2025年6月

   
劇場版スメルズ ライク グリーン スピリット 還暦高校生 HERE 時を越えて
F1/エフワン 君がトクベツ ルノワール 恐喝こそわが人生
ゴジラ対ヘドラ(4K) 満天の星の下で 0011ナポレオン・ソロ/地球を盗む男 青春ゲシュタルト崩壊
フロントライン きさらぎ駅 Re: 惑星ラブソング ドールハウス
夜の罠(2回目) 0011ナポレオン・ソロ/スラッシュの要塞 0011ナポレオン・ソロ/ミニコプター作戦 国宝
0011ナポレオン・ソロ対シカゴギャング 見える子ちゃん 0011ナポレオン・ソロ/消えた相棒 0011ナポレオン・ソロ/地獄へ道づれ

劇場版スメルズ ライク グリーン スピリット


日時 2025年6月29日15時20分
場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン1
監督 澤田育子


片田舎の学生・三島フトシ(荒木飛羽)は髪を肩まで伸ばしていたが、バスケ部の桐野(曽野舜太)らにいじめにあっていた。「このきもいロン毛を切ってやる」と夢野(藤本洸大)がフトシの髪を切り刻む。「この辺でやめとくか」と言った夢野だったが、「いやまだだ」と桐野がさらに切った。しかしその髪型はショートになってかえってかわいく見えた。
毛深い男性にあこがれるフトシは、夜中にこっそり母親の口紅を塗って本当の自分になり心の平穏を保っていた。
ある日、男たちに絡まれているところを桐野は助けてくれた。その時にフトシが落とした口紅を拾う桐野。お昼休みに誰もいない屋上でフトシ
が弁当を食べていると桐野がやってきた。フトシに気づかず、口紅を塗る桐野。それを見て「あー」と声を上げてしまうフトシ。
それをきっかけにお互いだけに見せる本当の自分をさらけ出し、仲がよくなる二人。
最近着任した社会科の若き教師の柳田(阿部顕嵐)が何かとフトシに関わってくる。授業中に外ばかり見ているフトシに「今度見てたら罰ゲームな」といい、実際に社会科準備室でお尻百叩きの刑を行った。そのときに柳田が勃起していたのを見逃さなかった。
フトシが下校しようとしたとき、タイヤがパンクしていた。柳田がやったのだ。柳田はフトシを「送ってやる」と車に乗せて廃工場に連れて行った。そこで「おまえが悪いんだ。おまえが俺をこうさせるんだ」と襲いかかる。それを救ってくれたのは夢野と桐野だった。


あらすじはこの辺で。
昨年9月から11月にかけて放送された深夜のBLドラマ(全8話)の再編集版。一部追加撮影あり。20分×8話だと160分になるけどこの劇場版は約2時間。40分はカットされてるか。
テレビ版も見ているけど、劇場版もあるというので鑑賞。
今日はTOHO日比谷の一番大きいスクリーン1で4回も舞台挨拶をするのだよ。そして4回ともほぼ満席。荒木飛羽たちの人気もなかなかである。

先に書くけど追加撮影は柳田のシーンのみ。テレビ版では途中から姿を消した柳田が、最終回に酒を飲んでやさぐれて道路で倒れてしまうシーンだけだったが、今回の劇場版ではやさぐれて海に入ってしまうシーンなどが追加されている。
(カットは40分ぐらいあることになるけど特に気にならなかったな)

とにかく自分が何者なのか、なにが、誰が好きなのかわからず迷い続ける若者たちのヒリヒリした青春だ。
そして道を誤ってしまった柳田。
映画の舞台は90年代前半らしいが、田舎のゲイの少年たちの偏見に迷い、自分自身に迷っていく姿がいい。

「好きなのにいじめちゃう」とは実に幼稚なのだが、それが男を好きな自分を否定しなきゃ、という心の現れなんだろう。
柳田がフトシを連れだし自身のセクシャリティを告白するシーンの阿部顕嵐は圧巻。
「お前のせいだ!」といいながら襲いかかる柳田の気持ちは痛いほどわかる。

そして夢野とのキス。ここはファンなら萌えますねえ。
東京へ家出した桐野とフトシだけど、母親が倒れたと聞いてやっぱり帰るという桐野。
そうだよね。なんだかんだいっても家族との縁は切れないよ。

一夏の若者の心の迷いを描いた秀作。「君の名前で僕を呼んで」とかに負けない作品ではないか。
荒木飛羽、阿部顕嵐、曽野舜太、藤本洸大の4人にとっての代表作だ。





還暦高校生


日時 2025年6月29日12:00〜
場所 ヒューマントラストシネマ渋谷・スクリーン2
監督 河崎 実


星雲学園に新人教師・野々山健一(石田泰誠)が着任した。熱血教師の彼は生徒たちに青春を説くが今の高校生には響かない。その中で一人自分の父親より年上の生徒がいた。
同僚の亜紀子先生(戸苅ニコル沙羅)に聞いてみると今年に還暦になった椎名一平君(ひかる一平)だという。ってことは42ダブだ!
かつての同級生伊藤(直江喜一)は今は設備会社の部長になっており、学校に営業に来ていた。久々の再会に夜には飲みに行く二人。
しかし生活指導の先生は伊藤には厳しく当たった。ある日学校に伊藤が行ったときに「この負け犬!腐ったみかん!」と言い放つ。
怒った伊藤は生活指導の先生と放送室に立てこもる。「謝れ!腐ったみかんと言ったことを謝れ!」。校長(古谷敏)がやってきて二人を諭したが、警察が来て伊藤は連行されていった。
また校長に勧められて健一はサッカー部の顧問に。かつては椎名と同級生だった教頭(長谷摩美)から椎名はサッカー部のエースだったと聞く。
それを聞いてサッカー部への再入部を勧誘したが、「もう歳だから」と断られる。しかし健一の勧誘は止まらない。椎名は「先生が1000本のPK戦ですべて止められたら入部する」と言う。
健一は受けて立った。


三越日本橋店の福袋企画映画。つまり数年前の「メグライオン」と同じ企画で再び同じ人の長谷さんの企画。1回河崎さんとやってるんだから同じお金を払うなら、三越通さずに直接リバートップに発注すればいいのに。

しかも主演はひかる一平!
「メグライオン」の時もキャストの希望を河崎監督から聞かれた長谷さんが「ジャニーズは?」と言ったら即却下されたそうだから、もともとはイケメンアイドル好きなのだろう。
だから往年のひかる一平のファンだったのかも知れない。

ひかる一平は「金八先生2」に出演の後、東映で「胸騒ぎの放課後」(立ったかな)で主演した後、特に見かけることもなく徐々にフェードアウトしていった印象。
だから40年ぐらい見てなかったと思う。現在は子役タレントの事務所の社長だそうだ。

久々に見たひかる一平だが、まあその辺のおっちゃんレベルである。かつての美少年タレントとは気づかない。直江喜一は「あの人は今」的な番組で時々見かけていたから、そのまんまだったけど。

でも直江喜一が放送室に立てこもって「謝れ!」とかやるとはなあ。
テレビ史に残るような名シーンなんだからセルフパロディとかしてほしくないような。しかも警察が来て逮捕されるシーンなどスローモーションにして私としてはやりすぎである。でもひかる一平、直江喜一が出て本人が承知すればやっちゃうよな。

後半のPK戦は「野球どアホウ未亡人」のような展開。脚本は同じ人である。

それにしてもラストで「実は僕は宇宙人なんだ!」と椎名が言うのはびっくりした。しかも「ウルトラセブン」の最終回でダンがアンヌに告白した時と同じように背景が変わる。
今回は怪獣、特撮ネタはなしだと思っていたので、よけいに驚く。

まあ面白い映画ではないけれど、相変わらずの河崎実ワールドでした。






HERE 時を越えて


日時 2025年6月28日13:55〜
場所 下高井戸シネマ
監督 ロバート・ゼメキス


アメリカのある地方都市の一軒家。ここはかつては恐竜も通り、原始時代にも人が住み、アメリカ先住民も住み、植民地時代もあり、1900年代になってからも何代かの家族も住んだ。
この家はリチャード・ヤング(トム・ハンクス)の父が第二次世界大戦後に購入し、リチャードが生まれた。リチャードに彼女、マーガレット(ロビン・ライト)が出来た。リチャードは絵を描くのが好きだったが、マーガレットが妊娠し、結婚し絵はあきらめ家族のために働くようになった。
リチャードとマーガレットはこの家で住み始める。だがマーガレットにとっては義父母との同居は気まずく、別の家を買いたがったが、リチャードは反対し続けた。
老境に達したリチャードの父母はフロリダに引っ越した。だが数年経ち、リチャードの母は亡くなり、父だけがこの家に戻ってきた。
リチャードの娘ヴァネッサは優秀な娘でやがて弁護士となって活躍するようになる。
今は寝たきりのリチャードの父との同居は耐え難く、ついにマーガレットは出て行った。リチャードの父も亡くなった。
リチャードはついにこの家を手放す。その後には黒人のハリス一家が住んだ。
また家は売りに出された。そのセール中の家にリチャードは今は痴呆が始まったマーガレットを呼んだ。


定点観測的に全く同じ場所を恐竜時代から現代までを描いていく映画。
ちょっと目新しくもあったので、今年春の公開時に観ようかと思ったが見逃していた。この度、ある事情があって観なければならなくなり、下高井戸シネマまで追いかけて観た次第。

完全に定点観測で、カメラは固定のまま移動もアップもない。
ただ予想と違ったのは時系列がバラバラなのだ。
恐竜時代から始まるのは分かるとして、その後は原始時代、先住民時代、植民地時代、20世紀になってからの飛行機好きの金持ちが住み、スペイン風邪でなくなり、戦前はリクライニングのいすを発明した夫婦が住みそしてヤング一家が住んでいく。

これが流れなのだが、とにかく時系列が壊していて各時代のシーンが入れ替わり出てくる。それも場合によっては1分足らずのシーンもある。
これが観ていて混乱するのだなあ。
各時代各時代のエピソードを順番に進めていっても面白くないかもしれないけどちょっといじり過ぎじゃないかなあ。

それにしてもリチャードの妻のグチを聞いていると嫁姑問題というのは日本だけの問題ではないんだな。
日本は家が狭いから嫁姑が対立するって聞いたことがあった気がするが、アメリカでも同じことが起こってるんだから別に日本とか関係ないんだな。

