リュミエール!リュミエール!日時 2024年11月30日12:00〜 場所 ローソン・ユナイテッドシネマSTYLE-Sみなとみらい 監督 ティエリー・フレモー 映画の父、リュミエール兄弟の撮った約1400本の映画の中から110本を厳選して4K化してまとめた作品。2016年製作の「リュミエール!」の第2弾にあたる。 先日、深田晃司監督の書いた「日本映画の『働き方改革』」という本の中で、業界のありようの中の後の後半に氏が行っている映画学の講座の内容が書かれている。 その中で有名な世界最初の映画「工場の出口」に触れられている。 この映画、ただ普通に退勤時の風景を撮っただけだと思っていたら「演出がある」という。 人がきれいに左右に分かれてるし、カメラを見てしまう人がいない。そしてしばらく経って画面に変化を付けるために自転車や馬車(馬車が登場しないバージョンもある)を登場させて、きっちり50秒で終わる。これは事前に練習をしなければ出来ない、と書いている。 言われてみればそうだようなあ。 そう言われてみるとリュミエールの一連の映画はみんな尺に収まっている。当時は編集、というのがなかったのですべて撮りきり。カメラに収まるフィルムの量から50秒しか撮れなかった。だから50秒で1作品としていたのだ。 だからたまには50秒以内で終わってしまって、急に続ける作品があったりする。 (日本の歌舞伎役者によるチャンバラを撮影したものがそうだった) そしてラストにコッポラが「工場の出口」で同じように撮影した映像が出てくる。おそらくこちらは演出なしで撮られたのではないか。人物は出てくるがてんでばらばらに動くし、カメラの前で立ち止まりスマホを見始める人もいる。ぜんぜん画になっていない。 これと見比べればリュミエールの「工場の出口」が演出した「映画」だったことは一目瞭然だ。 映画学校の1年生にスマホを持たせて「時間は50秒きっかり、カメラは固定、編集禁止、サイレント、内容自由」で映像を作らせて撮らせてみたい。何本の映画がリュミエールと同等の映画を作ることが出来るのか? 手本もなにもなかった時代だ。リュミエールの異能ぶりがわかるだろう。 本作はリュミエールが興行として製作した約1400本から抜粋した110本の上映。「映画の歴史」的な解説は抜きにして延々とその100本を流すから、前作を見ていないとただ「古い映像」の羅列でしかなく退屈になる。 (実際寝落ちしかけた) 奥行きのある映像、奥から手前に物が動いたり(逆もある)とにかく奥行き、というものを大事にした構図はすばらしい。 日本の明治時代の風景が日本人としては珍しかったかな。これなど貴重な映像だろう。 しかし今から100年後、リュミエールが作り出した「スクリーンに投影して大勢で映画を見る」という文化は残っているだろうか? 残っている気もするのだが、誰も将来は「手のひらサイズの画面でどこでも映像が楽しめる」を予測してなかったろう。VHSが出た頃でも「映画は情報量が多いのだからだカセットテープより大きいサイズでなければ無理に違いない」と思いこんでた。それが約40年前である。 10年前だってこんなに「配信」が隆盛になって「レンタル」が廃れるとは思わなかった。 10年後、映画はいったいどうなっているのだろうか? 100年後どころか10年先も解らない時代である。 今日行ったユナイテッドシネマみなとみらいは今年できた映画館。 夜横浜でライブを見るので昼間横浜で映画を見ようと思って探していたらこのみなとみらいの映画館を見つけたのだ。 この映画館は全席がスピーカーがイスの内部にも内蔵されている。だから低音時イスからも音を振動で感じるのだ。 (うっとうしいと思ったら「OFF」に出来るスイッチもついている) 桜木町前にはブルクもあるし、イオンシネマ(ここ前TOHOじゃなかった?)もある。みなとみらい地区に3つもシネコンがあるのか。 