太陽 Solnze(英題:The Sun)


監督 アレクサンドル・ソクーロフ
製作 2005年



1945年8月の終戦の前後数日の昭和天皇の日々を描く。
内閣首脳との御前会議から始まり、日々の動植物の研究、歴史的なマッカーサーとの会談、
戦争へ至った経緯、米兵たちとの写真撮影、マッカーサーとの夕食などが淡々と描かれる。
そして天皇は「神」であることを辞め、「人間」として生きることにする。

2005年2月のベルリン映画祭で話題になった昭和天皇を主人公にしたロシア映画。
私が見たのはイギリス版のDVDなのでクレジットなどはすべて英語だった。

タイトルの「The SUN」は天照大神の子孫である天皇のことをさす。
映画は淡々と進行し、サスペンスフルな盛り上がり、といったようなものはない。
昭和20年8月に天皇がどのような日々を送っていたかが描かれる。
もちろんここに描かれている生活が実際であったかを判断することは私には出来ない。
昭和天皇の日々の暮らしなど描いた資料など見たことがないからだ。

映画は御前会議の日の朝食のシーンから始まる。
立派な食器に盛られた西洋式の朝食を食べている。
「やっぱり終戦の頃といえども天皇はこんな本格的な朝食をしていたのか」という
初めて知った驚きを感じた。
(再度言うがこれが実際だったのか、ロシア人監督達のイメージだったのか定かではない)

終始感じられるのは「孤独感」だ。
昭和天皇の周りにはいつも人がいるが非常に孤独に感じる。
それは神であることを強要された男の孤独である。
軍部は過剰な敬語を使って都合のいいことしか報告しない。誰も本当のことを教えてくれない。

また彼は終始会話がかみ合わない。
意味不明のことを話したり、問いに対する答えになっていなかったり、一種「奇人」のような
印象を与える。
「神」であることを強要され続けたことの重圧から来るものなのか?

しかし、彼は一人の「人間」になろうとする。
マッカーサーとの会談で英語で話そうとする天皇に対し「陛下は日本語で話されるべきです。
英語で話しては対等な関係になってしまいます」と日系人(または日本人)の通訳に
指摘されるほどだ。
だが彼は英語で話す。
それは自ら望んで「神」とされる自分を捨てようとしてるかのようだ。

また戦争の敗因については「国民がアメリカの力を過小に評価し、軍部は戦意を高揚させること
ばかりを行ったため」と評する。

一番驚いたのは彼が米兵の写真撮影に応じたシーンだ。
公式な写真撮影ではなく、まるで米兵の個人的な記念撮影のような状況なのだが、彼は
チャップリンのようなしぐさを示す。
帽子を取ってポーズを取るしぐさや前かがみになってバラの香りを嗅ぐしぐさなどそのまんま。
もちろんその前に米兵から「チャーリーみたいな奴だな」と言われたことに対する
パフォーマンスだ。
そんなジョークのわかる人だったのか?
それとも自らを落としたくて仕方のない人だったのか?

マッカーサーの夕食後、天皇は人間宣言をおこなうことを決める。

そして疎開していた皇后(桃井かおり)が帰ってくると初めて一人の夫らしい、父親らしい表情
になる。
彼にとっては皇后と息子たちのみが心を許せる存在だったと描く。

ラスト、彼は人間になる決意を皇后に話し、実にうれしそうに語る。
しかしまだまだ周りはそれを許さない。
佐野史郎扮する侍従がある事実を伝えることによって周りはまだ彼に「神であること」を期待し
続けていることを知らされる。

なんと言ってもイッセー尾形の熱演。
主演男優賞ものだ。
もともとの風貌からして昭和天皇に似ているのだが、しぐさや動き、癖などを我々がニュース
などでみた昭和天皇と生き写しだ。
終始口をもぐもぐと動かす癖や、例の「あ、そう」という口癖が克明に再現される。
驚異的ですらある。

出演は他には皇后の桃井かおり、侍従の佐野史郎、阿南陸軍大臣に六平直政。
御所の内部を再現したセットもリアリティにあふれ納得の出来。

自分の見たのはイギリス版。
したがって昭和天皇たちの会話は日本語でマッカーサーとの会談部分は英語。
英語部分には何の字幕もないので理解するのに苦労するし、私の英語力では誤解があるかも
知れない。
だからこそ正式な日本語字幕の付いた日本版が見たい。



そう思っていたら先日(5月24日)のスポーツ報知で2006年8月5日より銀座シネパトスでの
公開決定のニュースが!
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20060524-OHT1T00032.htm
内容的には一部の人には耐えられない部分もあるだろう。
無事公開されることを祈る。