2024年6月

   
どですかでん 極道恐怖大劇場 牛頭(GOZU) あんのこと こわれゆく女
Ike Boys イケボーイズ 乙男(おとめ)たちの素顔 若武者 Chime(チャイム)
告白 コンフェッション ありふれた教室 辰巳 卍リバース

どですかでん


日時 2024年6月30日
場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD
監督 黒澤明
製作 昭和45年(1970年)


郊外のあるスラム街。六ちゃん(頭師佳孝)は毎日路面電車の運転手になりきって「どですかでん」と言いながら町を走り回っている。良太郎(三波伸介)は妻が他の男と作った大勢の子供たちを自分の子供として養っている。
日雇いの益夫(井川比佐志)と初太郎(田中邦衛)は酔っぱらって間違えてお互いの家を取り違え、そのまま暮らしている。
乞食の親子(三谷昇、川瀬裕之)は近くの飲み屋街の残飯をもらって暮らしていた。父親は家を建てる空想物語をしている。
かつ子は叔母の良江、その夫の京太(松村達夫)と3人で暮らしていたが、京太は毎日酒浸りで働きもせず文句ばかり言っている。良江が入院している間に京太はかつ子を犯した。
島さんは足が悪く、その上顔面がひきつる持病を抱えていた。ある晩、同僚を家に招くが妻はつっけんどんな態度を取り、それに同僚は怒ったが島は「僕のワイフを悪く言うな!」と激怒する。
たんばさん(渡辺篤)は泥棒に入った男に金を渡し、「またおいで」と諭したり、「死にたい」という男(藤原釜足)に「これ飲めば死ねるよ」と薬を渡す。それは実は胃薬だったのだが、一度は死んだことになった男は生きる希望を見いだす。
平さんと呼ばれる陰気な男がいた。そこへ美人の女(奈良岡朋子)がやってきた。実は二人はかつて夫婦で妻の一度の不貞を許せなかったのだ。


黒澤明の初のカラー作品。といえばポジティブなのだが、「赤ひげ」以前は年に1作のペースで作っていたが5年も空いた時代である。
その間には「トラ・トラ・トラ!」とかいろいろあったのだ。
そして東宝でも映画が作れなくなり、「四騎の会」というのを木下恵介、小林正樹、市川崑と結成したが結局うまくいかず「四騎の会」の製作はこれ1本。
しかも興行的には失敗だったようだ。そして次に黒澤が撮るのはモスフィルムでの「デルス・ウザーラ」になる。

そりゃ興行的も当たらないだろう。世間が黒澤に期待するのは「用心棒」「七人の侍」のようなダイナミックなアクション映画だ。しかし今回は長屋のような貧民街の話。しかも暗い。受けようがない。
私自身、この映画は(確か文芸地下だったと思うが)学生時代に観ていい印象はなかった。

今回見終わって印象は変わらなかった。
まずね、登場人物が好きになれない。唯一好きなのはたんばさんぐらいである。しかも会話のテンポは遅いしイライラする。

うがった見方をすればこの頃の黒澤明は自分の思った通りの映画作りが出来なくて鬱憤が貯まっていたろう。だからこんな自身の思うユートピアを映画の中で作り上げたのではないか。
乞食の親のいう家とは黒澤にとっての映画だったのでは?

「貧乏だけど善人」みたいな幻想(あるいは願望)が黒澤の中にあってそれが具現化したのかなあ?貧困ってろくなことにはならないと思うが。

今回これを観たのは宮藤官九郎がテレビ(というか配信ドラマとして)リメイクしたから。
原作は未読だが、この町の設定を「東日本大震災の仮設住宅でそのまま仮設から抜け出せない人々」にしたこと。この設定はなにか説得力がある。
幻想のユートピアだった「どですかでん」をもっと身近にした。

そして「彼らを観察する存在」として池松荘亮が登場。この為に町の住民を客観視する事が出来、過剰な思い入れを生まない。
こちらの方が私には受け入れやすい映像化だった。





極道恐怖大劇場 牛頭(GOZU)


日時 2024年6月29日15:45〜
場所 渋谷シアター・イメージフォーラム・シアター2(地下)
監督 三池崇史
製作 平成15年(2003年)

宇廻組の尾崎(哀川翔)は組のいつもの喫茶店で行われている定例会議の席で組長(石橋蓮司)に「あの外の犬をご覧なさい。あれはやくざを襲うように育てられたヤクザ犬ですよ」とささやき、「やられる前にやりましょう」とその犬をリードごとぶん回して殺した。
組長の命令で名古屋に向かう南(曽根秀樹(現・悠多))と尾崎。だが尾崎は南に「親分はだめだ。俺は親分を殺す」と言い出し、さらに後ろから走ってきた車を「あれはヤクザを殺すヤクザカーだ」と言い出す。
後ろの車を止めて運転していたおばさんを殺そうとするのでさすがの南も止めに入る。しかし蹴り倒したショックで尾崎は死んだ。
実は南は組長から名古屋の「ヤクザ処分場」で尾崎を処分するようにいわれていた。尾崎が死んだことを報告しようと電話を探しているうちに入った喫茶店で出された茶碗蒸しを食べたら気持ちが悪くなりトイレに行く南。しかしトイレから出てくると駐車場の車にいたはずの尾崎がいなくなっていた。
あわてて組長に報告すると「近くにある山城組というヤクザに助けてもらえ」と言われるが教えてもらった住所にそんな組はない。
車のタイヤはパンクする、そしてたまたま出会った能勢(火野正平)がその山城組だった。なんとか能勢が協力してくれることになったが、能勢の紹介してくれた旅館に泊まったのだが。


