2001年4月

五十万人の遺産
ダブルス スターリングラード
2001年宇宙の旅 グラディエーター
プルーフ・オブ・ライフ 羊たちの沈黙

五十万人の遺産


日時 2001年4月30日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 三船敏郎

昭和38年製作。三船としては黒沢明の「天国と地獄」の次の
出演作にあたる。
この作品が三船の初監督作品だ。

終戦時に日本陸軍がフィリッピンの山中に埋めた金貨を
生き残りの将校(三船敏郎)に掘り起こさせようとする男性アクション。
共演も仲代達矢(最初の10分だけ)三橋達也、土屋嘉男、山崎努、
堺左千夫、田島義文、星由里子、浜美枝(この二人は顔みせ程度)
というなかなかの豪華顔合わせ。

こう聞くとすごく面白そうだが、噂に聞いていた通り面白くない。
シナリオにひねりがないんですよ。
日本軍が埋めた金貨を狙って敵味方が争いあうという、うまくいけば
「隠し砦の三悪人」の現代版が狙えそうな企画だが、
実際は争い合う敵もほとんど出てこず、仲間内の争いだけ。
(それも一度は裏切った者がやっぱり助けに戻ったり面白くないのだ)

三船の元将校が「この金貨はもともと日本国民が当時の国の命令で無理やり
供出されたもの。だから日本国民に返したい」というまじめぶりを発揮する。
もちろんその主張は正しいのだが、ただのまじめで善良な世間知らずの
おじさんにしか見えない。
例えば「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」で見せた世の中の裏も表も
知り尽くした上で見せる正義感を持つような魅力あるキャラクターになっていない。
このあたりの設定からして詰めが甘い作品としか言わざるを得ない。
ラストもほとんど唐突に出てきたアメリカのスパイ(?)によって
全員あっさり殺されてしまう。
さらに惜しいのは余韻も何もないぶつ切れのラスト。
フィリッピンに眠る五十万人の英霊を象徴するような何かが欲しかった。


企画としては面白くなりそうな話だっただけに残念だ。
同じ企画を岡本喜八あたりがやったらもっと面白くなっていたかも知れない。
(但し三船としては前年に三船プロを立ち上げ、監督もやってみたかったろう)
でもフィリッピンロケまで敢行し(当時としては画期的だったんじゃないか?)
上記のキャストが組めたということは三船の当時の力というものが伺える。
それを確認するだけでも見る価値はある。

(余談だが最初のほうで、ある会社で庶務課長をしている三船が部下のOLが書き損じて
丸めて捨てた紙を「まだメモ用紙として使えるじゃないか」とゴミ箱から取り出し、
メモ用紙にして机にしまうシーンがある。
主人公の性格説明だけでなく三船自身の性格をあらわしてるような気がして興味深かった。
氏は三船プロの社長になっても会社の前をはき掃除するような几帳面な性格だったそうだ。)

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ダブルス

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日時 2001年4月29日 17:00〜
場所 テアトル新宿
監督 井坂聡

監督の井坂聡について私は何も知らない。
もちろん他の作品も観てない。
しかしあえて言う。この映画、まるっきりダメ。

大体、犯罪の帰りにエレベーターが止まるっていう設定からして
「死刑台のエレベーター」でしょ。
途中ショーケンが下にまっすぐ墜落していくカットがあるけど、
あれってヒッチコックの「逃走迷路」(「裏窓」といってもいい)
だろ。

あとセリフの中に「かくも長き不在」とか「ニキータ」とか「レオン」
とか映画のタイトルが登場する。
また登場人物部屋にはハヤカワミステリが並んでたり、要するに
映画、本の個人的趣味のオマージュとしか言いようのないシーンの連続だ。

最後に「『女は港で待ってろ』なんてくさいね」みたいなセリフが出てくるが
こういう自身の趣味を照れ隠しするようなところは昔の学生8mm映画のセンス
そのまんま。

この監督とは年が近いから当然私と生きてきた時代は同じなわけで、
なんとなくそんな感じがするのだよ。
全く今の日本の若い監督は何をやってるんだ!!もっと骨のある奴はいないのか!!
と怒鳴りたくなるのは私の方がセンスがジジイなのだろうか?



