ミッシング・チャイルド・ビデオテープ | また逢う日まで | ||
君に薔薇薔薇(2回目) | 室井慎次 敗れざる者 | ボルテスVレガシー | 地底戦車サイクロトラム |
若き見知らぬ者たち | シビル・ウォー アメリカ最後の日 | 侍タイムスリッパー | 戦国野郎(2回目) |
悪魔と夜ふかし | 三大怪獣 地球最大の決戦(4Kリマスター版) | ピアニストを待ちながら | ナミビアの砂漠 |
ミッシング・チャイルド・ビデオテープ日時 2024年10月30日17:30〜 場所 丸の内ピカデリー2 監督 近藤亮太 群馬県の山中で行方不明になった小学生を探し出したのは兒玉敬太(杉田雷麟)だった。敬太はすぐにその場から立ち去った。 東京のアパートに帰った敬太は同居人の天野司(平井亜門)から荷物を受け取る。それは敬太の離婚した母親から送られてきたものだった。離婚した父は亡くなり、その遺品を整理しては敬太に送ってきていたのだった。 その中に1本のビデオテープがあった。敬太の弟は13年前に弟が小学生の時に神隠しにあったように失踪していた。そのとき敬太と二人でかくれんぼをしていたのだが、その様子を写したビデオだった。父親がビデオカメラを持っていたので、それを持ち出して敬太はよく撮っていたのだ。 そこには廃墟でかくれんぼする敬太と弟が写っていた。弟が廊下を曲がったところで見えなくなり、その後失踪したのだ。失踪直後に警察を探したが、敬太と弟が行った廃墟すら見つからなかった。 群馬新聞の久住美琴(森田想)は少年を見つけてその場から立ち去ったボランティアを探していて、敬太にたどり着く。敬太のアパートから出てきた司は久住に「たぶん敬太は取材を受けたくないと思いますよ」と答えた。 司は死んだ人が見えるという体質だった。久住は敬太のことを調べていくうちに行方不明の弟の話を聞きつける。 社でデスク(藤井隆)に相談すると敬太の弟が行方不明になった山、摩白山では今までに何回も失踪事件が起こっているという。 敬太は自分の母に会いに行く。久住は独自に摩白山のことを調べ始める。 平井亜門出演作。 来年1月25日公開予定で、今回東京国際映画祭の「アジアの風」部門で上映。 本日は杉田、平井、森田の主役3人と近藤監督の舞台挨拶付き。 平井さんはホラー映画初めての出演だ。 杉田は「青春ジャック 止められるか俺たちを2」の好演が記憶に新しい。 ホラー映画はでかい音を出したり、急に何かが飛び出してきて「驚かす」ことで怖さを演出することが多い。不気味な音を流したりして音で怖さを出しているのだ。 しかし本作はそういったことをしない。 あくまで話の不気味さで引っ張る。 敬太と司は摩白山に行く。そこで最初は廃墟は見つけられなかったが、無数の骨壺が捨てられているのを見つける。 警察に届けても「墓終いをしたのを破棄業者が違法投棄したのでしょう」と片付けられてしまう。 この骨壺のカットは異常に不気味である。 そしてその晩、近所の民宿に泊まるのだが、敬太はその旅館の息子から地元の人もあの山は怖がっているという話を聞く。 その息子の祖母が「大人たちは夜になると山へ出かけていた。あの山は不浄なものを捨てる山らしいと中学生ぐらいに察した。それで生理の時のナプキンを捨ててみた。そうしたら生理がそれからなくなった」という。 そして息子は「でもそれって変ですよね。じゃうちのばあちゃんは誰を生んだの?」と締めくくる。 敬太はもう一度摩白山へ行く。今度は久住も同行してだ。 数年前に失踪した大学生のグループが残していったカセットテープの音声を元に山へはいる。そこでもう一度あの廃墟にたどり着く。 そして司もそれを追う。 絶妙に不気味である。 解決されない(説明されない)不気味な話がたくさん出てくる。 司と敬太は実家を訪ねる。2階には司はあがらなかった。後に一人であがって見ると首を吊った敬太の母親がいる。 敬太には見えなかったのか?それとも実は敬太が殺したのか? 久住の元に時々かかってくる敬太の父親を名乗る人物は?霊界からの電話なのか? そもそもあの廃墟とは何なのか?異界なのか?それとも地球上に存在するどこかなのだろうか? 敬太は久住はなぜ戻ってこられて、なぜ他の人は帰って来れなくなるのか? そういう疑問点や残るのだが、それが不快ではなく、逆に不気味さとなって感じられる。 そもそも司と敬太はゲイカップルなのだろうか? 普通なら敬太の同居人は恋人の女性だろうし、新聞記者だって男でもおかしくない。 そういう点を踏まえつつ、自分なりの解釈をするためにもう一度見てみよう。 面白かった。 また逢う日まで日時 2024年10月30日10:30〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 今井 正 製作 昭和25年(1950年) 戦争末期。町では傷痍軍人が歩き、婦人会は防火訓練をしている。 学生の田島三郎(岡田英次)が出かけようとしたところ、電報を受け取る。そして近所の人が「お姉さんが訓練中に倒れた!」と連絡してくれた。三郎は明日軍隊に入隊する。今日会わなければもう会えないかもしれない人がいるのだ。姉は家で寝かせたが、医者は往診中とかで全く来ない。 その会いたい人というのは小野蛍子(久我美子)だった。彼女との出会いは空襲の防空壕の中だった。たまたま隣り合わせになり、空襲の地響きで揺れた際に手が触れた。