痴漢電車 感じるイボイボ日時 2025年7月29日21:00〜 場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 監督 今岡信治 製作 平成8年(1996年) 母親の葬式から帰ってきた良雄(川瀬陽太)。アパートに帰ってみたら同棲していた女・イチコはいなくなっていた。良雄はちょうど仕事を辞めた時期で、友人(岡田智宏)が預かっていた退職金を受け取るとその金を使ってかつての同棲相手を探し始める。 そんな時、神社で女子高生の制服を来た少女(水乃麻亜子)と出会う。 彼女が知ってるゴールデン街の店に行く。彼女はクスリを教えてくれた。 彼女から店のマスター(佐野和宏)が作ったという手製の時限爆弾をもらう良雄。その爆弾は新宿一つぐらい爆破できるという。 良雄は電車や町をいなくなった女を捜してさまよい歩く。新聞にも3行広告 その中に自分を抱いてくれる女性(林由美香)がいた。 良雄とセーラー服の少女は時限爆弾を使って遊ぶ。1時間後に時間をセットしてコインロッカーにしまい、電車に乗ってぎりぎりで引き返し解除する。 セーラー服の少女が不良外国人に襲われた時も良雄は助けようとした。 やがて少女の前に野球のユニフォームを来た三人組(佐藤宏、他)が現れた。マスターが作った爆弾を取りに来たのだ。 少女は殺され、良雄は彼女の遺体をもっていつものロッカーの前に座り込む。 今岡信治監督の2作目。ラストに中島みゆきの曲が流れることもあってソフト化されていない。プリントも国立映画アーカイブに所蔵されているのみで、とにかく上映の機会がない。私の知る限りここ10数年は上映されたことがない。 今回ラピュタのレイトショーの林由美香没後20年特集の一つで上映。 タイトルだけは聞いていたが、内容は全く知らなかった。 正直、初期のいまおか作品はあまり好きではない。「彗星まち」も好きじゃない。「オフビートな笑い」が特徴といわれるいまおか作品だが、この頃は思い詰めた感があって作風も暗い。 いまおか監督の話を聞いているとよく「助監督の頃同棲していた女性が浮気して別の男(JR職員だったかな)の元へ行ってしまった」という話が出てくる。 「彗星まち」も女が出て行く話だったが、これもそう。女に逃げられて「みんな死んでしまえばいい」という破壊願望があったそうで、それが爆弾遊びになっている。 またこの頃はせき止めシロップと酒を一緒に飲んで一種のトリップ状態になる遊びをしていたそうで、それがこの映画の睡眠薬を飲むエピソードなのだろう。まあ若さ故の過ちである。 そういう当時のいまおか監督の信条が感じられる。 でも話は面白くないし、女に逃げられた男のグチを延々と聞かされてるみたいでいやになるのだよ。レイトでみてるせいもあって後半少し寝落ちする。 内容がよく解らなかった点をいまおか監督に聞いてみると「ゴールデン街のマスターはクスリや爆弾を作ってるヤバい奴。爆弾を発注したテロリスト(3人組のこと)がマスターを殺し(栄の中では新聞記事だけ唐突に出る)そして爆弾をセーラー服の少女に取りに来た」という設定だそうだ。 ちょっと説明不足だよな。 実はもう二度と観る機会がないかも知れないと思って7月10日も観に行った。29日は監督と主演の川瀬陽太さんのトークイベント付き。 曲に関してはこの映画の頃はまだDVD化するなどの2次使用の意識がなかったので映画館だけで上映されるというつもりだったから、つい使ったということである。この後の「デメキング」ぐらいになるとソフト化も考えるようになったから、こういう無茶はしなくなったとか。 翌日は佐藤宏さんも来場され、告知はなかったがいまおか監督と舞台挨拶。 セーラー服少女が不良外国人に襲われるシーンで良雄が守ろうとして「女の代わりに俺のケツに入れろ」的な展開になるのだが、出演者の外国人が現場でいやがってしまい、挿入するカットは助監督の坂本礼さんが演じたとか。 (そういえばこの映画の助監督は榎本敏郎、坂本礼、小泉剛である) あとクレジットタイトルが「犬神家の一族」みたいな名前が直角の曲げて表記されてるが、これもパクリだったそうだ。 映画自体はそれほど面白くもなかったが、長年観たかった映画が見れて満足である。 THE H-MAN(美女と液体人間 海外版)日時 2025年7月28日 場所 米国版blu-ray 監督 本多猪四郎 製作 1958年(昭和33年) 2020年にアメリカAmazonで購入した「美女と液体人間」と「宇宙大戦争」の2本組blu-rayで鑑賞。 米国版は78分、オリジナルは87分。「怪獣王ゴジラ」みたいな追加撮影があうかも知れないと思って鑑賞。 H-MANというのはH-BOMB(水爆)の核実験によって生まれた人間、ということからつけられたようだ。「液体人間」ていうより「水爆人間」か。 結果をいうと特に追加シーンはない。 もちろん英語吹き替えでメインタイトル、クレジットタイトル部分は差し替えられている。(このblu-rayはオリジナル東宝版も同時収録) それと劇中のメモ(佐原健二が白川由美の歌手にコンタクトを取るために店に行ったときに見せるメモ)、看板(「放射線研究所」みたいな場所説明的看板)、新聞記事(「液体人間現る!」みたいな新聞)が英語で再撮影。 全編英語吹き替えなのでそれにあわせての英語撮影だったのだろう。 メモや看板が日本語のままだと字幕をつけなければいかんしね。 英語吹き替えだが、白川由美がダンスホールで歌う歌、英語歌詞なので、ここはオリジナル音声のままだったようだ。 役者が出てくるようなシーンの追加シーンはなかった。 上映時間からすると数分カットだが特に変わった印象はない。 大きな改変はなく上映されたようだ。 The Human Vapor(ガス人間第1号 海外版)日時 2025年7月27日 監督 本多猪四郎 製作 昭和35年(1960年) 「獣人雪男」の海外版を見たついでに「ガス人間第1号」の海外版も観る。 この映画、以前土屋嘉男さんからお話を伺った際に「アメリカ版のガス人間では水野の告白から始まる」と聞いてたが、その通り。 新聞社に訪ねてきて中村哲や松村達雄演じる新聞社の幹部を前に「なぜガス人間になったか」を語るシーンからである。 