2002年3月

エネミー・ライン
フランケンシュタインの怪獣 
サンダ対ガイラ
フランケンシュタイン対
地底怪獣バラゴン
キングコングの逆襲 三大怪獣地球最大の決戦
怪獣大戦争 モスラ対ゴジラ ミッドウエイ モスラ
怪獣総進撃 獣人雪男 電送人間 透明人間
ゴジラの逆襲 ゴジラ 国定忠治 独立機関銃隊未だ射撃中
やま猫作戦 カタクリ家の幸福 ソウル ベニスに死す

エネミー・ライン


日時 2002年3月31日19:10〜
場所 新宿文化シネマ4
監督 ジョン・ムーア

ボスニアにおいて何が起こってるかは世界情勢に疎い私には
さっぱり解らないのだけれど、敵地に落ちたパイロットの救出劇という
のが面白そうだったので見てみた。

前半の見せ場の偵察機の撃墜シーンはそれなりに迫力はあるのだけれど
いかにもCGというCG丸出しの画が多くていやになる。
ここ2、3年のアメリカ映画はそういうのが多くてちょっと見飽きたと思う。

で撃墜されたらすぐに救出に向かうかと思ったら
ジーン・ハックマンの司令官は政治的な理由で救出を禁じられ
うろうろするだけ。
ここで味方にも見つからないように救助部隊を出し、
敵にも味方にも悟れずに救出作戦を遂行するのが筋では?

また落ちたパイロットも(まあ見せ場はあるものの)逃げ回るだけ。
そして敵の追い詰めるジャージ姿の狙撃手、いいキャラクターになりそうだと思うのだが、
魅力が足りない。彼のバックボーンとかもう少しわかれば魅力が増すと
思うのだが・・・「007」の敵役のほうがよほど魅力的。
あとラップ大好きの青年が登場するが、この青年の協力を
うまく使って逃げ回ればもっとよかったのでは??
そして最後にこの青年が裏切るとかさ。

いろんな意味で脚本の細部を詰めればもう少し面白くなった気がする。
政治的メッセージもないし、戦争アクションとしても面白みにかけた。


(このページのトップへ)

フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ


日時 2002年3月30日20:15〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
昭和41年作品

「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」の続編的に作られたのがこの「サンダ
対ガイラ」。
もっともドラマ部分はかなりいいかげんでなぜフランケンシュタインの怪獣が
現れたのかの説明はかなりテキトー、というかまったくと言って良いほどない。
「京都の研究所で飼育されていた」という説明のみ。
外人、男性日本人、女性日本人という科学者トリオは「フランケンシュタイン」と
同じだが純粋につながってるようでもなく、(水野久美は一緒だけど)
フランケンシュタインの造型も違うし、なんだかよくわからない。
まあ、深く考えちゃいけないかも知れないけど。

「サンダか」「いやガイラだ」と右往左往するばかりで
主人公の科学者トリオは何もしていない。
そしてラストはサンダ対ガイラの対決になるのだが、似たような怪獣がもみ合うばか
りでは画的に面白く無いのだよ。
そして対決が海に移ったと思ったら、突然海底火山が「ドッカーーン!!」で
2匹とも生死不明のまま「終」。
なんだか納得いかないなあ。

でもメーサー砲を準備する自衛隊の描写がいつも以上に細かく、よかった。
号令のかけ方、指示命令の復唱の言い方など、些細な事なんだけど、
この辺を丁寧にやると緊迫感が違ってくるのだ。

今日はゴジラの出ない怪獣映画を3本見たわけだけど、
やはり、モスラ、キングギドラなどに比べてスター性に乏しく、
見劣りは否めない。


(このページのトップへ)

フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン


日時 2002年3月30日18:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
昭和40年作品

この映画はもう怪獣映画というより「美女と液体人間」「ガス人間第1号」
などの変体人間シリーズの発展形として、変体人間と怪獣映画を
ミックスさせたと言うべきだろう。
終戦直前にドイツからUボートでやってきたなんて変体人間シリーズの
テイストのままです。

主役はあくまでもフランケンシュタイン。
バラゴンは今ひとつ登場に必然性、というか何故出てくるのかよく解らない
感じがするが、それよりもフランケンシュタインが従来の怪獣のサイズより
小さく、また人間なので動きが敏捷なのが特徴。

怪獣映画お決まりの都市破壊は無いが、フランケンシュタインの出現を
夜に絞り、顔の造形も魅力的で不気味さを出しており、いい。
でもラストで唐突に湖から巨大ダコが出現し湖に引きずりこまれていくのは
納得できない。
まあ次が作れるようにしたかったんだとは思いますが。

また本筋とは関係ないが、最初の方で原爆で破壊前の原爆ドームが
出てくるカットがあり、めずらしい画で驚いた。

出演者では僕の好きな高島忠夫が出てるのがうれしい。
今回「キングコング対ゴジラ」のようにユーモアが無いが
変に格好つけないところが好きだ。
これが宝田明だとなんとなくキザな感じが鼻につくのだよ。
「100発100中」はそのキザさが生かされてていいんですが。

(このページのトップへ)

キングコングの逆襲


日時 2002年3月30日16:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
昭和41年作品

怪獣は秘境からやってきて都市を襲うというセオリーを踏まえつつ、SFスパイものの
味付けをした作品。

ドラマ部分では007に登場するような悪の科学者に天本英世がいい。
ほとんど主役級の活躍で,、宝田明なんか完全に食われている。
また本家007にも出演する浜美枝がアジア某国の秘密工作員として登場。
相変わらずのお色気で花を添える。
このころの浜美枝のお色気振りは今の藤原紀香なんて目じゃないと思う。