空襲が終わってそのまま別れてしまったが、忘れられない。また踏切ですれ違う時があった。 三郎の家は父は裁判官で長兄の一郎は結婚したが戦死した。次兄の二郎は今は軍人で、たまに帰ってくると「お前はたるんでいる」としかられる。それで三郎は二郎を避けるようになっていた。 そして3回目の出会いは大学の同人誌活動のために立ち寄った出版社の前だった。彼女が出てきたところを呼びかけて、「少しだけ」と言って公園のベンチで話す。 そこで蛍子は絵を描いていることを知る。今は商業用ポスターを書いている。しかし時代の流行とはいえ、戦争に協力するような絵を描かざる得なかった。三郎はそれを少し攻めるが、仕方のないことだった。 蛍子は母と二人暮らしだったが、母親は工場で働いていた。決して裕福とは言えない。三郎は彼女に手袋をプレゼントしようとするが「あなたはまだ学生なんだから」ともらえないという。そこで三郎は「自分の自画像を描いてくれ、その代金として手袋を渡そう」と提案。 三郎は蛍子の家で自画像を書いてもらう。 その帰り、三郎は蛍子の家を出たところで引き返し、窓越しのキスをした。 兄は空襲中の操車場での事故で亡くなった。 そして三郎も出征が決まった。決まってすぐに三郎は蛍子に会い、婚約をする。もう1日だけある。その日の朝、電報が来て出征は明日ではなく今夜に速まった。そして姉が倒れた。 ラピュタ阿佐ヶ谷モーニングの久我美子特集で上映。日本映画初のキス、ガラス越しのキスシーンが有名でそこだけは観たことがあったが、いつかはちゃんと観なくては、と思っていた次第。 で問題のガラス越しのキスシーン、思っていたのと違った。 ガラス越しでキスするくらいだから、男と女がなんらかの事情で部屋の中と外にいて、ガラス越しでしか会えない状況で、それでも愛し合ってるのでガラス越しにキスをした、と思っていた。 ところが違ってたのだ。 三郎と蛍子はその直前まで蛍子の家で会っていて、帰るときに「やっぱり」と引き返して、窓越しにキスをするのだ。 普通にキスしようと思えばもう1回家に入ってキスできたのである。 なんかまどろっこしいことしてるなあ。 でキスシーンはその1回だけかと思ったら、空襲の時とかデートの時とか合計で4回ぐらいキスしている。 たしかにファーストキスはガラス越しで「日本映画初のキスシーンはガラス越し」は間違いではないが、その後、同じ映画でキスを何度もしてるから「ガラス越し」はあまり強調しない方がいいのではないか? この映画の1回だけのキスシーンが「ガラス越し」だった印象になるので。 で結局、蛍子は駅で2時間以上待っていたが「空襲!」と言われても動けなかったので、結果的に逃げ遅れ、駅が爆破され亡くなった。 (この駅の爆破シーンは東宝特撮である。渡辺明さんの名前があった) 三郎の方も戦死した。 戦後、昭和20年秋に蛍子の母親(杉村春子)が三郎の家を訪ね、蛍子の描いた三郎の肖像画を観て、「蛍子、あなたはずっとこの家にいなさい」という台詞はよかった。 「ガラス越しのキスシーン」目当てで見に行って、「○○の乳房が見える」というエロ目的みたいな気分で見に行ったのだが、そこは実際を確認できて満足した。 しかしこの時代の映画って会話の速度が遅くてなんかテンポが合わなくて退屈に感じるんだよなあ。 君に薔薇薔薇(2回目)日時 2024年10月27日12:25〜 場所 光音座1 監督 松浦康 製作 ケームービー ストーリー省略。 前回観たのが2017年の11月。7年ぶりの鑑賞だ。 現在上映可能なゲイ映画は200本ぐらいらしいので、1年に24本上映する光音座に通えば7〜8年で全部鑑賞が可能。 ここ数年は一巡してしまったので、新作とたまにある未見の映画しか行っていない。 しかし2017年に観て、もう一度観たかったのだ。 そういう映画も珍しい。 とは言ってもこの映画を面白がるのは日本で私一人かも知れない。 堺勝朗演じる中年サラリーマンのヒロキには共感しかない。 仕事も大して出来る訳じゃない、(劇中のせりふにもあるが)有名人でもない、金も持ってない、かっこいいわけでもない、でも若い男が好きで追い求める。 彼は一応ブレザーにネクタイ姿でこざっぱりとしている。決してみすぼらしいという訳ではない。 ラストでも若い男を見つけて追いかける時に乱れた服を直し、髪を整える。そういった(大したことはないかも知れないが)努力はしている。しかし男は出来ない。 ゲイバーに行けば30歳ぐらいの男が20代のスーツ男の肩に手を回している。別の日に行けば二人はキスをしている。 それをうらやましく見るしかないヒロキ。 店のスタッフ・ヒロシをデートに誘う。「映画に行って、食事して、あっそれだけよ」と言うしかない。「ハルキさんならいいですよ。優しくしてください」と言われてどぎまぎするが、「冗談ですよ」と返される。 残酷だなあ。 ヒロシとは結局食事には行ったが「ハルキさんとは・・・」とフられてしまう。 しかしそのヒロシも高校時代には好きな相思相愛の恋人がいたが、親の反対で別れさせられ、一人で恋人にはなにも言わずに上京したのだった。 若い人は恋が出来ていいねえ。 おじさんは素直に応援するよ。 そんな感じで中年ホモの哀愁が漂いまくり、私は好きである。 また7年たって(それまで光音座があるかわからんけど)上映されたら観に行きたい。 