完全に英語吹き替えなのでせりふの内容がオリジナルと同じなのかは私の英語力では判別しかねる。 でもオリジナル版の「ガス人間」は以前から前半は「謎の銀行強盗を追う刑事」が主人公だったのに、水野が登場してから急に話が水野が主人公になるという主人公が入れ替わる居心地の悪さがあった。 それがこの編集で水野が最初に登場し、途中で三橋達也の刑事が「加わってくる」という構成になって私としてはすっきりした印象を持った。 やはりアメリカの担当者も気になったのか。 そして音声がせりふだけでなく、音楽もすべて入れ替わっている。 だから宮内国郎の音楽は聞こえない。(関係ないけど初めて「ガス人間第1号」を観たときは「ウルトラQ」の音楽が流れてきてびっくりしたものだった) そうなると藤千代の舞のシーンの音楽はすべて変わっている。 これが「黒田節」なんだ。練習の時から黒田節が流れ、ラストのホールのシーンでも(踊りが変わっても)黒田節が流れる。 これがオーケストラみたいな編成の音楽で雅楽ではない。 それでも途中まで違和感なく観た。でもいい加減「酒は飲め飲め、飲むならば」のメロディが何度も流れるので最後は笑ったけど。 曲がなかったんだろうなあ。でも結構はまってるんだよね。 この海外版は80分。たぶん三橋達也の捜査関係がカットされてると思う。 詳しくはオリジナルと比較しながら観ないといけないが。 HALF HUMAN(獣人雪男 海外版)日時 2025年7月27日 監督 Kenneth G.Crane 製作 1955年(昭和30年) 東宝映画「獣人雪男」の海外再編集版。上映時間は63分。オリジナルは93分だから30分以上カット、ではなく海外オリジナル部分もあるから実質は40分ぐらいがオリジナルから使われている。 海外版ではJohn Rayburn博士(ジョン・キャラダイン)が二人の教授に説明する形で話は進行する。 「日本の雪山で一人行方不明者が出て・・・」と説明する(たぶん) だからオリジナルにある冒頭のエンディングの駅の待合室のシーンはなし。 この博士が全部説明するから私が観たバージョンでは日本語のせりふは全くなく完全に音声は後で入れた形になっている。 これで話はさくさく進み、オリジナルでは雪男がテントで寝ている河内桃子に手をかけるまで39分かかっているが、こっちは19分ぐらいで雪男登場である。 博士の説明シーンでは雪男の足形が登場する。「この大きさからすると慎重は9フィート」「えっ!」的な会話が交わされる。 どうも中村伸郎が演じた動物学者が報告したという形を取ってるらしい。 (あくまで「らしい」である。英語のせりふはほとんど理解してないので) さらに驚いたことに博士たちが別室に移動するとなんとなんと雪男の子供の方の死体があるではないか! 足の方は掛け布で覆われているが、顔と上半身は露出している。 これが結構出来がよくて、本編とつないでも違和感はない。 で何で子供が死んだのか、の説明で小杉義男の見せ物師が子供を使って雪男を捕まえたが結局は雪男に殺されるシーンになる。 ここでオリジナルでは小杉義男は雪男の頭上まで高く上げられ、崖に落とされるのだが(ここが持ち上げられる小杉はワイヤーでつるされ、雪男とでは合成になっていた)、この海外版では小杉はヒョイっと放り投げられるだけになっていた。 そして雪男は怒り狂って部落を壊すというのは同じ。 宝田明たちは雪男を追って山奥に入っていくが、ここで落石発生。でもこのシーンはオリジナルではもっと早い段階であったシーンだ。 ベニテングダケの話はなかったようでとにかくサクサク話は進み、雪男に連れ去れた河内桃子は根岸明美に助けられて雪男はマグマ(?)の中に沈んでいく。 このあたりは一緒。 とにかく60分にまとまっており、冗長なオリジナルよりこっちの方がいいかも知れない。 ジンジャーボーイ日時 2025年7月26日20:40〜 場所 テアトル新宿 監督 田中未来(ミキ) 地方のサラリーマンの岸田は急に東京本社で欠員が出たため東京へ転勤になった。急なことなのでしばらくは高校時代からの友人、倉の部屋に「部屋が決まるまで」ということで居候する。 今は定職につかず、映画の学校に通っていたがそれも辞めてしまっている倉は自由な生活。 毎日会社に出かける岸田とは徐々に合わなくなる。 48分の中編映画。ENBUゼミナールの卒業制作映画だが、今年のカンヌ国際映画祭ラ・シネフ部門で3位入賞映画。日本では多摩映画祭などでの上映はあったようだが常設館での上映は今回が初めて。1週間レイトでの公開だ。 (調べてみたらラ・シネフ部門とは世界の映画学校の学生の作品を上映し若手監督を発掘させる部門。世界中から応募され10〜15本がノミネートされるということで、ノミネートされるだけでも大したものである。ちなみに2025年は全世界646の映画学校から2679編の応募があったという) 岸田は「断るのが面倒なのでなんでもいいよと言ってしまう性格」。倉と居酒屋で女の子をナンパし、部屋に連れ込むということもやっている。 内向的な性格かと思ったらやることはやる。 倉は映画学校は今は辞めているが映画は作ろうとしている。その素材を倉が寝てる間に岸田は観てみる。すると高校時代の自分たちを描いた作品。 高校時代の倉は「将来スーパースターになってタイムマシンを買って今日に戻る。そしてずっとこの日を過ごす」と言っている。 結局「ずっと学生時代でいたい」「社会に出て高校生の頃は軽蔑した電車に乗って毎日会社に行く生活になじむ」という葛藤を描いた話。 作った映画学校の学生はそういう悩みや壁にぶち当たるんだろうけど、私はそういう壁はもう何十年も前に乗り越えた。 だから「お若いですねえ」としか言いようがないのだよ。 だからテーマには何も響くものがない。 というかそういうことが悩みであった若さへの嫉妬か。 でこの映画を観たのは先日エキストラで参加した、いまおかしんじ監督の新作「死神バーバー」の撮影を担当したカメラマンが撮った映画だから。 だから珍しく監督ではなく、カメラマンの画を中心に観た。 多くのカットで手前にものを起き(それが人である場合もある)ピントをぼかし奥行きのある映像を作る。また色合いも暖色系の暖かみのある色にしている。 