タワーリング・インフェルノ


日時 2010年7月18日
場所 blu-ray
監督 ジョン・ギラ―ミン
製作 アーウィン・アレン
   1975年(昭和50年)

(詳しくはムービーウォーカー・データベースで)


サンフランシスコに138階建の世界最高層ビルが完成した!
その竣工記念パーティが最上階のプロムナードルームで行われようとしていた。
そんな中、工事費用削減のために配線部品を質の悪いものを使った事が原因で
81階でボヤが起きていた。
設計者のボブ(ポール・ニューマン)はパーティの延期を申し出るが、
社長(ウイリアム・ホールデン)は却下。
やがてパーティは開始。市長や上院議員などのセレブが居並ぶ。
しかしついに火災は広がり始める。
サンフランシスコ消防隊はオハラハン隊長(スティーブ・マックィーン)
の指揮の下、救助を開始する。
はたして人々は助かるのか?


70年代にパニック映画ブームと言うのがあったが、この映画はその最高峰と言っていい。
いや「パニック映画」というくくりだけでなく、私に言わせれば「これが映画だ!」と
言ってもいい。

この映画の迫力の前にはつたない文章など何の意味もない。
スターがいる、危機的状況になる(しかも何度も)時として誰かが死ぬ、高いところから
落ちそうになる、タイムリミットがある、炎の恐怖、洪水もある、人間のエゴがある、
愛情がある、自己犠牲で人を救う、ユーモアがある。
それがこの映画だ。

そんな映画ほかにもあるじゃないかという。
実際、ある。しかし規模ではこの映画に負ける。

まず超高層ビルという舞台の大きさ。
主な舞台のプロムナードルームや各階ロビーの天井の高さ(天井が高いというのは贅沢な
建物の象徴なのだ)、各所でドラマがあり、いわゆるグランドホテル形式の王道。
次々と色んな人物たちが危機的状況に陥りながら、ある者は脱出し、ある者は命を
落としていく。

炎という危険でやっかいなものを全面に出した画面。
今ならCG処理で危険なく出来るであろうことを、大がかりなアクション、スタント、
特撮合成を駆使して作られていく。
今見ても特撮っぽいカットなどほとんどなく、すべて本物に見える。(グラスタワーの模型は
最大20mあったらしい)

この映画のオープニングは海を渡るヘリコプターから始まる。都会の風景から始まるような
イメージを持っていて映画を見始めた私は、その意外なオープニングに驚いたものだった。

具体的なシーンの思い出など書く必要はない。
この映画はたぶん3回ぐらいしか見ていないと思うし(劇場で2回、テレビ放送で1回か)
きちんと見たのは30年ぶるぐらいかも知れない。それでも驚くほど細部を覚えていた。
私が映画を見始めた頃で、日本映画とは違ったスケールに圧倒されまくったのだろう。
(それでも洋画ファンにならずに邦画ファンになったのが不思議だ。たぶん丹波哲郎大作に
一方で圧倒されていたのだろう。そっちの方が数が多く、影響も強かったに違いない)
無数に記憶に残っているシーンの中から書くとすれば、二人の子供がポール・ニューマンに
連れられて最上階のパーティルームに来たシーン。
大人たちが右往左往している中、バーテンがこの二人の子供の為に巨大なパフェを作り、
「ほかにご注文は?」と聞いて二人の子供が首を降るシーンだ。
このパニックのさなかにこのユーモアはどうよ?
こういうジョークが言えるアメリカ人、こういうシーンを入れる映画製作者たちにあっと驚いたのだ。

火が消えたあとのエンディングもしっかりしている。
このエンディングをうまくやるかやらないかで映画の「格」が変わってくるような気がする。
オハラハンが亡くなった消防士たちの遺体を見るカットが挿入される。
ポール・ニューマンは「人類のおごりの結果としてこのビルは残すべきかも知れない」という。
それを受けてマックィーンは言う。
「安全なビルの建て方を聞きにくるまで俺たちは戦い続ける」「聞きにいっていいか?」
「今度電話しろ」
文明批判もある。

つまりこれこそが映画なのだ!!