前半、南の島で恐竜ゴロウザウルスや巨大海蛇とコングは対決するが、
相手方の造型に魅力がないので盛り上がりに欠ける。
あとメカニコングだが出てくる割にはマヌケ(面構えして間抜けだが)。
北極で何とかXという鉱物を掘り起こそうとするのだが、金属だから磁力に
やられて使いものにならなくなる。
そこで本物のコングをドクター・フーは連れて来ようとするという話になるのだ。

しかし北極基地などのミニチュアワークも楽しいが、圧巻はラストの
東京上陸。
増上寺付近と東京タワーが中心なのだけれど、東京タワーにメカにコング、キングコング
の両方が登って対決するシーンは、ヒロインがタワーから落ちそうになるカットバックと
あわせて迫力満点。
このシーンが観れただけでも充分だ。


(このページのトップへ)

三大怪獣地球最大の決戦


日時 2002年3月24日16:25〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
昭和39年作品

ストーリーが伏線が多く、なかなか怪獣が登場しない。
消えた王女、金星人と名乗る預言者の出現、アルプス山中に落ちた隕石のなぞ、
預言者の予言どおりのラドンの出現などいくつかの話が並行して進み、見るものを
飽きさせない。

またこの作品あたり怪獣達のキャラクター(個性)がはっきりしだしたのも
特徴。
モスラ(今回は幼虫のみ)は「モスラ」のときは「善悪の判断はつかず本能で小美人
を救う」だったのが、平和を願う正義の怪獣になり、キングギドラと戦うため、
ゴジラとラドンを説得する(!!)という役割を与えられている。
そしてゴジラとラドンは「俺達に人間を救う義理はない。人間たちは俺達を
いじめてばかりいた」と被害者意識丸出し。
後の「怪獣大戦争」でゴジラが「しぇー」のポーズをするシーンがあり、
賛否あったようだが怪獣の擬人化はこの作品から始まったのだなあ。

そして図らずもい宇宙怪獣キングギドラと戦い地球を守ったことにより、
この後ゴジラたちは地球の外敵から守る
番犬怪獣になっていったことを考えると、ゴジラシリーズにおぴて
ターニングポイントになった作品といえる。

キングコング対ゴジラ、モスラ対ゴジラ、三大怪獣、怪獣大戦争とワンパターンに見
えるゴジラシリーズだが1作ごとに作風を変えていて、
同じものは作るまい、怪獣映画の可能性を試すという製作者の心意気が
感じられ、そのことは賞賛すべきだ。

(このページのトップへ)

怪獣大戦争


日時 2002年3月24日14:35〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
昭和40年作品

「怪獣総進撃」と同じく宇宙人の地球侵略にゴジラが利用されるパターン。
(ただしこっちの方が製作は早い)

X星人に利用されるのはラドンとゴジラ、対するのはキングギドラだけだから
このころはまだ多怪獣化がそれほど進んでいない。
この後怪獣島なるものが建設され、南洋の孤島ものに話はシフトしていく。

この作品、X星人に扮する水野久美、土屋義男の怪演、好演がみもの。
そして久保明の町の貧乏発明家が「レディースガード」なる防犯ブザーみたいなのが
伏線として登場するのは脚本の勝利。
やはりこういった何らかの新兵器があると楽しい。
(「モスラ対ゴジラ」にはこのあたりも欠けている)

またニック・アダムスも外人としてはじめてゴジラシリーズに登場。
海外配給も視野に入れたワールドワイド化している。
僕自身、それほどこの作品は評価していないんだけれど、
こうしてゴジラ作品をまとめてみると、1作ごとに少しづつ変化していってるのだなあ。


(このページのトップへ)

モスラ対ゴジラ


日時 2002年3月24日12:50〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷 
監督 本多猪四郎
昭和39年作品

本多=円谷チームの怪獣映画ははずれが少ないのだが、私にとってこの「モスラ対ゴ
ジラ」はその数少ないはずれにあたるのだ。
見ながらずっとそのはずれ(つまらない)原因について考えていた。

1、登場人物に魅力がない。
ゴジラの山根博士や芹沢博士のような科学者の良心のドラマもなければ、
「キングコング対ゴジラ」の高嶋、藤木、有島のようなお気楽トリオも
登場しない。
主人公は新聞記者、(宝田明)とカメラマン(星由利子)なのだが、
「モスラ」のフランキー堺ほどコミカルな部分もなく、また一応藤木悠が
やたら卵ばかり食っている3枚目として登場するが、高嶋忠夫という突っ込み役が
いないために一人でボケても笑いが取れないのだ。
また悪役の興業主(田島義文、佐原健二)も登場シーンも少なく、ネルソンほど
印象に残らない。
登場人物全て中途半端なのだ。

2、クライマックスの構成が良くない
最後で島で逃げ遅れた分校の小学生を救うというクライマックスなのだが、
これは中盤のクライマックスにもってくるべき材料であって
ラストにもてくるべきではない。
また「モスラ」のフランキー堺が赤ちゃんを助けるシーンはあわや!という緊張感が
あったが、今回はそれほどの危機感がないので盛り上がりに欠ける。