正直時系列をいじくりすぎてて私は好きになれなかった。




F1/エフワン


日時 2025年6月27日18:20〜
場所 TOHO新宿・スクリーン9
監督 ジョセフ・コシンスキー


かつては天才新人と言われたソニー・ヘイズ(ブラッド・ピット)だったが、現在はギャンブルや離婚で身を崩し、車中で生活しながら各地のレースを転々としていた。モンタナのレースが優勝で終わり、チームオーナーから続投の話が出たが断った。
ある日、旧知のドライバーで今はエイペックスのチームオーナーをしているルーベン(ハビエル・バルデム)からF1レースへの参加を頼まれる。
エイペックスは新人ドライバーのジュシュア・ピアス(ダムソン・イドリス)だった。生意気な彼はソニーを「年寄り」と完全に見下す。
エイペックスは今年1勝もしておらず、チームは低迷していた。ジョシュアはそれを車の問題としていて技術者のケイトとの関係もこじれていた。
ソニーも乗ってみたが、テストドライブで車は大破。
初戦のレースでも車を破損し、ソニーは完走できなかった。
しかしそれも作戦で次のレースでソニーは車をコースアウトさせたりして車を破損させ、コース整備のために全車に速度制限をかけさせたりして、先頭グループに飛ばしすぎないようにさせていた。そのおかげでジョシュアは初の入賞。
次のレースも同様の作戦でソニーはジョシュアの順位を上げさせた。
そしてジョシュアが1位になる直前、雨が降り出した。「次の直線まで待ってから抜け!」とソニーが言ったにも関わらず、ジョシュアはコーナーで抜こうとし、車は宙にまい、彼も重傷を負った。
ジョシュア抜きとなったエイペックスだが、ソニーは本来の力を発揮し徐々に順位を上げていった。
ジョシュアも今年最後のレースには復帰。今度は優勝をねらう。


何年かに1回あるカーレースをテーマにした映画。
本作は実はベースではなく、本格的カーレースもの。
ベテラン対新人、各レースを行いながら順位が変わっていく、事故の発生などなどとかのこの手の映画のお約束を守りながら進んでいく。

しかしちょっと違う部分もある。この手の映画では「俺がトップ」と自分が1番になりたがるが、ソニーは違う。必ずしも自分の勝ちにこだわらない。
自分をクラッシュさせてコース整備にさせて敵チームの走りを阻止するなんて作戦、初めて見た。

そして新人が過信して事故を起こすなど王道の展開。この映画、ストーリーの基本は王道でありながら、細かいところで違いを出す。
ますこの新人が黒人の設定である。今までなら絶対に白人イケメン俳優だろう。
そしてジョシュアの母の登場。普通ならモデルなどのセクシー風な女優と恋仲になったりするだろうけど、母親がちょこちょこ登場。まるでモンスターペアレンツである。

んでメカニックのチーフが女性。いやもう21世紀である。
そしてやや唐突にこのテクニカルディレクターとソニーが恋仲になって体の関係まで持つ。おじさんとおばさんの恋なだし、ここはちょっとよけいだったかなあ。でも「多少は女っ気を出さないと」という制作側のサービス精神か。

そしてラストのレース。常勝のフェラーリとジョシュアが1、2位を争い、ソニーが3位。しかもソニーは以前の事故の後遺症で体に不安がある。
どういう結末もありだな、と思っていたらフェラーリとジョシュアは争って最後には接触があり、2台とも大破し、退場。
前が誰もいないコースをソニーが走るソニー目線のカットが数十秒続き、圧巻だった。

レースのシーンも手抜きはないし、IMAXでも観る価値があったなと思えた。
チームオーナーとして迎えられる未来もあったが、それをして草レースみたいなレースのドライバーになっていくソニーがよい。

面白かった。迫力があった。久しぶりに観た本格的に満足できるレース映画だった。






君がトクベツ


日時 2025年6月24日18:10〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン8
監督 松田礼人


若梅さほ子(畑芽育)は食堂の娘。友達はアイドル「LIKE LEGEND」(ライクレ)にはまっっているがさほ子は全く興味がない。それというのも高校時代にクラスのイケメンに告白の手紙を出し、それをみんなに言いふらされて惨めな思いをしたことがあり、それ以来イケメンを憎んでいるのだった。
そんなある日、食堂にふらっと若者がやってきた。それは今テレビで見ていたライクレのリーダー桐ヶ谷皇太(大橋和也)だった。友人のためにサインをもらうさほ子だったが、皇太は自分のファンだと思っていまいサインの後、さほ子のおでこにキスをした。びっくりしたさほ子は「世の中の人が全員好きになってくれてると思うな!」と言ってしまう。それを聞いた皇太は落ち込んでしまう。
数日後、皇太はまた店にやってきた。さほ子にファンになってもらうために自分の写真集やDVD、CDを持ってきたのだ。もともとイケメン好きなさほ子はだんだんファンになってきたが、以前のトラウマのために「好きになってはいけない」と思ってしまう。
皇太の部屋にハンバーグ弁当を届けるさほ子。皇太の部屋で女の子と二人で写る写真を見てしまう。
テレビ局に出前に行ったときにそこで他のメンバーにも紹介される。メンバーの一人に実はさほ子が皇太を好きと言うことがばれてしまい、「安全圏にいるのは自分が傷つきたくないだけだよ」と言われ、さほ子は皇太についに告白してしまう。しかし皇太の答えは「俺、特別な子は作らないようにしている」と言われた。
皇太のことを忘れようとしたさほ子だったが、そのときに皇太のスキャンダルが出てきた。それはデビュー前の皇太はスターになりたいからカノジョをふってその子は自殺したというものだった。
ライクレはそのことで活動禁止になってしまう。さほ子は自分なりに彼らになにができるかを考え、事務所の前で出待ちしているファンに混じって「応援してます!元気出して!」と声をだす。やがてそれは他のファンにも波及していった。


スターとの恋、という話は好きなので楽しみにしていた。6月20日公開だが、週末は他の用事も重なり見に行けず、今度の週末も見たい映画が目白押しなので、平日の夜に無理して見に来た。
期待を裏切らず面白い。
さほ子は皇太に好きと告白するも「特定な子は作らない」と断られ、皇太がピンチになれば助ける。今度は皇太の方から好意を持たれるが「ファンとして応援します」と断る。
でも結局は皇太が迎えにきてくれる、という女子妄想爆裂映画である。
いけないと言っているのではなく、その目的は十分に果たされた。

でもあえて2、3苦言。
皇太とさほ子の出会いに工夫がない。たまたま皇太がさほ子の店に入ったのでは工夫がなさすぎる。「午前0時、キスしにきてよ」では「ロケで学校に行ったときに出会った」という必然性があった。
ここは「町ぶらロケで取材に来た」ぐらいの必然性があってもよかったのではないか?

皇太と共演経験があってライクレの他のメンバーを好きな女優の七瀬えみかとの勘違いライバル(七瀬はさほ子が自分の好きなメンバーのファンと誤解し、さほ子は七瀬が皇太を好きだと思っている)のあたり、もう少し引っ張ってくれてもよかったかな。結局この二人の間は特になにも起きなかったし。

畑芽育は「うちの弟どもがすいません」に引き続き、少女コミック実写化で主演。大橋和也は「なにわ男子」のリーダーでサービス精神が旺盛なのかちょっとやりすぎな感じが普段から持っていたが、今回はその陽性なキャラがラブコメにはあっていたと思う。

総じて楽しかった。





ルノワール


日時 2025年6月22日12:40〜
場所 グランドシネマサンシャイン池袋・スクリーン11
監督 早川千絵


沖田フキは11歳。父親(リリー・フランキー)はガンで闘病中、母親(石田ひかり)は仕事と夫の病気で余裕がない。つい部下にも厳しく接してしまったらマインドセラピーの研修に行かされてしまう。
フキは「自分が殺された」「みなし子になった」と作文で創作してしまう。
英語教室で知り合った女の子の家に遊びに行くが、その子の父親は何か変。その子の家に遊びに行ったときにその父親の浮気現場らしい写真を見つけてしまう。そして友達にその写真を見てしまうようにし向ける。その子はおばあちゃんの家の青森に引っ越していった。
伝言ダイヤルのチラシが家に入っていた。いたづらで電話してみる。やがて心理学を勉強しているという自称大学生(板東龍汰)と知り合う。その人と会ってみて家に連れていかれる。だがその時にその母親が帰ってきて、家から出された。ただ歩いて雨が降ってきた。父親が助けに来てくれた。
そして父親も亡くなった。


「PLAN75」がよかったので期待していたので、公開3日目に見に来た。
うわっがっかり。
主筋が無いのである。私は主筋がない映画は苦手なのだ。

冒頭、世界中の子供が泣いている映像ばかりを集めたビデオを見ているシーンから始まる。(まずビデオテープというので「?」になった)
どうやらフキがゴミ置き場から拾ってきたテープを再生していたらしい。
フキはオカルトとか超能力に関心があってそういう番組をよく見るし、またそこでやっていたトランプの柄を相手に言葉を使わずに伝える「念」を送り実験をよくしている。

その後、近所の若い女性(河合優美)と知り合いになり、彼女に催眠術をかけ話を聞いてみる。彼女の話では最近、夫が鍵を忘れてしまい、窓から部屋に入ろうとして転落死したことを知る。夫が鍵を忘れていったのは夫婦喧嘩。その喧嘩の原因が夫が隠してあったビデオテープを妻が再生。それが子供が泣いている映像ばかりを集めたテープだったので、それを見てしまったことで喧嘩になったという。
つまり冒頭のビデオは彼女の夫のものだったのだ。

また伝言ダイヤルで若い男と知り合う。
このあたりは見ていてハラハラする。俺が親ならひっぱたいて叱りたくなるくらいだ。

でこの映画、出てくるのはブラウン管テレビだし、何か変。80年代か90年代ぐらいが舞台かな、と思っていたら見終わって公式HPを見たらそうだった。
でもそういう説明はいっさいなし。
たぶん監督の幼少期の体験がベースなのではないか?