そしてラストカットは登場人物の最後のせりふのアップで終わっている。(人物が二人の場合は、それぞれのアップがつながるのだ) 今日は同時上映は「エミレット」という36分の短編。 こちらはある同棲カップルがいるのだが、彼氏のミサキは優しくていい人なのだが、体を触られるのを極端にいやがる男。優しくて好きなのだが抱き合ったり出来ないことに満足出来ない彼女のニーナはミサキとのこれからの関係を悩んでいく、という内容。 ミサキは母親が娼婦で毎日違う知らない男が部屋に来ていたからそこからセックスなどのへの恐怖が生まれたと独白される。 結局最後は二人は別れる。 2本に共通してるのは仲良かった二人がやがて別れていくという描写。 観るべき点は「ストーリーのテーマ性」ではなく、「描写」なのだろう。 こちらもスタッフは「ジンジャーボーイ」と同じスタッフ。映像も同様のテイストである。 今調べて知ったが田中未来監督は女性だった。男性だと思ったのは私の思いこみだった。 木の上の軍隊日時 2025年7月26日15:30〜 場所 丸の内ピカデリー・スクリーン1 監督 平 一紘 太平洋戦争末期の沖縄伊江島。この島は日本軍の命令で地元住民もかり出され飛行場建設が行われた。「本土から何百という戦闘機がやってきて沖縄を防衛してくれる」と信じていたが、やがて飛行場爆破命令。つまり援軍は来ないということだ。 昭和20年4月、ついに米軍の沖縄上陸が始まった。 戦闘は熾烈を極め、兵も住民も死んでいった。そんな中、現地召集の安慶名二等兵(山田裕貴)と宮崎か来た山下少尉(堤真一)は生き残った。米軍の敗残兵処理から逃れるうちにガジュマルの木の上に隠れた。 とりあえず生き残り援軍を待ち反撃の機会を伺う彼ら。 食料に困って木の実や虫を食べたりする。ある晩、山下は米兵たちが何かお祝いをしているのを目撃するが、それが何を祝ってるかはわからない。 食料も尽きた中、米軍が残した缶詰を見つける安慶名。それを食べようとするが「敵の作った食料など食えるか!」と山下は食べない。 だがしばらくして安慶名は食べ、病気になった山下のために日本の缶詰の空き缶に米軍の缶詰の中身を入れ食べさせた。 何ヶ月か経ち、米軍の基地が出来ている。ゴミ捨て場で山下も残飯を漁るようになり、食料には困らなくなった。そして時々酒やたばこ、ヌードグラビアのある雑誌も。 2年が過ぎた。隠していた缶詰が盗まれる事件があった。最初は米軍に見つかったと思ったが、地元住民が持っていたらしい。缶詰を入れたケースに「食料を持って行かないでください。与那嶺」とメモを入れた。名前を知られないように安慶名の友人の名前を使った。 数日後、ケースを観ると返信がある。「お前が生きていてくれてうれしい。戦争は2年前に終わった。セイジュンも一緒か?兄より」と書いてある。 山下は「敵の罠だ!」というが、安慶名は「セイジュンというのは僕の名前です」という。 山下も戦争は終わったらしいと確信。しかし生き恥をさらして帰ることも出来ない。 今年は終戦80周年である。戦争映画が久々に公開される。この映画と「YUKIKAZE」そして年末にアニメで「ペリリュー 楽園のゲルニカ」が公開される。 この映画は元は井上ひさし原案の舞台劇。木の上で過ごした軍隊というのは舞台劇的である。「なんか地味そうだなあ」と思っていたが、最初の20分ぐらいの米軍の沖縄上陸前の飛行場建設のシーンなどは思ったよりエキストラも多く、豪華である。 始まった沖縄戦も兵隊個人の視点からの戦闘シーンとしては十分な出来だ。 この映画はまじめな映画だし、一般的にいい映画である。 でも自分が好きかというとそうではない。なんかこう、インパクトにかけるんだよね。 まじめでいい映画で学校の授業で上映しても申し分ない映画である。 でも「怒り」みたいなものが足りない。 それが私に取って不足な部分なのだろう。 動乱 第一部 海峡を渡る愛 第二部 雪降り止まず日時 2025年7月26日11:00〜 場所 丸の内TOEI・スクリーン2 監督 森谷司郎 製作 昭和55年(1980年) 昭和7年。仙台の宮城大尉(高倉健)の隊の新兵・溝口英雄(永島敏行)が脱走した。彼は故郷の姉が身売りすると知り、いてもたってもいられず実家に帰ったのだった。しかし捜索隊の原田軍曹(小林稔侍)によって自決を強要され、もみ合いになり原田を殺してしまった。溝口は死刑、そして宮城も朝鮮と満州の国境警備隊に左遷された。 その宴会の席でやってきた女性の中に溝口の姉・薫(吉永小百合)を見つける。自分の部屋に引き取ったが、なにもせずにその晩は過ごした。 その地の軍隊は腐りきっており、女郎屋・朴(左とん平)を通じて朝鮮人ゲリラに日本軍の武器が流れている始末だった。宮城は告発するが上官(岸田森)によって不問にされた。薫が朴によってリンチにあったが、朴が不問にされることを引き替えに彼女を助けることとなった。(第一部完) 宮城は今は東京に薫とともに住んでいた。しかし宮城は薫を抱こうとしない。一方宮城は皇動派として青年将校をまとめていた。 一方で彼は憲兵隊の西軍曹(米倉斉加年)によって監視されていた。 宮城は鳥取に士官学校時代の師・神崎(田村高広)を訪ね、決起の意志を固める。 西曹長も宮城たちの動きから決起を決めたと判断。2月22日の週に中心メンバーが当番になることから2月25日以降と判断。 2月26日早朝、宮城たちは部下を率いて決起。 西は必死の止めたが、宮城によって射殺された。 当初は天皇も宮城たちの決起を認めたように宮城たちに伝えられたが、おれは鎮圧側の流した偽情報。天皇は宮城たちを逆賊とした。 宮城たちは捕らえられ、秘密裁判によって死刑が決定、そして7月、決行された。 7月27日に丸の内東映が閉館になるが、その「さよなら興行」の一つで上映。なんか急に見たくなったので鑑賞。 この映画は公開時に見ている。だから45年ぶりの鑑賞だ。 当時もあまり面白くなかった印象なのだが、今回もそれは変わらない。 2時間半もあるのだが、途中から「長いなあ」と思って観ていた。 第1部、第2部と別れてるけど休憩が入るわけではない。 事件の題材になっているのは226事件だが、それを中心にした話ではない。どっちかというと主眼は高倉健と吉永小百合の大人の恋愛映画である。 