いまおか監督が「ゴスって映画すごいよ。こんどイメージフォーラムで上映されるよ」と言われ、三池崇史のヤクザ映画だからまたこの間の「辰巳」みたいな感じかな、と思って見始めたがまったく違った。

何せ予備知識なしで観たから話がどんどんカオスになって驚く驚く。
しかしこのカオスさは嫌いではない。強いて言えばいまおか監督の「おじさん天国」みたいな感じかな。つじつまを考えようとしてはいけない。
とにかくこのでたらめさを「感じる」「楽しむ」映画だ。
この映画、基本Vシネマなので、映画祭などでのイベント上映しかされなかったそうだ。

んで泊まった旅館が変なおばさんの女主人が「背中を流しましょう」と風呂に入ってきたり母乳をだしたり、弟に霊媒をやらせたり、5分に1回異常な事態になる。
いやそもそも最初の10分は哀川翔が主人公と思わせて、わき役だと思っていた南が主人公になるのだ。
南を演じるのは東映ヤクザ映画常連の曽根晴美の息子。
Vシネじゃ知られてる顔かも知れないけど私はなじみがない役者さんだから「誰だこれ?」状態。

もうやけくそのようにカオスになる。
その上、山城組の組長が川地民夫で尾崎はやはり喫茶店に来ていて「もち米がほしい」と言って米屋に行って酒屋に行って旅館に泊まったという。
で結局処分場に行っていたのだが、その処分場の親分がなんと丹波哲郎!

こいつは驚いた。曽根晴美って思ったより顔が利くんだな。
そして尾崎が出てきたと思ったら女になっている。(哀川翔が女装してるわけではない)
んで宇廻組長の元に連れて行ったら宇廻はさっそく自宅に呼んで犯そうとする。彼はお尻に何かを突っ込んでいないと勃起しない性癖らしく、おたまの杖の部分をケツに突っ込んで女尾崎を犯そうとする。
それを助けようとした南が結局宇廻を殺してしまう。

んでやがて女尾崎に惚れた南はラブホでセックスしようとするが、女尾崎の女性器から尾崎が生まれ出す。
そして女尾崎、尾崎、南は仲良く暮らしましたとさ、というところで終わる。

とにかくカオスを楽しむ映画だった。俺もこういう映画を楽しめる心境になったか。
でもイメージフォーラムの映写機の調子が悪く、始まって10分ぐらいで画面が真っ暗。中断してまた再会したが、また10分ぐらいして真っ暗。
その後再会して調子はよかったが、1時間ぐらいしてまた中断。
さらに宇廻が殺され、女尾崎から尾崎が生まれてくるあたりで観客が大いびき。
上野オークラでも起こらないようなカオス状態だった。
さらに尾崎が生まれてから2回ぐらい画面が真っ暗になったので「またか!」と思ったが、ここは演出で最初からの黒みだった。

帰りに招待券を1枚もらった。観てる間はイライラしたけど、見終わった今となってはこのカオスもいい思い出。





あんのこと


日時 2024年6月29日11:50〜
場所 新宿武蔵野館・スクリーン3
監督 入江 悠


香川杏(河合優美)は売春の時に覚醒剤も売ったのだが、客は直後に死んだ。警察に連行されたが逮捕は免れて釈放。そこで刑事の多々羅(佐藤二朗)と出会った。多々羅は覚醒剤からの更正を計る「赤羽サルベージ」という会を運営していた。そこに杏を誘い、杏が「介護の仕事がしたい」というので介護施設を紹介した。
介護施設につないでくれたのは週刊誌記者の桐野(稲垣吾郎)だった。
赤羽サルベージに通いながら杏は更正に向かって踏み出す。杏の母親は杏に売春させても金を入れろという毒親だった。これから切り離すためにまずは女性の支援マンションに入った。
夜間学校にも通いだし、介護施設でもまじめに働き、順調に進みつつあった。
しかし桐野の元にある情報が寄せられた。実は多々羅は赤羽サルベージに通う複数の女性と性的関係を持っていたのだった。
記事を書く桐野。結果多々羅は逮捕された。頼る人のいなくなった杏だったが、ある日、同じシェルターの女性・三隅沙良(早見あかり)から「息子の隼人をしばらく預かってほしい」と数万円の金と子供を押しつけられる。
戸惑いながらも隼人との生活を始める杏。始めた戸惑うだけだったが、愛情を覚え始める。そこへ毒親の母が杏の家を見つけやってきた。隼人と共に実家につれて帰られのだが。


