2025年1月

   
メカゴジラの逆襲(4Kリマスター版) 怪獣ヤロウ!
恋脳Experiment(先行上映会) アンダーニンジャ ミッシング・チャイルド・ビデオテープ(初日) I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ
どうすればよかったか? ゴジラ対メカゴジラ(4K) オークション 盗まれたエゴン・シーレ
僕らの恋愛スクランブル(舞台挨拶付き) 繕い合う・こと エマニュエル(2025) Welcome Back
妖星ゴラス(4K) 僕らの恋愛スクランブル 海底軍艦(4K) 私にふさわしいホテル

メカゴジラの逆襲(4Kリマスター版)


日時 2025年1月31日21:35〜
場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン5(TCX)
監督 本多猪四郎
製作 昭和50年(1975年)


ストーリー省略。
ゴジラシアターという旧作4K化(というか4Kソフトを作ったのでその記念上映らしい)に伴う上映。「ゴジラ対メカゴジラ」に引き続いての上映。
1日2回上映だが朝9時頃からの上映と夜の9時半とか10時からの上映だ。本日の9時35分はまだ早いほう。
終了は11時過ぎだから、かなり遅い。
それでも東宝エクストラスクリーンというTCXでの上映だからいい上映である。
こんな大型スクリーンで「メカ逆」を観られるのも滅多にないからな。

さすが4K化でTCXの巨大スクリーンに上映しても遜色がない。
真船博士の娘の桂役の藍とも子さんの美しさを改めて感じる。

でもゴジラはなかなか出てこないし、出てきても「出るのが当然」とばかりに唐突に出てくる。
また前にも思ったけど、桂が佐々木勝彦演じる調査官に真船博士のノートを届ける最初のシーン、運転手の沢村いき雄が唐突に見張っているという設定でインサートされる。
ここつながりが悪いよ。ちゃんと位置関係を示すカットがなきゃ。

高山由紀子さんがシナリオセンターでの勉強中に「『メカゴジラの逆襲』というタイトルでプロットを出してください」という課題があり、それが採用された本作。
要するに脚本料を安くしたかったので「そこらへんの新人に何か書かせとけ」というノリだったのだろう。

高山さんにはトークイベントの時に聞いた覚えがあるのだが、「新人脚本家の作品だから監督やプロデューサーに脚本を変えられて『私のやりたかったことはどこへいってしまった?』ということはなかったですか?」という私の質問に
「確かに変更はありましたが、私が書きたかった『サイボーグ少女の恋』というテーマは残してくれたのでよかった。確かに最初は上野や銀座を襲う設定があった」ということでした。

だからゴジラが出てくるまでの桂と佐々木勝彦の調査員との関係の方に話の重点が置かれているのだろう。
正直寝落ち寸前で観ていたけど、観てよかった。





怪獣ヤロウ!


日時 2025年1月31日19:25〜
場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン10
監督 八木順一朗


岐阜県関市、刃物で有名な町だが今は寂れている。観光課の山田(ぐんぴぃ)、武藤課長(手塚とおる)、古川(三戸なつめ)も頑張ってはいるが結果はでない。
ある日、市長(清水ミチコ)から「ご当地映画」の製作を命じられる。脚本はすでに市長が書いたという。中学生の頃、自主で怪獣映画を作って文化祭で上映して失笑をかってそれ以来すべてに自信喪失していた山田だが、一念発起して監督をやると言ってしまう。
市長から秘書課の吉田(菅井友香)が予算、スケジュール管理でプロデューサーとしてつくことになった。
課長たちの頑張りで協力してくれる企業も増えた。
盛り上がってきたので市長が「撮影を見学にいきたい」と言い出す。
それまでにある程度見せてほしいと言われ、吉田が編集をしていたが、PCにコーヒーをこぼし素材が消えてしまう。
急遽対策を相談された山田は同じ市にかつて怪獣映画を撮った本多英二監督(麿赤児)がいることを思いだし、急遽協力を願い出る。
本多は「今更」と協力は断ったが、自宅にあるミニチュアなどは貸してくれた。
翌日、市の施設の屋上にミニチュアセットを組んで火薬も仕込んで撮影をしようとしたら、カミナリが落ちて大爆発。
市長や市民から抗議が殺到し、映画は中止に。
しかし応援する声も多く、今度は怪獣映画を作ることになった。
でも着ぐるみとかはもうない。


とにかく怪獣映画のすそのも広がったので作りたがる人が増えている。
で低予算で自分で作ろうとする。運良く劇場公開される訳だ。
そういう怪獣映画好きは結構いるもので、本日初日の夜の回ではキャパ100席のスクリーンは満席である。

低予算ものだからイタい部分をごまかそうとコメディ路線に走る。
キャスト費もないから全然知らない人が出てくる。
この「ぐんぴぃ」なる人がそう。
YOUTUBEとかで活躍してるらしいが全く知らないただのデブである。
これがなあ、多少なりともイケメン枠に入りそうな人なら私の感想はまたちがったと思う。
ルッキズムとか言われるのかも知れないが、ぐんぴぃは主役という人ではない。(でも映画とかテレビドラマってやっぱりルッキズム関わるよな。美男美女が出てる方がいいもん)

そして「本多英二」なる怪獣映画の監督が突然登場する。
関市にそんな有名な監督が住んでるならなぜ山田はもっと早くからコンタクトを取っていなかったのか?
映画の製作が決まる前からファンとして交流があってもよさそうなのに。

そして最後に「着ぐるみがないのにどうやって怪獣映画とするのか」で、結局山田がスーツのままで巨人として破壊を行う。
最初はスーツを着ていたが、終いにはパンツ1枚である。