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スターリングラード

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日時 2001年4月28日 18:45〜
場所 新宿文化シネマ2
監督 ジャン=ジャック・アノー

最近はやりの第二次世界大戦もの。
こういうくくり方をされるのは製作者にとって不本意だと思うが
80年代、戦争映画といえばベトナム戦争ものだけだったが、
「プライベート・ライアン」(たしか)以降、第二次大戦物が多い。

太平洋戦争は大体の戦争の流れを知っているが、世界史に弱い僕は
ヨーロッパ戦線は詳しくない。
まして独ソ戦になると全く知らない。
スターリングラードの場所さえ知らんかった。(かろうじて地名は知っていた)

オープニングのボルガ河の渡河シーンに始まる戦闘シーンの迫力は大。
「プライベート・ライアン」に次ぐ出来だ。
それに続くソ連軍の突撃シーン。
銃は二人に一丁というお粗末さにも関わらず突撃させる無茶苦茶さは
岡本喜八の「沖縄決戦」をはじめとする数々の映画で描かれた日本軍の無謀さを
彷彿とさせ、竹槍を持ってただけ日本の方がましとさえ思えてくる。

そんな戦闘の悲惨さから始まったにも関わらず、独ソのスナイパーの対決
になるにつれ、映画は一時期流行ったの戦争アクションもの
(「ナバロンの嵐」とか)の様子を呈してくる。
この辺の迫力はなかなかのもの。
ふたりのスナイパーの心理戦は戦争アクション映画としても充分に成立する
面白さだ。
(特にガラスで太陽光を反射させ相手の目をくらませるあたりの
対決は面白い)

だが映画はそういうアクションだけではなく戦時下における主人公のスナイパー
の悲恋、共産党政治将校(ダニロフ)の嫉妬などもからんでくる。
「『スターリングラード』というスターリンの名を冠した土地だから絶対死守せよ!」
とソ連側の高官が面子のみのために言い放ったり、ダニロフが好きな女性(ターニャ)
を自分の権限で安全な後方勤務にしたり、ターニャをヴァシリ(主人公)に取られたと
知るや彼に対して批判的な報告を行ったりする。
またターニャとヴァシリの防空壕での生々しいセックスシーン(いわゆる戦争映画で
ここまで生々しいセックス描写を見たことがない)などなどこの映画は
人間のいろいろな個人的な欲望で満ち溢れている。

所詮人間は個人的欲望の奴隷でしかない。

死の間際にダニロフが吐露したように「(共産党は)となりの人と差別がない、嫉妬しない
世界を作ろうとした。しかし人間は絶対に嫉妬する。もって生まれたものの
違いから恋を実らせる事が出来る人、出来ない人の違いが出る。完全に平等など
無理だった」というような意味の共産主義批判をする。
現在我々はソ連の崩壊を知っているので「そーだよね」とうなずく事が
でき、自由主義(西側諸国)の勝利を確認する。

人間の欲望の負の象徴が「戦争」ならば、もう一方の正の象徴が「恋愛」としている。
そういう個人的欲望の存在を肯定した構造をもち、さらに正の欲望を賛歌する
(自由主義の勝利を褒め称える)映画だからこそ、ラストで唐突にヴァシリと
ターニャが再会するのはよく考えてみると当然の結末なのである。
(最初は『それはないだろう』と思ったけど)

そういう思想的に複雑な面があるにも関わらず「独ソスナイパー対決!」が
面白かっただけにどっちつかずの印象になってしまったことは否めない。
はっきり言ってこのあたりのいわゆる「アクションとドラマの融合」がうまく
いってなく、中途半端な作品になってしまった。


細かい事だが、独軍将校が戦時下においても靴磨きの少年に靴を磨かせるブルジョワぶり
が典型的なドイツ軍描写でやや苦笑した。
でもソ連の少年がドイツ軍の将校の靴を磨く設定がなんとなく納得できない。
だって沖縄戦において沖縄の少年がアメリカ兵の靴磨くか?
このあたりの実情が私の知識不足でよくわからんけど。

最後になったがソ連人なのにセリフが全部英語なのが気になった。
山本五十六が英語でしゃべるようなものか?


