2024年2月

   
ジョーズ2 WILL
夜明けのすべて ねむの木の詩(うた)がきこえる 大学の暴れん坊 このハンバーガー、ピクルス忘れてる(劇場版)
戦国自衛隊1594(2回目) 罪と悪 Firebird ファイヤーバード 五反田ほいっぷ学園
魔人ドラキュラ オペラは踊る 枯れ葉 熱のあとに

ジョーズ2


日時 2024年2月25日
場所 DVD
監督 ヤノット・シュワルツ
製作 1978年(昭和53年)


リゾート地アミティを襲った大鮫の恐怖から4年。今年も海開きが行われようとしていた。4年前に鮫を倒したORCA号の残骸の場所で記念写真を撮る男たちがいたが、鮫に襲われた。しかし海に船が残されただけで、鮫に襲われたとは誰も気づかない。
ある日、ウォータースキーを楽しんでいた者とその船が爆発した。海にいた目撃者は爆発しか見ていないが、彼らは実は鮫に襲われたのだ。
そして小型の鯨が何かに食われた傷をつけた状態で浜にあがった。
ブロディ署長(ロイ・シャイダー)は再び鮫がやってきたと心配する。拳銃弾に毒薬を仕込み、海岸で見張りにたつブロディ。海に何か黒いものが見え、ブロディは鮫だと思い、海水浴客を海にあげ拳銃を撃った。
しかしそれは鮫ではなく、アジの群だった。
観光客がいる前で拳銃を撃つ騒ぎを起こしたブロディを、市長たち町の有力者は解任した。
海に鮫がいると確信するブロディだったが、息子は友達に誘われブロディに止められたにも関わらず、友達とヨットで海にでる。
そのうちの一艘が鮫に襲われ、救助された。
それを知ったブロディは息子たちのヨットが危ないと助けに向かう。
結局海底の送電線を鮫にくわえさせ、感電死させることで倒すことが出来た。

これも長年買ったままになっていたDVD。
この映画は封切りの時に見ている。「『ジョーズ』は天才スピルバーグだからこその映画で、スピルバーグじゃない『ジョーズ』なんてろくな映画じゃないだろう」って空気が当時蔓延していたし、実際どれほど面白くなかったし、映画史にも残っていない。
一応ロイ・シャイダーのブロディ署長は残っている。海洋学者の方は電話で「南極に行っていて連絡がとれません」という説明だけはある。

そもそも企画が難しかったのかも知れない。
「アミティを再び鮫が襲う」っていうのはわかるけど、どうやったって前と同じような話にしかならない。
「海水浴客が泳いでいる」「海面下から鮫が襲う」ってそれだけだもん。
スピルバーグみたいな天才がいれば「2」もなんとかなったかも知れないけど、天才はそんなにいない。

でも今回思ったのは後半、ヨットの若者を救出に行くのに署長の息子二人が絡んでいる点だ。
「タワーリング・インフェルノ」にしても「新幹線大爆破」にしても主人公の家族が事件に巻き込まれる、という展開はやらない。
スティーブ・マックイーンの妻が落成式に行ってるとか、宇津井健の娘が新幹線に乗ってるとかない。そういう話も作れたろうけど作らない。
「ジョーズ」も職業的使命感からブロディも鮫退治に出かけるのだ。

最近のパニックものは主人公の家族を助けにいく展開になることが多いが、私はそれを好まない。「じゃお前の家族がいなかったら行かないのか」という疑問が出て、極めて「自分の家族だけ助かればいい」という感じになってしまうのだ。

主人公が「家族の為に立ち向かう」という話の始まりは案外この映画だったんではなかろうか?
それと安易にシリーズ化するという点。
そして現代の低予算の「鮫映画」が量産されるきっかけになったのが、この「ジョーズ2」だったのでは?と思えてきた。
そういう風に考えるとこの映画は現在の映画界への変化の始まりだったのかも知れない。

映画の内容はさっぱり覚えていなかったが、ブロディたちが船に乗り込むところを手持ちカメラで捉えるカットは少し記憶に残っていた。
当時まだ手持ちは珍しかったので、印象に残っていたのだと思う。






WILL


日時 2024年2月23日17:30〜
場所 テアトル新宿
監督 エリザベス宮地


不倫問題でバッシングにあった俳優の東出昌大。
彼は今は山で山小屋を建て狩猟をしながら生活している。俳優としての仕事の時だけ、東京やロケ地で生活する。
バッシングの時から今に至る数年間を追ったドキュメンタリー。


東出は好きな俳優だし、ちょっとだけ縁もある。「桐島、部活やめるってよ」で映画初出演をしたとき、特に舞台挨拶をするわけでもないのだが、出演者や監督などが主に新宿バルト9に赴き、観客と一緒に映画を観てその後ロビーで写真撮影や雑談に応じるということをやっていたのだ。
「誰がいく」という情報はTwitter経由だったと思う。「桐島」が大好きだった自分は映画を観なくてもその時間にロビーに行ったりもした。
その時に東出さんとは写真を撮った。

その後、「桐島」は劇場を変えて8月公開だったが12月ぐらいまで上映が続いたと思う。11月か12月の今はなきテアトル銀座で上映&舞台挨拶があったとき、1階入り口から映画館までのエレベーターで監督や東出さんをはじめとする出演者の方と一緒になった。
(監督に「桐島、数々の受賞おめでとうございます。自分も7回(違ったかな)観ました」と図々しく話しかけ、監督が「ありがとうございます。東出、7回観てくれたってさ」と東出さんに話しかけ、私の前に立っていた東出さんが振り向いてくれたことがあった。私の前に立っていた東出さんは長身でまるで壁だった。東出さんは187cmぐらいはあるので、身長が低い方の私としては見上げるような背の高さだった。

というのが私の東出さんの思い出。
そんな感じで最低2回は会っているので、妙な親近感がある。
役者としても好きだし、彼の出演作は全てではないが、よく見ている。
そんな彼が今では狩猟生活を送りながら仕事の時だけ東京に来る生活をしていると聞いて「へー」と思ったものだ。

で結局めちゃくちゃ内容の薄い映画で30分もあれば十分な内容だと思うが、「せっかく3年ぐらい取材したから素材はあるしなあ」という感じでつないで2時間20分ある。
長すぎるよ。

