夜叉ヶ池


監督 篠田正浩
製作 昭和54年(1979年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


大正時代。福井県と岐阜県の県境の山奥に「夜叉ヶ池」と呼ばれる池があった。
東京の大学の講師の山澤学円(山崎努)はこの夜叉ヶ池を訪ねてふもとの村に
やってくる。しかしこの村は極端な水不足に見舞われていた。
夜叉ヶ池に向った山澤だが、途中に鐘付き堂と一軒の家があり、その家の庭の池ほとりには
美しい女性百合(坂東玉三郎)がいた。しばしの休憩をする山澤。
しかし百合には夫がいて、その夫はかつての山澤の親友で3年前に失踪した萩原晃(加藤剛)
だった。この夜叉ヶ池は日に3度鐘を衝かなければ池の竜が暴れ、あたりの村々は
大洪水に見舞われるという伝説がある。
萩原はその伝説を守って百合を妻とし鐘を衝き続ける生活をしていた。


この映画が製作された70年代後半には今のヨン様ブームのような玉三郎ブームがあって
女性週刊誌では坂東玉三郎は大人の女性から大変な人気だった。
だからこの映画もまず「坂東玉三郎ありき」で企画が始まったと思う。
女形の玉三郎を主役にして映画を、ということで始まったのがこの「夜叉ヶ池」だった。

実際に見るとこの映画の前半は坂東玉三郎、山崎努、加藤剛の3人の存在感が実にすごい。
山崎努が他の二人に出会ってからこの3人だけのシーンがしばらく続くのだが、セリフの
リズム感もあってまったく飽きさせない。
ストーリーの起伏やテンポの速い会話があるわけでもないのに、だ。
女形を演じる玉三郎のこの世の人ではないような妖艶な魅力がたまらない。
また山崎努の重厚な存在感がそれに対抗する。加藤剛もそれに負けない。

つけてして言うならこの家のセットには「質感」があり、3人だけのワンセットドラマに
関わらず、安っぽい感じがしない。

途中(ここはやや退屈になるのだが)夜叉ヶ池に住む竜神(玉三郎二役)のシーンになる。
後半、水不足に悩む村の住人が「百合を生贄にして雨乞いをしよう」とばかりに
百合たちの家に押しかける。
多くの村人達に押しかけられ、結局最後に百合は自害する。
そして萩原や山澤も鐘を突くことを拒否する。

実はここからの数分間がこの映画の見せ場なのだが、夜叉ヶ池の大氾濫が起こる。
遠景に夜叉ヶ池から水が吹き上げる合成カットから始まり、大洪水が起こり村を
なぎ倒していく。
この水のシーンが素晴らしい。
日本、いや世界的に観ても今のCGではない、ミニチュア撮りの水の特撮としては
最高級だと思う。これ以上の水の特撮を観たことがない。
まったくミニチュア感、というものを感じさせない。

村が大水によってなぎ倒されていくカットの手前で小さく村人が逃げるショットが
合成されており、この合成が特撮ファンにはたまらない。
また村人の家が水に流されるシーンで家の内部のカットで壁の向こうから、水が
壁をぶち破って入ってくるシーンなどそれは素晴らしい。

この映画は特撮ファンからも存在を知られていない気がするが、もっと評価されてしかるべきだ。
ラストの洪水シーンだけでもこの映画は日本特撮映画史に残るべき作品なのだ。
特撮の担当は矢島信男。東映を中心に活躍した方だが、「宇宙からのメッセージ」などの
作品がこの頃あり、「これからは矢島信男の時代だ!」と私は興奮したのを覚えている。
(この特撮シーンは予告にも納められており、予告を観るために映画を観終わった後、
次の回の予告を見てから帰った覚えがある)

そしてラスト、破壊された鐘付き堂の周りは滝になっている。
この滝のほとりに立つ山崎努のカットが数カットあるのだが、このほんの数カットのためだけに
南米の滝に山崎努を連れて行き、そこに破壊された鐘付き堂のセットが建てられて
撮影されたはずだ。
こんなこと今ではできっこない。

70年代末、角川映画によって起こされた大作映画ブームに引きづられるように作られた
この映画だが、興行的には決して成功とはいえなかった。
なぜかビデオ、DVD化もされず、忘れられた存在になっている。
しかしこの映画のラストの大洪水など見所は多い。

再評価が待たれる作品の一つだ。