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2001年 宇宙の旅


日時 2001年4月15日 13:00〜
場所 ル・テアトル銀座

今年は2001年である。
2001年に「2001年 宇宙の旅」を見るのは大変意義のある事だ。
なんてったって私は1999年で人類は滅亡するから、2001年は
迎えられないだろうと半ば本気で思っていたのだから。
しかし予言は見事に外れ、我々はまだこうして生きている。
そして「2001年 宇宙の旅」という映画を「映画館」で見ることが出来た。

私がこの映画を見るのはこれで3回目のはずだ。
1回目は封切り時、2回目は79年(だったと思う)のリバイバル上映、
で今回が3回目である。

もちろん1回目は子供でまったくといっていいほど憶えちゃいない。
ただ宇宙ステーションからパンナムの宇宙飛行機(当時ならそんな言葉の方が
しっくりきた)が飛び出しているポスターは印象に残っている。
あのポスターは実にかっこいい。
でタイトルが「2001年 宇宙の旅」である。
なにやら「小学1年生」の巻頭カラー口絵の世界を映画にしたような感じじゃないか!
当然兄貴や従兄弟と見にいった憶えがある。
もちろん理解できるはずも無く、退屈だったとかそういうことすら憶えていない。
でもポスターだけは鮮明に記憶に残った。

で2回目だ。
この頃「スターウォーズ」「エイリアン」「スタートレック(映画版)」などが
公開され、SFブームだった。
その時に「これが『スターウォーズ』の原点だ!!」みたいな宣伝で79年にリバイバル
公開された時だった。
この時はもう随分昔の映画だという印象があったが、製作からまだ10年ぐらいしか
経ってなかったのだなあ。
もちろんこの頃は映画少年で年5,60本見ていた時期だから、それなりの知識を
持っていた。(難解だとか、特撮がどうとか)
でもやっぱり理解は出来なかった。
なにがなんだかわからず、でも世紀の名作を観賞できた喜びだけはあった。
何しろまだビデオが一般家庭に無かった時代だ。
映画は映画館で見るかTV放送するのを待つしかなかったのだ。
同時に「ああ、2001年ってくるのかなあ」という気持ちでいっぱいだった。

で20年以上の時を経ての3回目である。
前説が長くなったがこの映画は私の映画鑑賞史のポイントとなる作品なのだ。
(別に好きというわけではない。ものすごくインパクトが残ってる映画なのだ)
やっと自分なりに理解できた。

つまりあの「モノリス」は地球の生物にとって進化のジャンプ台とも言うべき
存在なのだ。
地球外の生物がおいていった、地球の生物が進化に行き詰まった時に次の進化への
ヒントを与えてくれる存在なのだ。
原人類があのモノリスに触れる事によって「道具」を使う事を憶えた。
その道具がどんどん進化していって、ついに宇宙に到達できる道具にまで
発展させた。
ところが本来人類に使われるにすぎない道具(コンピュータ)が知能、感情を持ちだし
人類に抵抗するようになってしまったのだ。
この意思を持ち始めた道具と人類はどう共存するのか?
このあたりがテーマではないのか。

つまり道具を使い出すまでが生物の進化の歴史の第一章、道具を使い出してから
の発展が第二章、そして人類と同等になろうとした「道具」と共存するのが第三章。
この映画は第二章から第三章にいたる変化の瞬間を表現したものなのだ。
木星にたどり着いたボウマン船長は人類の代表として白い部屋で最後の晩餐をし、
新しい第三章を生きる新人類(スターチャイルド)となって地球に
帰ってきたのだ!!


結局私がたどり着いた2001年の時点での解釈はこうなった。
したがって次回作となる予定だった「AI」が人工知能の少年の話というのは
なんとなくこの「2001年」とつながってくるじゃないか。

この映画が製作後33年もいきつづけている理由はやはり特撮、宇宙の姿の
映像のすばらしさだろう。
この映画の数々の宇宙の映像は今も色褪せてない、という表現は当たっていない。
なに33年経っても映画に登場する宇宙の映像は、ほとんどがこの映画の真似を
しているに過ぎないのだ。
それほどこの映画の宇宙シーンは全てにおいて完成しているのだ。

あまりにもストーリーに抑揚がないので見てる間は退屈な作品だ。
がスタンリー・キューブリックにはストーリーで映画を見せる方法は興味が
なかったのだろう。
カメラマン出身だけあって映像の積み重ねで自身のテーマを表現する努力をした。
だからこそあれだけの映像を作り上げる情熱とパワーを持ちうることが
出来たのだろう。

