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新撰組日時 2024年9月29日 場所 監督 市川崑 製作 平成12年(2000年) 新撰組の結成から大政奉還、そして近藤局長、沖田総司の死までを描く。 黒鉄ヒロシの原作マンガから絵を切り出し、発泡スチロールの板に貼り付けてそれを針金につけ、下から動かすという作り方。 それって大島渚が「忍者武芸帖」でやったことだろう。 フジテレビ制作になっているけど、事実上の市川崑の自主映画。実験映画である。「ビルマの竪琴」などのヒットでお世話になった市川崑に出資してくれたようだ。 近藤勇は中村敦夫、土方歳蔵は中井貴一が声を当てている。 正直言うけど、まったく面白くない。紙芝居を見ているようなものである。 こういう役者を撮影しない、絵も動かない、という映画では、結局説明せりふを延々と聞かされているようだ。 紙芝居の方がまだ面白い。なぜだろう。紙芝居は生の迫力とか、観客の想像力を刺激するからだろうか? 内容としては新撰組の成り立ちから、初代局長がとんでもない奴だったとか、新撰組のメンバーでも外の女性との恋模様とかいろいろあったのだ、とわかった。 結局歴史番組の解説を聞かされているだけに近いのだ。 こういうのは説明のための回想シーンとか、映画の一部で使えば効果もあるのだろうが、全編これではつまらないんだよなあ。 これで映画が成り立つなら、すべての映画はこれでよくなってしまう。 実験映画である。もちろん実験は失敗する事もある。 だから「実験」なのだ。 のんきな姉さん デジタルリマスター版日時 2024年9月28日21:00〜 場所 シアターイメージフォーラム・スクリーン2(1階) 監督 七里圭 製作 平成15年(2003年) ストーリー省略。 この10月に新作「ピアニストを待ちながら」が公開される七里圭監督。新作の公開を記念して初期の長編作「のんきな姉さん」のデジタルリマスター版を公開20周年を記念して上映。 2003年のTAMA映画祭でプレミア公開されたときに観て、テアトル新宿での公開時には数回見に行った。ティーチインも最後の方では開かれた。 DVDは買ってるけど、家では観ていないに等しく、今回20年振りに観たといってもいい。 テアトル新宿での公開では初日は立ち見だったと記憶している。 正直言うけど、画が汚いというかピントが甘いなあ。 もとはスーパー16mmで撮影され、35mmにブローアップしてプリントを作り公開されたはずである。 そのプリントをデジタル化したわけだが、DVD画質でスクリーンで観るとピントが甘い甘い。 デジタルなくっきりした映像を期待して観に行ったのにがっかりである。 かなりのシーンを忘れていて、佐藤允や三浦友和が出てきたことは覚えていた。当時は気にならなかったが、今から思えばこんな自主映画に三浦友和や佐藤允が出てくれるとは驚きである。 主演の塩田貞治君が全裸シーンがあったことをすっかり忘れていた。 絵のモデルになってるシーンでは全裸であった。まあ胎児のポーズだから、胸とかお尻とかは見えないんだけどね。 この塩田貞治君のファン活動(今で言うなら「推し活」)をしていたので「まぶしい一日」の上映会を行い、それがグリソムギャングでの上映会になり、手塚昌明監督やいまおかしんじ監督との交流につながり、それが「れいこいるか」の製作につながっていくのである。 そう考えると私の人生にとって映画の出来とは関係なく、重要な位置を占める。 本日は原作者の山本直樹さんがゲスト。本作は企画から公開まですったもんだあったそうで、プロデューサーが三度変わったという。 最初は企画が始まったときのプロデューサー。そしていったん中断し、製作会社も変わって別のプロデューサー、その会社が制作中に倒産し、なんとか完成まではたどり着いたが、現像所にお金を払わないとプリントが出来ない、ということで別の会社が引き受けて3人目のプロデューサー。 ヒットするような企画ではなく、完全に自主映画だからそれもありがちか。 今回は今は脚本家となった主演の梶原阿貴さんと塩田貞治さんはイベントの司会で参加。ロビーで入場者にもプレゼントを渡していたので、立ち話が出来た。 それにしても公開から20年とは感慨深い。20年経っても梶原さんは今は脚本家としても活躍し、七里監督もなんとか新作を作っている。 塩田君もなんとか元気そうだ。 そういう人生の岐路になった人と再会できて、とにかくうれしい。 Cloud クラウド日時 2024年9月28日17:15〜 場所 TOHOシネマズ渋谷・スクリーン6 監督 黒沢 清 吉井良介(菅田正暉)は転売ヤーとして過ごしていた。倒産した会社の製品を3000円で30個買い取り、それを1個20万円でネットで売っていた。それまでは工場で働きながら副業で転売をしていたが、まとまった金が出来たので会社を辞め、恋人の秋子(古川琴音)と湖畔の広い家に引っ越す。そこで佐野(奥平大兼)という青年をバイトで雇う。 佐野は吉井から仕事を教えてもらいたがったが、吉井は荷物運びなどしかやらせなかった。 ある晩、吉井の家に石が投げ込まれた。