映画館の未来も解らないなあ。 オアシス日時 2024年11月29日18:30〜 場所 新宿武蔵野館・スクリーン2 監督 岩屋拓郎 菅原組の構成員富井(清水尋也)は最近覚醒剤を売り歩いている組の木村を締め上げた。木村の舎弟にはかつて幼なじみの金森(高杉真宙)がいた。 菅原組の組長に富井は可愛がられていたが、組長の息子は無軌道で「うちも覚醒剤をやるべきだ」といき巻いている。組長の息子に呼び出されたバーでホステスになっている紅花(伊藤万理華)と再会する。 彼女は記憶喪失状態になっており、富井や金森と3人で過ごした日々を覚えていない。彼女の母親は組長の息子が暴力の果てに殺し、富井は息子を刺したのだ。そのことがきっかけで逆に菅原組長に拾われたのだった。 金森の後輩の若い奴がついに菅原組長の息子を刺した。金森は組長の息子に「うちの組に入れば許してやる」と言われる。断る金森。すると組長の息子は金森の後輩を殺し、その場にいた紅花も息子に犯されそうになり、殺してしまう。 その場にやってきた富井は金森と紅花を助け、逃避行する。 数日間は3人で平和な楽しい日々を過ごす。富井の兄貴から連絡があり、2人を連れて菅原組長の元へ。 組長は「うちのバカ息子が迷惑かけたな」というが、二人に銃を向ける。 たまらず止めに入った富井だが。 SPOTTED配給作品。 それほど興味はなかったんだけど、一応観た。 「幼なじみが対立するようになるが、結局共闘する」みたいなパターン多くないか? この幼なじみと大人になってもどうしたこうした、というのは女子高生恋愛ものによくあるパターンである。 そして最近のヤクザ映画にも多いような気がする。(そっちの方はあまり観てないので断言はしないが) こういった映画だと大抵「幼なじみとの絆」の方が優先され、現組織には刃を向ける方になる。 この映画も結局組長と争いあって組長を殺してしまう。 そして「俺たちはどうする?」っていう終わり方。 新人監督の割には定番のヤクザ映画の終わり方、展開だなあ。 彼らの逃亡と組の追跡劇としてのアクション、サスペンスがあればももっと違ったおもしろさがあったとは思うが、本作はそういう方向には行かず、「3人で楽しく暮らしかけがえのない時間を過ごしました」という描き方。 90分で終わったからいいけど、こんな感じで120分いかれたら退屈だったろうなあ。 個人的に「幼なじみ」で今でもつきあいのいる人がいないので、ピンとこないんだよね。 人間って出会いと別れを繰り返すものだって気がしてるし。 また時々車窓から見える風景カットが挿入され、妙に「青春映画」ぽさがあるんだよね。 新人監督らしい新しさが見えない映画で、単なるジャンル映画にしか見えなかった。 ケイズシネマかロサでやるようなVシネヤクザ映画の域を出てなかったように思う。 ある閉ざされた雪の山荘で日時 2024年11月24日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 飯塚 健 製作 令和6年(2024年) 劇団「水許」の俳優6人、本多雄一(間宮祥太郎)、中西貴子(中条あやみ)、田所義雄(岡山天音)、雨宮恭介(戸塚純貴)、元村由梨江(西野七瀬)、笠原温子(堀田真由)と劇団員ではないフリーの俳優の久我和幸(重岡大毅)はある別荘に集められた。 彼らは「水許」の次回公演の出演者オーディションで3次選考まで残ったものたちだった。久我は劇団員ではないが、公募枠でオーディションに参加してたのだ。 別荘には彼ら7人だけ。劇団主催の東郷の声が聞こえてくる。 「ここは雪に閉ざされた別荘です。電話も通じず、吹雪で助けを求めることも出来ません。この状況をどう乗り切るか、みなさんの力を拝見します」ということだった。 翌朝、温子がいなくなっていた。東郷の声が流れる。「温子は殺されました」。 翌日には由梨江がいなくなった。血のついた花瓶も出てきた。 