狩猟生活の原点は幼稚園に上がった頃に父親から兄とともに「これからは何かあっても生きていけるように」とナイフをもらってそれを使い始めたことからだそうだ。
へー、父親もワイルドだねえ。

「鹿を撃った時、かわいそうだな、と思う。でもその肉を食べる」という命の奪い合いについての疑問を彼は常に感じている。それは狩猟仲間も同様に感じるが、そこはそれぞれ折り合いをつけているらしい。「だからこそ丁寧に食べる」とか。
その話が何回も出てくる。

山での周りの人々も東出が有名俳優であることを知っていて、多少は猟友会(高齢化が悩みらしい)の広告塔(というほどでもないが)になって若い人が入ることを期待している。
そして本人もいやがってる様子もなさそうだ。

今人家周辺に鹿とかの野生動物が出てくることが問題になっているが、戦後の農林政策で、伐採、針葉樹を植樹、ということを繰り返すうちに動物たちの食べ物がなくなってきてるという。
実際に野生動物が農家の農作物を食い荒らすことが問題だから「年間何頭」と決められた数を撃っているそうだ。そしてその肉は解体するのも手間なので、埋めるだけなのだ。

そういった「日本の問題」にまで手を広げてしまうから、話が広がりすぎて何がいいたいのか、何を描きたいのか焦点がぼやけてくる。
さらに音楽。
MOROHAという「絶叫系説教詩人」的メロディーには載せずに自分の詩を叫ぶスタイルの歌が時々挿入される。
こういうのが苦手なので(そもそも歌とか音楽にカテゴライズ出来るのかが疑問だが)それもさらにいやになる理由だった。

映画を見てる途中、気分が悪くなり、「昼にパン1個しか食べかなったから空腹になりすぎたかな」と思ったのだが、映画館を出たら収まったので、どうやら手持ちカメラによる「酔い」が原因だったようだ。
やっぱり手持ちカメラの映像は苦手。





夜明けのすべて


日時 2024年2月23日13:25〜
場所 TOHOシネマズ池袋・スクリーン1
監督 三宅 唱


PMS(月経前症候群)のため月経の前後で極度にイライラが増しささいなことで怒りが爆発してしまう藤沢さん(上白石萌音)は、大学を卒業して入ったばかりの会社を辞めてしまう。
5年後、今は栗田科学という小学生向けのプラネタリウムのキットなどを作る会社に勤めていた。
最近入った山添くん(松村北斗)は昼休みでも一人でいるし、お菓子を渡しても「俺、生クリーム苦手なんで」と取っつきにくい。
ある日、藤沢さんは「炭酸の音がうるさい!あとお客さんが来てるのにろくに挨拶もしないなんてひどい!」と怒りを爆発させてしまう。
山添くん自身もパニック障害という心の病を抱えていてすべてが無気力になっていた。山添くんがパニック障害の発作を起こしたとき彼が探していた薬を見つけて渡したことで藤沢さんは彼の病気を察する。
パニック障害は電車にも乗れないので、藤沢さんは使わなくなった自転車を山添くんに届ける。彼のアパートに行ったとき、彼が髪を自分で切ろうとしていたので「私が切ってあげる」と切ってもらう。
素人の藤沢さんのカットは無茶苦茶だったが、二人の距離は縮まった。
栗田科学は年に1回近所の小学校でプラネタリウムのイベントを開いていた。山添くんと藤沢さんは二人でその解説を担当することになる。


先月末に公開され、やたらと評判のいい映画。私はパスするつもりでいたが(松村北斗と上白石の単なる恋愛映画だと思ったので)、そこまで評判がいいならと重い腰をあげた次第。

う〜ん、悪い映画とは決して言わないが、昨年評判の良さにつられてみた「少女は卒業しない」「17歳は止まらない」に比べればそれほどではなかった、という感想。

やりたいことは「共生」ということか。
今までは外国人との共生、を掲げた映画が多かったが、これは病気との共生と言ってもいいのか。
PMSにしろ、パニック傷害にしろ会社的には迷惑な話である。
基本的に会社って必要最低限な人数しかおかないから、誰かが突然休むとその影響は絶対に出る。いけないとは思いつつ「迷惑だな」と感じてしまう。そして当事者も「すまなさ」を感じてしまう。

だからそういう社会であるためには当事者よりもそれをカバーする周りの人間たちのような気がする。
藤沢さんが急に早退したとき、スマホを忘れていってそれを「僕届けてきます」と言って出て行く山添くん。
それを周りも容認している。ずいぶんのんびりした会社である。
嫌みで言ってるのではなく、「いいなあ」というあこがれの気持ちである。

社長(光石研)も弟が10年ほど前に失踪し、山添くんの上司も姉を突然死で亡くしその心の傷をいやすためにセミナーに通っている。その関係で山添くんも預けられたようだ。
最初は前の会社に戻りたがっていた山添くんも最後は栗田科学にいることを決意する。
そして藤沢さんは母親の介護のこともあって地元のタウン誌に就職するようだ。

で会社を辞めてもドラマチックなシーンがあるわけではなく、山添くんも「そうなんだ、がんばってね」的なあっさりしたものである。
もう少し何かあるかと思った。

あと放送部の中学生が栗田科学の取材に来ているのだが、男子の方がアフリカ系の顔をしている。たぶんルーツはそうなんだろうけど、こう言った人物を配置したのも「共生」がテーマにあるからのような気がした。






ねむの木の詩(うた)がきこえる


日時 2024年2月22日19:00〜
場所 国立映画アーカイブ・2階大ホール
監督 宮城まり子
製作 昭和52年(1977年)


歌手・女優だった宮城まり子が設立した児童向け障害者施設、「ねむの木学園」を描くドキュメンタリー映画の第2弾。
言葉を発しない少年やすひこを中心にねむの木学園の活動が紹介される。

やすひこちゃん、通称やっちゃんは小さい頃は「パパ」と言ったことがあったのだから「聾唖者」ではないようだ。幼稚園ではついに声を出すことがなかったという。いつも一人で遊んでいる。
そんなやっちゃんに宮城まり子は寄り添う。

