2004年5月

虹男 トンチンカン
怪盗火の玉小僧
イチかバチか
馬鹿と鋏 三匹の狸 ロスト・イン・
トランスレーション
CASSHERN
飢餓海峡 大東亜戦争と
国際裁判
キル・ビルVol2 死に花
消防決死隊 新・事件記者
殺意の丘
新・事件記者
大都会の罠
クレヨンしんちゃん
嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ

虹男


日時 2004年5月30日
場所 録画DVD
監督 牛原虚彦
製作 昭和24年(1949年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


戦前からある旧家、摩耶家の別荘が火事になり、焼死体が発見され摩耶家の娘に
容疑がかかる。
しかしその娘の旧友で今は新聞記者の主人公は捜査に乗り出す。
物語の舞台は東京の摩耶家に移るがこの家の人々はみんな変わっている。
そしてこの家は虹にたたられているのだという。
摩耶家のばあや(浦辺粂子)は「虹に襲われる」というような意味不明のことを
電話で言い残して死んでいった。
次々と起こる連続殺人事件。犯人は誰か??

虹男とはいったい何ぞや?という疑問がわく。
蠅男とか透明人間なら怪奇人間としてなんだかイメージがわくのだが
虹男ではさっぱりわからない。
それもそのはず、実態がないのだ。

連続して起こる殺人事件の被害者たちは「虹だ!虹だ!」と叫びながら
狂って死んでいく。
そしてその狂気の瞬間に白黒の画面がぱっと鮮やかなカラーになって
レインボーのストライプが画面いっぱいに広がる。
それだけである。

今見ると面白くもなんともないのだが、製作は昭和24年。
日本ではまだカラー映画がなかった時代だ。
(オールカラーの初の長編映画「カルメン故郷に帰る」は昭和26年だ)
要するにカラーそのものが珍しかったし、カラーが一種の「特撮」だった
時代の映画なのですね、きっと。

だから映画そのものの内容が先にあったのではなく、虹色のストライプを
映画に盛り込むことが重要だったのだろう。

もう製作部長あたりが「今度カラーフィルムを取り入れた子供向けの
映画を作ろうと思う。何がいいかな?色がいろいろきれいにあるのが
いいから、やっぱり虹だな。タイトルは「怪奇虹男」だ!」
製作課長「あのどういう内容の映画なんですか?」
部長「内容なんかどうでもいい。虹がでてくりゃいいんだよ。
透明人間とか蠅男とか怪奇物だからとにかくタイトルは虹男だ!
細かいことは任せる」
課長「はぁぁぁぁ・・・・・」
といった会話から映画がスタートしたんじゃないかと思う。

根拠ないけど、とにかく映画中に虹が出てくれば内容は二の次だったんだと
思う。
そういう映画です。
なお他の出演は主人公の恋人みたいな他社の新聞記者役で小林桂樹。
音楽は後に「ゴジラ」で有名になる伊福部昭。この頃から伊福部節全開だ。



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トンチンカン 怪盗火の玉小僧


日時 2004年5月29日27:45〜
場所 浅草東宝
監督 斎藤寅次郎
製作 昭和28年(1953年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


本日の伴淳特集の最後、そして私の本日5本目のこの映画、正直言って
かなり寝ました。
だからあんまりこの映画については語る資格がないです。

江戸の町では近頃火の玉小僧と称される義賊がいた。豪商などの蔵から
小判を盗み、貧しい人々に分け与えてるのだという。
しかも人相書きによればなかなかの男前らしい。
町娘たちの間では「火の玉小僧さんだったら私どこまでもついていくわ〜〜〜」
などといわれるくらいの大人気。
さてその正体は?

映画は瓦版屋か十手持ちが火の玉小僧の人相書きを配っているところから
はじまる。
「誰も火の玉小僧の顔を見たことがないんですよ」
「見たことないのにどうして人相書きが出来るの?」
「だから口元だけ見た人の話や、目元だけ見た人の話や鼻を見た人の
話を組み合わせたんでさあ」「じゃ、この人相書きは想像ってわけかい」
と言った感じでコメディではじまる。

で町娘たちが「いい男だねえ」って誉めまくるんだけどそれもそのはず
火の玉小僧は女なのだ。
この映画、宝塚映画の製作。
つまり演じているのは当時の宝塚のメンバーなわけですから
宝塚らしい男装の美女が登場するのですね。

