8月15日特別企画

激動の昭和史 沖縄決戦

1971年 東宝 監督 岡本喜八


沖縄返還の年(昭和46年)に8・15シリーズの
一本として作られた作品。

昭和20年、大本営は沖縄を当初は死守つもりでいたが、
本土防衛強化のため、途中から主力の第9師団を引き上げた。
4月、米軍による沖縄上陸作戦が始まる。
沖縄軍は徐々に敗退し、ついに6月23日、牛島長官(小林桂樹)
の自決によりその終結を迎える。

あらすじを書くとこうなってしまう。
もともと映画的な素材ではい、この沖縄戦は。
「連合艦隊」「山本五十六」のような海軍映画のように見どころ
がある戦いなどない。
「米軍VS日本陸軍」といった組織だった作戦はなく
ただもう一方的に負けていくばかりである。
だから戦争映画によくあるスペクタクルは存在しない。

セリフも早口で事態はどんどん進行していき、また地名も難しく
(マブニ、ハエバル、チャタン、マエザト、ケラマ、カカズって漢字ですらすら書けます?)、
軍隊用語も頻繁に登場し(「ドッコンヨンジュウヨンリョ」ってわかります?
漢字で書くと「独混44旅」となり「独立混成44旅団」のこと。
もっとも師団と旅団の区別が私にはよくわからず、まして「独立混成」とは何ぞや?)
あらかじめの知識がないと戦況は非常にわかりにくい。


米軍の上陸が開始されると慶良間列島の渡嘉敷村の集団自決を初めとして
悲惨な自決シーンが繰り返されていく。
映画に登場するのは作戦も何もなく、ただ一方的に攻撃されていく日本人だ。
何度か巻き返しのための総攻撃も計画されるが
情勢が急転し攻撃は中止されるばかり。
兵力には差がありすぎ、勝ち目はない。
しかし司令部では「ただの一度も総攻撃をやらないのでは、天皇陛下に対し申し訳が
たたない」という面子論ばかりが議論されている。

また沖縄県民にとっては守ってくれるはずの日本軍が敵でしかなくなってくる。
米軍の攻撃から逃れてきた老人(今福正雄)を「軍の施設に民間人は入れん」
と追い返しただけでなく、その直後に米軍の攻撃を
受けたために「あいつはスパイだ!」とその老人を狙撃してしまう。
老人の持ち物を調べて見ると抱えていたのは昭和天皇の肖像写真だったのに。

女学生が隠れている壕に日本軍がやってきて
「ここは今から軍が使用する。民間人は出ていけ!!」と命じる始末だ。
そこで女学生(大谷直子)に「日本軍人なのにどうして逃げ惑うばかりなの?
私たちを守るのが使命じゃないの?」と詰問される。
もはや国民を守るための戦いではなく、戦うための戦いでしかない。

南風原(ハエバル)陸軍病院(岸田森が虚無的な軍医を演じている。好演!!)
では手術も出来ず、患者の足を切り落とすばかり。
しかも撤退時には歩けない患者(その数2000人)に青酸カリを与えて自決させる。
とても正視に耐える映像ではない。

手榴弾で自決しようとする兵士(地井武男)は「一緒に自決させて欲しい」
と頼む女学生に言う。
「お前らが自決してなんになるんだ!あっちへ行け!行かないとたたっきるぞ!」

終盤、米軍は日本人が逃げ込んでいる壕に火炎放射器を放つ。
「ひぇゃぁぁぁぁぁーーーーーー」と悲鳴が聞こえる。

もはや正気を失った地獄絵が繰り返される。
とにかく、人が死んでいく。これでもかこれでもかと死んでいくシーンばかりだ。


映画的なスペクタクルもなく、戦争映画としての痛快さはここには存在しない。
にも関わらず私がこの映画を数回見る気になり、沖縄戦史本を読み、
また実際に沖縄に旅行し、映画に登場する土地を見に行く気にまで
させたのは、挿入されるエピソード、登場人物たちが印象深いからだ。