最近「新たな演技派女優」として注目を浴びている河合優美。
私の周りでは数年前から「愛なのに」「PLAN75」などで「河合優美の出演映画にはずれなし」とまで言われてる存在だったので「何をいまさら」である。
「PLAN75」もよかったが去年の「少女は卒業しない」が私は特に好きである。

で、本作であるけど救いがない。
今、中村淳彦さんの「私、毒親に育てられました」という本を読んでいるのだが、実の娘に「売春して金稼いで家に金入れろ」という人は(信じられないが)実在する。
私のような(比較的)平和に育った人からすると信じられないことだが、本当だ。

中村さんの本を読んでいたせいか、杏の物語も「ありそうな話」ということであまり新鮮味も感じなかった。
しかも結末を書くと、「杏は隼人とともに実家につれて帰られ、杏が売春させられている間に杏の母が隼人を児童相談所に連れて行く。コロナで介護施設も休業状態になっている。杏は引き離されたショックでついに薬に手を出す。しかし結局部屋から飛び降りて自殺。
桐野は多々羅と面会し、「私が記事を書かなければ、杏は居場所や相談できる人を失わず自殺しなかったでしょうか?」と問う。」

でも何か作者の出してる結論に違和感を覚えるのだな。
多々羅は一部の女性と性的関係を持っていたのだし、それはそれでいつかは逮捕されるべき男。隼人もいつかは本来の母親の元に返るべき存在。
その二つが杏からいなくなったことで彼女は自殺した、というんだけど、それはいつかは離されることになるのは明らか。

だから彼女が自殺しないために今の二つがあればよかった、とも言えないわけで、その矛盾こそが作者の描きたかった答えの出せない答えということか。

なんにしても救いのない物語で、果たして映画にする意味があるのかとさえ思えてくる。
いや「この世の中の不条理」を描くことは無駄ではないんだろうけど。







こわれゆく女


日時 2024年6月24日
場所 amazon prime
監督 ジョン・カサヴェテス
製作 1974年(昭和49年)


土木作業員のニック(ピーター・フォーク)とメイベル(ジーナ・ローランズ)は3人の子供を持つ夫婦。メイベルは情緒不安定なところがあり、ニックは常に心配。
今夜は子供をメイベルの母に預け夫婦水入らずで過ごそうと計画していた。しかし水道事故があり、その対応をせざるを得なくなり計画は中止。
朝、仲間をつれて家に帰る。みんなをねぎらおうとしたが、メイベルがちょっと過剰な対応をしたので、ニックはつい怒鳴ってしまう。
メイベルはご近所のジェンセンさんの子供を預かることになったが、子供とはしゃぎすぎてジェンセンさんにもそのノリを強いたためにかえって引かれてしまう。そこへニックが帰ってきたから余計に話がこじれた。
その晩、かかりつけの医者が呼ばれたが「私は病気なんかじゃない」とかえって抵抗する。
結局メイベルは入院することに。
半年間の入院中、ニックは子供たちと接しようと海に連れて行くがどうにもうまくいかない。
やっと退院の日が来た。ニックは同僚を集めてメイベルを驚かして喜ばせようとする。しかしニックの母などの反対にあってニックやメイベルの両親などの家族だけで祝おうとする。
しかしなんだかうまくいかない。


ジョン・カサヴェテスの映画を観るのは初めてかもしれない。ジョンカサヴェテスは「パニック・イン・スタジアム」のSWAT隊長のイメージが強いのだ。
いまおか監督や佐藤稔さんと話しているときに6月22日まで早稲田松竹で上映されたそうで二人がえらく誉めていたので話について行くために鑑賞。

「100分ぐらいの映画かな」と思っていたらなんと2時間半もある。
23日の日曜日の夜から見始めたのだが、1時間経ったところで寝た。
「こんなアメリカ映画初めて観た!」というぐらい驚いた。

1シーンが長くだらだらと(最初はそう感じた)家族や人々の他愛のない会話が続くだけなのである。
特に最初の朝ニックが同僚を家につれて帰ってスパゲティを振る舞うシーン。望遠でとらえた映像で「お名前は?」「この間会いましたよね」などの他愛もない会話が延々、延々と続く。
ここまで話の展開のないアメリカ映画も珍しい(いや私が無知で知らなかっただけなのだが)

24日の月曜日の夜に残りの1時間半を観たのが、このときはすんなりと観れた。この映画のリズムというか手法になれてきたのだろう。
ストーリーの展開を期待してはいけないのだ。

「愛してる」「他人を喜ばせたい」という気持ちが過剰になりすぎて、どこかずれてしまうのだ。
メイベルだけでなく、ニックも怒りっぽい。そして同僚を大勢家に呼んだり彼もなにか人付き合いがへたくそである。

そして彼らの両親も帰り(というか帰したのだが)、子供たちも寝て(というか寝させたのだが)やっと二人きりの時間になり、テーブルの後かたづけを始める。

メイベルの情緒不安定もニックの怒りっぽいところも何も変わってないし、解決もしてない。
「映画は成長を描くものだ」などと言われるけど全く成長はない。
しかしこれが現実なのだな。映画のように何か解決するばかりじゃない。
人は問題を抱えながら生きていくものだ。