警察に行ってもほとんど無視され、逆に「偽ブランド品とか扱ってない?」と犯罪者扱いされる始末。 荷物をいったん東京に持って行ったとき、配送業者の前で転売の先輩村岡(窪田正孝)に出会う。この前まで大仕事をするとか言っていたが、今はまた転売に戻っているらしい。 秋子が突然出て行った。また佐野が吉井の仕事に首を突っ込み始めたため、首にした。 そのころ、吉井の転売にムカついている人々がネットで集まっていた。 転売がうまくいかない三宅(岡山天音)、吉井がつとめていた工場の上司、商品を買いたたいた会社の社長、うまくいかない男が二人(吉岡睦雄、三河悠河)らは、吉井を拉致し、廃工場に監禁する。 不穏なものを感じていた佐野はかつての仲間から銃を借り受け、吉井を助けに向かう。 黒沢清の新作。菅田将暉を久々に観たくなって鑑賞。 滅茶苦茶面白いという訳ではないが、なかなかの秀作。 後半の銃撃戦など派手すぎない展開は好きである。音楽もない。 ただし難点はある。いくつか箇条書きで書く。 1、主人公の仕事が転売ヤー。決してよいとはいえない仕事だし、なんか好きになれないな。もちろんヤクザをはじめ裏稼業の人間が主人公って特に珍しくもないのだが。 2、主人公を襲う集団が後半になって急に出てくる。 岡山天音などいきなり出てきて、「この人誰?」ってなる。岡山天音がネットカフェのトイレでぼこぼこにされるシーンでは最初、「窪田正孝(先輩)?」って思った。新しい登場人物と気づくのに少し時間がかかった。 この吉井を襲う面々のドラマをもう少し早くから平行して描いていれば、後半彼らにも感情移入が出来て盛りがったのではないか? 3、奥平大兼の佐野がいきなり銃を手に入れて助けに来るのが唐突。 拳銃を渡す松重豊との会話で、殺し屋組織にかつてはいたことが分かるのだが、ではなぜ彼がその組織を抜けて今は吉井の助手に甘んじてるのか? その辺が描かれてないから、単に唐突である。 その辺が気になるんだけど、映像は暗め(曇天の暗さ)で色は落としてある。銃撃戦も派手すぎず、音楽も過剰ではない。 今回は予備知識なしで観たので話を追いかけるだけで精一杯だったが、2回目に観るときはもっと楽しめそうである。 観てよかった。 あの人が消えた日時 2024年9月27日19:20〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン1 監督 水野格 2020年、コロナ禍で居酒屋のバイトをクビになった丸子(高橋文哉)は宅配ドライバーの仕事についた。自分の配達担当区域のあるマンションの205号室に自分がファンのネット小説家の小宮千尋(北香耶)がいると知る。ある日、彼女の部屋のドアノブをがちゃがちゃと触っている男(染谷将太)を見かける。気になってみていると男は302号室に入っていった。となりの301号室の方は話好きのおばちゃん。先日、隣の男が血塗れになってベランダでたばこを吸っているのを見たという。 集荷のふりをして302号室を訪ねる丸子。男の名前は清水と聞き出せた。警察に行って交番の警官に行ってもらったが「清水は芸人で事故物件に住んでみたという企画で住んでいる」という話で事件性はないと言われた。 しかし小宮さんをここ数日見かけない。小宮さんの部屋に入ってみるとなんと清水と小宮さんがいた。二人は実は警視庁公安部の捜査官で、このマンションにテロリストが住んでいるという情報があり、その張り込みをしているのだという。 高橋文哉主演のミステリー。 期待していたのだが完全に期待はずれ。 ミステリー風に始まるが、途中でコメディになり、最後はファンタジーという無茶苦茶ぶり。「オールジャンルの映画」ではない。世界観に一貫性がないのだ。「スオミ」はまだ一貫性があるよ。 冒頭では「配達員は忙しい」という描写があったにも関わらず、丸子はひまなのかマンションの住民のことを調べ出す。しかも聞き込みの仕方が強引である。配達員があそこでしつこく聞いたら怪しまれて会社に苦情が行くよ。 「たぶん清水は犯人ではなくなんらかの張り込みをしてる可能性もあるな」と思ったらその通り。そして警視庁公安部とか言い出す。 さらに染谷の演じ方も007風にカッコつけており、音楽の007風の音楽が鳴る。もう計算違いでコメディに鳴ったのではなく、演出としてコメディにしている。 あほらしくなった。 さらに「実は丸子は清水に殺されてました!」というオチ。映画中のライトノベルのようなファンタジーに入る。 ここまで来ると一貫性のない無茶苦茶である。 コメディなら最初からコメディにすればいいのに、なんでこんな構成にするのだろおう。 とにかくがっかり。 高橋文哉のイケメンぶりは堪能できましたけど。 カルト的怪作として語られることもなく、Twitter上ではほとんど無視の状態らしい。 ぼくが生きてる、ふたつの世界日時 2024年9月23日12:35〜 場所 新宿ピカデリー・スクリーン3 監督 呉美保 五十嵐大は聾唖の両親の元に生まれた。母親が耳が聞こえないので、ふつうなら音で気がつく危険を気がつかなくて危ない思いもしたが、両親の愛情でなんとか育ってきた。 