴とは考えが合わん。 そしてゴジラ上陸だが、このあたりから掃海艇のメンバーを主役にした訳が分かってくる。ここからが面白くなる。 でもね、初めての海でのゴジラ戦があって銀座を襲うまでのシーンで、敷島と典子のべったりとした会話はいらない。 大戸島での出来事を敷島が話すのだが、いや観客は知ってますから。いちいち言わなくてもいいですよ。 同様に「アメリカはソ連を刺激したくないから軍事行動は出来ない」という設定を3回も説明している。 説明過剰なんだよ! 銀座破壊のシーンはいいのだが、短いなあ。 品川上陸から丁寧に見せて欲しかったよ。 細かいことだが国会議事堂前にいる戦車が砲撃しても相手が銀座なら届かんだろう。 初ゴジのオマージュなのはわかるが、日劇の対面するビル(たぶん東芝ビルの場所)からマスコミがやられるシーンを延々と再現するのはやりすぎだよ。 そして始まった民間主導のゴジラ撃退作戦。でも民間っていうけど誰が金出してるの? 「戦闘機はないですか?」と言い出したあたりで「東京氷河期」(!)と狂喜した。そうかあ、あれをやるのかあ。 しかも震電登場。 映画の公開前は半ば冗談で「終戦直後では兵器もないから、日本海軍が密かに研究していた轟天号が登場するかも?」と思ったが、あなかちはずれではなかったと言っていいのか。 その後に続くゴジラ作戦(わだつみ作戦という!)が開始されてからは面白い。 フロンガスを使って一気に沈める、だめなら浮上させて急激な減圧を試みる、という訳。 プランが計算通りに行かずに右往左往するのはいいよなあ。 これこそ作戦の醍醐味ですよ。そして船で引き上げるしかない、となったときに山田裕貴が駆けつける。これはもう「スター・ウォーズ」のハン・ソロですよ。 山崎監督とは同世代だが、これをやりたかったんでしょうねえ。 いよいよ最後、口の中の攻撃は弱いということで敷島が突っ込む。 でもね、ここで敷島が一瞬死んだと思わせて脱出してるのだ。 これはがっかりだよなあ。 マイナス1万点だよな。 敷島が死ななくても掃海艇のメンバーの一人は死ななきゃ。 そしてエンディングで「典子は生きてました!」っていう設定。 なにその「めでたしめでたし」感は。 気に入らないなあ。 結局山崎貴監督は「映像はいいんだけど物語の作り方としては意見が合わない」という結論かな。 いろいろ文句ばっかり言ってるから駄作と思ってるように思われるかもしれないけど、総じてはいいですよ。 今日2回観たし、また見に行きたい。 フォーマットについて。 IMAX上映だが、スクリーン比率はシネスコと同じで、IMAXのスタンダードに近いタイプではない。画質がいいとかいうかも知れないけど、通常のスクリーンでも同じではないか。これはもうIMAXではなく「ライマックス」(英語の「嘘」の「lie」を組み合わせた偽IMAXを意味する造語)ですよ。 そしてScreenX。 ここぞというシーンで左右の壁面まで映像が写るという新フォーマット。 正直どうなんだろうねえ。 そもそも通常フォーマットでも映画は完成してるわけだから、「正面のスクリーンで必要な情報はすべて写っている」わけだ。だから左右の壁面に写っているのは「あってもなくても困らない情報」しか写ってない。 「通常フォーマットでは写っていない役者のせりふがある」という訳ではない。エキストラ的な「乗組員A」が写ってる時はあったけど。 さらに左右の壁面の映像は対面にある映写設備がら映写してるわけだけど、中央スクリーンには左右の壁面の映写の反射があって明るくなってしまう。だから時々中央スクリーンの端が明るくなってしまうのだな。 まるで客電がうっすら点いているような感じ。 完全に観る価値なし。 アメリカ映画なら本気でScreenXやIMAXに対応する映画を最初から作るけど(全部そうではないらしい)日本映画ではこれらのラージフォーマットは単なる客単価上げの方法でしかない。 通常スクリーンのピカデリーあたりでまた観よう。 |