2004年8月

愛の嵐 誰も知らない 三十六人の乗客 華氏911
美しい夏キリシマ 黒い雨 大空港 サンダーバード
(日本語吹き替え版)
ディープ・ブルー サンダーバード
(字幕版)
父と暮らせば 五人の突撃隊

愛の嵐


日時 2004年8月29日19:50〜
場所 下北沢シネマアートン
監督 リリアーナ・カバーニ
製作 1973年

(詳しくはキネ旬データベースで)

1957年のベニス。
今はホテルのフロント係をしているマックス(ダーク・ボガート)の前に
高名な指揮者の妻・ルチア(シャーロット・ランプリング)が現われる。
マックスはかつてはナチス親衛隊の将校で、ルチアは収容所で捕えられた
ユダヤ人だった。
過去に倒錯した愛欲におぼれた二人。忘れたはずだったが、二人はまた
愛の世界に戻っていく。

この映画は公開時からポスターの図案が大胆でものすごく気になっていたけど
今まで見逃していた。
シャーロット・ランプリングがナチの帽子をかぶって裸にサスペンダーのズボンを
はいて乳丸出しの姿である。
↓(このカットね)

今はいろいろ青少年保護条例とかの規制があって乳首が写っている写真はポスターに
使えないけどこの映画が公開された75年ごろは問題なかったので、この映画の
ポスター、チラシに欲情した中高生は多かったと思う。
今の40歳ぐらいの映画好きな方なら、映画の内容は知らなくても「エマニエル夫人」と
同じくらいこのポスターは記憶に残ってる筈だ。

今回のシネマアートワンでは戦争映画特集の一つとしての上映だが、
ナチスドイツとユダヤ人虐殺が出てくるが、それが主題ではあるまい。
倒錯した愛欲の世界がこの映画のモチーフだろう。

シャーロット・ランプリングは妖艶で確かに美しく、上記のポスターのシーンだけでなく
食べ物がなくなってジャムのビンにかぶりつくところなどセクシー度満点だ。
ダーク・ボガードは「ベニスに死す」に続いての出演だが、2本続くと禁断の性欲に
虜になる中年男役がはまってしまう。

それにしてもこの映画、女性がみるとどうなのだろうか?
正直言ってポルノ映画まがいのストーリーで単なるエロ映画にしか見えなかった。
監督が男なら「スケベ男の作った妄想映画」で片付けるが、一応監督は女性だしなあ。
女性にもあるスケベ心を描いた作品とも解釈できるが、やっぱり都合よく自分の妄想を
描いただけの映画にしか見えない。

監督のリリアーナ・カバーニってどんな人なのだろうか?
この映画を見た限りでは、ものすっごいブスな妄想オタクを想像してしまった。


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誰も知らない


日時 2004年8月28日15:30〜
場所 新宿テアトルタイムズスクエア
監督 是枝裕和

(公式HPへ)


2004年5月、カンヌ国際映画祭の史上最年少、日本人初の主演男優賞(柳楽優弥)
を受賞した話題の作品。
公開以来都内の上映館は土日は満席が続き、今いちばん見るのが大変な映画だ。
実はカンヌの受賞の時、私は授賞式をテレビで生中継で深夜に見ていた。
もちろんこの「誰も知らない」が気になったのではなく、私の関心は「華氏911」だった。
そして主演男優賞の発表の時、審査委員長のクエンティン・タランティーノが
「Japanese movie,『Nobody Knows』YAGIRA YUYA!!」と言った時「ああっ??誰それ???」
が第一印象だった。
もちろん私は「誰も知らない」なんて映画、注目もしていなかったし、存在すらろくに
知らなかった。
それからというもの芸能マスコミは大騒ぎだし、この映画もカンヌ効果で大入り満員
というわけだ。


ある秋の日、都内の2DKのマンションに母親と12歳の少年の親子が引っ越してくる。
大家には隠しているが実は少年には妹が二人と弟ひとりいた。
兄妹は実は父親が全部違い、彼らの出生届は出されておらず当然学校へも行っていない。
母親はお金を残し、新しい男の元へ行ってしまう。
残された幼い兄妹たちの生活が始まる。