健さんがひたすらストイックで女に手を出さない。あれ、高倉健が演じるからかっこよく見えるけど、他の人が演じたら変な奴だぜ。 吉永小百合は当時35歳。高倉健は当時49歳。 物語の設定でいうとかなり無理のある年齢である。 薫は女郎に売られるぐらいだから物語のはじめでは18歳ぐらいだろう。 226事件の将校は30歳前後。そうだよな、青年将校といわれるぐらいだからそのくらいの年齢だろう。 ウィキペディアなどの解説を読むと「男性中心映画」から「女性中心映画」になっていく先駆けともいえるらしい。 確かにその前の東映大作といえば「日本の首領」だろう。この後は「二百三高地」などの戦争大作や、「鬼龍院花子の生涯」「極道の女たち」などの女性視点の映画になっていく。 確かにいわれてみればそうである。 でも観ていて思ったのは「不条理に我慢に我慢を重ねてついに殴り込みをかける」という点では任侠映画と全く同じ構造なのだな。 で、45年前に観て今でも記憶に残っていたのは高倉健、吉永小百合ではなく米倉斉加年演じる憲兵曹長である。考えてみれば米倉は当時映画よりテレビでの活躍が多かったせいか、映画では記憶に残ってる作品がない。 でもこの映画の米倉はよかった。 鳥取に行く宮城たちを尾行する列車の中、弁当のおにぎりを食べようとする。すると周りの子供が「わあ」と見つめてしまう。仕方なく西はおにぎりをすべて子供たちのあげる。 張り込みの家の中、部下が弁当を持ってくる。その弁当も「俺もお前も貧乏育ちで、軍隊に入るまでこんな真っ白いおまんま食ったことなかったよな」「憲兵でなかったら俺も宮城の仲間になっていたかも知れない」とつぶやく。ここがいい。 そして決起に向かうトラックを仁王立ちにして止める西。 「退いてくれ」という宮城に「私は憲兵です」と一言だけいう。 かっこよさの極みですよ。 はっきり言ってこの映画で一番かっこいいのは西曹長である。 「私は憲兵です」のシーンは覚えていたが、弁当のシーンは忘れていた。でもこのシーンを観て瞬時に思い出した。 それぐらい45年前の私には響いたし、それは今でも変わってない。 結局宮城たちの226事件は失敗に終わる。 宮城たちを「憂国の士」と評価する人もいるし、「決起はしたものの、その後のことは全く無計画でただ怒りに燃えていただけ」と評価する人もいる。 ただしその後の終戦の時の青年将校の決起、60年代以降の学生運動、すべて日本では決起は失敗に終わっている。思っている以上に日本の政治システムというのは強固なのかも知れない。 映画の評価とは直接関係ないが、宮城の仲間の青年将校役でにしきのあきら、その新妻で桜田淳子出演。 桜田淳子、懐かしいなあ。その後統一教会の合同結婚式とかいろいろあったしなあ。にしきのも麻薬所持で逮捕とかいろいろあったなあ。(調べてみたら逮捕はこの映画の前で、この映画の頃は復帰していたようだ) でっちあげ〜殺人教師と呼ばれた男日時 2025年7月19日19:35〜 場所 グランドシネマサンシャイン池袋・シアター1 監督 三池崇史 藪下誠一(綾野剛)は民事裁判に出廷した。彼は小学校教師で担任の児童・氷室拓翔を体罰を越えたいじめとして母親・律子(柴咲コウ)から訴えられたのだ。 しかし藪下は「氷室さんの訴えはすべて事実無根のでっち上げです」と訴えた。 週刊誌の報道から始まってすべてのテレビ、雑誌が彼を「児童に自殺強要をした教師」決めつけて報道している。藪下は裁判の弁護士すらいない。しかしやっと自分の弁護をしてくれる弁護士・湯上谷(小林薫)と出会う。しかし相手は550人の大弁護団だ。 湯上谷は「この事件にはどうにもリアリティが感じられない」という直感から疑問を持ったのだ。拓翔は今はPTSDによる入院中ということだったが、その診断も母親の訴えを中心に診断されたもので真偽は疑わしい。 そして藪下の元クラスの生徒の母親から連絡があった。 律子は「自分の祖父はアメリカ人。そのことで先生は『アメリカ人はバカだからその血を引いてる拓翔は口で言ってもわからない』と暴力をふるった」と主張しているが、彼女の祖父にアメリカ人はいない。律子は子供の頃はボストンにいたというが、子供の頃にアメリカにいた事実はない。 このことが突破口になっていく。 先月末に公開されたがなかなか時間が合わなかったりして見逃していた映画。(東映作品なので新宿バルト9ではシニア料金は65歳以上になってしまったし、丸の内TOEIは閉館イベントで上映が終わってしまったし) 今日はたまたま見ようと思っていた「あの夏の星を見た」「バンパイア」とこの映画が時間があったので1日グランドシネマサンシャインにこもって鑑賞。 一言でいうと見逃さないでよかった。 この事件は刑事事件ではなく、両親の訴えとそれを信じたマスコミによって引き起こされたもの。 何を言ってもマスコミに報道されたことが真実になってしまう。 マスコミにはいい面もあるけど、誤った世論を作ってしまう恐ろしさも持っている。 それにしてもまさか「律子の祖父は日本人でアメリカ人という事実はない」という事実には驚いた。弁護団も誰一人気づかなかったのか。 ずっと律子がなぜ藪下を陥れたのかが疑問だった。 5500万円という賠償金の金目当てかと思ったが、そこは全く説明されない。 映画は律子自身がかつてネグレクトを受けていて、学校に帰国子女の転校生がやってきて、それをうらやましそうに見ているカットが挿入される。 それ以上の説明はない。 原作はノンフィクションのようだけど、そこは取材できなかったのかも知れない。相手に「なぜ訴えたのか?」と聞きたくても取材できなかったろう。子供の頃に転校生が来たというのは同級生への取材でわかったろうけど。 同じように律子の夫はどういう気持ちでいたのか。 律子の祖父がアメリカ人でないことは知っていた可能性が高い。 また週刊誌記者(亀梨和也)は律子の敗訴を聞いてどう思ったのか? 後悔したか、あるいは何とも思わなかったか。 それも取材できなかったかなあ。 役者では綾野剛、小林薫が素晴らしい。 小林薫が登場してからはほっとするものがある。 また母親律子の柴咲コウ。後半は表情もなく、能面のような表情が怖い。 ただし怖くはあるけどちょっと怖すぎの過剰演出の気がしないでもない。 