2004年9月

神様の愛い奴 IZO
アトミック・カフェ 戦艦大和 台風騒動記 ヴィレッジ
フォッグ・オブ・ウォー ディープ・インパクト 私が棄てた女 あゝ零戦
蟻地獄作戦 のら犬作戦 潜水艦ろ号未だ浮上せず ゆきゆきて、神軍

神様の愛い奴


日時 2004年9月26日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 藤原章
    大宮イチ

(詳しくはキネ旬データベースで)
(公式HPへ)

「ゆきゆきて、神軍」の奥崎謙三の出所後の姿がここにある。

「ゆきゆきて、神軍」を見てから監督の原氏の書いた製作ノートを
読んだのだが、製作の裏側はそうとう大変だったらしい。
二言めには「映画はもう止める!」と言い出し、原氏に対しては罵声をとばす。
実はその製作ノートを笑いながら読んだのだが、この「神様の愛い奴」を見た今では
笑いながら読んで原氏に申し訳なかったと思ってしまった。

この作品ではカメラは奥崎が出所する姿をとらえる所からはじまる。
そしてホテルへ行ってから刑務所内で考えたという「血栓溶解法」の説明を行う。
手足を激しく動かすことによって血の循環をよくし、血栓を溶かしてしまおうと
言うわけだ。

奥崎の説教は延々と続く。
帰ろうとするスタッフに「俺の話が聞けないのか!だからお前はダメなんだ!」と
怒鳴り散らす。
原氏の製作ノートに書かれた奥崎の罵声が今度はちゃんと映し出される。
VTR撮りの作品だからなせる技。カメラは小さいし、照明も暗くても大丈夫だし
長時間の録画が可能だ。

「ゆきゆきて〜」で仲人を務めた太田垣さんが登場するが、今は彼さえも
奥崎のことは信用できないという。
しかしスタッフは奥崎を「先生、先生」とおだて上げ、彼の機嫌をよくしようと必死だ。
もちろん(多分)スタッフも腹の中ではあきれ果てていても、奥崎にどんどん喋らせるために
何も抵抗せずにご機嫌伺いをする。

ところがスタッフもしたたか。
AVに主演してもらう、という名目で(いや本気でAVを撮ろうとしていたのかも知れないが)
奥崎にセックスをさせ、文字通り丸裸にする。
それだけではなく女装もさせ、女優のおしっこを飲ませ、奥崎の体に女優が糞をする
というスカトロ行為までさせる。
スカトロまでさせたのだからこれで極まったと思ったら、今度はSMプレイだ。
奥崎がマゾ役になり、女王様に浣腸までさせられて(もちろん奥崎がされるのだ)
ペニスバンドをつけた女王様にアナルセックスまでさせられるのだ!!
しまいには女優と喧嘩になる・・・

どっと疲れた。
映画を見てこんなに疲れたのは初めてかも知れない。

この作品のスタッフは奥崎をおだてるだけおだてておいて、丸裸にして
奥崎謙三という男のワガママ、自分勝手振りを描き出す。

「ゆきゆきて、神軍」という作品は奥崎を描くというより、やはり奥崎という男を
通して天皇や戦争を描いていたと思う。
出所後の奥崎は天皇も戦争もなく、ただただ「血栓溶解法」で「ゴッドワールド」で
「自分は神様に愛されている偉いヒト」だ。

所詮は奥崎という男はただの目立ちたいだけ、尊敬されたいだけの男だったのか?
彼にとっては戦争、天皇は目的ではなく、単なる目立つための手段でしかなかったのか?
私が奥崎を面白いと思ったのは、「たった一人で、天皇、戦争に立ち向かっていく男」
という点だったのに、それは買いかぶりでしかなかったのか?
昭和天皇も田中角栄も死んだ今、喧嘩を売って話題になる相手がいなくなって、
本音が出たのか?

「ゆきゆきて、神軍」とセットでご覧いただきたい一編だ。
但し覚悟してみていただきたい。
奥崎がスタッフに怒鳴っている姿を見ると、自分が怒鳴られてる気になってくる。
奥崎を殴りたい衝動に駆られるので、それを抑えるのは非常に疲れる。

私にはある意味、見ないほうがよかったかも知れない。


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IZO


日時 2004年9月26日16:00〜
場所 イメージフォーラム(1F)
監督 三池崇史

(公式HPへ)