室井慎次 敗れざる者日時 2024年10月26日11:30〜 場所 ユナイテッドシネマ・ウニクス秩父・スクリーン1 監督 本広克行 数々の事件を解決していた室井慎次(柳葉敏郎)は定年を前に警察を辞め、今は故郷の秋田に帰っていた。しかし生まれた町ではなく、誰も住んでいない家を買い取って二人の少年と暮らしていた。 森貴仁(齋藤潤)と柳町凜久(前山くうが、前山こうが)だ。貴仁は犯罪被害者の息子で、凜久は加害者の息子だった。 そんな日々のある日、室井は家の前の池の向こう岸で腐臭がしたために交番に届け出た。交番の警官乃木(矢本悠馬)に掘り起こさせると中から死語2週間と思われる遺体が発見された。 その死体はDNA鑑定の結果、20年前の会社役員連続殺人事件の犯人グループの一人だった。 ある日、奇妙な少女が納屋で寝てるのが見つかった。日向杏(福本莉子)という名前で、持っていた手紙によると里親に育てられていたが、非行を繰り返し、値を上げた親が室井を訪ねろと指示したようだ。 日向という名前に聞き覚えのある室井は旧知の部下に調べてもらったところ、かつて逮捕した猟奇殺人犯、日向真奈美(小泉今日子)の娘らしいとわかる。刑務所の看守か監察医と関係を持ったらしいのだ。 貴仁の前に母親を殺したやくざの弁護士が現れる。本人は謝罪の意向があるので次回の裁判で本人が反省していると証言してほしいという。 そのために拘置所に面会に行ってほしいと頼んできた。貴仁は室井とともに会う。弁護士の話と違って、加害者には全く反省の色が見えなかった。 今は秋田県警本部長となっている室井のかつての部下、新城から20年前の事件との関連性が考えられるので捜査協力を頼まれる。 室井は否応なしに事件に巻き込まれていく。 「踊る大捜査線」シリーズ新作。12年振りだそうだ。今更「踊る」を持ってくるとはフジテレビもよほどネタがないのか。 織田裕二は出演せず、回想シーンでのみ出演。スピンオフ作品である。 室井慎次がもう警察を退職してる話だ。 シリーズが始まった98年ぐらいには30前後で若手だったのが、定年前に辞めたとはいえ、60ぐらいの設定だ。時の流れは速いねえ。 台詞中で青島は今は捜査には当たっていなく、資料室とかにいるらしい。 しかし室井が結局警察の改革は行えず、挫折して警察を辞めている。 そりゃ確かに警察は変わってないだろうし、ドラマの中とはいえ警視総監にでもなっていたらそれはそれでこちらの心中複雑だったかも。 それで犯罪関係者の子供を引き取っている。でも独身では基本的に里親になるのは難しいのではないか。映画では「元警察官の方なら・・・」の一言で説明されてるけど。 んで故郷に帰ったわけだけど、なんとまあ田舎の爺ども(木場克己、他)「こっから出てけ!」と言われている。終いには猟銃で狙われてるもんね。 完全に秋田県には住みたくないと思わせる。 これが後編への伏線だとは思うけど。 以前小泉今日子が演じた完全に「羊たちの沈黙」のレクター博士のパクリの娘が登場する。これが虚言癖のある娘で、室井や子供たちを混乱させるが、途中から貴仁と母親を殺した男の弁護士の話になって、杏の話が消えてしまう。 これは構成が悪くないか? この貴仁と弁護士の話をもっと前に持ってきて、後半に杏が登場してもよかったと思う。 最初の死体の捜査は全くなにも進展してないし。もう少し話の順番の整理があってもよかったのではないか? 結局前後編の前編だから、結論めいた感想は言えない。 総合的な感想は後編を観てからにしましょう。 ボルテスVレガシー日時 2024年10月25日19:00〜 場所 新宿バルト9・シアター2 監督 マーク・A・レイエス・V 宇宙の彼方からプリンス・ザルドス率いるボアザン帝国が地球に攻めてきた!ニューヨークを始め世界各国の都市が襲われていく。 ボアザンはさらなる地球攻撃の武器として巨大ロボット・ビーストファイターを送り込む。いつかこの日来ると考え、準備していた地球防衛軍はボルテスVを出動させる。 ボルテスVは開発者のマリアンヌ博士の息子、アームストロング兄弟の3人と、マーク・ゴードン、女性隊員のジェイミー・ロビンソンの5人がそれぞれの戦闘機に乗り込み、ここぞというときに合体して巨大ロボット・ボルテスVになって敵と戦うのだ。 地球の攻撃を見くびっていたボアザンの将軍たちはその力に驚く。 しかしさらなる攻撃としてパワーアップしたビーストファイターを送り込む。 一挙に地球防衛軍本部を急襲。バリアーを張って本部はとりあえず守られているが、たまたま外にでていたマリアンヌ博士はボアザンの攻撃によって負傷する。 ボルテスVの苦戦を知ったマリアンヌは息子たちの為に、病院をぬけだし戦闘機に乗り込む。そして死を覚悟しビーストファイターに突っ込む。 その攻撃でボルテスVは形勢を逆転させ、勝つことが出来た。 しかしボアザンとの決戦はまだまだこれからだ。 1977年に放送された日本のアニメ「ボルテスV」のフィリピンでの実写化。「マジンガーZ」から始まったロボットアニメはさまざまな亜流作品を生み出した。「宇宙戦艦ヤマト」もこのころで広い意味でのSFアニメの初期の作品だろう。 と偉そうに書いたけど、私は全く「ボルテスV」を観ていない。「マジンガーZ」も見てなし、その後の「ガンダム」も観ていない。言い換えれば「ヤマト」以外はアニメは観ていないのだな。