三池崇史、最近ちょっとご無沙汰だったがなかなかの力作である。 ババンババンバンバンパイア日時 2025年7月19日15:45〜 場所 グランドシネマサンシャイン池袋・シアター8 監督 浜崎慎治 10年前、今は吸血鬼となった森蘭丸(吉沢亮)はバンパイアハンターとの戦いで傷ついたところを少年に助けられた。その少年李仁(板垣李光人)の家の銭湯・こいの湯で住み込みで働くようになった。 そして今年の春、李仁は高校に入学した。「18歳童貞の血」を最上の血と考える蘭丸に取って李仁の恋は絶対に避けなければならないもの。 ところが入学式の朝、篠塚葵(原菜乃華)とぶつかったことで李仁は恋に落ちてしまう。 蘭丸はなんとか阻止しようと葵の家に行き、恋を止めさせようとするが、実は葵は大のバンパイア好き。そのバンパイアが目の前に現れて興奮してしまう。 ところが翌日にこいの湯に葵がやってきたではないか。今日は家の風呂が故障で来たという。昨日来たバンパイアとばれてしまった。 蘭丸と葵の仲を疑った李仁は夜に出かけていく。「不良に絡まれているのでは?」と心配した蘭丸は喧嘩をしていた筋肉自慢の通称フランケンをボコボコにするが返って蘭丸は慕われてしまう。しかもフランケンは葵の兄だったのだ。 さらに学校の坂本先生(満島真之介)は実はバンパイアハンターで、10年前に蘭丸と戦ったのも坂本先生だった。一度は対決するが、逆に蘭丸に血を吸われてしまいたいと思う坂本。 さらにさらに450年前に別れた蘭丸の兄、森長可(ナガヨシ〜眞栄田郷敦)も現れた! 本来は今年2月公開予定だった吉沢亮主演のコメディ。 年末の吉沢亮の自宅で泥酔して誤って隣の家に入ってしまい家宅侵入で逮捕(?)された件で公開延期になった。 しばらくはメディアの出演を控えていた吉沢亮だが、今年の5月ぐらいからはテレビに出始める。「国宝」の公開は無事に出来、現在大ヒット中で俳優賞候補になっている。さらにこの映画も公開された。「『国宝』から『バンパイア』まで演技の振り幅すごい」と吉沢亮の株が上がっている。 というわけで予告編を見る限りでは私が楽しめそうな感じではなかったが(あまりにも漫画的過ぎるので)、吉沢亮はファンなので一応見る。 面白いのかねえ。約100分の上映時間の間で少なくとも客席で笑い声が聞こえることはなかった。私自身も声を出して笑うことはなかった。クスクス笑いぐらいはしたけどそれは李仁のシーンだったな。 あと原作マンガがそうなんだろうけど、映画が進むにつれてキャラクターが増えてくる。連載マンガだからそうなっていったのか。 見所は吉沢の全裸シーンかな。もちろん前は隠してるし、バックヌードもないけど上半身は見られる。でも胸筋がめちゃくちゃ盛り上がってたなあ。あれCGで加工してる?? という訳で李仁が16歳になったところで今回は終わり。 続編も出来るかなあ?? この夏の星を見る日時 2025年7月19日10:15〜 場所 グランドシネマサンシャイン池袋・シアター8 監督 山元 環 2020年、いつもの1年になると思われたが1月に新型コロナウイルスが発生。 茨城県の天文部の高校生・亜紗(桜田ひより)は夏休みの天文部の合宿が中止になり、悲嘆にくれていた。毎年合宿で行われるスターキャッチコンテストも出来ないからだ。 長崎・五島列島。家が旅館を営む円華(中野有紗)は「県外からの客を泊めた」と非難を受けている。そんな中、親友の小春からも「うちにはおじいちゃん、おばあちゃんもいるし、姉も介護施設で働いていて」と本心とは逆に距離を取られるようになってしまう。そんな時、クラスメイトに島の天文観測台に連れて行かれ、星に関心を持つ。 東京の中学校。安藤真宙(黒川想矢)は中学に入ったものの、サッカー部が廃部なってしまい途方に暮れていた。そんな時クラスメイトの天音に理科部に誘われる。関心のなかった安藤だがスターキャッチコンテストに関するリーフレットを見て関心を寄せる。恐る恐る茨城県の高校に電話をしてみる。 オンラインでも参加できるし、東京でも星は見れるので参加。また長崎も天文台の所長を通じて参加が決定した。 それから望遠鏡を作り始める。 予告編を見て知ってはいたものの、パスしようかと思っていた映画。 Nさんから「評判いいですよ」と教えてもらい観てみた。 なるほど、面白い。 コロナ禍での青春映画だ。 「大人は今年は中止して様子見して再開しようって思えるかもしれないですけど、私たちには今年しかないんです」という意味のせりふが出てくる。 学生が周りにいない自分には今までピンとこなかったが、やはりたとえ映画の中でも現実を見せつけられると響く。 スターキャッチとは「月」とか「木星」とか指示された星を各地で望遠鏡で捉え、最初に捉えたチームに得点が与えらるというコンテスト。 しかし驚いたことに勝敗ははっきり示されない。 ここがクライマックスではなかったのだ。 その後、茨城の生徒の飯塚(水沢林太郎)が親の離婚のため香川県に転校すると告げる。 そんな彼のために亜紗は亜紗のあこがれの日本人女性宇宙飛行士が乗る宇宙ステーションをみんなで見ようと提案。 飯塚が作っていた望遠鏡、足の悪い姉さんも見る。 なんかいいよねえ。 言葉にすると弱いんだけど、一言で言えばコロナで失ったもののもあれば得たものもある。 とにかく絶望の中で希望を持とうとする学生たち、それを支えようとする大人たち。こっちまで元気をもらうような良さだった。 それにしても登場人物全員がほとんどのシーンをマスクしている。 これは役者としてはつらいわなあ。 見てるこっちも誰が誰やらわかりづらく、そのそも映画が終わっても役者の顔を覚えられない。 安藤役の中学生、最初の方で顔がちらっと出てきて「どこかで見た顔だ」と思ったら「怪物」に出ていた黒川想矢だった。 まだ15歳らしいが、今後の活躍が期待できる逸材である。 残念ながらヒットはしていないようだが、口コミで長く上映が続いてほしい。良作である。 ゴジラ対メガロ(4Kリマスター版)日時 2025年7月11日19:45〜 場所 TOHOシネマズ日比谷・スクリーン13(宝塚地下) 監督 福田純 製作 昭和48年(1973年) ストーリー省略。 月1のゴジラ映画4Kリマスター版上映で今月はメガロ。 