2004年6月

真昼の暗黒 ハリー・ポッターと
アズカバンの囚人
幕末太陽傳
貸間あり 州崎パラダイス
赤信号
とむらい師たち 大怪獣決闘
ガメラ対バルゴン
トロイ 海猿 大怪獣ガメラ 蔵の中
スターシップ・
トゥルーパーズ2
透明剣士 シルミド デイ・アフター・トゥモロー

真昼の暗黒


日時 2004年6月30日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 今井正
製作 昭和31年(1956年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


弁護士正木ひろしの著書「裁判官−−人の命は権力で奪えるものか」の映画化。
正木ひろしといえば後に森谷司郎の「首」でも映画の題材になった。
この映画は実際にあった強盗殺人事件の映画化。

ある農家の老人夫婦が物盗り強盗により殺害された。
夫婦の殺害方法が夫は斧で殺され、妻は絞め殺されたことから警察は複数犯と
断定する。
翌日、警察は小島という男を逮捕し、血のついたジャンパーなどから小島の犯行は
明らかで、小島は自供した。警察は複数犯との見方から今度は小島の仕事仲間の植村
(草薙幸二郎)、青木(矢野宣)、宮崎、清水らを逮捕する。
当初、植村たちは犯行を否認したが、警察の拷問的な取調べによりついに自供する。
一審は死刑判決。
やがて控訴審が始まった。

冤罪事件の映画化だが、封切り時と違って、その後にでた植村らの無罪判決を
今見る我々は知っているので安心して見られる。
だが無罪判決以前だったらやはり怖い映画だろう。

警察が複数犯にこだわった根拠は加藤嘉の主任刑事の「長年の勘」というかなり
あやふやなもの。それに植村達に前科があったため、「前科者ならまた強盗ぐらいする」
という思い込み。
また4人のうちの一人のアリバイを証明する人間が警察官だったため、正義をまっとうすべき
立場にあるにも関わらず、映画中のセリフを借りれば「みんな自分が一番かわいいから」という
理由で上司である加藤嘉刑事の誘導により証言をあやふやなものにしてしまう。
普段は温厚な役が多い加藤嘉だが、本作の主任刑事役は本当に怖い。
加藤嘉の顔を照明により陰影をつけた表情は実に怖い。ホラー映画級だ。

また草薙幸二郎らの拷問シーンも恐ろしい。
ラストシーンは有罪判決のあと、「まだ最高裁があるんだ〜〜〜」と金網に捕まって
絶叫したところで「終」となる。
余韻も何もなく、草薙の叫びのカットで終わるため、見るものに一層この叫びが
耳に残る。

冤罪事件の映画化では他に「証人の椅子」が有名だが、あの映画では後半、無罪を証言して
くれる証人の行方を福田豊土が追っていくミステリー的な要素が強かったが、本作では
内藤武敏の弁護士も活躍するが、あまり詳しくは描いていない。

むしろ本作で印象に残るのは、残された女たちだ。
ずっと以前に同じ今井正の「米」という作品を見たが、農村の女たちの執念ともいえる女たちの
強さを描いていた。
本作でも飯田蝶子、左幸子、北林谷栄、五月藤江らの残された女たちの身内の無罪を
信じる強さには圧倒される。

ラストの最終弁論で内藤武敏の弁護により、検察側の主張する犯行に入った時間、及び
犯行後の警察官が4人のうちの一人と会った時間の間の1時間弱では犯行は不可能だった
と証明する。(このあたりの描写はこの映画でも唯一笑いが起こるシーンだ。
警察側の主張がいかに不合理なものかを笑い飛ばしている)

飯田蝶子らの女性陣は判決を心待ちにする。
判決の前日は「明日無罪になって帰ってきたら何を食べさせよう」と期待に胸を膨らませる。
また判決当日、「裁判長さんの声がよく聞こえるように」と傍聴席の一番前に陣取る。
しかし判決は「有罪」。
このときの女性陣の落胆の表情も忘れがたい。

こういった女性の姿を描き方の核とし、また希望がないラストがものすごく今井正らしい気が
した。

現在ではこういった事件の積み重ねにより警察はむしろ慎重すぎる位になっているだろう。
テレビのワイドショーの素人推理の方が暴走してる感がある。
ワイドショーが暴走したとき、「日本の黒い夏」で描かれた冤罪事件がおきるのだ。

書き添えれば本作の音楽は伊福部昭。いつもの伊福部サウンドが映画の暗さを引き立てる。

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ハリー・ポッターとアズカバンの囚人


日時 2004年6月27日19:00〜
場所 新宿ピカデリー1
監督 アルフォンソ・キュアロン

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待ちに待ったハリー・ポッターシリーズの新作。
2時間20分と前作よりやや短かく、このシリーズに限っては2時間を超えても
全く苦にならない。

魔法学校が休みの間、おじさんの家に帰っていたハリー・ポッター。
シリウス・ブラックという悪い男がアズカバン牢獄から脱走し、
ハリーの命を狙いにくる。
このシリウス・ブラックという男、ハリーの両親の死にも関係していて
その復讐のためにハリーを殺しにくるらしい。
魔法学校にもルーピン先生も着任するのだが、この先生何かありそうだ。

魔法学校に行く前にいつものようにおじさんの家を飛び出すのだが、この辺は今までに
比べると短め。
また今回はクィディッチのシーンも短く全体的に遊びのシーンは少ない。