小学校に上がるようになると手話も覚え、母親と買い物に行くようになる。しかしある日、遊びに来た友達に「お前のかあちゃんなんか話し方変じゃない?」と言われ、ショックを受ける。手話が出来ることで友達から珍しがられたが、所詮はからかいの対象になってしまう。 中学生になった大(吉沢亮)は反抗期を迎え、高校進学でも悩んでいた。三者面談も母親が行きたがったので来てもらったが、母親が話せないのでもどかしい。 20歳になって生活を変えようと役者になろうと思ったが、動機もあやふやでは決まるはずもない。父親に「お前は東京へ出ろ」と言われ、東京でパチンコ店で働き始める。パチンコ店で聾唖の客と知り合い、それがきっっかけで聾唖者のサークルにも顔を出すようになる。 出版社で働き始める。パチンコに多少はなじみがあったのでパチンコ雑誌で働き始めたが、なかなかブラックな世界。 父親が倒れたと聞き、久々に帰る。 東京に出ると決めたとき、母親とスーツを買いに行った日を思い出す。 公開されるまでその存在を知らなかった映画。吉沢亮主演、港岳彦脚本となれば、内容はどうあれ見に行く。 なかなか吉沢亮は出てこない。幼児、小学生の頃が割と長い。 ここで残酷だなあ、と思うのは母親のことを「なんか変じゃない?」と言われるところ。手話が出来ても結局はなんだかからかいの対象にしかなってないこと。授業参観のことを教えなかったこと。「教授業参観だったんでしょ?」という母親の心中はいかばかりか。 そして中学生になって反抗期を迎え「明日は弁当作らなくていい」という。なにがあったか描かれないが、母親のことでなんかあったんだろう。あの年頃ではまだまだ視野が狭いのだ。よくわかる。 役者を何となく目指す、出版社をなんとなく目指す、そして三流のパチンコ雑誌の会社に入る。いろいろ腹の立つことも多い。 結局は誰にでもあるような母と子の話である。 だからこそ共感できる。母親が聾唖だったからではなく、世の中の母親はみんなああなのだ。そして息子というものはみんなああなのだ。 なんかそんな普遍的な物語を感じた。 父親が倒れて宮城県に帰ったときに見送ってくれた母親を見て、スーツを買いに行って帰りにパスタを食べた日のことを思い出す。 何気ない一日である。 でもなんかいいなあ。 私も似たようなことがあった気がする。 母に会いたくなった。 出演では吉沢亮が圧倒的な演技力を発揮。 俳優としての本領を発揮した感がある。彼の代表作に違いない。手話と表情ですべてを表し、15歳から30歳までを演じきる。 ただの顔がきれいなだけの役者ではないぞ、吉沢亮は。 そのことを再認識した。 とりつくしま日時 2024年9月22日17:15〜 場所 新宿武蔵野館・スクリーン3 監督 東かほり 佐伯こはるは交通事故で突然亡くなった。死んだ後、とりつくしま係の女性(小泉今日子)に「なにか物になって現世に戻ることが出来ますよ」と言われ、夫・渉との思い出のトリケラトプスという恐竜が描かれたマグカップになる。夫は部屋を散らかして住んでいたが、見知らぬ女性が泊まりにきたりしている。女性は新しいコーヒーカップを買ってきたが、渉はいらないと返してしまう。 また同じように少年は公園の「あおいやつ」のジャングルジムになる。そこでは友達の女の子や漫才師が練習をしていた。また自分に妹が出来たことも知る。彼女には会えなかったけど。 さゆりは孫に買ってあげたカメラのレンズになった。しかし孫はお金に困ってそのカメラを中古カメラ店に売っていた。そのカメラを買ったのは見知らぬ老人・秋彦だった。 環は野球選手の息子のことが気になっていた。そこでピッチャーが投球の時に手に着ける白い粉、ロージンになる。 息子は試合でがんばっている。 「ほとぼりメルトサウンズ」の東かほり監督作品。9月16日の夕方の回で上映後のトークイベントに「ほとぼり」の流れで平井亜門さんが参加したのだが横浜の特撮同好会参加のため欠席。 参加者のツイートでは平井さんがトークイベントの時泣いていた、という話なので、観た次第。 予備知識もなにもなく観た。 死んだ人間が現世に戻る話。「トリケラトプス」「あおいやつ」「レンズ」「ロージン」の4本のオムニバス。 好きなのは「トリケラトプス」と「ロージン」ですね。 「トリケラトプス」では夫に女が出来て、強引に泊まりにくる。酔っているのだが「その女、酔ってないよ〜」と忠告するが当然聞こえない。 女はペヤングを勝手に食べるが、翌朝「勝手に食べてごめんなさい」と謝るので、それほど悪い女ではなさそうだ。 「ロージン」は粉が半分以下になったら現世から去る、というルールが出来ている。野球の試合は一進一退となり、最後に息子がバッターボックスに立ったところで、ロージンの粉は空中に舞い、去っていく。 「あれ〜試合を最後まで見たい〜」とか環はつぶやくのだが「まあいっか」とあきらめる。 ここが重要なポイントだ。人生、死ぬときには何かが途中で結末まで確認出来ない。どこかであきらめなければならない。たとえ物になって戻っても。 心がほっこりする短編群だった。 平井さんがお勧めなのも納得である。 