音楽に関しては以前、伊福部昭(ゴジラなどの作曲家)が「ツァラトストラなんかを
流すのは高度なことのような事に思えるが、実はごくごくレベルの低い事で私は嫌い」
と雑誌のインタビューで語っていたことのみを記しておく。

長々と書いたが私にとってはこの映画は自身の映画鑑賞史のモノリスともいうべき
作品かも知れない。
第一回目は幼少期、第二回目は私が映画を本格的に見始めた頃、そして2001年
の第三回目はこうして映画感想系HPを持つにいたった時。
はたして4回目はどんな時だろうか?
そのときにはこの映画を見てどんな感想を持つのだろう?

いつかまた「映画館で」見たい作品だ。


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グラディエーター


日時 2001年4月14日
場所 DVD

このHPにも書きましたが、3月にDVDプレーヤーを買いました。
私事ですがそれからすぐの3月末に誕生日だったので
DVDを買ったことを知った友人がDVDのソフトをプレゼントしてくれて
そのうちの一本がこの映画です。

自分じゃ見ないジャンルの映画だし、(実際、去年劇場では未見)
たまにはこういうジャンルの映画もいいかと思っていた。
昔は「ベンハー」「十戒」「スパルタカス」とかあったけど
(全部未見。但しベンハーはTV放送でラストの戦車シーンは
見たことがある)最近はこういう史劇(ローマ帝国もの)ってなくなったなあ。
(「カリギュラ」ってのは見たことがある。但しこれは古代ローマを舞台にした
ポルノ映画。雑誌「PENTHOUSE」が作った映画で一流劇場=東京なら
ピカデリー、ミラノ、新宿プラザクラス=で公開された。私は観た)
群集シーンがやっぱり必要だし制作費がかかるので、アメリカンニューシネマ
の台頭の頃からこの手の映画はなくなったと思う、確か。

だから史劇の新作はそれこそ30年ぶりぐらいじゃないだろうか?
(さっきの「カリギュラ」は確か1980年だけど本来の史劇とはちょっと
違う)

で最初のゲルマニアの戦闘シーン。
リドリースコットが撮ると未来都市も大阪もみんな同じ色調になってしまう。
後半、コロシアムが舞台になるんだけれど、そのコロシアムを最初に
とらえる俯瞰シーンがやっぱりすごい。
全部CGだとわかってるんだけどやっぱりすごいなあ。
CGの技術がもっと発展すれば何でもできるようになりそうだなあ。

途中の戦車との対決シーンがなかなかの迫力。
但しこれを途中に持ってきてしまったので、ラストが皇帝との
ただの一騎打ちになってしまった。
ラストの戦闘シーンは映像的にもっとすごいものを期待してしまったので、
この構成はちょっとまずい。
ストーリーから言うと確かに最後の戦いは皇帝との一騎打ちで納得できるんだけど
映像的にはいまいち迫力不足に見えてしまった。そこが僕としては残念。

でもラストシーンはあの世で妻子と再会。
なんだかローマの英雄がマイホームパパというのもなんか違和感があった。
この辺は現代の企業戦士とダブっているのだろうか?
自分の会社の新社長に前社長の子分ということで左遷されたサラリーマンとかさあ。
そういうのってどうなのだろう。
欧米人の考える会社観って日本人とは当然違うだろうし、
これが日本映画で時代劇だったらその辺のオーバーラップってのも
作者の意図として当然ありえるんだろうけど、最終的には
「リドリースコットについてはよく知らないのでこの辺はよくわかりません」
としか言いようが無い。
こういう風だから洋画の批評は苦手なんです。


追記
DVDだから副音声でリドリースコットと撮影監督と編集の3人での作品解説が
付いてます。
「この手のカットの意味するのは・・・」とか「オープニングタイトルは
最初はもっと凝ったロゴを考えたけど、シンプルなものにした」とか延々と解説
するのよ。
でもねえ、そういうのってどうよ。例えば「七人の侍」を黒沢明と野上照代が対談するとか
だったらそりゃ聞いてみたいけど、それほどでもない作品の解説を作者自らに
全編にわたってされてもなあ。
雑誌とかで2,3ページのインタビューならともかく、延々と自作を解説するのはどんなものか。
やっぱり作者は作品を作品でのみ語るべきだと思うけど。
退屈なので30分で解説を聞くのをやめました。

