あゝ決戦航空隊


監督 山下耕作
製作 1974年(昭和49年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


太平洋戦争中、戦局不利な日本は必殺の作戦として、ゼロ戦に250キロ爆弾を
積んだまま敵艦に体当たりするといういわゆる「特攻作戦」が立案された。
戦闘中、万策つきて体当たりするならともかく、「最初から突っ込んで来い!」
というのは作戦として常軌を逸しているという意見も多かったが、
大西瀧次郎中将(鶴田浩二)はレイテ奪回作戦(捷一号作戦)より実行した。
その後戦局はますます悪化し、やがて和平論議がなされるようになり、
日本は敗戦へと向かっていく。


特攻作戦の創始者として名高い大西瀧次郎中将の苦悩を中心に
敗戦へと向かう日本を描く東映(ヤクザ)オールスター出演の3時間の超大作!

大西瀧次郎って「日本のいちばん長い日」の最初の方で
東郷外相に「もうあと2000万、日本の男子の半分を特攻に
出す覚悟で戦えば、日本は必ず勝てます!」と叫んだ狂気の将官の
イメージが強かったのだが、この映画の大西は部下思いの
周りから慕われている男として登場。

特攻作戦も「やむにやまれぬ思い」から、またあまりに非人道的な作戦に
躊躇した海軍中枢が「大西にやらせた」、また「大西はその責任を一手に引き受けた」
という男気のある男として大西は描かれる。
先の「もうあと2000万」もすでに死に追いやってしまった
部下を死んだままにさせておくには忍びない、なんとしても
彼らの死を無駄にさせてはならないという強い思いから出たもの。
この映画を見ると大西の言葉も納得してしまう。
いや納得できないまでも理解はしてしまいそうになる。

泣きながら部下を見送る無念の将官を描いただけの作品かと思ったら
ところがどっこいそうではない。
大西の手足となって働く小林旭演じる児玉機関の児玉誉士夫(!!)が
大西に向かって

「そろそろ日本も思い切ったやり方をしなくては。
今こそ、天皇陛下自らが戦地に赴き、陣頭に立つべきではないのですか?」

と言ったり、終戦論議の最中、内閣書記官長(江原慎二郎)に大西が

「こんな形で敗戦していいんですか?敗戦というのは、国民が決めることだ。
天皇陛下も首相も閣僚も幕僚もすべて戦死してからの話ではないのですか?
敗戦かどうかは国民がそれから決めればいい」


と切々と訴えたりする。
これには驚いた。
昭和天皇の「何もしなかった責任」をここまではっきり言い切った作品には
初めてお目にかかった。
私が今までみた映画の中では「軍旗はためく下に」の丹波哲郎の「天皇陛下!!!!!」
ぐらいだったし、ましてや岡本喜八はそこまでは言ってない。

(ラストに厚木基地の小園司令(菅原文太)が終戦後拘束された病院を抜け出し、
屋根に登って演説をするシーンがあるのだが、私が見たプリントは状態が悪く
途中で演説が切れてしまっていた。ネットで検索したら小園司令は「天皇陛下は
何故特攻に出ない!」と言うらしい。状態のよいプリントで確認したいところだ)

天皇の戦争責任だけでなく、軍部の中枢も非難する。
終戦間近、小園司令は上官の横須賀鎮守府の手塚中将(金子信雄)に装備も
ままならない状況訴え、改善を要望する。
手塚は「本土決戦に備え、現在は節約中だ。本土決戦の時にはすべての物資を
大量に放出する」と約束する。
しかし結局は敗戦が決定され、小園は手塚たちを「自分たちの保身のためだけに
終戦を決定した自分のことしか考えない人間」として非難する。

「日本のいちばん長い日」の畑中少佐たちも同様に軍の中枢を批判した。
しかしこの批判が正当なものか、よく解らない。
確かに「保身のことしか考えない人間」ともいえるが「戦争を終らせて
新しい時代を切り開こうとした人」にも見える。
多分「保身のために終戦を決定した人間」もいたろうし、「新時代を気づこうとした
人間」の両方いたのだろう。

また大西が御前会議にまで乱入し戦争継続を各閣僚に訴える。
池部良の米内光正海軍大臣が大西を説得する。
「特攻を出す。そして死んでいったものたちに報いようとまた特攻を出す。
また報いようとして特攻をする。これではいつまで経っても切りがない」

負けてる戦争を終らせるのは大変な事だ。
仲間の犠牲が多ければ多いほど、なんとか勝ってから終戦に持ち込もうとする。
(これは別にこのときの日本の問題だけでなく、他の国々でも同様のことが
起こるようだ。「ブラックホーク ダウン」の原作を読むと映画に描かれた戦闘の後、
アメリカが撤退を決めたとき、やはり現場の兵士は不満でいっぱいだったという)


今までこの映画に出てきた「天皇の戦争責任」と「戦争継続の是非」について
触れた部分を書いてみた。
思い切ったことを描いた名作映画のような印象を与えがちだが、実は一本の
映画としては余り誉められたものではない。

というのも出てるくる俳優陣が完全に任侠映画、実録ヤクザ映画と同じ面々で、
それだけならいざ知らず、演技のノリが全く同じ。
役者自身もヤクザ映画で演技の「クセ」をつけてしまったのか、やたらすごむすごむ。
菅原文太など広能昌三(「仁義なき戦い」)のまんまだし、金子信雄に詰め寄る
とこなど、山守義雄と広能昌三とダブって見えてくる。
渡瀬恒彦の特攻隊員もまるで殴りこみに行く鉄砲玉そのもの。

終戦の決定後、鶴田浩二も米内海軍大臣(池部良)から天皇から貰った
菊の形をしたお菓子を泣きながら食べるシーンをたっぷり時間をかけて描くなど、
任侠映画の「理不尽な要求に耐える男」のまんまだ。
大西は最後割腹自殺をするのだが、映画はまず割腹を聞きつけた児玉誉士夫が
大西の下へ駆けつけるシーンになる。
「あれ、肝心の割腹シーンがなぜないんだろう」と思っていたら、ラスト、
スローモーションで大西の遺書にかぶさって鶴田が血しぶきを噴き出しながら
じっくりとその割腹シーンを見せてくれる。

東宝の8・15シリーズとはえらくテンションが違う。
上映時間も3時間だが岡本喜八だったら2時間のテンポで作ってしまうだろう。
僕にとっては何回も見たくなるような作品ではないのだが、「昭和天皇の
何もしなかった責任」をはっきり言い切った作品として記憶すべき作品だ。

ヤクザ映画と天皇批判がミックスされた怪作。


蛇足1、
本作には当時アイドル絶頂だった西城秀樹が特攻隊員として2シーンほど出演。
長髪のままだったようだが、飛行帽をかぶったままだったので、「長髪の特攻隊員」
などというおかしなことにはならない。これがキムタクになると「ロン毛」の
ままでしたからなあ。

蛇足2、
本作の出演者のクレジットタイトルはまずは主演の鶴田浩二。
その他の出演者は「登場順」でも「五十音順」でもなく「イロハ順」。
そうすると池部良がトップで菅原文太がトリ。
思いついた人はホッとした事でしょう。