正直言う。デブの裸を見ても気色悪いだけである。「そんなもん見せるな!」って感じだ。
これが秘書課の吉田さんなら最後に水着や下着にならなくても美女が町を壊していけば「巨大フジ隊員」のごとく、結構シュールで面白かったと思う。

「諦めなければ夢はかなう」的な結論なんだけど、やっぱり「ぐんぴぃ」なる人物が映画をぶちこわした。
初日に見るほどの映画ではなかった。
(これはこの後の「メカゴジラの逆襲4K」が21時35分からなのでそれまでのつなぎもあって観たのだけれどね)

ちなみにタイトルは「怪獣野郎」と「怪獣やろう!」のダブルミーニングで作ってると思います。





恋脳Experiment(先行上映会)


日時 2025年1月30日18:30〜
場所 シネマカリテ・スクリーン1
監督 岡田詩歌


2023年9月の映画アーカイブでの上映以来の一般向け上映になるそうで、2月14日からの本公開に向けての先行上映。
上映前に舞台挨拶だったのだが、これはマスコミ向けだったということか。

登壇は祷(いのり)キララさん、平井亜門さん、岡田監督。
「キララさん、平井さんは何か呪いにかかっていたということはありますか」
キララ「女性は一人で海外旅行をしてはいけない、と思いこんでいたんですが、去年それを打ち破って一人で海外旅行をしました。行ってきたのはタイとカンボジアです。トゥクトゥクをおじさんに案内してもらったんですが、おじさんが携帯を持ってないんで次の日に迎えに来てくれる約束もだいたいで、会えるか不安になったりしました。一度はぐれたことがあって、必死に探しました」とのこと。

平井「29歳なんですが、この歳まで生きると人を好きになってフられることもあります。でもそういうのもすべて糧になってます」という話。
平井さんの恋愛話は気になる。

忘れていたのは仕草と別れた後、中島歩と同僚が中華を食べてるときに「女は自信持たせちゃダメ」とか言ってるシーン。
それを聞いた女子店員が同僚に持って行くはなくそを砕いて半チャーハンにかけるところ。
こういうシーンがあったことをすっかり忘れていた。
この女子店員は特に物語りには絡まないのだが、監督の思う「男の身勝手さ」に対する岡田監督の復讐が見られてよかったと思う。

仕草って男と別れた後、卒業制作で佐伯の部屋を再現したり「告別式」のイベントをしたりして結構めんどくさい女だなとも思う。
でもラストで佐伯と動作のキャッチボールをしていくラストシーンで、何か晴れがましい笑顔になっていくのはよかった。

個人的には平井亜門のタックトップ姿から見える腕の美しさに惹かれる。







アンダーニンジャ


日時 2025年1月26日13:40〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン4
監督 福田雄一


日本には今でも実は忍者がいてその数は20万人。警察官や自衛官らと同じくらい。
彼らはNINという組織に属していた。しかし厳しい組織からの脱落者もいて、それらは「アンダーニンジャ」という別の組織に雇われていた。
雲隠九郎(山崎賢人)もその一人。おんぼろアパートでひたすら吹き矢で遊んでいると上司の加藤(間宮祥太郎)から講談高校にアンダーニンジャが潜入していると情報があり、高校に転入しその目的を探るように言われる。
主事(平田満)と呼ばれる学校のいろいろを行っているおじさん、学校一の美少女と言われる山田(山本千尋)、盗撮趣味があるらしい瑛太(坂口涼太郎)、実は同じNINのエリート蜂谷(宮世琉弥)、まともなクラスメート野口(浜辺美波)らがいる。
果たして誰がアンダーニンジャなのか?そしてその目的は?


コミックの実写映画化で福田雄一監督作品。
内容的にもまったく観る気が起きないが、山崎賢人主演ということで見に来た。いいかげんコミック原作に山崎賢人を使うのをやめたらどうかと思うのだが、ここ数年かれの映画は「キングダム」も「ゴールデンカムイ」もみんなコミック原作である。

正直いうけど福田雄一作品は映画だとは思ってない。
あれはコントである。映画館でやってるから映画という訳にはいかないだろう。「ドリフの大爆笑」をもし映画館で上映しても映画とは言わないはずだ。じゃあ映画の定義とはなんだと言われるとはなはだ困るのだが、一応「作ってる人が映画を作ってると思ってるかどうか」としている。
福田雄一が「映画を作ってる」と言われると私の定義に反して困るのだが。

本筋と関係ないシーンでやたら笑いを取ろうとする。
佐藤二朗の売れない小説家の件(ニンジャが自分の活動を知ってもらいたくてこの作家の元にやってくるのだ)、雲隠の隣に住む大野(ムロツツヨシ)の住人の件。
特に大野のビールを飲んだ飲まないで延々とワンカットでやるあたりは「ここいるか?」と本気で思った。くどいのだよ。

でも全く魅力がないわけではなく、山崎賢人や宮世琉弥が(スタントも誓ってるだろうが)ワイヤーアクションをするあたりはかっこいいな、と思う。
でもそれだけである。

一応コメディだが映画の上映中、観客が声を出して笑うことはなかった。ただし映画が終わった後は観客は満足そうな顔をしていたから、ニヤニヤ笑いをしていたんだろう。

映画とは関係ないが、ロケに使った高校は「ハルチカ」で使った高校と一緒だったな。入り口が同じだからわかった。





ミッシング・チャイルド・ビデオテープ(初日)


日時 2025年1月24日20:30〜
場所 テアトル新宿
監督 近藤亮太


本日公開初日。KADOKAWA配給なのだが、かつてはシネマート新宿と同じビルに角川シネマ新宿があったが今はなく、武蔵野館あたりで公開かなと勝手に思っていたら、テアトル新宿とヒューマントラスト渋谷である。
渋谷で17時の回の上映後、20時の回の上映前、新宿では20時30分の回の上映後に舞台挨拶。
新宿ではレイトの1回だけである。今回は上映後の舞台挨拶。映画の上映後なので22時20分ぐらいから。