雨宮は自分は帰ると言い出す。雨宮は正月に由梨江、温子とともに辞めた劇団員の麻倉雅美の実家に行って劇団に戻るよう誘ったのだ。しかし逆に「じゃ何で私がオーディションに落ちるの?」と言われ大喧嘩になってしまったのだ。その日に雅美は交通事故に合い車いすの生活になってしまっていた。 公開は今年の1月で映画は知っていたが、なんとなく見逃していた。「密室のミステリー」ということでレンタルで観てみた。 登場人物は全員役者である。だからこそ彼らの言動は「演技」とも解釈できる。いなくなった温子や由梨江はあらかじめ指示があって退場したのか?それとも本当に殺されているのか?が曖昧になりそれが今回のミステリーとしての面白さだ。 話はそこそこ面白いんだけど、見終わって「面白かった!」とは思えない。理由を考えたけど、やっぱり探偵役の重岡大毅の問題ではなかろうか? 話を引っ張っていく主人公としての存在感がまるでないのだ。 そもそも久我だけが水許の劇団員ではない。だからこそ彼が犯人とも考えられてくる。 それを「この人は探偵役で犯人ではありません」と観客に納得させるような力強さがまるでないんですよ。 だから話に芯がない。 備忘録で書いてくと麻倉雅美は温子、由梨江、雨宮のせいで自分は車いすになったと思っており、恋人の本多に当たる。 それで雅美は3人を殺してほしいと願う。 それを受け入れた本多だったが、ほんとに殺すわけには行かない。 温子、由梨江、雨宮を巻き込んで「自分たちは死んだ」と思わせる演技をし、雅美を納得させることだった、というのが真相。 しかしよく考えてみたら、この合宿中は雅美をだませても、結局温子、由梨江、雨宮が生きていることは時期にばれるから、復讐芝居は成り立たないんじゃない? 映画館で観る必要はなかったな、という気分です。 重ねる日時 2024年11月24日19:00〜 場所 渋谷ユーロスペース・シアター1 監督 配島徹也 保育園で保育士として働いていた加藤あゆみ(須田晶紀子)だったが責任感から来る重圧で体調不良でしばらく休むことになった。 あゆみを取材した平野一徹(タモト清嵐)だったが、「取材先の保育園からクレームが入った」とパワハラ上司から言われしばらく仕事を休むことにした。平野は結婚して小さな娘がいたが妻とは関係が冷えている。 実家の岐阜の山の中に帰る一徹。一徹の家は民宿も営んでいた。 そこへあゆみは宿泊客でやってくる。 この村は鮎の釣りが盛んなところ。鮎を観光名物にしようと頑張っている。 あゆみは村の人々に溶け込んでいく。一徹のことも意識するようになる。 知り合いのYさんから「学生時代の友人が映画を監督したので見てください」と言われ観た。この映画自体は全く興味がなく、完全にYさんとのつき合い。別にそれほどの関係でもないけれど。 「都会の疲れが山の鮎釣りで癒された」的な牧歌的な、観光地映画だと思って見始めたが、どうもそれだけではない。 むしろそれは2番目のような気がする。 あゆみが紹介された宿に行く途中で尿意を催す。そして橋の上から仕方なくおしっこをする。ところがその橋の下では一徹が釣りをしていたのだ。おしっこを浴びてしまう一徹、というなかなかエロ映画みたいな出会いをする。 (最初の出会いは保育園の取材なのだが、それを一徹は覚えていない) この後、あゆみは宿の経営の一徹の両親と仲良くなっていき、「この家に生まれたかった」というまで溶け込んでいる。 そしてあゆみは一徹を意識し始め、一徹に連れて行ってもらった滝の下で下着姿になって泳ぎだし、一徹も川に引き込む。 ここであゆみは乳房が透ける状態で半エロ映画である。 でもねえ、私はあゆみ(というか女優の須田さん)に全く魅力を感じないので、映画として全く心を動かされない。 これがそれなりの魅力的な女優(たとえば綾瀬はるかとか)が演じていれば映画に対する入り込み方も変わってきたのだが。 