朝日新聞に好意的な批評が載っていたし、オールスターキャストなので
あんまり趣味でない三池監督だが、とりあえず見てきた。

幕末、武市半平太の命令により殺人マシーンと化したIZOは処刑後も
その怨念は休まらず、時空を越え、その殺戮は止まらない・・・・

話はほとんどあってないようなもの。
闇の世界の支配者たちがいて、そしてIZOを殺そうとして送り込まれた
奴たちとの対決の殺戮シーンが延々と続く。
まずは手始めに現代の風景に新撰組がやってきたと思えば、江戸時代の
長屋にSATが現われる、そして今度は現代のショボイ飲み屋街に「御用だ!
御用だ!」と御用提灯で囲まれる。
そして安岡力也や内田裕也もやってくる。

まあそんな殺戮シーンが際限なく続く。
江戸時代にSATとかその不釣合いな画になんとなく可笑しさも憶えるが、
2時間以上もやられるとさすがにつらい、というか飽きてくる。
加えて「友川かずき」なる人が出てきて、70年代貧乏フォークをがなりたてて
歌うもんだから(私、こういう苦手、というか嫌い)辟易した。

映画が終った時は正直言ってほっとした。
周りの観客もほっとしてるように見えたがどうだったのだろうか??

それにしてもオールスターキャスト。
ビートたけし、岡田真澄、片岡鶴太郎、原田芳雄、緒形拳、松方弘樹に桃井かおり、
内田裕也、石橋蓮司、松田龍平、ミッキー・カーチス、秋野太作、遠藤憲一、寺島進、
高瀬春奈、山本太郎、及川光博、大滝秀治、勝野洋、樹木希林、篠田三郎、ジョー山中、
長門裕之、安岡力也、そしてボブ・サップ。
よくまあこれだけ集めたねえ。

三池崇史の力ってすごいね。


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アトミック・カフェ


日時 2004年9月25日21:10〜
場所 ユーロスペース2
監督 ケヴィン・ラファティ、ジェーン・ローダー、ピアースラファティ
製作 1982年

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「ボウリング・フォー・コロンバイン」を観た時、「あっ『アトミック・カフェ』だ」
と思ったのだが、それは全く正解でマイケル・ムーアはこの映画のスタッフに
映画の作り方と教わったという。
またこの映画の監督のラファティ兄弟は、驚くことになんとブッシュ現大統領の
いとこになるそうだ。
一体アメリカという国はどういう国なのだ???
日本公開は83年(だったと思う)で昨今のマイケル・ムーアブームでのリバイバル
公開だ。私は初公開時(たしか新宿東映でのレイトショー公開だったと思う)も見ているが
もう一度見たいと思っていたところだった。

映画はやっぱり編集だなあと思う。あらためて思う。
取捨選択、組み合わせによって当初と違ったものが見えてくるのは
映画に限ったことではないかも知れないのだが。

この映画は第二次世界大戦後、冷戦の時代に作られた主に「原爆」「水爆」に
関しての米軍が作った宣伝映画を再編集した一種のドキュメンタリー映画だ。
もちろん単なる短縮版ではなく、アイロニーに満ち溢れた仕上がりになっている。


登場する映画たちがすごい。
まず徹底的にソ連を敵に見なす。
ソ連は言論の自由がなくて、物はなくて食料は配給制で暮らしにくい社会だと
不安を、敵対意識をあおる。
もうバタバタとウチワであおるようにあおる。そのバタバタという音が画面から
聞こえてきそうだ。

「もしもソ連に占領されたら」という内容の映画では新聞社は占領され、スープを
貰うにも行列に並ぶ世界になると説明する。
シェルター付の家を買いましょうと各家庭に核シェルターをつけることを推奨する。
しかしラファティ兄弟は別の学者が「シェルターをつけたら今度は誰がシェルターに
入れるかで争いが起きるだろう」警告するシーンを挿入する。

他にも「放射能を浴びたら髪の毛が抜けます。でもとりあえずかつらをかぶりましょう。
大丈夫、髪はまた生えます」とか、将校が兵士に「核爆弾で恐いのは爆発と熱と放射能。
でも放射能はいちばん大したことはない」とか無茶苦茶なことを教え込む。
またビキニでの核実験のあと被爆者の映像と米国の高官が「別に地元民への被害は
ありません。大したことはありません」という映像をモンタージュする。

最高に傑作なのはもし核攻撃があっても伏せて机の下などに隠れれば大丈夫と
説明する映像だ。
思わず笑わずにはいられない。
日本人は広島、長崎のおかげで原水爆の恐ろしさはある程度は知っている。
ところがアメリカ人はかなり無知らしい。
どうもあの国は日本人が考える以上に情報操作があるのかも知れない。

話はそれるが私は常々サミットは一度は広島でやるべきだと思う。
世界各国の首脳が原爆資料館を見学したらすごいだろうな。
また各国のプレスも資料館を見学するのだ。
で、原爆ドームをバックに写真を撮影する。
折角だから厳島神社にも行って「オリエンタルムード」も演出すればいいのだ。
すごいなあ。想像しただけでニンマリしてしまう。

原爆に限らず、政府のプロパガンダがいかに嘘ばっかりかを暴く快作!
是非皆さんもご覧を!