(「エヴァンゲリオン」は「シン・ゴジラ」以降の庵野秀明研究のために全部観た) この映画、なんかやたら話をはしょってる感があって「総集編みたいだなあ」と思っていたら、フィリピンでは全90話のテレビシリーズの劇場再編集版だそうだ。前半の15話分のダイジェストらしい。 道理で話の説明がなかったりはしょった印象になるのだ。 ドラマ部分なんかまるでなく、ひたすらロボット同士の対決になるのだ。 それも1回目の戦いでは5機の戦闘機が変形合体してロボットになるシーンのCGはなかなかのものだった。 フィリピンだからといってなめてはいけない。 ダイジェストだからこそキャラクターの描かれ方が少なくなる。 ボルテスVに乗り込む5人のうち3人は兄弟で(長男がボルテスVのリーダー)この3人と母親の交流は少し描かれるが、他の二人はいるだけ。 マークゴードンなんか何の役割も与えられてない。 そしてマリアンヌ博士が2回目の攻撃の時、なぜ外にいたのかも解らないし、バリアが張ってあるので中に入れないと言っていたのに、助けが来たらすぐに基地に入れてるし、病院で寝ていたと思ったら、抜け出して戦闘機に乗り込む。 しかも操縦席ではヘルメットしていなし、シートベルトもしていない。 その上「おかあさ〜〜ん」とボルテスのメンバーが泣き叫び、演出がくどい。見終わったらアニメファンらしき男性客が「早く死ねよって思った」と言ってた。言葉は悪いけど、同感である。 結局全90話の方を観ないと真価は分からないかなあ。 アームストロング兄弟の長男、満島真之介をもっと濃くしたようなイケメン。 しかし南の方の人って眉毛が太い人が多いのかな。 (タイのBLドラマでもそうだったし) 地底戦車サイクロトラム日時 2024年10月20日 場所 DVD 監督 テリー・O・モース 製作 1951年(昭和26年) 冷戦下の時代、原爆の驚異だけでなく人類は水爆の恐怖にもさらされてた。 高名な科学者のバウアー博士は「このままではいつか核戦争が起き、人類は地球に住めなくなる」と考え、地球空洞説に従い地球内部に人類が生存可能な場所を見つける計画を立てた。世界中の優秀な人間がその計画に賛同し、バウアーはその資金をトンプソン財団に協力を仰いだ。 しかし途方もない金額のため、却下された。しかしその大金持ちの息子、ライト・トンプソンが「自分もその探検に同行する」ことを条件に資金提供を申し出た。 地底を進むサイクロトラムは完成し、死火山の火口から地底に入っていった。 有毒ガスなどもあり、仲間が死んでいく。内部でも地震がありメンバーも死んでいった。 いったん広い平地に出たが、「ここ以上に人類が住める場所があるはずだ」と博士は主張。さらに前進していく。 アマゾンでおすすめに表示され、800円ぐらいだったので衝動買いしたDVD。買ったときが見たいときなので早速鑑賞。 意外と地味だったなあ。 地底に潜ったのだから、例によって恐竜と称する大トカゲとか襲ってくるチープな地底人とかのはったりがあるかと思ったら、そういうのは全くなし。少しがっかり。 メンバーはよく喧嘩して、勝手に外に出て先に行ったと思ったら有毒ガスで二人死ぬ。 この後、女医が浄水装置のレバーを回して「博士!浄水装置のバルブのレバーがあいたままになっていたために水が使えなくなりました!」と報告。 私はてっきりここで女医が実はスパイで自分でバルブを回して水を使えなくするという妨害工作をしたのかと思ったが、そうではなく、バルブをしめたのは「開いていたのを閉めた」ということらしい。 いやいやここは実は彼女は東側のスパイだった!という展開の方が面白い(やや定番だけど)と思うけどなあ。 ラスト、光があって楽園のような場所にたどり着く。(光はこけが光ってるとか言ってたけど、その美しさは白黒では伝わりにくいんだよね) そこで動物のうさぎを使って繁殖実験をしてみる。 妊娠して子供が産まれるという時、全部死産だったとなる。 その原因を調べて見るとなんと「無精子だった」となる。 無精子なら妊娠そのものがないんじゃない? とにかくこの地では(理由はないけど)人間も子供が出来ないので一世代限りしか生きられない。つまる子供が出来ないので、入植者が死んだらそれで終わりという訳だ。 その時、地底の火山が爆発!ライト・トンプソンと女医ともう一人はサイクロトラムに乗ったが、結果に絶望したバウアー博士は呆然として乗り込まない。そうこうしているうちに波に飲まれて博士は死亡。 サイクロトラムも地底湖の奥深くに沈んでいく・・・となるのだが、なぜか浮上し始める。 そして地球の表面につながる水路に入り、無事海面に出る。 「助かった、助かった、、メデタシメデタシ」と映画は終わる。 考えようによっては地底世界に逃げ込もうとせず、この世の核兵器をなくす方法を考えよう!というメッセージとも取れなくはないが、それは拡大解釈かなあ? 全体としてはサイクロトラムにもいろんな武器(レーザー光線とかミサイルとか)があるともっとよかった。 デザインとしては「マグマライザー」と「ペルシダー」をあわせたような形状。 こいつの活躍をもっと見たかったな。 若き見知らぬ者たち日時 2024年10月20日11:15〜 場所 新宿ピカデリー・シアター4 監督 内山拓也 風間彩人(磯村勇斗)は母・麻美は認知症で夜は父が残したスナックで働いていた。弟・壮平(福山翔大)は総合格闘技の選手を目指していた。 