今回は2作目に出てきたロンの妹やハリーに憧れる新聞部員などがいなくなってしまった。
ハーマイオニーはラスト30分でハリーと大活躍をするが、ロンは最後のクライマックスに
いないのはちょっと物足りない。
またファッション面でも大きく変化。
ブリティッシュトラッドの見本のような制服姿は少なくなり、ハリーはチノパンに
ジャージみたいなのを着ているし、ハーマイオニーはジーパン姿。
しかもたまに制服を着ているときも、やたら着崩していている。
ロンはシャツを出しっぱなしだし、ハリーのネクタイもゆるゆるで、
なんだかイギリスというよりアメリカのハイスクールのよう。

また話は結局そんなに複雑ではないのだが、新しい人物の名前が覚えられうちに話が
進行するから「あれ?誰のことだっけ?」みたいなこともなくはない。

色々と不満を書いてしまったが、不思議なもので上映時間が2時間以上もあるにも関わらず、
ひどく短く感じられてしまう。
こちらが魔法にかかってしまったようだ。
この映画を見ているといつも現実を忘れほのぼのさせられる。
それはやっぱり、ダニエル・ラドクリフをはじめとする主人公3人の魅力なのだろう。

文句を言ってもこのシリーズはやっぱり好き。
悪人も最後は逃げてしまったし、次回は一体どうなる?
早く撮らないとダニエルたちがどんどん大人になってしまうよ。
次回作が楽しみでならない。

追記。
でも絶対ハーマイオニーはロンのことを意識し始めてるね。
例の鷲と馬の合体した動物が処刑される時ハリーではなくロンに抱きつき
ハリーがハーマイオニーを後ろから抱きしめたしね。
ロンとハーマイオニーに口喧嘩が今回は多かったが、あれはハーマイオニーの
愛情の裏返しと見た。
これから大人になってファーストキスがどうしたとかなるんだろうか?


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幕末太陽傳


日時 2004年6月26日18:50〜
場所 シネマアートン下北沢
監督 川島雄三
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


幕末の品川遊郭を舞台にした川島雄三初の時代劇。

さんざ遊んだ挙句に金を払わないのでその遊郭で働き出す、万事何をやらせても
器用な佐平次(フランキー堺)の大活躍を描く群像喜劇。

遊郭で放蕩三昧を繰り返す男たちが描かれるが、川島映画らしい自堕落な
人間たちが登場する。
しかし今回が気楽に笑えるのはやはり時代劇という設定と話のテンポの良さだろう。
中でも笑ったのは殿山泰司(だったか)とその息子が同じ遊女と結婚の約束を
していて鉢合わせするエピソード。

そんな感じで色々なエピソードを散りばめながら映画は進行する。
時折フランキー堺は肺の病らしい妙な咳をする。
命の短さを知りながらそれを吹き飛ばそうとする佐平次には妙な殺気がつきまとう。
ラスト、「俺はまだまだ生きるんでぃ!」と叫んで画面の奥に向かって一目散にかけていく
佐平次の姿は、なんだか今から見ると川島雄三自身の姿のように見えてならない。

他の出演は遊女と心中をさせられる羽目になる男に小沢昭一、高杉晋作ら幕末の志士に
(ダイアモンドライン前の)石原裕次郎、小林旭、二谷英明ら。


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貸間あり


日時 2004年6月26日16:40〜
場所 シネマアートン下北沢
監督 川島雄三
製作 昭和34年(1959年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


大阪の通天閣が見下ろせる高台に立つ旧家を改造したアパートに住む人間たち。
娼婦やなんだか怪しげな蜂の研究に没頭する男など川島映画らしい
カタギではないしかしどこか愛すべき人間たちのドラマ。

中心になるのは4ヶ国語を話し、機械の修理から小説の代作まで何でも出来ちゃう
天才・与田五郎(フランキー堺)。
この日、この後「幕末太陽傳」を見たのだが、よろずトラブル解決人、という
キャラクターは「幕末太陽傳」の居残り佐平次に通じるものがある。
この映画での与田五郎のラストカットは旅館の大廊下を奥へと駆け抜けていく
姿で、「幕末〜」の佐平次の姿にも似ている。

こう書くと面白かったようだが、僕は映画の世界に乗れなかった。
何せ真面目なサラリーマンだからこういうだらしない人間たちを主役に持ってこられても
何の魅力も感じない。

もうこうなると川島雄三と私の考え方、憧れ、映画で描きたいものの違いとしか
いいようがなく、楽な方へ楽な方へと流されてしまう人間の姿を肯定的に
とらえるか否定的にとらえるかの差がくっきりと出てしまう。

ねっとりと濃い人間喜劇ではあるが、私は好きになれない。

そんな中で、替え玉受験を頼む小沢昭一や、試験会場でタバコを吸うフランキーに
思わず火を借りてしまう加藤武が(コント的に)面白い。


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州崎パラダイス 赤信号


日時 2004年6月26日15:00〜
場所 シネマアートン下北沢
監督 川島雄三
製作 昭和31年(1956年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


勝鬨橋にたたずむ男(三橋達也)と女(新玉三千代)。
当てもなく乗ったバスだったが州崎遊郭の前で降り、
その入り口に合った一杯飲み屋で住み込みで働かせてもらうことになる。
男はそば屋の出前持ちになるが、女は飲み屋で知り合った落合(河津清三郎)に
アパートを借りてもらうことに。男はそば屋で働く玉子(芦川いづみ)と
カタギになろうと一旦は思うのだが。