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戦艦大和


日時 2004年9月20日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 阿部豊
協力監督 松林宗恵
製作 昭和28年(1953年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


戦艦大和の沖縄特攻決定から出撃、沈没までの日々を描いた戦争大作。

この映画は昭和28年の新東宝作品で、その後の「太平洋の嵐」などの戦争スペクタクル
作品と比べると全体的なダルさ、テンポの遅さは否定できない。
また特撮の水準もまだまだで、大和の砲台をバックに兵士が勢ぞろいしているカットなど、
砲台が「書き割り!」という感がしてしまう。

前半は戦場に向かう乗組員たちが並行して描かれる。
軍医は「俺の女房はまだ18だ」とやや自慢げに語る。
しかし最後の上陸許可が下りた時には急患で下船しなかったという。
「急患だったら誰かに代わってもらうことも出来たんじゃないですか?」と問う部下に
「うん。しかしひょっとしたら俺はあいつをきれいなままにしておきたかったのかも知れん」
と答える。

また高島忠夫の関西の坊ちゃん風の士官は同期生に「ちょっと聞きたいんだが、お前、女を
知ってるか?」聞かれたほうも「俺も知らん」と答えると「そうか、ちょっと安心した」
とにっこり答える。
また戦闘が近づきイライラして兵に「気合がはいっとらん!」と無意味に敬礼の練習を
させる若い将校などなど登場人物様々なエピソードが描かれる。

(アメリカ生まれの士官がいるあたり、90年ごろ市川崑監督がテレビで撮った「戦艦大和」
にも同じようなエピソードがあったと記憶する。同じ原作なのだろうか?)

最後の30分はいよいよ戦闘が始まる。徐々に傾斜していくあたりのリアル感はなかなかの
もの。
また最後の大和爆発シーンは見ごたえがあった。
(この爆発シーン、後の「連合艦隊」の大和の最後のシーンと似ている。
誰が撮っても爆発シーンだから似たようになるかも知れないが、参考にされたのかも知れない)

確かに今見ると全体的に間延びしたかなり退屈な映画。
だが戦争が終ってまだ8年の製作当時では大和特攻はついこの間のことだろうし、印象は
違ったろう。

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台風騒動記


日時 2004年9月20日17:10〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 山本薩夫
製作 昭和31年

(詳しくはキネ旬データベースで)


そうとう面白い映画。

ある海辺の町で台風の被害があった。
町長は以前から計画していた小学校の校舎を鉄筋コンクリートの立派な校舎に
建て替えるためこの台風を利用しようとする。
台風で壊れなかった校舎を台風で全壊したことにして国から補助金をいただこうと
いう作戦だ。
町議会も仲間になって補助金を騙し取る事を全会一致で可決。
県会議員の後押しや、建て替えの工事請負を狙う土建屋も巻き込んでの大騒ぎへ!


山本薩夫らしい社会風刺劇。後の「金環蝕」「華麗なる一族」などの原点が
ここにあるといえるだろう。

もう出てくる役者が曲者ぞろい。
渡辺篤の町長をはじめ、町会議員の三島雅夫、三井弘次、議長の左卜全、県会議員の
永井智雄、警官の多々良純、小学校の校長に加藤嘉、町の人々に飯田蝶子や井上昭文、
そして嵯峨善兵に細川俊夫、増田順二。
それに加えて主人公の青年たちに佐田啓二や菅原謙二。
こういう個性ある役者の使い方がうまいというのは、もう山本薩夫の持ち味。
彼の映画にでるバイプレーヤーたちはほんとに生き生きしている。

この映画は昭和31年で今から50年近く前の映画。
しかしこの税金たかり体質というのは今も変わらない。
公共事業依存の体質は別に最近のことではないのだ。
いや公共事業だけではない。
先のBSE(狂牛病)の時の食肉メーカーへの補助金詐欺事件と全く同じだ。
この国は50年経っても何も変わっていない。
そして関係者の投書によって事態が暴かれるのだ。

