愛に生きて-I want you-日時 2023年12月31日11:15〜 場所 光音座1 監督 加藤義一 製作 OP pictures トシオ(市川洋)とカイト(保志健斗)は同棲していたが、ある日、カイトから別れを告げられる。スマホの別の男との写真を見せるカイト。この男とつき合うという。 トシオは新しい取引先に行って驚いた。担当者・マサシ(可児正光)が例のカイトの新しい彼氏だった。 その晩、行きつけのゲイバーに行くトシオ。そこでマサシと再会した。 「俺の男を盗った」ととげとげしい態度で話すが、バーマスター(山本宗介)が「マサシのタイプは年上の人。カイトとつき合うなんてあり得ない」と言ってくれ、誤解が解けた。 マサシは実はキサラギ社長(松本格子戸)の性奴隷にされていた。マサシの父親の親友だったキサラギは、マサシの父が亡くなってから学費や生活費、そして今の会社での高給など面倒をみてきたことを理由にしていた。 しかしトシオが「親にカミングアウトしてカイトを紹介したい」と言っていたことを思いだし、自分の気持ちに正直になる勇気をもらい、ついにマサシは社長に「止めてください」ということが出来た。 会社の応接室で昼間から迫る社長とその話でもめているとき、たまたま会社に訪れたトシオが助けてくれた。 それがきっかけで会社を辞めたマサシはトシオの部屋で暮らすことになった。最初はマサシを嫌っていたトシオだったが、いつしか好きになっていた。 そんな時、「なにもしないわけにはいかない」とゲイバーで働き出すマサシ。常連の渋い中年に誘われるマサシ。ついに一晩を過ごしてしまう。 そんな時、カイトがトシオに会いたいと言ってきた。カイトは「トシオの母に会う勇気がなかった。でもトシオは大切だからトシオの母にも会う」と言ってくれた。 トシオとマサシ、それぞれのパートナーについて報告。 無事に二人は別れ、マサシは中年男と出て行った。 OPのゲイ映画の新作。 期待していなかったが、意外とよかった。 まずは役者がいいのだな。トシオ、マサシ、カイトの3人が20代後半のなんだか等身大の若者で登場する。 そして特にカイトの保志健斗がイケメン。また市川洋も可児正光も肌がきれいである。 筋肉質、という訳ではないが、ちょっとムチムチして(昔の私だったらそうでもなかったかも知れないが)「その辺にいそうなイケメン」なのだ。 トシオにちょっかいを出してくる同僚のしじみが私には不要。私は「ゲイ映画には女性キャラクターは不要」というのがポリシーなので。 冒頭、トシオとカイト、マサシとハゲ親父のカラミがカットバックされる。登場人物の関係もなにも説明がないうちからのカラミだから、ちょっとこの構成はどうなんだろう? マサシとハゲ親父は完全に「ウリ専と客」と思ってしまったのだ。どうやら単なる年上好きのマサシの一夜の遊びだったのだが。 その冒頭の構成が戸惑うので、映画の世界にちょっと入りづらい。 その辺がもう少し整理できてればよかったと思う。 ハゲ親父とかキサラギ社長の腹は醜いので写さなくてもよい。 多少の不満はあるものの、役者が魅力的だったので、よかったと思う。 SILKLABOのイケメンである。こういった人をたくさん使って作ってほしいと思う。 カサンドラ・クロス日時 2023年12月30日8:55〜 場所 TOHOシネマズ池袋・スクリーン1 監督 ジョルジュ・パン・コスマトス 製作 1976年(昭和51年) ストーリー省略。 午前十時の映画祭枠で上映。 新宿でも上映してるのだが、このあと12時15分からシネ・リーブル池袋で「さよならエマニエル夫人」を観るので、池袋で観た。 3年前にDVDで観てるのだが、そのDVDがいわゆる額縁使用だった覚えがある。 今回は大スクリーンで再鑑賞。 正直、3年前の2020年に観たときと感想は変わらない。 別に新しい発見があったわけでもない。 B級映画で大物俳優がゲスト出演して1セットのみの出演で、電話で報告を受けたり、指示したりするだけ、というのが時々あるけど、この映画のバート・ランカスターの扱いがその始まりだったのでは?と思う。 (違うかも知れないけど) それにしても昨日、今日で「エマニエル夫人」3部作、「カサンドラ・クロス」と70年代後半の正月映画を再体験し、よくも悪くもあの頃のことを思い出した。 それは楽しい再体験だった。 市子日時 2023年12月29日15:45〜 場所 池袋シネマロサ 監督 戸田彬弘 長谷川(若葉竜也)は3年間同棲した市子(杉咲花)にプロポーズした翌日、失踪した。 同じ頃、東大阪の山中で死後8年と思われる白骨死体が発見された。 刑事の後藤(宇野祥平)がやってきた。彼は「あなたが探している市子って誰なんでしょうね?」と言って帰って行く。 3年間も一緒に暮らしていたが、市子の過去のことはほとんど知らない。 市子の前の職場が住み込みで新聞配達店だったことを知った長谷川は、その販売店を訪ね、当時の同僚を教えてもらう。 彼女に会って話を聞く。教えてもらった話を後藤に提供する代わりに後藤の捜査に立ち会わせてもらった。 市子は昔月子と呼ばれていたようだ。高校時代の友人の北(森永悠希)、幼なじみなどを訪ねていく。 結婚しようと言った翌日に失踪した彼女、というと宮部みゆきの「火車」を思い出す。そして映画自体は市子と関わった人々の視点でその時々の思い出が語られていく。この複数の視点で構成されるのは同じく宮部みゆきの「理由」を思い出させる。たぶん影響は受けているのだろう。 しかしせりふでちゃちゃっと説明されてる部分が多く、ちょっと細かいところがわかりづらい。 市子には月子という妹がいて難病の「筋ジストロフィー」だった。 戸籍のない市子は月子を名乗って生きていくことになり、小学校も10歳の時に1年生として入学した。だから当時から6年生と3年生が喧嘩して突き飛ばされて6年生が転んでしまうとかちょっと変なこともあった。 (なぜ市子には本来の戸籍がないのか不思議だったが、鑑賞後、ネットで調べて観たら市子の母は夫のDVで離婚していて離婚300日以内に産まれた子は離婚した男の娘になってしまうので、それを避けたくて出生届を出さなかったということのようだ) その月子を介護疲れで殺してしまう市子。酸素吸入器を外してしまい、そのあとのアラート音が鳴り続けるシーンが怖い。 そして帰ってきた母親は「ありがとう」といい、お茶を出す。 