シネマアートンでの川島雄三特集。(この劇場は初めてだ)
川島雄三作品では有名な映画で一度見たかった作品だった。

うわっ参ったなあ。
カタギになれずにだらだらと生きていく事しか出来ない男と女の物語だ。
オープニングは勝鬨橋で「これからどうする?」という話す二人だが
エンディングもやっぱり同じだ。
いつまでも同じような生活が続いていく。
僕なんかもう真面目にコツコツタイプのサラリーマンだからこういう人間とは
肌が合わない。

遊郭だ、一杯飲み屋だ、妾だ、借金だとなんだか川島雄三自身の姿を見てるような
感じがしてしまう。
詳しくは知らないのだが、私の中でのイメージは川島氏はこの映画に出てくる義治
(三橋達也)のような人間なんですね。

途中、一杯飲み屋で世話になった翌日に今日から仕事を探してもらおうという時に
三橋達也は寝ている2階からなかなか起きてこない。「いつまで寝てんのよ」と
新玉三千代に怒られるシーンがあるが、要はスパッと起きられる人間なら
こんな自堕落な生活にならないと思う。
言い換えれば朝スパッと起きられない人間だからこうなってしまう。

その辺の呼吸はやっぱり川島雄三はよくわかってる感じはする。
こういう自堕落な人間たちにも愛情を持って接している川島の心情は映画全体から
漂っている。

こういうだらだらと生きていくしか出来ない人間やそういう生活から抜け出せない
男と女の腐れ縁、みたいな世界は妙な説得力があって納得させられてしまう。
だからと言ってこの映画は私は好きになれないのだが。

出演は他にはなんと言っても小沢昭一。
そば屋の店員としてコメディリリーフとして活躍。

追記。
ラストシーンは勝鬨橋でオープニングと同じく「これからどうする?」と二人で
相談してバスに乗り込む会話が描かれる。
しかしエンディングの時はオープニングと違って二人の表情は映さず
足元だけが映される。
このシーンをして「二人は今度は幸せになるんだろうな」と希望を感じる方も
いらっしゃるようだ。僕なんか「この二人はこれからもずっとこうやってだらだらと
生きていくんだろうな」と否定的にしか見えなかった。
そういう見方もあるのかと感心した。
川島氏自身はどちらとも取れるようなつくりに撮ったらしい。


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とむらい師たち


日時 2004年6月25日
場所 録画DVD(チャンネルNECO)
監督 三隅研次
製作 昭和43年(1968年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


舞台は万博の準備にわく大阪。
死体のデスマスクを作ることを仕事とするガンめん(勝新太郎)は営業第一主義に
走る他の葬儀社(遠藤辰雄、財津一郎ら)に嫌気が差し、元美容整形医(伊藤雄之助)
霊柩車の運転手、市役所の戸籍係で「若干」が口癖のジャッカン(藤村有宏)と
葬儀社「国際葬儀協会」(略称・国葬)を作り、魂のこもった葬儀をはじめる。
水子供養祭などがあたって国葬は事業を拡大する。
やがてはテレビCMまではじめるにいたるが、次第に金儲け主義に走ってしまった
自分たちの事業に嫌気がさし、ガンめんは仲間と袂を分かつ。
ガンめんは万博に対抗して「葬儀博覧会」を開こうとするのだが・・・・

勝新太郎のブラックコメディ。
おつむはちょっと弱いが一本気な男という勝新らしいキャラクターで全篇
貫かれる。
前半の伊藤雄之助の好色な医者や遠藤辰雄、財津一郎の死体の奪い合いの
シーン、藤村有宏の個性は充分笑わせてくれる。

が、人間の死の荘厳さを訴えようと葬儀博覧会を開こうとするあたりから
不気味になってくる。
途中、勝新太郎が葬儀博覧会の協力に各方面に歩く。
その中で戦争の恐怖を子供たちに伝えることも重要だと訴える勝新に
田舎の村長は「水爆なんて物は広島の原爆の何百倍の威力があるんだ。
そんなものを使えば世界の破滅だ。アメリカもソ連もそんな馬鹿なことはしない」
たかをくくる。

人間の死さえも金儲けの道具にし、なおかつ戦争といういちばん人間の死を軽く
扱う事への罪の意識さえ忘れかけてる人間たち。
金儲け優先の経済第一主義のシンボルとして万博が扱われる。
その万博マークのついた巨大看板は実に象徴的だ。
そして人間の生命とその繁栄は永遠に続くかのような錯覚を起している人間たち。

ラストが実に意外な展開で(書いちゃうけど)大阪に水爆が落ちて廃墟と化してしまう。
そんな思い上がった人間たちに作者たちは鉄槌を食らわす。

拝金主義に走り、生命の尊厳の尊厳を忘れた人間たち。
今でも状況は変わっておらず、むしろますますその度合いは強くなってる気がする。
今でも通用するブラックコメディの快作。


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大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン


日時 2004年6月21日
場所 録画DVD
監督 田中重雄
製作 昭和41年(1966年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ガメラシリーズ第2作。
前作で宇宙へ打ち上げられたガメラがどうやって再登場するのかと思ったら、
ガメラの乗った宇宙カプセルは途中隕石にぶつかってしまい、カプセルは
破損してガメラは地球に戻ってくるというかなり強引な設定。