撮影は望遠レンズを多用して、人物を追えきれてないような感じのところもある。
役者も脚本通りというより、現場のアドリブ、というかエチュードのような感じで撮っていったのではないか、という気さえする。

自分の知らない映画を観ることが出来、いい経験だった。
案外映画のリズムをわかっている2回目の方が楽しめるかも知れない。






Ike Boys イケボーイズ


日時 2024年6月23日9:00〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン12
監督 エリック・マキーバー


1969年の日本。アニメの有名監督オガタ・ダイスケが一つの企画を提出した。オガタは会議で「これは新作の企画ではない。予言なのだ。それを広めるために映画を作るしかないのだ!」といい、強引に映画は作られた。その映画は制作されたが大コケ。その上フィルム倉庫は火事になり、映画は事実上消滅した。
1999年のアメリカ・オクラホマ。高校生のショーン(クイン・ロード)はその映画の海賊版DVDをネットで注文し、手に入れた。彼はオタクとして学校でもバカにされており、インド系のヴィクラム(ローナック・ガンディー)だけが友人だった。
そんな時、クラスに日本から短期留学生のシミズ・ミキ(比嘉クリスティーナ)がやってきた。クラスで「なぜインド人の家庭にホームステイを希望したか」と聞かれ「インディアンが好きだから」と答えた。
ショーンやヴィクラムに街を案内されるミキ。ショーンの通う空手教室で、先生の妻のレイコ(釈由美子)と知り合う。
ヴィクラムの家で夜に例のDVDを観る3人。日本語で英語字幕もなくさっぱり解らなかったが、クライマックスで映像はなくなり、テレビから謎の光線が出てショーンとヴィクラムは失神した。ミキは途中から寝てたけど。
翌日、ショーンは映画に出てきたように光線が出せる体になっており、ヴィクラムの体は怪獣化してきた。


「日本の特撮ファンのアメリカ人が監督した映画」と聞いてとりあえず観てみた。公開2週目でまだ1日3回上映。朝イチの9時からの回は10人以下でがらがらだった。しかもおじさんばかり。特撮ファンなのだろう。
ある映画に出資することになってお金が必要なので、当分は映画の観る量を少し減らす。たぶん年間200は無理だろう。
話題作も見逃したり、あとで配信、レンタルで観れそうなのはたぶんパスすると思う。
本作は後に観るのが難しいかも知れないので、dポイントで鑑賞。

結局アメリカのハイスクールコメディもので、そのイケてない主人公が特撮オタクである。
「オダカメグミは実在の人物だ」「ゴジラとテレパシーで会話できるんだろ」とか平成シリーズもよく理解している。ショーンが光線を出せるようになったとき「ウルトラマンみたいだな」といい、ヴィクラムも「こっちは仮面ライダーだぜ」と言って遠くの岩に飛びのり、持ち上げる。

一番笑ったのはミキがクラスの女の子に「どうしてインド人の家庭にホームステイするのか?」と聞かれ「オクラホマはインディアンが多く、インディアンに興味があったから」と答えて場が凍るところ。

その場にいた先生は「ネイティブアメリカンね」と言い直すがここは笑ったなあ。今ではアメリカ先住民(ネイティブアメリカン)っていうけど昔はインディアンって言ってた。それはそもそもコロンブスがアメリカに到達したときに「インドに着いた」と思ったことから来てるらしい。
インドはインドでも大違いである。
ここ、アメリカ人にはブラックジョークなんだろうか?

結局オガタ監督のアニメに出てきた「古の神々を復活させ人類を滅亡させる」という陰謀を企てる宗教集団のリーダーが空手の先生とその妻のレイコで、神々を復活させる儀式にショーン、ヴィクラム、ミキが立ち向かい、世界を救うというわけ。

正直最近観た「ノットジラ」と同じく、日本人には何が面白いのかさっぱり解らないコメディで、まあ河崎実の映画みたいだった、という感じだろうか?
ちなみに冒頭の会議のシーンで出席者に金子修介監督がいた。あともう一人は金子二郎氏だったかなあ?