宝塚映画といえば東宝の映画製作の子会社というイメージがあったが
元は宝塚スターを使った映画を作るのが専門だったわけだ。
実を言うとこの辺の事情、この映画を見て初めて理解しました。
そういう意味では勉強になりました。

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イチかバチか


日時 2004年5月29日25:50〜
場所 浅草東宝
監督 川島雄三
製作 昭和38年(1963年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ケチでワンマンで知られる南海製鋼の社長、島千蔵(伴淳三郎)は
自身の私財200億を投げ出して不況の鉄鋼業界を打破すべく
新工場建設という大勝負に出ることにする。
その計画のためにかつての親友の息子、北野真一(高島忠夫)を入社させ
新工場建設の任にあたらせる。そこへ愛知県の地方都市、東三市の市長
大田原(ハナ肇)が是非にと工場誘致を持ちかけてくる。
果たしてこの大田原、信用できる男なのか?

なんの予備知識もなく見たのだが、オープニングのクレジットタイトルで
原作・城山三郎、脚本・菊島隆三と知って俄然期待度が高くなった。
コメディっぽい展開にはなっているが、城山三郎らしい企業ものだ。

但しオープニングで伴淳が銀行から30億の定期預金を引き出し
「この金で大勝負をするのだ」というところからはじまるので
工場を作ってその工場をどう活用させるのか?に話の中心が行くのかと
思っていたら映画は工場そのものをどこに誘致するかの話。

だから映画が進むに連れて主人公はどちらかというと工場誘致を執拗に迫る
大田原になってしまう。
この辺に映画の構成の計算違いを感じてしまうが、その辺を目をつぶれば
なかなかの出来。

北野が東三市に乗り込んで評判を調べるにつれ、大田原という男が
信用できなくなる。しかしかといって工場誘致反対派の市会議員・松永
(山茶花究)が信用できるわけでもなく、工場建設はどうなる?
という点で物語を引っ張り、個性の強い島、大田原のユニークさが映画を
彩る。

ラストの市役所の抗議集会で市役所の戸籍係で谷啓がノンクレジットで登場。
(ちなみのこの市役所、僕の生まれ故郷の市役所に似ていたが多分違うみたい。
当時の市役所はみんなあんな感じの建物が多かったのか?最初見たときは
ドキッとした)
また労働組合の委員として田部謙造、小川安三、二瓶正也。

予備知識なしで見て期待がなかった分、余計に面白かった。


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馬鹿と鋏


日時 2004年5月29日24:10〜
場所 浅草東宝
監督 谷口千吉
製作 昭和40年(1965年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


「三匹の狸」に続いての上映。
詐欺師トリオの話で伴淳と小沢昭一は同じ、あと一人が
若手の2枚目で今度は宝田明ではなく高島忠夫。
「三匹の狸」と同じような映画で続編というか姉妹編。
もっとも後で調べたらこっちの方が「三匹の狸」より
製作は1年早いのだが。

伴淳が刑務所から出るところから話は始まるが
刑務所に入る前にバーのマダム(池内淳子)に預けておいた
金を使われてしまい、その仕返しに銀座に店を引っ越させようとして
敷金などを騙し取るエピソードからスタート。
で最後は新空港建設の土地買収がらみの儲け話を代議士(進藤英太郎)の名前を使って
各企業に持ちかけまんまと数億の金を集める。

だがせっかく集めたその金は進藤英太郎に雇われたやくざ(田崎潤)に巻き上げられてしまう。
田崎潤が伴淳たちに「これで自棄酒でも飲みな」と1万円札の札束のうちのひとつを
投げるが「うるせい」と高島忠夫が窓の外に投げる。
それを拾った子供が届けようと警官を伴って伴淳たちの部屋に入りつかまってしまう。
このあたりの最後の展開はかなり強引。

主人公たちの悪事が成功するというラストではこの当時はモラルの観点から
出来なかったのかも知れないが、それにしてももっと悪い政治家が捕まらないのでは
まさしく「悪い奴ほどよく眠る」的展開でなんだか後味が悪い。
伴淳たちが捕まるなら進藤英太郎も捕まるようなラストにして欲しかった。

面白さという点ではエピソードも多くテンポがあった「三匹の狸」の方が上だと思う。
ちなみにこの「馬鹿と鋏」と「三匹の狸」の脚本は同じ田波靖男。
クレージー映画や若大将を多く手がけた方だ。


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三匹の狸


日時 2004年5月29日22:35〜
場所 浅草東宝
監督 鈴木英夫
製作 昭和41年(1966年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