で映画が始まっていきなりガメラはエネルギー補給のため、黒部ダムを破壊。
ここまではいいのだが、その後、ニューギニアに戦時中に見つけた巨大オパールを
探しに行く小悪党たちの物語になる。
本郷功次郎、早川雄三、藤山浩二らが向かうのだが、ここでちんたら話が進んで
ガメラもバルゴンもなかなか登場せず、藤山浩二がオパールを独り占めしようとする
話が延々と語られる。(時間にして40分ぐらい)

怪獣映画なのに怪獣以外の話題にこれだけ時間が割かれるのはまずい。
別の内容の映画に思えてくる。
で、藤山浩二の帰りの貨物船で、水虫治療のための赤外線が例の巨大オパール
(実はバルゴンの卵)に誤って照射されてしまい、そのせいでバルゴンは神戸港で
生まれてしまう。

ここでポートタワーを破壊するあたりはいいのだが、その後ガメラが登場し、
大阪決戦となるがガメラはバルゴンの冷凍光線にやられ、氷付けにされてしまう。
この後、ニューギニアの村の女の子(江波杏子)と本郷功次郎が日本に帰ってきて
自衛隊の加わってバルゴン退治に乗り出す。

ここでニューギニアの村にある巨大ダイヤモンドを使って琵琶湖に誘導しようとしたり
その作戦がうまくいかないとなると、それはバルゴンのが赤外線を浴びて生まれたから
赤外線をあてたダイヤの光で誘導させようとか、バルゴンの虹の光を(熱線なのだが)
これを鏡を使ってバルゴンにあてようとか色々試みるがどれも失敗。
(赤外線を浴びたため伝説の中のバルゴンとは違う異種が出来た、と言う事を説明するのに
藤岡琢也の船医は「ちょうど放射能を浴びた子供が奇形児になるのと同じような事です」
かなりあぶない表現で説明する。)

この辺のテンポが悪いし、悪党・藤山浩二がやられてもやられても登場し
話が横道へそれがちで、どうも話の焦点がボケてくる。
この辺の脚本、演出の整理がうまくない。
いやそれ以前に主人公の本郷功次郎がはじめはオパールを奪いにきた小悪党だが
後半は怪獣を倒すヒーロー的存在になるというキャラクターの一貫性のなさが
物語を進めていく上で違和感がある。
この辺の本郷のキャラクターが最初からオパールを採りにきた日本人と対立する
ニューギニアにきている学者という設定だったらこんな違和感はなかったのだろうけど。

で最後にとってつけたようにガメラが復活し、バルゴンを琵琶湖に沈めて
対決は終わり。
「ガメラ対バルゴン」というタイトルの割にはあんまりガメラは活躍しないなあ。
もっともバルゴンの造型も魅力がなくて(要はカッコよくない)そこが
怪獣映画として致命的ではあるんだけど。


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トロイ


日時 2004年6月20日10:00〜
場所 新宿ミラノ座
監督 ウォルガンフ・ペーターゼン

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王妃の略奪愛に端を発した3200年前のギリシアとトロイの全面戦争を
描く超大作。

「ベンハー」の時にも書いたけど、私はこういう史劇ものにはテンションが上がらない。
「ベンハー」も戦車シーン以外は退屈だったし、リドリー・スコットの「グラディエーター」
もダメだった。
だからこの映画も見る気はなかったのだが、ブラッド・ピットの全裸シーンがあると聞いて
どの程度のものなのか気になって見に行った。

映画全体では期待した以上の出来だった。
ひとりの勇者が陰謀により幽閉されてそこから脱出して・・・というような何十年に
及ぶような一代記ではなく、ギリシヤとトロイの全面戦争に話を絞った展開がいい。
実際は何年の話だったか知らないけど、映画では2、3週間の話のようなテンポで
すすむ。

そしてノルマンディ上陸を彷彿とさせるようなトロイ海岸への上陸から
エリック・バナとブラッド・ピットの個人の対決から大軍での大戦争、
夜襲などなど戦のパターンもバリエーションに富んでいて飽きがこない。
新宿歌舞伎町でこの映画を見たが、映画館の前の広場に「トロイの木馬」がおいてある。
これが映画で見た感じより一回り小さい感じがした。
(といっても4階建てのビルぐらいはあるのだが)


で期待のブラッド・ピットの全裸シーンだが、別にケツを出したりするわけではなかった。
女と全裸でベッドに横たわってるシーンが2回ぐらいあるだけ。
それにしてもこの映画、女優は一切脱がないけど、ブラッド・ピットをはじめ、
オーランド・ブルーム、エリック・バナともやたらたくましい上半身の裸の肉体を披露する。
実際、たくましい男の上半身がたくさん出てくると女性は驚くのかどうか知らないけど、
昨日の「海猿」といい、2日続けてメールヌードが売り物であるかのような映画に
遭遇すると時代の変化を感じざるをえない。
(少なくともチャールトン・ヘストンは全裸シーンなんかなかったしなあ)

監督はウォルガンフ・ペーターゼン。
この人はメジャーデビュー作の「Uボート」が忘れられない。
他にも色々撮ってるとは思うが、僕にとっては「Uボート」の監督だ。
先にも書いたが、ブラッド・ピットはアイドル的なイメージが強かったけど、
この映画で甘いマスクだけでない、本当のスターになっていると実感する。