このシーンも迫力があった。 結局は市子は高校時代に自分を思ってくれていた男、北を頼る。 実は市子は母親のつきあっている男が自分に乱暴したので殺してしまった。その死体を処理したのが北だったのだ。 市子は戸籍がないために生きていけない。それで最後に取った手段とは? 映画でははっきりとは描かれないが、自殺願望のある親兄弟のいない女性を探しだし、事情を知る北と一緒に殺してしまうというものだった。 ラストでは長谷川がフェリーから帰ってきたところを桟橋で迎える市子で終わる。 長谷川は市子と再会出来たけど結局4人殺しているのだ。 果たして長谷川はこれから順風満帆に暮らしていけるのだろうか? 不安なラストで終わる。 宮部みゆきと松本清張(「砂の器」とか)をミックスしたような、重厚なミステリーだった。 配信とかレンタルとかで結末を知った上で細部を確認するためにももう一度観たいなと思う。 エマニエル夫人(4Kリマスター版)及び3部作日時 2023年12月29日11:20〜 場所 シネ・リーブル池袋シアター1 監督 ジャスト・ジャカン 製作 1974年(昭和49年) ストーリー省略。 日本公開が1974年12月だったそうで、公開50周年を記念しての4Kレストア版上映である。(ちなみに「続」「さよなら」はデジタルリマスター版と表記され、4Kとは書いてない) 前にもブルーレイ(海外版だが、ディスクは各国語に対応しているので、たぶん同じディスクを各国で販売しているのだろう)でも観ているのだが、やっぱり劇場で観てみたかったので鑑賞。 それに併せて「続」「さよなら」も上映されるのだが「続」「さよなら」は日替わり上映で、正月は1作目しか上映がなかったりで3本順番に観るには今日から見始めないと思って初日に来た。 感想は前に観たときと特に変わらない。 大画面で観るとやっぱり迫力あるなあ、と思う。 ソフトフォーカスや照明による映像の美しさ、に圧倒されてしまう。 しかし観ようによってはピンク映画を見に行く気分で観に行くと映像はきれいだけど、描き方はソフトだし「なにカッコつけてるんだ!」と怒ってしまうかも?と思う。 この映画は一般映画館で観るからこそ価値がある。 上野オークラで観ても感じ方は違うだろうとこれを書きながら思った。 1作目の日本版ポスターのエマニエルが籐椅子に座って足を組んでいる写真、ブルーレイや今回の公開時のポスターは顔をちょっと横に向けている写真。たぶん同じ時に撮ったポーズ違いなのだろう。 それにしても日本版ポスターのカメラをじっと観るポーズは実に迫力がある。このポスターの迫力が成功の大部分を占めていると言っても過言ではあるまい。 画面サイズはブルーレイで観たときに量端が短く、ビスタにしては左右が小さい感じで不思議に思っていたが、今回の4K版で観ても同じだったからオリジナルから特別なのだろう。 続いて「続」も13:20〜観た。 さっきDVDで観たときの感想を読み直してみたけど「セックスシーンの連続でドラマはなく、エマニエルの葛藤がなくなっている」という趣旨のことが書いてあったが、全く同じ感想を持った。 だから感想は今回省略。 やっぱり1作目のけだるい主題歌がなくなったのは大きいですよ。 画面サイズはシネスコだった。 翌日12月30日12:15〜同じ劇場で「さよならエマニエル夫人」を観る。 前にDVDで観てるのだが、あまり面白くなかった記憶がある。 今回、3本通して見直して、その原因がわかった。 要するにシリーズの方向転換(ネタ切れ?)になってシリーズを終わらせてしまったのだ。 (ちなみに画面サイズはシネスコ) まとめると 「エマニエル夫人」→元々性に開放的であったが、マリオによって完全に解放された。エロ度多め。 「続エマニエル夫人」→完全に性に解放され、欲望の赴くままに性の快楽を追求する。シリーズ中エロ度MAX! 「さよならエマニエル夫人」→知り合ったロケハンに来ていた映画監督に一目惚れ。夫のジャンを捨てその男について行く決意をするが、ジャンは嫉妬しまくりそれを阻止しようとするが結局はフられる。 エロ度少な目。 こんな感じ。 「さよなら〜」は「女性の性の解放」というコンセプトもなくなってただの嫉妬深い男とそれから逃げようとする女の話だった。 ジャンの友人の女性とかが数人出てくるが、カラミもなくエロ度もなく、がっかりな映画。 公開当時、がっかりした人も多かったのではなかろうか? 2作目でとにかくやりまくる映画になったので3作目を作ろうとすると同じことしか出来ない。だから目先を変えてみたのだろうか? タイトルに「さよなら(原題もGOODBYEが入る)」という位だからシリーズ最終作だったんだろうけど、シルビア・クリステルが「もうエマニエルはいやだ!」とかゴネたんだろうか? でも1作目の「エマニエル夫人」はその後の70年代のソフトポルノブームを起こした歴史的映画であることは確かである。 こうして公開後50年経って4Kリマスターされて新パンフレットまで作って再公開されたことが、名作の証じゃないだろうか? その後に「O嬢の物語」とか「ビリティス」「愛の妖精アニーベル」とかあったけど、4Kリマスターされて再公開されるわけではない。 時代を象徴する映画である。 (ちなみにこのソフトポルノブームは「スターウォーズ」の公開で映画界が一挙にSFブームが起こったことで終了していく。まあそれだけが理由じゃないとは思うけど) 鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎日時 2023年12月24日16:00〜 場所 新宿バルト9・シアター6 監督 古賀豪 昭和31年。血液銀行につとめる水木は龍賀製薬の当主、時貞が亡くなったと聞き、その本家のある哭倉村に向かう。龍賀製薬は日清日露の戦争で日本が勝つために軍隊に不死身の薬を納品したと言われていた。その薬の名は「M」。 水木は当主の長女の婿で龍賀製薬の現社長が当主になると思っていた。 しかし当主の遺言状を開封したところ、次女が当主となり、その死後はまだ子供の時弥に継がせるという。 四女の沙代はこの村を出ていきたがっていた。その翌朝、当主の長女が死体となって発見された。 同じ頃、正体不明の男がやってきた。水木とこの男はよそものだという理由から長女殺しを疑われる。招待不明の男は名乗らない。仕方なく水木はゲゲ郎と呼ぶことにした。 