自然光で撮影された、やや汚めの映像(もちろん意図したものだ)、時には撮影する対象を
カメラが追いきれていない(長男の明がお金を受け取らずに夜の町をかけるところ)カット、
また普通のドラマなら拾われていないような生活音を聞こえてくる。
映画はさも起こっている事柄だけが映し出され、説明的なセリフや描写はない。
このあたりがまるで編集前の、ラッシュの状態のドキュメンタリー作品を見ている気分に
なる。

しかしこれらが返って真実味を増す。
まるで彼らの本当の生活を取材したように見えてくるのだ。
このあたりの演出方法は監督がドキュメンタリー出身だからと言う一言で片付けていいのか。
それとも周到な計算に基づいてのことなのか。

とに角、柳楽優弥がいい。
いやというより心に残るのは長男の明だ。
映画の前半、兄として驚くべきリーダーシップを発揮する。
そして家計簿をつけ、家賃もきちんと銀行振込をする。
お金が少なくなれば知り合いを訪ねていく。
12歳とは思えない立派さを持つ。

しかし、やはり12歳の少年。
まだまだ子供の年頃だ。友達は欲しい。友達と遊んで見たい。
そんな気持ちからゲームセンターで出会った子供たちとつるむようになり、
兄としての責任を忘れ、遊んでしまう。
しかし誰が彼を責められよう。
彼がひとりキャッチボールをするシーンなど切なくなる。

しかしその友達も簡単に去っていき、金もなくなり電気も水も止められてしまう。
夏が来て暑さのせいか、ついイライラして物や妹や弟に当たってしまう。

画面を見ていると彼のために何かをしてやりたくなる。
12歳にしては重過ぎる責任を背負った彼に何か手助けをしてやりたくなる。
もう柳楽優弥と福島明(少年の名)が一体化している。
「俺にして欲しい事があったら遠慮せずに言ってくれ」とスクリーンに向かって
言いたくなる。

そして迎えたラストシーン。
あれでいいのだろうか?
あのラストシーンに希望を感じることも出来よう。
しかし彼らを救ってくれる大人が現われるラストシーンを期待した。
あの終り方では彼らの困窮生活が永久に続くよう印象だ。
しかし、そうは言っても全く希望がない訳ではなく、友人となってくれた
中学生の女の子やおにぎりをくれるコンビニの店員もいる。

しかし妹の死を乗り越えて暮らしていこうとし、帰ってくる見込みのない
母親に頼らず生きていこうとする姿は、あまりにもせつなすぎる。

カンヌの受賞も柳楽優弥に与えられたものではなく、福島明に与えられた賞に思えてくる。
何かしてあげたい衝動に駆られずにはいられないのだ。
もちろん、福島明にそれだけの存在感を持たせたのは監督及び、柳楽優弥の力だ。
国際映画祭で主演男優賞を獲得するものもっともだ。それだけの価値はある。


最後に付け足しの一言。
アントニオ猪木の学歴は彼の公式HPで調べてみたら彼は14歳で一家でブラジルに
渡り、17歳で力動山にスカウトされてプロレスの道に入ったのだそうです。


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三十六人の乗客


日時 2004年8月26日
場所 録画DVD
監督 杉江敏男
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ある冬の夜、信用金庫が襲われ現金300万円が強奪された。
犯人の逃亡を防ごうと都内のターミナル駅に張り込む警察。
しかし、駅での検問を避けるために犯人は京橋発草津行きのスキーバスに
乗った可能性が出てきた。
偶然にもそのスキーバスには刑事の渡辺(小泉博)が乗ってきた。
渡辺に犯人がいるらしとの連絡が入る。緊張する渡辺。
バスには36人の乗客が乗っている。果たして犯人は誰か?

前半は36人の乗客のうちの犯人は誰かという密室のサスペンス。
後半、犯人がわかり、バスを乗っ取って逃亡しようとするというアクション。

「この中に刑事がいるんですよ」と渡辺に話しかける酔っ払い(多々良純)とか
「あの二人は出来てますねえ」という他の乗客の噂話が好きな男(千秋実)とか
目つきの悪い男とか面白そうなキャラクターは随所にいる。
またバスガイド(扇千景)にみんなの荷物を調べてもらうとしたりとか、自殺を行うものが
出てきたりとかエピソードも次々と用意されている。