3、対決の順番が違う。
モスラ対ゴジラの一戦は途中であるのだが、ここで成虫モスラは死んでしまう。
でラストで幼虫モスラが糸を吐いてゴジラを倒すのだ。
このあたり、やはり成虫モスラとの対決はラストにほしいところ。
幼虫モスラの1匹をゴジラが殺してしまい、怒った成虫モスラともう1匹の幼虫モスラ
がゴジラを倒すとかしないと画的にいまいちなのだよ。
幼虫モスラは糸を吐くだけなので、動きがワンパターンになり見ていて飽きるのだ。


4、都市破壊が物足りない
一応名古屋を襲うのだがテレビ塔と名古屋城をちょっろと壊すだけ。
もう少し丁寧に襲ってほしい。

この作品の悪口ばかり書いたけど、とは言っても魅力がまったくないわけではなく、
巨大卵を囲む人だかりなど合成シーンは出色。
それだけに脚本の甘さが惜しかった。



(このページのトップへ)

ミッドウエイ


日時 2002年3月23日
場所 ビデオレンタル
監督 ジャック・スマイト
1976年作品

実は先日「太平洋の嵐」のDVDを買い、もう一度見たら
「太平洋の嵐」が流用されてるシーンがあるという米映画「ミッドウエイ」
を見たくなり、レンタルしてみました。
初公開の時ももちろん見ているのですが見直してみたのですよ。

まず驚いたのはビデオはオール英語版だったこと。
この映画、撮影時は日本軍も英語で撮影され、
公開時は、アメリカ・カナダは「オール英語版」、日本及びその他の国は
「日本側シーンは日本語、アメリカシーンは英語」という2種類のバージョンが
作られた(これは1970年の「トラ・トラ・トラ」がアメリカでは不評だったようで
〜アメリカ人には英語以外の言語の映画は好まれないらしい〜
そのためにすべて英語にした)と聞いていたが、ビデオになってるのはオール英語版なのですね。

日本海軍が英語なのが戸惑いまいたが。

2001年の「パールハーバー」のように戦国時代の雰囲気で
作戦会議をするといった屈辱的シーンもなく、アメリカ映画の
日本海軍としては充分まともなのではないでしょうか?
むしろ近頃の日本映画の軍人の方がよほど変だぞ!

息子が日本国籍の佐倉ハルコという日系の女性を恋人にしてしまう
米海軍参謀(チャールトン・ヘストン)の苦悩というのは後半ほとんど無視され、
ラストでは傷ついた息子を彼女が迎えにくるシーンで終わり
ほとんどストーリーとは関係なく、何でこの映画にラブストーリーを
からませたのだろうという疑問すら残る程度にしか扱われてませんでしたね。
やっぱりそういう話をつけたほうが営業的にやりやすかったのだろうか?

日本側が描かれてるといってもアメリカ側の視点が中心。
だからミッドウエイお決まりの「あと5分で完了します!」のサスペンス
のシーンはない。
確かにあれは日本側の都合ですからアメリカ側から見たら好都合としか
いいようないですから。
でもその辺はアメリカ側もニミッツ提督にラストで「我々は運がよかっただけだ」
と言わせて日本軍の面目を保っている。
しかしこの映画を見るとどう見たって日本軍の索敵不十分、日本側の希望的観測
による状況判断が多すぎるように思う。
仮にミッドウエイで負けなくてもいつかは負けたでしょうね、あんなやり方では。


でお目当ての「太平洋の嵐」の流用シーン、わかっただけでも記して置きます。

山口多門が飛龍艦橋から甲板の兵士に敬礼するところ。(太平洋の嵐)
南雲が赤城到着で艦橋から甲板の兵士に敬礼するところ。(ミッドウエイ)

機動部隊が広島を出航するシーンで見送る漁船、及びそれに答える兵士。(ミッドウエイ、太平洋の嵐同じ)

ハワイ攻撃に向けて発進時に夏木陽介が甲板登るところ、
及びパイロットが各機に散らばるシーン(太平洋の嵐)
ミッドウエイに向けての発進時の甲板のシーン(ミッドウエイ)

魚雷から爆弾装備に変更するシーン(ミッドウエイ、太平洋の嵐)

機動部隊が攻撃され、それを見る兵士達。及び燃え上がる赤城、加賀、蒼龍のカット。
このとき「ミッドウエイ」でも夏木陽介、西条康彦がはっきりと認識できる。

はっきりわかったのはこのくらいかなあ。攻撃シーンも数カットあると
思いますが、むしろ「トラトラトラ」のほうが多かったですね。
やはり「太平洋の嵐」はスケール的に優れていたんですね。
飛龍の実物大セットも作ったそうですから。


(このページのトップへ)

モスラ


日時 2002年3月21日18:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
昭和36年7月30日封切り

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)

美しい映画だ。

アメリカの核実験、アメリカ大国主義批判と見る向きもあり
もちろんその意見も否定しないけど、それよりも
「大自然を荒らす人間のわがままに対する自然の復讐」
が根底にある思想だろう。

小美人を捕まえたネルソンを批判しながらもネルソンの
小美人興行は連日超満員。
捕まえたネルソンも悪いが、見方によってはそれを面白がって見にくる
日本人も同じ穴のムジナだ。
そしてニューカーク市に逃げたネルソンをリンチ寸前まで追い詰める
ロリシカ人たち。
彼らがネルソンを追い詰めるのはネルソンが小美人を捕まえたからではない。
モスラがニューカークを襲うからだ。
人間というのはつくづく手前勝手なものだなあ。
それに比べて「モスラに善悪はわかりません。ただ私達を助けにくる本能が
あるだけ」というモスラの方がよっぽど純粋だ。
人間の振りかざす一見正義に見えるものが、実は人間のエゴの一つの形でしかない。