シュリ 4Kリマスター版日時 2024年9月22日14:10〜 場所 シネマート新宿・スクリーン1 監督 カン・ジェギュ 製作 1999年(平成11年) 北朝鮮の凄腕の女性工作員が姿を消して2年、韓国の秘密情報機関の要員ユ・ジュンウォン(ハン・ソッキュ)とイ・ジャンギル(ソン・ガンホ)は未だに彼女を発見できないでいた。 ジュンウォンはアクアショップに勤めるイ・ミンヒョンという恋人がいて結婚の約束をしていた。 ある日、武器商人から情報提供の連絡があり、現場に駆けつけたジュンウォンとジャンギルだったが、武器商人はライフルで殺された。また兵器開発員に接触しようとしたが、こちらも直前で殺された。武器商人やその研究員に関係するものを探っていくうちにCTXという無味無臭の液体爆弾が浮かび上がる。そのCTXは今日、輸送が行われるという。 すぐにその輸送に駆けつけるジュンウォンとジャンギルだが、北朝鮮の工作員パク・ムヨンのチームに奪われてしまう。 毎回敵に先手を打たれることから情報が漏れていると疑う2人。どちらかが情報を流しているのではないかと疑心暗鬼になる。ジョンウォンは被害がミンヒョンに及ぶのを恐れ、彼女をホテルにかくまう。 だがミンヒョンの部屋を見ているうちに彼女自身が例の北朝鮮工作員ではないかと疑い出す。ジャンギルも盗聴器がミンヒョンが差し入れた水槽の魚に仕掛けられていたと知る。ジョンウォンはミンヒョンの身元を探るうちに実際のミンヒョンは済州島で病気療養していると知る。 パクたちの目的は南北朝鮮のサッカーの親善試合の爆破だった。 2000年の公開時にこの映画は観ている。ちょうどその頃映画興行の世界も今のシネコン全盛にいたる過渡期で、9時頃終了が常識だったのにレイトショーという9時からの上映をスタートさせ、レイトショー割引を行い、それが前売り券より安い金額で、これからはレイトショーで観ようと思った覚えがある。 観た映画館は新宿ミラノ座。初めて見る韓国映画だったかも知れない。 ただただ圧倒された。スパイアクションとしてもハリウッドの映画に負けていないし何より南北分断という政治的ネタをエンタメにしてしまうその度量、発想に圧倒されたのだ。 それは私だけではなく、多くの日本人も感じたようでこの後の韓流ブームへの始まりにつながっていく。この映画の成功がなかった2000年以降の日本のエンタメ界も変わっていたろう。 あまり意識していなかったが、この映画、権利関係の問題で初公開以来上映がされていなかったそうだ。それが今回24年ぶりの再公開である。 初見時には映画サイトも運営していなかったので、感想文はない。 細かいストーリーはほとんど忘れていたが、北朝鮮の女工作員と韓国の情報員の恋愛とか結構ベタである。 そして今回の犯人たちは北朝鮮の命令ではなく、南北融和を図る北朝鮮の主席に対しても反乱し、自分たちの首脳と韓国大統領の同時暗殺を図るというサスペンス。 爆破を阻止するために照明を消させる制御室での対決、各所での銃撃戦などアクション映画としても見所満載。これぞアクション映画である。 北朝鮮のスパイとの恋愛などベタすぎるのだが、それを臆面もなくするのが韓国映画である。 まさに映画史を変えた1本である。 ソウルの春日時 2024年9月22日9:50〜 場所 新宿バルト9・スクリーン4 監督 キム・ソンス 1979年10月26日、大統領が側近のKCIA部長に食事の席で暗殺された。政情不安になっている韓国で暗殺事件の捜査本部長のチョン・ドゥグァンは参謀総長と対立していた。チョンは軍部の中にハナ会というグループを作り、この組織をバックに政権を奪取するつもりだった。 参謀総長は独裁政権だった前大統領や民主化を阻もうとするハナ会、チョンを疎んじていた。 チョンに対抗するために参謀総長は政治的野心が皆無のイ・テシンを首都警備司令官に任命する。チョンにとっても参謀総長は邪魔な存在。参謀総長を前大統領の暗殺に関わったとして逮捕するように画策する。 そして12月12日、その日はやってきた。 まずイ・テシンや参謀総長側の軍人をチョンは酒宴に招待した。そして大統領に参謀総長の逮捕に関して許可を得ようとする。しかし大統領は「無関係と結論が出たのではなかったのか。国防長官の同意が必要だ」と却下。 参謀総長はチョンの部下の訪問を不審に思う。質問があるので来てほしい言ってきたが抵抗する。押し問答をするうちに発砲が起こった。 またイ・テシンもチャンがやってこないことを疑問に思い、その場を去る。 参謀総長の拉致を知ったイ・テシンは直ちに反乱軍の制圧を試みる。 だがハナ会のメンバーが司令官の空挺師団などがソウルに向かう。イ・テシンも非ハナ会の司令官の旅団をソウルに向かわせる。 政権奪取をもくろむチャンとイ・テシンの夜を徹した攻防が始まる。 韓国の軍事クーデターを描いた映画、という程度の予備知識で見に行ったのだが、これが面白い、面白い! 韓国の近代史はほとんど無知と言ってもいい私だが、朴大統領の死後、こういう経緯で全斗煥が大統領になったとは全く知らなかった。 軍事政権だった朴政権が終了し、民主化が起こると思ったがやはりまた軍事政権になった。この全政権が出来るまでの民主化の期待があった時期を「ソウルの春」と呼ぶという。 