先の見えない日々だが、看護師の恋人日向(岸井ゆきの)の支えもあってなんとか暮らしていた。 母は認知症が進行し、スーパーで棚を倒したり、近所の畑を荒らしたりと近所に迷惑をかけ、その度に彩人は謝っていた。 高校時代からの親友、大和(染谷将太)が子供ができ、結婚することになった。その結婚パーティの日、スナックを早めに閉めようとしたが、閉店後に「酒を飲ませろ」と3人組の酔っぱらいが入ってきた。3人組は店で暴れ出し、彩人は外に連れ出され、暴行を受けた。 近所の通報で警察がやってきたが、その場から立ち去ろうとした彩人を逆に連行した警官の松浦(滝藤賢一)と瀬戸。パトカーの中で彩人の様態は悪化し、病院に行ったものの亡くなった。 自分たちのミスを隠すために3人組は見なかったことにする松浦と瀬戸。 壮平の試合がやってきた。 激闘の末、壮平は勝利した。 彩人は亡くなったが、日向は麻美を支えている。 磯村勇斗主演ということで見に行く。 「PLAN75」以来、磯村勇斗の出演作は出来るだけ見るようにしている。 それにしても暗い。先が見えない。 認知症の介護は本当に人を疲弊させる。見ていてつらくなる。 監督は「佐々木、イン、マイ、マイン」の内山拓也。でも「佐々木〜」はあんまり好きじゃなかったんだよね。 この映画も高校時代のつながりが人間関係の基本である。 彩人と大和も高校時代のサッカー部つながり。 滝藤賢一の警官、松浦が悪役警官である。 松浦は保身のために「私たちが来たときには一人で倒れていた」と嘘をつき、上司にもそう報告する。 なんとなく「悪事は葬られた」感で終わってるけど、彩人が誰かに暴行されてそれが死に至ったことは解剖でも明確なわけだし、ここは殺人事件として捜査する必要があるのではないだろうか? 「防犯カメラなどにはなにも写ってなかった」と松浦は簡単に説明してるけど、警察もそれでは済まないだろうし、彼らも徹底的に締め上げられるんじゃないのか? まあ理不尽に死んでいったという結論に持って行きたい作者の都合しか感じない。 一応イメージシーンで松浦が殺されるカットがある。 これは弟壮平の友人の警官が退職するシーンがあるが、そいつが殺したというイメージの解釈であってるだろうか? とにかく彩人が不幸すぎて、そのひどすぎる結末に作者を責めてしまった。 後半、壮平が主人公になり、異種格闘技の試合になる。このシーン、ワンカットでやってないか? なんかこう、「ワンカットでやってやったぜ!すげえだろ」的な作者の自己満足を感じていやである。 好きな映画じゃなかったなあ。 磯村勇斗はよかった。私にとっては池松荘亮に次ぐ名優である。 シビル・ウォー アメリカ最後の日日時 2024年10月19日17:45〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン8 監督 アレックス・ガーランド 近未来のアメリカ。テキサス州とカリフォルニア州が現政府に反旗を翻し、アメリカは内戦状態だった。 戦場カメラマンのリー(キルスティン・ダンスト)と記者のジョエル(ヴァグネル・モウラ)は14ヶ月もマスコミのインタビューに応じていない大統領のインタビューを行いたいとニューヨークを出発する。 リーがジャーナリストの師と尊敬する老記者のサミーと戦場カメラマンになりたいジェシーを連れてワシントンに車で向かう。 途中で戦闘に巻き込まれたり、どこの所属かわからない単なる略奪者のグループに捕まったりしたがなんとかワシントンにたどり着いた。 が、途中の銃撃戦でサミーは命を落とす。 ワシントンにたどり着いたが、テキサス、カリフォルニア軍はワシントンに攻めいっていて大統領に迫っていた。ホワイトハウスから数台の車が出発した。しかしそのどの車にも大統領は乗っていなかった。 ホワイトハウスに突入する軍隊。大統領は情けなく命乞いをし、殺された。 しかし戦闘中にジェシーをかばってリーは死亡した。 やたら予告編を目にしたのでそれほど興味があるわけでもなかったが、とりあえず見る。「アメリカがどうして内戦になったか?」が予告では出てこなかったので本編を見たら冒頭に出てくるかと思ったがなかった。 回想シーンで内戦にいたる経緯が説明されるかと思ったが、それもなかった。 こちらとしては納得がいかないまま話が進むのである。 そもそもアメリカで内戦が起こるとは信じられない。 それともアメリカ人は「内戦が起こる可能性がある」と思ってるんだろうか? そりゃ銃の所持を許されてる国だから「いざとなったら政府を倒してやるぜ」と思ってるのかな。 で主人公たちの旅の途中でいきなり戦闘シーンになる。主人公たちの回想かと思ったが、その次のシーンで新人がフィルムを現像してるので、時制は戻っていない。 いやそもそも何でフィルムカメラ使ってるの? 「父が使っていた」とか言っていたと思うけど、でも今時フィルムはゲージツ写真を撮る訳じゃないからよくないと思うけどなあ。 んで赤いサングラスをかけた男が出てきたり、内戦により無法者が出てきたり、「関係ない」と普通に店を開けてる町もある。 ラストのワシントン、ホワイトハウス周辺での銃撃戦はまあ迫力があったが、主人公たちがヘルメットしてないのが気になる。 いかんやろ。 前の戦闘シーンではヘルメットしてたやん。 とにかく「なぜ内戦になったか?」がはっきりしないので、映画に全く乗れない。 見なくてもよかった。 