オーランド・ブルームは世間では「ロード・オブ・ザ・リング」の弓の人だろうが
僕にとっては「ブラックホーク・ダウン」の新兵ブラックバーン。
エリック・バナは同じく「ブラックホーク・ダウン」のフート。
この二人もこの「トロイ」で世界的スターになる事間違いなし。
特にエリック・バナ、去年の「ハルク」はイマイチだったが、今回の「トロイ」では
いい役を得た。
若き日のハリソン・フォードを思わせる甘さとたくましさを併せ持ち、最近歳を
隠せないハリソン・フォードに代わる新世代のスターになるような気がする。

追記
1、コンピューターウイルスの「トロイの木馬」もこの物語に出てくるものが
語源なのでしょうね。「偽装して内部に侵入し、内部から攻撃する」ってことに
なるんでしょうね。
2、ブラッド・ピット扮するアキレスは最後にやられる時はちゃんとアキレス腱が
やられる。というかアキレスがここをやられてしまって負けたから「アキレス腱」
って言うのだろうけど。


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海猿


日時 2004年6月19日18:40〜 
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン3
監督 羽住英一郎

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後半30分、仙崎と三島が海底に取り残されてからは面白かった。
「全員、潜水装備装着!」と藤竜也の鬼教官が号令をかけるところなんぞは
男気炸裂でこの映画のいちばんのクライマックスだ。
その後の査問委員会のシーンも映画の定石どおりの展開で見てるこちらの
涙を絞る。

しかしこの一連のシーンに至る1時間半は正直言ってやや退屈だ。
海保の厳しい訓練シーンや、藤竜也の鬼教官、冷たいエリート訓練生、
訓練についてこれない訓練生(伊藤淳史)などストーリーはいたって典型的。
典型的なのはいいのだが、加藤あいが絡んでくるのが話のテンポを悪くする。

加藤あいが悪いのではなく、脚本の問題だが、ファッション雑誌の編集者という
設定が気に入らない。
そんなトレンディドラマのような設定を堂々と持ちこむ神経がもう「フジテレビ」
だなあと思う。
主人公の仙崎(伊藤英明)の恋愛話を絡ませること自体には不満はないのだが(本当は
こういう恋愛話はカットして『男の映画』にして欲しかったが)この設定では
無理矢理「女性受け」を狙ったようにしか見えない。
「ファッション雑誌の編集者」という設定ではなく、地元の女の子で藤竜也がかつて
死なせてしまった同僚の娘、というような設定だったら話の伏線も増えて
クライマックスももっと盛り上がったのではないか。

また致命的に納得できないのは伊藤淳史が途中で死んでしまう事だ。
この死のシーンは本当に唐突。
またその後、仙崎が随分落ち込むはさらに納得できない。
今回の事故は全くの不慮のもので少なくとも仙崎には責任がない。
彼が事故にあったときに加藤あいとバスの中でキスしていたのに責任を感じる
必要があるのだろうか?
これが訓練中に仙崎のミスで死んだ、又は仙崎の技量不足で救うことが
出来なかったというなら、彼の苦悩も充分理解できる。
この辺のシナリオの詰が甘い。

また気に入らないのが主題歌に20年前の洋楽のヒット曲を持ってきたこと。
近頃テレビのプロデューサーが自分の青春時代に流行った曲を流すのが
流行だが、こういったテレビドラマ的な手法が気に入らない。
他人のふんどしで勝負するのではなく、オリジナル曲でヒットを狙うぐらいの
気合が欲しい。

最後に「踊る大捜査線」との類似性について。
後半の空撮で船を捕らえるカットや救助に向かうヘリコプターが発進するカット
割などが「踊る〜」の映画版にあるカットに似ていた。
また制服姿での敬礼シーンや査問委員会が開かれるという展開など「踊る〜」っぽい。

全体的にやはりフジテレビ映画らしさにあふれている。
また男の裸のシーンも多く、「男の性」が女性向に売り物になる時代に
なってきたらしい。
「踊る大捜査線」プラス「ウォーターボーイズ」みたいな映画だった。

第2作はもっと大規模な海難救助映画になるようだ。
来年の「ローレライ」と並んで楽しみになってきた。
いつ公開になるのだろうか。今年の夏に撮影予定なのかな??


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大怪獣ガメラ


日時 2004年6月14日
場所 録画ビデオ
監督 湯浅憲明
製作 昭和40年(1960年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


アラスカのエスキモーの村を動物学者の日高教授(船越英二)たちは
訪ねていた。目的はかつてこの地にあったとされるアトランティス大陸に
伝わる伝説のカメ、ガメラについてだった。
その時、国籍不明機がアメリカに撃ち落されその飛行機が積んでいた
水爆が爆発した。そしてその氷の中からガメラが現われた。
やがてガメラは北海道に上陸、そして東京を襲う。
通常兵器では歯が立たないガメラ。
そして人類に残された最後の手段、Zプランとは?