乙男(おとめ)たちの素顔


日時 2024年6月16日13:25〜
場所 光音座1
監督 吉行由美
製作 大蔵映画


ヒロキ(ユメノ)はシンジ(石川雄也・たぶん)と同棲して3ヶ月。3ヶ月のお祝いをしようと思って勇んで料理を作ったが大失敗。あわてて親友のトキオ(たぶんそういう名前だと思う。安東拓哉・たぶん)に連絡。トキオの親友(岡田智宏)も手伝ってくれた。
ヒロキは美容師でシンジはアパレルの店員。比較的自由に働いている。
ある日、トキオは親友から「俺、彼女いるんだ」と打ち明けられ驚愕。
公務員だが同僚とみんなで飲みに行ったとき、映画とか音楽の趣味があって話が盛り上がり、なんとなく周りも「つきあっている」と思うようになってしまったのだ。
シンジの元彼のタカユキ(川瀬陽太)が訪ねてきた。今は何もない二人だが、たまたまタカユキとシンジがカフェのテラスでお茶を飲んでいるところをシンジはヒロキは見てしまう。疑い出すヒロキ。
「今日は棚卸しで遅くなる」と出かけるときに言っていたシンジだが、ヒロキが店に行くと「もう帰った」と言われる。
嘘をつかれたヒロキは怒り爆発、家出してトキオの部屋に転がり込む。
トキオの親友の方も同僚の彼女に本当はゲイであることを打ち明ける。
そしてハッテン場で自分から輪姦される。
トキオもかつてつきあっていた男を思い出す。
ヒロキも公園のトイレで見知らぬ男とトイレでセックスする。
シンジはタカユキに「お前ちゃんと説明しないからこんなことになるんだよ」と言われる。シンジはヒロキに余計な心配をかけたくなかっただけなのだが、それが逆にいけなかった。
シンジとヒロキは話し合い、仲直り。
トキオとその親友、シンジとヒロキは楽しく町を歩くのだった。


話はこんな感じ。
脚本・今泉浩一、監督・吉行由美の初コンビのゲイ映画(らしい)。
名作「僕は恋に夢中」にもつながるような映画だ。

ゲイカップルの日常的喧嘩、そして女性との疑似交際、喧嘩してハッテンしてしまうなどのリアルな日常が描かれる。
しかしいかんせん光音座は音が悪く、せりふがよく聞き取れない。
岡田智宏のトキオ(という名前も実は違うのかもしれない)の親友も名前が聞き取れなかった。

でも彼の彼女に「ゲイ」と打ち明けて、心が解放されハッテン場でめちゃくちゃに犯されるところとか、ヒロキもシンジと喧嘩して夜の公園のトイレで見知らぬ男(演じてるのはたぶん今泉浩一)とセックスするあたりの「無茶なセックス」をしてしまう心境はよくわかる。

それに吉行由美は男同士のセックスをちゃんと描いてくれるんですよね。
これが小林悟や山崎邦紀あたりだとちゃんとやらない。
あと川瀬陽太がまだ20代ぐらいで若く、結構イケメンである。
林由美香がヒロキに「ホモとオカマとゲイの違いって何?」と質問し、「実はあんまり違いってよくわかってないけど」と解説するあたりは今泉浩一脚本らしい。

もう少し音のいい環境で見たかったな。





若武者


日時 2024年6月9日20:55〜
場所 アップリンク京都・スクリーン3
監督 二ノ宮隆太郎


渉(板東龍汰)、英治(高橋里恩)、光則(清水尚弥)の3人は幼なじみ。いつもつるんでいる。
英治はよく「おっさん、ここ禁煙だよ。あんたの副流煙でみんな肺ガンになるかも知れないんだよ。あんた殺人兵器だよ」と絡んでいた。
そのくせそのあとすぐに自分も河原でたばこをすう。
渉は寡黙だがなにか心に秘めているようだ。光則は介護士の仕事をしているが「偉いわねえ」と誉められると逆に「そうですか?」と偉くないと「反論」する。
3人は今日も街を歩く。


内容紹介になってない記述だが、ストーリーらしいストーリーがある訳ではない。
二ノ宮隆太郎監督の新作である。
二ノ宮監督は個性派俳優としても活躍。いまおかしんじ監督の「オレとアイツの集金旅行」でも変なやくざを演じたかと思えばテレビ東京の単発ドラマ「神様のカルテ」で福士蒼汰の同僚として信州大学医学部の医者も演じた。降り幅大きいなあ。

とにかく(特に英治が)町の人々にイチャモンを付け、グダグダと喧嘩になっていくシーンばかりの映画である。
最初は英治が歩きたばこのおっさんに注意する。
おっさんが「殺すぞ!」と脅かすと「うわ、こわ。でもみんな口だけだもんな」「顔覚えたからな」「殺すなら今殺せよ」と挑発する。
そのくせ自分も河原で一服する。

駐車場で英治はいきなり光則にキスをする。それを見た女の子二人が「うわ、キモ」と思わず言う。そうすると「今の時代、俺らがきもいってどういうこと?」と絡む。

正直面白かった。文句をつける内容が私はいちいち納得してしまうのだ。
二ノ宮監督の考えてることわかるなあ、って感じで。
そして私は英治が言わせれば「思うだけ」で実際には言わない。

また英治は居酒屋の店員なんだけど、そのときは滅茶苦茶愛想のいい店員なのだ。
で普段は町の人に絡みまくるという二面性。
二ノ宮監督の意図とは違うのかも知れないが、こういう二面性が人間の実際のような気がする。

カットも長く、特に英治は一人でしゃべりまくる。それだけで1時間半以上を持たせてしまうのは興味深い。
カメラアングルも人物も構図内の下の方にあるとか、きれいには並んでいない。

後半あんまり自分にも絡むので渉は英治をビール瓶で殴り倒す。
そして入院中の英治に代わって光則が「英治からの伝言で退院したら日本刀で刺してやるって言ってた」という。でも光則も「今時日本刀なんてどこで手に入れるんだよって感じだよな」っていう。

