新・仁義なき戦い | カル |
スペースカウボーイ | ヤンガリー |
日時 2000年11月25日18:30〜
場所 新宿東映
やはり思った通り、「仁義なき」のタイトルは不要であった。
というか作品にとっても迷惑である、このタイトルは。
いまさら僕が語るのはどうかと思うが、深作の「仁義なき」の
コアはチンピラ群像であった。
終戦直後、何もない焼け跡から暴力を使う事しか能力のない人間が、
何とかして這い上がろうともがく生き様であった。
第1作では、菅原文太達であり、第2作では、北大路欣也であり、3作は
渡瀬恒彦、川谷拓三、第4作では「さらのテレビ買うちゃるけん!!」
と啖呵をきった小倉一郎である。
みんな這い上がろうとしていた。
その結果、裏切り、謀略、這ったり、脅しも何でもありの「仁義なき」戦いであった。
まさしくそれは焼け跡から立ち上がっていった日本人のもうひとつの「戦後史」であった。
這い上がろうとするチンピラたちに自身の姿を投影し、観客はスクリーンに身を
ゆだねていた。
むしろこの作品は「仁義なき戦い」よりその後の「日本の首領」シリーズに近いのでは
ないか。
全国組織の跡目争いを話の下敷きにしているのだから。
しかし予算の都合からか、その割には話のスケールが小さい。
全国規模の跡目争いなら、話の舞台も全国に散るべきである。
然るに実際は大阪近辺でドンパチやってるだけ。これではどうも
ピンとこない。
それと男優陣のふがいなさ。これは「226」のころから感じていたが、
とにかく迫力のある男優がいないのである。
豊川悦史もいい俳優だが、組長には見えない。
岸辺一徳も好きな俳優だが、そんな大親分には見えないのである。
とにかくヤクザっぽい迫力(たとえて言うなら本物のヤクザが思わず挨拶してしまうような)
をもった出演者がまったくと言っていいほどいない。
滋賀勝も怖いが親分の柄じゃない。
とにかく今の男優は本当に男らしい奴がいない。なんかみんなやさしいそうな
顔つきである。
織田裕二(もちろん好きだが)この辺を筆頭に狂犬的な男らしさを持った奴が
いない。かつての三船敏郎、鶴田浩二、高倉健、菅原文太、小林旭などのスターがいない。
これでは、男の抗争の映画は作れまい。
所詮は期待する方が無理である。
「仁義なき戦い」の冠を無理やりかぶらされた阪本監督がむしろかわいそうになってくる。
おそらく東映側が興行力ほしさにこのタイトルをつけたのだと思うが、
どうせ批評はぼろくそなのだから、止めるべきであった。
監督本人もタイトルが「仁義なき」でなかったらいい評価はいただけたかも知れない
と語っている。僕もいい評価をしたかも知れない。
でもやっぱり仁義なきの冠はついている。
安易に仁義なきの冠をかぶせた東映に対する批判として、(監督には悪いが)
あえて辛口の評価をする。
失敗作である。
日時 2000年11月19日 19:00〜
場所 シネマミラノ
ベテラン刑事と若手刑事のコンビというのは刑事映画におけるパターン
として世界共通らしい。まず、それを思った。
シナリオがよく練られていて、犯人は暗示されるだけで真相は解説
されない。もちろん主犯は明確にされるが共犯者、主犯と共犯との
関係、細かい事件の詳細は説明されていない。
この辺はパンフを読むと解説されているが、あくまで見た人が
自由に解釈できるようになっている。
もともとが猟奇殺人という通常の神経では出来ない異常な人格
の人間が行った行為なのだ。
ここで常識めいた解説、説明を作者が加えるのはかえって話を平凡にしてしまう。
常人ではない人間の行った行為なのだ。
常人が解説すべきではない。観客が想像するべきことである。
だって現実の事件もそうではないか。
犯人の心のうち、真相は犯人にしかわからない。
たいした予算でなくてもこれだけ面白い映画が出来てしまう。
選抜された作品のみが公開されているとはいえ、やっぱりシナリオの練り上げが
重要だろう。
これが日本でやると、形ばかりハリウッドを真似ようとするので、
「ホワイトアウト」になってしまうのだね。
日時 11月4日(土) 19:00〜
場所 新宿ピカデリー1
別にクリント・イーストウッドはそれほどファンではない。
作品暦を見ると劇場で彼の作品はまったくといっていいほど観ていない。
確か「エアポート80」の併映で(無理やり)観た「アルカトラズからの脱出」
ぐらいである。あの「ダーティーハリー」でさえ見ていない。
(「荒野の用心棒」はTVで観た)
にもかかわらずこの作品は楽しみだった。
なぜなら、彼は私が映画を見始めた70年代後半のころから今でも
主演作が公開される人だからである。
そのころスターだったのはスティーブ・マックイーンやポールニューマン、
チャールトンヘストン、アランドロンだった。(バートランカスターは
全盛期は過ぎていたがまだスターだったし、好きな俳優だった)
みんな鬼籍にはいったか引退してしまい、日本ではお見かけしない。
もっと懐かしかったのは大好きなジェームズガーナーだ。
「ロックフォードの事件メモ」「グランプリ」「大脱走」など
もう一度みたい作品も多い。
もう忘れられてるような彼らが旧式の人工衛星が故障し、その修理のため
再結集するというストーリー。現実とダブって面白いではないか!!
