2001年8月

ドリブン
真夜中まで RED SHADOW/赤影

ドリブン

日時 2001年8月18日 19:15〜
場所 新宿ピカデリー2
監督 レニー・ハーリン

レース映画だった。
この手のジャンルは「グランプリ」「栄光のルマン」
日本では「栄光の5000キロ」「F2グランプリ」
オートバイになるが「汚れた英雄」などがある。
カーレースものって久々ですね。

予告で街中をF1レースカーで疾走するシーンがあったので、
カーレース映画じゃなくてアクション映画かも知れないって
思ってたけど、ああいう仕掛けだったんですね。

でもこの手のジャンルの映画って「危険ととなりあわせの男と
それが耐えられない女」っていうパターンばかり。
まあ誰が作ってもそうなるかも知れんけど、
そのパターンばっかりって言うのもなあ。

映像の方はCGを駆使して目新しい画がたくさんある。
特に事故で舞い上がった破片をカメラが追いながら
それが客席に落ちていくカットは目新しい。
でもね、それ、「パールハーバー」でやっちゃったから
それほどの衝撃はない。

なんだかCGをたくさん見せられて少し「そればっかりかよ!」
って気分になったが、ドイツ戦のときの川に落ちたF1カーからドライバーを
救出するシーンは迫力あり。
これはCGの迫力じゃなくて、ドラマとしての迫力なんだが、
こういう盛り上げ方のほうが私は好きだ。
あとラストは誰が優勝するかですね。


でもやっぱりドラマが軽い。
女に振られたからってそれで切れて、
F1カーで街を暴走するって話が無理やり過ぎない?
根本的に「そんな危険まで犯して男は何故走るか?」
の説得力がない。
走らなければならない動機がはっきりしないので
私としては登場人物の誰にも感情移入できなかった。

思うに先の「街中のF1カー疾走シーン」といい、
「こういう画を撮りたいんだよね」
「じゃ、こういう風に話を進めましょうか?」
とばかりに撮りたい画にあわせて脚本を作っていったんじゃないか。
だとすれば登場人物たちの薄っぺらさに納得がいく。


個人的にはバート・レイノルズの出演が懐かしい。
なんと言ったって彼は私が最高の刑事映画と賞賛する「複数犯罪」の
スティーブ・キャレラを演じた人ですから。

あと日本シーン、あれ風景(渋谷の夜景や屋台風景)は日本で撮影したけど、
スタローンが道を歩くシーンはハリウッドで撮影されたと見た。
だって周りにいる人がちょっと日本人っぽくないんだな。
アメリカ人には違いはわからないと思うけど。


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真夜中まで

日時 2001年8月16日18:50〜
場所 テアトル新宿
監督 和田誠

パンフレットによると、この映画の製作は99年、2年前だったらしい。
は〜。2年もお蔵入りしてたんですか。

フォギーをかけたレンズで撮影され、ネオンや街灯は常ににじんでいる。
雨に濡れた路面はしっとりして、水溜りはネオンを反射させる。
逃げる男と女。彼らを追う悪漢。そして流れるジャズ。

はあ。まさしく和製ハードボイルドそのものって感じだ。
86年に「キャバレー」という和製ハードボイルドの名作があったが、
(まだアイドルだった野村宏伸の全裸シーンあり。"名作"に関しては
見た当時は個人的な思い入れもあって好きだったが、今見ても名作と
いえるかどうか自信はない)今の時代、どうだろう。

いや時代は関係ないかも知れない。

真田広之は何故女を助ける気になったか?
それがどうも説得力ないんだ。
ただのお人よしにしか見えない。

事件にまきこまれたジャズマンという設定がやりたければ、
どうしても彼自身が追いかけなければならない(殺されたのがジャズマンの友人とか)
または逆に店に帰りたくない(借金取り来てるとか)理由を
はっきりしておかなければならないのに、その理由付けがあいまいなので
「どうして店に早く帰らないんだ!!」といらいらしてしまう。

主人公巻き込まれ型サスペンスを狙ったのだと思うが、
自分から帰ってしまうチャンスはいくらでもあったのに
何故帰らないのか。
ましてや今夜は重要なお客様が見える日だ。
何を置いても帰るのが普通だろう。

それと時間の経過がどうも不自然で。
話のボリュームからすると一晩ぐらいかかりそうな話なのに1時間半の
出来事だという。
見てると「真田の店は六本木か銀座にあり、殺された男のアパートは
新大久保界隈で、もたいまさこの店はその付近、でもラストの刑事と対決する
工事現場は汐留だから店まで戻る移動時間は走っても15分や20分はかかるはづ
だから・・・・・・」
なんて考えて見てると移動時間を考えると一晩ぐらいの長さに感じてしまう。
いや実際の東京のロケ地を知らなくても、車で移動するシーンが
多いので場所と場所の距離が結構あるように感じてしまう。
カットバックのせいで時間の省略を感じるんですね。
もっともパンフを見ると舞台になった架空の街の地図があり、
それを見るとそれらの場所が近接してるとわかるのだが。