その点、タモト清嵐は決してイケメンではないが、笑顔が自然なのか妙にいい。たるんだ上半身(先の滝のシーンで塗れたシャツを脱ぐ)さえもいやにならない。結構魅力があるのだな。 結局一徹とあゆみは結ばれないにしてもいい感じになっていく。 ところが一徹の地元に一徹の妻が娘をつれて突然やってくる。 妻は川にいたが、橋をわたるいちゃいちゃした一徹とあゆみを見つけ、石をもって近づいていく。ここで映画は終わり、クレジット。 クレジット後に一徹がドローンを操作している映像で終了。 「釣りで癒される映画」ではなく、結構なドロドロ恋愛映画である。 チラシをよく見たらキャッチコピーは「愛したあなたは禁猟区」とあるからそういうのはねらいだったわけだ。 こっちがそういう映画だとは思ってなかった分戸惑った。 本日は監督、タモトさん、須田さんの舞台挨拶付き。 時間関係で舞台挨拶は短かったけど、映画上映後にロビーで少しお話。 監督に「ラストは一徹の妻が一徹を殺したんですか?」と聞いてみたら「そのあたりは僕の中には答えがあるんですが、それは観客のみなさんにお任せします。一応、撮影の時は妻が石を振りかぶって結局落とすまで撮影したんですが、編集でカットしました。クレジット後の一徹のドローンのカットはあるいは天国かも知れません」 ということ。 殺してはいないにしてもドロドロだよ。 だったら途中でも妻との電話で会話があるとか妻の存在を意識させた方がいいし、いっそ妻は存在してなくて独身だったら話がすっきりする。 でもそれは監督の作りたい映画ではなかったろう。 タモトさんに「『連赤』からもう何年経ちました?」と声をかけた。「ええっと16年ですか。こんなに大きくなりました(笑)」とおっしゃってました。 今回タモトさんが一番よかったので、彼の作品はまた観たいですね。 六人の嘘つきな大学生日時 2024年11月23日14:45〜 場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン3 監督 佐藤祐市 人気大企業の「スピラリンクス」の新卒入社試験の最終選考に残った6人の大学生。慶応の久賀蒼太(佐野勇斗)、立教の波多野祥吾(赤楚衛ニ)、早稲田の嶌衣織(浜辺美波)、一橋の森久保公彦(倉悠貴)、法政の袴田亮(西垣匠)、明治の矢代つばさ(山下美月)。 面接官から最終選考は一ヶ月後、4月25日にグループディスカッションでスピラリンクスが今後行うであろうプロジェクトのプランを立ててほしいというものだった。場合によっては全員合格もあり得るという。 しかし一週間前になって「内定者は一人にします。6人で話し合って誰が入社にふさわしいか決めてください」という者だった。 それまでたびたび集まって準備を進めてきた彼らだったが、立場が変わった。 当日、15分に1回投票をしていき一番投票数が多かった者を推薦することになる。1回目の投票後、嶌が会議室の隅に封筒を見つける。そこには各人宛の封筒が入っていた。久賀が自分宛をあけてみると袴田が過去に野球部で後輩を自殺に追いやったと書いてあった。続いて森久保は投資詐欺に荷担していたと、久賀はかつて女性を中絶させたと、矢代はキャバクラで働いていると書いてあった。 疑心暗鬼になる彼ら。これは会社が用意したものなのか?それともこの6人の誰かか? 結局、嶌が内定を勝ち取った。 8年後、波多野という女性が嶌を訪ねてきた。女性は波多野の妹で兄は2ヶ月前に病気で亡くなったという。 その兄が残した書類にこの最終面接の真相が書いてあるという。 果たして誰が何の目的で今回のことをしたのか? 半年くらい前から映画館に行く度に観ていた予告編。旬の若手俳優たちが出演で楽しみしていたので、昨日公開で本日鑑賞。 (今日は六本木に行く用事があったので、珍しく六本木で観た) タイトルの由来だと思うけど、「12人の怒れる男たち」「12人の優しい日本人」と同様の密室ディスカッションドラマ。 