登壇者は近藤監督、杉田雷麟、平井亜門、森田想、藤井隆の5名。
近藤監督は「初日に満席になってうれしい、そして全国拡大公開が決まりました」と感激してました。
平井さんは「テアトル新宿の舞台挨拶は初めてだな」と思っていたら、平井さんも挨拶の中で満席のお礼を述べた後「個人的にはテアトル新宿での舞台挨拶は初めてなのでそこもうれしいです」とおっしゃってました。

撮影の思い出などでは杉田さんが「僕が大変だったわけではないですが、骨壺を発見するシーン、CGとか使ってないのでスモークをスタッフの方が炊いてるんです。それが風向きとかあるんでみなさん大変で、こっちも失敗できないなと緊張しました」

藤井隆さんの出演は1日だけだったそうで(多分そうだろうなとは思いました)「普段明るい役なので、ホラー映画に出てぶちこわさないか心配しました」

あと本筋には関係ないシーンですが旅館の息子役の吉田山羊(ヤギ)さん、みなさん誉めてらっしゃいました。今後も注目の役者さんです。

時間も遅いのでサイン会とかお見送りも特になし。
今年初平井亜門でした。





I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ


日時 2025年1月19日15:40〜
場所 アップリンク京都・シアター3
監督 チャンドラー・レヴァック


2000年代の始め。
カナダの田舎町に住む高校生、ローレンスは映画が大好きで将来はニューヨークの大学(NYU)で映画を専攻したいと考えている。
学校の卒業アルバム的な映像の制作を友達としているが、本音ではそんな映像は低俗でやりたくないと思っている。
NYUは年間の学費が9万ドルと知り、少しでも学費を稼ぐために行きつけのレンタルビデオショップでバイトを始めようと履歴書を持って行く。
店長は聞き流すが、たまたま空きができたのでローレンスは採用された。
しかし初日に新発売のシュレックのDVDを5枚売れとノルマを課せられる。「そんなことやりたくない」と抵抗するが受け入れられない。
学校の卒業アルバム的映像の方は一緒にやっていた友達が、女の子を連れてきて「彼女も一緒にやろう」と言い出す。
ローレンスは彼女を加えることを反対。
ある晩友達に「俺もニューヨークに行こうかな」と相談されてもローレンスは「でも君とはニューヨークでは別だ。言ってみれば君は仮の友達だ」と言ってしまう。
そのことがきっかけで疎遠になり二人。
地元の大学には奨学金付きで合格したが、ニューヨークに行くつもりだ。
しかし結局ニューヨークの大学は落ちた。


いまおか監督がブログで観たこと書いていて、カナダで大ヒットしたコメディということで興味が湧き鑑賞。
端から見ればローレンスもいやな奴に見えるかもだけど、私は嫌いになれなかったなあ。

なんかこう、昔の自分を見るようである。
「自分は映画監督の才能があって、こんなところにいる人間じゃない」と思いこむ万能感。
若さ故と言ってしまえばそれまでなんだけど、それだけでは片づけられないものを感じる。

卒業アルバム動画を一緒に作ってる友人をどこか下に見ている所、女の子を入れようとした時に反対した閉鎖的な性格、なんかわかっちゃうよね。
今なら「だめじゃん」とか思うけど。

映画の場合って何でだろうね。これが小説家とかミュージシャンならあり程度自分でも一人で作品を完成させることが出来るから自分の才能の程度に気づくのだろうか?
それとも「俺の作品の良さを解ってくれる人が周りにいない」とか思うんだろうか?

そんな万能感のあるローレンス君のNYCに落ちて地元の大学に行くと決まったときに店長がアドバイス。
「自分の話をするんじゃなくて、まず人の話を聞きなさい」
ローレンス君、大学に入ったらそれを実践している。
えらい!

ローレンス君、NYUに行くことだけが映画じゃない、好きで居続ければなんかいいことあるよ、そう声をかけたくなる映画だった。





どうすればよかったか?


日時 2025年1月19日11:50〜
場所 京都シネマ・シネマ2
監督 藤野知明


札幌出身の映画監督の藤野知明には8歳年上の姉・マサコは子供の頃は勉強も出来て弟の面倒見もよかった。両親は医師で開業医ではなく、研究者だった。その影響もあって姉も医大を志望するが、4年かかって入学できた。
教養課程が終わって解剖実習などが始まる頃(1993年頃)、突然夜中に大声を上げるようになった。何事かと救急車を呼んで父の知り合いの精神科の医者に診てもらうが、翌日何ともないと帰ってきた。
しかし弟からすればとても正常には見えない。
北海道大学に進学し、家族の問題を何とかしたいと思い、カウンセリングの先生に相談する。心理学科の先生が姉を診てもらえることになったが、当日は来ず、母だけがやってきた。母は父がその心理学科の先生の論文を読み、納得できないからと診せるのを断ったのだ。
知明は就職して東京に行き、やがて映画の専門学校に入った。
2002年から家族の様子を記録しておこうと帰省する度に家族と過ごす時間を出来るだけカメラに納めようとする。


ドキュメンタリーだし姉が統合失調症になる話とか聞いてパスしようかと思ったが、いまおか監督と話しているときに「よかった」ということなので、昨日に引き続き京都で映画を観るのにチョイス。

冒頭、「この映画は統合失調症の実態を描くことが目的ではありません。
統合失調症の原因を探ることも目的ではありません」と示される。
そう、結論から言うとどこの家庭にも大なり小なりある、家庭の問題である。

両親は姉を治療を受けさせず、「姉は何ともない」と信じてかたくなに医者に診せない。
知明は「でもぜんぜん改善してないじゃん。医者に診せよう」と説得するが母は「パパが反対する。そうすればパパは死ぬ」とかたくな。いくらいっても聞かずに「もう寝る」と話を打ち切る。