チャンとイ・テシン側は一進一退を繰り返す。まさに5分に1回形勢が変わる。 軍隊の反乱だから前進と撤退の命令が交互に飛び、現場は大混乱。 ソウルに攻めるチャン側が橋を渡ろうとして橋が封鎖され、イ・テシン側によって撤退させる。安心できたかと思ったら敵も負けてはいない、各方面に要請をして再度ソウルを目指す。 いよいよとなったら政府側幹部は司令部を放棄する。 特に軍の最高責任者である国防大臣は逃げまくり、参謀総長拉致の一報を受けて在韓米軍に逃げ込む始末。しかし米軍に「それは韓国内部のことですから」と全く協力が得られない。 最終的にはチャン側の勝利。 参謀総長の逮捕命令書にサインさせられる大統領。 サインを終わった後、書類を引き戻し、日付と時刻を書き、「事後承諾だ」と言い放つ。 せめてもの抵抗である。 そしてチョンが大統領になる。 この頃、「レーガン、中曽根、チョン・ドファン」と言われ、この3国が好戦的首脳が政権を取ることになり、いよいよ第三次対戦を心配する声もあった。 映画としては「日本のいちばん長い日」に匹敵する軍事サスペンスの名作だ。 ソフト化されたら購入して何回も観たい気分である。 夏目アラタの結婚日時 2024年9月21日18:50〜 場所 TOHOシネマズ日本橋・スクリーン2 監督 堤 幸彦 あるアパートで3人のバラバラ遺体が発見された。アパートの住人、品川真珠(黒島結菜)が逮捕され、一審では死刑判決。死体の一部が見つかっていない。 児童相談所につとめる夏目アラタ(柳楽優弥)は担当の少年から相談を受ける。その少年は品川真珠の被害者の息子で被害者の頭部が見つかっていない。 頭部の在処を聞き出したいと夏目アラタの名前をつかって品川真珠と文通をしていて「今度会いたい」と言われたという。仕方なく夏目アラタはその頭部の発見のために品川真珠に会うことに。 「思ってた人と違う」そう真珠に言われて真珠は面会室から出て行こうとする。ここで拒否されたら二度と会えなくなると夏目アラタは思わず「結婚しよう!」と言ってしまう。 数日後、弁護士宮前(中川大志)がやってきた。「本気なのか」と。 事件の真相を聞き出すために夏目は拘置所に通い出す。 なんと言っても柳楽優弥である。 「誰も知らない」の時からのファンで彼の出演作は大体観ている。 今回はとにかく柳楽優弥でしか出来ないような圧倒的な存在感だった。カンヌ映画祭最年少男優賞は伊達ではなく、その迫力に圧倒される。 最初の面会で「『こんにちわ』と書いてはだめでしょう」と言われなんとかごまかす夏目だが、少年に確認すると「僕は『拝啓』と書き出しました」と言われる。 品川真珠は小学生の頃の知能検査でIQは低いと思われたが、それほどでもないのではないか?でも別人と入れ替わった形跡はない。 そして自分を捨てた父親と偶然に出会い、ストーカーされ父親が被害者たちを殺し、自分は死体遺棄を手伝っただけと言い出す。 果たしてどこまで本当なのか、くるくると状況が変わる。 例のIQの謎も結局彼女は品川真珠の妹で真珠は赤ん坊の時に亡くなって母親はそれを隠そうとして生まれた妹を真珠として育てたということ。 殺された3人の被害者とどうやって真珠と知り合ったのか、3人の被害者が殺されていった期間はどのくらい開きがあったのか、被害者たちはなぜ「死にたい」と言っていたのか、など細かい点は気になる。 でもとにかく柳楽優弥と黒島結菜の二人の演技の迫力に圧倒される。 特に柳楽優弥は私の中では主演男優賞である。 面白かった。 (今日、日本橋で2本みたのは渋谷で「ハチ公物語」を観た後、「スオミ」と「夏目」を連続して観たかったのだが、その2本が時間の無駄なく観れる劇場がTOHO日本橋だったから) スオミの話をしよう日時 2024年9月21日15:20〜 場所 TOHOシネマズ日本橋・スクリーン8 監督 三谷幸喜 大富豪・寒川の妻、スオミが行方不明になったと連絡を受け、草野(西島秀俊)と小磯(瀬戸康史)は駆けつける。しかし寒川の身の回りの世話をしている乙骨(戸塚純貴)の話では「大したことはないから警察沙汰にしたくないと寒川は言っている」という。 実際寒川は警察沙汰にはしたくないと言って聞かない。 実は草野はスオミの前の夫だったのだ。 そして次々にスオミの夫が現れる。 現在は寒川家の使用人の元中学教師の魚山(遠藤憲一)、草野の上司の宇賀(小林隆)そて怪しげなユーチューバーで事業家の十勝(松坂桃李)。 そして犯人から身代金3億円が要求された。 はたしてスオミは無事なのか? 数ヶ月前から予告編をやっていて最近ではフジテレビのバラエティでは出演者が番宣で出演しまくっているというフジテレビとして力を入れている大作。 三谷幸喜は基本的には嫌いではないので(「12人の優しい日本人」「古畑任三郎」という名作があるから)観た。 先週公開されてTwitterで評判はあまりよろしくない感じ。 確かに納得である。 面白くないのである。 笑いところはあるような気がするが、私を含め観客は全く笑わない。 1回ぐらいは観客の笑い声はあったが、ほとんどがシーンとしている。 その原因は(私に言わせれば)登場人物のほとんどが好きになれないのだ。 