浅草東宝オールナイト企画、伴淳三郎特集。
1本目は藤岡弘と共演の「野獣狩り」だったが、こちらは前に見ているので
2本目から見る。
この特集を見に行ったのは、最近お気に入りの鈴木英夫作品がラインアップに
入っているため。
内容は予想通りのありがちな東宝喜劇だったが、そこそこ面白い作品だった。

大物政治家の葬儀場では4人の詐欺師がやってきていた。
香典泥棒の小沢昭一、その盗んだ香典をまたちょろまかす伴淳、めぼしい女性に
声をかけまくる結婚詐欺師の宝田明、ハンドバックを専門に狙う星由里子。
彼らは別の結婚式場でも出会い、悪事が発覚してしまい、一緒に逃亡するうちに
共同で仕事をすることになる。
三匹の狸と一匹の美女、果たしてどうなる?

伴淳三郎、小沢昭一、宝田明のトリオが次々とテンポよく詐欺を行っていく
有り様はなかなか痛快。
電気屋から嫁入り道具の電気製品一式を盗むことから始まり、バーのマダムに
香港から持ち込まれた宝石類を格安で販売するとか(小沢昭一が中国人に扮し、
日活アクションさながらの中国人を演じる)皇族に扮して学習院(映画では
修学院)に裏口入学斡旋詐欺を行っていくあたりは飽きるひまなく
笑わせてくれる。

中でも皇族に扮するあたりは、現在でも「有栖宮事件」などがあり古さを
感じさせない。
鈴木英夫の喜劇は真面目さが先にたってなんだか面白みのないことが
多かったが、これは大いに笑わせてもらった。

しかしラストのエピソード、計画倒産をはかった悪徳大企業社長中村伸郎を
使ってカジノホテルを作るための資金を集める詐欺、小沢昭一が
アメリカからきた黒人企業家に扮したりして笑わせてくれたが、最後には
発覚して全員つかまってしまう。
そして中村伸郎はしっかりカジノで大もうけするというラスト。
なんか悪徳企業家が勝ってしまってハッピーエンドともいえず、
しっくりしないラストだった。


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ロスト・イン・トランスレーション


日時 2004年5月29日15:05〜
場所 渋谷シネマライズ1
監督 ソフィア・コッポラ

(公式HPへ)

一言で言えば「ローマの休日」だった。
映画スターと夫の仕事で東京にやってきた若い人妻が恋愛ごっこを異国の
異世界の中で楽しむというお話だ。彼らは「パークハイアットホテル」という
東京でも最高級のホテルに滞在し、まるでそこは宮殿のようだ。
彼らはその至れりつくせりの世界にいながら、時々下界の「トーキョー」の
小冒険を楽しむ。
それも夜の街ばっかり。よっぽど夜遊びが好きらしい。

そしてすべて英語で通そうとする。
病院にいっても特に困った様子もなく、すべて英語が通じるというスタンスは
崩さない。(他の患者との世間話は通じなかったが、医者との会話は
なんとかなっている)

これがたとえば女性の方が日本文化の研究にやってきたバックパッカーで
お金もなく日本語の勉強をしながら日本人に溶け込もうとするという
異文化交流の内容だったらまったく違った映画になったろうが、
もとよりソフィア・コッポラにはそのような意図はなかったろう。

要は異国で一人になった孤独感と、中年男と若い女性の現実逃避の
恋愛ごっこを「トーキョー」という異世界でファンタジックに描くことが
目的なのだろう。

だから映画としてはそれなりにまとまっていたと言えるのだろが、かといって私にとって
面白かったかというとそういうわけではない。
なんだか外国人のための「トーキョー夜遊びガイド」みたいな映画だった。


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CASSHERN


日時 2004年5月22日18:40〜
場所 新宿ピカデリー2
監督 伊勢谷友介

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70年代のアニメ、「新造人間キャシャーン」の実写映画化。
僕は元のアニメを全く見ていない。もちろんタイトルぐらいは知っていたが
どちらかというと「ウルトラマン」「ウルトラQ」などの怪獣好みだったため
アニメは「宇宙戦艦ヤマト」ぐらいしか見なかったのだ。

さてこの映画は評判が悪い。
「今さらキャシャーンの映画化でもなかろう」とか「CGばかりの映像で
あんなのは映画じゃない」と言ったような。果ては「宇多田ヒカルのだんなが作った
金持ちのお遊び映画」という評判まで聞こえてくる。