周りの子供も子犬を通じてやっちゃんに言葉を発するように誘う。
園では地域の人を招いての運動会もある。
集団生活なのでインフルエンザの集団感染も起こる。
交通事故で両親と片足を失い今は義足となった少年もいる。
「義足の義とはなんだ?」と嘆く少年にまり子は「正義の義」と教える。

やっちゃんにコミュニケーションや発声の練習のためにハーモニカを吹かせるまり子。その努力はまだ途中である。


国立映画アーカイブの「女性映画人特集」で上映。
取り立てて観たいわけでもなかったが、最近観たい映画がないので映画アーカイブの上映を観ていたらこの映画を発見。

この映画は完成した頃にテレビのワイドショーで紹介されていて、一緒に観ていた母親が「宮城まり子が障害者施設を作ったときは売名だとか批判されたけど、続けてるから立派だね」ということを言っていて、それで宮城まり子、ねむの木学園というのを覚えたのだ。
そういうことでこの映画のことはずっと気になっていたのである。
面白い映画ではないと思うが、ずっと気になっていた映画なのだ。

ねむの木学園を描いたドキュメンタリーは2作目で1作目は「ねむの木の詩」という。こちらは今回上映されていない。
宮城まり子が監督で、主演も宮城まり子である。
ねむの木学園は職員も多く、子供一人に保母さん(という言い方が正しいのか不明だが)一人いるぐらい多い。

学園長としての仕事もしながらやっちゃん担当として(という訳ではないのかも知れないが)まり子はやっちゃんに寄り添う。
来客中でもやっちゃんがやってきたらお客さんよりやっちゃんを優先し、「まり子さんにお茶持ってきてくれる」という。
こうやって人間同士のコミュニケーションをとる練習をする。

その前段階として声が出せないなら何か言われてその返事として相手の手の甲をトントンと2回叩くことを教える。
まり子が仕事(歌手としての仕事だろうか?)で学園をしばらく離れた時に手紙を書くようにいう。
その手紙は和文タイプで「やすひこまりこさん」と紙一面に打たれている。
職員に言わせると「この文字だけを打つなら我々より早い」ということだ。

そしてラストではまり子とやっちゃんが1対1で何とか言葉を発せさせようとハーモニカを吹かせてみたり「ベロを動かす練習」として一緒にベロを動かす。
そのシーンは10分以上あったのではないか。
ラストで言葉を発してくれるかと思ったが、そういうカタルシスはなく映画は終わる。
結局話せるようになったかは映画では描かれない。

カメラは岡崎宏三。
このカメラがうまいのだ。フォギーをかけて自然光をうまく使った逆行気味の映像はねむの木の世界をファンタジックな世界に見せているのだ。
あざといって言えばあざといんだけど、昨今のドキュメンタリーに比べれば「作為的」ともいえるのだが「映画的」な美しさは持ってるんだよね。
音声は同時録音ではなく、宮城まり子自身がアフレコで入れているようだ。

ねむの木学園、今はどうなってるかと検索したら、現在でも存在する。宮城まり子は数年前に亡くなってるけど。
気になったのは施設の運営費。宮城まり子という方は「歌手で女優」ということだが、大スターだった訳でもないからそっちからの収入がそれほどあったとは思えない。
補助金とかからなのかなあ。

ねむの木学園のHPを見ても「現在は空きがあるので入所可能」とある。
じゃ施設に入るためのお金はいくらかと思うとそれは記載されていない。
え〜どういうことなんだろう。
ネットでは「宗教だ」と批判する声もあるようだが、宗教でもいいではないか。統一教会とかオウム真理教みたいなのはダメだけど宗教=悪ではないだろう。

映画が終わった後、すこし拍手が起きた。映画ファンというより福祉関係の方が多く見えていたのかも知れない。

とにかく気になっていた映画を見ることが出来満足した。





大学の暴れん坊


日時 2024年2月18日
場所 DVD
監督 古川卓巳
製作 昭和34年(1959年)


竜崎三四郎(赤木圭一郎)は大学生。運動神経抜群で何をやらせても玄人はだし。今日も柔道部の試合に出たが、相手の人見兼作(梅野泰靖)を投げ飛ばし人見が壁にぶつかって怪我をしてしまう。
人見の妹千恵子(芦川いづみ)は竜崎の面倒を見ている田口(葉山良二)だった。田口は弁護士だが、先輩として何かと竜崎を面倒見ていた。
人見は重傷で、退院したものの、脊髄に損傷があり普段暮らす分には差し支えないが、柔道はもう出来ない体だった。それがきっかけで酒に溺れてしまう。
苦学生の竜崎はバイト三昧だったが、ある日友人の小沢(藤村有宏)からバーの夜警を紹介してもらう。その店には大学の柔道部をやめて今は佐久間組の用心棒になっている法元(内田良平)がいた。
佐久間(二本柳寛)は竜崎がよく行くカレー屋の周辺の土地の立ち退きを計画していた。それを知った田口は法律の力でなんとかしようとしたがうまく行かない。
カレー屋の親父(佐野浅夫)は昔やくざだったので、佐久間に直接交渉に行く。だが親父は帰り道、佐久間の手下に怪我をさせられる。
やがて人見の妹の千恵子も人質になって田口に手を引くように言ってきた。竜崎もそれを知って佐久間の店に出かける。


数年前に買ってそのままになっていたDVDシリーズ。
赤木圭一郎の主演デビュー作。(と言っていいのか)
クレジットでは葉山良二、赤木、芦川の3人である。
しかも話も葉山と赤木がW主演のような作り方である。
「相手に怪我をさせてしまい、自分の戦い方を封印した主人公が悪の組織と戦う」といういかにも日活アクションらしい話なのだが、本来一人であるべきヒーロー役を二人に分担させたために、盛り上がりに欠ける。

本来ならば怪我をさせてしまった男の妹が赤木の恋人になるべきで「君の兄さんを怪我させてしまった」と苦しむべきなのである。
ところが赤木の方はカレー屋の娘と出来かけている。女優は稲垣美穂子という知らん人。
このあたりが赤木がまだまだスター扱いされていなかった感じがする。

この映画、モノクロだし添え物の方だったんだろう。
赤木がスターになるのはこの次の主演作「拳銃無頼帖 抜き射ちの竜」からだ。
キャスト陣も赤木の友人役の大学生に藤村有宏がいるなど、なかなか興味深い。