水木は戦争体験者。南方戦線で上が立てた無茶な作戦により大勢の仲間が死に、玉砕、死守を命じた司令官は逃走した。何とか生き残った水木は戦場の姿を見て「自分も権力を持つ立場にいかなければだめだ」と確信したのだ。その為に「M」の秘密を探ることは自分の人生にとっても大きな目的だった。 殺人はまだまだ続く。果たしてこの村、そしてMの秘密とは? 完全にノーマークだったのだが、Twitter(X)でタカハシヒョウリ氏が「まるで犬神家の一族みたいな話で、人間の醜さなどが出ていてすばらしかった」と投稿したので作品の存在を知った次第。 東映配給で、TOHOシネマズやピカデリーなどでは上映がなく新宿ではバルト9だけ。そのせいもあってバルト9では2番目に大箱のシアター6(387席)が前日の23日など全回満席。 今日の16時の回もほぼ満席である。 人間の醜悪さが実に伝わってくる。 水木の経験した戦争。これはもう原作者水木しげるが経験した戦争なのだろう。メンツを保つためだけの意味のない作戦、責任を取らない責任者、計画性のないその場しのぎの作戦。その中で数多くの死と向き合ってきた。 彼が達した結論は「上に立たなければだめだ」。そのために龍賀製薬の秘密を探るためにこの村にやってきた。 そして「ゲゲ郎」はいなくなった妻を捜しに来たという。 話が進むにつれてわかるのだが彼はゆうれい族。 そして龍賀の当主が生み出した「M」の原液とはゲゲ郎の妻の血だったのだ。 ゆうれい族を滅ぼし、そして人間を意のままに操ろうとする龍賀の当主。 死んだはずの龍賀の当主だったが、その魂は孫の時弥の体を乗っ取ることで生きながらえていた。そもそも時弥は自分の魂を入れる箱として作らせたというのだ。 そして当主は人間たちの姿を見て「下民たち、ああはなりたくないものだ」と言い放つ。 ここまで悪い奴は見たことがない気がする。 戦争といい、上の者は自分たちのことしか考えないとか人間の醜悪さを「妖怪」「ゆうれい」という形を借りてあぶり出したような傑作だった。 これは人気も納得だった。 宇宙戦艦ヤマト劇場版 4Kリマスター版日時 2023年12月23日18:40〜 場所 新宿ピカデリー・シアター4 監督 舛田利雄 製作 1977年(昭和52年) ストーリー省略。 何十周年というわけではないのだが、このテレビシリーズの再編集版を4Kリマスターを作成し、それを3週間の限定上映する。 来年1月になれば「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が同じく4Kで公開される。 といっても今は3週目で1日1回で、このシアター4は設備が4Kに対応していないそうで、2K版の上映。 (新宿ピカデリークラスのシネコンでもそうなのか) 数年前にDVDで鑑賞してる。そのときは古代と沖田以外はほとんど活躍していないという感想も持ったので、今回は各キャラクターの活躍は期待していなかった。 その分映画に集中出来たが、戦闘シーンの多いこと、多いこと。 月から火星への初のワープ、木星の浮遊大陸での波動砲テスト、冥王星での反射衛生砲(鏡を使ってどんな角度でもレーザーを打ち込める砲)、七色星団決戦、ガミラス星での硫酸の海での決戦などなど次から次へと戦闘シーンである。 これが大画面の大音響で観ると迫力満点で、以前DVDで観たときとはまるで印象が違う。前回DVDで観たときに「これであんな大ブームが起きたの?」というがっかり感も少し感じたのだが、これは劇場で観ると戦闘シーンの迫力が圧倒的で、そりゃブームにもなりますよ。 そして以前から言われてるけど、ガミラス側が「シュルツ」とか「ヒス」とかドイツ人風なのだ。極めつけは「デスラー総統」なのだろう。 第2次大戦んドイツ軍である。 かたや「ヤマト」で乗組員は日本人ばかり。 これはもうドイツ対日本の架空戦記なのだな。 劇場で拝見して改めてその迫力を感じ興奮したので、やはり見逃さくてよかった。 The Night Before日時 2023年12月23日15:30〜 場所 下北沢K2 監督 堀井綾香 「prologe」 ある廃墟。そこへエン(高橋雄祐)、マル(平井亜門)、マドカの3人がやってきた。3人は何かを行おうとしている。現状を「仕方ない」とマルに「そんなことはない」という二人 二人は酒を飲み、そこで眠る。 翌朝、エンはどこかへ向かった。 「飛べない天使」 優佳(福地桃子)は出張先での飲み会からホテルへの帰り道、病院から逃げ出してきたようなパジャマの男、聡太郎(青木柚)と出会う。 いったんはホテルに戻った優佳だが、また外へ出て、道に寝ている聡太郎と再会。「死んでる?」と思わず言ったら「生きてる」と返された。 自分の行きたいところに連れて行ってほしいという聡太郎。優佳はなんとなく付き合うのだが。 平井亜門さん出演作。 本日は「prologe」出演の3人の舞台挨拶付き。 15分の短編だが撮影は1日だそうである。もっとも撮影前に3人と監督で集まって読み合わせなどしたそうだが。 平井亜門さんが「撮影場所に行って『ああこういうところか!』と納得した」と言っていたのだが、監督や共演者から「いや読み合わせの時にロケハンしたときの写真を見せた」とつっこまれて苦笑してました。 監督の話ではエンの脳内の自分がマドカとマルだそうで、つまり自問自答している訳です。 エンは翌朝出て行く訳ですが、革命を起こす、またはテロを行う、ぐらいの勢いで出て行く。 それに続くのが「飛べない天使」 監督の話では連作になるので、決意して起こした行動が「飛べない天使」になるのか。 「飛べない天使」で描かれるのは病院を抜け出した青年のわがままにつきあう話。結局会社は休んでつきあっているのだが、これは夢、というか脳内の妄想とも後半になると解釈できる。 えっ、つまり「prologe」でまるで革命を起こすようなことを決意したのが、会社の無断欠勤なの? それにしてもたまたまだがこの前に「朝がくるとむなしくになる」というコンビニバイトをしている女性の悩みを描いていた。 こっちも会社を無断欠勤する話で、なんか似てるんだな。 あと青木柚が演じた聡太郎という男もわがままで人の都合を無視してやりたいことを言ってくるタイプで好きになれなかった。 「生きづらさ」を描いているんなら、まだ「朝がくるとむなしくなる」の方がいいかな。 