2001年3月

オクトパス ハードデイズナイト
日本の黒い夏 サトラレ
東京攻略 ユリョン

オクトパス

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日時 2001年3月31日 20:40〜
場所 シネリーブル池袋1

爆闘BATTLE映画祭という池袋と梅田でのみのマイナーな映画祭で
の上映。(詳しくはリンクしている公式HPをご覧ください)

前回、この劇場に「ユリョン」を見にいったとき、タイタニックのような
豪華客船にタコがからみついているポスターを見て、怪獣映画ファンとしては
たまらなく見たくなった。

東欧で捕らえられた国際的テロリストを米原潜でアメリカに
護送する途中、タコの怪物に遭遇してしまう。
原潜の艦長達はこのタコの怪物と脱出を企てるテロリストの両方と
同時に闘わなければならなくなる。艦長達の運命やいかに?!
というのが大体のストーリー。

「エアフォース・ワン」と「レッドオクトバーを追え!」と「タイタニック」
と怪獣映画をミックスしたような作品だが充分楽しめる。
ノースターなのでB級、キワモノ作品扱いになっているが、テンポもよく
最初から最後までアクション満載のよく出来た娯楽作品なのだ。

純粋に怪獣映画として見に行くと思ったよりタコの出演シーンが少なくて
物足りないが、その分スパイアクションとして楽しめるシーンが多い。
テロリスト役の役者が憎々しくていい。
ストーリーやクライマックスも映画の基本どうりの盛り上げ方だ。
(冒頭のテロリストの逮捕シーンなど本筋とは関係ないので
もっとさらっと省略してもよさそうだが、サービス精神旺盛で
最初の見せ場になっている)

もっともスパイアクションと怪獣物という別々のジャンルの作品を無理やり
くっつけた感じもして、それをサービス精神旺盛と評価すべきか、詰め込みすぎで
どっちつかずの作品と批判するかは判断に苦しむ所。

なんだか寿司とステーキを一度に食べたような気がした。
(どちらもおいしいんだけれども)

これだけの娯楽作品なら一般に封切ってもヒットすると思うのだが。
そのうちビデオ化され、一般に見られるようになると思うので、
そのときは是非見ていただきたい。
見て損した気分にはさせませんから。

でもやっぱり寿司とステーキは別々に食べたかったかな。

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ハード・デイズ・ナイト


日時 2001年3月31日 16:30〜
場所 新宿ピカデリー1

最初は「プルーフ・オブ・ライフ」を見ようかと思って
劇場まで行ったが満席だったので急遽予定を変更。
こちらの作品にした。
新宿ピカデリーも改装された事だし。
(椅子が新しく大きくなり、最近当たり前の手すりにドリンク
ホルダーが付き、壁やロビーもきれいになっていた。合格)

実は私はビートルズファンなのだ。
以前イギリス旅行をしたときは、リバプールとアビーロードに
行ったほどなのです。
(リバプールにおいてビートルズは観光名物、特産品の扱いに
なっていた。またロンドンのアビーロードの横断歩道は
ジャケットと同じアングルで写真を撮ろうとする観光客があとを
絶たない)

今回は昨年の「ザ・ビートルズ1」の発売を受けてのリバイバル上映と
思われる。
この映画は自分が中学生の頃、一度見ている。
しかし地方の名画座で観るのと東京の一流劇場でこのデジタル・リマスター版を
見るとではやっぱり迫力が違う。
ビートルズの日常をドキュメンタリー風にドラマ化し、
ライブシーンもふんだんに取り入れ、アイドル映画としては
成功した作品だという事を再認識した。

後に「愛と平和の伝道師」のような存在になってしまった
ジョン・レノンだが、この当時はスーパーアイドルだった事が
よく解る。
ビートルズたちはマネージャーの言う事は聞かないわ、スタジオの
モニターテレビに落書きするわ、いたずらし放題の生意気なアイドル
そのままだ。
もっともドキュメンタリーではないので、彼らの行動は全て演技なのだが、
それでもきっとこんな感じだったのだろうという気にさせる。

そんな60年代のビートルズを追体験するにはいい作品。
ビデオじゃなくて音のいい映画館で見るとその迫力は倍増。
ライブシーンもコンサートを追体験している錯覚になる。
やっぱり映画はビデオじゃなくて映画館で見るべきだよ。

ビートルズを知らない世代に、伝説と化したビートルズの実像
を知るにはいい作品なのではないだろうか。
(といっても僕も実体験した世代ではないが)
今度はもう一度「HELP!」を見てみたい。

当時ジョン・レノン23歳、ポール・マッカートニー22歳、
ジョージ・ハリスン21歳、リンゴ・スター23歳。
ちなみに現在、森田剛22歳、三宅健21歳、岡田准一20歳。
ほとんど同い年なんだな。だからなんだといわれても困るが。