唯一好きになれるのは瀬戸康史の刑事である。 しかし彼も最後の謎解き(?)の部分では外される。 ここは何とでもなったはずである。 そもそも結局はスオミの狂言誘拐で意外でも何でもない真相。 そんなの観客のほとんどがわかってたと思うよ。 基本的に寒川の家のセットが80%であとはセスナの中とか回想シーン。 演劇的な脚本なんですよ。 演じてるほうはがちゃがちゃと役者同士で楽しんでいる感じ。 これだけ芸達者な役者がそろっていれば、それなりに場は持つ。 でもそれだけ。 ラストのミュージカルシーンなど、完全に三谷の趣味の世界である。 期待が少なかった分、がっかりも少なかったが唯一楽しんだのは瀬戸康史かな。 もともと彼のファンだが、最近は映画ではご無沙汰だったので、彼の活躍が観られてよかった。 ハチ公物語日時 2024年9月21日13:00〜 場所 白根記念渋谷区博物館・文学館地下1階多目的室 監督 製作 昭和33年(1958年) 帝国大学農学部教授の上野英三郎は秋田の知り合いから一匹の秋田犬を譲り受けた。名前は秋田の八郎潟にちなんでハチ公と名付けられた。 上野博士は大学に行くときに渋谷駅までハチを連れて行き、ハチも上野博士が駅に着く頃の夕方になると家を出て駅に迎えに行くようになった。 しかし博士は病気で死亡。亡くなったことがわからないハチは、来る日も来る日も渋谷駅で上野博士を待ち続ける。そんな姿を町の人々は知り、愛されるようになった。 ハチも昭和10年3月についに死んだ。死ぬ1年前にはハチの銅像も建てられた。ハチの像は今も渋谷駅の駅前広場にある。 今年はハチ公像建設90周年だそうで、渋谷区の郷土博物館ではハチ公展が特別展示されている。Twitterで「昭和33年に作られた幻のハチ公映画上映」とあったので幻映画好きの私としては鑑賞。 区の施設なので、映画は無料である。 もとは16mmだったと思われるがデジタル化してのプロジェクターでの上映。 商業作品として劇場公開されたわけではないらしい。おそらく教育映画として学校などで巡回上映されたのではないか。 だからネットで検索しても出てくるのは神山征二郎の大ヒット映画の方である。 (監督名はクレジットされているが、忘れた) 正直映画としては面白くもなんともない。 前半、ハチがやってきてすぐに子犬の頃に近所の子供が散歩に連れて行くというので許すが、子供は友達から野球に誘われ、近くの切り株に結わえておいたが、ハチは逃げ出す。 見ていてイライラした。 子供、バカすぎる。こういう無責任な子供は嫌いである。 結局数日経ってハチは無事上野家に戻ってくるのだが。 そして上野博士が亡くなってハチは出入りの庭師の小林さん家に引き取られるが、毎日のように渋谷駅に行き、主人を待ち続ける。 これが博物館の展示の説明だともう少し事情は込み入っている。 上野博士には奥さんがいたが、籍は入れておらず、上野博士亡き後は他人だから渋谷の家には住めずに別の場所にハチを連れて住んでいたらしい。 でもハチは厄介者扱いされたという。 仕方なく出入りの庭師の小林さんにもらわれていったのだが、最初は渋谷駅の前にでかい野良犬がいると思われて、駅員や乗客から疎ましがられたらしい。 顔にいたずら描きをされたこともあったとか。 それが朝日新聞に「主人を待ち続ける忠犬」として記事になってから、美談になったそうだ。 話は盛り上がって、ハチが生きているうちに銅像が出来たそうだ。 戦争中は銅の供出で供出されかかったが、それをどこかの倉庫に隠した。ところが戦後の混乱期に廃棄されたという。 そしてハチ公の銅像は渋谷の商工会によって再建されたとか。 また(これは今回の展示にはでてなかったけど)駅にいると餌をもらえたりしたので、それ目的でいた可能性もあるという。 半分ぐらいは作られた美談かも知れない。 映画の方は先に書いたように50分の教育映画だから、出来の方は推して知るべしである。 この動画は再生できせんTHE MOVIE日時 2024年9日14日17:20〜 場所 シネマート新宿・スクリーン1 監督 谷口恒平 低予算で作られるホラーDVD「本当にあったガチ恐投稿映像」シリーズの編集をする江尻(加賀翔)の元にオカルト系のWEBサイト「クロス」の編集長の梅田(福井夏)から奇妙な短編映画を見てもらうように頼まれた。 江尻は数々の奇妙な映像を編集で見ているうちにその映像の謎を解明するようなこともしていた。 それは20年前に作られた自主映画で、後に人気俳優になった澤村透(和田雅成)が無名時代に出演した映画だった。和田は今から10年ほど前に自殺していた。 その短編映画「冬の空」は奇妙な編集が加えられていた。江尻は写っている影とか、たばこの煙とかから16:9の映像が4:3にトリミングされており、出演者の一人がおそらく未成年で、今のコンプライアンスでは引っかかると思われて編集されたために話がつながらなくなっているのだろうと推測する。 そしてある炎上系ユーチューバーがある廃ビルに入って奇妙な体験をするのを生中継で観る。 翌日、梅田から「今動画を送ったので、明日までに編集をしてほしい」と無茶ぶりをされる。 