こう書くとものすごく面白そうだが、やや物足りない。
というのはまずバスのスピード感がほとんど感じられず、のんびりしたムードなのだ。
深夜バスなので外は真っ暗で外の背景は流れない。
またバスの中という逃げ場のない空間なので、渡辺の一人推理がナレーションで
流れるばかりなので、どうしても面白みにかけてしまう。

これが列車だったら主人公とその連れがデッキとかの他人に会話が聞かれないところ
に行ってお互いの推理を話し合ったり出来るのだが、狭いバスではそれもままならない。

やがてわかる犯人。(キャスティングからすると「ああやっぱりね」なのだが)
そしてバスジャックへと話は展開していく。
ここでも塩沢登代路が外に帽子を落として外部に対し、信号を発しようとするが
ばれてしまったりとか、朽ちかけた橋を渡ったりとか拳銃を刑事に渡そうと
乗客から乗客へ手渡ししたりと色々仕掛けは作ってあるが、もう一つ
盛り上がらない。

面白い映画ではあるが、今見るとかなりスローテンポで盛り上がりにもう一つかける。
ちょっと惜しい。


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華氏911


日時 2004年8月21日21:30〜
場所 ユナイテッドシネマズとしまえんスクリーン5
監督 マイケル・ムーア


(公式HPへ)

「ボウリング・フォー・コロンバイン」のマイケル・ムーアのブッシュ現大統領
批判の話題の映画。
今年(2004年)の5月のカンヌ国際映画祭でパルムドール受賞の問題作。
ブッシュ批判一色ということで、日本でも芸能コーナーだけでなくニュース番組
でも取上げられて話題沸騰だ。

映画は記憶に新しい2000年の大統領選挙からはじまる。
実際の得票総数ではゴアが勝っていたのに何故ブッシュは大統領になれたのか?
大統領選を決定付けたフロリダ州の主な地位にいた人間はみんなブッシュに
近しい人ばかりだと映画は訴える。
もちろん彼らが不正をしたとは言わないが、不正が行おうと思えば充分に出来た
状況にあったことを証明する。

そして911以前の、ブッシュの若き時代からのサウジマネーとの関係を暴く。
映画は911の直後にビン・ラディン一派をアメリカから簡単に出国させた事実を
突きつける。
その後ブッシュはビン・ラディンがいるであろうアフガニスタン攻撃を
止め、イラクを攻撃目標に定める。

国際政治には全く無智な私だが、常々疑問に思っていたのは世界貿易センター
ビルのテロとサダム・フセイン及びイラクとの関係だった。
テロが行われたからといってどうしてイラクを攻撃せねばならぬのか?
それは単なる私の無智な故の疑問だと思っていた。
実はそうでもないらしい。
やっぱりイラクを攻撃せねばならぬ理由などないのだ。

軍需産業とブッシュ親子の関係を暴き、イラク攻撃は軍需産業を儲けさせるため
だけの戦争と糾弾する。
映画は同時に、テロの恐怖をあおり開戦止む無しという世論にさせた、つまり
結果的にブッシュの提灯持ちをしたアメリカのテレビ界をも暗に批判している。

その後、映画は開戦後の兵士の募集に不況で失業率の高い町を狙って言葉巧みに
勧誘している姿を描く。
そして息子をイラク戦争で失った母親を描き、最後にマイケル・ムーアが
アメリカの議員たちに自分の息子を軍隊に入れる署名をさせようとする。


映画は全篇「どこからこんな映像を持ってきたんだ?著作権は大丈夫か?」
という疑問と心配に満ちた映像の洪水だ。
(但し映画全体のナレーションの多さには英語圏ではないと人にはちょっとつらい。
「字幕を読むのが精一杯」と思った映画は少ないがこの映画もその一つ。)
最高に見ものなのが911のテロの一報を受け取ったブッシュの反応を
とらえた映像だ。
撮った本人もこの映像が全世界で上映されるとは思ってもいなかったろう。

日本人以上にアメリカで普段ブッシュを見ている米国民にとってはこの映画は
もっともっと衝撃だったに違いない。

現政権を批判する、ということではこの映画は「チャップリンの独裁者」
に匹敵する。
しかし正直言って「映画として」突出して面白いとは思わなかった。
映画としては前作「ボウリング・フォー・コロンバイン」の方が好きだ。
しかし今年は大統領選挙の年。