でもあくまで比較の問題で、「働く女性の生きづらさ」という話では「その場所に女ありて」の方が数段上である。 平井亜門が出てなかったら見なかった映画。 朝がくるとむなしくなる日時 2023年12月23日13:20〜 場所 下北沢K2 監督 石橋夕帆 コンビニでバイトする希(唐田えりか)。乱暴な客もいるし、店長は「シフトに入ってほしい」と気軽に頼まれる日々。 ある日、レジ並んだ若い女性が、別の日にもやってきて話しかけられた。 中学の時同じクラスだった加奈子(芋生悠)だという。中学で彼女が転校して以来の再会だった。LINEを交換しようと言われ、何となく交換した。それから休みの日に遊びに誘われ、ボウリングに行ったりして徐々に距離が縮まっていく。 バイト先で一緒の大学生のもりぐち君がちょっと気になる。ある日、もりぐち君が小学校の頃の同級生に絡まれててついおでんをぶつけてしまった。 加奈子と飲んで彼女の家に泊まる。そんな中、せっかく就職した広告関係の会社で毎日終電で、しかも怒鳴られる日々が続いて辞めてしまった話をした。 翌朝、母にも会社を辞めたことを話した。母は受け入れてくれた。 そんな、私の日常。 全然関心はなかったのだが、本日この上映の後の映画が平井亜門氏の出演作で、舞台挨拶に来る関係で、平井さんが初めて役らしい役で出演した「左様なら」の監督作品ということでトークイベントに立たれたので、ついでに見た。 事件らしい事件は何もない。 若い(25歳ぐらいの設定か)女性がコンビニで将来のあてもなくバイトで過ごす日々を描く。 見てる間は事件らしい事件は起きないし(もりぐち君の件でおでんを投げたくらい。でもその後続きはない)、「若い女性のグチを聞かされてもなあ」という感じ。 同じ若い女性の話なら「その場所に女ありて」の方がよほど面白い。 しかし見終わって数時間経つと「これもありかなあ」と思えてきた。 等身大っぽくて共感出来る人も多いのかも知れない。 木村聡志監督のような作り込んだ会話ではない。 日常でほんとに会話している感じ。監督もトークイベントで「エチュード的にやってるところも多い」と言ってたし。 バイト先での飲み会の会話とか、加奈子との居酒屋のシーンでも「ちょっと気になるけど、相手は年下だから」と気にするが、加奈子は「大学3年ってことは20か21?だったら大丈夫だよ。私大学生の時高校生とつきあっていた」などのどうでもいい女子会トークである。 唐田えりかも芋生悠も髪の毛の長さが違うくらいで、タイプが似ている。 髪の長さが違うので混乱することはなかったが、でも記憶には残らないかなあ。 希の母親は電話の声でしか登場しないのだが、この母親役は「左様なら」で平井亜門氏の母親役をなさった方だそうで。 平井氏が「僕も何の保証もない芸能界で生きていき、何かあったときは母親にああやって迎えてほしい」と言っていたのが印象的。 「左様なら」も日常の淡々を描いた作品だったが、今回の映画は劇場で見てよかった。「左様なら」は配信で見たので非常に退屈した。 やぱり映画館だと集中して見れるので、作品と正しく向き合える気がする。 日本沈没(海外輸出用短縮版)日時 2023年12月20日 場所 Blu-ray 監督 森谷司郎 製作 1973年 ストーリー省略。 今年は「日本沈没」公開50周年(!) それを記念して「豪華愛蔵版」とでもいうべきヴァージョンの発売。 4KリマスターされたUHD、4Kブルーレイ、そして新しい特典映像の3枚のディスクのほかに、復刻版パンフレット、復刻版決定稿、復刻版ロビーカード8枚がついている。 (ロビーカードはA4サイズ〜パンフと同じ〜だから縮小されているのだろう) 今回の特典映像の目玉(私基準)は「海外輸出用短縮版」である。 上映時間は1時間56分。オリジナルより約25分カットしてある。 一番楽しみだった、というよりこれ目当てで購入したようなものだ。 冒頭の東宝マークは英語表記。その後の大陸移動のアニメの「2億年前」なども英語、メインタイトル、クレジットも英語。 先にいえばラストの「世界のどこかで」も英語だった。 逆に東京大震災の被災者数「360万人」や、「丹後地方」の「この地域にまだ被害はない」は字幕が出なかった。 上映時間は1時間56分で約25分のカット。 カットされたのは ・日本海溝の調査が終わったら、すぐに阿部玲子とお酒を飲んでいる居間のシーン。 従って総理の私邸や吉村部長のシーンはなし。 ・総理へのマントルの説明の最後で田所が万年筆を忘れるシーンなし。 田所が出て行くとすぐに渡老人との出会いになる。 ・ケルマディックの海底調査のシーンが少し省略されている。 その後の日本沈没の予告や東京大震災の一連のシーンはカットなし。 ・オーストラリア首相と野村特使の会話は日本語字幕なし。 ・田所博士のテレビ出演のシーン、渡老人の元で「日本民族の将来」を書き上げたカットはなし。 山本総理との「なにもせんほうがええ」は残っていた。 ・小野寺が大阪に帰省し、兄と河豚を食べるシーンなし。いきなり心斎橋筋での玲子との再会のシーンになる。 ・小野寺と結城が再会し、がれきの中で殴り合うシーンはなし。 ・渡老人を連れ出すシーンもなし。 あとは残っていたかな。 「TIDALWAVE」と同じく、特撮シーンのカットはなかったと思う。 画質は傷とか汚れはなく、ブルーレイ並の画質だった。案外、輸出用プリントをソフト化したのではなく、ブルーレイ素材を「輸出版」に従って再編集したのかも知れない。でもクレジットの英語の処理もあるから違うかも知れない。 特典映像では藤岡弘のインタビュー。 「共演者がベテランばかりで非常に緊張した。初めてのラブシーンでしかも相手はいしだあゆみさんで、輝いて見えた」という話が面白い。 当時のニュース映像ではいしだあゆみが避難民となって歩くシーンが印象的。本編では少ししかないからなあ。 そして目玉は特撮未使用カット。 NGやテスト素材に樋口監督、浅田英一監督、桜井景一さんのコメント付き。 富士山噴火でテスト用だったのか、本編とはまるで違うオープンセットの富士山の山頂から青空をバックにした噴火は迫力がない。 テスト用で撮ってボツカットだったのかも知れない。 悪魔の追跡日時 2023年12月17日19:55〜 場所 早稲田松竹 監督 ジャック・スターレット 製作 1975年(昭和50年) フランク(ウォーレン・ウォーツ)とロジャー(ピーター・フォンダ)はバイクや車が好きな親友同士。