この映画、上映時間80分で白黒である。
ゴジラと並ぶ怪獣スター、ガメラのデビュー作にしては少々規模が小さい。
最初からカラーで登場した東宝のラドン、モスラに比べるとえらい待遇の違いだ。
ガメラのデビューは東宝で言えば「バラン」クラスのB級怪獣あつかいだ。
確かなことは言えないのだけれど、ひょっとしたら大映は最初はガメラに
対しあまり期待はしていなかったのかも知れない。

物語にはいろいろ突っ込み所はあるのだが、それをいちいち指摘するのは
この場合、野暮だろう。
むしろ80分という小品ながら、極地での怪獣出現、日本の地方への上陸、
やがて東京上陸を見せ場とし、人類最後の手段での対決など
怪獣映画のフォーマット、定石どうりの展開になっており、妙な大人のドラマ
(恋愛話とかその他)を挟まず、ひたすら日高博士を案内人とした怪獣映画に
徹した点が素晴らしい。

人間側の主役、日高教授は動物学者としての立場からどうのこうの、という
ウンチクをたれることなく、「動物学者としてはガメラを殺すのは惜しいが、
人類の平和のためならやむを得まい」とあっさり自己完結をして
変に悩んだり、攻撃反対を訴えたりしない。
また途中で内気なカメ好きの少年も登場するが、この少年の成長、というような
教訓ドラマにもならない。
日活、松竹のガッパ、ギララがオリジナル性を出そうとしたのか、話の焦点が
妙に違うほうに行ってしまった点を考えるとこの点は実に素晴らしい事だと
思う。

そして主役のガメラ。
なんと言っても最大の特徴は回転ジェットによる飛行、つまり空が飛べる点だろう。
北海道での自衛隊との対決の際に自衛隊は冷凍爆弾(すごい新兵器。これだけでも
クライマックスの対決に使えるような新兵器だ)を使用し、ガメラの動きを封じる。
ガメラが凍った10分間(冷凍爆弾の冷凍能力は現段階では10分しか効き目がない)
の間にガメラのいる場所をダイナマイトで粉砕してガメラをひっくり返す。

「カメという動物はひっくり返ったら自力では起き上がれません。
このまま餓死するのを待てばいいのです」の浜村純教授の意見でほっとしていると
回転ジェットで空へ飛び去る。
このシーンはガメラの特徴を際立たせる、まるで宍戸錠のガンさばきを見せられたような
鮮やかさがあった。

冷凍爆弾なんていう新兵器を途中で出してしまって、クライマックスをどうガメラと
対決するかと思えば、なんと宇宙船に乗っけて宇宙に葬り去ろうという壮大なプラン。

冒頭の東西冷戦で話がはじまり、ラストは米ソの枠を超えた協力が人類をガメラから
救い、背景に東西冷戦があるというのが1965年という時代を感じさせる。
だからと言って冷戦批判というような方向に話が進んでいないところが、この
「大怪獣ガメラ」という映画の魅力であることは間違いないだろう。

出演は他に回転しているガメラを目撃する田舎の老人に左卜全。
独特の味わいが捨てがたい。


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蔵の中


日時 2004年6月13日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 高林陽一
製作 昭和56年(1981年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


舞台は戦前の京都。
雑誌「象徴」の編集長、磯貝三四郎(中尾彬)の元へひとりの美少年・笛二(山中康仁)が
「蔵の中」という小説の原稿を持ち込んできた。
しぶしぶ読み始めた磯貝だったが、そこには笛二が肺病の姉と蔵の中で不思議な時間を
すごし、果ては愛しあう様が描かれていた。しかしそれだけではなく、その蔵の中から
遠眼鏡を使って三四郎とその愛人・お静(吉行和子)の愛欲の様子も描かれ、
最後には三四郎がお静を殺したことまで描かれていた。
笛二の元へ駆けつける三四郎だったが・・・・

横溝正史原作の角川映画。でもおなじみの金田一耕助は登場しない。
角川映画だが大作主義を止め、プログラムピクチャー的な作品を作り始めた頃の
映画になる。

1時間40分の映画だがそのうち80分ぐらいは蔵の中での山中康仁と姉の松原留美子との
二人芝居で進められる。
何しろ蔵の中という閉鎖的な狭い空間だけでの話だからはっきり言って退屈この上ない。
これが1時間ぐらい、30分ぐらいの中短編映画なら退屈しなかったろうが
1時間40分はつらいなあ。
よっぽど見るのを途中で止めようと思ったくらいだ。

にも関わらず見る気になったのは主演の山中康仁。
黒沢明の「影武者」で織田信長の横にいた森欄丸を演じていて、そのときに見て以来
ちょっと気になっていたのだ。
その美少年が主演の映画だったが私は封切り時には見ていない。
何故見なかったか憶えていないが、「蔵の中の耽美的な話」というだけでは
話に派手さがないし、「山中康仁主演」だけでは見る気がしなかったのだろう。

でその肝心の山中だがインパクトが弱い。
姉は聾唖者という設定なので、姉が思ったことは山中が全部セリフにして言うのだが
棒読み、とまでは言わないがセリフの量が多いので彼の演技力の未熟さが
ストレートに露呈してしまう。
何しろ他の出演者がいないので他人の力を借りることが出来ず、映画は山中が
リードしなければならないのだが、その荷はちょっと重すぎたようだ。

最後は全裸になっての熱演だが、映画全体を支えるにはいたらず、映画そのものの
魅力のなさにつながってしまっている。
また共演の松原留美子だが、なんだか妙な人だな、と思ったら調べてみたらニューハーフで
別に俳優ではなかったらしい。
「妖艶な雰囲気をもつ人=ニューハーフ」という図式もちょっと安易過ぎると思う。

要するに画面を支えるべき主演の二人には映画の大半を占める二人芝居を
支えていくだけの力がなかったといわざるを得ない。
先にも書いたが、これがもっと上映時間が短かったらそんな退屈な作品にも
ならなかったと思う。