ラストはそこかで狼男の足跡が発見された、と伝えるニュースのアナウンサーの声が聞こえる。ここも彼女の記憶の妄想なのか?
そう考えると彼女が大学生に会いに行き、知らない町で放り出されたときに父親が助けてくれて、次のシーンでは母親はなにも言わない。最初の彼女の作文と同じ妄想だったのか。

そういった彼女の妄想と記憶が入り交じった映画。でもヒットしそうにないなあ。公開3日目の日曜日の12時台の回って一番入りそうなのに3〜40人ぐらい。そもそも売り方に困る映画だからね。
金曜日の新聞に一面広告が出てたけど「カンヌ出品!」しか売りがないものね。しかも受賞じゃなくて出品。

個人的には河合優美と中島歩(メンタル研修の講師)の出演がよかったかな。




恐喝こそわが人生


日時 2025年6月21日16:30〜
場所 アテネフランセ
監督 深作欣二
製作 昭和43年(1968年)


村木駿(松方弘樹)とその仲間たちは恐喝を稼業にしている。昔からの仲間の関(室田日出男)、お時(佐藤友美)、野口(ジョー山中)だ。
恐喝の組織があり、その現金受け渡しがあるという情報をつかんだ村木たちは張り込んだ。その恐喝グループのアジトを突き止め、関がそこに行ってみる。そこはラブホテルのような部屋で、実はマジックミラーで盗撮されていて、男女のまぐわいを撮影されて恐喝しているのだった。逆に彼らを暴力で脅し、脅迫用のフィルムをネガごと押収する。
村木はもともとはキャバレーのボーイでそこでは底辺のような生活を送っていた。たまたまその店が酒屋から密造酒を仕入れてると知り、酒屋を脅し、酒屋に酒をおろしてる奴らを脅して恐喝家業を本格化させたのだった。
村木は同様に恐喝をしたことがきっかけで人気女優とつきあっていた。世間から慕われる人気女優とセックス出来ることで有頂天でもあった。
ある日、野口の父親が殺された。どうやら麻薬の売人をやらされていたのだ。村木たちは復讐のために横浜の彼らの組織に目を付け、新規のヤクの取引現場を襲った。復讐も果たし、ついでにヤクや1億の金ももらう予定だったが、銃撃戦の中でヤクや金の入った車が炎上し、パー。でも復讐が果たせたので満足だ。
村木はある男が襲撃未遂になった現場に遭遇した。狙われたのは遠藤(石山健二郎)という男で政界にも金を貸している。会っていたのは政界の黒幕・水野(丹波哲郎)だ。
旧知の元新聞記者(江原慎二郎)の話によれば、先の総裁選で官房長官が政治献金させた会社が、官房長官に献金の見返りを約束する念書を遠藤が持っているというのだ。これが公表されれば政権が吹っ飛ぶ。
村木たちは遠藤を暴力で脅してその念書を取り上げる。これを使って水野を脅そうとする。しかし野口が殺された。関は「敵が大きすぎる。俺は降りる」と去っていった。
村木は水野を脅し、文書を1億で買い取らせようとした。しかし政府は遠藤を「私文書偽造」の容疑で遠藤を逮捕。念書は「偽物」とされてしまった。そして金の受け渡しの日劇前、村木は刺し殺された。


深作欣二監督作品。この映画は前から知っていたが、なんとなく見逃していた。今回シナリオ作家協会主催の「脚本でみる映画史」で上映があり、脚本の長田紀生さんのトークイベント付きなので鑑賞。(前にも「軍旗はためく下に」も観た)

この映画は知っていたけど今まで見逃していた。
「恐喝」っていう庶民をいじめる行為が好きではないので、それを肯定的に描こうと感じに思えたので、どうもみる気がしなかったのかも知れない。

ところが映画を観てみると、「恐喝する奴を恐喝する」「ヤクの組織を恐喝する」「政界を脅迫する」と常に悪い奴、強い奴を相手にしている。
これはほっと出来た。サラリーマンのなけなしの金をむしり取るような奴だったら主人公に共感できないだろうなあ。

結局は監禁して脅すという比較的安易な方法である。手練手管を使って脅す訳じゃない。
ヤクの組織では夜に火炎瓶を投げての大アクション。でもこのシーン、暗くてよくわからないのが残念だったなあ。

最後は政界の汚職なのだが、「政界に金を貸す高利貸し」というので「金環蝕」の宇野重吉の演じた金貸しを思い出したら、長田さんのトークイベントで「当時吹原メモというのがあった」と言っていたからモデルは同じなのだろう。

どう決着つけるのかと思っていたら、敵の方が強くて本物の念書が「偽物」にされてしまうという裏技。ルールさえ変えてしまうのだ。
さらに日劇前で刺殺。このシーン、川津祐介がワンシーンだけ登場。
村木にぶつかって「すいません!」とにこやかに挨拶して去っていく殺し屋。このさわやかな笑顔が不気味さを際だたせていた。

同じくゲスト出演で言えば天知茂。遠藤が襲撃された現場で村木に「話聞かせてくれない?」と声をかける新聞記者。この後活躍するかと思ったらそれはない。単に江原慎二郎のやさぐれ記者(これが妙にかっこいい)とのつなぎだった。

あと時折、村上がボーイ時代のトイレ掃除とかの底辺の記憶や、野口の父親が発見された場所のどぶ川に浮いていたネズミの死骸のカットが何度も挿入される。
あれはアラン・レネの「二十四時間の情事」の主役の女優のフランス時代の記憶のインサートに影響を受けてるんだそうだ。

今深作欣二のインタビュー本を読んだら、当時流行っていたアメリカンニューシネマの影響も受けてるとか。主人公が死ぬ結末とか確かにそうだよなあ。

この映画、松竹映画なので、東映の所属だった深作監督や松方弘樹が関わっている理由について聞いてみた。
「この映画は存在は知ってましたが、今まで見逃していて今日初めて拝見しました。東映映画だと思いこんでいましたが松竹ですが、何か特別な理由があったのでしょうか?」
「この頃は五社協定も崩れて、監督や役者の貸し出しも行われるようになっていた。深作さんはこの前に美輪明宏さんで『黒蜥蜴』をお取りになってます」ということだった。
別に特に何かがあった訳ではなさそうだった。






ゴジラ対ヘドラ(4K)


日時 2025年6月21日11:55〜
場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン7
監督 坂野義光
製作 昭和46年(1971年)


ストーリー省略。
ゴジラ映画の中でも好きな映画ではないのでパスしようかと思ったが、昭和ゴジラ(84を除く)はいい機会だから見直そうと思っているので見に来た。

4Kリマスターで見ると前半の汚れた海の多くの魚の死骸のカットなど実に不気味である。
とにかく汚染の描写が容赦ない。
当時の映画でもここまで汚れをしつこく撮った映画はないのではないか。
映画って基本きれいなものを撮りたがるから。(それは現実逃避のために映画は存在するからそうなるんだけど)

また柴本俊夫の話の上での扱いが随分ぞんざいなのだ。
そもそも主人公の少年と山内明の市井の科学者は親子だと分かるけど、「こいつ誰?」という感じで登場に説明がない。

普通の怪獣映画のセオリーなら、柴本俊夫が演じる青年は、ヘドラ退治に重要なポジションを担うと思うのだが、やさぐれてバーで飲んだくれて「返せ!」とアングラな歌を歌うのは彼女みたいである。
ぜんぜん説明がない。

心を入れ替えてヘドラ退治をするかと思ったら、「100万人ゴーゴー」とか言い出す。こういう役は東宝なら悪役になるもんだが。
そしてヘドラが登場したら「火に弱いんだ」とたいまつを投げだし、「おっやる気になったか」と思ったら、ヘドラの吐き出した泥を浴びてすぐ死ぬ。
なんだよ!

そういう話のおかしなところも結局は「すべては少年の妄想だった」と解釈すればすべて説明がつく。
何しろ「ゴジラはスーパーマン」と言ってる子だからね。
海洋汚染を見て「怪獣が出てきてゴジラがやっつけてくれる」と妄想しても不思議はない。
そう考えると柴本俊夫の青年のことは実はあの少年は嫌ってるかも知れないな。頼りにしているお兄さん(山内明の弟の設定らしいからおじさんだけど)なら妄想の中でももう少しかっこよく活躍するだろう。

評価ががらっと変わって好きになることもないけど、やっぱり4Kで見直してよかったな。
来月は「メガロ」と「84」だけど、「メガロ」は見よう。
84以降はリアルタイムで見てるからいいや。







満天の星の下で


日時 2025年6月20日18:30〜
場所 ヒューマントラストシネマ渋谷・スクリーン1
監督 日向寺雅人


事務職の仕事はつまらない、5年つきあって今では半同棲の恋人とは最近はマンネリ気味という悩みを抱える愛美(傳谷英里香)だったが、恋人の紀夫(俵山峻)から交際記念日にレストランで食事に誘われる。
何かおかしいと感じた愛美だったが、食事が終わった時に紀夫から「もう終わりにしよう」と言われたので別れを告げられたと思い、店を出ようとする。しかしその時、音楽が鳴り周りの客も踊り始め、紀夫はプロポーズした。いわゆるサプライズのフラッシュモブを仕掛けられたのだ。
しかし愛美は喜ぶことができずにかえって怒って店を出てしまう。
たまたま自分のアパートのポストに入っていた「フラッシュモブ被害者の会」のチラシを見てその会に行ってみる愛美。
そこで陣内隼人(瀬戸利樹)と出会う。隼人はフラッシュモブを心から憎んでいた。意気投合した愛美と隼人だったが、その帰り道、フラッシュモブをしてプロポーズしているカップルを目撃。その集団に隼人はつっこんでいき、音楽を鳴らしていたステレオなどを壊してしまう。返り討ちに合う隼人。彼はかつて「フラッシュモブ」と付き合っていてフられた過去があるのだった。


は〜、ため息しかでないのだよ。先週の「惑星ラブソング」もひどかったが、あれは「いい映画を作ろう」みたいな志はあったわけです。ところがこれはそれすらない。

「見たことも映画」「どのジャンルにも当てはまらないような新しいタイプの映画」などの言葉で紹介される映画があるけど、大抵はずれである。
人類が何千年もかけて「おもしろい話」のセオリーを作っており、それをちょっとだけ「裏切る」から面白かったり目新しかったりするのである。

そのセオリーをぶち壊すことを「新しい」と感じるのは単なる若くて未熟なだけ。
「新しい」と「無茶苦茶」は実は紙一重だと思っているが、この映画は「無茶苦茶」である。監督はそのことを解っていない。

