東京湾炎上

監督 石田勝心
製作 昭和50年

(詳しくはキネ旬データベースで)



中東から原油を満載した巨大タンカー・アラビアンライトは東京湾に入ろうとしていた。
その時、救難信号をキャッチし、遭難者を船に上げる。
船長(丹波哲郎)は彼らがデッキに上がる直前、彼らが武器を持っていることを発見し、
遭難者を船に上げるなと指示したが、一瞬遅く、彼らは船に乗り込んでしまった。
彼らは通称POFFDOR(ポフドール)というテロリストたちだったのだ!
東京湾へ行くことを命じる彼ら。
政府との交渉において彼らの要求が明らかにされる。
鹿児島県の喜山石油コンビナートを爆破し、その模様をテレビ中継しろというのだ。
もし拒めばアラビアンライトを爆破するという。
アラビアンライトの原油が東京湾に流出すれば、揮発した原油が爆発して無限の大火災を
引き起こし、首都圏は壊滅する。
東京と喜山コンビナート、両方を救う方法を対策本部は考え出し、それは成功したかに
見えたのだが・・・・・・・


日本有数の大型ポリティカルフィクション映画!
何しろ人質にする対象が首都圏の2千万人。
その代償とするのが喜山石油コンビナートの巨大な石油タンク。
この数年前に日本はオイルショックがあり、石油が現代の生命線だということを今以上に
身にしみてわかっていた時にこの映画のインパクトは大きかった。

対策本部が考え出したトリック、それはその時製作中だったある映画のコンビナート
炎上シーンと中継を合成し、ハイジャッカーたちを欺こうというものだった。
「そうそうタイミングよくそんな特撮シーンを撮っていた映画があるかい!」という
突っ込みを入れたくなるのは良くわかるが、そこは目をつぶろう。

「特撮は所詮特撮、本物には見えない」と特撮に批判的な視点を持つ人もいるが、
この映画ではいいのだ。
映画中で「この映像は特撮です」と言い切って話が進んでいくのだから、かまわないのだ。
まさに特撮映画の弱点を逆手に取った設定。

そしてこういう映画では特撮以上に大切なのが役者陣。
役者陣の魅力が映画を盛り上げる。
乗っ取られるタンカーの船長に70年代大型映画の顔、というべき丹波哲郎。
船に乗り合わせた石油会社の採掘人に藤岡弘。
この「日本沈没」コンビがまず大作の味をかもし出す。
そして政府の対策本部長に鈴木瑞穂、事件のスクープを狙う新聞記者に渡辺文雄、
中継を担当するディレクターに佐藤慶。
タンカーの機関長に宍戸錠(見せ場が少ないのがさびしい)、コック長に下川辰平、
船医に金井大、航海士に北村総一郎、シージャッカーの中の唯一の日本人に水谷豊。

テレビ中継にいたるまでの前半は船内での乗組員とシージャッカーたちの対決。
乗組員は機関室、食堂、艦橋の3箇所に集められるのだが、隙を見て船を奪還しよう
とする乗組員。
一旦は食堂を奪還するのだが、他の部署を制圧しているシージャッカーのリーダー
の要求により、犠牲を避けたい船長の説得により銃を捨てる。
この丹波哲郎の説得シーン「君たちの胸の中は煮えたぎっているだろう。俺だって
おんなじだ。でも耐えてくれ!」というあたりは「語り」、というか「演説」の
丹波節全開のファンにとっては(というか私にとっては)応えられないシーン。

またシージャッカーたちも穏健に主義を主張するリーダー・シンバ、狂気的に日本人への
憎悪をむき出しにするキファル(ケン・サンダース)と個性的。
機関室で「ワタシ、イイヒト。死ニタイ人シナセテアゲル!」と恫喝するシーンは
何年も記憶に残った。
またテロリスト側の言い分もきっちり描かれ、一方的な悪人扱いはしていない。
もちろんテロリストを正当化してはいないが、「こういう事情ではこんな事件も
ありうるのだ」という描き方になり、ラストシーンの船に横たわる犯人たちの
カットも見ても一定の敬意は示す描き方だ。

そしていよいよテレビ中継が始まる。
巧妙に偽装される中継。
しかし思わぬアクシデントが!
ここでは書かないがあることがきっかけで中継が嘘だとばれてしまう。
アラビアンライトに仕掛けられた時限爆弾のスイッチを入れるシンバ。
果たして・・・・
というところでやめにしよう。

この映画、ラストの逆転に向け船医の胡桃、コック長の水中銃が伏線になった小道具の
使い方はにくい。


全面的に誉めたけど、本当はラストでテレビ中継をニセと見破った渡辺文雄が鈴木瑞穂に
詰め寄るシーン、鈴木瑞穂は「テレビで中継されたことが真実。爆破されたのだ」と
喜山の石油を日本政府は隠し財産にしたような終わり方なのだが、それは絶対にばれると
思うよ。
だって近隣住民だっているわけだし、いくら付近を立ち入り禁止にしてもやがてはばれる
と思うけどなあ。

「新幹線大爆破」に並ぶ日本大型サスペンス映画の名作!
この映画が公開された昭和50年7月は、この「東京湾炎上」「新幹線大爆破」
「タワーリング・インフェルノ」が同時公開された画期的な年だったのだ。
もちろん興行的には邦画は2本とも惨敗したのだが、映画の質は負けていなかったと
ここに宣言したい。