2000年代後半、母は「イギリスやアメリカが姉を誘拐しようとして、壁を伝って上ってきて窓を開ける」と言い出す。
認知症を患ったのだ。
そして姉もステージ4のガンと診断される。
ついに姉は入院。合う薬が見つかって3ヶ月で退院出来た。
母は亡くなる。
姉も数年後、亡くなる。

姉の葬式で今は車いすとなった父が喪主の挨拶をする。
「娘の人生はある意味では充実していたと思います」
映画の最後に知明は父にインタビューする。
「なぜもっと早く姉を病院に入れなかったのか」
「母さんがいやがったから」
「娘が精神病と知られるのがいやだったか?」
「それもあると思う」
「では最後に聞きたい。どうすればよかったと思う?」
「私は失敗したとは思わない」

母は父が反対したといい、父は母が反対したという。
お互いがお互いのせいにしている。
でもそれは我が家でもあることだ。問題はもっと大したことない場合でも。
家族は難しい。他人なら関係を絶つことも出来る。しかし血のつながった家族となるとそう簡単ではない。
藤野家を通じて、私は自分の家族のことを考えてしまうのである。
そしてつぶやく。
「どうすればよかったか?」







日時 2025年1月18日10:10〜
場所 アップリンク京都・スクリーン1
監督 吉田大八


フランス文学の元大学教授の渡辺(長塚京三)は妻が亡き後、一人で先祖から受け継いだ家に住んでいた。時折講演や原稿の依頼があるが暮らしていけるほどではない。年金とわずかな収入の足りない分は貯金を使っている。
その金額からすれば後何日生きられるかを意識しながら生きている。不思議とその日々に悲壮はない。
デザイナー、雑誌の編集長、舞台美術の仕事をしているかつての教え子たちが時々訪ねてきて寂しさを紛らわせてくれる。
ある日、その教え子と立ち寄ったバーで歩美(河合優実)というフランス文学を学ぶ女子大生に出会う。
時々スパムメールが渡辺のパソコンにもやってくる。
その中で「敵が来ている。マスコミは報じない」と書かれてあった。無視した渡辺だがなんとなく気になる。
偶然から歩美が大学の授業料を滞納していると知り、お金を貸したが急に連絡が取れなくなった。
そして死んだ妻が「あなたは元教え子のことを考えて一人でしている」と攻めてくる。亡き妻信子、元教え子の靖子に攻められる日々。これは夢なのか?


2024年の東京国際映画祭のコンペティションで最優秀賞を受賞作品。
監督は「桐島」の吉田大八。
予告編とか見て「本来知性のあるはずの元大学教授がネトウヨになる」という話かと思ったら、そうでもない。

後半は夢の中で元妻に攻められたり、妄想の避難民が出てきたりする。
そして夢の中では汚れていた避難民の為にお中元でもらって使いきれない石鹸を玄関に置いたりする。
隣の人は犬を散歩させる人に「あんたの犬がうんこを捨てた」と喧嘩をしている。

そしてついに自殺を試みる。
そういうなぜか自分に対してすべての人が敵対行為をしてるかのような幻想を抱く。
見たときは「なんだかわからなくなった」と思ったけど、そうか、すべての人や物事が自分に敵対している疑心暗鬼に刈られるのだな。
それは隣の人もそうなのだ。

河合優実の女子大生も幻想なのかも知れない。金は別のことでなくなったのかも知れない。
自分から収入を得るという事がほとんどなくなり、今あるものを守るだけの生活になる。
そうなるとすべてが敵に見えてくるのかも知れないなあ。
まもなく私も渡辺に近くなるが、それはよく解った。

この映画でやはり特筆すべきは河合優実。
数シーンの登場だが、本当に色気がある。
特に美人というわけではないのだが、なんか引き込まれちゃうなあ、河合優実は。今後の日本映画を代表する若手女優だ。



ゴジラ対メカゴジラ(4K)


日時 2025年1月13日9:30〜
場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン10
監督 福田純
製作 昭和49年(1974年)


ゴジラ70周年だった昨年の後半は「ゴジラ」「キングコング対ゴジラ」「三大怪獣地球最大の決戦」「ゴジラVSビオランテ」の上映が行われ、公表だったのか、今年も「まだまだ続きます」というわけで、「ゴジラ対メカゴジラ」「メカゴジラの逆襲」「ゴジラの逆襲」他1本が上映される。

今更どうしようかと迷ったが、昭和ゴジラは観ておこうと思って来た次第。関東では日比谷だけである。

昭和の古い作品ではあまり思わなかったが、70年代の「メカゴジラ」ではアップになったときの肌の質感が今まで感じたことのなかった鮮明さだ。

でも妙にピントがあまいカットが時々ある。
フィルム時代は感じなかったが、今回は気になった。撮影時のミスで本来ならNGカットだが、仕方なく使ったか、あるいは撮影場所の関係で望遠レンズで捉えたか、あるいは何らかの事情でトリミングしてズームアップしたとか。
(気になったのはさんふらわ号の食堂で大門正明と田島令子が話すシーン。二人の引きのカットではピンが甘いのだよ。