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プルーフ・オブ・ライフ

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日時 2001年4月7日 18:45〜 
場所 新宿ピカデリー3

メグ・ライアンなんて別に興味ないんだけど、三宅健くんが
「ファンじゃありません。愛してるんです」というほどの
ファンで、「お笑いV6病棟」にもゲスト出演してくれた程の
いい人なので、メグ・ライアンに対するお礼の意味をこめて
この作品を観た。
(彼女もこの作品の宣伝のための来日の時だったのでお礼となれば
この映画を観てあげるのが一番のお返しでしょう)

という感謝の気持ちと映画の評価は別。
根本的に何でラッセル・クロウの交渉人がメグ・ライアンに惚れたのかが
よくわからない。
パンフレットで北川れい子さんが「カサブランカ」を引き合いに出した
文章を載せているのだが、「カサブランカ」のようにラッセル・クロウと
メグ・ライアンが昔恋仲だったというのなら話はすっきりしてくるのだが・・・・

どのあたりでラッセル・クロウの交渉人はメグ・ライアンに惚れたのだろう。
そのあたりの描写が説得力が無いためにラスト近くのキスシーンなど
唐突、というかご都合主義的な感じがして納得できない。
また途中の交渉シーンも「ただ値下げしろ」というだけで駆け引きが無く
面白みがない。

それとやっぱりラストの人質救出作戦にはメグ・ライアンも参加して欲しかった。
ラ「危険だから来ちゃいけない。僕が必ず助けてくるから」
メ「待ってるだけなんていや!!」
ラ「君にもしものことがあったらご主人に申し訳が立たない」
泣く泣くあきらめるメグ・ライアンだったが、ヘリコプターの荷物に隠れ
ついて来てしまう。
ラ「なんて事をしてくれるんだ!」
メ「大丈夫。あなたの迷惑にはならないわ」
という会話があってラストで窮地に陥ったラッセル・クロウをメグ・ライアンが助ける。
ってこういうのが映画の文法なんじゃないかなあ。
少なくともこういう展開を私は期待した。(というかこうなるもんだと思っていた。
多分ラッセル・クロウがメグ・ライアンの手を引いて走ってるポスターを見て勝手に
そういう風に想像したのだろう)

「惚れちゃいけない人に恋をしてその人が幸せになるために一生懸命になる。
そして恋した美しい人は最愛の人と幸せになる」っていう
コンセプトじゃまるで車寅次郎と一緒だよ。
さしずめ「男はつらいよ プルーフ・オブ・ライフ」ってか。

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羊たちの沈黙


日時 2001年4月4日 21:00〜
場所 NHK BS2

「映画は映画館で観るから映画と呼ぶ。ビデオで観たらそれはビデオを見たと呼ぶ」
というのが私の基本的な考え方なので、テレビ放送される映画は観ない事が多い。
特に再見ではなく、初めて見る場合は。

この作品は封切時、観てなかった(ちょうど仕事が忙しくて映画から少し
遠ざかっていた時期だ)のだが、続編の「ハンニバル」が公開されるという事で
試しに観てみた。

一言で言って私、こういう怖くて猟奇殺人という気持ち悪いのダメ。
批評以前の感想にしかなってなくて申し訳ないがこういう怖いのが苦手なのだ。
特にラストの暗闇の中、暗視カメラで見られているクラリスのシーンが怖かった。


「踊る大捜査線THE MOVIE」の小泉今日子がレクター博士の影響があると
言われていたが、確かにまったく同じでしたね。
クラリス、レクター博士、バッファロー・ビルの3人の中ではやはりレクター博士の
キャラクターが一番強烈に印象に残る。
レクター博士が逃亡するというラストを見るとどう見たってこれから
レクターとクラリスの対決で映画が2、3本作れそうな勢いだ。
それこそルパン三世と銭形警部、ホームズとモリアティーというような
永遠のライバルとしてやっていけそうなのだが、実際には続編が公開される
まで10年かかっている。

ファンの方は相当待たされた思いで「ハンニバル」を見るのでしょうね。
私はちょっと観る気が起きないんですが。

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