仕方なく未編集の芸人の町歩きの動画を見る江尻。そこは昨夜観たが写っていた。奇妙な短編映画、炎上したユーチューバー、町歩きの動画、それらを併せて観ると殺人事件が隠されていることに気づく! 完全にノーマークだったのだが、谷口恒平監督作品と聞いて見に行く気になった。「テレビシリーズの映画化らしい」「ホラーものらしい」という程度しか知らずに観たのだが、予想以上に面白かった!! 要するに安楽いす探偵ものだが、往年の「怪奇大作戦」や「ガリレオ」に匹敵する面白さだ。 江尻は最初の短編映画のクレジットのフォントが監督名だけ微妙に違うことからここは10年ほど前に書き換えられたと推測する。おそらくは映画撮影時は無名だった澤村がブレイクした10年前にDVD商品化されようとしたのだが、結局は発売されなかったのではないか? 再編集はそのときになされたのだろうと。 ユーチューバーの配信にも赤いひとだまらしきものも赤外線カメラの光でたぶんやらせのドッキリを企画したのではないかと推察する。 そして最後の未編集の動画と昨日のユーチューバーの映像はロケ場所が同じことに気づき、いまから殺人が行われようとしていると察知し、現場に走る!という王道の展開。 脚本が本当に良くできている。 そして探偵ものに付き物の助手としてオカルトライターだった鬼頭(賀屋荘也)が幽霊として登場。彼が笑いのシーンを担当し、場面を盛り上げる。 設定、脚本が最高だ。 テレビシリーズはアマゾンプライムで観られる。今度観よう。 今年のベストテン入り確定である。 ラストホール LASTHOLE日時 2024年9月7日20:30〜 場所 テアトル新宿 監督 秋葉美希 関西に住む父を残して東京でダンサーをする暖(秋葉美希)。父は2016年に亡くなった。それから6年後、2022年9月に幼なじみの荘介(田中爽一郎)が軽トラックでやってきた。その軽トラはもとは暖の父のものだったが、死ぬ間際にもらったという。 ダンサーの仕事に行き詰まっていた暖を連れ、荘介は故郷に軽トラで帰る。 途中出会ったバックパッカーを乗せたら、財布の金を盗まれた。 やがて故郷にたどり着く。 今日観た2本は2本とも頼まれて観た映画である。 8月15日に「さよならエリュマントス」のイベントがあって(それも平井亜門目当てだが)そこで「エリュマントス」に出演していた田中爽一郎さんがお客さんにチラシを配っていたため。 なんとなく「見に行きます」と言ってしまった手前見に来ました。 そんな義理堅くしなくても、とも思うのだが。 正直つまらん。 箇条書きで気に入らなかった点をあげる。 1、主人公がずっと仏頂面。 父親と暖は決して良好な関係ではなかったようだから仏頂面なのも解るけど観客としてはずっと仏頂面の女(男でもだけど)を観ていてこちらも不愉快になる。 2、故郷との距離感が解らない。 故郷がどこなのか解らない。たこやきの話題とか父親の話し方とか関西らしいとは解るけど、明確には示されていたい。 だから旅をしていてもどの位遠いのか解らない。 高速を使わずに走って3時間で着くのと3日かかるのではちょっと違ってくるだろう。 3、旅の始まりがわかりにくい。 父の亡くなった2016年に最後に暖が父と会ったエピソードがあって、2022年になるのだが、ここで暖が劇団(?)から追い出されてすぐに荘介と会っている。ここが私は暖が故郷に帰ったと思ったが、荘介の方が東京に来たのだ。ここがその前に荘介が東京にやってきたシーンがないと混乱する。 4、ラストのメモが読めない。 やたら食事のシーンがあるが、サンドイッチ食べていたり、スパゲティを食べていたりで特別なものは食べていない。だから気にしていなかったが、ここが作者としては重要らしい。 映画を見終わってチラシの紹介文を読むと食べることが重要だったらしい。 荘介が時々封筒からメモを出して書き込んでいたりしたので、私はてっきり旅のお金をチェックする、金銭の出納をメモしてるのだと思いこんでいた。 そしてラストで、このメモを暖が見てアップになるのだが、大画面で見るとボケボケでなにが書いてあるかさっぱり解らない。 きっと編集のモニターで見る分には読めたんだろね。 ラストに監督が出てきて「楽日までに満席にしたいです!」とか言ってたけど、がんばってください。 そうとしか言えないです。 孤独な楽園日時 2024年9月7日16:00〜 場所 ヒューマントラストシネマ渋谷・スクリーン1 監督 片嶋一貴 瀬戸内海を望む海辺の製糸工場で働くあやめはある日、外国人の同僚からラブレターの代筆を頼まれる。相手がどんな人かわからないが、文章を書くのが好きなあやめは引き受ける。 小説家の津島耀は東京が苦手になり、瀬戸内海の島に引っ越していた。 津島は現在スランプに陥っており、新作の連載が出版社から頼まれているものの、まったく進まない。来るメールと言えばエロサイトのメールである。 ある日、「私は愛を探してます」というメールが来た。その名文に引き込まれる津島。つい「詳しくはこちら」をクリックしたが、そこはエロサイトに誘導された。しかしそのメールの本文に触発され、彼は原稿を1本書き上げることが出来た。 あやめは知り合いの図書館員から一冊の雑誌をもらう。