ラストで路地を歩く渉が振り返る。誰に話しているのかわからない独り言のようなことをいう。そして日本刀が振りあがったカットが挿入されるあたりで映画は終わる。
果たして英治が言葉通りに襲ってきたのか。

その辺ははっきりとは描かれない。
でも英治をはじめとする3人が世間に喧嘩を売っている様は面白かった。
いままで見た二ノ宮監督作品の中では一番楽しめた。





Chime(チャイム)


日時 2024年6月7日19:00〜
場所 京都大学・西部講堂
監督 黒沢清


フランス料理の料理人・松岡(吉岡睦雄)は今は料理学校の講師をしている。生徒の一人が胡椒のかけ過ぎ、焼きすぎなどをするので注意するが、聞いてくれない。翌日、再度注意したところ、「頭の中は機械が詰まっている。取り出して見せますよ」と言って自分の首を包丁で刺して死んだ。
松岡は本当は料理学校の講師ではなく、店のシェフとして働きたかった。ある店の開店に合わせオーナーから店を任せられそうである。
料理学校では別の生徒が鳥をさばくのを「気持ち悪い。どうしてもやらなきゃだめですか?」と言って拒否した。松岡はその生徒を刺し殺し、死体を車で運んで捨てた。
行方不明届けが出たので警察がやってきた。松岡は知らないと答える。


黒沢清の新作。
上映時間は45分。この作品、映画館での上映ではなく、配信によってのみ購入可能。購入した人は無料であれば上映会も開催していいらしい。
新しい形の作品の公開形式だ。かえってややこしい気もするのだが、どうなんだろう。いずれはこれが主流になるのか?それとも以前あったDVDに購入したパスワードを入れて視聴する形式のように廃れてしまうのか?

今回京都に来たときに同行する人たちから「吉岡睦雄主演の黒沢清の新作が無料で上映される」と聞いて来てみた。
場所は京都大学の西部講堂。
めちゃくちゃ古い建物で、ぼろぼろである。でもこのアナーキーさがある意味京大らしさと言えるのかもしれない。
演劇とかライブとかするようだけど、壊れたいすが平気で転がっているような場所だった。

映画自体は不条理なホラードラマで、なぜ生徒は自分の首を刺したり、松岡が生徒を殺したりすることの説明はない。
ただし吉岡睦雄の不気味さが本当に怖い。
料理学校の講師から店のシェフへの転身を計っているのだが、「私の頭の中は料理のことでいっぱいです。伝統的な味に私らしさを加えたプランでいっぱいなんです」と悦に語る姿は異常な不気味さがあった。(その後、オーナーから「あなたは料理の話をせずに自分の話ばかりしてる」と断られることになるのだが)

この映画、ベルリン映画祭でも上映された。
吉岡睦雄さんの活躍が本当にうれしい。





告白 コンフェッション


日時 2024年6月2日19:50〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン6
監督 山下敦弘


大学時代の山岳部のOBで親友の浅井(生田斗真)とジヨン(ヤン・イクチュン)。16年前の卒業登山で行方不明になった西田さゆりを追悼する登山を二人は毎年行っていた。今年も一緒に登ったが、猛吹雪にあった上にジヨンが足に怪我をして動きが取れない。もう自分は死ぬと思ったジヨンは「さゆりは自分が殺した」と告白する。16年前、山中でさゆりの首を絞めたというのだ。
しかし見つからなかった山小屋がすぐ目の前にあるとわかった。ジヨンを背負うために荷物はその場においていく二人。
薪ストーブに火を点け一息つく二人。沈黙の中、浅井が口を開く。「さっきの話は聞かなかったことにする。俺ら親友だろ?」
しかしジヨンの様子が変だ。やがてジヨンが浅井を襲い出す。


生田斗真主演作。監督が山下敦弘と知ったのは公開された時である。
本当に最近は監督名を大きく出さないな。
「遭難に見せかけた殺人」という内容が名作「黒い画集 ある遭難」を思わせたが、それは最初だけ。

途中から完全にホラー映画のテイストである。
浅井が「携帯あるか?」と聞かれて「持ってない」と答えたのに、浅井が台所から帰ってくるとジヨンはどこかに電話している。「ええ、一人だけです」とか答えている。
命の危険を感じ始める浅井。

それからは浅井が襲ってくる、2階に逃げる、2階から下の部屋に降りる、ジヨンが追いかける、の繰り返しである。
狭い山小屋で二人で追いかけっこである。
斧やナタを振るうジヨンはよくあるホラー映画のままだ。

いや、それはそういうのが好きな人にはいいんだろうけど、こちらとしては「ある遭難」のような心理サスペンス的なものを期待してしまったので、ややがっかり。

でも「これは実は浅井がさゆりを殺していた」というオチになるのかと思ったら、その通り。
浅井はさゆりとつきあっていたが妊娠を聞かされ、別れる気になったのだ。
同じくさゆりが好きだったジヨンは愛情のもつれで山の中でさゆりの首を絞める。
その様子を浅井は見ていたのだ。しかしさゆりは息を吹き返す。それを浅井は殺したのだ。