それをザ・ピーナッツ(よく考えるとよく出演してくれたなあ。
子供向き映画と馬鹿にされがちな時代に)の小美人、モスラという
極彩色の彩りを持った美しい怪獣を使って表現した怪獣映画の名作だ。

怪獣というと昔の恐竜のイメージから来ているのでどうしても
単色の色的には美しくない生き物になりがち。
それを蛾の怪獣というカラフルな動物を起用し、また卵、幼虫、繭、成虫と
変化し、形的にも飽きがこない。

幼虫のモスラがダムを襲い、避難する親子が落とした赤ちゃんのかごを
今にも流されんとする橋からフランキー堺が救出するシーンの息詰まること!
フランキー堺に降りかかる水しぶきがサスペンスを盛り上げる。
また幼虫による東京破壊、続く東京タワーに作った繭のシーン。
特に東京タワーの繭の中で動くモスラ、それを手前で見る群衆のシーンは
あまりの美しさにため息がでた。
特撮史上の名カットだ。

そして成虫になったモスラによるニューカークの破壊。
20年以上前に日劇で見たときは唐突に感じたニューカークへの移動だが
(以前見たときは初期のシナリオどうり、阿蘇山の方がよいと思ったのだが)
今度見たときは違和感がなかった。
ニューヨークという都市が以前より身近に感じるようになったせいだろうか?
また以前見たプリントではモスラの孵化シーンがごっそり抜けている
プリントだったが、今回のプリントではちゃんと見られて満足だった。

ゴジラと並ぶ怪獣映画の名作だ。



(このページのトップへ)

怪獣総進撃


日時 2002年3月21日16:15〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
昭和43年8月1日封切り

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)

ゴジラたち怪獣は小笠原諸島にある怪獣ランドで生活していた。
しかしキラーク星人の襲撃によりゴジラたちは世界の都市を破壊し始める。
キラークの基地が月にあると知った防衛軍は月基地を攻撃、キラーク星人の
支配下にある怪獣を取り返す。
またキラーク星人の新たな基地が伊豆にあると知った防衛軍は
ゴジラ以下すべての怪獣を伊豆に向かわせる。
その時キラーク星人に操られたキングギドラが現れた。
地球の運命やいかに?!

いや楽しかった。
後期のゴジラ作品は「恐怖がなくなった」とか「子供向けになった」
などという批判もあり、私もそれに同調していたので「モスラ対ゴジラ」
以降はほとんど無視していたのだが、あらためて見直してみると
ゴジラは脇役に徹していて、これは「地球防衛軍」「宇宙大戦争」から
の伝統である宇宙人侵略ものなのだ。

そういう風にみるとこの作品の評価も変わってくる。
ゴジラに反核のテーマがなくなったなどと思ってはいけない。
宇宙人侵略SFにゴジラがゲスト出演してると考えて考察するのが
正しい見方だと思う。
そして怪獣オールスターズの登場はまるで「日本のいちばん長い日」を
見るがごとき壮観な眺めだ。

ゴジラ、モスラ、マンダらによる東京襲撃、ラストのキラーク星人の
手先になったキングギドラ対、ゴジラ、モスラ(幼虫)、ラドン、ミニラ、
バラゴン、バラン、マンダ、ゴロウザウルス、クモンガの一斉攻撃は見ていて
楽しくなり思わず頬も緩んでしまう。事実劇場内で私はニヤニヤ笑っていた。
(しかもTV中継の形でアナウンサーの実況中継も入るのだよ)
怪獣対戦ものも1対1だとどうしても画的にワンパターンになりがちだが
これほど個性ある怪獣が勢ぞろいだもの。画的にも飽きがこない。

畳み掛けるスペクタクル、この楽しさはなかなか他では味わえない。

出演も久保明、田崎潤、佐原健二、土屋義男という東宝特撮映画の常連の面々。

この映画のあと、「オール怪獣大進撃」という子供の夢の中に怪獣が
登場する作品があり、それを最後に本多=円谷チームはゴジラを離れ、
本多演出ではない、ゴジラ映画が始まる。
豪華出演陣による大型ゴジラ出演映画はこれが最後となった。
東宝特撮の1つの時代の終焉となる作品といっていい。




(このページのトップへ)

獣人雪男


日時 2002年3月16日19:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
昭和30年8月14日封切り

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)

タイトルからするとあくの怪獣みたいな雪男が人間を襲うという内容を
想像しがちだが全然違う。

雪山で大学の山岳部のメンバー(宝田明、河内桃子、堺左千夫ら)の中の二人が
遭難した。
春になって遭難したメンバーの捜索が行われる。
捜索するうちに地図には載っていない部落も見つかり
その部落の人々が守り神としてあがめている雪男の存在が明らかになる。
しかし雪男を追ってやってきたのは宝田明たちの一行だけでなく、
小杉義男の興行師たちもやってきた。
興行師たちは雪男を捕まえて連れ去ろうとするが・・・・・・