映画の冒頭で本土に逃げてしまった泉沖縄県知事に代わって
赴任した神山繁演じる島田新知事、(「僕がやらなきゃ誰かがやらなきゃいけない。
他のことならそれでもいいんだが」というのが着任の理由)
「沖縄県民カクタタカエリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
と死に際し本土に電報を送った海軍陸戦隊司令官大田少将(池部良)、
賀谷支隊の分隊長(小川安三)、「バーカ」が口癖の62師団の曹長(大木司郎)、
病院で軍司令官になった錯覚をして訓示をたれる兵隊(加藤春哉)、
病院撤退時に「お前らのために戦ったんだぞ!」と見捨てられる兵士から
なじられても無表情でいるしかない女学生、
看護婦になった辻町遊郭の女郎(丘ゆり子)、
そんな悲惨な状況下でも桶にくんできた水を一杯30銭で売る男(堺左千夫)、
自分の子供を鎌で殺し、自分も自決する男(佐田豊)、
谷原高級参謀(仲代達矢)を「お前の戦友はみんな靖国の杜へ行ったぞ!
何をしてるんだ!」となじる男、
死んだ子供の足だけを持って歩く女、
亀甲墓から飛び出し竹槍一本で米兵に向かい、米兵から嘲笑される老人、
同じく米軍の戦車攻撃の中、沖縄民謡を歌いながら踊り狂う老婆・・・・・・・・
ラストシーン、水筒の水を力強く飲む少女が未来への再生の希望を感じさせる。


岡本監督のスピーディーな演出が数多い登場人物を飽きさせない。
それぞれがほとんど1シーン、2シーンの登場だが、強烈に印象に残る。
リズムある映画のテンポが2時間半という長時間をだれさせない。
この作品はストーリーのわかりにくさもあってか、他の岡本作品に比べ評価は
あまり高くないようだ。
確かに戦争映画としては「日本のいちばん長い日」「肉弾」も優秀な作品である事は
否定しない。
しかし、無名の人物の描きこみの緻密さは「日本のいちばん長い日」以上だと思う。
軍司令部の動きから一庶民まで、それぞれの沖縄戦が実に細かく描かれている。
そのエピソードの豊富さにおいては他の戦争映画は、この「沖縄決戦」に足元にも
及ばない。
戦争映画の傑作だ。



この沖縄戦の悲劇は大本営が沖縄を見捨てたことから始まる。
劇中沖縄民族音楽が多用されるが、日本の北海道、本州、四国、九州とは
明らかに文化が違う別の文明だ。ここは歴史的にみて琉球国だ。
この文化の違いにより、当時の軍部にとって沖縄は所詮は「異国」で「植民地」
でしかなかったろう。
だから沖縄は見捨てられた。
天皇を守るために沖縄を捨石にするのをいとわなかった。
九州や北海道にまで上陸が及ぶ事になった時、初めて終戦を
決意するのだ。

米軍が沖縄に上陸して初めて占領した北飛行場、中飛行場が後の(現在の)
嘉手納基地になった。
つまりこのときの大本営の沖縄に対する方針が現在の沖縄の基地問題の原点になったのだ。


平成11年の天皇在位10周年記念式典の時、
沖縄出身の女性歌手(ええいまどろっこしい、安室奈美恵だ)が
「式典に招いていただき感激です。万歳!!」という主旨の発言を
していたが私にしてみれば首を傾げざるを得ない。
「沖縄出身者として天皇陛下のお祝いは出来ません。あしからず」
と答えるべきだった。
もっともそんな単純に考えられる問題でもないのかも知れないが。
またこの映画に登場する学徒部隊「鉄血勤皇隊」に
太田昌秀氏(後の沖縄県知事、現社民党参議院議員)がいたことも記しておきたい。


「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
21世紀になった現在においても大田少将の願いはかなえられたとは言いがたい。
映画そのものは後の沖縄問題には触れていない。
が、太平洋戦争において日本は沖縄で何をしたか、何をしなかったかが
よくわかる。
そこから現代の沖縄につながってくる問題が、おのずと見えてくる。
沖縄問題について知るにはこの映画をまず見るといい。