私自身も予告編でみた映像は「いかにもCG!」っていう感じで映像のタッチが好みに
あわず、見るのをためらわせるものがあった。実際見ないつもりだったが、ファンだった
三橋達也さんがお亡くなりになり、その遺作となってしまったのでその追悼の意を
込めて見に行った。

あらかじめの先入観のとおりの映像が展開されていき、案の定イヤになる。
加えて描かれる未来世界のイメージがフリッツ・ラングの「メトロポリス」や手塚治虫の
SFマンガを見ているようでそれが「イメージの貧困」に感じられてしまう。
これでもかこれでもかと加工しまくった映像群。
どっちかというと撮り切り映像が好きな私としてはいじりまくった映像を見てるだけで
イヤになってくる。

しかし実は見るべき点はあるのだ!

この作品は「戦争はどうして起こるか」というスケールの大きなテーマを扱ったのだ!
もう宗教的と言っていいほどのスケールの大きさだ。
一応の結論としては「裁くことから戦争がはじまる。何故許しあう事が出来ないのか?」
と言う事だった。
この考えには異論があるかと思うが、自分の周りの狭い人間関係ばかりを素材にする
スケールの小さい映画が横行する日本映画界で評価されるべきことなのだ。

はっきり言って好きか嫌いかで言えば、嫌いな作品だ。
また独特の凝りまくった映像が気に入るか気に入らないかでこの作品への評価は
大きく分かれると思う。
私はどちらかと言えば気に入らないクチだったが、テーマの大きさ、そして独自の
映像タッチを押し切ったという力技は評価に値すべきだろう。
もっとも次回作を撮ったとしても見に行くかどうかは解らないけど。

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飢餓海峡


日時 2004年5月15日10:00〜
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ・アートスクリーン
監督 内田吐夢
製作 昭和39年(1964年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


北海道・岩内の町で質屋の強盗放火事件があり、燃え広がった火は町の
大部分を燃やす大火災となった。
また函館では台風で青函連絡船が沈没し多くの死者が出た。
岩内の強盗犯たち(三国連太郎ら)は函館の混乱に混じって津軽海峡を
渡って内地に逃亡しようとするのだが。

上映時間3時間を越す水上勉原作内田監督の大作だ。
初公開時には2時間半ぐらいにカットされ昭和50年ごろ、ノーカット完全版が
リバイバル公開された。
東映マークの時に「W106方式」と表示されるが、回想シーンなどで
ネガのままのような映像が登場し、その現像方式のこと。
ちなみに「106」というのは内田吐夢の「吐夢=トム=106」と言うところから
来ていると聞いた覚えがある。
私はこのリバイバル時に一度見ているが、このときの感想はだらだらした長い映画で
退屈した、というものだったが、この映画は妙に気になっていて再見した。

殺人事件があって犯人がいて刑事が出てきて、一応ミステリーだが、ミステリーと
してはよい出来とは思わない。

特に後半で事件の犯人が今は舞鶴で実業家として成功している樽見京一郎(三国連太郎)
と解るあたりは被害者・杉戸八重(左幸子)の父(加藤嘉)の「そういえば10年前に
刑事が訪ねてきたことがあった。名前は弓坂と言った」という一言でかなりあっさりと
展開する。

この映画の主題はミステリーというより貧困からの脱出だろう。
殺人犯・樽見の実家を見た刑事は「こんな貧乏な家庭に育つと罪の意識などもたなく
なってしまうのではないか」とまで言わせている。
函館の刑事弓坂(伴淳三郎)の家庭も夕飯の時、丼に芋が入っている入ってないで
子供が喧嘩をはじめる。中盤、女郎を辞めて東京へ出た左幸子はうまくいかず
結局娼婦になってしまう。

貧乏から抜け出すには犯罪に手を染めるしかないというような悲劇が3時間かけて
描かれる。
今の原作発表当時の昭和30年代なら共感を持つ人も多かったかも知れないが
今見ると隔世の感を感じざるを得ない。

しかしこの映画が初見から30年近く経っても見直したかったのはやはり伴淳三郎
の熱演だろう。
執念を持って事件を追い詰める老刑事役はまさにぴたりとはまり、シリアス物での
伴淳三郎の代表作だろう。
そして今回気がついたのは左幸子。
30年前では印象に残らなかったが、三国連太郎が残した爪を頬にあて、彼に
抱かれているのを妄想するかのようなシーンは正しく「女の情念」を
感じさせるものがあった。
この方は「軍旗はためく下に」でもそうだったが、こういった「こうと決めたら
とことんまでやりぬく」といった役が実にはまる。