フラッシュモブが重要なモチーフだが、そのフラッシュモブが行われるのは(90分弱の映画にも関わらず)20分過ぎてからである。
トップシーンが愛美の会社なのだが、ここに机の数以上の社員がいる。「部長が無能なので社員をどんどん雇ってみんな席の奪い合い」というナレーションが入るが、ギャグとしてやってるのだろうけど、全く笑えない。そして部長の肩たたきだけをさせられるOLとかがいたりする。
書いてる本人は面白いかもしれないが、全く面白くないのだ。

そうなのだ、一時が万事、この映画は「小演劇」のテイストであふれている。最初の会社のシーンもそう。これ小演劇でやればまあまあ面白いかも知れないが、映画でやるとまるで面白くない。
たぶん演劇ではすべてが作り物だが、映画ではなんとなく現実との地続きを感じてしまう。

同様にやたらと自転車のサドルを盗まれるアパートの隣人が登場するが、あれも本筋と絡むわけでもなく、ただただ無関係に笑いを入れてるだけで、まったく成功していない。

そして究極は隼人がつきあっていたというフラッシュモブ。「フラッシュモブとつきあっていた」と意味不明なことをいい、それを何度も愛美が聞き返す。単なるページ数稼ぎにしか見えない。
隼人の回想で登場したその恋人は白いタイツを顔からかぶったタイツ人間。
訳わからん。

んで最後にそのフラッシュモブ集団とフラッシュモブ対決になる。
「ここで俺たちが棄権すれば三重県が消滅しちゃうんだっておばあちゃんが言ってた」と意味不明なギャグ(?)をいう。
さっきも書いたけど書いた本人は面白いかも知れないけど、私はただただ腹立たしいだけである。

「魂で踊るんだ」と愛美や隼人や今まで出てきたキャラが全員で踊るんだが、単に踊りの素人が体をばたばたさせてるだけ。この時の瀬戸俊樹の動きさえもバタバタしてるだけ。
「誰が見ても勝ちは明白だ」と訳の分からんことをいう。
見てるこっちが恥ずかしくなる。

もうちょっと映画を勉強してから映画を作ってね。





0011ナポレオン・ソロ/地球を盗む男


日時 2025年6月15日
場所 ムービープラス録画
監督 サットン・ローリー
製作 1968年(昭和43年)


ナポレオン・ソロ(ロバート・ヴォーン)とイリヤ・クリヤキン(デヴィッド・マッカラム)は香港のスラッシュのアジトを攻撃したが、肝心のウェブには逃げられた。
だが香港支部では香港支部幹部のキングスレーが行方不明になっていた。
ソロとイリヤはキングスレーの妻・マルギッタに話を聞くがなにも知らないという。
一方ドイツの科学者エリクソン博士が娘とともに行方不明になっていた。同時に世界中で高名な科学者が行方不明になり、その直前に彼らの身近な品が盗まれている。
ロサンゼルスに住むガロー教授の自宅から家族写真が盗まれた。今度はガローが狙われると察したUNCLEだったが、ソロとイリヤはガローの誘拐を許してしまう。これはガローに発信器を付け、敵の基地を発見する作戦だった。ガローは危険を承知で引き受けてくれたのだ。
しかしガローの息子、スティーブも捜索に同行すると言い出した。すでにソロが飛行機で追っていたが、飛行機は敵によって撃墜されてしまう。
ソロはなんとかパラシュートで脱出。それをイリヤたちが墜落現場を発見。ソロが進んでいった道を追いかける。だがソロも捕まり、イリヤやスティーブも捕まった。
今回の計画はキングスレーが世界中の英知を集め、「平和な世の中にするため」に人類を神経ガスによって自分の意志を持たない人間に改造しようというものだった。キングスレーは完全に「善と悪の戦いは善の勝利に終わらせる」という意志のもとだった。
その資金援助をしたのがスラッシュのウェブとマルギッタだった。ウェブはスラッシュ本部さえも裏切って自分が世界制服をたくらんでいたのだ。
一度は捕らえられたソロとイリヤだったが、敵の基地から抜け出し、敵の飛行機のミサイルを使って計画を阻止する。


映画版「ナポレオン・ソロ」シリーズ8作目で最終作。
完走できた。
金曜日から映画を立て続けに5本観て6本目。さすがに疲れていたのだが、そのせいなのかまるで面白くない。

「ナポレオン・ソロ」シリーズでは素人の女性が巻き込まれて同行する、というパターンが多いが、今回はエリクソン博士の娘、アンナがそうなるかと思ったら、香港で拉致されてしまう。
このシーンはアンナが誘拐された車をソロたちが追うのだが、埠頭でクレーン車に車が破壊されるシーンはがんばっていた。
ユーモアとしてアンナが乗っていたタクシーの運転手がソロたちに「タクシーは?」と聞くシーンがあるが、カット割りがうまくいってなくて効果が半減。

追いかけても逃げられる、というシーンが多くて話の展開がない。
ガローの息子スティーブとアンナが恋人という設定なのだが、後半二人で協力して施設を破壊しようとするが、これが中途半端に終わり、ソロとイリヤは別々にミサイルで破壊しようとする。

なんかこう脚本がばらばらなのだよ。でも最後の基地の破壊はミニチュアを使っていたが、この映画のための撮影かな?アーカイブなのでは、と疑ってしまった。

でもラストはキングスレーの入った棺が飛行機に運ばれる。ここでのウエバリー課長の「みんな、よくやった」とシーンで、かつての仲間が一線を越えてしまったむなしさに満ちた表情がよかった。
課長はやはり重要なキャラクターですよ。






青春ゲシュタルト崩壊


日時 2025年6月15日12:10〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン6
監督 鯨岡弘識


高校2年の朝葉(渡邉美穂)は部活のバスケに頑張っていたが、周りからの期待や責任感でストレスがたまり、ある日「青年期失顔症」になってしまう。鏡で自分の顔を見ても自分の顔が見えないのだ。
金髪で一見取っつきにくそうな聖(佐藤新)は異変を気づいてくれた。
保健室を居場所として教え、雨村先生(瀬戸朝香)が見守ってくれた。そこで同じく「青年期失顔症」の中条(新井美羽)を紹介してくれた。
悩みの一つのバスケ部の顧問桑野(水橋研二)は「頑張れ、お前なら出来る」としか言わず、彼女の悩みには向き合おうとしない。彼は厳しく指導し、強豪校となって全国大会に出場することを夢見ていた。
現状を打破するために朝葉は休部届けを出す。だが桑野は「お前が休部なんかするから辞めたい奴が出てくるんだ!」と逆に朝葉を責める。しかし雨村先生が助けてくれた。


全然興味がなかったのだが、濱田龍臣が出演している、ということだけで鑑賞。(その価値あったかなあ。配信、レンタルを待てばよかったかなあ)

女子高校生のストレスとか人間関係の悩みなど、理解できるけど共感するには私は歳をとりすぎた。
でもバスケ部顧問の桑野はよくない。
自分の夢を生徒に押しつけている。部員は自分の駒だから、駒が自分の意見を言うなど許せない、と言った感じの体育会系の悪い見本みたいな奴である。
これは許せないキャラだね。こういう奴がいるから私はスポーツが嫌いなのかも知れない。

それにしても主人公たちはナイーブ。
学生って大変だよ。社会人なら(そう簡単ではないけど)「転職」という環境を変える方法があるけど、学校は世界が狭いからなあ。部活を辞めても顧問とは完全におさらばできるわけじゃない。
まあその生きづらさは理解する。
でも同じように悩むことは出来ないなあ。私はもう何十年も前に「学校」からは卒業したし。

肝心の濱田龍臣。
朝葉の兄役で数シーン登場。
大学もいかずに音楽をやりたいといい、母親からは「お兄ちゃんみたいにはならないでね」と言われてる存在。
でも妹や家族のことは心配してるし、母とも仲が悪そうでそうでもない、という役。朝葉のことを心配して声をかけるシーンが見せ場である。

物語上では朝葉が主役だが、クレジットやポスターでは佐藤新が上である。
もとはジャニーズJrで浮所飛高と同期だそうだ。でIMPACTorsのメンバーだったが、滝沢秀明のTOBEに移籍。ちょうどジャニー喜多川の性課外問題で揺れている時期である。
IMPACTorsのメンバー全員で移籍し、現在はグループ名をIMP.。

でも2022年に「高良くんと天城くん」というBLドラマにでているのを観たが、私には彼の魅力がさっぱりわからん。
どこがいいのか、魅力を全然感じない。

私にとっては濱田龍臣以外は観るところのない映画だったな。





フロントライン


日時 2025年6月14日18:55〜
場所 新宿ピカデリー・シアター2
監督 関根光才
脚本・プロデュース 増本淳


2020年2月、未知のウイルス、新型コロナの感染者が発生した大型クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号。やがて横浜港に停泊した。船内ではすでに数十名の発熱者を出しており、船医3名では対応不可能になっていた。厚生労働省は災害対応を基本とする医療チームDMATに出動を要請する。DMAT指揮官の結城(小栗旬)は「我々は災害対応のチームだから」と乗船を断ろうとするが、厚労省の立松(松坂桃李)に「誰かにお願いするしかないんですよ」と押し切られる。
医師の仙道(窪塚洋介)、真田(池松壮亮)らの多数の医師や看護師が乗り込んで対応に当たる。
しかし乗客は外国人が多く、患者との医師の疎通もままならない。
船からおろして入院させる必要があったが、病院もなかなか引き受けてくれない。
立松の政治力でなんとか病院と輸送手段は確保した。しかしなれぬ旅先のでの病気、夫だけが入院し、妻は船から出られない状況も発生し、乗客も精神的に追いつめられている。
また派遣されてる医師ももとの病院で帰還命令が出たり、帰還した看護師がいる病院では近隣から苦情が来るなど新たな問題も起こっていた。
感染者は増えるばかり。またネット上ではダイヤモンドプリンセス号での対応は間違いだらけと指摘する声も出て次々と問題が発生。
そんな中、愛知県の新規に建設された病院が、船内の患者をすべて引き受けてくれることになった。