バイクの修理工場を経営するフランクは豪華なキャンピングカーを購入し、自分の妻アリス、ロジャーの妻ケリーを連れて4人で休暇を楽しもうと旅にでた。 モトクロスを楽しみ、酒を飲んだ晩、フランクたちは川の向こうで何やら儀式が行われているのを目撃する。最初は「女たちは服脱いでるぜ」と面白く見ていたが、やがてリーダーらしき男が女性の胸にナイフを刺すのを見てしまう。その時、アリスがキャンピングカーから声をかけ、儀式の集団に見つかってしまう。 やばい連中だと思い、あわててその場を去ろうとするロジャーたち。 しかし儀式の連中はキャンピングカーに追いつき、後ろのガラスを割って進入しようとする。なんとか阻止するロジャーたち。 保安官事務所に駆け込んで、保安官が「現場をみたい」というので妻たちを残して帰ってみた。そこには血の跡があったが、犬の死骸があった。 保安官たちは「ヒッピーが麻薬パーティを開いていたのを見間違えたんだろう」と真剣には取り合ってくれない。 アリスとケリーは町の図書館で悪魔の儀式について書いた本を探してみる。 旅を続けるロジャーたちだったが、泊まったキャンピングカーの休憩所で、彼らが食事に行ってる間にケリーの可愛がっていた犬が殺された。 すべてが怪しく見えてくる彼ら。 果たして無事に帰れるのか? 70年代、オカルトブームとカーアクションをミックスさせた映画としてちょっと話題になった。しかしピーター・フォンダ主演で、なんとなくB級感があったし、地元では何かの映画と2本立ての公開だったと思う。 しかしずっと気になっていた映画で、今年デジタルリマスターされ、その時は見逃したけど、早稲田松竹でレイトショー上映されると知り、駆けつけた次第。 いや噂に違わず面白かった! オカルトブームに主に「激突!」の面白さだ。 「激突!」も大型トラックの運転手の姿は見えない。足が見えるだけ。ドライブインに行っても誰が問題の運転手なのか解らない。すべての人が危険な運転手に見えてくる。 それと同じで、普通にしているのに保安官も邪教の信者ではないかと思えてくる。 またこの保安官事務所に行ったときに前に停まっている小型トラック。このトラック越しに主人公たちが保安官事務所に入っていくので、まるで監視されているようだ。 そして保安官事務所から出発したら、そのトラックも動き出すのだ。 もうなかなか小技の効いた演出だ。 そして同様にキャンピングカーの宿泊地でもプールの人々の目線が怖い。その無表情さが逆に怖い。「隣だから」と図々しく入ってる夫妻がまた怖い。笑顔が怖い! 道路工事でわき道に入るのさえ、邪教の連中の仕業ではないかと疑ってしまう。 最後は車に追いかけられてのアクション。 正直、これぐらいのカースタントがいいんだよね。最近の「ミッションインポッシブル」とか、「ワイルドスピード」なんかは予告観ただけでなんだか超人的で引いてしまう。 なんかこう「俺にもその気になれば出来そう」と思えるぐらいの難易度がいいのだ。 主人公たちのキャンピングカーは最後部にバイクを積んでいるので、バイクアクションもあるのかと思ったが、それは逆に最初のモトクロスシーンだけ。見終わってから考えるとここは逆に尺延ばしな感じだ。 そうするとラストの追跡で「バイクを落としてぶつけるだろうな」と思ったらその通りになるので心地いい。 しかし「ジョーズ」なら大鮫、「激突!」なら大型トラックと倒すべきラスボスがはっきりしている。 しかし今回はどこで「もう大丈夫」と判断していいのかさっぱり解らない。 と思っていたら、ラストはキャンピングカーは炎に囲まれ、今まで登場した町の人々が登場する。「ああやっぱりあいつ等も!」と思わせて終わる。 ヒッチコックやスピルバーグの初期作品に通じる面白さで、B級と言われるが、密かに人気があるのもうなづけた。 観てよかった。 Winter boy日時 2023年12月18日16:45〜 場所 新宿武蔵野館スクリーン2 監督 クリストフ・オノレ 17歳のリュカ(ポール・キルシエ)は全寮制の高校に通っている。リュカはゲイで同じ寮の地元も近い友人と体の関係もすでに持っていたが、特に愛し合っている訳ではない。 そんな時、父が交通事故で亡くなったと連絡を受ける。親戚中が集まっている中、葬儀は行われ、リュカは埋葬には立ち会わなかった。 リュカの気分転換にと、パリで絵を学ぶ兄カンタン(ヴァンサン・ラコスト)の部屋に一週間遊びに行くことになった。兄は同じく絵を学ぶリリオ(エルヴァン・ケポア・ファレ)という黒人の青年と暮らしていた。 リリオの描く絵は男性の性器やお尻を描くものがあり、リュカは彼がゲイだと察する。 パリでは特にする事がないリュカだったが、兄が出かけてリリオと二人になったとき、リリオに「6時まで出て行ってくれ。客が来る」と言われる。そこへ中年男がやっていた。「もう50ユーロ払うから3人でもいいよ」と言われる。いったん表に出たリュカだが、6時前に戻ってきて、玄関で帰ろうとしたその中年男を捕まえて連絡先を聞き出し、「今度会おう」と言う。 初めて知り合った青年の部屋に行ってセックスするリュカ。 そして兄の部屋でその中年男を呼び出し、お金をもらったところで兄が帰ってきた。激怒した兄は男を追い出す。 故郷に帰ったリュカだったが、発作的に手首を切る。 入院するリュカ。一命は取り留めた。入院中にリリオが見舞いに来てくれた。やがてリュカは落ち着いてくるのだった。 チラシを見て少年が物憂げな面もちデザインが素晴らしく、しかもこの少年がゲイとなればBL的なものを期待してつい見てしまった。 でも映画を見てる間、終始なんかついていけないなあ、という思いでいっぱいだった。 それは私が見逃してしまった何か(例えば父との関係)があるのかと思ったけど、ロビーにあった新聞雑誌の関連記事の切り抜きの評を見るとそういう深いものがあるわけではないようだ。 愛していた父が突然亡くなった主人公の少年の混乱、の話なのだ。 それを自分が共感するにはフランスと日本、少年と中年親父(私)、では距離がありすぎる。 主人公の故郷の町がいったいパリからどのくらいの場所なのか。 日本でいえば、埼玉のちょっと田舎と青森県では東京の精神的距離感が違うだろう。 そして17歳の少年の動揺など今の私には(説明されれば解るけど)共感は難しい。 