映画館で観るのは久しぶりか。 もともと好きじゃないゴジラ映画だし、4Kになって何か違った感想を持つかと思ったらまるでなし。 昔にレンタルVHSで観たときの感想を読んでみたけど、まったく同じ。 あえていえば、この映画、まるでドラマがない。 完全に登場人物は設定の説明だけ。 地底人(声は納屋吾郎)「核実験を繰り返す人類に報復だ!」 「ジェットジャガーは人類の脅威に意志を持った!」 「自分が何とかしなければと思って巨大になった!」 という感じで説明のために登場するだけ。 だからキャラクターのある登場人物は佐々木勝彦のジェットジャガー発明者、林ゆたかのその後輩のレーサー、川瀬裕之の佐々木勝彦の弟だけである。 驚くことにヒロインもいない。 今週忙しくて、さらにほぼ満席の息苦しい客席では寝落ちしそうになった。 84以降は封切りで観てるけど、それ以前のゴジラ映画は一応全部観るか。来月は「南海の大決闘」でこれまた私の苦手なゴジラ映画である。 学校の怪談日時 2025年7月6日13:00〜 場所 池袋ヒューマックスシネマ・スクリーン1 監督 平山秀幸 製作 平成7年(1995年) 今日は終業日。登校中の道でも子供たちは「学校に一人でいた宿直の先生がお化けに襲われた話」で盛り上がっている。 5年生の亜樹は2年生の美夏と帰ろうとした。しかし美夏が教師に絵の具を忘れてきたと言い出し、一人で教室に戻る。絵の具を持って帰ろうとした美夏だが、その時にサッカーボールが今は使っていない旧校舎に入ってくのに吊られて入ってしまう。しかし旧校舎の玄関はあかなくなってしまった。一方いたずらで研輔と将太も旧校舎も入っていたが、理科室の人体標本が動き出し、襲われる。 いつまでも帰らない美夏を心配した亜樹は学校へ。亜樹は旧校舎の入り口に美夏の巾着袋があるのを見つけ中に入る。 また双子の兄弟、小向先生(野村宏伸)も生徒を捜しに旧校舎へ。 将太たちは香織という女の子とも合流していた。 なんだか変な用務員さん、動き出したカエルの標本など不思議なものたちが彼らに襲いかかる。 今年公開30周年を迎えた「学校の怪談」シリーズ。公開当時から知ってはいたけど、「子供向けの映画だから」と完全にスルーしていた。 この7月16日に「学校の怪談」全4作がブルーレイで発売されるのを記念して上映&関係者トークイベント。 登壇は平山監督、主演の野村宏伸さん、脚本の奥寺佐渡子さん。 今回のイベントはこの映画の大ファンだというタカハシヒョウリさんがXで「大ファンのこのシリーズのイベント司会をします」と言っていたので知った次第。 そのツイートがあった晩の12時からチケットが発売されたが、30分ぐらいで8割ぐらい埋まり、私もあわてて取った。朝になったら完売していた。すごいな、池袋ヒューマックスで最大の400席以上のスクリーンだぜ。 どこにそんなファンがいたんだ? 映画自体はそれほどでもない。 そもそも小学生が主人公の映画ってあんまり好きじゃないし。 子供が活躍しても嘘くさい感じてしまうのだ。 でもこれは世代が関係あるらしくて90年代に映画館やテレビでこの映画を見た人には心に残ってるらしい。 怪奇あり、友情あり、冒険あり、初恋ありとてんこ盛りなのだ。 タカハシヒョウリさんもその一人なのだろう。 それ以上に思ったのは特撮が多い。 合成とかミニチュアもあるし、特殊メイクやクリーチャーも出てくる。 こういったジュブナイルの特撮もの、というのが「平成モスラ」シリーズにつながっていったといえるのかも知れない。 それがわかっただけでも観る価値はあった。 ハルビン日時 2025年7月5日18:20〜 場所 新宿ピカデリー・シアター8 監督 ウ・ミンホ 1900年代初め。韓国は日本に外交権を奪われ、事実上韓国は日本の植民地になっていた。それを良しとしない韓国人は大韓義軍を組織し、日本に抵抗していた。 アンジョングンもその中心的一人。ある時日本軍と抗戦になったが、兵力では負けていた韓国側も日本軍を制圧することが出来た。しかしアンジョングンは日本軍の森中佐を、仲間の反対を押し切って国際法に基づき殺さずに解放した。 しかし森中佐が後日反撃したために韓国側も多数の死傷者を出してしまった。 日本の支配を終わらせるために伊藤博文(リリー・フランキー)の暗殺を計画する。 中国の大連に伊藤が来ると知ったアンジョングンたちは大連に向かう。偽造した日本人の身分証明書を持ってだ。個室にいたが「あいつら朝鮮語を話しているようだ」と車掌が憲兵に報告。列車から飛び降りて逃亡する羽目に。 次に列車ごと爆破するために火薬を調達した。しかしその受け渡しの場所を森中佐たちに急襲された。 仲間にスパイがいるのでは?と疑ったアンジョングンは疑いのある3人に「伊藤博文襲撃はハルビンではなく別の駅で実行する」と偽情報を話し、誰が日本軍に接触するかを監視した。案の定、一人が日本軍に接しているのを確認できた。 いよいよハルビン駅での決行の日が来た。 伊藤博文を暗殺したアンジョングンを描いたサスペンス映画。 政治的な反日映画というより、暗殺のサスペンス色が強い。「ジャッカルの日」みたいなものか。ただしアンジョングン側が正義、の視点ではあるけど。 この映画を見る気になったのはリリー・フランキーが伊藤博文を演じているから。ポスターで見る限りもちろんメイクもあるけれど、めちゃくちゃ伊藤博文である。 もちろん映画で観ても1000円札から抜け出てきたような感じ。 大成功である。 で日本軍人が登場するが、ちゃんと日本語を話している。ただし演じているのが韓国人俳優なので、日本語が少し変、ネイティブではない。 日本人以外はなんとも思わないだろうけど、なんか違和感が残るなあ。 リリーフランキーも起用したんだし、せめて森中佐ぐらいは日本人俳優でもよかったのでは? しかもこの日本語が聞き取りにくいことへの配慮なのか、日本軍人が話すシーンでは<>月で日本語字幕付き。ネイティブのリリー・フランキーまで字幕が付く。 そういった違和感はあるが、最初に書いたようにサスペンス映画である。 最初の日本軍との抗戦、大連に向かう車内での偽造がばれる、爆薬の受け渡しでの敵襲、そして「裏切り者は誰か?」という謎解き、ついに伊藤博文暗殺成功である。 