赤木の助演からスターになる一歩手前を確認でき、その点では面白かった。






このハンバーガー、ピクルス忘れてる(劇場版)


日時 2024年2月16日20:45〜
場所 アップリンク吉祥寺・スクリーン1
監督 木村聡志


12月1月にケイズシネマ、K2、アップリンク吉祥寺で行われたスポティッドのムージックラボでもTV再編集版が公開されたが、「違う惑星の変な恋人」公開記念で新宿武蔵野館とアップリンク吉祥寺で1週間限定公開。(1週間限定というのがスケジュールの都合なのか制作著作のソニーミュージックとの契約が絡んでいるかはわからない)
2月16日には19時から上映で上映後、木村監督、平井亜門、石川瑠華、森ふた葉、まるぴ、中島歩の舞台挨拶、その後、20時45分からアップリンクで上映、舞台挨拶は木村監督、平井亜門、石川瑠華、森ふた葉の舞台挨拶。
時間的に両方いくと吉祥寺では映画は見られない。迷ったあげく武蔵野館はパスすることにした。
(というか迷ってるうちに水曜日の午前0時からチケットが発売され、朝見たら満席になっていた。平井さんファンだけではなく、まるぴさんのファンもいらっしゃったようだ)

当然ハシゴするファンもいるので、吉祥寺では上映時にはちょこちょこ席が空いている。映画が終わって舞台挨拶の前になったら、ドドドッとお客さんが入場してきた。
(時間的に新宿で舞台挨拶が終わるのは9時前で10時から吉祥寺で舞台挨拶になる。新宿でのパンフレットのサイン会はないな、と思っていたら、武蔵野館に行ったファンの話では監督と平井さんはパンフのサイン会を大急ぎで行ったそうだ)

今回はムーラボからさらに再編集したもの。
といっても大幅に変わるわけではなく、ムーラボ版でカットされたせりふが復活したり、テレビ版ではなかったカットが追加されてりしている。
効果音も変わってるそうだ。

気づいたのは
1、先輩の部屋をなっちゃんが訪ねてきて「今日なにしてたの?」と聞かれてテキトーに答えて怒られるシーン、ラストでなっちゃんが「なに泣いてるの?」「泣いてないす」がムーラボ版ではカットされたが、劇場版では「泣いてないす」「いや泣いてるでしょ」「泣いてないす」が足されている。

2、アキちゃんと先輩が結婚式をやるやらないでもめてるシーンの最後で先輩が「一緒、一緒!」という声がオフで入ってアキのカットで終わっていたのが、先輩のカットが足された。

3、映画館のシーンで先輩はアキに「この映画、なんならDVDや配信でも見られる」というせりふが今回カットされたと思う。
やっぱり映画館で上映する映画だから「レンタルや配信でも見れる」というせりふはなじまなかったのか。

4、冒頭の観覧車、観覧車のゴンドラ内で「東京湾が一望できます」などのアナウンスが足された。(これは舞台挨拶で監督が言っていた)

5、アキと澤さんが話すシーンの最後で「携帯鳴ってるよ」の音がテレビでははっきり聞こえたが、今回の劇場版では聞こえなかった。(これは劇場の音響の問題かも知れないけど)

本日のパンフサイン会は監督のみ。
監督に聞いて見たかったことを質問してみた。
私「先輩が何度も見ている『彼女の町の話』ってどんな映画ですか?」
木村「今度撮ります!」
私「10年くらいの前の映画の設定ですか?」
木村「いやもっと昔」
私「じゃ白黒の時代の映画」
木村「そんな感じです」
私「ラブストーリーとかサスペンスとかのジャンルは?」
木村「今度撮ります」
ということで、新作の構想を伺うことが出来た。
楽しみにしています。





戦国自衛隊1549(2回目)


日時 2024年2月11日
場所 DVD
監督 手塚昌明
製作 平成17年(2005年)


ストーリー省略。
事情があって再見した。見終わって「案外面白かったな」というのが正直な感想。
ところが今、公開時の感想を読み直したら酷評している。

たぶんに「Xメカゴジラ」「東京SOS」が好きだったので、手塚昌明監督ということで期待値が高すぎたのだろう。
映画というのは観る前の期待値が高ければそれだけ点が辛くなる、期待値が低ければ同じものを観ても満足できる、という訳だ。

今回約19年ぶりに再見したわけだが、割と良く出来てるじゃないかと思う。
もちろん公開時の感想を読んで的外れだとは思わないのだが、「そこまで望んだら可哀想だよ」という感じ。

まず何よりエキストラの数が多い。
戦国の兵隊の数など昨年の「レジェンド&バタフライ」に比べれば完全に多いし、自衛隊の車両の数だって千葉真一版より多いよ。

江口洋介の演技のクサさは昔から好きじゃないし、この作品でも好きじゃないが、時間がたってみるとこの時代はまだまだこれだけの大作映画を作ろうとしたんだなあ、ということが確認出来る1作。

今じゃCGで何でも出来ちゃう(訳ではないんだろうけど)、まだまだフィルム撮影でミニチュア撮影(たぶん)もあって侮れない作品だと思う。
再評価に値する映画だと思う。




罪と悪


日時 2024年2月10日17:05〜
場所 新宿K's cinema
監督 齋藤勇起


春、晃、朔、朔の弟のナオヤ、正樹はサッカー部でいつもつるんでいた。
町外れのおじさんはいつも遊んでくれたが、お尻を触ってくるとか変なところがあって大人たちはそのおじさんには近づくなと言われていた。
ある日、正樹が橋の下で死体となって発見された。春、晃、朔はあのおじさんが殺したんだとおじさんの家に向かう。おじさんの家の入り口に正樹の靴があるのを朔が見つける。逆上した少年たちはおじさんを襲う。そして朔がスコップでおじさんを殺してしまう。春が「俺がやったんだ。二人はいなかったことにしろ」といい放つ。おじさんを家に戻し、灯油をかけ火をつける。
20年後。
晃(大東駿介)は警察官だった父にならい、刑事になっていた。春(高良健吾)は町の行き場のない少年たちを雇って建設業や飲食店を開いていた。朔(石田卓也)は実家で農業をしていた。ナオヤは今は引きこもりになっている。
春のところの少年、小林大和とその仲間がやくざの清水(村上淳)バーの金庫を襲って金を強奪した。その金で豪遊して騒いだので警察沙汰になったのだ。警察には言えない金だが、やくざが黙っているはずがない。清水は春に「やった少年たちを教えろ」と迫る。
そのことがきっかけで春たちと清水の喧嘩が始まる。
そして小林が死体で発見された。ところが小林の遺留品に20年間に死んだ正樹の財布があったのだ。
春と晃は朔やナオヤが関わってると思い問いつめる。引きこもりだったナオヤは死んでいた。ナオヤの部屋から小林を殺した凶器の石が発見され、小林殺しはナオヤが犯人とされた。
だが正樹は誰に殺されたのか?