伴淳、左幸子の名演の前ではさすがの三国も影が薄い。高倉健も若き刑事で
後半登場するが、もっと印象に残らなかった。
伴淳と左幸子の代表作だろう。


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大東亜戦争と国際裁判


日時 2004年5月12日
場所 録画DVD(チャンネルNECO)
監督 小森白
製作 昭和34年(1959年)

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新東宝(アラカン)戦争映画シリーズの1本。
新東宝の戦争映画には欠かせない嵐勘寿郎が東條英機を演じる。

最初の30分は太平洋戦争開戦から終戦まで。
この辺までは実写フィルムとの整合性のため、新たに撮影したシーンもあるが
主に白黒で語られる。

そして東京裁判。
ここからはすべてカラーだが正直言ってこの映画、見る前はほとんど期待はなかった。
監督は凡庸な小森白だし、新東宝のお決まりのようにアラカンが東條では盛り上がりの
ないだらだらした映像を想像していた。

しかしこれが面白かった。
今までみた新東宝戦争映画の中ではいちばん面白かった。
と言ってもその要因は「東京裁判」そのものの面白さ(興味深さ)によるところが
多いのだが。
映画は創作したようなエピソードはほとんどなく、東京裁判の再現ドラマであろうとする。
(もちろん大川某の有名な(?)精神異常をきたして東條の頭をポカンとはたくシーンも
ある)

裁判が始まり日本側弁護団の団長役の佐々木孝丸と連合国(アメリカ側)のキーナン
検事のやり取りが面白い。
日本側弁護団は「日本はポツダム宣言を受諾したのであってポツダム宣言にはなかったような
『平和に対する罪』を裁く権利があるのか」といった問題提起から始まり
「『戦争をする権利』そのものは国際法で認められてるはずだ」「南京大虐殺を非難するなら
アメリカの原爆投下も裁かれるべきだ」と主張する。

キーナン検事と日本側弁護団のまるでマイクを奪い合うかのような舌戦は興味が尽きない。
東京裁判の法廷のセットも立派で見劣りがしないところが真実味が増す。
また小森白の淡々とした演出がかえって必要以上にあおらない結果となり、忠実に
裁判を再現してるかのようだ。
実際の裁判が映画に描かれるようなものだったかそれはわからないが、ドラマ的な
シーンがない分説得力がある。

私個人の考えとしては「アメリカも原爆を落としたのだから南京大虐殺を責められる
べきではない」という考えにはちょっと100%賛成できない。
確かにアメリカが原爆を落としたことが何の罪にも問われないのは問題だとも思うが、
同時にだからといって日本の南京大虐殺が責められなくてもよいとは思わないからだ。
それはそれ、これはこれで別の問題だからだ。
日本が南京大虐殺を行った事は、それは充分に責められるべき問題だと思う。

もっとも日本側弁護団の法廷戦術が間違っていたとは思わない。
彼らは弁護士としてできるだけのことをしただけのことである。

そして最後判決がおり東條英機は絞首刑となる。
もちろん連合国側の判決に疑問を投げかけたインドのパル判事の意見も紹介される。

タイトルどおり「大東亜戦争と国際裁判」を1時間40分で要点だけをまとめた
初心者用入門編。
興味のある方はさらに詳しい映画(小林正樹のドキュメンタリー「東京裁判」や
いろいろ物議をかもし出した伊藤俊也の「プライド・運命の瞬間」)をごらんに
なったり他の本をお読みになるとよいのでは?


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キル・ビル Vol.2


日時 2004年5月9日16:05〜
場所 新宿ピカデリー2
監督 クエンティン・タランティーノ

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昨年公開の「キルビル」の続き。
「Vol2」は「ヴォル・ツゥー」と読んでいいらしい。

「キルビル」の感想を読み返したら、映画そのものよりこの作品が公開された
頃の映画マスコミのはしゃっぎっぷりについての批判をしていた。
今回は前回と変わってそういうはしゃっぎっぷりはなし。
実に静かなもの。この映画のことなんか映画マスコミからは全く忘れ去られて
しまったかのようだ。もっともこの方が自然な気がするが。

もっとも前作に比べ作品自体が地味は地味なのだ。
映画全体が前作ははじけていたが(また日本ロケということもあって)
映画マスコミもはしゃぎやすかっただろうが、今回はネタになりにくい。
前作はタランティーノが好んだ映画のパロディ、というかリメイク、オマージュ
シーンは「死亡遊戯」の黄色いスーツとか小道具的なものが多く、解りやすかったが
今回はそういうわかりやすさは少ない。