でも監督のテンポなのだろうけど、妙にまったりしていて、「手に汗握る」ようなドキドキ感はない。もうこの辺は監督の描きたいものと私のみたいもの違いなんだろうか。 ラストの伊藤博文暗殺のシーンなど、真上から俯瞰でいまいちよくわからん。伊藤博文が血しぶきをあげながら撃たれると思っていたから外された。 とはいえ、映像は実に美しく、照明もすばらしい。日本映画でこんなに画の美しい映画は最近観たことよ。 実際の事件とどこまで同じでどこがフィクションなのかは分からないけど、歴史の勉強にはなりました。 最後に字幕で「そのご30数年たって韓国は独立した」と表記される。 うーん、さも韓国が独自に独立したみたいだけど、実際は日本がアメリカに敗戦したから結果的に独立したということではなかろうか。 この辺に韓国の歴史認識があるような気がした。 新幹線大爆破(公開50周年記念上映)日時 2025年7月5日13:00〜 場所 丸の内TOEI・シアター1 監督 佐藤純弥 製作 昭和50年(1975年) ストーリー省略。 丸の内東映(今はTOEIだけど)は1960年に今の場所に開館し、東映のメインシアターとして長らく活躍していたが、この7月27日で閉館。 正直私はこの映画館には思い入れはないのだよ。 東映作品は東京へ出てからは新宿東映で見ることが多かったですから。 他の用事で銀座に来たときに東映作品を見るときに利用したぐらい。 「男たちの大和」はここでみた記憶があるけど他の映画は覚えてないなあ。 2階席で鑑賞したのだが、ここの2階席は初めてだったかも知れない。 ロビーのトイレに行ったら、個室3つの扉が開いていたが2つが和室だった。いや〜昭和である。 今は閉館記念で「さよなら丸の内TOEI」と題して各時代の代表的なヒット作品を上映し、出演俳優などの舞台挨拶イベントを行っている。 「ビーバップハイスクール」の仲村トオルとか「スケバン刑事」で浅香唯とか南野陽子とか。(思い入れないから行ってないけど) で今日7月5日は50年前の1975年の「新幹線大爆破」の公開日。 主要な出演者はみんな物故しているので、イベントゲストはリメイク監督の樋口真爾。 「新幹線大爆破」の脇の出演者の話とか、公開日は小学校4年だったが、学校をさぼって見にいった思い出などを話されてました。 (聞き手は私の苦手な笠井アナ) 今更新しい発見はないだろうと思っていたけど、一つあった。 映画の中での事件の発生日である。 私は映画の公開時期の7月(つまり夏)だ思っていたのだが(おそらく小説版に夏休みと記述していたのかも知れない)、これが違っていた。 映画の後半、沖田の別れた妻の富田靖子の雑貨店のシーン、中に貼られているカレンダーが5月だったのだ。 たぶん撮影時期の頃を設定していたのではないか。 だからこそ、みんな上着やジャンパーを羽織っているのだ。 大したことではないかも知れないが、なんか納得出来た。 「桐島です」日時 2025年7月5日9:45〜 場所 新宿武蔵野館・スクリーン1 監督 高橋伴明 1974年8月の三菱重工爆破事件に始まった連続企業爆破事件。それは大日本帝国時代の搾取の代償として活動家が行ったものだった。 東アジア反日武装戦線「さそり」とメンバーの桐島聡(毎熊克哉)は大企業に爆弾を仕掛けることは犠牲者も出してしまう可能性がある。人々を殺傷するのが本意ではない。葛藤の日々を送るうちに仲間が次々と逮捕。 桐島も逃亡を余儀なくされ、偽名で藤沢の工務店に住み込み付きの職を見つける。 目立たないような日々を送る桐島。近所のライブもやってるバーで知り合った女性・キーナ。彼女が歌う「時代遅れ」に影響され、彼もギターをならい出す。キーナに「あたし、あなたのことが好きかも」と告白されるが、「僕は人を幸せに出来るような人じゃない」と拒絶してしまう。 隣の住人は変わった人だが、仲良くなった。だが彼は警察に捕まった。 2024年になって桐島は末期ガンとなった。 ついに彼は「桐島聡です」と本名を名乗った。 昨年1月に亡くなった桐島聡を描いた映画。 足立正生が「闘争」も作ったが、同じ内容である。たぶんこっちの方が好きになるだろうなと思ったが、その通りだった。 足立版の方は若い桐島と年老いた桐島、僧侶になったイメージの桐島と桐島が問答したりしてやたら議論ばかりなのだよ。 でもこっちの桐島も逃亡生活と言っても「見つかりそうになって逃亡」を繰り返しながら日本全国を転々とするという話ではなく、ひたすらに地味に目立たず潜伏し続けるだけだから、映画的な変化は乏しい。 せいぜい、歌手に告白されたけど受け入れられないというぐらいしかない。 あとは仕事仲間が突然おかしくなって覚醒剤をやっていたけど、警察からの事情徴収をひたすら逃げるとか、隣の住人が逮捕されもらった腕時計を捨てるとかとにかく警察に関わらないようにしている。 でも隣の部屋の人は何だっただろね、空き巣の常習犯とかかな。 その中でも印象的なのが金髪の若い仕事仲間。 「仕事手伝うことないすよ、あんなのクルド人にやらせときゃいい。あいつ等不法滞在なんだから仕事があるだけましなんだから」 「あの人仕事さぼってパチンコしてたんですよね。そういうのやっぱり在日だからですかね」 そう発言されて桐島は怒りの叫び声をあげるしかない。 またテレビで安倍総理が集団的自衛権を認めることにした記者会見の映像を見ている。思わずそのテレビを壊してしまう。 金髪青年の外国人差別の拝外主義、日本人優位の思想、安倍晋三の再び戦争が出来る国への変更。桐島が爆弾闘争してまで作りたかった日本はこんな国ではなかったはず。 言いようのない敗北感、むなしさである。 死の間際「桐島です」と自白した彼の心境は如何ばかりであったか。 かつての活動家仲間は「公安に勝利した」と機関誌に書いたが、そんなものだったのか。 そんな勝ったとか負けたとかではなかったのではないかと思う。 偽名で過ごして周りをだましていたことに対するお詫びだったかも知れない。 もちろん今となっては彼がどう思ってたかは解らない。 映画としてはこちらの方が私は好きである。 映画 おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!