シン・ゴジラ

日時 2016年7月29日19:10〜
場所 TOHOシネマズ新宿・スクリーン7(TCX)
   2016年7月30日19:15〜
   新宿ピカデリー・シアター1
脚本・総監督 庵野秀明
監督・特技監督 樋口真嗣  


東京湾に漂流中のプレジャーボートが発見された。直ちに海上保安庁の巡視船が確認。乗り込んで見たが誰もおらず、封筒が残されていただけだった。その時、東京湾アクアラインで崩落事故が起こった。水蒸気が吹き上げたが、幸いにアクアラインでは死者はまだ出ていない。
政府は事故対応のため、対策本部を設置、総理を始め閣僚が集合、原因究明と対策を協議し始める。
内閣官房副長官の矢口蘭堂(長谷川博己)はネット上の動画などから巨大生物の出現を進言するが、「あり得ない」と閣僚たちに無視され、赤松総理補佐官(竹野内豊)にも「かき回すな」と釘を刺される。

しかし巨大生物は出現。東京湾から蒲田方面を川沿いに進行。学者等の意見に従い「上陸はあり得ない」と総理が記者会見を開いた直後、巨大生物は蒲田駅付近に上陸。
自衛隊の攻撃も準備されたが、該当区域に逃げ遅れた人が確認されたため、攻撃中止。巨大生物は海に帰って行った。
巨大生物襲来の翌日、アメリカ大統領特使のカヤコ・アン・パタースン(石原さとみ)が来日、矢口と面会する。実はアメリカは巨大生物の存在について事前に知っていたというのだ。


「シン・ゴジラ」である。とにかく観る前は期待と不安でいっぱいだった。総監督は庵野秀明。この方は「エヴァンゲリオン」シリーズで有名だが、何しろこちらは基本的にアニメは観ない口なので、作品は観たことないに等しい。
東宝も新宿にゴジラヘッドまで作った手前、失敗は許されまい。そういった気合いが入りすぎると得てして映画は「船頭多くして船陸に上る」なのである。
だからものすごく不安だった。普通なら公開初日の1回目に駆けつけるのだが、公開の7月29日は平日の金曜日。金曜の夜に仕事もそこそこに駆けつけた。

冒頭からニヤリとさせられる。
東宝マークが出て(現在のゴシック体の「東宝株式会社」表示)、その後にもう一度東宝マークがでる。これが70年代に使われた青みのあるバック(現在はもう少し緑っぽい)に明朝体の東宝マーク。ご丁寧にもそのあとの「東宝映画」の印も青バックに文字だけのシンプルなもの。
そして黒をバックに「シン・ゴジラ」のタイトル。
ご丁寧に「映倫」マークだけのタイトルも用意される。
ここまで第1作と同様、ゴジラの足音と鳴き声。
で、東京湾のプレジャーボート。

こっから圧倒的なスピード感で映画は疾走する。
事故が起こって政府は対策室を設置、何をするにも会議、合議。全員の同意を得てからの行動だ。これが現在の日本のシステムだ。
適当な憶測で発言する閣僚、いちいちメモを渡す役人、「羽田空港を封鎖し、失礼、経済的損失より安全第一を優先し羽田空港を封鎖し」と言い換える。まさに現実のニュース映像でよく見る光景だ。

御用学者は「情報がないので分からない」という結論しか出せない。「巨大生物の可能性を・・・」という進言も「ばかな、あり得ない」と一笑に付される。
そして巨大生物の出現。「テレビをつけてくれ!」と叫ぶ官房長官(柄本明)。
まさに311の福島原発事故の再現である。あの時の最初の水蒸気爆発の時も自分たちの情報網ではなくテレビで知ったそうじゃないか。

「上陸はあり得ない」と総理が記者会見した最中に巨大生物は蒲田付近に上陸。総理も驚いたが、私はもっと驚いた。
ゴジラの形状が違うのである。
色も茶色っぽい、「シン・ゴジ」の特徴的な小さな目が巨大な目になっている。しかもは虫類のような顔をしてしまりのない顔で直立歩行でなく、なにやら蛇行している。
椅子から飛び上がる位に驚いた。
まさに「何これ、聞いてないよ!」である。

そしてゴジラは直立し、腕も生えてくる。ああそうか、今までのゴジラよりどうも腕が貧弱なデザインになったのはこういう理由があったのか!

政府も自治体(東京都)も想定外の事態に右往左往。
「こんな事態に対してのマニュアルは作成してません!」
「政府がだめなら東京都として自衛隊に出動要請をしよう」
一旦は海に帰るゴジラ。
後に出てくるゴジラが通ったあとの街のがれきは確実に311を想起させる。
「ゴジラ」(54)が想起させるのが空襲にやられた東京空襲であったように、「シン・ゴジラ」で想起させるのは「311」である。

映画の進行とは直接関係がないが、さらに驚いたのは「沖縄決戦」との関係だ。
大河内総理(大杉漣)が最初のアクアライン事故の報告を受けてる時に「ああ、細かいことはいい」という。これは「沖縄決戦」の丹波哲郎の名セリフなのである。
そう思っていたら「中止!」と来た。これも「沖縄決戦」の有名なセリフ(?)。首相官邸から立川に閣僚が移動する際に、矢口が官房長官に言ったのは「這ってでも行きます!」
さらに驚いたのは事前にゴジラの出現を察知し研究していた教授が写真だけ登場するのだが、これが岡本喜八!
これには驚いた。
「沖縄決戦」も確実である。ネットの評判を読むと「日本のいちばん長い日」との関連も指摘されている。
そうか、細かい場所名とか肩書きの表記は「日本もいちばん長い日」っぽいな。