「罪と悪」とずいぶん大上段に構えたタイトルである。
しかし正直、それほどの映画ではなく、まあよく出来たVシネレベル。
別につまらないとは思わないが、それほどでもない。

私にしてみれば脚本が迷走している。
最初の少年殺しだけで引っ張ればいいのに、大人になった彼らのシーンで現代ヤクザものになってしまってるのだ。
ここを詳しく描くから、だんだんの最初の少年殺しが薄くなるのだ。
ヤクザ対春のシーンが面白くしてるからかえって本筋が消えちゃってるのだな。話がわき道にそれ過ぎてると言ったらいいのか。

結局正樹を殺したのは朔で、正樹と喧嘩でもみ合ってるうちに石で頭をぶつけて死なせてしまったのだ。それをナオヤにも見られ、例の浮浪者のおじさんのせいにして、それも殺し春に罪をかぶってもらった。
事件のショックで引きこもりになったナオヤすら最後に殺した、という訳。

その辺の真相は面白かったが、やはり現代編で話がそれちゃった感じがするんだよね。それが惜しかったと思う。
それにしても「少年を襲う浮浪者」とかそういう「少年への性加害」が描かれるようになったとは時代が変わってきたな。
昔ならせいぜい「おばさんに襲われた少年」という「みな殺しの霊歌」みたいな話だったし。











Firebird ファイヤーバード


日時 2024年2月10日13:15〜
場所 新宿ピカデリー・シアター7
監督 ペーテル・レバネ 


1977年、ソ連占領下のエストニアのソ連軍空軍基地。この基地に配属されたセルゲイ二等兵はまもなく兵役を終え、故郷に帰ろうとしていた。
同じ基地の同僚ルイーザと仲がよく、二人は恋仲だと周りは思っていた。
そこへパイロットとしてロマン大尉が配属される。二人は写真という共通の趣味があり、意気投合した。
そんな時、スクランブルがあり、ロマンは緊急発進した。ターゲットの機は国境ぎりぎりで侵入しなかった。しかしロマンのミグはエンジントラブルで、墜落の恐れがあった。なんとか基地に帰り着いたロマン。それを補助したセルゲイ。二人は格納庫で激しいキスをした。
二人はその後、基地内で人目を忍んでキスをする。「ロマンは同性愛行為をしている」密告があり、上官から釘を刺される。
ルイーザもロマンに関心を寄せており、休みの日に3人で基地の周辺を観光する。
セルゲイとロマンはその後も基地で愛し合ったが、いよいよ危なくなり、セルゲイの除隊とともに二人の関係はいったん終了した。
1年後、もともとの希望だったモスクワの演劇学校に通っていた。
ある日、ルイーザが訪ねてきた。ルイーザはロマンと結婚することになったと告げる。二人の結婚式でロマンと再会するセルゲイ。会場の裏でキスをする二人。
数年後、ロマンが数ヶ月モスクワに単身で滞在することになった。二人は逢瀬を楽しんだが、ルイーザが息子を連れて遊びに来た。
そしてついにセルゲイはロマンとの仲がばれてしまう。


ソ連兵同士のBL映画。実話だそうである。
当時のソ連は同性愛は刑法にふれる、つまり犯罪行為だった訳である。70年代でそうなのだ。もっとも今でもロシアには「同性愛宣伝禁止法」とかいう、同性愛に否定的な法律があるそうだ。
日本は少なくとも社会的偏見はあっても犯罪ではない。まだましである。

軍人なので(という訳でもないかも知れないが)腹筋バキバキのふたりがキスして愛し合う。ゲスな言い方だが、どっちがタチかと思ったら、ちょっとだけ二人の性交シーンがあったが、セルゲイが上になって腰を振っている。へ〜。
腐女子が見たら驚喜しそうだな。

時代的な悲劇は認めるけど、やっぱりゲイは結婚してはだめですよ。
それは悲劇にしかならない。女とセックス出来る能力はあるから世間的なこともあって結婚するか、となったら男は忘れなければならない。
これはもう男女間でも同じことで、結婚して昔の恋人と会ってセックスしたら不倫です、もめます。

だから「男同士でなければ」的な悲劇ではなく、単なる不倫の話です。
ルイーザと結婚したら、もうセルゲイに会ってはだめです、絶対。
これがもう私の考えですので、反対される方もいらっしゃるでしょう。ですがこの二人は結婚した後に会ったらもめ事になっても「身から出た錆」にしかなりません。

ですからなんかBLブームに乗っ取った「恋愛悲劇」でしかないですね。
でも面白かったのはルイーザとロマンの結婚式に出席したセルゲイ、元の上官の大佐に「君も愛する人を奪われてつらいだろう。私は分かっていたよ」といわれてセルゲイはびっくりする。その後に「ロマンが赴任しなければ君が結婚していたろうに」と続くので、ほっとする。

話は結局どちらかが死なないと終わらないだろうと思っていたら、ロマンは80年代のアフガン戦争に派遣され戦死する。
セルゲイ自身も俳優として順調だったが、故郷に帰ってしまったようだ。
あっ、ソ連の話なのに全員英語で会話してるのが気になりました。
別にロシア映画ではないんですね。






