1969年製作 フランス=アルジェリア映画 監督 コスタ・ガブラス

最近見かけなくなったポリティカル(政治)フィクションの名作だ。

東欧のある国の地方都市に平和主義者の野党の議員(イヴ・モンタン)
が演説に訪れる。
だが演説が終わり会場を出た時に広場でオート三輪にはねられてしまう。
議員は死亡した。
解剖の結果、議員ははねられただけでなく殴打のあともあるという。
死因に疑問をもった予審判事は捜査を開始する。
新聞記者の協力もあり、事件は意外な展開へと発展する。
実行犯達に指示を与えていたのは警察署長や憲兵隊長だった。
憲兵隊長たちは逮捕され、事件は全て解決したかに見えたのだが・・・・

実に硬派な映画だ。
国家(体制側)による思想統制の恐怖がテーマだ。
主人公の検事が事件の真実を追究する姿をドキュメンタリータッチでとらえ
見るものを緊張させぐいぐいと引っ張り離さない。

タイトルバックのオープニング、勲章の数々が次々とアップで示される。
政府高官の会議のシーン、集まっている憲兵隊将校たちの勲章だ。
勲章が国家を象徴している。
この会議での害虫駆除のための農薬散布の有効性の講義のシーンから映画は始まる。
憲兵隊長が思想の駆除も害虫の駆除と同じだと言い放つ。

我々はオープニングで憲兵隊(体制側)が思想統制を行う計画があることを
すでに見て知っている。
しかし詳細は知らない。
野党の大物議員が暗殺されその真実を追究するミステリーの手法を用いて
単なるプロパガンダではなく、娯楽映画としての楽しさもあわせて持っている。

詳細は後半、予審判事によって明らかにされる。
憲兵隊長たちにより、自分たちの行動が果たしてどんな意味を持つのか
よくわからないまま行動させられる男達。
それは警察署長が権限を持つ営業許可の取り消しをちらつかせたり、
兄弟親戚が公務員な者に彼らをやめさせるぞと脅かしたり、
体制側による権力を駆使した締め付けである。

それに対する反体制側はそういう権力をもたない。
あるのは権力に屈さないという強い意志だけだ。
予審判事さえも捜査の打ち切りを指示される。
しかし予審判事は自身の考える正義のために憲兵隊長たちの逮捕を踏み切る。

判事の尋問に向かう憲兵隊将校は数々の勲章のアップで登場する。
いかにも国家の威信を背負ってると言わんばかりの登場だ。
しかし起訴を告げられた後、出口のドアを間違える同じ過ちを全員がおかす。
ひとつの物の見方しかできない愚か者として彼らをあざ笑うには充分な演出だ。

ここまでは観客は胸のすく快感を得られる。

しかし最後の1分で新聞記者がテレビでその裁判を報告するところで映画は終る。
この事件に関係した証人は全て交通事故、職場の作業中の事故などで死んだという。
もちろん当局は暗殺事件との関与を否定する。
憲兵隊長たちは結局は不問。
世論の反発で政府は総辞職する。選挙で野党が圧勝と思われたが直前に
軍が政権を握る。
追及した予審判事は解任。野党のメンバーも流刑や死亡。
ここでナレーションの声が代わり新聞記者自身も別件の微罪で逮捕。

その後軍は思想統制をますます強化。
ストライキ、長髪、ミニスカート、ポピュラー音楽、言論の自由をはじめ、
ありとあらゆるものを禁止したとナレーションは告げる。

そして「Z」という文字も。それは古代ギリシヤ語で「彼は生きている」を
意味する言葉だからだ。
絶望的な事件の結果が示されるが、逆に「Z」さえ禁じざるを得ないところに
言論統制の限界を感じさせ、未来に対する一筋の期待を示して映画は終る。


これが今の日本と無縁だと言い切れるだろうか?
99年の「国家国旗法」「盗聴法」や今年の「新しい教科書をつくる会」
の動きを見ていると、必ずしも他人事とは思えない。
いつの時代にも国家による国民の思想管理は存在する。
国家はありとあらゆる方法を使って思想を管理しようとする。
我々はそれに屈してはならない。その先にあるのは一部の権力者だけが
得をする世界でしかない。
我々は思想統制に立ち向かう勇気の象徴「Z」を心に秘め、これからも
生きてゆかねばならない。

この映画を見るとそんな勇気が湧いてくる。