自衛隊の閣議決定が決まって「これで安心。ゴジラの死骸を使った復興財源も考えなきゃ」という。これに対し矢口は「先の大戦では『こうあってほしい』という希望的観測、机上の空論のために300万人の犠牲者を出したことを忘れてはなりません」と戒める。
この「希望的観測体質」は今の日本人も全く改まっていない。

ついにゴジラが鎌倉上陸。多摩川の武蔵小杉付近を最終防衛ラインとした決戦開始。
映画的見せ場中の見せ場だ。
全く効果のないヘリコプター攻撃(「射撃の可否を問う」という伝言ゲーム!)、「総理ご決断を!」と決断を求める閣僚、戦車攻撃、自衛隊用語が飛び交う中、ミサイル攻撃、射程80kmの御殿場からの攻撃、圧倒的な迫力で迫る。
そして東京攻撃。日米安保により(ゴジラの存在を知っていたことを隠したい米国の思惑もあって)米軍からの攻撃。

そしてゴジラの最終変化。
放射能攻撃になるのだが、これが徐々に変化していき、口からレーザー状になって和光の時計台も切り裂いてしまう!まるでギャオスだ!
それだけでなく、なんと背中からも無数のレーザーを発射させる。
まさに反則技ともいえる攻撃だ!

圧倒的な迫力でため息しか出ない。

矢口率いる「巨災対」(「巨大生物災害対策室」だったかな?の略)はゴジラの血液を凝固させれば動きを止められると察知、この作戦を実現化し始める。
先の東京攻撃で総理以下代表的な閣僚は死亡。外遊中だった里見元農林水産大臣が総理に就任。
(里見のほか、財前、東、大河内が登場する。「白い巨塔」がネタなのは明らか)

官民一体となって血液凝固剤の開発を急ぐ中、国連はゴジラに対し熱核攻撃を加えることを決定。
日本人としてなんとしても核攻撃は避けたい巨災対はゴジラだけでなく時間との戦いが始まる。

時間延ばしの為にフランスに協力させたり、スパコンでのゴジラのDNA解析にドイツを利用したりする。
そういった官民一体(戦争映画でよく聞く言葉だ)となって準備。
ついに出撃となった時、矢口は隊員に演説。
「命を賭けることになるが、頼む、がんばってくれ」という趣旨の内容だが、実は私は戦争映画の出撃前の演説シーンは大好きである。
「連合艦隊」の瑞鶴艦長、「日本のいちばん長い日」の野中飛行団長、あと複数の映画で登場する大西滝次郎の「日本を救うのは政治家や軍司令官ではない、諸君だ!」というあれ。私にとっては戦争映画のカタルシスなのだ。

そして東京駅付近でエネルギー充填の為に停止しているゴジラに対し、「無人新幹線爆弾」攻撃開始!(このアングル、この画、絶対に「新幹線大爆破」だね)
空からも無人機で攻撃し、出来るだけゴジラの体内エネルギーを放出させる。
高圧放水車によって血液凝固剤を口から注入。
この鶴の首のような長いアームの高圧放水車がゴジラの口に注入させる映像は、まさしく福島原発事故で原子炉を冷却させようとして放水を試みた映像を思い出させる。

割と無難に作戦は成功。
ここで不測の事態が発生し、「あわや!」となるかと思ったら、もう(上映)時間もなくなったのか、作戦は成功。

しかし今回は凝固されたゴジラが東京駅のそばに直立したままでラストを迎えた。
これからいったいどうなるのだ、東京、日本!

この映画ではヒーロー的な活躍をする登場人物は出てこない。強いて言えば矢口なのだろうが、彼は特に何もせず部下に指示を出し、見守るだけである。
こういう役職にしては若すぎるのでは?と思ったが、現実の政界で言えば小泉進次郎がモデルと言えるだろう。
「10年後に総理を目指す若きプリンス」にはふさわしい。
(女性防衛大臣は小池百合子がモデルか?)

映画的というか虚構的なのが石原さとみのカヤコ・アン・パタースン。ちょっと嫌みな女で気になったがまあ仕方ないか。

この映画はとにかく官民を問わず無名戦士の力の集合でゴジラを倒す。
最近のパニック映画で見られる「親子関係の修復」「恋人同士の別れ」というように話が矮小化せずに「仕事に忠実な日本人」が描かれる。
こういう無名の人々の小さな努力の集合体が現在の日本だ。研究者や技術者や役人だけでなく、それこそ官邸対策室のお茶くみのおばちゃん(片桐はいり)の登場であったり、(志村(高良健吾)は彼女に対し丁寧に「ありがとうございます」という)、深夜にゴミの回収をするおじさんたちも含まれる。

だからこそ映画のキャッチコピーの「ニッポン対ゴジラ」は実に正しい。
日米安保や法律の枠で右往左往する大臣たち。
こういった合議や会議が無駄に見えるが(実際すぎるかも知れない)、それとても「個人の暴走」を防ぐチェック機能になっているのだ。

そういった「日本とは?日本人とは?」をゴジラを通じて描ききった良作だ。
長く愛される映画になるといいと思う。