雪男は本来おとなしい性格で人間を助けたりすることも多い。
雪男が人間を襲うのは、小杉義男の興行師が雪男の
子供を殺したり自分達を捕まえようとしたためだ。
そして中村哲郎の動物学者によって雪男が人間を襲う理由の一つに
仲間を無くした(他の雪男は毒キノコを食べたことにより死滅したらしい)
寂しさゆえの行動では?と結論づけている。

つまり雪男は悪役ではなく、善人なのだ。
興行師により悪役にならざるを得なくなっただけなのだ。

秘境の怪物を興行師が見世物にしようとする話は米映画「キングコング」に前半の
島のシーンのリメイクともいえるのではないか。
登場するのもキングコングのミニチュア版みたいな奴だし。

そして怪物雪男を単なる怪物としない思想はゴジラを始めとする怪獣映画の
基本となる「自然界を侵略する人間に対する自然の復讐」という考えだ。
円谷=本多チームの作品群の根底の思想はこの作品も決して例外ではない。

いろいろ事情があってビデオ化されたないから幻扱いされてる本作品。
でも正直言って「それほど目くじら立てる作品かあ」という気になった。
幻扱いになってる作品だから、評価のみが一人歩きしてる気が強いが、
はっきり言ってそれほどの作品ではありません、私の意見としては。


(このページのトップへ)

電送人間


日時 2002年3月16日17:50〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 福田純
昭和35年4月10日封切り

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)

この映画、見たことがあるような気がしていたが、やっぱり見ていなかった。
円谷関連本をたくさん読んでるうちに勘違いしたらしい。

一言で言って「電送人間」役の中丸忠雄氏の代表作、というか強烈に
印象に残るのだよ。
恐かったなあ。

でも終戦直前の軍の金塊の横領を計画する上官を責めて逆に殺された
という電送人間・須藤の心情説明があまりないため、
単なる復讐ものになっているのが残念。
ガス人間の土屋嘉男ほど変体人間の哀しみみたいなものが伝わってこないのだ。
もう少し彼の愛国心、正義感からくる元の上官、河津清三郎、堺左千夫らへの
復讐心が描かれていれば作品の印象もだいぶ違ったのでは?

この辺は本多猪四郎とは違って福田純は単純なアクションものにしたかったのかも
知れない。
まあ福田純も後期のゴジラ作品や「惑星大戦争」という怪作を作っているのだけれど、
どうも作品の評価は高くないような気がする。
この辺は特撮SFに対する考え方の違いがあったのだろう。

また鶴田浩二は浮いていた。
鶴田が特撮SFに出たのはこれ一本。多分本人もやる気がなかったことだろう。
似合わないもん。


余談になるが戦争中の物資の横領をめぐる復讐というのは「怪奇大作戦・恐怖の電話」
でも扱われ、電波を使った犯罪というのは「同・死を呼ぶ電波」の原型と
いえるような気がする。

(このページのトップへ)

透明人間


日時 2002年3月16日16:25〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 小田基義
昭和29年12月29日封切り

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)

透明人間、SFのテーマとしては古典だし、特撮ものの原点だ。
でもこの映画を最後に東宝では透明人間ものは撮っていない。
案外面白くないのかも知れない。
なんてたって主人公が写らないのだから。

透明人間の存在が図らずも世間に知られてしまい、
その名を語ったギャング団が現れる。
だが本物の透明人間の存在に気付いた新聞記者(土屋嘉男)と
本物の透明人間がニセ透明人間のギャング団を追い詰めるというお話。

でも覆面をした男達が「透明人間だ」と名乗って強盗を働くというのも
なんとも間抜けな話、そんなことしなくてもいいじゃん、だって透明人間なんだから。
このあたり根本的にストーリーに無理がある。

でも見せ場は透明人間がその正体を感づかれ普段しているピエロの格好を
脱いで透明な姿をさらすところ。
マスク合成の見せ場だ。
それを見せている相手が土屋嘉男の新聞記者なので、後の「ガス人間第1号」
で同様のシーンを逆に土屋が新聞記者の前でやるのを考えると
楽屋落ち的だがなんだかおかしかった。

あと惜しいのは盲目の少女。
目が見えないので「いる人がだれか空気で解る」という彼女をうまく
活かせば、彼女の前では透明に成ってもその存在がわかってしまうという弱点になり
もう少しストーリーを盛り上げることが出来たのではないか。
残念。

でもラストのギャング団との対決でピストルの弾が石油タンクに当たって
炎上するのだが、画的には豪華だけどストーリー的に無意味なので
結果的に唐突にしか成らなかった。

大映に「透明人間現る」「透明人間と蝿男」なる作品がある。
是非今度見てみたい。



(このページのトップへ)

ゴジラの逆襲

日時 2002年3月10日18:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 小田基義
昭和30年4月24日封切り

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


よくも悪くも第1作の「ゴジラ」とは作風が違う。

第1作がホラータッチであり、志村喬の山根博士や平田昭彦の
芹沢博士の苦悩のドラマであったのに対し、こちらは実にアクション調。

先の「ゴジラ」ではゴジラの全体像をなかなかあらわさなかったのに対し、
こちらでは始まって数分間で島で戦うゴジラとアンギラスの姿となり、
前半のクライマックスの大阪上陸は30分ほどで始まるのだ。

大阪城の対決シーンではゴジラとアンギラスの動きが、後の作品と比べても
随分とスピーディであり、のっしのっしという重量感はなく
軽快な動きをしている。
怪獣のシーンは普通ハイスピードで撮影されるが、このスピードが
第1作とは明らかに違うのだろう。
このあたり、第1作とは同じことをしてもしようがないと演出方針の
変更だったと推察される。