五反田ほいっぷ学園


日時 2024年2月9日
場所 BUMP配信ドラマ
監督 葛 里華


2010年の秋、ほぼ処女(挿入される時痛くてやめた)の「私」(駒井蓮)は生まれて初めて風俗嬢になり、ひばりとなった。毒親の母親に100万円渡して家を出ようという計画だった。店舗型の店で待合室にはれもん(伊藤雛乃)、サラ、杏奈たちが意味のない会話を繰り返す。れもんたちは「100万円使うなんて無理、この仕事、ホス狂いか買い物狂しかおらず、入っていってもすぐになくなる」と言われる。
初めての客では緊張したが、なんとか出来た。
しかし暴力型の客に無理に挿入された。店長はとりあえず追い出してくれたが、それ以上のことはしてくれない。従業員の西(平井亜門)も「まあこういう仕事してればこういうこともあるよ」と慰めになってない慰めをしてくる。それを怒ってくれたのはれもんだった。
それかられもんと仲良くなるひばり。
初詣に行ったがれもんの願いは「今よりマシになりますように」だった。
ある日、れもんはひばりに「今つきあってるホストと別れるために60万必要だ。貸してほしい」と言われる。
しかし金だけは貸したくないひばりは断った。それかられもんは店から消えた。
2011年3月11日がやってきた。その時はちょうど西がれもんの寿所を教えてくれたときだった。地震が収まってひばりはれもんのアパートへ。そこへ大きな鞄を持ったれもんが帰ってきた。2ヶ月新潟に出稼ぎに行っていたのだという。しばらくはまた同じような日が続いた。
しかしまたれもんはいなくなった。
偶然、れもんがつきあっていたホストと出会った。彼の話ではれもんは自殺したという。
2024年、ひばりはライターになっていた。
今は風俗嬢にインタビューしてレポを書いている。


平井亜門さんがTwitterで「今度配信ドラマ、『五反田ほいっぷ学園』に風俗店のボーイ役で出演しました。監督は『はざまに生きる、春』の葛 里華さんです」と発信していたので観た。
BUMPという配信ドラマ専門のアプリをダウンロードし会員登録する。
特にパスワードとかはない。このドラマは1話67ポイントで5話ぐらいまでは無料で観れる。6話以降は160単位でポイントをクレジットカード決済で買うか(1ポイント1円)、CMを見るとか、24時間待つかすると次の話が無料で観れる。
全26話で21話分ポイント購入したので1440円分のポイント購入。
映画1本分の料金だ。

1話というのがくせ者で、これが平均2分ぐらい。だから1分の回もあれば、3分の回もある。ぶつ切れで観るわけ。合計1時間ぐらいだから、昔のピンク映画ぐらいの尺である。

このサイトのラインアップを見るとややH系のドラマが多い。
レディスコミックのような内容の作品が多い印象。(タイトルだけで判断しただけだが)
低予算でこれも全話で500万円ぐらいかなあ。
お店の控え室とかは会議室を作り込んだ感じだったし、お店の部屋と控え室でほとんど済みそう。

平井さんは従業員役でちょいちょい出演。「こういう仕事してればこういうこともあるよ」というシーンとれもんの住所を教えるシーンぐらいが活躍するシーンで他は「ご指名で〜す」ぐらい。
こういう低予算の作品にまだでるのだな、平井さんは。
なかなかメジャーになりきれない。

風俗店の裏話で女性の視聴者に受けるかどうか微妙だが、レディスコミックという市場があるのだから、それなりなのだろう。
というかこういう形での配信ドラマという新しい(あくまで私にとって)形態が目新しい。どうみても時間つぶしの作品しか出てこなさそうだし、作る側もそうなのだろうけど、業界にとっては新しい仕事の種だ。

ラストでなぜか主人公はライターになっている。
そして最後に取材する女の子に「最近こういう取材多いんですけど、別に私たち普通ですよ」と言われる。
そう、今まで風俗嬢が特殊な、ちょっと壊れた人たち、という形で描かれてきたけど、「彼女たちも基本は皆と同じなのだ」という結論がよかったと思う。

正直、こういう安価なドラマはどうかと思うけど、とにかく映像業界の試行錯誤は感じる。それほど持たないかも知れないけど。






魔人ドラキュラ


日時 2024年2月4日
場所 DVD
監督 トッド・ブラウニング
製作 1931年(昭和6年)


イギリスの弁護士・レンフィールドはヨーロッパのトランシルヴァニアのドラキュラ伯爵の城を訪ねた。地元の人はレンフィールドがドラキュラを訪ねると聞くとみんな止めたが、彼は「仕事だから」と聞かなかった。
ドラキュラは不気味な男だったがイギリスの家の賃貸契約は成立した。
しかしドラキュラによって彼は下僕にされてしまう。
イギリスへ向かう船は嵐にあったが、なんとかイギリスにたどり着いた。嵐で乗組員は死亡、レンフィールドも「精神を病んだ男」として病院に入院させられる。
その頃、ロンドンの各地で若い女性が失血死する事件が起こっていた。
ドラキュラは隣の家に住むセワード家に近づく。セワードの娘ミナ、その友人ルーシーに目を付けるドラキュラ。まずはルーシーの血を吸い彼女を殺してしまうドラキュラ。
セワードの知人、ヘルシング教授はルーシーの失血死から吸血鬼の可能性を考える。ヘルシングはセワードやミナの婚約者ハーカーに説明するが「吸血鬼は伝説に過ぎない」と本気にしない。
セワード家をヘルシングが訪ねている時、ドラキュラがやってくる。ヘルシングはドラキュラの姿が鏡に写ってないことから、ドラキュラは吸血鬼と確信する。
そうこうしているうちにミナがドラキュラの血を入れられてしまい、吸血鬼と化していこうとしていた。


吸血鬼ドラキュラの初の映画化だそうで。2014年にワゴンセールで500円で買ってきたけどそのままになっていたDVD。もう10年前なのか。あの頃はDVDをやたらと買い集めるのが趣味だったなあ。今はいろいろあって「物を集める趣味」は止めたけど。

ドラキュラ、というとクリストファー・リーガ有名だが、このベラ・ルゴシが元祖だそうだ。燕尾服、オールバックの髪型、マントなどの「ドラキュラ」のコスチュームはこの映画で定番になったらしい。
なるほど、映画史の勉強になった。

時々、ドラキュラのアップが挿入されるが、目のあたりを強調する照明が不気味さを引き立たせる。
話の方はテンポのだるいし、今観るとやや退屈。
でもその中でも「ドラキュラの強みは人々は伝説にすぎないと思って信じないことだ」という部分。
いい台詞ですね。今の映画でも使えそうです。