侍タイムスリッパー日時 2024年10月19日19:05〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン1 監督 安田淳一 会津藩士・高坂新左衛門は長州藩士の暗殺を命じられた。京都の寺で待ち伏せし、その藩士と戦いになる。そのとき雷鳴がとどろき、高坂は気を失った。 気がつけば江戸のような町並。しかし何かが違う。町をさまよい貼ってあったポスターから江戸幕府が終わってから140年経っているらしいと知る。 気がつけば自分が斬り合った寺の前にいて、そこで倒れてしまう。 翌朝、寺の住職(福田善晴)に助けられる。 そこはテレビや映画の時代劇でよく使われる寺だった。最初に目が覚めたのは映画の撮影所だったのだ。撮影所で助けてくれたのは助監督の山本優子(沙倉ゆうの)。 寺でまた撮影が行われたが、斬られ役の一人が急病で出演できなくなった。そこで高坂が代役で出ることに。 その侍のような本物のたたずまいが好評で、高坂も今の自分が生かせるのはここしかないと決め、立ち回りの集団に入る。 高坂も時代劇での斬られ役で引っ張りだこになる。 ある日、本格時代劇映画の製作が発表された。その準主役に高坂が抜擢された。その抜擢をしたのはその映画の主演俳優、風見恭一郎だった。 風見はかつての向こうの世界で高坂と斬り合った長州藩士だった。彼もタイムスリップし、30年早くこの世界に来ていた。高坂と同様の道を歩み、今や日本映画界のスター俳優になっていた。 「カメラを止めるな!」の再来といわれる自主映画の大ヒット作品。 8月ぐらいに公開され、今やTOHOシネマズなどの大手シネコンでも上映されるようになった話題作だ。 でもなんか食指が動かなかったんですよね。しかし観ておかないわけにもいくまいと義務で観た次第。 (義務で映画を見るのはやめようと思ってるんですが) たしかにSFで人情喜劇で良く出来てますよ。それは認めます。 しかし私が好きかというとそうでもない。 いくつか理由はある。 1、タイプスリップものが嫌い。 このジャンルはもう作られすぎていてもういいです。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」以降ですね、このジャンルが隆盛になったのも。 2、時代劇に興味がない。 「七人の侍」とか「百萬両の壷」とか大好きな作品もあるんですが、基本、時代劇は特に好きではないです。 まずこの2点が引っかかる。 加えて映画全体が2時間11分もあり、無駄なシーン、よけいなシーンが多い。 もう少しシナリオを整理して100分ぐらいにした方が私はテンポもあっていいと思う。 コメディと言ってるんだからもっとはじけてもいいと思うんですよね。 ラストは幕末での会津藩の最後を知った高坂は、風見との立ち回りに真剣でやりたいと言い出す。周りの反対する中、主演二人と監督が了承し、本番に挑む、という展開。 しかし実際の撮影は真剣じゃないわけだから、そこはすっきりしないんですよね。 とにかく「面白いという人の意見を否定するにはならないが、私は全く乗れなかった」というのが本音。 完全に映画の話をするときに「『侍タイムスリッパー』観た?」という話題について行くためだけに見た映画でした。 追記 1、映画撮影の現場でスタートの時にカチンコをカメラの前に出さず、ただ「カチン」と音を鳴らすだけ。えっ今そうなの? 2、テレビ時代劇の監督役で多賀勝一さんが出演。お元気そうで何より。 戦国野郎(2回目)日時 2024年10月14日12:25〜 場所 川崎市アートセンター・映像館 監督 岡本喜八 製作 昭和38年(1963年) 武田軍の忍者だったが、武田のやり方に嫌気がさして抜け出した忍者の越智吉丹〜後にバッタと呼ばれる(加山雄三)。しかし武田軍の追っ手に悩まされていた。その中で最強の雀の三郎左(中丸忠雄)を倒してほっとしたときに木下藤吉郎(佐藤允)に配下にならんかと言われて断る。でも通りかかった馬借の集団にやはり襲ってきた播磨(中谷一郎)と共に潜り込んだ。 これからの戦は鉄砲が必要と、と藤吉郎は武田が買うはずだった鉄砲を買い占め、堺から尾張まで運ぶのを馬借の親分の有吉(田崎潤)に頼んだが危なすぎると断られる。藤吉郎は村上水軍を使って海路で運ぼうとする。 村上水軍は引き受けたが、鉄砲は横取りするつもりだった。 再度有吉にも頼む藤吉郎。藤吉郎は有吉と村上のどちらかに本物を運ばせ、片方には偽物を運ばせるつもりだった。すべては武田を欺くため。 いよいよ出発。 村上水軍はすぐに荷を開けてみたが、石ころが入ってるだけだった。さらに武田軍を率いる三郎左に襲われる。 果たして有吉は無事に鉄砲を届けられるか? 岡本喜八監督の戦国時代劇。 しかし完全に第2次世界大戦のメタファーである。 言ってみれば「独立愚連隊」や「独立愚連隊西へ」の時代劇リメイクである。 この映画、20年前にラピュタ阿佐ヶ谷でも観ているが、あまりいい印象がない。 「見飽きた感じ」とその時の感想に書いていたが、今回も感想は同じようなものである。 有吉の中でも強い奴(江原達怡)がいてそれが有吉の娘(星由里子)に惚れている。ところが娘のは彼女が「バッタ」と名付けた越智の方が好き。 だからバッタは江原達怡に狙われる。 まさに味方の中にも敵がいるという感じ。 ラストでは実は有吉たちが運んでいた方も偽物。藤吉郎は配下の蜂須賀小六が運んでいたという訳。