またアンギラスも大阪城で倒されてしまい、残るはゴジラのみ。
後のシリーズでは最後は怪獣同士の決戦になるのに対し、
随分と違っている。
最後のクライマックスは北海道にやってきたセスナ乗りの主人公達
(小泉博と千秋実)が再びゴジラと遭遇し、自衛隊と協力して
「ゴジラ雪崩埋没作戦」を実行する。

このあたりの主人公がセスナのパイロットであり、民間人と自衛隊が
協力して怪獣を倒すという路線は後のテレビの「ウルトラQ」に
引き継がれてるのかなとそんな気がしました。


(このページのトップへ)

ゴジラ


日時 2002年3月10日16:35〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 本多猪四郎
昭和29年11月3日封切り

今回の円谷英二特集上映作品、タイムテーブルはこちら
(但し各回定員入れ替え制ですので、一日に2、3作品上映する日が
ありますが、1作品毎に入場料は別になります。ご注意!)


この映画を観るのは何年ぶりだろう。
ひょっとしたら劇場でちゃんと観るのは20年ぶりぐらいではないか?

にもかかわらず実によく憶えていた。
ストーリーの細部、登場人物たちのしぐさ(志村喬が国会で答弁する時
ネクタイを直す所など)まで驚くほど憶えていた。
多分円谷研究関連本をよく読んだり、新作ゴジラが公開されるたび
この作品のことはどこかで話題になるので記憶が掘り起こされることも
多かったのだろう。

世紀の名作だし、もうたくさんの人がこの作品について語っているので
いまさら僕が語ることなど残ってないのだけれど、自分としては今回観ていて
気付いたことがあった。

それは意外とゴジラの登場シーンが少ないこと、そしてカメラアングルが
人間の視点で撮られてるカットが思ったより多いのだ。
ゴジラは東京上陸(映画が始まって約1時間後)まで全身をあらわすことは
ほとんどないし、それまでは足だけとか尻尾だけのカットが非常に多い。
ゴジラが写ってるカットのうち半分は顔は映ってないような気がする。
97分の作品中、15分ぐらいしかゴジラの出演シーンはなかったのではないか?
なんかそのぐらい出演シーンが少ないのだ。

アングルにしても建物の隙間から見えるゴジラの足だけとか、
人間の目の高さから見上げたゴジラとか、後の対決ものの作品とは
演出プランが異なってる感じがするのだ。
また全体として人物のゴジラを見た表情、リアクションが中心で
ホラー作品っぽい演出がしてある。
道理で恐かったわけだ。

また国会での「ゴジラの存在を公表すれば国内の混乱だけでなく
国際的な大問題になる」と与党側が発言すれば野党議員(菅井きん、これが
今観ると辻元清美に似ている)「何を言うか!重大だから公表すべきだ!」
と反論したり、病院でゴジラの被害者の姿を延々と写したり、
陳情団が「(ゴジラの被害に対する)補償問題はどうなってるんだ」と発言したり、
殺到するマスコミなど、「実際にゴジラが現れたら世の中の対応はどうか」という描写が
実にリアルというか社会派作品みたいなんだな。

このあたりは後の怪獣決戦を中心とした作品とはシナリオの構成が大きく
異なってるように思う。
この辺が第1作「ゴジラ」を名作たらしめてる所以だな。
あらためて気がついた。


(このページのトップへ)

国定忠治


日時 2002年3月9日27:00〜
場所 浅草東宝
監督 谷口千吉

何の予備知識もなく、同時上映されたからたまたま見たんだけど、
主演が三船敏郎ならいかにもって感じなのでいやだなあと
思ってみたらやっぱり三船だった。
清水の次郎長と並んで有名なヤクザの親分の国定忠治の物語。

忠治の子分には加東大介、夏木陽介、藤木悠、あと丹波哲郎。
悪代官に藤田進、忠治の父に世話になったが今は
十手持ちになった男に東野英治郎。

折角の丹波、三船のめずらしい共演だが(意外と観たことがないのだ)
丹波は子分の一人として出てくるがあんまり活躍せず、見せ場がないのが残念。
調べてみたら新東宝をやめ、東映で活躍する前の作品で、まだまだ
スターになる前の作品だった。
この作品に出たのは38歳、東映で人気が出てくるのは40過ぎ、
風格が出てくるのは50過ぎなのだから遅咲きの人だったのだなあ。

よくコント、浪曲で使われた「赤城の山も今宵限りか。可愛い子分の
てめえたちとも・・・・」のシーンは、多分悪代官を討ち取るために
いったんこもった赤城山を降りる時の場面なのだろう。
でも三船はこのセリフは言わなかった。
それを言ってくれたら多少は面白かったと思うが、時代劇に興味の少ない
私には見る価値の少ない作品だった。

(このページのトップへ)

独立機関銃隊未だ射撃中


日時 2002年3月9日25:20〜
場所 浅草東宝
監督 谷口千吉

「独立〜」とタイトルにつくが「独立愚連隊シリーズ」ではない渋い戦争映画。
昭和20年8月、終戦間近のソ満国境付近の「キー8」と呼ばれる
機関銃配備のトーチカの5人の兵隊の物語。
分隊長の三橋達也、農民出身の佐藤允、大学出のインテリの太刀川寛、
3年兵だがいざとなったら臆病で震えてるだけの堺左千夫、
そして配属されたばかりの少年兵。