あと今福政雄のナミのおじいちゃんが、どちらかというと反ヤマト、反本土的な感じである。
きっと先の大戦でナミの両親とか亡くしたのかも知れないな。

あとゴジラも血しぶきを吹くし、ゴジラ自体の出番も少ないし、厳しい制約で作ったのだな、ということは70年代の空気を感じた。





オークション 盗まれたエゴン・シーレ


日時 2025年1月12日19:10〜
場所 BUNKAMURAル・シネマ渋谷宮下 9F
監督 パスカル・ボニゼール


パリのオークションハウスで競売人として働くアンドレ・マッソン(アレックス・リュッツ)は最近ついた研修生の助手が扱うづらくて困っている。
フランス東部の工業都市ミュルーズで働く化学工場の夜勤労働者のマルタンはある日、立ち寄った雑貨店においてあった雑誌の表紙に描いてある絵が自分の家の2階にある絵と似ていることを発見する。弁護士に相談し、その弁護士はマッソンに連絡した。それはエゴン・シーレの「ひまわり」に似ていたが、99%偽物と思う。そうは言っても頼まれたので、元妻で同じく絵の専門家ベルティナとマルタンの家に向かう。
そこで見たのは本物のエゴン・シーレの「ひまわり」だった。
「なぜこの家にあったのか?」マルタンの話ではこの家の前の持ち主が残したものだという。持ち主は死亡していたが、家にあった遺品から彼が戦争中にナチスに協力していたとわかる。「ひまわり」は元の所有者がナチスに追われたが、途中で捕まり、絵のコレクションも奪われたのだ。
ナチスはエゴン・シーレに興味を示さなかったので、この絵もチップ代わりにナチスの協力者に与えられたものと思われる。
経緯も説明がついたのでこの絵はパリに運ばれた。
オークションでは1200万ユーロから始められると強気になるマッソン。
しかし有名な絵のコレクターが「この絵は状態がひどい。がっかりだ」と発言。絵の価値は見直され、遺族も800万ユーロで買うという人がいるのでその人に売ろうと言い出す。
話から外されたマッソンは抗議するが、遺族の代理人は「この絵の所有者は我々だ。どうしようと勝手だ」と拒絶する。
そんな時、マッソンの助手からあることを告げられる。


意外とあらすじに字数をとられた。
予告編を見て「失われた絵が発見」というネタが面白そうだったのだ。「戒厳令の夜」とかもそうだ。

しかし私の予想に反してエゴン・シーレの絵の話ばかりではない。
だいたい90分の映画なのにマッソンが絵を見に行くのは30分を過ぎてからなのだ。
その前に例の気難しい研修生の若い女の子の話が延々と続く。

彼女の父親も稀少本のオークションに関わっていて、母親を捨てた過去を持つらしい。んで自分が会ってる父親は実の父親ではないらしいのだが、
逆に父親の方がそれを知らなかったらしく大喧嘩が始まるという展開がある。

この辺いる?
もちろん監督にしてみればいるんだろうけど、私には関係ない枝葉の話に見えてしまった。
実の父親が代理で落札しようとしている本をオークション会場でつり上げ、わざと高い価格で落札させる。で父親に依頼した人間は高すぎるのでキャンセルするという形で父親に大損させる。
このエピソードは面白かった。

その研修生が後半で「絵の価値を下げさせる空気を作って安く絵を手に入れる作戦だ」と見抜く。
それで遺族に再交渉し、再びオークションにかけて2500万ユーロ(1ユーロ=160円 約40億円)で落札させる。

最初の絵の発見者も家にあったものが急に高額な価値になったので、友達の一人はやたら関心を示す。
絵を見せろとか、どうなったとか、裏面の証拠となったものを見せてくれとか。直接「俺にもおごれ」的なことは言わないが、その匂いはする。
でも態度を変えない友人もいる。

マルタン自身はめちゃくちゃ出来た人で欲を言わない。
「元の持ち主に返す。それだけのこと」という態度を一貫しており、落札価格の一部を謝礼としてもらっているが(おそらく億単位)、仕事は変えていない。

絵の発見に伴う人間たちの欲の張り合いというドラマとしては思ったより全体としておとなしめだった。
ちょっとそこが惜しい気もするけどあまり過剰なのもよくなかったかもしれない。






僕らの恋愛スクランブル(舞台挨拶付き)


日時 2025年1月12日11:35〜
場所 光音座1
監督 国沢 実


ストーリー省略。
15時から舞台挨拶だが、11:35の回と13:50の回の2回観た。
途中の「ミステイク」は寝てたけど。

舞台挨拶は国沢実監督、脚本の高橋U太さん、烏丸達平さん、金平輝儀さん。
烏丸さんは髪が長髪になっていて、映画の時とはイメージが変わっていた。でもイケメンである。
今度撮影するBL映画で緊縛師の役でそのために長髪にしたそうで。
検索してみると韓国の映像制作会社が作る歌舞伎町のアングラ文化を舞台でタイトルは「蜘蛛と縄(仮)」(監督:綾瀬凛)らしい。
これもBLということで楽しみですね。

撮影は1年くらい前の寒い時期に行われたそうで、金平さんは完成作品もまだ観てなくてやや記憶が曖昧。
でも乾布摩擦のシーンから撮影はスタートでとても寒かったそうだ。
またシナリオでは最初ランニングだったらしいが、監督の方で乾布摩擦に変えたそうで。
それは正解だったと思う。
ゲイ映画ですからね。やはり脱がないと。

シャワールームのシーン、あそこはやはり引きの画で撮ってほしいと思ったが、最初は別のサウナのような部屋も用意したそうだ。
でも木の床が腐っているのか危険を感じたので、あの狭いシャワールームになったそうで。
やっぱりそうだよなあ。

その後ポスタープレゼントのじゃんけん大会があり、舞台挨拶は終了。
終わった後、4人ともロビーにいらっしゃったのでサインをいただけた。
烏丸達平は今後とも追いかけたいと思う。
BLとかOPとか今のところエロ系の映画が多くて、エロメン路線かも知れないけど、それはそれでファンとしては楽しみです。