リリオが中年男から今でいうパパ活的なことでお金を得ていたのだが、今の世俗にまみれた私では「まあ美大生だからねえ」とそのまま受け入れてしまう。 どうやって知り合ったのか(パリにもハッテン場はあるのだろう)、知り合った若い男の部屋でセックスをする。 これにしても今の私では「ああそうですか」としか思わないが、17歳の少年にとっては相当なむなしさがあったのかも知れない。 そういう風に後から考えると納得も出来るが、見てる最中はとにかく話は解るけど何の共感も生まれなかった。 あとパリでは黒人は珍しいのか、そうでもないのか。 とにかく今の私には主人公の気持ちが遠すぎた。 別にだめだとは思わないが、この映画の観客としては不合格かも知れない。 解説によると監督の自伝的要素が強いそうで。 監督も若い頃はいろいろあったんだろうなあ。 このハンバーガー、ピクルス忘れてる日時 2023年12月14日18:45〜 場所 新宿K's cinema 監督 木村聡志 先輩(平井亜門)があきちゃんに葛西の観覧車の中で告白する。しかし先輩の予想に反してあっさり撃沈。余った時間で何か話をしなければならなくなって先輩は「男性器は呼び方は他の何物より呼び方が多い」という話題をしてかえって空気は悪くなる。 先輩は職場のハンバーガーショップでバイトのなっちゃんから告白を受ける。返事はとりあえず保留。 先輩とあきちゃんはいつの間にか結婚していて指輪をなくしてどうするという会話を映画館でしている。 先輩の部屋に遊びに来るなっちゃん。「今日何してた?」という質問に適当に答えてなっちゃんに怒られる先輩。 などなど取り留めもない会話が続いていく。 東京MXテレビというマイナーなテレビ局に「Treatment」という枠があり、その中での放送。この枠はソニーミュージックの一社提供の番組で、ソニーミュージックアーティスツ所属のタレントで低予算ドラマの枠。 ここで「階段の先には踊り場がある」の木村聡志監督が登場人物の「先輩」とその彼女たちを取り上げて毎度のかみ合わない屁理屈の変な会話の木村ワールドが炸裂する。 どうも「先輩」を活躍させる話、で作ったわけではなく、木村監督の企画でソニーミュージックが絡んでくるなら、「じゃ平井亜門でいこう」となって「先輩」再登場、となったらしい。(違ったらごめんなさい) だから「階段」では美大の演劇科だった「先輩」も今度はハンバーガーショップの店員だ。そこの挫折感はまるでない。 時系列はわざとバラバラ。 テレビで8月9月に30分枠で4回で放送されたのだが、急に話が飛ぶので訳わからなくなる。「これ1エピソードごとに別の話のオムニバス?」と思っていると、第3話のオープニングで平井亜門いや先輩のナレーションで「これは大学卒業直後、これはあきちゃんとつきあい始めた頃」と各エピソードの時系列の説明が入るのだ。 今回劇場公開用に再編集版を作成するに当たってこの時系列の説明をどう処理するのかと思っていたが、なんとその説明はなし。 オープニングクレジットを省いただけで完全につなげただけ。(細かいところは違うかもしれないが、そうは変わってないだろう) これが意外とすんなり見れた。 テレビだといくら録画してCMを早送りしても間が生じてしまう。映画で連続してみると考える暇もなく次の時系列が違うエピソードにつながってもいやおうなく画面と対峙せざるを得ない。 自分の頭の中で時系列を整理しながら観る楽しみはあった。 後半には「階段」でつきあっていた多部ちゃん(手島美優)が1エピソードで登場し、先輩がアキちゃんに観覧車で告白する練習の相手までつきあわされる。ここのかみ合わない会話が最高である。 あと、先輩の部屋を訪ねてきたなっちゃんにテキトーな話をして「これからは、基本的に、本当の話をします」というところも好き。 最後のエピソードで先輩はアキちゃんと結婚し、なっちゃんは別の彼氏とつきあっている。それが中島歩のベンジーさん。 公開された順は「ハンバーガー」→「違う惑星」だが、制作は「違う惑星」が2022年12月で「ハンバーガー」は今年の夏。だから作品の時系列もこの制作順の通りで、「違う惑星」のベンジーはその後、なっちゃんとつきあうことになったようだ。 映画版ではドラマ終了後にエンドクレジットと歌がつく。これで80分。 正直に言うとこのぐらいの長さでいいと思う。「恋愛依存症の女」は3時間超えだし、「階段」も2時間10分。「違う惑星」は110分。 木村映画は長くなりがちだが、100分程度にすることを前提に作っていった方がいいと思う。 だから今まで観た木村聡志監督作品ではこの「ハンバーガー」が一番好きである。 隣人X ー疑惑の彼女ー日時 2023年12月9日16:05〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン9 監督 熊澤尚人 近未来。惑星Xからの難民をアメリカが受け入れることになり、日本もそれに従うことになっていた。Xは地球人に擬態して人間と同じように暮らしている。Xは地球の人間には危害は加えないと言っているけど果たしてそうだろうか?日本人は漠然と不安を感じていた。 週刊東都では人間に偽装しているXを暴く!という特集を企画していた。X関係の記事はよく売れるのだ。東都の記者の笹憲太郎(林遣都)はXを突き止めてスクープをものにしようとしていた。 編集部から数人のX候補の情報が提供され、柏木良子(上野樹里)と台湾人の林を担当することになった笹。 とりあえず柏木を徹底的にマークすることに。柏木のバイト先の宝くじ売場で話すきっかけを作り、食事に誘い、二人で出かけ、セックスもし、交際を申し込む。 そこまでやってみたが彼女がXか否か全くわからない。 林の方は居酒屋のバイト先で知り合った拓真(野村周平)と付き合うようになっていた。林はまだ日本語が上達しておらず、バイト先のコンビニでも居酒屋でも客から嫌がられることが多かった。 笹は柏木ではなく、柏木の父がXではないかと疑い出す。そしてなんとか柏木の父に会う笹。DNAを調べればXか否か解るという情報に基づき、柏木の父の髪の毛を入手する。 それがきっかけとなって東都は柏木の父をXだと書き立てる。 そして収拾のつかない大騒ぎになっていく。 要するに「X」というのは世間に各種ある少数者のメタファーである。 LGBTQ、外国人、少数民族などなど。それらに対する無知からくる不安をマスコミは増幅させる。それを描いた映画だ。 