「映画で何かが変えられるとは思わない」と言う意見もよく聞く。
しかし映画監督は映画を作る理由の一つには「自分の作った映画が人々の
心に残り、それが私の願う世界へつながる事」もあるはずだ。
すべての映画はそうだとは言わないが、岡本喜八も松林宗恵も戦争映画を
作るときは「二度と戦争のない世界を作りたい。その手助けをしたい」と
思ったはずである。

確かに「沖縄決戦」や「肉弾」の1本では世界を変えることは出来まい。
しかし今年は大統領選挙の年。
タイミング、内容のストレートさから言ってこの映画が大統領選に何の影響も
与えないという事はあるまい。
映画が世界を変える瞬間を目撃できるかも知れないのだ。
映画そのものより、この映画の持つ可能性は無限に興味深い。
ひょっとしたらカンヌの審査員たちは「映画が世界を変える瞬間」を
目撃したかったかも知れない。

そしてこれがアメリカだけの話だけだろうか?
日本の政治家だってブッシュと不正と欺瞞に満ちていることでは大差ない。
しかしアメリカはスケールがでかい。
自分の会社の利益のためには戦争さえも起してしまう。
せいぜい道路を作ったり、公共事業をするぐらいの日本の政治家なんて
まるっきり子供だ。
政治家としてのスケールの大きさが違う。
これではコイズミもブッシュの「ポチ」になってしまうのも、もっともと言えるかも知れない。


大統領選まで後数ヶ月。
ブッシュは再選を果たせるのだろうか?


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美しい夏キリシマ


日時 2004年8月14日20:15〜
場所 新文芸座
監督 黒木和雄
製作 平成14年(2002年)

(公式HPへ)

昭和20年8月、終戦直前の南九州の霧島で戦争の影響を受ける村の人々
の生活を描く。

美しい映画だ。
タイトルの通り、霧島の美しい盛夏が描かれる。
日本の田舎の美しい風景に全篇満ち満ちている。
映像の美しさは撮影の素晴らしさとして評価されるべきだろう。

「黒い雨」の広島や「軍旗はためく下に」のような激しさはない。
映画全体は非常に牧歌的だ。
しかし一見平和な、そんな暮らしの人々の中にも戦争の影響は忍び寄る。
主人公は学徒動員された工場が空襲され、友人を見捨てた事を気に病んでいる。
戦地で足を無くした兵士(寺島進)食料不足から食料庫に盗みに入る兵隊
(香川照之)そしてその兵隊から食料を分けてもらうために体を提供する女性。
それらの数々の村の人々のエピソードが淡々と描かれる。

おそらくはいい映画なのだろう。
しかし私にはどうにも淡々としすぎていて印象に残らないというのが本音。
もう少し年をとったらこういう淡々とした作品の味わいがわかるように
なるのかも知れないが、今の私のとっては薄味すぎる。

しかしそうはいっても細部は見所に満ちている。
俳優たちは主演の柄本祐(柄本明の息子だって!)をはじめ、寺島進、香川照之、
原田芳雄、などなどみんないい。
「ゼロ」を見たときいろんな点で今の日本映画界では戦時中を描く事は出来ないのか
と思ったものだが、まだまだ潜在的な力はあると解ってほっとした。
(ラストの米軍の行進の先頭を走るジープを見たときは「おおっ」と思った。
こういうシーンでは戦後の三菱製のジープが出てきたりして幻滅させられる事が
多かったので)

いい映画だとは思うが、私には印象に残らない。
ちなみにこの映画は2003年キネ旬ベストワン作品。


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黒い雨


日時 2004年8月14日17:50〜
場所 新文芸座
監督 今村昌平
製作 昭和63年(1988年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


原爆投下の時広島にいた人間たちを正面から描いた今村昌平渾身の一作。
モノクロームの映像が当時の映画のようであり、リアリティを添える。

最初の原爆投下のきのこ雲を田舎町で見る風景からスタート。
駅で爆風に会う北村和夫。
その後、市原悦子の妻と姪の田中好子と広島の爆心地を歩いて避難するわけだが
このときの広島の様子が恐い。

今まで広島長崎の原爆の様子を描いた映画は幾多もあったが、この映画が
最高に恐い。
顔が火傷でただれ、指が先が溶けてしまった少年が兄に声をかける。
「兄さん、兄さん」と呼びかけ、でも誰だか解らないので「お前、学校名を
言ってみろ」と問い詰めてしまう。
また家に挟まれて逃げられなくなった女性が当たり構わず瓦を投げつける。