6人がお互いに疑心暗鬼になっていく様は実に興味深い。 で内定が決まった段階で映画が終わるのかと思ったらそうではない。 8年後、嶌が就職してバリバリ働いているところから事件は急展開する解決篇に移っていく。 前半の悪事と思われたことが実は違っていて、という展開。 数年後にこれを読んだときの備忘録として書いておく。 暴露文書には画像が添付されており、写真の傷などから同一のカメラで撮られたと思われた。そして九賀、森久保、矢代はこれが4月20日に撮られたものだと主張する。4月20日にアリバイを証明できない人は波多野だけだった。結局波多野は「自分がやった」と自白する。波多野宛の封筒、それは恐らく嶌の暴露が入っていたものは波多野が開封せず持ち帰った。 8年後には犯人と嶌宛の手紙が遺品から発見される。同時にUSBメモリーも。波多野はその真相を語った音声ファイルをUSBメモリに納めていたのだ。 そのパスワードを説き、音声を聞いた。実は暴露文書を作ったのは九賀だったのだ。 九賀は尊敬する先輩がこの会社を落ち、人事に不信感をもって面接を混乱させてやろうと思った、というもの。 やっと感想を書くけど、動機としてちょっと弱いかな。学生の思いこみでしかない。 面接官が先輩の優秀さを見抜けなかったからといってそれは「求めている人材とは違った」としかいいようがない。 極端にいえば「身長180CM以上の人がほしい」と思っていたなら英語が出来ても身長165CMの人は落ちるわな。 それと映画とは全く関係ないけど、学生たちが上から目線で事業計画とか語るのを見ると笑ってしまう。いやそういう経営者目線も大切だけど、そういうのになれると新入社員の時には細かい仕事ばかりになるから「こんなはずじゃなかった」になるよ。 あと「自分はゼミのリーダーをやってましたから統率力には自信があります」って俺だったら恥ずかしくて言えないよ。 それと嶌の「私は洞察力があります」っていうのもなあ。 学生の面接って針ほどの長所を大きくいうから俺が面接官なら笑っちゃうよ。 映画とは全く関係ないけど。 ミステリーとしての面白さ以上のものは特にないけれど、それでも十分に面白かった。これは重要なことである。 人間椅子日時 2024年11月18日 場所 TSUTAYA宅配レンタルDVD 監督 水谷俊之 製作 平成9年(1997年) 人気作家の篠崎佳子(清水美沙)はある日原稿用紙に書かれた手紙を受け取った。佳子の夫・昭一郎(國村隼)の夫は外務省の役人でありながら腹話術の芸を持っていた。時々家で友人たちを招いてのパーティで腹話術を披露していた。 その原稿はある椅子職人の物語だった。丁寧な仕事の椅子職人だったが、ある日椅子の中に自分が入ることを思いつく。そしてその椅子はあるホテルのロビーに納品された。最初は盗みが目的だったが、やがては自分の上に乗る女性たちの感触を楽しむようになった。 そのホテルから椅子はあるご婦人の家に売られていった。その家とは佳子の家だった。佳子が今座っている椅子がそうだというのだ。 恐くて椅子から降りる佳子。手紙には今はその椅子の中にはいないという。 男は「どうしてもお会いしたい」とある場所を指定してきた。佳子はよこへ向かう。男とは会うことが出来たが「自分の顔は見ないでほしい」と約束させられる。最初は薄布越しに会い、抱きしめられた。 そして次に会ったときは目隠しをしてお互いの体をさぐり合い、触覚のみでお互いを楽しむようになる。 江戸川乱歩の短編の中で「屋根裏の散歩者」と並んで私が好きな傑作小説の映画化。「屋根裏」は何度も映像化されているが、これは短編ということもあって明智小五郎のテレビシリーズの一話として映像化されただけ(だと思う) 正直、観たい気もしていたが、たぶん期待はずれになるだろうなという予感があったので、長らく未見のままでいた。 日曜の夜に時間があったので鑑賞した次第。 