その中でも中国での修業シーンが気に入った。
このシーンになると途端に画質が粗くなって色も青みがかる。
もう昔のカンフー映画そのまんまな感じ。その上その中国の師匠が白ひげを
生やしていて、何かセリフを言うとそのひげを触る、というような仕草が
いかにも70年代香港カンフー映画にありがちで大いにニヤニヤ出来た。
(ブレイドが抜いた刀の上に乗ってしまうというような馬鹿馬鹿しさも
70年代香港映画のままだ)

またラストでビルが5歩歩いてからばったり倒れて死ぬというところ、
石井輝男監督の「網走番外地・望郷編」の杉浦直樹を思い出した。
日活アクションの宍戸錠なんかも似たようなことしてたけど、タランティーノは
石井監督のファンだからひょっとしたら元ネタなのかも知れない。

今回のサブタイトル(コピー)が「KILL IS LOVE」とか「THE LOVE STORY」
とかなっているので、ビルとの恋愛になってしまうのか??と心配させたが
これは母性愛の話。
結果的にすんなりまとまっていてよかったと思う。


思うに「日本映画を海外の高名な監督が評価してくれてオマージュ的映画を
作ってくれた」という日本人にはありがちな喜びが前作を過大評価、過小評価させて
しまったのではないか?
この度の「Vol2」はそういう日本映画とは関係ない分、映画マスコミも冷静に
見ることが出来たのでは?
今回の公開ぐらいの取上げられ方のほうがこの映画の身丈にはあってるのではないか?
見終わってそんな感じがした。


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死に花


日時 2004年5月9日13:30〜
場所 新宿スカラ座3
監督 犬童一心

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入会金が9000万円〜2億円という高級老人ホームに住む、山崎努、
宇津井健、青島幸男、谷啓らの老人たち。ある日、死んだ仲間の藤岡琢也が
ノートに書き残したさくらんぼ銀行の金庫を破る計画を知る。
彼らはもう一花咲かせようと俄然張り切る!

主人公たちの住む高級老人ホームに新人介護士として星野真理が着任するところ
からこの映画ははじまる。
そのとき星野真理は「入会金9000万円!なにそれ〜〜〜??」と驚くのだが
同様に私も驚いた。
山崎努らこの映画の主人公たちは随分な金持ちばかりだ。
金銭的なことだけで言えば彼らは充分人生の勝者と言えるだろう。

もっとも星野真理は主人公の金持ちぶりに違和感を憶えたのは最初だけで
あとは山崎努を「タイプ〜〜」と言ったりして馴染んだようだが、私は
終始この主人公たちの金持ちぶりが気になった。

老人たちが集まってもう一度やってやろう!という内容の映画は最近年に1本
ぐらいある。最近では「忘れられない人々」がそうだが、これは市井の老人たちを
主人公にしていた。そんな市井の老人たちが最後の力を振り絞る、という言わば
「敗者復活戦」だったのだが、この映画は違う。
さっきも書いたが充分勝者の物語だ。

主人公たちは金には困っていない。
トンネル掘りに数千万円のウォータージェットが必要となるとあっさりそれを
買ってしまう。
そのお金の出所がすごい。山崎努がもと映画プロデューサーで、「作りたい映画が
あったが、組む予定だった監督も俳優も死んでしまって、金だけが残っていたから」
というもの。そんな奴いるかあ???
撮ってる犬童監督たちもこのセリフに違和感を覚えたなかったのだろうか??

ラスト、(書いちゃうけど)彼らが掘ったトンネルに台風のために水が浸水し
さくらんぼ銀行のビルが傾きだす、というかなりポップな展開を見せる。
ここなどはCGとの合成が立派。だがここまで派手な展開の割には
はじけ方が少なくて残念。
また折角登場した星野真理も活躍のしどころがなくて残念。
肝心の山崎努は松原智恵子と出来てしまったので、もはや星野真理の入り込む
余地がないのだ。

ラスト、盗んだ金を元に武田信玄の埋蔵金を探そうという事になる。
もちろん金そのものが目的でないにせよ、まだ金に絡んだ話に動こうとする老人たち。
「忘れられない人々」は正義のために命を投げ出す老人たちの話だったが、
(森繁久弥の別れた家族の防空壕を発見するというのが真の目的だったという
オチはつくにせよ)この映画は主に金に執着するいやなじいさんたちの話にしか
見えない。