翌朝、目が覚める浅井。見ると部屋は元の状態だ。
「なんだよ夢オチかよ!」と思いながら見ていると、会話の流れから浅井も何か隠してることがジヨンにばれてしまう。

救助隊がやってくる(その一人が吉岡睦雄さん)。
そこで見たのはジヨンを何度も刺している浅井だった、というオチ。
つまらなくはなかったけど、期待した内容ではなかったな。





ありふれた教室


日時 2024年6月2日10:25〜
場所 新宿武蔵野館・スクリーン1
監督 イルケル・チャタク


新任教師のカーラは7年生の担任。彼らのクラスでは現金の盗難事件が起こっていて問題になっていた。授業中に校長と教頭が入ってきて抜き打ちで生徒の財布を調べる。また学級委員を呼び出し、「何か気になる生徒はいないか」などと執拗に質問する。そんなやり方にカーラは疑問を抱いていた。
しかし職員室でコーヒーを飲んだときに入れる貯金箱からお金を盗む人物を見かけ、職員の中を疑うようになるカーラ。
彼女は自分の財布を上着に入れたままにして席を離れる。机の上のPCは内蔵カメラで席の様子を録画していたのだが、そこにはカーラの上着をさわる人物が写っていた。顔は写っていなかったが、星がプリントされたブラウスを着ており、その日にそれを着ていたのはベテランの女性事務職員クーンだった。しかも悪いことに彼女の息子・オスカーはカーラのクラスだった。
カーラは事を穏便に済ませようと、クーンと二人で財布を盗んだ疑いを話す。しかし彼女は完全否定。カーラは仕方なく校長に相談。隠し撮りをしていたことも話す。
ところが隠し撮りしていたことが「人権侵害じゃないのか?」と言い出すものが現れる。クーンはその日から学校に来なくなる。
保護者の間にも噂は広がる。保護者会が開かれたが、その場にクーンが現れ、「この人は人を陥れる人だ!」と糾弾。
やがて息子のオスカーまでも疑われるようになる。教室内でも空気は悪くなり、カーラは協力することの大切さを生徒に説こうとするが、オスカーはカーラのPCを持ち出し、川に投げ捨てる。
さすがにオスカーの行動は問題視され、停学となった。
しかし学校新聞でカーラは逆に糾弾されてしまう。
そんな時、オスカーが登校してきた。「あなたは謹慎中なので登校してはいけない」というものの、誰が説得しても帰ろうとしない。
そしてついに。


今話題の映画。洋画で話題の映画はあと「関心領域」がある。
そもそもお金を盗んだのがクーンであったかははっきりしない。しかし顔は写っていないとはいえ服の一部が写っていたんだし犯人なんだろう。
一般だったら警察の出番となってしまうが、そこはそれ「学校」という場所の特殊性が関わってくる。

とにかく「3年B組金八先生」でも描かれたが、学校というのは警察の介入を拒む。それはまだ成長途中の生徒を守るということで行われる。
そして事を穏便に済ませようとしてかえって事態は悪化していく。

こういうのって日本の学校だけの問題かと思ったら、ドイツの学校でも同じなんですね。しかも移民問題とか人種への偏見とか日本より事情は複雑かも知れない。

主人公はクーンが認めてくれたらそのまま不問に伏すつもりだったのだろう。ところが認めなかったから事はややこしくなる。
「責任をとって私が退職する」というのだが(実際私でもそう言うね)、「教員不足だから辞められても困る」という理由で引き留められる。
このあたりのどんどん事態が悪くなるあたりのハラハラ感は半端ではなかった。

ラスト、なにも話さないオスカーが以前カーラが渡したルービックキューブを目の前で6面そろえる。
このシーンでオスカーがカーラに少しは心を開いていることが感じられ、希望があってよかった。
しかしラストシーンでは警察にオスカーは連れ去られていく。
問題はなにも解決していない。

面白かった。





辰巳


日時 2024年6月1日19:10〜
場所 ユーロスペース・スクリーン1
監督 小路紘史


あるヤクザの組では内紛が起こっていた。組のシャブを横流しして金を持ち逃げした奴がいるとして血の気の多い奴らの一人竜二(蔵本朋幸)が、疑われた奴を殺す。
死体処理を任されたのは辰巳(遠藤雄弥)。死体処理は手慣れていて証拠を残さない。死体が同じ組の人間だからいやだったが仕方ない。
シャブの横流しの件はまだ片がついておらず、また一人殺された。その男の妻だった京子も一緒に。京子はかつて辰巳の恋人だった。京子の死に際に妹の葵(森田想)を頼まれた。京子たちの殺害現場を葵に見られたので生きていては困るのだ。
辰巳は「娘を渡せ」と仲間からいわれ続けるが、彼には京子に頼まれたという約束があるため、それは出来ない。


Twitter上とか、あと平井亜門ファンの知り合いがやたらと誉めていて気になっていた作品。(その知り合いはたぶん10回以上観てるだろう)
予告とか観てもイマイチ観る気になれなかったが、自主映画だから今後配信とかもないかも知れないし、今日は他の映画を観るつもりだったが、ファーストデーなのでそちらは混んでいるので、時間も合ったので観てみた。