広島のシーンは数回ある。
どれもこれも立派なセットでエキストラの数も多く、遠くでも人が歩いていて
その描き方の緻密さには驚かされる。

そして時間は経って昭和25年。
田中好子は器量も気立てもいいのに縁談がうまくいかない。
何度もうまくいきかけるが最後には「広島で原爆にあった」という噂が流れ
破綻になってしまう。

北村和夫の友人たち、三木のり平、小沢昭一、小林昭二もやがては次々と
原爆病で死んでいく。
死の直前、小沢昭一は北村和夫に問い掛ける。
「ほっといても勝ったろうに何で原爆をおとしたんじゃろうかいのう」
「戦争を早く終らせるためじゃったと言っとる」
「そいじゃ何で東京でなくて広島だったんじゃろうのう?」
「わからん」
「それじゃあ死んでも死にきれんのう」

そして映画の終盤、ラジオのニュースで朝鮮戦争でアメリカが原爆の使用を検討中と
伝える。
「正義の戦争より、不正儀の平和の方がまだマシじゃ。なんでそんなことがわからん」

そして戦争中のトラウマからエンジンの音を聞くと突っ込んでしまうという精神が
犯されてしまった青年と田中好子は恋仲になる。

しかしやがては田中好子の髪は抜け、原爆病の症状が出始める。
市原悦子も心労で死に、田中好子もついに倒れる。
病院に送られる田中好子を見送る北村和夫でこの映画は終る。
北村和夫が奇跡が起こるのを祈願している。

このシーンで終わりでよいのだ。
つらいことだが、結末は見えている。
そんな残酷なシーンは見たくもない。

とんでもない名作だ。
この映画ができたのは1988年。
映画の存在は知っていたが私は仕事が忙しくて見なかった。
そのことを恥じる。
心より恥じる。


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大空港


日時 2004年8月12日 
場所 DVD
監督 ジョージ・シートン
製作 1970年(昭和45年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


10年に一度という大雪に見舞われたリンカーン国際空港。
トランスワールド航空の飛行機が着陸後滑走路を走行中に
誤って脱輪してしまった。そのためその滑走路は閉鎖。
一方ターミナルでは無賃旅行を繰り返す老人(ヘレン・ヘイズ)に
航空会社は手を焼いていた。
またローマ行きの飛行機に挙動不審の乗客が乗り込む。
実は彼は機内で爆弾を爆発させ事故を起こし、保険金を妻に残そうと
計画していた。
機長(ディーン・マーティン)とスチュワーデス(ジャクリーン・ビセット)、
空港長(バート・ランカスター)とトランスワールド航空の地上客室係
(ジーン・セバーク)はそれぞれ不倫の関係があった。
それぞれの人間ドラマは進行しながら、やがて機内での爆弾爆発という
非常事態に立ち向かっていく。


言わずと知れたパニック映画の元祖とも言える作品。
原作はアーサー・ヘイリーの同名のベストセラー小説。

ひとつのところを舞台にして色々な人間ドラマを平行して描きながら最後に
起こる「事件」でそれぞれのドラマに結末がつけられるという作劇は
アーサー・ヘイリーお得意の方法。
また舞台となる場所について徹底的に取材をしてそのネタをもとにして
描かれるエピソードは本物感(リアリティ)満点だ。
(旅行保険会社の受付の子が「スイマセン、これも成績に関わるのでご協力いただき
有難うございます」と言ったり、警備員の召集をかけるのに構内アナウンスの暗号を
使うとか、税関での課税を免れようとするエピソードとか)

この映画がフォーマットになって後のパニック大作の基本になったと言うことは
言うまでもない。
またヘレン・ヘイズ扮するおばあちゃんのおとぼけぶりが面白いとか、一旦は取り
上げた爆弾がまた戻ってしまったり、一瞬は説得に応じたが結局運悪く爆発したり
とか脱輪したボーイングが邪魔で着陸できないとかサスペンスも満点だ。