期待していた豪華ベテラン陣の共演だったが、期待ほどではなくややガッカリした。


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消防決死隊


日時 2004年5月8日
場所 録画ビデオ(日本映画専門チャンネル)
監督 田中重雄
製作 昭和26年(1951年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


昭和26年大映製作。タイトルの通り消防士が主人公の映画だ。
消防学校の訓練のシーンから映画はスタート。
はしご車に登る訓練やら4階ぐらいのところから下に飛び降りる訓練など、
激しい映画を予感させる。
主人公の消防士には小林桂樹、根上淳など。

ところが期待に反して激しい火事のシーンはなかなか始まらない。
それどころか小林桂樹や根上淳が同僚の家に遊びに行ったり、引っ込み思案の
根上淳が同僚の妹(三条美紀)に惚れてしまったりする。
根上淳も脈有りと思われたのだが、小林桂樹がその同僚のうちに下宿する事に
なって、根上淳は嫉妬に狂う。

それでもって三条美紀の気持ちが小林桂樹に傾いたと知った根上淳は
消防査察に行ったキャバレーのママに惚れて(何せ遊びを知らないような人だから)
身を持ち崩す。
とそんな感じで三角関係の話ばかりで肝心の火事のスペクタクルシーンは
全くと言っていいほどなし。

で、実は根上淳が惚れたママのキャバレーのオーナーが連続して起こってる
放火強盗犯で・・・・となんだか都合よく話が進む。
本来なら火事のスペクタクル、連続放火犯を追うミステリー、そして消防士たちの
恋と友情という3本立ての豪華娯楽大作にもなりえる設定だが、ミステリー部分はなく
恋と友情もそんなさわやかなものはなく、ひたすら三角関係でひがみまくる男の
話に終始する。

ラストに一応そのキャバレーが燃えるスペクタクルシーンはあるのだが、「小林桂樹の
命を救うために根上淳が犠牲になる」というような盛り上げもなく、ただ火が燃えてるだけ。
大して期待はしていなかったが、実はすごい名作だった、ということも期待しなかった
訳ではなかったので、ちょっと惜しい映画だった。


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新・事件記者 殺意の丘


日時 2004年5月3日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督 井上和男
製作 昭和41年(1966年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ある新興住宅地の別荘で6人の男女の焼死体が発見された。
ひとりはこの家の持ち主とわかったが、5人の身元がはっきりしない。
果たして他殺か?事故死か?

今回の目玉はなんと言っても芦田伸介の登場。
地方版の地元記者としてのゲスト出演。事件が東京の多摩市付近で起こったため
いつもの事件記者の面々が多摩に泊り込みで事件を追うわけだが、
それを手助けする地元の通信員の役どころ。

6人の男女をあるスナックから別荘へ運んだタクシーの運転手を警察が
マークしたが、その運転手二人は行方が知れない。
一体どこへ、と言うところへ記者たちが宿屋へ行ってみると芦田伸介の
記者が身柄を確保して旅館でご馳走させていた、という登場の仕方。

「運転手はどこへ消えた?」と事件の拡大を思わせてしまったのにかえって
期待がしぼんでしまうから、映画の流れとしてはちょっとマイナスの気もするが、
芦田伸介の敏腕記者ぶりを演出する心憎い登場。
永井智雄も原保美も滝田裕介もいい役者だが、やはり地味というかスターではない。
その点、芦田伸介が重厚に構えるとやっぱり画面をさらってしまうのだなあ。

あと芦田がスクープしたネタ(焼死体のひとりが保険外交員で三国人だったこと)
を発表したために遺族からクレームがつけられる所など、報道の行き過ぎの問題
などこの頃からあることがよく解る。
(これは「大都会の罠」でも登場したが)

あと事件の目撃者として漫才のWけんじが登場。
「やんな!」というもちねたも披露してくれた。だが事件の鍵を握るわけでもなく
顔見世程度。

この作品で映画版「事件記者」を終了となったが、最終回にふさわしい大物
ゲスト・芦田伸介登場の一編でした。


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新・事件記者 大都会の罠


日時 2004年5月3日
場所 録画ビデオ(チャンネルNECO)
監督 井上和男
製作 昭和41年(1966年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


新製品のジュース、Qポンの発表会でその肝心のジュースに毒が
盛り込まれ、大騒ぎになった。
幸いジュースを飲んだものは軽い症状ですんだが、翌朝、持ち帰られた
Qポンのサンプルジュースを飲んで死者が出た。
しかも被害者はコールガールをしていた。Qポン毒入り事件との関連は
あるのか?
果たして事件の真相は?