物語はトーチカとその周辺でのみ進行する実に濃密な構成だ。
特に機関銃への弾こめ、撃つのは引き金を引くのではなく、
機関銃の後部についているボタンを押す、吐き出される薬莢、
スコープの照準を合わせるカットなど実に写実的でリアル。

まるで自分もトーチカの内部にいるような気がしてくる。

トーチカ内部は暗く、夜間などピンスポットで浮かび上がった人物の
画は実に美しい。
また戦闘シーンになってからも戦車を爆破するため、地雷に紐をつけ、
戦車の前に投げてから紐を引いてキャタピラの下に持ってこようとする
シーンなど実戦を研究した上での描写だろう。

トーチカに火炎放射器を打ち込む敵、敵の照明弾を下から見上げるカット、
敵の投降を呼びかける放送に使われる東京音頭、その放送に
したがい投降しようとする太刀川寛、手を銃で撃って病院に逃げようと
する堺左千夫、いざとなったらの時のために自決の方法を少年兵に
教える三橋達也、いよいよトーチカに敵が進入したとき
今まで姿が見えなかった敵と対峙したときの少年兵の衝撃など
トーチカの戦争ってこうだったのかなあと思わせる臨場感がある。

最後に生き残った太刀川寛がトーチカがやられた後の戦場に出て
ゆりの花を見て感動するあたりはややセンチメンタルすぎるきらいは
あるが全体として面白かった。秀作。

名画座めぐりはこういった掘り出し物を見つける瞬間が楽しい。

(このページのトップへ)

やま猫作戦


日時 2002年3月9日23:35〜
場所 浅草東宝
監督 谷口千吉

先日の「暗黒街特集」に続いての浅草東宝オールナイト。
岡本喜八監督以外の「独立愚連隊シリーズ」は初めてだ。

佐藤允も登場するが主演ではなく助演。
主演は新任の二人の将校、平良少尉(伊吹剛)と若菜少尉(夏木陽介)。

だが岡本作品のようなユーモアはなく、割とマジに戦争映画している。
佐藤允も岡本作品での「軍隊ってものは、はなから信用してねえんで」
という態度もあまりなく、少しノリが違う。

またいつもは3枚目役の多い堺左千夫がめずらしく悪役で
「日本軍をおびき出す手紙を書け」と焼けた火箸を佐藤允に突きつけて
脅すところなどいつもと違って凄みがあり面白い。
その火箸を佐藤允がぎゅっと握り、わざと手を火傷させ
「これで手紙は書けなくなった」と笑い出すところが痛々しい。
この辺の痛々しさも岡本作品とは違う気がする。

あと捕虜になった3人が監獄から「平良少尉が自決したから埋葬させてくれ」と
訴えるのだが、念のため堺左千夫が、床に寝て毛布がかけられている平良少尉を
撃つのだよ。あれ、どうなるんだ?と思ったら平良少尉にかかっていた毛布を
めくると少尉の体は土の中に埋まっており、顔だけを突き出していて
毛布の下の体に見えた部分は土盛の上に毛布をかぶせてあるだけでした。
このアイデアは面白かった。

でも最後の戦闘で佐藤允が撃たれて死んじゃうんだな。
ひょっとしたら何かの仕掛けのおかげで助かっていて
最後にむっくり起き上がるんじゃないかと期待したがやっぱり
死んでしまいました。う〜ん残念。

他の出演は平良少尉の恋人役に水野久美、ゲリラの将軍に田崎潤。
でも水野久美、このころの娯楽映画には浜美枝と並んでよく出演しているなあ。
女優特集なんかで上映されるような作品には出てない人だけど、
その60年代東宝娯楽作品には欠かせない存在は評価したいですね。




(このページのトップへ)

カタクリ家の幸福

(公式HPへ)

日時 2002年3月3日18:40〜
場所 シネリーブル池袋2
監督 三池崇史

面白かった。
ジュリー、松坂慶子、丹波哲郎、武田真治という文字通り
これ以上望むべくもない豪華キャスト。
制作費安そうだけど、これだけの役者がどうして集められたのか。

オープニングのスープから死神(?)が登場するあたりの数分間が
三池監督らしいグロな幹事で抵抗があるのだが、後はブラックジョーク満載の
ミュージカルコメディ。

安っぽそうなミュージカルだがかえってこの場合いい。
踊れる役者をキャスティングして大まじめにミュージカルをやったら
(私には)かえって面白くなかったと思う。

ジュリー、松坂、丹波、武田が歌う、踊る。
ジュリーも松坂も全盛期に比べて声の衰えが全くない。
あの張りのあるボーカルで「勝手にしやがれ」のセルフパロディさながらの
ミュージカルシーンは素晴らしい。
丹波御大も78歳(!)の歳など関係なく、ステップの軽いこと軽いこと。
「砂の器」などの重厚な演技だけでなく、こういったユーモラスな演技が出来るところが
彼の芸の広いところだ。
武田真治、ベテランに混じって伸びやかな踊りを披露してくれる。

おっと忘れちゃいけないキヨシロー。
イギリス王家の血を引くアメリカ軍人などというコントみたいな設定で
楽しませてくれる。

ラストの火山の噴火でながされた家の前で一家そろって踊るシーンは
日本映画史上の名シーンとして記憶されるべき。

今回、劇場も小さく、ひっそりと公開された感があるけど、
カルト的作品として長ーく語り継がれるんじゃないかなあ、
そんな気がします。




(このページのトップへ)