ラストがハッピーエンドなのがちょっと甘い気がするが、この終り方もありなのかも
知れない。
山本薩夫の代表作に入れていいだろう。


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ヴィレッジ


日時 2004年9月19日20:40〜
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン5
監督 M・ナイト・シャラマン

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1800年代の終わりごろのアメリカの或る田舎の村。
この村を取り囲む森には決して入ってはならない事とされていた。
森には魔物が住むと言い伝えられている。
村は平和に保たれていたが、盲目の少女が村の若者と婚約する。
しかし彼女には幼なじみの智恵遅れの若者が嫉妬して、婚約者の
若者をナイフで刺してしまう。
村にある薬では足らず、彼女は村の外の町へ行く決意をする。
しかしそれには魔物の住む森を抜けなければならない。

「サイン」のナイト・シャラマンの新作。
この人の出世作「シックス・センス」を見ていないのでシャラマンについては
語る資格が足らないのだが、この映画、宣伝などで紹介されるアウトラインとか
宣伝文句から想像される映画とは別のラストを迎えてしまう。
それをどんでん返しとかオチとか呼ぶのだろうが、人によっては「あんなのあり
??」とか思ってしまうらしい。

未見のためにストレートにはかけないのだけれど、この映画は森に住む魔物に襲われる
村人の恐怖のホラー映画、もしくはモンスター映画、と思ってみるとラストでひっくり
返される。
しかし後から考えるとシナリオの伏線がよく出来ている。
主人公は何故盲目の設定なのか?何故1800年代を舞台にしているのか?
などなどが重要な伏線であり、その計算されたシナリオには感心してしまう。

「サイン」は宇宙人襲来の話のように宣伝しておいて、その実、予感を信じるか、
という人間の信仰心の話だった。この映画もモンスターホラー映画と思わせておいて、
人間たちが犯罪のない平和なユートピアを作ろうとしている話だ。
こういう設定を根底からひっくり返してしまう話は「ミステリーゾーン(トワイライト
ゾーン)」によくあったが、最近はとんと見かけなくなった。

シャラマンのことを「21世紀のヒッチコック」という評判はいささか誉めすぎだと
思うが、シナリオが作りこまれたまっとうな映画だ。
前半にはややダルさを感じたり、サウンドを大きくして驚かせたりするあたりが
安易ですこしいただけないと思ったが、後半の種明かしは気にいった。

次回作も見たいと思う。


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フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白


日時 2004年9月19日18:30〜
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン3
監督 エロール・モリス

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一種のドキュメンタリー映画ブームである。
マイケル・ムーアがその火付け役になったのだろうが、この映画も昨今の
ドキュメンタリー映画ブームがなければ公開されなかったかも知れない。
公開規模も全国のTOHOシネマズチェーン(旧ヴァージンシネマズ)のみ
という小規模なもの。

マクナマラ長官というのは太平洋戦争中から軍の要職にあり、その後自動車の
フォード社社長、ケネディ大統領に要請されて国防長官に就任、キューバ危機
ベトナム戦争時の戦争の中枢にいた男だ。

映画の中で語られる戦争は主に3つ。
キューバ危機、太平洋戦争、そしてベトナム戦争だ。
昭和20年3月の東京大空襲も「一晩に10万人の一般市民を殺してもよいと
いえるだろうか?しかし戦争にはルールはなかった。一晩に何人までなら殺してよい
というルールはない」
同時に原爆についても「あの時点で日本はすでに半分以上が焼け野原だった。
原爆を落とす必要性はなかったと思う」と話す。

キューバ危機は回避できた。それはソ連の立場にたってフルシチョフの本音を
見出す事により、回避された。しかし、ベトナムの時には相手の本音を
読み取れなかったから終結の糸口が見出せずに来てしまったと話す。
また冷戦時代(いや冷戦=COLD WARではなく熱い戦争=HOT WAR
であったと話すのだが)空くなくともソ連との核戦争の危機が2、3回はあったと
話す。
またタカ派のルメル将軍というのが現実にいて、これがまるで「博士の異常な愛情」の
ジョージ・C・スコットのタージントン将軍を髣髴とさせる。

これらの事実は非常に衝撃的で驚きに値する。
しかしキューバ危機、ベトナム戦争などを同時代者として経験したひとにはもっと
衝撃だろう。(そのせいか、観客の年令層は高かったように思う)
映画としてはインタビューシーンが多く、時折かつての記録映像が挿入される感じで
編集による作為的なシーンは特別にないように思う。
正面から捕えた映画だ。

マクナマラ氏が生まれた頃は第一次大戦の終結の年だった。
その時の大統領のウイルソンは「これは戦争を無くすための戦争だ」と言ったそうだ。
しかし戦争はなくならない。
マクナマラ氏は「戦争がなくなるとは思わない。人間の本質は変わらないと思う」という。

100年経っても同じことを言っているのだろうか?
私自身は世界は徐々にではあるが、戦争はなくなる方向に向かっていると思うが
それは楽観すぎるだろうか?