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日本の黒い夏〜冤罪

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日時 2001年3月25日 16:00〜
場所 新宿東急

例の松本サリン事件の冤罪事件の映画化だ。
熊井啓監督は好きな監督だ。
今までにも「帝銀事件・死刑囚」「日本列島」「謀殺・下山事件」
など実際の事件を題材に綿密な取材の上での迫力ある
社会派作品を数多く作ってきた。

期待が大きかったが少しガッカリした。
結局責任のありかを作品でははっきりさせてないのである。
責任はあいまいな段階で河野氏(映画では神部俊夫〜寺尾聡が好演!)の
自宅を家宅捜索した現場の警察官にあるのかと思うと、最後に現場の刑事を
代表する形で石橋蓮司の警部が非を認めている。

河野氏を犯人であるかのように報道したマスコミかというと
中井貴一の地元テレビ局の報道部長が報道には慎重な態度を取り、
かつ河野氏にはサリンの製造は無理だったという特番を作ったと描き、
マスコミの中にも良識派はいて、全面的にマスコミは悪くないと
言ってるかのようだ。

じゃ警察上層部が長野オリンピック前でもあり、早期解決を願うあまりに
先走ったかのようにも取れるがその辺のことはセリフでチラッと出てくる
だけで映像での追求は無い。

映画の中で一番悪く見えるのは「河野氏にはサリンが製造できたか疑問」の
特番に対し、抗議の電話をかけてきた一般視聴者たちなのか?

なんだかこのあたりがあいまいなんだな。
熊井啓自身が決まられなかったのだろうか。
この映画を見てるとこの松本サリン冤罪事件は「なんとなくいつのまにか
そうなってしまった」という印象をぬぐえないのだ。
熊井監督は「海と毒薬」で人体実験をしなければならないような状態に
追い込まれていった医者を描いた。また「ひかりごけ」では人肉を食べなければ
生きていくなくなった人間を描いた。

今回も自分の意志とは関係なくなんとなく冤罪報道になってしまったと
いう事なのだろうか?
だとすれば少し寛容すぎるような気がする。
やはり「責任者は誰か?」という問いに対して熊井監督自身の答えを聞きたかった。

この映画は冤罪報道の原因を追求する高校生の取材という形で語られている。
ラストの中井貴一が彼らを見送る目が温かい。
まるで彼らのような若い人がいる限り日本の将来は安心だと言わんばかりである。
偶然にも「バトルロワイヤル」の深作欣二監督と熊井監督は同い年である。
深作が「バトルロワイヤル」のラストで藤原竜也に若者に対する期待を
かけたように、熊井啓もあの高校生に日本の若者への期待を表しているのだろうか?

僕自身は今の若者にそれほど期待していない。
しかし期待できない若者を作ったのは我々大人である。
大人は「なんとなくこうなってしまった」ではなく、物事の責任の所在を
はっきりさせ、何らかの形で責任を取るべきである。
そのあたりの追求が甘い事が残念だった。

とはいえ最近はこういう骨太の社会派作品が無く、久々歯ごたえのある作品を
楽しめた。
年に1,2本はこういう骨太の社会派作品を見たいと思う。
最近、ファーストフードみたいな甘口の作品ばっかりなので。
そういうファーストフード作品が悪いとは言わない。そういう作品が多い、映画の
バリエーションの少なさを嘆いているのである。

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サトラレ

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日時 2001年3月20日 15:55〜
場所 新宿ビレッジ2

観にいった動機は安藤政信君の初主演作だからである。
(それと寺尾聡も出てるし)
「踊る大捜査線」は大好きな作品だが、本広監督の前作
「スペーストラベラーズ」がイマイチだっただけに
この作品もあまり期待はしてなかった。

根本的に設定に無理がある気がしてなあ。
「サトラレ」というのは天才なんだけど、自分の考えてる事が
テレパシー(みたいなものか。映画では思念波という言葉を
使っている)で周りの人間に全部伝わってしまう人種のことで、
周りの人間は「サトラレ」の考えが伝わってきてしまっているのに
気づいてない振りをしつづけなければならないというのだ。

でもこの設定ってすごく無理があると思う。
小学校、中学校時代にばれてしまうと思うんだよなあ。
世の中、口の軽い人多いし。
第一、秘密を持ちつづけるってものすごく大変な事だよ。
私は実感してるけど。

本当にこの設定でドラマを作りたかったら、世界初の症例として、
始めて学校に通い始めた子供時代の「サトラレ」をドラマにすべきだと思う。

そこを気にしなければ、前半のドタバタ(食堂で安藤君が「まずい」って
思ったとたん客が離れて行き高松英郎のオヤジがむっとするあたりの
エピソードの呼吸などは、さすがにつかんでいる)は充分楽しめる。
その前半のドタバタのクライマックスの安藤君たちが祭りに出かけるシーン、
警官隊が大勢やってきて祭りを仕切ってしまう当たりの小気味よい流れは
「踊る大捜査線」の警官隊を(映画版の遊園地のシーンとか)連想させ、
大笑いさせてくれる。
もっともこの祭りに関してはデート場所を山にハイキングとかに変更させれば、
あんな苦労せずにすむのになあとまた変なことが気になったが。