武田に襲われた有吉の部下は全滅。 藤吉郎は「大の虫を生かすために小の虫を殺すのはやむ得ない」と言い放つ。 そしてそれに反抗する越智は星由里子の有吉の娘と去っていく・・・という展開。 ストレートに戦争映画でやってほしかったな、という印象。 出演では加山雄三、中丸忠雄、中谷一郎、佐藤允、天本英世、砂塚秀夫などおなじみの面々。 そこも飽きがくる一因でもあるんだよな。 本日は喜八プロの前田プロデューサーと神奈川新聞でこの8月24日、25日、26日に岡本喜八の記事を書いた井口孝夫さんのトーク付き。 悪魔と夜ふかし日時 2024年10月13日16:55〜 場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン3 監督 コリン・ケアンズ、キャメロン・ケアンズ 1970年代のアメリカのテレビ界。深夜のテレビショー「ナイト・オウルズ」の司会者ジャック・デルロイ(デヴィッド・ダストマルチャン)は番組も視聴率もよく、エミー賞の候補にもなった。しかし結局候補止まりで受賞はせず、舞台女優の愛妻が亡くなったあたりから、番組の視聴率も低下し、ジャックは一時テレビ界から姿が消えた。 しかし彼は復活し、77年のハロウィンの夜、オカルトブームに乗っかった特番を組んだ。伝説の最終回となったこの番組のテープがメイキングとともに発見された。 その回の最初に登場したのは霊媒師。「このスタジオに霊がいる」と言って観客の自殺した息子の霊として母親や姉に語りかける霊媒師。 しかしその後にトリックだと論破される。その後、霊媒師は黒いものを吐き、病院に連れて行かれたがその途中で亡くなった。 そしてかつてFBIからも監視されていた悪魔崇拝の教団から救い出された少女が登場。 彼女の体を借りて悪魔が登場し、デルロイに「久しぶりだな」と言い放った。 その後も「単なる催眠術による集団催眠に過ぎない」と言われる。しかしスタジオには火花が散りはじめ、出演者たちも次々と命を落としていく。 ホラー映画は見ないのだが、「伝説のテレビ番組の最終回のビデオテープが発見された」という形のフェイクドキュメンタリーに興味が沸いて鑑賞。 期待を裏切らない面白さだった。アメリカ人が観たら「そんな番組はない」ということで嘘だとわかるのだが、日本人が観ると「本当にあったアメリカのテレビ番組」を観てる錯覚に陥る。 登場人物のファッションとか70年代なのだ。 そして日本もそうだったがオカルトブームに乗っ取った(というかそういう番組がブームを作ったとも言えるかも)番組。いかにもありそうである。 この「いかにもありそう」という感じがたまらなくいい。 やがて「エクソシスト」のリンダ・ブレア並の悪魔にとりつかれた少女が登場。 ここでただ少女を登場させるのではなく、「そのトリックを見破る!」という大槻博士みたいな人が登場し、反論させ、しかしやっぱり悪魔が登場する。 ラストは実は視聴率低迷にあえいでいたデルロイが怪しげな集会に参加し、視聴率獲得の為に悪魔に魂を売っていたのだ。これって「ローズマリーの赤ちゃん」にもあったネタだね。オマージュが効いている。 CM中のプロデューサーとの会話などは白黒となって表現。メイキングと称してるけど、メイキングなんかあるわけがない。でもそういう形で表現されるんだよ。 とにかくアイデアがすばらしい。 ほぼテレビ局のスタジオだけのワンセット映画なのだが、こういうやり方なら納得してしまう。 70年代のオカルトブームを知る世代にはなんとも懐かしさと面白さがあいまった映画だった。 面白かった。 三大怪獣 地球最大の決戦(4Kリマスター版)日時 2024年10月13日14:00〜 場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン8 監督 本多猪四郎 製作 昭和39年(1964年) ストーリー省略。 ゴジラ誕生70周年を記念してのゴジラ映画の連続上映。 先月「キングコング対ゴジラ」を観て「4Kで観るのはいいよな」と思い、久しぶりに鑑賞。スクリーンで観るのって何年ぶりだろう。 記録に残っているのは2002年のラピュタ阿佐ヶ谷だ。 1月なのに28度、サルノ王女の暗殺、金星人の登場、謎の隕石、テレビ番組に出演する小美人などなどの異変(小美人は異変じゃないけど)が起き始め、それが怪獣たちの登場となっていく関沢新一脚本の見事さ。 そして4Kリマスターで傷もホコリもいっさいないクリアな映像。 充分堪能しました。 それにしても東西冷戦が基本なのだな。サルノ王女も東西冷戦の代理戦争に巻き込まれての暗殺だ。 争いあうゴジラとラドンはひょっとしたら米ソのメタファーだったんだろうか? ふとそんなことを考えた。 でもよく考えたら最初に出てきた「1月なのに気温28度」というのは怪獣登場と関係があったのだろうか? ピアニストを待ちながら日時 2024年10月13日11:00〜 場所 イメージフォーラム・シアター2(地下) 監督 七里圭 瞬介(井之脇海)が目を覚ますとそこは真夜中の図書館だった。自動ドアは開くが、決して外には出られずまた図書館の中にいる。 薄暗い中、出目(斉藤陽一郎)という男が現れ「あなたはピアニストですか?」と聞く。ピアニストが来ればここから出られるという訳でもなく、ピアニストを待つことが今出きることらしい。 