それとドラキュラは鏡に映らない。
ドラキュラと会ってるときにヘルシングは卓上の葉巻ケースをあける。
葉巻ケースの上蓋の裏側が鏡になっている。それを見るとドラキュラと話しているミナは写るが、ドラキュラは写っていない。ここでヘルシングは彼が異形の者だと確信する訳です。
ここもいい。今でも使えそうです。

ドラキュラは昼間はトランシルバニアの土でしか眠れない。そのため故郷の土を棺に積めて、その中で眠っている。その棺を見つけ心臓に杭を鬱しかない、とヘルシング教授はいう。
連れ去られたミナを救うために恋人のハーカーとともにドラキュラの家に忍び込む。そして棺を見つけ杭を打ってメデタシメデタシ。

怪奇映画の定番キャラのドラキュラだが、やっぱり最初が、名作だから何十年も持つキャラクターなのだなあ、と実感。






オペラは踊る


日時 2024年2月3日
場所 DVD
監督 サム・ウッド
製作 1935年(昭和10年)


プロモーターのドリフトウッド(グルーチョ・マルクス)は金持ちの未亡人の金で、ミラノの有名なオペラ歌手・ラスパリ(アラン・ジョーンズ)のニューヨーク公演を実現させようとする。ニューヨークのオペラ座との仲介をした。
ラスパリは付き人のトマソ(ハーポ・マルクス)に暴力を振るうような男。さらに共演の女優ローザを口説いていたが、彼女にはまだ売れてないが才能ある歌手のリカードという恋人がいた。リカードの友人フィオレロ(チコ・マルクス)はなんとかドリフトウッドにリカードを売り込もうとする。
かくしてドリフトウッドのトランクに隠れてニューヨーク行きの船に乗り込む。しかしアメリカで密航者として追われる羽目に。
オペラ座の幕が開いた。フィオレロやトマソが邪魔をしてラスパリを舞台から隠してしまう。仕方なく代役としてリカードが呼ばれた。観客はリカードとローザのデュエットに聴き惚れ、ラスパリより喜ばれたのだった。


マルクス兄弟映画。これも2007年にDVDを買ってそのままになっていた。マルクス兄弟の映画を見るのは何年ぶりだろう?ひょっとしたら高校生の頃にテレビで放送されて以来の40年ぶりではなかろうか?
その頃もマルクス兄弟はチャップリンやキートンのようにリバイバルされる訳でもなかったのだが、当時よく読んでいたキネマ旬報の小林信彦氏のコラムで時々触れられていたからだ。今から思うと映画に対する態度は小林信彦氏の影響が大きいかも知れない。

そんなに大爆笑、という訳ではなかったが、今でも十分面白く見た。
ハーポのピアノ演奏のシーンやハープの演奏シーンは単なる笑いではなく、「芸」を感じさせる。日本でもクレイジー・キャッツやドリフに与えた影響は大だろう。

特に有名なのは「狭い船室に次々と人が入ってくる」というネタだ。
このシーンはなんか観た記憶があるなあ。テレビで見たのか、あるいはこのシーンを真似したコントだったのだろうか?

個人的にはニューヨークのオペラ座で演奏を始めようとした時に、チコとハーポがオーケストラに乱入し、指揮者のが譜面台を叩くのを3人で指揮棒で叩くところ。妙におかしかった。
そして「野球をしよう」の曲になってチコが投げたボールをハーポがバイオリンで打ち返そうとするところ。なんだかクレイジーキャッツのネタみたいだった。

今はほとんど忘れられた存在になってしまったけど、たまにはいいですね、マルクス兄弟。





枯れ葉


日時 2024年2月3日13:50〜
場所 Strager(菊川)
監督 アン・カウリスマキ


フィンランドの首都ヘルシンキ。スーパーで働くアンサ(アルマ・ポスティ)。家と職場を往復する地味な女性だ。住み込みの金属工場で働くホラッパ(ユッシ・ヴァタネン)。休み時間も一人で過ごすことが多い彼だが、酒だけは手放せない。
ある日、同僚に誘われカラオケバーに行くホラッパ。その店にはアンサも友達と来ていた。席が近かったことがきっかけで、ホラッパの同僚とアンサの友達は言葉を交わす。
アンサはスーパーで賞味期限切れの食品を持ち帰ろうとしたところを経営者に見つかり、クビになった。金がなくて求人サイトで知ったレストランで皿洗いとして働く。だがオーナーが麻薬売買で捕まり、給料はパー。
そんな時に店の前でホラッパと再会。コーヒー誘われ、奢ってくれるならと一緒に。その後リッツという映画館でゾンビ映画を見た。
電話番号をホラッパに教えるアンサ。しかしアンサが書いたメモをなくしてしまうホラッパ。
アンサに再びあいたいホラッパは毎日のようにリッツの前で彼女を待つ。やっと再会できた。
自分の部屋に食事に誘うアンサ。ホラッパも人から借りたジャケットで精一杯おしゃれして向かう。しかしつい「酒がもっと飲みたい」と言ってしまい、アンサと喧嘩になってしまう。


カウリスマキである。
名前は知っていたが、観たことのない監督。先日、神戸の元町映画館に行った際に番組編成担当者と話す機会があり、「最近で入った映画は何ですか?」と聞いたら「枯れ葉」と教えてくれた。
私の界隈では観たという話は聞かないのだが、それでもそんなに入るというなら観てみようと思い、ちょうど見たい映画もなく浅草の「PERFECT DAYS」に登場した焼きそば屋にも行きたかったので観てきた。
(浅草の福ちゃんは休みだった。ついてない)

んで肝心の映画だがさっぱり面白くない。
美男美女でもない中年男女が恋する話。しかも大きな事件もない。
しかもホラッパという男が酒浸り(というほどでもないが)仕事中に酒を盗み飲むようなだらしない男。好きになれないなあ。

んでせっかくもらった電話番号のメモを落としてしまう。バカ。
僕は絶対に発想しない展開である。
地味でまじめなアンサさんはまだ好きになるけど。
仕事で落ちこんだアンサがホラッパに電話して、「今から行くよ」と言ったのだが、そのあとホラッパは交通事故に遭う。