話としてはよくある特殊任務物である。
ある任務のため個性的なメンバーが集められ、任務を遂行するうち、
逆転また逆転があり、やがて当初指令された事態とは違う状況に陥り、
最後はメンバーの中の1名の犠牲的な死によって任務が完了する。
古くは「七人の侍」「ナバロンの要塞」、最近では「アルマゲドン」などなど。
何度も使われるパターンだが何度やっても面白い。
シナリオも伏線が効いていて、NASA見学の子供にした説明が
ラストの核ミサイルで月まで行く説明になっていたり、
ジェームズガーナーがパブでクレーンゲームでぬいぐるみを吊り上げたり
遊び心もいっぱいである。
特殊任務物という、昔からのジャンル、それにアメリカ映画ならではのカウボーイをタイトルに加え
ラストにはフランクシナトラと、キャストもスター全盛時代の生き残りという、
映画の古典のテイストで、宇宙という2000年代にふさわしい舞台で
再現してくれた。
やっぱり映画の面白さ、面白い映画の条件というのは時代が変わっても変わらない、という
当たり前な、しかし忘れがちな主張を見たような気がした。
実に面白かった。
日時 11月3日12:30〜
場所 渋谷パンテオン(東京ファンタスティック映画祭)
東京国際映画祭と同時開催のファンタスティック映画祭にての上映。
東京国際映画祭で作品を見るのは何年ぶりだろう。
多分、「ビルマの竪琴」以来じゃないだろうか。
この映画は去年、プサン旅行をしたときに上映中のポスターを見て憶えていた
作品だ。(ゴジラに似た怪獣が夜の都会で大暴れしているTVCMもチラッと見た)
まず驚いたのは韓国映画なのに出演者は韓国人ではなく、
全てアメリカ人で(というか何処の国かなんだかはっきりしない)
セリフも全部英語なのだ。(とはいえ襲われる都会はロサンジェルスらしい)
海外用に英語バージョンなのかと思って唇の動きをよく見たが
ちゃんと英語でしゃべっているのは間違いない。
韓国映画ではよくある事なのだろうか?(上映後の座談会で大槻ケンヂ氏も
同様の疑問を口にしていた)
で肝心の映画だがやっぱり(というかどうしても)ゴジラシリーズと
比べてしまう。
一口で言うとシナリオの詰めの甘さを感じざるを得ない。
伏線とかあんまりないし、最初に出てきた悪い科学者の方もあっけなく
死んでしまうのも少し寂しい。
あともう一人の科学者、及び女性科学者も活躍が少ない。
後半、作戦室にこもりっきりになってしまうし・・・・
あれは現場に出てなにやらの秘密兵器をもって闘ってほしい。
それと途中でTフォースなる特殊部隊が出てくるので
「どんな兵器が出てくるんだろう」と思っていたら、
背中にジェット装置を取り付けて光速エスパーのように
空を飛びながら闘うのだ!!!
予備知識なしで見たので滅茶苦茶驚いた。すごい発想だな〜。
これがあらかじめこのチームの一人が主人公で、(平成ゴジラなら
高嶋兄が演りそうな役)訓練シーンとかあるならともかく
いきなり伏線なしで出てくるからこっちは驚く、驚く。
あと額のひし形の部分が宇宙人との通信部分らしいとわかり
そこを攻撃すると急にヤンガリーがいい怪獣になってしまう
あたりも雑。
そいでもう一匹怪獣が出てくるのだがこれもなんとなく闘っている
うちにやられてしまう。
特撮のほうはCG中心でやっぱり着ぐるみの怪獣ののっしのっし感が
ないのが残念。でもこれはゴジラで育った世代の縛られた価値観かも
知れないが。
結論を言うとキャストも知らん人ばっかりだし、シナリオも細部が甘いし
60年代の怪しげなB級SF映画みたいでした。