山中康仁、その後映画では主演作もないが今どうしてるのだろう。
近況が気になる。


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スターシップ・トゥルーパーズ2


日時 2004年6月12日19:00〜
場所 お台場シネマ・メディアージュ13
監督 フィル・ティペット
製作 2003年

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昆虫型異生物=バグズと人間たちとの戦いはまだまだ続いていた。
ある惑星では地球連邦軍は壊滅状態になり、10人ほどの人数にまで減っていた。
そんな中、シェパード将軍は残った部下(サハラ二等兵たち)を陣地から逃す。
逃げたサハラたちはは以前地球連邦軍が使っていた前哨基地へと逃げ込む。
そこには上官殺害の罪で投獄されていたダックス大尉がいた。
バグズたちの襲撃をダックス大尉の活躍で逃れた小隊だったが、
シェパード将軍が友軍兵士たち3名とやってきた。
一時は助かったかに思えた小隊だったが、この友軍兵士3名がなんだか怪しい。

「スターシップ・トゥルーパーズ」の続編。
前情報もなく、「突然」という感じでの日本での公開。
しかも公式HPの公開も遅く上映も東京では「銀座シネパトス」「シネマメディアージュ」
の2館のみで、別に単館系で上映するような映画ではないはずだが公開の
規模は小さい。

それもそのはず、見てみて解ったが低予算ミエミエなのだ。
アメリカ映画を見て「低予算だな〜〜」と思ったことはあんまりない私だが
それにしても寂しい。

前作が壮大な宇宙戦争を物語にしていたのに、今回はバグズ(昆虫型異星生物)と
ある惑星で戦う小隊の話で、それもその惑星もほとんど夜でしかも濃霧に
覆われてるものだから、背景など全く写らない。
多分全篇セットで撮影し、その背景を作る予算もなかったのだろう。

そして登場人物も10人ぐらいでモッブシーンなどないからキャスト面でも
安上がりになっている。
またストーリーも人間に寄生する新しいタイプにバグズとの対決というのも
(口から虫が入っていくとか)なにか他の映画でもあったような感じで
ストーリー的にも見所はない。

しかしだからといってお寒い作品だとけなす気にはなれない。
オープニングは1作めでも何回も登場した宇宙軍兵士への勧誘CM、あれがやっぱり
トップシーンとして登場する。

ラスト、女主人公のサハラは出産し、赤ん坊を抱えて地球連邦軍勧誘CMを見てるところへ
地球連邦軍兵士がやって来て「大きくなって国のために死んでくれよ」と語りかけ
元女兵士が非常に不快な顔をするところで映画は終る。

激しい戦闘シーンだけを見るなら他にもたくさんある。
しかしこの地球連邦軍への勧誘CMに象徴されるような戦争や軍隊への強烈な
アイロニーが「スターシップ〜」のコアだ。
その辺のことはちゃんと踏まえて作ってあり、いくら低予算でも魂までは
売っていない製作者の意気込みが感じられてこの映画のことは悪く言う気には
なれない。

もっと潤沢な予算で作らせてあげたかったなと思う。


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透明剣士


日時 2004年6月6日
場所 録画DVD
監督 黒田義之
製作 昭和40年

(詳しくはキネ旬データベースで)


主人公・三四郎は剣道の腕はからっきしだめな自分でも「私は剣の道には向いて
いないのです」と言ってしまう弱いやつ。
でも顔はいいから長屋の娘からは慕われていて結構もてたりしている。
三四郎の父は剣の使い手で、そのころ江戸の町を荒らしまわっていた怪盗団を
捕まえようと桂三枝を伴って、夜回りをしていたが、ついに敵の手によって切られてしまう。
で、悲観にくれる主人公の下に妖怪がやってきて、崖に生える珍しいきのことか
珍しい海草なんかを一晩煮込んで作った秘薬を作れば不思議な力が得られるという。
苦労して作ったその薬、それは体や着物が透明になる薬だった!

ドラえもんのポケットから道具を出してもらったのび太くんと同じで
透明になる薬で勇気100倍、悪いやつをばったばったと倒す。
もっとも透明になってるんだから空中に浮いた木刀やら、水の入った桶だけが
浮いて状態で相手はびびりまくってやられてしまう。

最初のうちはただ驚いてしまうから、仕方ないとしてもいくら透明でも
刀が浮いてりゃそこにいるのはわかってしまうから敵もなんとかするだろう
と思うのだが、敵は結局やられっぱなし。
しかもいかにも怪しそうな連中がやっぱり悪いやつでひねり無し。

これが信頼している道場の師匠が黒幕だった、というような裏切りはなく
悪いやつは最初から悪く、いい人は最初からいい人。
子供向けに作ったみたいだからそういう風になったらしい。

で最後は薬が切れてしまって姿が現れるんだが、でも今までの戦いで自信を付けた
三四郎は透明でなくても敵を倒しました。
やっぱり最後はこうでなくちゃ。

透明から戻るとき、くしゃみが3回する。1回目が薬が切れた合図で
2回目のくしゃみのあと着物だけが現れ、3回目ですべてが現れる、という設定。
この2回目のくしゃみのあとの着物だけ浮いてる姿が、ちょっと特撮っぽい。

主人公の三四郎役の酒井修は目がくりっとした今で言うジャニーズ風美少年。
(ちょっと昔のたとえになるが)中村繁之に似ていた。

ゲストで西川きよし横山やすしのコンビ、岡八郎、桂三枝などの吉本勢が出演。


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シルミド


日時 2004年6月5日18:30〜
場所 丸の内東映
監督 カン・ウソク

(公式HPへ)