「映画ではXという宇宙人の話にしてるけど、外国人、LGBTQ、少数民族などをみなさんは無用に危険視していませんか?」という訳だ。 それはもう痛いほど解るのだが、展開がくどすぎる。一種「ミステリーゾーン」の30分でも出来そうな話である。 そしてラストは自分も実は自覚がなかったけどXだったと思う笹とか、実は違ったとか、逆転逆転が過ぎてよくわからなくなっている。 手首に三角形に並んだ3つホクロがあるのがXということになるらしいのだが(そういう説明はなかったがたぶんそうなのだろう)笹はXではなく、柏木がXで、林の彼氏の拓真もXであると明かされる。 もうこの辺になると逆転のための逆転でしかないのだな。 話のアイデアはよかったと思うが、上映時間2時間は長かったかな。 もうちょっとコンパクトにやった方がよかったと思う。 あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら日時 2023年12月10日13:05〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン1 監督 成田洋一 高校3年生の加納百合(福原遙)は教師からも進学を進められていたが、就職するつもりでいた。百合の父親は昔川で溺れた子供を助けようとして逆に亡くなってしまっていた。そのせいで母親はパートを掛け持ちでお金には苦労していた。 母親と進路のことで喧嘩して家を飛び出した晩、雨に降られて道路脇の洞窟に避難した。そこで一晩過ごす百合。しかし洞窟を出てみると景色は一変していた。 町に行っても様子がおかしい。おなかが空いてうずくまっていると一人の軍人が助けてくれた。名前は佐久間彰(水上恒司)。町の鶴屋食堂に連れて行ってくれた。そこにあった新聞を見ると昭和20年6月15日。なぜかタイムスリップしてしまったのだ。食堂のおかみのツル(松坂慶子)にも頼まれ、住み込みで働くことになった百合。 しかし彰たちが特攻隊員で、近いうちに出撃すると知る。 2、3ヶ月前から新宿ピカデリーで予告編を見ていた映画。 12月8日公開で松竹の正月映画である(正月までたぶん持つと思うけど)。 しかも私の嫌いなタイプスリップもの。 女子高生がタイムスリップして特攻隊員と恋に落ちるとか地雷臭ぷんぷんである。 しかし意外にも少なくともイタくはなかった。 タイムスリップものだからスマホが使えないとかコンビニがないとかそういう時代ギャップですったもんだ、というのがあるかと思ったら全くと言っていいほどなし。 主人公の百合は自分の境遇を受け入れている。 素直に鶴屋食堂で働くようになる。ツルさんが受け入れるのも「空襲などで家族を失ったのだろう」と勝手に解釈してくれて詮索されない。 「特攻で死ぬのは許せない」と基地司令官に直談判に言ったり、「戦争はやめましょう」などのビラをまくとかそういう無茶な行動はしない。 「日本は負ける」とは言うけど、それは戦災孤児に対して言ってみて、それが警官(津田寛治)に聞かれるて攻められる程度。 しかし空襲のシーンにしろ、先の警官のシーンにしろ百合が窮地に陥るとたまたま居合わせた彰が助けてくれるという展開が続き、若干ご都合主義を感じたが。 「恋人のどちらかが死ぬ」という展開のラブストーリーものの一種、という感じで「特攻」をそういう商業主義的恋愛ものに落とし込んでしまっていいのかという気はしないでもないが、まあ昔の戦争映画でもそういうのいっぱいあったから今更その辺をつっこむのは野暮か。 場内は7割ぐらいは女性客で埋まっていた。水上恒司のファンらしい。岡田健史だったが、事務所をやめた問題で改名を余儀なくされたらしい。 それでも大松竹の正月映画に主演したんだから、大したものである。 ゼロ戦の空戦シーンなどはなし。 シチリアサマー日時 2023年12月3日14:00〜 場所 新宿ピカデリー・シアター10 監督 ジュゼッペ・フィオレッロ イタリアのシチリア島で17歳ジャンニは近所でホモの疑惑を持たれ、カフェでたむろす人々に嘲笑され、口紅を塗られるなど嫌がらせを受けていた。ジャンニは母の恋人が経営するバイクの整備工場で働いていたが、母の恋人からは厄介者扱いされていた。 16歳のニーノは花火師の父を持ち、母、姉、姉の夫、甥のトトと暮らしていた。学校を卒業してそのお祝いに中古のスクーターをプレゼントされる。試し乗りに出かけたが、そのときに反対側の路地から出てきたジャンニとぶつかってしまう。 大きな怪我も、バイクも壊れなかったが、倒れて気を失ったときに人工呼吸をしてくれたニーノにジャンニは好意を持った。 母の恋人と折り合いが悪いジャンニはニーノに仕事を紹介してもらうとする。叔父の採石場を紹介してくれた。真面目に働くジャンニを叔父は評価してくれた。しかし採石場に近所の男が勤めだし、また何か言われるのがいやで辞めた。 花火師の父が持病の喘息で働くのが難しくなった。ニーノはジャンニを助手にして父親の代わりに各地の祭りを周り、順調にいってきた。 しかしジャンニの母は二人の仲が変に噂になる前に、ニーノの母親にジャンニが同性愛の矯正施設に入れられていたことなどを話す。 それがニーノの父親や叔父に知れ、ジャンニは追い出させる。落ち込んだニーノだが姉の夫が「ばれなきゃ大丈夫だ」とアドバイス。 ニーノはジャンニを探し、二人で逃避行のようにして幸せに見えたが。 話は全部書いた。 この後、映画では銃声が被さり、終わる。 ネットで検索したら、二人を殺した犯人は捕まっていないそうだ。 1980年に実際にあった事件。ジャッレ事件と言われ、実際は25歳と15歳のカップルだったようだ。 映画の方はサッカーワールドカップのイタリア優勝と絡めているので1982年の設定。 1980年でもまだまだイタリアでは露骨な差別があったのだな。いや21世紀、令和の日本でも同性愛嫌悪はあるけど、建前では「いけないこと」になっている。建前だけでも亡くなったのは進歩だ。 この映画、2時間20分ぐらいある。少年二人の出会いから関係が深まっていく様を丁寧に丁寧に描く。二人が殺される事件ではなく、二人の初恋の美しさを描いていく。実際は25歳と15歳だそうだから、こういう「淡い初恋」のようなものだったかは分からない。 否定する訳じゃないけど、どうしても「BL映画」なんだろうなあ。観客もほとんど女性だし。