ただ子供の頃見たとき思ったのは「飛行機が出発するまでが長すぎ、バート・
ランカスターやディーン・マーティンの不倫の話など余計」ということ。
大人になって見直すとさすがに「余計」とまでは言わないが、やはり前半のテンポが
だるいと言う感は否めない。

それより今回見直して気づいたのはミニチュアシーンが結構あったと言うこと。
脱輪するボーイングは多分ミニチュアだろう。
またラストで脱輪から抜け出そうとするボーイングの車輪のアップなども
ミニチュアだろう。
昔見たときはあまりにも自然で気づかなかったのだ。

何度でも観賞に耐えられ航空パニック映画の名作。
未見の方はぜひ一度ご観賞いただきたい。


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サンダーバード(日本語吹き替え版)


日時 2004年8月7日9:30〜
場所 ユニバーサルシネマとしまえんスクリーン8
監督 ジョナサン・フレイクス


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映画「サンダーバード」そのものの感想は「サンダーバード(字幕版)」を
参照していただくとして、ここでは日本語吹き替え版についての感想を。

最近は「シュレック2」などでも吹き替えに藤原紀香などを起用したりして
宣伝の話題作りに声優専門でないタレントや有名俳優を起用する事が多い。
そんな中で「サンダーバード」の吹き替えをジャニーズのアイドルグループ「V6」が
担当すると聞いた時はなかなか適任ではないかと思った。

サンダーバードのメンバーは5人+リーダーの父親。V6も年令差のある6人。
V6のメンバーが年令順に演じれば話題としてはなかなか面白い。
とまあ誰でも思いつくことだし、おそらくV6のメンバーも「6人そろって吹き替えが
出来るなんてなかなかないいい企画だ」と思ったことだろう。

ところが蓋を開けてびっくりとはこのこと。
オリジナルの人形版では多少の活躍の差はあるものの、均等に活躍したメンバーだったが
今回は末っ子のアランひとりが大活躍で他のメンバーはアップすらろくにない。
セリフだってアランと父親以外はほとんどなく、仲良く2つか3つづつだ。

そういう構成になった映画についての感想は別に書くとしてV6ファンとしては
実に騙された思いがした。
いや別にだますつもりもなかったろうが、メンバー本人たちも意外だったろうなあ。
しゃべっているのはアラン役を得た岡田准一ばっかりだ。

それでなくても岡田准一は最近は(公開は2005年だが)「東京タワー」
「ダディ、フライ、ダディ」と2本の映画主演を果たし、秋にはまた別の映画の
撮影に入るという噂さえある。
正しくV6では岡田准一のひとり勝ち状態が続いているが、この映画の吹き替えでも
岡田准一のひとり芝居ではV6全体のファンとしてはちょっと複雑だ。
メンバー間の人間関係まで気になってしまう。

岡田准一の演技をどうこう言うつもりはない。
でもこの映画の場合、(宣伝的にはやりづらいが)アラン=岡田准一、ファーマット=森田剛、
ティンティン=三宅健でやってもらった方が(ファンとしては)楽しめたような気がする。

ファンとしてはなんとなく不完全燃焼の今回のV6の日本語吹き替え版。
V6、あるいはカミングセンチュリーとして別の映画の吹き替えをまた希望したい。
あるいは(実現したら)「サンダーバード2」の時にはまたの吹き替えをしてもらいたい
ものだ。(ただし次回はメンバーも均等に活躍してね)


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ディープ・ブルー


日時 2004年8月7日21:50〜
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズスクリーン7
監督 アラステア・フォザーギル
    アンディ・バイヤット


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最近はヴァージンシネマ六本木ヒルズで映画を見ることが多いのだが
予告編を何回も見てつい見る気になってしまったのがこれ。
海洋ドキュメンタリー映画だが、実に美しい。

まさに誰も見たことのないような映像の連続でカメラマンは
苦労したことだろう。
危険と隣り合わせだったような映像も数多く見受けられ、
その苦労は想像に余りあるものがある。

イルカとサメ、カツオドリが同じイワシの群れをえさにしようと
同時に襲う所は最初は別々の日に撮った映像を編集で組み合わせたかと
思ったくらい驚異的だし、アシカの子供がシャチに襲われるという
残酷な映像も含まれている。

また大画面全体にアップで写される魚の表情はなんだかSF映画に登場する
異星物のようだ。
いや、映画全体を通しても人間はワンカットも映らず、ほとんどが海の映像であり
別の惑星の映像を見てるようである。