2020年から始まった新型コロナ発生。ダイヤモンドプリンセス号の件は日本についに新型コロナウイルス上陸、となり、連日話題にもなったが、どこか「テレビの中のこと」と思ってた。新型コロナは3月下旬の一斉休校、4月の非常事態宣言による外出自粛要請によって身近な問題となる。
(個人的にはダイヤモンドプリンセス号といえば、乗客の窮状が報道され、崎陽軒が弁当を差し入れたがそれが届いた届かないで揉めた件である。あれは結局届かなかったのだろうか)

脚本、企画、プロデュースの増本淳はフジテレビ出身で、NETFLIXで福島原発事故を描いた役所広司主演の「THE DAYS」を作った方。
この映画を知った時に「FUKUSHIMA50」みたいな企画だな、と思ったけどまさにそんな感じである。

でも福島原発事故と違って、「爆発する!」的な緊迫感はない。
こちらはこちらで大変だけど、ああいうサスペンス映画的な要素はない。
こちらで大変なのは医学的な対応だけでなく、患者の心の対応も必要になってくる。
私が思っていたより外国人の乗客が多い。そうなると異国で病気になっただけでも精神的に追いつめられてるのに、それが人類が経験したことのない病気である。治療法もわからない、致死率もわからない。
夫が入院し、妻は残される。しかし妻は夫が心配で追いつめられる。
またラストには両親が入院し、弟は陽性、兄は陰性という小学生ぐらいの兄弟が登場する。彼らを離すのはいいことなのか?
純粋に科学的に言えば離して隔離するのが正しいだろうけど、人道的に考えるとねえ。人間のメンタルは科学では決められない。

結果的にはコロナで亡くなる方もいらっしゃったが、軽症で済んだ方もいる。
しかしこの2020年頃はまるでわからなかった。

そんな中でも「必要とされているから」と頑張り、「法律がどうとか、手続きがどうとか」という問題に対しては「人道的に正しいか?」で判断し、なんとか方法を探っていく。

厚労省の立花も最初はいやな奴に見えたが「僕だって人の為になりたいと思って役人になったんです」と答える。
このあたりは術中にはまってるとはいえ、胸が熱くなる。

ラスト、結城は立松に「おまえは偉くなれ」という。これが「踊る大捜査線」に登場するせりふで、フジテレビイズムなのか?
「FUKUSHIMA50」ほどのサスペンスはないけど、良心的な映画だった。
事実関係を予習してもう1回なんらかの方法で見たいな。







きさらぎ駅 Re:


日時 2025年6月14日16:45〜
場所 kino cinema新宿・シアター1
監督 永江二朗


宮崎明日香(本田望結)きさらぎ駅の異世界から帰還して3年。失踪時には高校生だったが帰還時には20年後になっており、高校の同級生たちは40歳。環境の違いになじめないでいた。テレビのドキュメンタリーディレクターの角中(奥菜恵)は明日香のことをドキュメンタリー番組として制作したがお蔵入りとなってしまった。
明日香が気になるのは自分を異世界から戻してくれた堤春奈(恒松祐里)のことだった。きさらぎ駅から帰還した凛(瀧七海)から葉山純子(佐藤江梨子)は嘘の情報を与えて明日香を戻そうとしたと知らされる。
今度は明日香は堤を助けるためにきさらぎ駅に向かう。
そこでは飯田大輔(寺坂頼我)はまだいたが、前回にはいなかったホストのハヤト(大川泰雅)、喪服を着た鎌田夫婦(柴田明良、中島淳子)がいた。
前回の通り、最後の建物があるところまでたどり着いた。しかし結局明日香も含め、全員が死んでしまう。すると再び電車に乗っていた。
いったいどういうことなのか?


前作からもう3年も経つのか。ノーマークだったのだが、Twitterでの評判を聞きつけて見に行き感激した映画。電車で寝過ごしたら全く知らない世界にいた、という誰しも持っているであろう恐怖感を映画化し、最高だった。そしてその続編。

主要人物は前作と同じ。酔っぱらいのサラリーマンの花村(芹澤興人)は今は引きこもりとなっていて、若い男は自殺し、若い女性は病院に入院している。
姪の高校生凛はなんとか帰還している。

そして明日香は再び異世界へ。
ここからが怒濤の展開。どうやっても元の世界に帰れない。無限にループする。最初は丁寧に描いていたが、途中から省略し、ラストの建物周辺だけになってくる。ここで前作にはなかった大目玉(としかいいようがない)怪物登場。
とにかく前作は「じんわり」とした恐怖だったが、今回はアクション調、というかスピード感のある展開で前回とは違うテイスト。

もうすべて考えらることはやった、となった時、「いや、きさらぎ駅で降りなかったらどうなる?」と思ったら、映画もその通りに進行。
帰還できた堤は角中に会う。そして放送休止になった番組を角中は海外のテレビで放送してもらう。

するとネット上で大バズり。
これはもうジャニーズ問題をヒントにした展開だろう。そして過激なネット民はきさらぎ駅への行き方を発見し、ラストにはなんときさらぎ駅に人があふれている!

きさらぎ駅って最後は「人は嘘をつく」という人間心理の怖さをネタにしてるけど、今回も明日香はそれを意図していた、というオチ。

きさらぎ駅に人があふれてる姿など、ネット民の野次馬根性のいやらしさを象徴してましたね。ある意味、「現実世界から抜け出していっそ異世界に行ってみたい」と思う人の多さを象徴してるともいえる。

このきさらぎ駅に人があふれてるカットなど恐怖を越えた乾いた笑いを感じさせ、前作とは違ったテイストの面白さでした。

今日は舞台挨拶付き(2200円)でみたのだが、劇場HPの終了時間が18時20分となっていて、そこで舞台挨拶も終わるのかと思ったら、そこから30分の舞台挨拶。
次に18時55分からピカデリーで「フロントライン」のチケットを買った後だったので大いに焦った。でも18時50分に舞台挨拶は終わり、「フロントライン」にはちゃんと間に合ってほっとした。





惑星ラブソング


日時 2025年6月14日11:00〜
場所 シネマート新宿・スクリーン1
監督 時川英之


広島の水族館でアルバイトするもっち(曽田陵介)はある日、想いを寄せるアヤカ(秋田汐梨)から「アメリカに留学しようと思っている」と告げられる。彼女はタウン誌でバイトしているが、バイト先で「留学費用を稼ぐために時給を上げてくれ」と頼んだら「SNSで10万いいねがついたら留学費用全部だしてやる」と言われてがんばり始める。
アヤカのアメリカ留学に反対なもっちは最初は抵抗したものの、町で会ったジョンというアメリカ人が写真を撮ってもいいよというので、アヤカと3人で広島の町を歩き始める。
小学生のユウヤは宇宙人の存在を信じていた。ある日放課後の校庭で不思議なアメリカ人に出会う。彼は言葉を話さずとも直接頭に話しかけてきた。
アメリカの研究所では広島に宇宙人が降りたったと報告が入る。長官(川平慈英)はその宇宙人の捕獲を命じる。


なんか話を書くのもイヤになった。くそつまらんのだよ。
主演が曽田陵介だから(旬の俳優がでている映画は割と見るのだ)見に行ったのだが、想像以上に面白くない。

監督は時川英之。
この人は「シネマの天使」「ラジオの恋」とかファンタジックな話を書くのだが、どれもこれも素人レベルである。映画好きな高校生が書いたレベル。

でこの映画は広島から愛と平和、核兵器廃絶を訴える映画である。
志はいいのだが、よくこんなレベルの脚本でお金が集まったと思う。
こういうまじめな映画は批判しにくい。

でもね、映画としてまるで面白くないのだよ。
私は映画は縦糸がなければならない、と思う。話の芯、と言い換えてもいい。
たとえば「ジョンがどこかに行きたいと行っている。二人はジョンを無事に送り届けられるか?」みたいなものがあればいい。
でもただだらだら歩いて時々写真を撮るだけ。
これじゃあねえ。

一方で川平の演じるなんかの長官もただ滑稽なだけである。作ってる方は堅苦しくさせないためのサービスなのかも知れないが、ただアホらしいだけである。

小学生の子ともっち達の話が結びつかないなあと思っていたら、これはもっちの小学生時代の思い出話だったのだ。
この辺ももっとうまくやれば面白くなったかも知れないけど。
(もっちの本名は「もちだゆうや」なのだ。だから「もっち」)

前半で「広島は年中平和を話題にし、新聞でも毎日のように署名活動があるとか、原爆の遺物が出たとかそんな話題ばかり」ともっちはうんざりしている。また署名運動を「やってる人は偉いと思うけど、やったところでアメリカ、ロシア、中国も署名をゴミ箱に捨てるだけ」というせりふがある。
そういった無力感はわからなくもないが、それをせりふにするのはストレートすぎ。

で、ジョンの話ではあと半年で地球は核戦争で滅びるという。それを変えられるのはその星の人間だけだという。で小学生のもっちと約束した、それを回避するためのもっちが出したアイデア、「原爆ドームの上で平和ソングを放送する」というのを実施して終わり。

なめてんのか?
もうちょっと脚本は練ろうよ。素人が書いたレベル。

今日は初日舞台挨拶が上映前にあったのだが、司会者の「10年後の自分に伝えたいことは?」という質問に対し、曽田陵介は「役者やってるか?と聞いてみたい」と答えてました。
へ〜曽田陵介クラスの役者でもそう思うんだ。
でもある意味正直かな。







ドールハウス


日時 2025年6月13日19:10〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン3
監督 矢口史靖


かくれんぼで娘の芽衣を事故で亡くした鈴木佳恵(長澤まさみ)は自分を責め、憔悴の日々を送っていた。ある日公園の骨董市で芽衣に似た日本人形を買ってきた。それからその人形を愛おしむようになる。看護師の夫の忠彦(瀬戸康史)は不気味に思ったが、病院の医者から「ドールセラピー」の話を聞き、佳恵に合わせて子供のようにかわいがる。
やがて佳恵が妊娠。次女の真衣が生まれることでその人形のことは忘れていく。
真衣も5歳になった。ある日真衣が日本人形を押入の奥から見つけだし、遊ぶようになる。真衣が言うにはこの人形はあやといい、しゃべるという。
佳恵と忠彦が寝ているベッドにいつの間にか人形がいたり、不思議なことが起き始める。この人形は捨てても戻ってくる。寺にいって供養してもらおうとしたが、戻ってきてしまう。
忠彦は人形が入っていたガラスケースを子細に見ると作者の名前が書いてあった。それを検索すると新潟にいた有名な人形師が作ったものだという。
寺の紹介で神田(田中哲司)という呪禁師(じゅごんし)を紹介してもらう。神田は人形の写真を見て「これは相当に危険なものです」と言って駆けつけた。