1960年代末、韓国政府は密かに金日成暗殺のための31人の特殊部隊
を編成する。彼らは元は死刑囚などの食い詰め者で正規軍ではない。
無人島シルミ島(シルミド)にこもっての訓練がはじまる。
死者も出す過酷な訓練を耐えた彼らについに出撃命令が下る。
しかし北朝鮮上陸直前、作戦中止命令が。
今度は彼らは韓国にとって不要な存在になってしまった。

少し騙された。
「金日成暗殺特殊部隊の話」と聞いて、北朝鮮問題に関心の高い私としては
それこそ「ナバロンの要塞」のような話だと期待してしまったのだ。
ところがそういう話ではなく、国家エゴに振り回される兵士の物語だった。

前半の過酷な訓練シーン、そして出撃、急遽の中止、まではテンポがあって
よいのだが、後半がもたつくというのが正直な感想。
出撃を止められた彼らがあせるシーンはよく解るのだが、性欲に負けてしまって
となりの島の診療所の看護婦を強姦するシーンなどは彼らに対する共感より
「所詮は食い詰めものの集団か」とがっかりさせられてしまう。
(ちなみにこの強姦野郎は顔が若い頃の勝新に似ている)

でもって南北対話もはじまり、この特殊部隊の存在が公になってはまずい韓国政府は
ついに彼らの抹殺命令を出す。
ところが上層部の意図を知った特殊部隊の隊員たちは反乱を起し、島を出て
バスジャックを行いソウルに向かう。

最後は警官隊や軍隊に包囲され射殺されてしまう。
個人的には最後のバスジャックのあたりがまたもたつきを感じるのだ。
「死ぬのは俺ひとりだけでいい、お前たちは逃げろ」「ひとりだけかっこつけるんじゃない」
などという会話が繰り返され、「韓国映画らしい」という表現が正しいのかよく解らないけど
別の言い方をすれば、かつての東映任侠映画のごとくの間をたっぷりとった演技に
ちょっとこちらは間延びした印象すら感じてしまう。

この映画上映時間は2時間15分。
素材はとても面白いのだが、先の強姦シーンは(たとえ事実に対し不正確になってしまっても)
不要でカットするべきだと思うし、ラストのバスジャックのシーンをはじめ、もう少し
テンポのよい編集をしてれば私の評価は変わったと思う。
本来「南北関係秘史」的な小さな話だと思うし、1時間45分ぐらいでまとめたほうが
よかったのではないか?
大作的に作った分、作品の密度が薄まってしまったようで惜しい気がする。


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デイ・アフター・トゥモロー


日時 2004年6月5日15:20〜
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ
監督 ローランド・エメリッヒ

(公式HPへ)


この夏の話題作、地球温暖化により世界が氷河期に突入するパニック大作。
今年は8月にオリンピックがある影響で話題作の映画は8月をずらして
早めか遅めに公開されるらしい。
エメリッヒは「インディペンデンス・デイ」や「GODZILLA」など
昔ながらのパニックSF映画を得意とする方だから、こちらの期待も膨らむ。

で、映画の前半はインドに雪が降ったり、東京の千代田区(「ブレードランナー」
に登場するみたいな町並みだったが)に野球ボールぐらいの氷が降ったりするところから
徐々に異常気象が始まっていく。
そしてロサンジェルスのたつ巻による崩壊シーンも素晴らしく、次のニューヨークの
大津波(自由の女神像より高い波がやって来た時には「おおっ!」と声を上げたくなった)
シーンなどなど圧巻。
そして大寒波に襲われるNYはこちらの期待を裏切らない大スペクタクル!

ところが後半は主人公の気象学者がNYに行っていた息子を助けに行くために
決死の旅に出る、と話のスケールが途端に小さくなる。
息子の方もただ待っているのではなく、怪我をした仲間のためにロシア船に行くが
狼に襲われるとか(面白い事は面白いのだが)地球的規模の話から途端にミクロの話になり、
そこへもって仕事中毒の父親が息子との和解のドラマまで絡んだホームドラマになって
しまってそこがものすごく不満。

従来のアメリカ映画だったら、大寒波を核ミサイルでぶっ飛ばそう!などという
無茶苦茶な話になるのだが、今回は大自然のなすがままである。

でラストは死んだ合衆国大統領に代わり、副大統領が経済を優先させ気象学者の
意見を無視した自分を反省し、今まで途上国と半ば馬鹿にしていた南の国々に
感謝を述べる。
この辺が(石油を使わなければ経済を停滞させてしまうという理由で)
二酸化酸素の抑制に協力しないアメリカ批判とも取れるのだが、それほど声高に
は聞こえない。

何でもかんでも力でおさえるという行動をアメリカがとらず、今回はアメリカは
大自然に最初から負けを認めたわけだが、だからと言って親子の和解の
話にしてしまっては映画としては弱い。
ここはもう「日本沈没」みたいにアメリカの陸海空の全力を使ってメキシコ、南アメリカに
国民を輸送させる大掛かりな画が欲しかった。
いくらハリウッドでも予算の関係でこういう小さな話になったのかな?
(そういう風に考えると日本民族の大移動を小さな話にせず大掛かりな視点で
押し切った「日本沈没」はやはりすごいのだ)

ラスト、宇宙から地球の大気が澄み切っていると言わせ、NYのあちこちから
寒波を生き延びた人々が出てくるあたりは(良し悪しは別にして)
希望を感じさせる明るいラストだった。


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