また途中の時計のカットもあんまりなく、「あと何分」というタイムサスペンスが
感じられない。

あとヒロインの外国人ホステス、この設定は「月はどっちに出ている」
「我に撃つ用意あり」などでも登場した。
「アジアの女性=ホステス=薄幸の女性」ってパターンもやめて
もらいたい。

ジャズとハードボイルドという決して嫌いな題材ではないので多少期待があったが
やや外された。
それとなんだかゲストが豪華すぎる。
厚みが出るどころかかえってそちらに目を奪われ、
逆に嫌味っぽい。


和田誠監督の趣味は良くわかるが、自己満足色が強すぎる気がした。
(映画の中で真田広之がハイライトを吸ってたけど、あのタバコ、和田さんのデザイン
でしたね。そんなところが自己満足っぽくて今回は好きになれない)
残念。


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RED SHADOW/赤影

(公式HPへ)

日時 2001年8月15日 18:50〜
場所 新宿東映
監督 中野裕之

「サトラレ」に続き、安藤政信くんの主演作品。
主役が安藤くん出てなければ見てなかったろう。
作品自体はそれほど期待はしてなかった。
仮面はしなくて目だけを出す黒マスクと黒頭巾のスタイルは
成功だった。
安藤くんの魅力はあのきれいな目にあるので
それを隠してしてしまっては彼を起用した意味がない。
手足の長いスタイルのよさ、そしてあの寂しげな魅力的な目が
活かされて今回の安藤君の起用は間違ってない。

安藤君はよかったが、それは直接の作品全体の評価とは別。

テレビ版「赤影」、それほどまじめに見てたわけでないけれど、
(どっちかって言うと円谷プロ系の「ウルトラQ」や「ウルトラマン」
の方が好きで東映系の「赤影」はなにやら泥臭く好きではなかった)
今回の映画化はテレビ版とは全く違った作品になってしまった。
どこが違うかはいちいち問題視しない。
前作とはちがう独自の映画を作るのは構わないが、
では何故「赤影」のタイトルをつけるのか。
純粋に作品だけを考えるなら「SHINOBI」でもいいはずだ。

東映側が「赤影」のタイトルに何らかのマネーバリューを
感じたのだろうが、それはもう明らかに勘違いもはなはだしい。
企画力がないだけだ。
それにリメイクは(もう昔だが)「月光仮面」「快傑ハリマオ
(字はこれでよかったっけ)」最近では「仁義なき戦い」とか
興行的に成功した記憶がない。
それでも昔の作品のタイトルを借りたほうがまだましなのだろうか?


そしてここからは中野監督と私の考え方の違いなので
批判する事自体、的外れかもしれないが、
何でもかんでも笑わせようとするスタンスは好きになれない。
奥菜恵が作った戦車だが、あれは平和主義者として、
最高のハッタリであったはず。
あそこで失敗しかけて笑いを取ろうとせず、
失敗するかしないかはサスペンスで見せた方が私は好き。

また最初の城への潜入で何故オカマの忍者が出てこなければならないのか?
あれで面白いの?
それに「美人あんま」のシーンってのも面白いの?
赤影たちがやたら現代の青年っぽい言葉遣いをしたり、
やたら現代風のギャグを持ってこられても
映画に似合わず面白くない。

途中「インディ・ジョーンズ」風の城のからくり迷路に迷い込んだり、
「油断大敵の術」とかおふざけが過ぎる。

笑わせることが「エンタテイメント」と考えているのか?
確かにエンタテイメント作品に笑いは必要だが、こういうのはねえ。
中野監督に限らず、最近の30代40代のいわゆる若手監督は、
何かギャグか笑わせるようなことをすれば「新しい」エンタテイメントと
勘違いしてやしないか?

中野監督の得意とする演出スタイルは「カッコ良くておかしくて
可愛くてピース」(パンフレットに表記)なんだってさ。
それで人生生きてけりゃ楽だわな。

何でもかんでも笑って冗談言ってれば人生楽しいっていう
ノー天気としか言いようのない監督ばかりでは、
韓国映画などには立ち向かえないだろうなあ。
彼らの作品は命かけてると言っていいような必死さがただよってるよ、映画に。
同世代者としてなんだか恥ずかしくなる。


追記
今、公式HPのBBS読んだけど、「安藤君が良かった」「フミヤが良かった」「映画はつまらなかった」
という意見が多かったようですね。
観客のほうはまだまともな人が多いようで、少しホットしました。

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