さらにかつての芝居仲間、行人(大友一生)と貴織(木竜麻生)が現れる。3人でかつて芝居を稽古したのだが、それは中止になっていた。それを再びやろうという。瞬介のせりふは最後に出てきて「ピアニストは今日も来なかった。しかし明日はきっと来る」というもの。 出目はそれは希望を意味するという。 しかし瞬介は行人は死んだはずだと気づく。 「のんきな姉さん」はこの映画の公開を記念して20周年ということもあってリバイバル上映された。そのトリとなる作品がこれ。 61分の中編である。 早稲田大学内の村上春樹ライブラリーで作品を作るという企画が七里圭監督に持ち込まれ、完成したのがこの映画。 内容には口は挟まれなかったが、キャンパスでの撮影は不可、撮影は閉館後の夜間のみ、という条件はあったそうだ。 それで図書館から抜け出せない5人(もう一人女性が登場した)の物語と なった。 しかし好きになれない映画だった。 まず「同じ話を延々と繰り返す」という私が小演劇で嫌いな物語。 観ていてイライラする。 さらに閉館後の図書館なので、電気が点いていない状況。 時々ピンスポット的な照明があるのだが、それで役者を照らさない。 だから役者の顔がほとんど暗がりである。 これは照明の位置に役者を持ってきたり、演劇の稽古だからピンスポット的な照明は瞬介が当てたりするので、周りは暗くても役者の顔を明るくすることは可能なはず。 しかしあえてそれをしない。 「のんきな姉さん」も人物を横から写したり、斜め横から写したりが多く、役者の顔を捉えようとしていなかった。 基本的に七里圭は役者の顔とか表情には興味がないのだろう。 完全に私が観たい映画ではないので、心は離れている。 「早く終わらないかなあ」と思って時計ばかり観ていた。 クレジットもあるから上映時間61分と言っても正味60分切っている。 映画が短いからまだよかった。 やはり七里圭が作りたい映画は私の観たい映画ではない。 監督一人の舞台挨拶があったけど「こんな変な映画をせっかくの休日に見に来ていただきありがとうございます」と言ってたけどだったら撮るなよ。 ナミビアの砂漠日時 2024年10月11日18:40〜 場所 新宿シネマカリテ・スクリーン1 監督 山中瑶子 カナ(河合優美)は脱毛エステに勤める21歳。不動産会社に勤めるホンダ(寛一郎)と同棲してるが、クリエーターのハヤシ(金子大地)ともつきあっている。 高校時代の友人と久しぶりに会ったとき、同級生が自殺したと聞かされるが、特に心は動かない。その晩、ハヤシと会って、家に帰った。 ホンダは札幌に出張する。その前に「ススキので風俗とか行ったりしない?」「絶対行かない。誘われても断る」と言う。 ホンダが出張中にハヤシに会う。ハヤシは「すぐに今の男と別れてほしい」と言われる。出張から帰ったホンダは結局風俗に言ったと話す。 それが理由というわけでもなかったが、きっかけになってハヤシと暮らし始める。 しかし「お昼食べよう」とカナが言っても「もう少し待って」というようなことから喧嘩になってしまった。いらついて外に出たら、マンションの階段で転んでしばらく車いす生活になった。 ハヤシの家族とバーベキューをした。ホンダが職場の外で待ち伏せして復縁を迫ってきた。ハヤシとの生活の引っ越しの最中に誰かのエコー写真を見つける。 また喧嘩になったとき、ハヤシに「誰を妊娠させたんだ!」と責めてしまう。 精神が不安定なので、オンラインの精神科医(中島歩)にかかったがどうも親身になってくれない。カナの心は晴れないまま日々は過ぎていく。 今年のカンヌ国際映画祭の監督週間で上映され、国際映画批評家連盟賞を受賞し話題の作品。一般的な知名度はまだまだだが、映画ファンや業界では評価の高い河合優美の主演作品。 河合優美はCMとか出てないし、映画もミニシアター(といってもケイズシネマではなく武蔵野館クラス)が多いからか、実績ほどには知名度がない。 彼女はルックスが普通なのだ。特に美人という訳ではない。しかしそれが故にどんな役でもその役になじんでしまう。見事なものである。 いまおか監督に私好みの映画ではないと思うよ、と言われていたし予告を観てもあわなさそうだったのでパスするつもりでいたが、結局観た。 観てる間はまあ何とか腹も立たずに観ることが出来たが、面白かった訳ではない。 21歳でいろいろ人生生きづらいこともあるだろう、でもそれを私が共感を持つことは出来なかった。「ああ、そうですか、大変ですね、がんばってください」という程度である。 男二人を二股をかけながら、「自分を第一に思ってくれない」という話である。知らんがな。男二人にモテてるだけいいじゃん。 人間、欲を言ったらきりがない。 タイトルの「ナミビアの砂漠」も「この世は私にとって何もない砂漠のようだ」って言いたいだろうけど。 カナはそれでいいとして、そもそもこういう映画を作った作者たちの器量の狭さの方が気になる。 若い女性には共感があるかも知れないが私のようなおっさんには「大変だね」としか言いようがない。下手をすれば「何をごちゃごちゃ言ってるんだ。今時の若いもんは」と言われかねない。(というか本音では私が言いたいだけなのかも知れない) こんな21歳の女の子のグチを延々と聞かされるような映画を作る作者に対して「何をごちゃごちゅ言ってるんだ」と言いたくなる。 その世界観の狭さ。 山中瑶子の映画はたぶんもう観ない。 |