前半は手紙の読みながらで椅子に入った男の独白が続く。 この辺は原作に忠実である。 原作は「お会いしたい。もし許されるのなら窓にハンカチをかけてください」的な内容の文章で終わっていた。 そしてその後、別の手紙が来て「先ほどの創作はいかがだったでしょうか?」と書いてあったというオチがつく。 この怖さでふるえる読者をほっとさせるオチが最高だった。このラストが好きなのである。 しかし映画の方は、彼女の「触覚のみのセックス」に溺れていくという展開。 映画って映像にしなければならないから、そうなるかあ。 ちなみに映画の方は「人間椅子」の手紙を書いたのは夫だった、というオチ。そして「私も触覚だけの世界に入る!」と自分で目をカミソリで切るという私は直視できない展開。 期待していたわけではないけど、展開も遅いし、やはり観る価値を感じない映画だった。 本心日時 2024年11月17日14:50〜 場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン6 監督 石井裕也 2025年夏、母・秋子(田中裕子)と二人暮らしの石川朔也(池松荘亮)はある大雨の晩、母が川のそばにいるのを見て駆けつけようとして川に落ちた。 病院で起きたときは1年が経過していた。高校時代からの友人・岸谷(水上恒司)が訪ねてきて、以前勤めていた工場はロボットに作業を変わられクビになったという。 彼の紹介で「リアルアバター」という仕事についた。それは360度カメラを持ち、依頼者の希望するとおりに行動する仕事だった。 ある者は死ぬ前に見たい景色があるといい、ある者はいきたいレストランがあるということだった。 母もそうだが、この世界では「自由死」というシステムが存在した。それは自分で死期が決められる代わりの政府から給付金がもらえる制度だった。 朔也は母が自由死を申し込んでいたと聞かされる。しかし自殺とは思えない。朔也は野崎(妻夫木聡)に頼んで母をバーチャルリアリティで蘇らせてもらう。情報は多ければ多いほど正確に作れるということで、母が親しくしていた若い友人三好彩花(三芳彩花)と連絡を取った。 彼女は今は台風でアパートがなくなり、住むところに困っていた。 朔也は「よければうちに住みませんか?」と誘い、バーチャルの母と3人で暮らすようになる。 池松荘亮主演作。 予告編とか見ると「亡くなった母をバーチャルで蘇らせ、母の本音を聞き出す」という内容だけのように見えるが、この映画ではそれは一部である。 「自由死」「リアルアバター」「ネットで情報が拡散」などなど現代や近い将来社会問題になりそうな要素が多数詰め込まれている。 正直「思っていたのと違う映画だったな」という驚きが強い。 後半になってリアルアバターの最中に(それもリアルアバターに奴隷的活動をさせるというひどい物だったが)、たまたま「カスタマーハラスメント」を見かけ、相手に抗議した姿の監視カメラ動画が拡散、それ賞賛の形になって出てくる。 それがきっかけで「アバター制作アーティスト」というネット長者のイフィー(仲野太賀)に雇われるようになるという展開。 あまりの急展開になんだか戸惑う。 あと一緒に暮らす三好さんが朔也の高校時代の好きだった人に似ているという設定が話を振る割には回収されていない気がする。 その高校時代の好きだった同級生が売春をしていて、それを非難した教師を暴行したことが朔也が前科者としてなかなかまともな就職が出来ないという設定なのだが。 朔也の友人の岸谷がドローンを使ったやばい仕事に関わってしまったり、とにかく格差社会とか、ネットの差別的言動とか近未来に起こりそうな社会問題のてんこ盛りで正直何を描きたいのか見えてこない。 要は詰め込みすぎ、というのが正直な感想だ。 矢野くんの普通の日々日時 2024年11月15日19:25〜 場所 新宿ピカデリー・シアター6 監督 新城穀彦 吉田清子(池端杏慈)は母を亡くし、小学生妹、弟、父親で暮らす高校2年生。