男は「ゲイの映画」に興味がないのは当たり前ですが。 それにしてもイタリアの親ってすぐ子供を殴るし、暴力的だなあ。やっぱり「マッチョ」信仰が日本より激しいのかも知れない。 でも全体的に長いよな。 今の日本では「君の名前で僕を呼んで」的な「悲劇的な恋愛」の一つのパターンとしてゲイ映画が消耗されてる気がする。 それがいけないと言うわけではないですが、単なるエンタメにされるのはちょっと抵抗がある。 苦しんでいる人もいるわけですから。 日本沈没 4Kデジタルリマスター版日時 2023年12月3日10:00〜 場所 新文芸座 監督 森谷司郎 製作 昭和48年(1973年) ストーリー省略。旧作邦画の研究でここ数年頭角を表してきた春日太一が橋本忍の評伝を書き、その出版を記念しての橋本忍特集での上映。 「日本沈没」は4Kリマスターされ、それが日本映画専門チャンネルで放送された。 劇場で上映されることはなかったが、今回上映である。そして公開50周年を記念して今月後半に4KリマスターのUHDが発売される。 (これが復刻台本やパンフレットもついて定価2万円ぐらいするのだよ。迷った末アマゾンに注文したけど) 新文芸座は名画座にしてはスクリーンが大きいので4Kで蘇った「日本沈没」は迫力満点である。 近年上映されるときは真っ赤かに退色したプリントでの上映だったので(最後に観たのは銀座シネパトスでのレイトショー上映の時だったか)初公開の感動が蘇るような状態での鑑賞は感慨ひとしおだ。 「ゴジラー1.0」で吉岡秀隆の野田が海神作戦を説明する会議のシーン、どっかで観たことがあると思っていたが、やっと気がついた。 この「日本沈没」の竹内均教授のマントル対流の説明のシーンではないか! インタビューで山崎貴監督が「ああいうこれからのことを説明するのをやってみたかった」として例として「大空港」や「タイタニック」をあげていたが、この「日本沈没」が一番近い気がする。 なんといっても「わだつみ作戦」だしなあ。 っていうか「わだつみ」が漢字では「海神」って書くのを今回の「マイナスワン」で初めて知った。 何度観ても感動がある1本。時々は観たい、私の人生を変えた1本である。 恋愛依存症の女日時 2023年12月2日18:00〜 場所 壱岐坂ボンクラージュ 監督 木村聡志 製作 2019年(令和元年) かつては小説「恋愛依存症の女」で文学賞も受賞し、ベストセラー作家だった鏑木賢一郎だったが、今は出版社に持って行ってもボツになる日々。 そんな「恋愛依存症の女」だが、舞台劇化が進んでいた。 その舞台劇で主演をつとめる小劇団の女優、ニコ(ひらく)は今まで恋愛経験もなく、役をつかみかねていた。 ある日、ニコは喫茶店のバイトに応募する。店長に「うちは暇だから退屈が心配だよ」と言われる。それでもバイトを雇うのは店長が「ずっと一人になると落ち込むので、金を払っても人にいてほしいと思った」から。 鏑木は編集者のチー坊を密かに思っていた。しかし二人の間にはなにもなかったが、チー坊は今度結婚すると聞かされる。 「恋愛依存症の女」の演出助手を勤める五反田には妹があり、今度上京してきて友達と一緒に住むことなった。その友達とは五反田が高校生の頃に告白してフられた恵比寿、通称エビちゃんだった。 ニコはやがて店長を恋愛対象として意識するようになる。 チー坊の結婚相手とは実は「恋愛依存症の女」の演出家の百川だった。 鏑木は無茶を承知でチー坊に現在の夫との離婚届の用紙を渡し、今度は婚姻届の用紙を渡そうとするのだが。 「階段の先には踊り場がある」の木村聡志監督。若手の監督では私がいまもっとも注目している監督である。 「階段の先には踊り場がある」、テレビの「このハンバーガー、ピクルス忘れてる」「違う惑星の変な恋人」が木村監督の商業作品だが、その劇場デビュー作が本作。自主制作して劇場公開までしたという。 3時間19分の大作で正直疲れる。しかも登場人物は多く、人間関係が絡み合ってるから混乱しそうになる。しそうになるだけで実際に混乱はしない。それぞれキャラが立ってるからだろう。 映画的な映像のダイナミック的なものはなく、人物が本当にただ会話してるだけ。だがその会話の妙、というかせりふや言い回しが生々しく面白いのだ。(もっとも最初に「階段」を観はじめた時は違和感があったけど、徐々になれた) 今回もラストで劇団の仲間がニコが店長に告白するのを応援しようと店長の店に集まる。しかしそこへ鏑木がチー坊に告白をする場所に選んだのがこの喫茶店。 登場人物が全員集合で大団円を迎える寸法だ。 長かったけど、最後にやっと終わった!という妙な達成感があった。 「階段」も2回目3回目の方が面白かった。 登場人物の人間関係が頭に入ってから観た方が、細かい面白さが伝わるのかも知れない。 今日はこの会場で14時から「階段の先には踊り場がある」の上映&木村監督、平井亜門さんのトークイベント付き。さすがに平井亜門さん効果で20数席の会場は満席である。 (「恋愛依存症の女」は10名ぐらいだったかな) 基本ライブハウスで落語や映画上映もする2020年にオープンした会場。店主がほぼ一人でやっている会場のようだ。 この店主が割と年齢の上の方で70歳ぐらいか。その年でオープンさせるとは勇気のある方だ。 で、司会もしたのだが、これが年寄りにありがちなゲストの監督や出演俳優にタメ口をきく。 これが私はカチンときたのだなあ。 お客さんはゲストにお金を払って見に来たのだよ。店主じゃない。従ってお客さんからするとゲストの方が立場が上、というのが私の考え。 だからゲストにタメ口をきくような司会は好きじゃない。 「この映画、フィックスが多いからカメラマン楽だよね」「出演者同士ってさ、待ち時間多いから出来ちゃったりしない?」 これらの問いかけには木村監督も平井さんも「私の口からは言えないです」としか答えられない。 また「この映画、アフレコないよね。アフレコだと違和感があるときがあるけど、この映画はないね」ってあんた今の現場を知らなさすぎ。 果ては平井さんに「ライブハウスでのイベントではどんなことしてるの?」(これはまだいいとして)「歌う歌ってるんだ。うまいの?」これは失礼にも程がある。 平井さんは「私よりうまい人はたくさんいますから」と返してましたが。 会場の設備とかはいいけど、あの司会はいやだなあ。 映画とは関係ないですけど。 木村監督は応援してます。 |