数ヶ月前から東宝などで年中予告編を見ていたこの映画。「人形の呪い」という今までありそうでなかった素材のホラー映画だ。
予告編で見せていた「子供を亡くした母親が人形に救いを求め、新しい子供が産まれると人形に関心がなくなるが人形がついてくる」という内容はまだ前半。予告編では出てこなかった人形と呪禁師との戦いが後半繰り広げられる。

初めて人形を見た時の忠彦のリアクションが実に効いてる。あれは「ドン」という音を足しているのだろうな。

話全体としては「不思議な出来事が起こってその原因を探り、原因と対決していく」という流れはある種王道である。
この映画のおもしろさはやっぱり脚本の緻密さなのだな。
最初の子供が亡くなるのも交通事故で亡くなっても話はつなげることが出来る。
しかしかくれんぼしていて洗濯機に隠れてしまったために窒息死した、という設定が怖い。日常に潜む密かな危険、をあぶり出し後の洗濯機のトラウマにつながっていく。

また人形を発見するのもただ押入から出すのではなく、真衣が落ちたビー玉を探すために押し入れの奥に入っていく、というところがひねってある。
そういう一事が万事細かいところまで考え抜かれた脚本なんだ。
田中哲司の神田が登場してからは話は「人形対鈴木夫婦」へと展開していく。
最後は神田は退場し、鈴木夫婦二人で対決していくのは映画としてはこれまた王道の展開である。
そしてこの手の映画の「オチ」はどうなるかと思っていたらちょっとよくわかりにくい。

売店で売っていたノベライズを立ち読みすると鈴木夫婦は人形に取り入れられたようである。
「人形の呪い」っていう怪談話は世界中であるだろうから、海外でもリメイクされるかも知れない。

あまりの不気味さに何度も観たいとは思わないが、矢口監督の新しい傑作の誕生だ。






夜の罠(2回目)


日時 2025年6月8日19:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 富本荘吉
製作 昭和42年(1967年)


真鍋藍子(若尾文子)は夫(高橋昌也)がバーの女・麻美と浮気をしていると雇った探偵から報告を受けた。夫の愛を信じる藍子はその女のアパートへ行った。そこで見たのは麻美の死体、そして夫の電話番号が書かれた手帳だった。その時に電話が鳴った。ふと出てみると夫が「麻美かい?」と呼び掛けている。思わず電話を切った藍子。そして手帳を持って自宅へ帰った。
夕方、刑事がやってきて夫は逮捕されたという。藍子は麻美の手帳に書いてあった他の4人の名前と電話番号の中に犯人がいると考える。
まず一番上にあった松谷の名前。これは線で消してあったが一応当たってみる。アパートにつながり、松谷は2年ほど前にアパートから引っ越したという。山谷で見かけた人がいるという話を元に行ってみる。
松谷は見つかったが、アル中でとても人が殺せるような感じではない。
二人目の森戸。訪ねてみたがなんだか異様である。「麻美さんの代わりをしようと思って」と言ってみた。麻美はヤクの運び屋をやっていたのだ。
松谷を内定していた刑事たちによって松谷は逮捕された。
麻美殺しの刑事からは「やめろ」と言われるが、藍子は止める気はない。
次の男は馬場(船越英二)。とても紳士的だったが、麻美の死んだ晩は大阪に出張に行っていたというアリバイがあった。
最後に残ったのは林(早川雄三)。これが実は松谷が用意したヤクの買い手だったのだ。藍子も殺されかけるが、馬場の助けで救出される。
馬場に家まで送ってもらう藍子。そこで馬場は藍子が自分の秘密を知っていると思いこみ、殺そうとする。


先週の「わたしを深く埋めて」が大当たりだったので他の若尾文子作品の中でミステリーはないかと探したら、コーネル・ウーリッチ原作の映画化があった。監督は富本荘吉。聞いたことはあるけど特に名監督という訳でもない。あまり期待しない程度の気持ちで見に行った。

結局4人の男の中に犯人がいる、という基本線で話は進められる。
しかし時折藍子の説明的ナレーションは入るしテンポはややたるい。
本作は86分だが、井上梅次なら60分にしてしまうだろう。
しかもモノクロ。スターは若尾文子と船越英二だけ。
藍子の夫など(高橋昌也もいい俳優だが)もう少しスタークラスの人が欲しい(川崎敬三とか)。

船越英二が出ただけで「4人の中ならこいつが犯人」と思ってしまう。昔2時間サスペンスで「主役の次に名前がある人が犯人」と言われたが、まさにそんな感じ。
でも犯行時刻は夜の6時から7時ぐらい、そのときは大阪に行っていたというアリバイをどう崩すのかと思ったら、「大阪で殺して運んだ」という。
おいおい、夕方まで大阪で会議でよるの8時の飛行機で東京に帰ったんだぜ。いつ殺したんだよ。「死体はトランクにいれて運んだんだろう」とか説明するけど死体の入ったトランクなんてそう簡単に運べないだろう。

でも最初の松谷。ラジオドラマのシナリオで当選して少しは当たったらしいが、続かず今は山谷暮らし。ここで簡易旅館に藍子が行くシーンがあるが、ここで男たちに囲まれて乱暴されそうになるという際どいシーンだったな。
昭和40年代だからエロ路線にも入っていたのだろうか?

白黒、ノースターで監督も富本荘吉。添え物作品だったのかな。


注:このサイトを調べてみたら2010年10月16日に神保町で観ていた。
映画を観てる間、完全に気が付かなかった。
普通なら「この映画観たことがあるような気がする」と思うのだが全くなかった。
それだけ面白くなかったのだろう。
「旧作映画は一度調べてから観ろ」といういい見本である。




0011ナポレオン・ソロ/スラッシュの要塞


日時 2025年6月8日
場所 ムービープラス録画
監督 ボリス・セイガル
製作 1967年(昭和42年)


東アフリカのある村に調査にやってきたソロ(ロバート・ヴォーン)とイリヤ(デヴィッド・マッカラム)。そこで彼らは熱反射プリズムを兵器として使用した場合の威力を目撃した。作ったのはカルムージ博士だ。
これが人工衛星に積み込まれて上空から地上をねらい打ちされたら世界征服されてしまう。
そのカルムージ博士の研究所から熱反射プリズムを盗み出す計画が立てられた。博士の金庫が破れるのは世界各国から指名手配されているセバスチャンという男だ。罪を免除する代わりにUNLCLEに協力させる。
ソロはカルムージにビジネスを持ち帰るアメリカ人として研究所に潜入。イリヤとセバスチャンは厳重な警戒を破って潜入していく。
しかしソロを追ってセバスチャンに恋人を刑務所に入れられたというアニーという女性がついてきてしまった。
そしてセバスチャンは熱反射プリズムの持ち出しに成功。ソロ、イリヤ、セバスチャン、アニー、そして夫を裏切ったカルムージの妻も一緒に逃亡。だがセバスチャンが裏切った。というよりカルムージ夫人と一緒になって最初からUNCLEに盗ませる計画だったのだ。
熱反射プリズムはセバスチャンによって世界征服の手段になってしまう。
セバスチャンは「第3の道」という新興宗教の幹部でもあり、その信者たちを兵隊にして合衆国のミサイル奪還計画を立てる。
ソロたちはロサンゼルスに住むセバスチャンの妻を手がかりに彼らの計画の粉砕を計る。
ソロは「第3の道」の兵隊に扮して潜入に成功し、結果的にミサイル奪還を手助けしてしまう。
セバスチャンのミサイル発射基地に運ばれた。イリヤもミサイルの発射基地の場所を探す。


「ナポレオン・ソロ」映画版シリーズ第7作。いよいよあと1作で終わりである。
前回ぐらいからニューヨークの本部に入るシーンが無くなってきた。
ゲストとして巻き込まれる一般人はアニー。彼女はサーカスで活躍しているというアクソイ4兄弟が味方に付く。といっても4人が出てくるわけではなく、一人殺されてはまた次の兄弟が出てきて、皆同じ顔。

それと今回は前半と後半に完全に話が分かれている。50分弱で変わるから、本国では前編、後編で放送されていたのかも知れない。
今回、イリヤとソロは別れて行動することが多い。
今までと違うパターンをしてみたのか。

ミサイル奪還のシーンなど、今までのセット撮影ではなく(スタントマンの吹き替えだろうけど)実際の列車にヘリから飛び移るシーンもあり、映画らしい迫力があった。







0011ナポレオン・ソロ/ミニコプター作戦


日時 2025年6月8日
場所 ムービープラス録画
監督 バリー・シアー
製作 1967年(昭和42年)


ナポレオン・ソロ(ロバート・ヴォーン)とイリヤ・クリヤキン(デヴィッド・マッカラム)はトゥルー博士を訪ねた。彼は海水を飲料水に変える方法を研究中に海水から砂金を生成する方法を発見したのだ。それを狙ったスラッシュだったが、博士は心臓発作で亡くなってしまう。
博士との会話から5人の娘に製法の秘密を託したと知る。
まずは博士の妻・アマンダを訪ねるが、彼女に近寄っていたランドルフ(ハーバート・ロム)によって殺された。彼はスラッシュのメンバーで黄金の生成法を狙っているのだ。
博士の実の娘のサンディーはUNCLEで保護した。他の4人の娘(アマンダの連れ子)は世界各地に散らばっている。
まずはイタリア。そこで博士が娘たちに暗号めいた記号を書いた写真を送っていたと知る。次ロンドン。ここでも同じ写真で違う記号を見つけた。
そしてアルプス。ここでも違う記号を手にいれたが、帰りの飛行機をスラッシュに乗っ取られ、写真の秘密は取られ、危うく墜落しそうになった、ソロたち。
4人目の娘の写真は娘を訪ねたジャーナリストによって雑誌に載ってしまった。これでスラッシュも4つの記号を手に入れた。
その暗号はアナグラムで文字を入れ替えると「日本の子守歌」となる。
博士の親友が日本にいることを思い出す。しかしサンディーはランドルフに捕らえられ、東京へ。ソロとイリヤも東京へ向かう。
そして博士の親友に会うことができ、黄金の製法の秘密もわかった。
ソロ、イリヤ、サンディーは北極のスラッシュの基地に連行される。