後半のイカのシーンなどはまるっきり怪獣映画を見てる気分になる。

とに角迫力の映像の連続だ。
もちろんCGなどでない、本物の映像だ。
CG全盛の今、撮りきりの映像が見たい方には是非お薦め。
撮りきりのスペクタクル映像の連続だ。
夏の暑い日には海の映像は涼しげでぴったり。

ただし1時間を越えると私は飽きがきました。
贅沢な話ですけども。

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サンダーバード(字幕版)


日時 2004年8月7日18:50〜
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズスクリーン5
監督 ジョナサン・フレイクス


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「サンダーバード」、その正体は謎につつまれているが、大規模な災害や事故が
発生するとどこからともなく駆けつけて巨大なメカを駆使し、不可能と思われた
人命救助をやってのけるスーパーヒーローたち。
実は元宇宙飛行士で今は大富豪のジェフ・トレーシーとその息子たちがその活動を
していた。だがトレーシー兄弟の末っ子のアランは自分も救助活動を
したいと思いながらも「まだ子供だから」という理由でその活動を禁じられていた。
そんな時、サンダーバードに恨みを持つフッドは彼らの基地をついに突き止める。
フッドはサンダーバード5号(宇宙ステーション)を襲い、トレーシー達が
5号の救助に向かった隙を狙って彼らの基地、トレーシーアイランドを襲う。
残されていたアランは親友のファーマット、トレーシーアイランドのコックの
娘ティンティン、そして国際エージェントのぺネロープ、その運転手の
パーカーと共に戦う!


いわずと知れたテレビシリーズ「サンダーバード」の実写による映画化。
不安もあったが結果的には充分楽しめた。
一言で言って「ハリーポッター」の影響が大だと思う。
ティーンの男二人と女の子が大活躍するというあたりはまるっきりそうだし、
ティンティンにいたっては超能力まで使ってしまうから、もう魔法を
使って戦う「ハリーポッター」のまんまだ。

そしてぺネロープやパーカーも大活躍する。
その上父親まで現場に出てるから、必然的にトレーシーボーイズの活躍の時間が
なくなってしまう。
スコットやバージルがテレビシリーズでは主役だったが、全く画面に出てこない。
アップもろくにないし、セリフすらほとんどないのだよ。
それとサンダーバードのメカの出番が少ない。

そういう風に前作のオマージュを期待すると不満ばかりが残るが、アランたち3人組の
大活躍の「子供向け冒険アクション」と思ってみればとっても楽しい。
この辺の割り切り、頭の切り替えさえ出来ればアクションに次ぐアクションで
とっても楽しい作品だ。

オープニングの油田火災、5号の破壊、救助に向かうトレーシー達、続いて
3号の遭難、アランたちの森の空中バイクチェイス(ここは「スターウォーズ
ジェダイの復讐」の影響か?)ロンドン急襲、モノレール事故などなど見せ場
には事欠かない。
アランと父の不和という「父と子の対立と和解」というありがちな話を
描きながらも、そっちの方はベタベタくどくどと描かないので話のテンポも落ちない
ので安心して見ていられる。

欲を言えば最後でフッドを助けるあたりがちょっとあっけなかったかな。

とに角テレビシリーズとは切り離して見ればものすごく楽しめます。
テレビシリーズのオマージュを期待するとそれこそ「あれが足りない、
これが違う」と怒り心頭する事でしょう。
私は面白かったので、皆さんにもお薦めです。


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父と暮らせば


日時 2004年8月7日16:30〜
場所 岩波ホール
監督 黒木和雄


(公式HPへ)

終戦後の広島。
図書館で受け付け係をしている美津江(宮沢りえ)はある日原爆資料の
収集をしている学者・木下(浅野忠信)と出会う。
一目ぼれした美津江だったが、彼女はどうしても木下との交際に
戸惑いを感じてしまう。
そんな時、広島の原爆で死んだ父・竹造(原田芳雄)が亡霊となって
現われる。
竹造は「恋の応援団長」を名乗り、何とか二人の仲が成就する事を願うのだったが。