ソウル

(公式HPへ)


日時 2002年3月2日18:55〜
場所 新宿コマ東宝
監督 長澤雅彦

もう少しで面白くなりそうな映画だったが(多分製作者と私の意見の相違から)
惜しい出来で終ってしまった。

なんといっても長瀬智也。
彼は2001年、フジの「ムコ殿」で婿養子になる人気シンガーソングライター
という2枚目半な役を好演し、役者としても私は買っていた。
今回はハードなアクション映画。
「ムコ殿」のような2枚目半的な演技、設定は「ここでは」不要なのだ。
(オープニングから「飛行機に乗れねー」といいながら両手にお土産を
もって走っているのだ)

へなへなした頼りなさそうな刑事、(いま日本の若手男優に多いタイプなのだが)
それに比べて韓国側の主役のチェ・ミンスを始めとする男優の男気!
「日本には兵役がないからだ」というセリフがあるが、
へなへなした2枚目半しか出来ない日本男優にも問題はあるし、
それをそのまま演じさせてしまった製作者側の問題でもある。
いやむしろ長瀬はその野性的なマスク、長身な体型から硬派な役も演じられると
期待していただけに惜しかった。

次に韓日問題。
途中、屋台の老人と知り合いになりその老人が日本語を話すので
長瀬が不思議に思うと「私達の世代は大抵日本語を話せる」と答える。
もちろん20世紀前半の「日韓併合」のせいなのだが、
ところがその辺はまったく触れられていない。
長瀬ファンの若い女の子など日韓併合の歴史問題など知らない可能性が高い。
だからこそここでそれを触れるべきではなかったのか?
韓国人の日本に対する複雑な感情をドラマに織り込めるチャンスの
シーンだった筈だ。
政治的にいろいろあるから避けたということであれば、先の老人の
セリフはかえって不要だ。

ラストのアクション。
犯人グループが最後はバスジャックをするのだが、このあたりのたたみかけが
少しもたつきすぎ。
もう少し刈り込んだほうがすっきりまとまったのでは?

そしてラストシーン。
再び飛行機に乗り遅れた長瀬だが、韓国側が感謝の意をこめて
特別機を用意してくれる。
今まで一緒に捜査した刑事達が駐機場で一列に並び敬礼して見送ってくれる。
ここで長瀬は答礼しなければならない筈なのだが、両手にお土産いっぱいなので
答礼できないのだ。
礼儀を重んじる韓国人に対してこれほど失礼極まりない行為はない。
さらにぶち壊しのラストカット。
駐機場で飛行機の真下に立った長瀬だがタラップがなく、「これどうやって乗るの?」
という長瀬のアップでクレジット。
何度も言うけど本来硬派なアクション映画であるべき企画でこういうオチは不要なのだ。

問題点ばかり指摘したが、頻発する小額な現金強奪事件、日本の外相の誘拐、
少なすぎる身代金、突然のウォンから円への両替などがあり、「犯人達の真意は?」
というミステリーアクションとしてストーリーはよく出来ていただけに
設定、演出の詰めの甘さ作品を壊したのは残念。

あと一歩で(僕の評価では)名作になった作品だった。
実に惜しい。


(このページのトップへ)

ベニスに死す


日時 2002年3月2日14:45〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 ルキノ・ビスコンティ
1971年作品

実は私はこの映画は知っていたが観た事はなかった。
見終わった今、この映画を今まで見てなかったことは私の人生の
恥の一つとなった。

よく「女の子のように美しい少年」という言い方をする。
しかし私はこの言い方を好まない。
少女の美と少年の美は本来別物だ。

実に美しい映画だ。
色彩の美しさ、貴族階級の衣装の華やかさ、いやいやそんな細かい技術的な
ことをグダグダ語る必要などない。
もちろん重要な要素だが、そんな計算ではなしえない絶対的な美しさが存在する。

タジオ。(ビョルン・アンドレセン)
神秘的な美しさ。
彼は時々主人公の作曲家アシェンバハに微笑む。
しかし、その微笑みは友愛のしるしにも、誘惑の微笑みにも
嘲笑の表情にも見える。
病気の作曲家にはその微笑みの真意がわからない。
「そんな笑顔を他人に見せるな」とまでつぶやかせてしまう。

海岸のタジオ、夕食会での水兵服のタジオ、消毒のためか焼かれた終末期的な
風景の中でのタジオ。
タジオの存在が作曲家の死への恐怖、自分の作品への自信のぐらつき、疫病に対する恐れ、
若さや美しさへのあこがれを増幅させてしまう。
タジオの悪魔的な美しさは作曲家へ脅威を与え、彼はタジオの美しさを恐れ、
自分の内面も外面も含めた情けなさに打ちひしがれていく。

そして生きる希望すらなくしてしまう。
しかし彼にとって最期は幸福だったろう。
太陽と青空と海という自然の美しさの中に立つ美少年という究極の美しさを見ながら
息絶えるのだ。
人生の終末としてこれ以上望むものはない。


まだこの映画を見た興奮から私はさめていない。
まだまだこの映画を理解できていない気がする。
もう数回みたい。
その時にあらためてゆっくり語ってみたい。
そんな気にさせる映画だ。名作。


(このページのトップへ)