「ナポレオン・ソロ」シリーズ映画版の第6作。
日本が舞台になると聞いていて期待して鑑賞。私は外国映画に出てくる変な日本が好きなのだ。
今回は日本だけでなく、イタリア、イギリス、アルプス、東京、北極と世界各地を回る。でも外観はロケだけど、出演者がいるところはセットであるからロバート・ヴォーンたちが海外に行ったわけではないようだ。
またミニコプター作戦のミニコプターは一人乗りヘリコプターだけどこれはもう冒頭で出てくるだけで本筋には関係ない。このシーンなどどの映画にはめ込んでも使えそうな映像である。このシーンに登場する車がガルウイングの扉で、SHADOの車みたいでかっこいい。
「怪奇大作戦」にも登場したし、ガルウイングが流行ったのだな。(一般では流行らないっけど)

肝心の日本のシーン。
ホテルの前に連れてこられるのだが、ここではなぜか鯉のぼりがひらひらと舞っている。しかも提灯と並んで吊してあるから珍妙。
そしてここで女性の集団に助けてもらうが、彼女たちは芸者ガール。
この芸者の着物はなんか変である。その芸者の置屋に行って芸者の接待を受けるソロたち。フジヤマは出なかったな。

結局、捕まる、逃げ出す、の連続でカーチェイスなども全体のカットはあるけど、ソロたちの車のカットはスクリーンプロセス。またアルプスでのスキーヤーに襲われるという「女王陛下の007」みたいなシーンも、敵のスキーヤーだけロケで、ソロたちのカットはセットである。

あとテリーサラバスがイタリアのシーンでゲスト出演。また今回の敵のランドルフ、どっかで見た顔だと思ったら、クルーゾー警部の相手の署長役だった俳優だ。道理で見た顔だ。






国宝


日時 2025年6月7日16:30〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン1
監督 李 相日


1964年。長崎で興行を打つために歌舞伎役者・花井半二郎(渡辺謙)は地元のやくざ立花組の組長(永瀬正敏)を訪ねる。その日は宴会が行われており、余興として舞が行われた。演じている女形・喜久雄(黒川想矢)は立花の息子と聞き驚く。彼には女形としての素質があった。その日、殴り込みがあり、組長は死んだ。
半二郎は喜久雄を自分の元に引き取り、自分の息子、俊介(越山敬達)と一緒に稽古をつける。同い年の二人は仲もよく、切磋琢磨した。
1972年、歌舞伎の興行を行う三友の梅木社長(嶋田久作)にも認められ二人で京都の大舞台に立った。二人の人気はあがっていく。
半二郎が交通事故に遭い、来週からの舞台に代役を立てることになった。
誰もが息子の俊介が代役と思われた。しかし半二郎が指名したのは喜久雄だった。喜久雄は代役を見事に勤め上げ、俊介は実力の差を感じ、歌舞伎の世界から逃げ出した。
1980年、今は糖尿病で目が悪くなった半二郎だが、最後に一花咲かせたいと自身も襲名し、喜久雄を三代目半二郎とする。その襲名披露興行の舞台で倒れ、帰らぬ人となった。
一方父の死をきっかけに歌舞伎の世界に戻った俊介だったが、喜久雄は後ろ盾を失い、ろくな役も付かなくなった。さらに週刊誌にやくざの息子であることが暴露される。有名役者・千五郎の娘彰子(森七菜)と結婚しようとたくらむが、逆に千五郎の逆鱗に触れ歌舞伎の世界から去り、彰子とともにドサ周りの踊り子としてホテルの宴会場などで踊るようになった。
しかし人間国宝である女形の重鎮・万菊(田中ミン)に再び声をかけられ、歌舞伎の世界に復帰。俊介も歓迎してくれて再度二人で舞台に立つ。
しかし俊介も若くして糖尿病で左足を切ることになった。
それでも舞台に立ちたい俊介と「曽根崎心中」を演じる。
俊介も亡くなった。
2014年、喜久雄は人間国宝になった。


話は全部書いた。2時間55分の超大作である。
吉沢亮と横浜流星という2大イケメンの競演。二人とも大河ドラマの主役経験者だから実力も伴う。この映画自体も数十年に渡るドラマなので、大河ドラマ並である。
もちろん歌舞伎シーンも本人たちが演じ、(素人目には)本物の歌舞伎役者と変わらない。

私は歌舞伎を見たこともないし、興味もない。だから彼らの歌舞伎シーンが「所詮素人」なのか「十分本物」なのかさっぱりわからない。
でも二人ともこの役のために十分修行はしたであろうことは想像つく。
それなりに立派である。

実を言うとそういう「歌舞伎シーンも頑張ってるなあ、手抜きがないなあ」という感想しか浮かばない。
話としては「名門の子と実力で上ってきた子」の二人がのし上がったり、落ちていったりする話で、話の構造としてはごく普通である。

それより歌舞伎の世界でそれなりの舞台を踏んだ役者が地方のドサ周りで舞を舞うなんてあるのかね?普通の役者とか歌手なら、売れなくなってドサ周り、もあるけど。
調べてみたら、板東玉三郎などの地方巡業はあるけど、これはあくまで大都市圏以外で歌舞伎を普及させたいという意図的な地方巡業なので、あんな旅館の宴会場で踊るような極端なことはないらしい。
あと世襲でないのに人間国宝にまでなることがあるのかと思ったら、板東玉三郎は世襲ではないそうで、ただし養子になっているので、喜久雄ほど外部の人間ではない。
だからかなり誇張にはなってるようだ。

とにかく血縁、というのが重要な世界なので、それをわざわざ三浦貴大に「歌舞伎なんて所詮は世襲」といわせている。
物語としては「そういう世界で実力だけで上り詰めた波瀾万丈の話」としていいんだろうけど。

でもやっぱり世襲、というのがこの世界の閉鎖性があり、あえていえば天皇制につながる日本の精神的ねっこになってると思う。
それがいいか悪いかは一概にはいえない。
でも世襲のメリットってなんだろうね。

吉沢亮、横浜流星のイケメン競演でものすごく一生懸命に手抜きなしで作ってくるのは伝わってくる。でも私にとっては基本興味のない歌舞伎の話だし、この題材ではこれ以上の面白さは特にないだろうなあ、という気持ちだ。

出てくる劇場名や会社名はすべて仮名。歌舞伎の興行を担う会社が三友というがその社長が梅木、社員が竹野。「松竹梅」からのもじりでしょう。
そう考えると松竹が配給しなければならない気がするが、実際の配給は東宝である。






0011ナポレオン・ソロ対シカゴギャング


日時 2025年6月7日
場所 ムービープラス録画
監督 ジョセフ・サージェント
製作 1966年(昭和41年)


元ナチの科学者のクローケン博士がスラッシュの一員のストレイゴ(ジャック・パランス)に連れ去れた。誘拐を阻止しようとしたナポレオン・ソロ(ロバート・ヴォーン)とイリヤ・クリヤキン(デヴィッド・マッカラム)だったが、逃がしてしまう。
イタリアの南部のストレイゴの会社にいると情報をつかんだソロとイリヤはイタリアに向かう。しかしストレイゴに見つかり追われる羽目に。その途中で民家に逃げ込むソロ。その家でピアという女の子の部屋で一晩隠れて過ごした。翌朝、ピアの祖母に「若い女が男と部屋で過ごしたら結婚しなければならない」と言い出すが、なんとか逃げ出すソロ。
クローケンは大西洋のメキシコ湾流の流れを変えて欧州、アメリカ東海岸の気候を全く変えてしまう研究をしていた。スラッシュはその計画を利用して世界制覇をたくらんでいた。
ピアのばあさんは親戚に禁酒法時代にシカゴギャングでならしたピアの伯父、フィンガースのちの力を借りてソロを連れだそうとする。
同時にクローケン博士の計画に必要なミサイルがシカゴから積み込まれると知り、ソロとイリヤもシカゴに向かう。しかしフィンガースたちもソロを捕まえようとやってきた。イリヤはストレイゴのミサイル破壊を計画するが捕まってしまう。
ストレイゴは地中海の自分の島でミサイルを発射しようとする。
計画を阻止するUNCLEは島の爆撃を決定。しかしイリヤやピアがその島にいる。ソロは島に向かう。しかしシカゴギャングの面々も島に向かってきた。


ナポレオン・ソロ映画版シリーズ第5弾。後半戦である。
監督はジョセフ・サージェント。
完全にコメディ路線になっている。
調べてみたら禁酒法は1920年から1933年。日本でいえば大正末期から昭和ヒトケタぐらいの時期だ。だからこの映画の40年前。
かつてのシカゴギャングも今は70過ぎのじいさんたちである。
この時代はまだこの設定が出来たんだなあ。

この他にもストレイゴの女性秘書も登場。この秘書が実は殺しが得意中の得意、しかも人を傷つけるのも好き、というキャラクター。
ストレイゴを尊敬し、恋愛感情も持っているのだがストレイゴはつれない。

女性秘書がイリヤを捕まえて拷問する姿を見てクローケン博士は彼女に経緯を抱く。さすが元ナチの科学者だ。
しかしピアの監視を命じたのに逃がしてしまい、ストレイゴは激怒、彼女をスラッシュの本部に報告し処分してもらうという。それで怒った秘書はイリヤに協力させてストレイゴに復讐しようという敵味方がバラバラになっていく。

女秘書に好意を抱くクローケン博士がストレイゴを裏切るかと思ったらそうはならなかった。
後半にはスラッシュの幹部も島にやってきて、ミサイル発射室を見学し潜入しているイリヤに「説明してくれ」とかもう完全にコメディ路線。
ナポレオン・ソロはコメディ路線とかいわれたのはひとえに低予算で作ってるからハードな展開は出来なかったのだなあと改めて納得。

ラストは(なぜか誤解が解けて)課長も交えてソロとイリヤとシカゴギャングでホームパーティ。
楽しい一編でした。





見える子ちゃん


日時 2025年6月6日18:25〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン8
監督 中村義洋