繕い合う・こと


日時 2025年1月11日12:20〜
場所 新宿K'cinema
監督 長尾和彰


亡き父の跡を継ぎ、金継ぎ師となった兄・護(長尾和彰)。金継ぎ師とは割れた陶器を金属を使って補修しもう一度組み立てる仕事だ。一人でやっていくにはなんとかやっていける収入はある。
弟の幹(黒住尚生)が年末の大掃除もかねて帰ってきた。今は幹は失業している。実家に帰ってきてただだらだらとしている幹に護はつい小言をいう。
「親父みたいだな」
幹は家から父の部屋も片づけられ、遺品もなくなっていることに気づく。
そのことで取っ組み合いの喧嘩をする護と幹。
家に居づらくなった幹は先輩がやっている居酒屋に行く。そして泊めてもらう。
その先輩の妻は妊娠していて、大晦日の晩、ついに陣痛が始まった。
幹は護に頼んで先輩夫婦を病院に運んでもらう。
子供は無事に生まれた。そのことがきっかけで、ぎくしゃくしていた護と幹もわだかまりを忘れた。
新年が始まった。


ストーリーを書くとこんなもんである。
この映画の主演は「カメラを止めるな」でイケメン俳優を演じていた長尾和彰。
友人がクラウドファンディングに参加したらしく、その縁で「観てください」と言われチケットももらった。
だから観た。そういうきっかけがないと観なかったね。

正直言うけどファーストカットで心が離れた。
護の家の茶の間の朝、パジャマ姿で護がやってきて石油ストーブを点ける。護は左にフレームアウトして台所(たぶん)に行く。
ここで歯磨きや顔を洗ってるであろう音だけがする。
これが延々と続く。実は2、3分かも知れないけど長く感じた。

「コウイウ映像を撮ル俺カッコイイ!」とでも思ってるのであろうか。
私に言わせればバカである。映画の映像はやはり映像メインであるべき。
「フレームの外を観客に想像させる、そういう演出カッコイイ」と思ってるんだろうけど、何度も言うけどバカだし、若さ故、カッコつけてるのかなあ?

こういう「オレ天才!」的演出が私は嫌いである。
このカットを観ただけで心が離れる。
この後も父親の遺品を捨てたことで喧嘩するのだが、その時もカメラはFIXで部屋の奥で二人は喧嘩している。
引きすぎだよ、すこし寄れよ。
まあ「泣け!」「盛り上がれ!」的演出を排してわざと引いたのはわかるんですけどね。
でも引きすぎですよ。

そんな感じでやたらと引きの構図が多い。
だから引きすぎなんだよ。

母親がいつ死んだかわからないけど、父親が亡くなって親が死ぬと兄弟って意外と離れていくんだよね。それは私も同じなのでよくわかった。

あと金継ぎ師という珍しい職業なのだから、もうすこしここを捉えてほしかったな。「茶碗の修復」が「家族の絆の修復」につながってるのは分かるんだけど。






エマニュエル(2025)


日時 2025年1月11日9:15〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン12
監督 オードレイ・ディヴィン


エマニュエル(ノエミ・メルラン)は香港の一流ホテルにやってきた。パリからのファーストクラスの飛行機の中で男性客とトイレで楽しむ。
彼女がホテルに来たのは仕事の一種でそのホテルやその関連のサービス具合をチェックしてオーナー企業に報告することだった。
プールの常連客に若い女性がいる。本も読まず、プールにも入らない。彼女に声をかけてみるが英文科の学生だという。防犯カメラの担当者に聞くと彼女は時々奥の小屋の方に向かっていくという。一度それを尾行してみたエマニュエルだったが、彼女はその小屋でセックスしていた。
また宿泊客だがいつも部屋にはとまらない男に興味を持ち近づいてみる。


昨年の東京国際映画祭でプレミア上映され気になっていた映画。
「エマニエル夫人」は同タイトルで何度も映画化されており、今更感もあったのだが、気になったので観てみる。

ぜんぜんだめ。話にならん。
もとより渥美清以外が車寅次郎を演じても違和感しかないようにシルビア・クリステル以外がエマニエルを演じても別物である。

飛行機のトイレでのセックスぐらいが前作を踏襲しているか。
そもそも前作ではエマニエルは外交官を夫に持つ、セレブな有閑マダムだったわけだ。
金も地位もあってその上美人でセックスしまくる、というのが背徳感につながっていた。

しかし今回はホテルの格付けに来たという完全に普通なら敵役のキャラクターである。
このあたりで話に乗れない。

そして裸が少ない、というかちゃんと見せてない。
さらに見せたところで(もちろんそれなりにきれいだが)シルビア・クリステルの神々しい美しさに比べると月とすっぽんである。

完全に心は映画から離れてていて、そこへ最後には謎の客(日本人らしい名前だった)から聞いた怪しげな店に行く。
ここまで映画の4分の3はホテルから話は出ない。

そして香港のビルに行ってなんとかその店にたどり着き、例の怪しい客に店で紹介された男とセックスが始まり、それを男が見るという展開。
どう終わるのかなあ、と思っていたら、そのセックスの最中に突然終わる。

もうだめでしょう。いいところ一つもない。
時間の無駄だったなと思いつつ、映画は見てみなければわからないものなんです。
21世紀の今だから映画における性表現は抑えめで、やはり今更感のある企画だった。