つくづくアホだな、と思う。
結局ホラッパの同僚と町でばったりあったりして事故に遭ったことを知り、仲は直るんだけどね。
こういう映画を楽しめる才能がつくづく自分にはないなあと思わせられた映画だった。





熱のあとに


日時 2024年2月2日19:35〜
場所 新宿武蔵野館・スクリーン1
監督 山本 英


ホストの隼人(水上恒司)を愛する余りに刺してしまった園田早苗(橋本愛)。隼人は一命をとりとめた。6年後、早苗は出所し、長野県の故郷に帰った。そこで母の薦めで見合いをし、林業に従事する小泉健太(仲野太賀)と出会う。矢が早苗は健太と結婚した。
そこへ近所に足立よしこ(木竜麻生)という女性がやってきた。農業を覚えたいと近くの農家で勉強しているらしい。
健太は仕事でよしこの家に伐採に行った際に知り合った。駅までよしこを送っていったとき、東京に行っていた早苗と出くわした。よしこは早苗のことを知っているようだった。
別の日、ホームセンターで出会った早苗とよしこ。よしこは話があると誘い出す。お互いの話をするうちに、よしこは結婚してるわかった。そして夫は隼人だというのだ。
そこから心が乱される早苗。それをなだめようと健太も狂っていく。


Twitterかなんかで「ホスト刺殺事件」を元ネタにした映画、と聞き、しかも橋本愛主演である。「ここは退屈迎えにきて」以来観ていない気がする橋本愛だが基本的には好きな方だし、共演は仲野太賀、「桐島」のメンバーである。

と思ってみたのだが、基本的に期待した映画と違った。ホストを刺す事件は去年の秋にもあり、この時はホストに金を貢いだりしてついに切れて「私をだましたな。金返せ」的なことが動機だったと思う。
(その後、世の中は「ホストクラブの無制限な売り掛け可能なシステムが女性を売春などに追い込む。クレジットカードなら限度額があってそこまで安易に追い込まれない」という議論になったが、その後なんとなく聞こえなくなった)

今回の早苗は未だに隼人を愛してるようだ。
映画の最初の方は「結婚する気はない」と言っていたが、結局お見合いで結婚したりする。ここまでは映画の始まりとしていいのだが、早苗が今でも東京のメンタルクリニックに通っている。
ここで何か抽象的な会話をする。木野花演じる医者もやる気があるんだかないんだかよくわからない対応である。

んで余分な木の枝を切りに行った健太。家を訪ねても誰もいなさそうだし、中に入ってみるとレコードが鳴り響いてるし、裏に行ったらよしこは罠にかかって動けない状態。そして健太も罠にかかる。
もう訳が分からない展開。

この後も映画は延々と続くのだが、終始抽象的な会話で金曜の夜の一週間の疲れがたまった頭にはさっぱり入ってこない。これほどせりふが一つも残らない映画も珍しい。

とにかく登場人物の行動が突飛で唐突である。
よしこも長野県(たぶん)でリンゴ栽培をしていたかと思ったら、次に登場するときはマンションのベランダで日光浴(?)をしていて、子供は一人でご飯に炭酸ジュースをかけたりしていて「早く食べちゃいなさい」とか言っている。

ホストクラブにキャッチされて、そこで知り合った新人ホストに後に会った時に、星のなんちゃらという星を見るイベント(プラネタリウムだったのだが)に早苗が行きたいと言い出し、よしこ、早苗、健太で健太の家で口論になる。そこへ会社を辞めた(辞めたこともはっきり示さないのだが)健太に会社から復職を願う後輩がやってきて、その一緒に来た後輩の女性(そういえば会社のシーンで編み物をしていたような)にキスして、その後のシーンではラブホテルに入って猟銃で撃ち合って心中しようとしている。

「なんでそうなるの?」と言いたくなる。
さらによしこはボートで湖に出て、オールを捨てるシーンがあって、次のシーンではボートだけが岸に帰ってくる。自殺したの?
健太はその後、銃で撃ち合うのは止めて薬と酒を大量接種して自殺を試みるが、翌朝普通に目が覚める。そして女の子がまだ寝てるの見て救急車を呼び、他人事の顔をして去ろうとして駐車場で女の子から刺される。

早苗は早苗でプラネタリウムイベントにいって隼人を見つけ隣に座り、何やら延々と一人でしゃべる。途中から「しゃべっちゃいけないんだよ」と子供の声が入るが、早苗は無視して延々話し続ける。
このシーンが暗い。早苗の表情も解りづらいし、隼人の顔なんか全く見えない。
水上恒司は岡田健史時代に事務所ともめて本名での再出発だが、朝ドラにも出演してるようだし、(私の予想に反して)「あの花〜」は大ヒットだそうで、最近順風満帆である。当然水上目当てで見に来るファンもいるだろうけど、激怒していいレベルである。

イベントが終わると早苗と隼人は抱き合っている。
服で隠れて見えないけど、早苗は隼人を刺したのだろうか?
「何で泣いてるの」と(顔は見えないのに)早苗は隼人に問うが、泣きたいのはよくわからない映画を見せられたこっちである。

ラストはさらによくわからない。
病院に健太を迎えに行く早苗。そして車の中で映画の冒頭で健太が話していた「世界各国の首脳を集めて2人一組なって60秒見つめ合えば世界は平和になる」を実践して車の中で見つめ合う。
これを右折の途中で車を止めて行うのだ。

そうすると後続車や前に行こうとする対向車は前にも進めず大渋滞。
クラクションの嵐の中、サイドブレーキを引くカットで終わり。
先のプラネタリウムのシーンといい、完全に意図的である。
他人の迷惑顧みず自分の思いの中に入っていく主人公たち。

「それだけ愛は盲目なのだ」と言いたいのだろうか?
監督は新人さんで脚本もイ・ナウォンという日本の映像関係の大学で学んだ方。
なんだか「今の日本映画は説明ばっかりでクソだぜ。俺たちが変えてやる!」と言わんばかりの意気込みだけで作ったけど、私にはついていけない映画だった。
終わったとき「やっと終わった」と思った。
エンドクレジットの最中、他の映画に比べて帰ろうとする人が多かった気がする。みんな早く帰りたくなったのかな?