それは津島の新連載が掲載されていた。それを読んで自分の文章に似ていることに気づく。 例の外国人の同僚に頼まれもう一通手紙を書くとしばらくして発刊された津島の新連載にまた文章が似ていた。 あやめは津島が自分の文章を読んでいると確信し、外国人同僚に手紙はどうなったと詰め寄る。連れて行かれたのは外国人詐欺師のグループのアジトだった。「金をやる」と言われて断るあやめ。 そして津島に出版社宛に手紙を書いた。 今回のラブレターをきっかけに彼女は、父親が真面目すぎるクリスチャンだったこと、母親はあやめが小学生の頃に出て行ったこと、あやめが父親の同僚と肉体関係を持ったこと、それがきっかけで父親は自殺した過去を思い出していく。 「いぬむこいり」の片嶋一貴作品。まったく知らなかったが、友人から「エキストラ出演した映画が公開されるので観てください。初日舞台挨拶に私も行きます」というのでつきあいで観てきた。 当然予備知識なし。 自分の書いたラブレターがエロサイトの勧誘メールに悪用され、それを作家がインスパイアされて小説を書くという設定が面白い。 でもそれだけ。 端から興味がわかないので、どうしても映画に身が入らない。 あやめに「昔教会で一緒だった者です」と女性が訪ねてくる。てっきり統一教会みたいな悪徳宗教かと思ったら、一応キリスト教のようである。 それでも父親は宗教にはまりすぎて自分の娘が犯した罪を許せずに自殺してしまうのだから、それこそ罪な宗教である。 出演では父母のいなくなったあやめを育てた伯母役で有森也実が出演。 ぼくのお日さま日時 2024年9月6日18:30〜 場所 テアトル新宿 監督 奥山大史 北海道の町では少年たちは夏は野球、冬はアイスホッケーをしている。吃音のあるタクヤ(越山敬達)は野球でもフライをとれず、アイスホッケーではキーパーをやらされ、いつも防げていない。 そんな時、いつものスケートリンクでフィギュアスケートをならう少女、さくら(中西希亜良)を見かける。その姿に魅了され、一人でターンの練習を始めるタクヤ。そんなタクヤの様子をさくらのコーチの荒川(池松壮亮)は見つめていた。荒川はタクヤにもフィギュアを教えようと、まずは自分の古いスケート靴を貸し与える。 リンクの営業が終わった後、タクヤと荒川のマンツーマンの練習が始まる。 やがて荒川はタクヤとさくらをアイスダンスのペアを組ませることを思いつく。 二人の練習はうまくいき、試合に出る資格試験の日が近づいた。 荒川は実はこの町の出身で、親のガソリンスタンドを継ぐことにした恋人の五十嵐(若葉竜也)と住んでいた。二人が仲良さそうにスーパーで買い物をしている姿をさくらは見かけた。 資格試験の日、さくらは会場にやってこなかった。 「僕はイエス様が嫌い」の奥山大史の新作で池松荘亮の主演となれば初日に駆けつけた。正式な公開は来週13日からだが、6、7、8は1日1回先行上映が行われた。 映画を観ている間、自然光を美しくとらえたスケートリンクのシーンや、池松や少年少女の見事なスケーターぶりを堪能していた。 ところが資格試験の日にさくらが現れなかったという展開に驚いた。 それはないだろう、さくら。 さくらはなぜ来なかったのだろう。荒川がゲイと知って嫌悪感を感じたのだろうか? だとしたら、それは間違っている! 結局、さくらは荒川にコーチを頼むのをやめる。 それがきっかけとなって、荒川はこの町にいる意義が少なくなり、町を去ることになる。 翌年の春、中学生になったタクヤは道でさくらと出くわす。 出くわしたところで終わりである。彼らがどんな会話をしたかは描かれない。 なんだかもやもやした気持ちで映画館を出た。 そして公式HPを見たら私はこの映画を誤解していたのではないかと気づいた。 タクヤがフィギュアに関心を持ったのは、さくらに対しての恋心だったらしいのだ。 そして荒川がタクヤにスケートを教えたのはその恋心を応援したいと思ったかららしい。 はあ? 完全に読み違えてるなあ。というか勝手に読み違えたのかも知れないけど。 奥山作品は説明的なせりふがなく、目線のやりとりとか周りが話している噂話で示される。 そういえばさくらが母親の車のドアミラー越しに荒川を見つめるカットがあったなあ。あそこで密かに思う気持ちをしてしていたのか。 荒川がフィギュアのそこそこの選手だったことも周りの子供が「お母さんテレビで見たことがあるっていってたよ」という説明があるだけだ。 とは言っても世界のなんらか大会に出るくらいは行ったけど。オリンピックに出るには遠かったらしい。 最後の方で荒川は同じベッドで寝る恋人の五十嵐と会話をするのだが、「なんか純粋な恋心で応援したくなったんだよね」「じゃ俺たちが純粋じゃないってこと?」「そういう訳じゃないけど」という会話をする。 物語の構造的には荒川がそれほど恋愛に関して幸せとは言い切れないという必要があったからのゲイの設定なのか? 後半ではやや疑問を感じる展開だったが、アイススケートリンクを自然光のような逆光で撮影した場面は非常に美しかった。 また特にスケート未経験の池松壮亮がなかなかのスケーターぶりを発揮していてすばらしかった。 |