日時 2025年7月5日18:55〜 場所 新宿ピカデリー・シアター7 監督 二宮 崇 沖田家は誠(原田泰造)、妻・美香(富田靖子)、大学生の娘・萌(大原梓)、高校生の翔(城 桧吏)に犬のカルロスの4人と1匹。 それに近所のいがらし動物病院の五十嵐美穂子(松下由樹)と獣医学部の学生の大地(中島颯太)とも家族ぐるみのつきあいがある。 誠は以前は「男は男らしく、女は女らしく」の男尊女卑であったが、ゲイの大地に感化され、ゲイも認め、かわいいものやメイクが好きな翔も認め、萌の二次創作のマンガも認めるようになっていた。 ある日、誠の会社で新人社員が急に退職した。引継もなにもないままだったので、大騒ぎに。その中にペットショップ「エルモッサ」の店長の佐藤(曽太陵介)がいた。部下の原西が引継ぎ、なんとか防犯カメラの設置まで持って行った。しかし設置の時に店の備品を壊してしまい、クレームになってしまう。だが佐藤は許してくれない。実は佐藤は社会人1年生の時に誠の部下でその時の「教育」がいやで辞めていたのだ。 翔も高校の野球部の交流試合が豪雨のためにユニフォームや道具がだめになり3年生の引退試合も中止になりかけていた。翔は友人のためにバザーを開いて資金集める。 また萌も今までは二次創作のBLマンガで人気があったが、それでいいのかと悩んでいた。 大地はパートナーの円(東啓介)は九州の水族館に3ヶ月間ヘルプに行っていた。その寂しさを紛らわすために「エルモッサ」でバイトを始める。 東海テレビ制作、フジテレビ系で昨年放送のあった「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか」の映画版。テレビのリメイクではなく完全な続編。だからテレビシリーズを観ていないとさっぱりわからないと思う。 中島颯太は以前から時々見かけていたが今回が本格的ドラマ出演だったそう。ドラマはそのときから知っていたが、たぶん第1話を見逃したとかそんな理由で観ていなかった。今回は映画になるので、NETFLIXで配信されているドラマシリーズを観て、さらに6月28日に放送されたドラマ続編SPも観て完全予習しての鑑賞。 なんといっても中島颯太の説得力が抜群である。あのさわやかな好青年笑顔で「僕、ゲイなんで」と言われたら大抵の人はゲイに嫌悪感はなくなるだろう。 そういうフィクションの現実の乖離はあろう。(別にゲイ全員がイケメンじゃないから) テレビシリーズは結果的に話の比重が「ゲイであること」と翔の「メイク好き、かわいいもの好き」男子、というジェンダーの問題が多かった(それがいけないと言っているのではない) テレビシリーズは「好きであること」の難しさだったが、今回のメインは「好きであり続けることの難しさ」だった。 野球好きの少女が登場する。野球をしたいけど女子野球部がない、というジレンマを抱えている。それを見た萌は触発されてオリジナルマンガ「だって野球が好きなんだもん」を描く。 「好き」とか「自分のやりたいこと」を貫き「続ける」難しさが中心だ。 コミケでは以前の二次創作のBLマンガと違って全く売れない。ベテラン編集者にも読んでもらえなかった。でも偶然出会った場所で話すことが出来、「好きを貫くしかない」と助言される。 萌がこれからマンガ家になるか、なってもBLマンガを描くかいなか、それは誰にも分からない。 どっちでもいいと思う。彼女が納得してさえいれば。 このドラマに続編が出来るかどうかは分からないけど、翔と萌の将来はきになりますね。 また好きなドラマが増えました。 それにしても気になるのが沖田誠の年齢が俺より年下のこと。 その年であの考え方ってそうとう古いよ。 YOUNG & FINE日時 2025年7月2日19:30〜 場所 新宿武蔵野館・スクリーン1 監督 小南敏也 脚本 城定秀夫 灰野勝彦(新原泰佑)は田舎の海辺町の高校2年生。玲子(新帆ゆき)という彼女がいるが、キスやおっぱいは触らせてくれるが、最後になると彼女は拒む。もんもんとした日々を送っていると兄貴がいなくなって空いた部屋に下宿人が来た。名前は伊沢学(向里祐香)。勝彦の母はてっきり男だと思っていたら若い女性だった。しかも勝彦の高校教師で、産休に入った担任の先生の代用として着任したのだった。 伊沢は生物の教師だったが、学校での自己紹介もなんだか自信なさげである。でも生物の教師だけあって、勝彦の家の部屋で蛇を買い始めた。 伊沢と勝彦が地元の寿司屋に行ったとき「伊沢じゃん」と声をかけられる。その寿司屋は勝彦の兄の同級生の店で、伊沢は兄と同級生だったのだ。 伊沢は酒浸りの性格で家では飲んだくれていた。飲み過ぎて朝起きれない時に勝彦は起こしに行くが、無防備な姿に勝彦はどきどきしてしまう。 やがて先生はアル中のために病院に入院した。実は伊沢は勝彦の兄のことが好きだったのだが、言い出せずに来てしまい、それを引きずっているのだ。 でも勝彦の家に下宿したのは偶然でストーカー的に下宿したわけではないという。 結局何もなく、みんな卒業した。勝彦は地元の役場に就職できた。母親は「小説家になる!」と言って東京へ出ていった。 山本直樹原作、城定秀夫脚本で新人の小南敏也監督作品。 小南監督は城定組の助監督をつとめてきた方だそうで、またこの映画の製作のLEONEは多くの城定秀夫作品を作ってきた会社。このLEONEの久保プロデューサーが長年頑張ってくれた小南敏也を監督に昇進させた、ということらしい。 正直言うけど全く乗れなかった。 原作そのものが私にはあわないのかも知れないが、話に縦糸がないのだよ。だらだらとひと夏の勝彦、伊沢、玲子の日常が描かれるだけで、映画を引っ張っていくものがない。 もちろんあえて引っ張っていく主筋を作らずに悶々とした夏、を描きたかったのはわかる。でも俺は退屈したんだよね。 また映画とは関係ないけど、新宿武蔵野館は天井が低いので(というか普通の商業ビルのワンフロアの高さしかない)どうしてもスクリーンが小さくなる。だから画の迫力も出てこないんだよなあ。 伊沢学役の向里祐香はその武蔵野館特有の小さな画面で観ると有村架純を地味にした感じでもうちょっとアップが欲しかったかな。 主役の新原泰佑は今後に期待が出来そうな新人。 大きく延びることを楽しみにしていこう。 |