後半は祖母役の八千草薫の好演により、泣かせる話になってくる。
ほとんど後半は彼女一人で持たせているといっていい。

全体としては安藤君の善人そうな二枚目ぶりが何とか観客を納得させ、
前半は笑わせ、後半は八千草薫の好演もあり観客を泣かせる。
安藤君が映画の設定の無理さを強引に納得させる好演をしている。
彼の代表作といっていい。
映画自体はあまり高い評価は出来ないが、安藤君の美青年ぶりを
楽しむには充分だ。
とりあえずはそれで満足しよう。


(「踊る大捜査線」「スペーストラベラーズ」この「サトラレ」を見ると
常に制服警官や自衛官、警官隊などがてきぱきと登場する。
実は本広監督は戦争映画が撮ってみたいのではないか。次回のゴジラは
平成ガメラの金子修介監督だが、その次ぐらいはゴジラもいいかもしれない)


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東京攻略

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日時 2001年3月17日 17:10〜
場所 シネマミラノ

要するに飽きてしまった事とスターがいない事だと思う。
何がって日本で香港映画がヒットしなくなった理由である。
日本で公開される香港映画は相変わらずカンフーだ。
飛び蹴りがあってダンスのように華麗に身をこなし、
敵をバッタバッタと倒していくあれである。

ジャッキー・チェンの最盛期のころ(1985年ごろ)など
毎月1本公開されるくらい頻繁に公開されていた。
(ジャッキー・チェンの主演作だけでだ)
そのころはブルース・リーブーム(1970年代前半)も
終っていたが(もともとブルース・リーは主演作が4本しかなく
スターになったのも死後でブームは短かった)ジャッキーは
ブルース・リーには無いユーモアと明るさがあり、リーとは
別の魅力があった。
しかし、そうはいってもやはりワンパターンに陥ってしまい、
ジャッキー・チェンにももはや動員力はなくなっている。

話はそれたが、そんな状況下の中でこの映画を見た。
「相変わらず殺陣(カンフー)はすごいなあ」で感想は
終わりなのである。
(とは行っても車を積んだトレーラーから車が落ちていくカーチェイス
シーンとか、日本橋付近でのボートによる水上の追っかけとか
迫力のあるシーンは多い)

これは予想していた事なのだが、じゃ何故見たかというと
基本的に日本でロケした外国映画や日本人が出演した外国映画を
見るのがすきなのだ。
外国人の日本観が解って意外な発見をする事があるからだ。

ここからはネタばらしになるから見る予定の方は読まないで
いただきたいのだが、主人公の一人の中国人の私立探偵が
実は日本人との混血で、警視庁公安部の人間だと
(「要するにスパイだ」と説明されてるが)告白する。
日本の警察が日本語の怪しい中国人のとのハーフ(たとえ日本国籍だとしても)
を採用する訳が無いと思ってしまうが、(まあそれは映画だから許すとしても)
今回の事件はアメリカのCIAが偽の円紙幣を流通させようとしているのが
事件の真相だというのだ。

香港人は日本をアジアの仲間だと思い、侵略主義的アメリカといっしょに
闘おうという気があるという事なのか?
日本人を味方に思ってくれるのはとてもありがたいが、
ハワイ沖でのえひめ丸と米潜水艦の衝突事故の日本政府の対応を見ていると
「申し訳ないが日本政府は香港よりアメリカを重要視するでしょう。
ごめんなさい」と謝りたい気持ちになった。
僕が思っているより今香港では日本ブームなのかも知れない。


あとヒロインのケリー・チャンが仲間とわかれて一人になった時、
屋台のラーメンを見て望郷にかられるシーンがあった。
ラーメンなんてもはや日本食で中国のそれとはもはや別物に
なっていると思っていたが、そうでもないらしいんですね。

もうひとつ、細かいアイデア。
街で配ってるサラ金のティッシュ、やはり日本独自のものなんですね。
あのティッシュを受け取ったために逃げている主人公達の居場所が
敵方のヤクザ(阿部寛)に解ってしまうアイデアには笑った。
(理由はティッシュ配りは阿部寛のヤクザの組が仕切っているから、
配っているチンピラから情報が入る)

また話はそれるけど、日本映画でも日本橋付近の運河でボートチェイス
なんてやって欲しいな。
だが、そういう大変なシーンを敢えてやろうとする人材が今の日本映画界には
いないかも知れない。


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ユリョン

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日時 2001年3月11日 14:00〜
場所 シネリーブル池袋2