井上ひさしの有名舞台劇の映画化。
「TOMORROW/明日」「美しい夏キリシマ」に続き黒木和雄の戦争レクイエム
三部作として公開。
実はこの映画の存在など知らなかったのだが、(タイトルだけ聞くとなんだか
小津安二郎の映画みたいですから)7月末の朝日新聞の映画評で
えらく誉めていたので見てみた。

うわっ。
正直言ってテーマとするところはいい内容だと認める。
ところが「映画として」は私はいかがなものかと思ってしまう。
まるっきり宮沢りえと原田芳雄の二人芝居なのだ。

これは僕としては「映画的に」かなりつらい。
舞台劇の映画化でも登場人物が多かったりすると人物の出入りがあったりして
画的な展開も作りやすいのだが、この映画の場合、場所も美津江の家だけに
限定されていて、ただもう二人でべらべらべらべらべらしゃべっているだけだ。

宮沢りえが死んだ親友の思い出を語ったり、原爆瓦の話とか溶けたガラス瓶の
話とかとに角セリフの洪水で、画的に面白みが少ない。
舞台劇ならそれもありなのだが、映画なのだからもっと画として見せて欲しいと
いうのが私の本音。

そんな中で原田芳雄も宮沢りえも非常によい演技をしている。
特に原田芳雄が昔話を広島風にアレンジした、「広島一寸法師」の件で、
鬼の中に入った一寸法師が、原爆の熱と突風で剣山のようになった瓦のかけらを
使って戦うあたりの語りはさすがベテラン俳優ならではのブラックユーモアを含んだ
名演だ。

また原爆によって広島が崩壊していく様を見せたCGもなかなかだった。
欲を言えばこのシーン、もう少し細部まで再現してくれるともっと迫力があった。

作品としては非常に良心的でいい作品だ。
ただし前述のように「映画としては」いかがかと思ってしまう。
評価の難しいところである。


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五人の突撃隊


日時 2004年8月3日
場所 録画ビデオ
監督 井上梅次
製作 昭和36年(1961年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


太平洋戦争も末期のビルマ戦線。
野上大隊は物資、食料の補給を何度も懇願したが聞き入れられない。
野上大隊長(大坂志郎)は撤退を曽根旅団長(山村総)に意見具申し、
曽根も師団長(河津清三郎)に撤退を進言するが、「お前なら出来る」と
前線の指揮を命ぜられてしまった。
曽根は野上の息子(本郷功二郎)を副官にして現地に着任する。
果たして、どう戦う?


井上梅次監督の戦争アクション。
「五人の突撃隊」というから、選抜された5人の兵がイギリス軍の懐深く潜入
する話かと思ったら、撤退作戦が主な話。
曽根旅団長は戦うと敵に見せかけて夜襲を行うが、その直後から撤退を開始。
味方を安全に避難させるため、破壊した敵の戦車を直して敵の攻撃を食い止める
作戦に出る。
その日本軍の楯となる戦車兵が本郷功二郎、藤巻潤、川口浩、川崎敬三ら。
映画の途中途中で、その五人の兵の内地(日本)での生活が回想シーンとして挿入。

本郷功二郎は兄に甘い父とうまくいっておらず、藤巻潤は愛する妻を残してきた。
川口浩はヤクザで家族の嫌われ者、川崎敬三は結婚式の夜いよいよ初夜、という時に
召集がかかって妻とは何もしないまま出征してしまった。
もうひとりは落語家として真打ちになる夢がある。

この回想シーンがやや情緒的過ぎてイマイチなのだが、彼ら五人の後にたどる運命を
語る上ではこういう作劇方法は仕方なかったか。
オープニングとラストの戦車を交えた戦闘シーンはさすが井上監督だけあって
迫力があって見ごたえ充分。

動かない戦車対イギリスの機械化部隊(戦車軍)との迫力ある戦いの後、敵の
進軍を阻むため、橋を爆破しようとするが起爆装置の故障で爆破できない!と
いう展開はお決まりとはいえ、やっぱりこうでなくては映画は盛り上がらない。

ラスト、内地ではやっかい者だった川口浩が「何で俺が生き残るんだ!」と
絶叫しながら歩く姿は反戦映画としてふさわしいラスト。

戦争の無意味さと戦争アクションの両方の面を併せ持ったなかなかの作品。
と言っても無茶苦茶面白いというほどではないのだが。

出演は他には本郷功二郎の兄役で田宮二郎がワンシーンの出演。



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