Welcome Back


日時 2025年1月10日20:10〜
場所 テアトル新宿
監督 川島直人


冴木輝彦・通称テル(吉村界人)は新人ボクサー。友原勉・通称ベン(三河悠冴)は同じ団地で育ち、弟のようにしていて今は一緒に住んでいる。
ベンはコミュニケーションが下手だが、記憶力はいい。
テルは同じく新人デビューした青山(遠藤雄弥)をすぐに倒し、東日本新人王になった。西日本の新人王北澤(宮田佳典)との対戦も「勝つに決まってる」となめてかかったが、あっさり負けた。
ベンはテルを崇拝していた。テルが負けたという事実が信じられない。北澤を自分が倒しに行くために大阪まで歩いていこうとする。
途中の川崎で青山とばったり出会う。テルと連絡を取り迎えにきてもらう。しかしベンは東京に帰ろうとせず、一人で大阪に行こうとする。
仕方なくテルもついていく。ベンが危なっかしいと感じた青山は二人を車に乗せて大阪に向かう。途中のジムでそこの練習生と試合をさせてなんとかベンをあきらめさせようとするが以外にベンは強い。
名古屋でつい飲みに行ったときにボッタクリにあってしまう。バーの従業員をボコるベン。
その場を逃げ出す3人だが、「面倒見切れない」と青山は二人を車から降ろす。
大阪についたベンとテル。でも青山も結局はやってきて北澤のジムで合流。北澤とベンは対決するのだが。


友人に吉村界人の大ファンがいて、彼女が「Welcome Back観てください!」というので初日に来た。(早く観たかったというより早く片づけたかった、というのが正解なんだけどね)

完全に映画に乗れなかった。
まずは主人公テルのキャラクター。自分勝手、わがまま、俺様の性格で私が嫌いな人間。こういうキャラクターは悪役でいてほしいのだよ。
周りにいたら絶対避けたいタイプ。
ライバルボクサーだった青山はいい奴で好きになれる。

そしてベン。これもまたアスペルガーなのか、発達障害なのかこれもまた周りにいてほしくない。山崎賢人がいぜんこんな感じの演技で小児科の医者を演じたが、あんな感じである。
こういう「異常を抱えてるけど純粋でいい奴」とする設定自体がいやである。

という主人公二人が私が関わりたくないタイプなので、必然的に映画から心が離れていく。

結局「北澤に八百長で負けてもらう試合をしてベンを納得させる」などをしたのだが、結局ベンも北澤と対戦。でも負ける(確か)

テルはベンを青山のところに残し、一人で東京に帰る。
ラストはやはり仕事もせずだらだらしているテルの日常にテレビ中継なおか、青山がセコンドでベンがリングにあがっている映像がインサートされる。
あれは現実のテレビ中継か、テルの妄想か。
「ぜんぜんカンバックしてないじゃん」という感想。
まあベンの熱意にほだされてテルがやる気を出すっていうのもありきたりですが。
しかも上映時間も2時間近くあってつらい映画体験だった。







妖星ゴラス(4K)


日時 2025年1月5日10:55〜
場所 池袋グランドシネマサンシャイン・スクリーン2
監督 本多猪四郎
製作 昭和37年(1962年)


ストーリー省略。
「海底軍艦」に続き「午前十時の映画祭」枠で上映。
これも何回も見てるけど、「海底軍艦」に比べれば見てる回数は少ないので、面白く見た。

怪獣マグマは不要って意見もあるけど、あれ、いなきゃいないで寂しいよ、きっと。
ある時思ったが「惑星大戦争」で金星に行ったときにキングギドラが出てきたら今の評価も変わったのではないか。
だからあのマグマも東宝特撮のサービス精神の現れなのだ。

それより今回気になった点。
南極基地の司令室を池部良が白川由美と弟を案内する引きのカットがあるのだが、ここ、ピンぼけしてる。
フィルムで見ると気づかなかったけど、4Kにするとわかっちゃうなあ。

あとドラマの方だが、白川由美は田崎潤の娘である。でもその後は志村喬の家にいる。どういう関係?
祖父と孫では田崎潤が志村喬の息子になってしまうし、なんだろう?
説明あったかな?

また何回見ても南極の噴射口の炎の高さがもっと高くほしいし、風に揺られて心許ない。
まあガスの勢いとか野外撮影だから風の影響を受けるとか色々あったらしいのだが、ここ惜しい。
でもそれも愛おしくなってくる。

宇宙あり、怪獣あり、巨大建造物建設ありで、東宝特撮のすべての要素を含んだ名作だったことは間違いない。






僕らの恋愛スクランブル


日時 2025年1月4日13:05〜
場所 光音座1
監督 国沢実
製作 OP PICTURES


カミヤ(烏丸達平)はある大手企業でカウンセリングを担当している。今日も業務提携している警備の加地(竹本泰志)が相談にやってきた。彼は玄関で立哨しているのだが、自分に毎朝挨拶してくれるマサト(金原輝儀)のことが気になっていた。「それはきっと恋ですよ」というカミヤ。
「想いを伝えてみれば?」というカミヤだが、「先生は応援してくれますか?」と言われ、つい「はい、これもカウンセラーの務めですから」と答えてしまう。
加地が帰った後ハンカチを忘れていったことに気づく。そのハンカチの匂いを嗅ぎながらオナニーをするカミヤ。ロッカールームで加地と結ばれることを妄想して果てた。その時ティッシュが差し出された。それは何かとちょっかいを出してくる清掃担当のジュンヤ(朝比奈徹)だった。
ジュンヤにはこのことは内緒にさせた。
ある映画館のポスターをカミヤは見てしまった。それはゲイ映画のポスター。それをマサトに見られてしまった。「これはカウンセリングの勉強で関心があって」とごまかす。
またある朝加地がジョギングして体を鍛えているのを見かけるカミヤ。それをマサトに見つかり、二人で話しているところを加地に見つかった。
成り行きで3人で体を鍛えるための乾布摩擦をするようになる。
会社についてから加地にシャワールームに案内してもらい、そこへ加地が入ってきて背中を流してくれた。でもかえって背中はひりひりに。
それを知ったジュンヤは背中にクリームを塗ってくれたが、それをマサトに見られてしまう。
実はマサトはカミヤのことが好きなのだ。
マサトはカミヤとジュンヤがつきあっていると思い、「どうせ俺なんて」と自殺しようとする。止めるジュンヤとカミヤ。加地も駆けつけ「おまえのことを好きな人もいるんだ。だから死ぬなんて言うな!」と言ってしまう。マサトは加地の気持ちを知り、二人はつきあうようになる。
実はジュンヤはカミヤが好き。カミヤが帰った後、カミヤの服やいすの匂いを嗅いでオナニーするジュンヤ。そこへ忘れものを取りに来たカミヤと鉢合わせしてしまう。
ジュンヤの気持ちを知ったカミヤはジュンヤとつきあうようになった。