四谷みこ(原菜乃華)は高校2年生。今クラスでは学園祭でなにをやろうかをみんなで相談中。みこは親友でクラス委員の百合川ハナ(久間田琳加)とともにまとめ役をしている。
ある日、霊が見えるようになるみこ。ネットで調べたら「霊に会ったら来るな!とか怒鳴ってやればいい」という情報を見つけ、交通事故があった現場で小さな男の子の霊を見てしまい、「来るな!」と怒鳴ってしまう。
すると彼は「見えるの?」と着いてきてしまった。
ネットでもう一度見てみると「霊を怒鳴るのは最悪の手です。彼らは自分がその人には見えていると気づいてしまい、逆に着いてきてしまいますよ。だから無視、見えないふり、無反応が正しい選択です」
翌日、ハナの肩に手が着いているのが見える。ハナは昨日親戚の不幸でお通夜に行ってきたそうだ。みこが驚いていると写真部の二暮堂ユリアがやってきた。「あなたにも見えるの?」と話しかけられる。彼女は昔から見えているのだ。その後ろには詰め襟の生徒会長・権藤昭生(山下幸輝)がいる。昭生の話ではこの学校は50年前に文化祭の時に校舎の崩落事故があり、何十人もの生徒や父兄が死んだ、一瞬のことだったから彼らはなにが起きたかわからず、今でも霊がうじゃうじゃいるという。


ライトなホラーは嫌いではないし、何より山下幸輝の出演ということで見に来た。
この後、担任の先生が産休となり、後任でやってきた先生、東野善(京本大我)にも霊がとりついている。
ハナにとりついた霊はどんどんひどくなる、文化祭の出し物は「おばけやしき」に決定し、まずます霊を呼び寄せてしまう、という展開で面白そうになっていく。

ここで私はみことユリアと昭生が「ゴーストバスターズ」を結成し、除霊への戦いになると思っていたのだが、一向にそうならない。
こっちは山下幸輝目当てで来てるから、すこしもどかしい。

いつの間にかクライマックスになって、東野先生の霊を払うために近所の神社にどう連れ出すか、そして神社の力で倒せるか?という流れになっていく。

あらら、生徒会長は活躍しないんだなあとがっかりしていたが、大きな落ちが付く。実は生徒会長はみことユリアには見える霊だったのだ。
道理で髪型とか今風ではない、70年代ぐらいの感じなのだ。
さらに時々リビングでみこと噛み合わない会話をしてた父親(滝藤賢一)も霊だったのだ。
クラス全員女子というクラスなのに、生徒会長は男、この学校、男子と女子は別クラスの設定なの?という疑問は最後に解消、実はこの学校前は男子校で、今は女子校なのだ(もっともそれはそれで現実的にそういう学校があるかは疑問だけど)

ライトなホラーとして面白かった。オチを知った上で、もう一度見てみたい。







0011ナポレオン・ソロ/消えた相棒


日時 2025年6月1日
場所 ムービープラス録画
監督 E・ダレス・ホーレンベック
製作 1966年(昭和41年)


ロンドンの街角でイリヤ(デヴィッド・マッカラム)は猫を放してそれを捕まえにくる奴を調べていた。その猫を捕まえた奴が猫を持って行く先を調べているのだ。
ナポレオン・ソロ(ロバート・ヴォーン)はウェイバリー課長からノーベル賞も受賞したベンジャミン・ランサー博士がもう80代のはずなのに最近撮られた写真では50代にしか見えない件を調査するように命じられる。ランサー博士の居場所は分からないが、まずはパリでモデルをしているローレライを訪ねる。彼女に父親のことを訊こうとするが、ブティックのオーナー・マダム・ド・サラ(ヴェラ・マイルズ)が話すなという。そうこうしてるうちにローレライは殺された。彼女の部屋に父親から「ロンドンのベインブリッジという男を訪ねろ」という手紙を見つける。
ロンドンでベインブリッジを訪ねようとしたが、彼もまた殺された。一緒にいたのはスウィッカートだ。彼は政界の実力者だったが権力闘争に破れ今は引退の身。彼はサラの後見人でもあった。
ソロはスウィッカートに会って殺されたベインブリッジの正体を訪ねたが、彼はランサーとは認めない。
その帰り道にソロの車は襲われた。それを助けたのはスラッシュのジョーダンという男。スラッシュもランサーの開発した若返り法をねらっていたのだ。


映画版「ナポレオン・ソロ」シリーズ第4弾。
若返りの方法を巡ってのスラッシュなどと三つどもえの戦いが繰り広げられる。

驚いたのは重要だと思われた人物が次々と殺されていくのだ。
最初に登場したローレライは割と早く殺される。(このシーンでテキサスの旅行者が登場するがここしか出てこない。これが意味不明)
このシリーズ、素人の女性を事件に巻き込まれる展開が多いのだが、それがこのローレライだと思ったので、びっくり。

そして事件のカリスマ悪役だと思ったランサーもあっさり殺される。
いやなんかシリーズのお約束をはずしてるなあ。
今回の監督は新人だそうだけどそのためなのか??

結局ランサー博士は猫を動物実験に使って若返りの開発をしていたのだ。そのために猫も集めていたのだ。彼の研究は弟子だったグロツキー教授に引き継がれ、彼とともに完成したからこそランサーは若返っていた。
そのグロツキーに資金提供していたのが美容サロンの会社も経営するマダム・ド・サラ。彼女が子供の頃からあこがれと尊敬、恋愛の対象だったのがスウィッカート。彼を若返らせて再度政界の実力者にするのがサラの夢だったのだ。

という訳なんだけどサラがキャラクターとして弱いんだよな。だからもう一つカリスマ的悪役感がない。逆にわき役がいいのだよ。
サラの元の部下の女殺し屋。これが見た目の感じが「ロシアより愛をこめて」の女上司みたいな感じ。案外意識していたのかも知れない。
でもあっさりスラッシュに殺されるんだが。
そしてスウィッカートのボディガード。
これが体が大きく力持ち。ソロが何とか家に入ろうとするので、車を持ち上げて方向転換させ、「お帰りください」という。
しかしソロも負けじとそのままバックで屋敷に入っていく。
このシーンは面白かった。

また最後はウエィバリー課長も現場に登場。スウィッカートの知り合いだというので呼ばれたのだ。でもスラッシュに捕まるが、課長も持っていたネクタイに仕込んだ秘密兵器で乗り越える。
スラッシュに利用されると知ったグロツキー教授は秘密を守るために自らも若返り装置に入り、一挙に少年になってしまう。

4作みたけどこれが一番プロットも練られていてよかったかな。
悪役が弱いとかの難点はあるけど。
あと書き加えておけば冒頭のソロがUNCLEの本部に入っていくシーン。
白黒テレビで課長が見ているという体裁だったけどありもの映像を使ったのではないか?まあアーカイブから取ればいいような映像だしな。






0011ナポレオン・ソロ/地獄へ道づれ


日時 2025年6月1日
場所 ムービープラス録画
監督 ジョセフ・サージェント
製作 1966年(昭和41年)


アメリカ陸軍の生物兵器研究所から「戦意を喪失させる」という毒ガスが盗まれた。盗んだのはこのガスの実験の見学に来ていたアレクサンダー(リップ・トーン)という実業家。それを取り戻すためにUNCLEのソロとイリヤの二人が派遣される。現場に残されていた石版には「8」の数字が描かれていて、この謎を説くためにイリヤは石版に詳しいケイボン教授をギリシアに訪ねる。
ソロはアレクサンダーを洗うべく彼の宿泊するホテルに向かったが、アレクサンダーのアタッシュケースを盗む女性がいた。それを追ったソロだったが、彼女はトレーシー・アレクサンダー(ドロシー・プロバイン)でアレクサンダーの夫人だ。彼女は離婚しようと自分が持参した100万ドルは取り戻そうと必死だったのだ。
彼女の力を借りてアレクサンダーのパーティに潜入するソロ。だが結局はなにもつかめない。アレクサンダーを追って、ギリシアの神殿、ワシントンのアレクサンダーの農場、アレクサンダーの経営するトレーニングジムなどに向かう。
現場に残されている数字の意味するものは?アレクサンダーの目的は?


「ナポレオン・ソロ」シリーズの第3作。監督はジョセフ・サージェント。映画の冒頭で監督名がクレジットされた時に期待したが、ぜんぜんだめ。

まず脚本が混乱している。最初は盗まれた生物兵器ガスの奪還が目的だったはずだが、それはどこかに行ってしまい、アレクサンダーが何かをやろうとしている、それを阻止!とちょっとずれてきている。

その計画というのが、アジアの小国の大統領(島田テル)を暗殺し軍が政権を握り、それを足がかりに世界制服をしようというもの。
別にガスなくたって出きるじゃん。
脚本が完成する前に撮影を始めてしまい、つじつまが合わなくなったかのようだ。

で残された数字は「十戒」の戒める数字を表すということ。8番は「汝盗むなかれ」でガスを盗んだ現場においてくるという正直よくわからない。
採石場でのカーチェイスのシーンではワルサーP38アンクルスペシャルが登場。マシンガンほど強力ではない感じだったが、連射してる感じだったぞ。
アレクサンダーの農場でトラクターに追いかけられたイリヤが沼にはまって泥だらけになるシーンは(やや)迫力あり。

また悪役のアレクサンダーより、その恩師だか何かよくわからない立場の教授がただの強面ではない悪役で興味深かった。
最後の最後に出てくる某国の大統領を演じるのが島田テル!
「007は二度死ぬ」の大里社長ですね。007と0011の両方に出演だ。

あとギリシアの神殿の中に閉じこめられるシーンで、ソロが台に縛られてその上を半月形の大きな刃が揺れておそってくるシーン。ここはソロが足で刃をつかんで、自分のタイミングで刃を離し縛られてるロープを切るところ、子供の頃に見た記憶のあったカットだった。
ってことはテレビ放送で一度は見てるのか。全部見たとは限らないけど。

ソロをやたらにデートに誘う17番の札をつけた連絡係がいるのだが彼女がコメディリリーフ。実はウェイバリー課長の姪でソロの注意がほかの女に行かないようにするための芝居だったと判明。

前作ではラストに「僕もソロを見習って」と訪問先で知り合ったスチュワーデスと楽しもうとするイリヤだったが、今回は泥だらけになって、全く女に縁がない。任務一筋である。
やたら女にもてるソロより、仕事一筋のイリヤの方が人気が出たというのも納得である。