帝銀事件 死刑囚


日時 2007年6月16日20:40〜
場所 テアトル新宿
監督 熊井啓
製作 昭和39年(1964年)

(詳しくはキネ旬データベースで)

(帝銀事件のホームページ


2007年5月18日に亡くなった熊井啓監督。
そのデビュー作が本作。
6月16日から熊井啓監督作品をレイトショーで銀座シネパトスで始まり早速見直す。
(実にすばやいタイムリーな企画だ)
「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」の公開の頃に初見して以来、多分20年ぶりの再見。


昭和23年1月26日、帝国銀行椎名町支店に東京都衛生課を名乗る男がやって来て
行員達に「近くで赤痢が発生し、その患者が今日ここに来たらしいので、予防薬を
飲んでください」と言い、行員とその家族16名に薬を飲ませた。
しかしそれは飲ませたのものは予防薬ではなく、毒薬。12名が死亡し、18万円の証券を
奪って逃走。これが世にいう「帝銀事件」だ。
事件発生後、数ヶ月、テンペラ画家の平沢貞通が逮捕された。
物証は乏しかったが心証はクロ。彼は取り調べの段階で自白、しかし裁判では完全に犯行を
否認した!

実に面白い。
事件の発生から捜査開始、平沢の逮捕、裁判の様子などを新聞社昭和新報の記者たちの
視点を中心に実に決め細やかに描き、飽きさせない。
むしろ1時間48分の上映時間では物足りなさを感じさせるほど濃密。

まず事件を再現する。
犯人は後姿で顔は映らないのだが声は加藤嘉(ノンクレジット)。加藤嘉の声だということは
初見の時は熊井啓監督のトークイベント付で、そのときに熊井啓監督が言っていたのだから
間違いない。

行き詰る捜査、事件の経過は比較的早口のセリフで映画は進行し、どうかすると取り残されてしまう。
警察も薬物に関して詳しいものという線から「旧軍の731部隊の関係者」ではないかとめぼしを
つけるのだが、この方面の捜査は打ち切り。
犯人が予行演習をしたと見られる他の銀行での同様の手口の未遂事件で残した名刺を貰っていた
平沢貞通が捜査線上に浮かぶ。
生き残った行員(笹森礼子、山本陽子)らの面通しでは否定的な意見も多かったが、警察は逮捕。
強引な取調べが始まる。
記者達は旧軍関係者を洗ううち、GHQから取材の中止の要請(事実上の命令)を受ける。

おそらく731部隊など旧軍の毒物研究に携わったものの犯行思われるが、その線で犯人が逮捕されると
アメリカが731部隊の研究資料と引き換えに731部隊の関係者を戦犯にしなかった事実が公になる。
そうなるとソ連が731部隊の関係者の引渡しを要求するだろうし、ひいては現在裁判中の東京裁判にも
影響を及ぼす。
だから旧軍関係者には捜査の手が及ばなかったのだと映画は結論付ける。


この映画ではいわゆるスターは登場しない。
中心となる新聞記者も内藤武敏と井上昭文というバイプレーヤーが演じる。
しかしそのドキュメンタリー的手法が見るものをぐいぐいとスクリーンにひきつける。
笹森礼子が主人公の内藤武敏の新聞記者と結婚し、そのプロポーズするシーンが余計な甘さを
感じるが、これは事実なようだから仕方がない。

ラスト、映画は死刑にならない平沢を写し、「人間は時に誤りを犯す」というようなナレーションが流れる。
ただしこれも前述の熊井啓のトークイベントの時の話によれば、最初はなかったのだが、日活側から
「こういうナレーションを入れてほしい」という要望があったと聞いた。

映画として今見ても面白い。
しかしこれは現実の事件だ。
戦後の占領下の日本の怪事件だ。
そのテーマを熊井啓はさらに掘り下げ、名作「日本列島」を作ることになる。