正直全くダメ。生理的にダメ。
主人公を始め登場人物が怖すぎるのだ。
東映のヤクザ映画はなんとも思わないのだが、これは完全にだめ。
なぜだろう、東映の実録路線の役者たちはやはり「役者」に見えるのだが、この映画の人物は本物すぎるのだ。

顔を知ってる俳優が一人もいないので、本物に見えてくる。
しかも短髪、ヒゲでなんか似たような感じで区別もつかなくなるので混乱した。
また守られる女の子がかわいい女子高生なら今までの映画でもあったが、この映画の葵は口は悪いし、手は出すし、暴力的だし、まったく好きになれない。

だからもう映画から完全に心が離れてしまっているので、最後の方などぼーっとしてみていた。
ラストで辰巳は死ぬのだが、一瞬寝落ちしたかも知れない。
その後、葵が(実は横流し真犯人らしい)兄貴の元にいく。
で、葵が殺したんだっけ?って感じでラストも一瞬見逃した気もする。

自主映画だし、がんばって撮ってることは認めるけど、生理的にダメだったので(それはたとえば「蛇が苦手」「は虫類が苦手」といったようなものと思ってもらいたい)、完全に映画に乗れなかった。

しかし何にしても観ておくことは大切である。
映画は観なければわからない。




卍リバース


日時 2024年6月1日16:00〜
場所 シネマート新宿・スクリーン2
監督 宝来忠昭


ある男が入院していた。男は医者とのカウンセリングで鏡を見て話し出す。「いや鏡の向こうの人に話そうかなと思って」。
サラリーマンだった園田(鈴木志遠)は絵への気持ちが忘れられずに弁護士の妻・弥生に頼み込んで会社を辞め画学校に通いはじめる。そこで光(門間航)という青年に心を引かれる。ある日話すきっかけをつかむ。「家に言っていい?」そう言われ、光を家に招く園田。光をモデルに絵を描き始めたが、二人はやがて唇を重ねてしまう。
最初は単なる友達だと思っていた弥生だが、二人の関係を疑い出す。ある晩、光から園田に電話がある。「服を盗まれたんだ。君の服と、そして女性の服を持ってきてほしい」。そう言われて園田が着いたのはラブホテルだった。そこで迎えたのは画学校の同級生の香織だった。
彼女の話では香織と光は婚約しているという。「だから別れてほしい」
一旦は会わなくなった園田と光だが、光が会いたいと言い、二人はまた会うようになる。だが香織からも連絡があった。
香織は園田と二人で光を共有しようという。その契約書にサインさせられた園田。しかしその契約書は弥生の元に届けられた。
追いつめられた園田と光は一緒にガス自殺を試みるが。


谷崎潤一郎の「卍」を男女別にしての映画化。「『卍』ってよく聞くけどみてないなあ」と思っていたが、昨年レジェンドで映画化され、見ている。しかも感想を聞くと面白かったと書いてある。完全に記憶から抜けている。
今回の感想は「めちゃくちゃ面白かった!」である。

観たきっかけは主演が鈴木志遠。去年、いかおかしんじ脚本の「ヘタな二人の恋の話」で主演して印象がよかったのだ。ぽわんとした犬顔で好感が持てる。私は彼がアップになればそれだけでもうれしくなった。

主人公が精神科に入院しているようである。
「鏡の向こうに人が・・・」という時点で正気を失っているように感じる。これが実は伏線なんだけど。

4人の男女の話だが、この関係がジェットコースターのように転じていく。ガス自殺を計るあたりでまだ半分くらい。
「賭をしよう」とガス自殺を弥生に予告して助けが間に合うか試すのだ。
結局2人とも助かるが、病院で弥生は光にまたがる。
そして園田、弥生、光の3人の同居生活が始まる。大きなベッドに3人並んで寝て、時には弥生と光がセックスしている横で、園田は一人寂しそうに寝る。
そしてやがて光は弥生に対し、異常な束縛をはじめる。
この光の異常性がむき出しになっていく。

このゆがんだ関係がたまらなく面白い。
そして香織も反撃に出る。ガス自殺の件が週刊誌に出るのだ。リークしたのは香織だ。3人は(金はあるらしく)旅に出る。
そして3人で過ごしはじめる。
最後にはついに香織が部屋に押し掛ける。

それを光が殺した!と思ったら、病院の男が「あれ、ちょっと間違えました」と弥生が殺そうとして、結局自分が殺したと話す。
鏡の奥では刑事たちが聞いている。
そう、鏡の中の人物は実在したのだ。

いまおかしんじの「白日夢」を思わせる現実と夢の男女の愛憎劇。
とにかく鈴木志遠がいい。
彼のぽわんとした顔はたまらない。相手役はやや光音座で上映される映画に出てきそうな感じでイマイチだが、後半の彼の異常性が際だっていた。

たぶん世間的な評価は大したことはないだろうけど私は好きな映画である。
見逃さなくてよかった。