日活でSPで10本作られた「事件記者」シリーズ、今度は東京映画(東宝)
での製作で1時間半作品。
日活版ではミステリー色は薄かったが、今度は犯人は最後までわからないという
感じでミステリー色が強い。

後半、事件は二転三転するのだが、これがあまり盛り上がらない。
ただだらだらと事件が終らないように見えてくるのだよ。
多分、伏線が無いから唐突にしか見えないのだろう。

また日活版で活躍した沢本忠にあたる若きヒーロー記者を三上真一郎が演じている。
実は今日(本作との評価とは関係ないが)レーザーディスクを整理しながら
「仁義なき戦い」を少し見てしまったのでそのヤクザ姿とダブってしまって
「正義の若き事件記者」姿が妙に不似合いな感じがしてしまった。
他の記者たちも「バッキャロー」の高城淳一のキャップやオトボケの山田吾一など
登場するのだが、どうも印象が弱い。
「事件記者たちの終らない労苦」という作品の魅力が少なかった感じだ。

あとQポンの社長役で金子信雄。最初に出てきてあとは引っ込んだので
物足りないなと思っていたら、また登場。
やっぱり一癖ある役でした。
さらに一言。今回、広告主の意向で記事が差し止められるというエピソードが
あった事。日活版では製薬会社とタイアップするくらいだからそんな描写は
しにくかったろうが、今回はそういうのありなのかな。
本家NHKのテレビ版ではそういう描写はあったのだろうか??

但し全体としては時間が延びた分、冗漫な作品になった印象を受けた。


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クレヨンしんちゃん
 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ


日時 2004年5月2日13:10〜
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ4
監督 水島努

(公式HPへ)


リアル鬼ごっこをして遊んでいたしんちゃんたち、かすかべ防衛隊の
面々はビルの谷間に隠れた今は廃業した「カスカベ座」という映画館を
発見する。
忍び込んでみたかすかべ防衛隊、誰もいないはずなのに映画が上映されていた。
みんなで映画を見始めたかすかべ防衛隊だが、しんちゃんがトイレに行っている
間にみんな消えてしまう。
一旦家に帰ったしんちゃんだが、とうちゃんたちともう一度カスカベ座に
戻ってみると、今度は自分たちが西部劇のような荒野に立っていた!

GW恒例の「クレヨンしんちゃん」、今回は西部劇をモチーフ。

で、しんちゃんたち一家が荒野を歩くとジャスティス・シティという町に
たどり着く。この町は時が止まっていて太陽さえも動かない。
果たしてしんちゃんたちが春日部に帰る方法はあるのか??

こんな感じで展開し実はこの荒野は映画の中の世界で、映画が人々を
必要としたらしい。つまりこの映画は完結しておらずこの映画を完結させれば
同じように迷い込んでしまった人たちも春日部に帰れるらしい。
で、しんちゃんたちがこの世界の悪人を倒そうとする。

ひとつこの辺で気になった。
「映画が人々を必要としている」というようなセリフがあるが、これは
現実の映画興行とダブらせてしまってよいのだろうか?
もし「映画館に映画を見にきてほしい」というような願いが裏に込められて
いるなら、随分悲壮感漂う考え方だ。
もし映画館に見に来てほしいなら、そんなお願い調ではなく、自然と映画館で
見たくなる作品を作ることにエネルギーを注ぐべきではないだろうか?
まあ、これ裏読みしすぎだとは思うけど。

でラストは悪人と機関車を使って追いつ追われつの戦いになるが、ここで
助っ人登場。これが見る人が見ればわかるが「荒野の七人」の面々。
ユル・ブリンナーやスティーブ・マックイーン、チャールズ・ブロンソンなどなど
顔もそっくり。
でも今回は名作映画のパロディ・シーンはここぐらいで、あとは正調にしんちゃんと
悪役のアクションが続く。

荒野の果てにある3箇所の立ち入り禁止区域を目指すんだけど、ひょっとしたら
(映画のジャンル違いだが)自由の女神像でも出てくるんじゃないかと思ったが
はずれました。
この映画のオチも結構おかしかったけどね。

あんまりテーマ性に走らず、気楽に楽しめる「クレヨンしんちゃん」でした。

(お・わ・り)


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