清子が二人の妹弟の母親代わりだ。新しいクラスになって矢野君(八木勇征)が隣の席に。ところが矢野君はいつも登校中にけがをしてくる。 「なんでそんなに怪我するんだ?」と心配になった吉田さんは親友のメイや泉と下校中の矢野君を尾行してみる。確かに矢野君は何でもない道でも転ぶただのドジっこだった。 もともと心配性の吉田さんが矢野君のことが気になって仕方ない。それは心配から恋心に変わっていった。矢野君と話すようになり、メイや泉、男友達の田中や羽柴とともにファミレスでの勉強会に誘ってみる。 矢野君は「僕に関わるとみんなが怪我をするといけないから、今までみんなと関わらないようにしてきた。だから放課後にファミレスとか映画とか行ったことがない。こういうことをするのが夢だった」とうれしそうに言ってくれた。 やがて矢野君も吉田さんへの気持ちが恋心と気づく。 交換ノートも始め、二人の距離は縮まっていく。夏祭りにみんなで行った後、お互いに告白する二人。 2学期、転校生の岡本さんがやってきた。岡本さんは矢野の過去を知る人だった。 「美しい彼」で超イケメンを演じた八木勇征の高校生胸キュン映画。 年齢的にもうちょっと高校生はきついとは思うが、まあ気にしない。 矢野君は終始右目に眼帯をしている。 八木のイケメンぶりを楽しみたい方にはこれはちょっと寂しいのではないか? 私もお気に入りの俳優のめがね姿が「顔が見えない」と寂しく感じるときがあるからなあ。 最初は怪我の一つだろうと思っていたが、「目の怪我は治らないの?今度右目を見せてください」と吉田は交換ノートに書くが矢野君は返事をくれない。 「えっひょっとしてすごい怪我でただれてるとか??」というホラー映画のようなものを考えてしまったが、それはないだろう。 実は彼は子供の頃の病気で(どんな病気だ?)右目と左目の色が違い、それが恥ずかしくて右目を隠していたが、中学生の時に岡本さんに見られてしまった、その直後に岡本さんが怪我をしたから周りから「矢野の右目を見ると呪いにかかる」という噂が蒔かれるしまって、それ以来絶対に右目を隠すようになったという。 そういう噂もいかがと思うが、中学生なら信じる奴もいるか。 それよりも話の作り方として面白いと思った。 この手の映画では男女の出会いがあって、友達になって映画の中盤で二人はつきあうようになる。 それでは映画が終わってしまうので、後半から「元カノ登場!」などのライバル、とか障害が出てくる。 それを眼帯、としたのは面白い。 吉田にせがまれて眼帯をはずした矢野だったが、その直後に吉田がマンホールに落ちる怪我をしてしまう。それがきっかけで吉田を避けるようになる矢野。 ラストはみんなで林間学校へ。 屋外活動の日、吉田はみんなとはぐれてしまう。そして雨が降り出す。 吉田は肌身話さずつけている母の形見のネックレスがないことに気づき、道で探そうとして帰るに帰れない。 吉田を捜しに矢野も外に出るが見つけたとたん、崖から落ちてしまう。 そこでてっきり無くした母の形見のネックレスが、吉田の居場所を教えてくれるとか、それが引っかかったおかげで矢野君が助かるとか、何か役に立つとかあるかと思ったらそれは無かった。 惜しいなあ。 それがあれば泣けたのに。 あと吉田を好きなスポーツ優秀、成績優秀な羽柴が「呪いなんてうそっぱちだ!大体お前眼帯なんかしてるから視界が狭くなって転ぶんだよ!こんなものとっちまえ!」と破がしてくれるのを期待したが、それは無かった。 俺ならそう書くけど。 今も書いたように矢野君がよく怪我をするのは眼帯をしてるせいだと思うよ。 眼帯が枷になる、という設定が新しくて面白かった。 ハヌマーンと7人のウルトラマン
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