「シュリ」「カル」に続く僕にとっては3本目の韓国映画。
「ユリョン(幽霊)」と呼ばれる韓国の原子力潜水艦が、
核ミサイルを日本に発射しようとする近未来戦争もの。

このジャンルの(いわゆる「一触即発世界大戦もの」)
映画はかつては「博士の異常な愛情」「未知への飛行」
「合衆国最後の日」「ウォーゲーム」などがあったが
東西冷戦の終結という世界情勢の変化に伴い、なくなってきた。
世界が平和になるのはもちろん否定しないのだが、
映画ファンとしてはこのジャンルの作品が無くなってきたのは
寂しかった。
(誤解の無いように繰り返すが、映画を面白くするために
世界に戦争の緊張があるほうがよいなどとは僕は決して考えない。
このあたりは誤解の無きようくれぐれもお願いしたい)

で久々の「一触即発世界大戦もの」だ。
一言で言えば面白かった。
「シュリ」同様、映画の定石どうりの展開がいい。
核ミサイル発射のための2本の鍵のうちの1本の奪い合い、
日本の潜水艦との戦いの中盤の盛り上がり、
核ミサイル発射まで後一歩というクライマックス、
狂信的な副艦長、阻止しようとするミサイル班のイ・チャンスク、
コメディーリリーフ的な料理長、などなど映画の教科書どうりの展開だ。

どっかで見たようなシーンの連続という批判も成り立つかも知れないのだが、
この場合はパクリのつなぎ合わせというより、ひねりすぎた最近の映画に比べて
「映画の面白さの原点に戻った映画つくり」と評価したい。
映像も潜水艦内はアップ、バストショットを多用し、しかも望遠レンズによる
撮影で潜水艦内の狭苦しさ、息苦しさをよく表現できている。

惜しいのはストーリーが「ユリョン」艦内に終始してしまっている点。
日本の潜水艦との対決シーンなど日韓双方の司令室を描いた方がもっと盛り上がった
と思う。(たとえ変な日本人が出てきたにせよ)
同じく東京、福岡、札幌、名古屋などの日本の都市に核ミサイルの照準が合わさった
段階で各都市の風景をカットバックで挿入した方がよかったのでは?
もうひとつの不満は日本の潜水艦が「ユリョン」によって深海に引きづられていくシーン、
あれも日本の潜水艦が水圧につぶされていく様子を音声のみで表現するのではなく、
実際に映像にして欲しかった。(予算の都合で出来なかったのかも知れませんが)

それにしても「シュリ」といい、この「ユリョン」といい近隣諸国に喧嘩を売っている
と誤解されかねない映画をよく作れるなあ、韓国という国は。
日本で自衛隊が韓国を攻撃しようとする映画ができるだろうか。
絶対に無理だろうな、いろいろな意味で。
この点においては、日本より韓国の方が表現の自由があると解釈してもいいのだろうか?



話はそれるがどうして日本ではこういう迫力のある映画が出来ないのだろう?
日本でアクション大作というと「ホワイトアウト」どまりなんですよね。
本の世界ではかなり迫力のあるアクションものがあるんですけど。
(かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」、豊田有恒の「凍土の核」など)
だから日本人の発想が貧弱というわけでもなかろう。

昔は制作費の問題(世界を市場においているハリウッドと日本だけを市場に
日本映画では興行収入の桁が違うので、制作費も桁が違ってきてしまうという理屈)
だと思っていたが、韓国映画がハリウッド映画並に世界市場で興行収入を上げられるとは
思えない。
(例えばこの「ユリョン」にしても日本で配収10億円いくだろうか?おそらくいくまい)

最近読んだ小林信彦氏の本(*注)の中で「落日を過ぎた日本の映画界は(中略)会議を重ねた
挙句、マイナスの方に結論が出る。外から見ていても、失敗をする方向にものごとが
決まってゆく。1960年代からすでにそうであった(後略)」という記述がある。
日本映画が盛り上がらないのはこういうことなのだろう。
実に残念。

でもシネリーブル池袋という映画館にはじめて行ったが実に心地よかった。
ここ2,3年、いすの肘掛にドリンクホルダーがついている劇場が増えているが
ここはさらにポップコーンの無料サービスがある。(マクドナルドのポテトのSサイズ程度の量)

だが量の問題ではない。流行の複合型映画館もいいが、こういうちょっとしたサービスが嬉しい。
いすの事といい、ポップコーンといい、20年前から日本の興行界が実施していたら
現在ほど観客動員数が減らなかったかも知れない。
しかし、何をはじめるにも遅すぎるという事はない。

今まで映画は新宿ばかりで見てきたが、多少交通費をかけても他の映画館にも行ってみよう。

(*注)
小林信彦著 「天才伝説 横山やすし」(文春文庫刊)133ページ

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