話は最後まで書いた。
OPのゲイ映画の新作。監督は国沢実。
別になんにも期待していなかったが、驚いた。主演の烏丸達平がメチャクチャなイケメンなのだ。
言ってみればかつてのカツンの田口淳之介に似た感じ。
こういうイケメンがでてくれるだけで、ゲイ映画としては120点である。
あとで調べてみたら1996年1月生まれの今年で29歳。平井亜門と同級生ということになる。
20代後半の男性に見られるたくましさを兼ね備え、魅力たっぷりである。

カラミのシーンは全体的に多い。しかし描写がマイルドなのだな。R15ぐらいである。
キスシーンにしてもわりとさっぱりしたキスで、同時上映の池島ゆたかの「ミステイク」のようなねっとり感がない。

また上半身の裸は多いが、全身のヌードがないのだ。
シャワールームのシーンなど、設定上絶対に全裸のはずだが、上半身しか写さない。これは狭くてカメラが引けなかったというのもあるとは思うけど
映画のどのカットでもお尻を写さないのは残念だなあ。
だめだよ、光音座で上映するゲイ映画なんだから。

そういう不満はあるけれど、烏丸達平は顔を見てるだけでも満足できるような逸材だった。オークラのピンクにも出ているようだ。
これから追いかけてみたい。




海底軍艦(4K)


日時 2025年1月3日9:30〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン12
監督 本多猪四郎
製作 昭和38年(1963年)


ストーリー省略。
恒例となったお正月の東宝特撮4Kリマスター版の上映だ。
今回は「海底軍艦」と「妖星ゴラス」の2本が上映される。
「ゴラス」より「海底軍艦」派なので、こっちを先にした。
(「ゴラス」はいずれ見る)

「ラドン」「地球防衛軍」の時もそうだったが、何回も見てる映画でしかも朝の早い上映なので、やや眠たい。だから時折一瞬寝落ちする。
だから海底軍艦が出てくるまでが長く感じた。
4Kになったからと言って今まで見えなかったものが見える!(「ゴジラ4K」の時のように)という感じでもなくただスクリーンでフィルムの退色や傷のないニュープリント状態で楽しむわけだ。

それより今回新しい発見があった。
公開時の轟天号の紹介で「戦車のように自走できる」と書いてあって「そんなシーンないじゃん!」と思っていたが、あった!
ドックが海野魚人(このネーミングもすごい)によって破壊され、がれきを除いて発進するシーン。
がれきの中を注水ドックまで移動してるじゃん!
ここが今までは移動用のレールは生きていた、と解釈していたのだがきっと自走していたのだろう。

それがあたらしい発見だった。
見てよかった。




私にふさわしいホテル


日時 2025年1月2日13:45〜
場所 伏見ミリオン座スクリーン3
監督 堤 幸彦


中島加代子(のん)は3年前にある出版社の新人賞を獲ったものの、大物作家・東十条(滝藤賢一)が酷評したために出版社は単行本の出版を見送った。今では出版社も連絡さえくれない。
あこがれの作家たちが泊まった山の上ホテルで執筆をしようと泊まってみた。そこへ大学の先輩で今は大手出版社の編集者・遠藤(田中圭)がやってきた。驚く加代子だが、この上の部屋で東十条が明日の朝9時締め切りの創刊50周年記念号の短編を書くために缶詰になっているという。その原稿が落ちれば私にもチャンスが巡ってくるかも知れないと加代子は計画を企てる。
夜中の3時に東十条が原稿を書いているときに「ホテルからのシャンパンサービスです」とメイドに扮して部屋に乱入。そして結果的に東十条の執筆の邪魔をして原稿を落とさせた。遠藤の力添えもあってなんとかデビュー時とは別ネームで創刊50周年記念号に短編を載せることができた。
遠藤に新人賞の受賞パーティに連れてってもらったが、その席で東十条と再会。「人違いです!」とごまかしたものの、東十条にはばれている。
それを皮切りに加代子と東十条のバトルは続いていく。


予告とか観ていてなんとなく観てもいいかな、と思っていた映画。
名古屋にいるので、行ったことのない映画館ということで伏見ミリオン座にやってきた。ミリオン座は以前は御園座の裏あたりにあった映画館だったが、一度閉館し場所を変えてオープン。今では4スクリーン(前は1スクリーン)で番組は東京なら新宿武蔵野館のような番組である。

で映画の方だが、はっきり言って途中で出たくなった。
「文学界下克上物語」みたいなうたい文句だが、その手段が稚拙。
東十条の部屋に乱入してシャンパンを開けて大騒ぎとかまるでコントのレベルである。
正直馬鹿臭い。

この加代子という人間は単なるわがまま女にしか見えない。
処女作が酷評されたと言ってもそれが東十条の本音なら仕方ないではないか。また新人つぶしのわざとの酷評でも「執筆の邪魔をする」なんて対抗の手段としてはレベルが低すぎ。
この段階で映画館を出たくなった。

多少は笑ったが、これはコントとしての笑いである。結局加代子の行動はその後もいろいろ続くがコントにしか見えない。原作ものだが、原作もこうなのだろうか?
だとしたらはっきり言って演出とか演技とかの問題ではなく、企画そのものが私にはあわなかった。

そんな中でも主演ののんはよかったと思う。女優としての彼女は大好きである。結構ファンなのだと気づいた。