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ディープ・インパクト


日時 2004年9月18日
場所 DVD
監督 ミミ・レダー
製作 1998年

(詳しくはキネ旬データベースで)


TVジャーナリストのジェニーは財務長官の突然辞任の真相を探るうちに
「ELLE(エリー)」という女性との不倫が理由という情報を得る。
辞任した財務長官に会って「私はエリーについて知っています」というと何やら
噛み合わない答えしか返ってこない。
彼女はその後FBIに連行され、そこへ合衆国大統領(モーガン・フリーマン)
が現われる。「エリーについては数日中に発表する。それまでは公表を控えて欲しい」
エリーとは女性の名前ではなかったのだ!
あと1年で地球に衝突する可能性のある彗星が発見されたのだった。


彗星が地球に衝突する!というSFは古くから存在する定番ネタだが、この映画は
好きな作品だ。
その半年後に同じ彗星衝突もので「アルマゲドン」が公開されたが、こちらは
彗星爆破の特攻チームが話の中心でなんだか戦争映画っぽいテイストだったが
この「ディープ・インパクト」はテイストが異なっている。

どちらかというと死ぬ時にはだれと一緒にいたいか?という家族愛のテイストが強く、
いよいよ彗星衝突!という瞬間には主要人物たちの姿がカットバックされるが、
充分泣かせるのだ。

前半のクライマックスは彗星爆破に向かった宇宙船の核爆弾を仕掛けるシーン。
この辺の計画の失敗はこういう映画の定石の展開。
彗星はなくならずに二つに分かれただけだった。
船は故障し、地球との交信も途絶える。
地球に衝突する寸前、船長(ロバート・デュパル)の提案により、自分たちが
大きな彗星の洞窟の中に入り、そこで核爆発を起し彗星を爆破する事になる。
この辺の無私の特攻精神がなんとも泣かせる。

「映画において観客がいちばん泣くのは自己犠牲の精神だ」と言う意味のことを
ジェリー・ブラッカイマーが言っていたと思うが、そのものの展開だ。
日本映画なら「ゴジラ」とか「ウルトラQ」でもよくある展開だが、アメリカ映画では
こういう展開は余り見たことがないような・・・・

(この後宇宙飛行士の家族が別れのためにヒューストンにやってくるのだが、モニター
越しの会話が「COSMIC RESCUE」の元ネタではないか?と今回気がついた。
子供が宇宙船のおもちゃを持っていたり、モニター越しに手を合わせるとこなんかが
「いただき」ではないか?いつか確認してみたい)

そして地球が助かってしまっては破壊のスペクタクルシーンがなくなってしまうので
小彗星の方が大西洋に落下し、ニューヨークが水没するのだ。
こういう地球も助かりつつ、破壊スペクタクルシーンも作った展開がなんともうまい。
この大津波シーンはものすごい迫力。
(もちろんWTCのツインタワーもまだ存在する!)
公開当時は今ほどCGがさかんではなかったから、圧倒された憶えがある。

終末SFとして秀作。
その証拠にDVDまで買ってしまいましたから。

追記
最初に彗星を発見する高校生が「ロード・オブ・ザ・リング」のイライジャ・ウッドとは
今回見直すまで知りませんでした。
特に名前を覚えるほど印象的ではなかったのか。


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私が棄てた女


日時 2004年9月18日17:10〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 浦山桐郎
製作 昭和44年(1969年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


久々によく解らない映画を見た。
以前からタイトルは知っていたが見逃していたこの映画、主演はめずらしく
河原崎長一郎。
「されどわれらが日々」のような内容かと思ったらちょっと違う。

60年安保に挫折した吉岡(河原崎長一郎)は失意の日々を送っていた。
そんな時雑誌の文通欄で田舎出の、今は工場に住み込みで働いている女
・森田ミツ(小林トシ江)と出会う。
一流大学の学生からするとミツは知性も金も美貌もない女だ。
肉体関係を持ったものの、長続きさせる気はなく、逃げるように別れてしまう。
やがて吉岡は自動車会社に就職し学者らに働き、社長の姪マリ子(浅丘ルリ子)と
結婚しようとするのだが、かつて自分が棄てたミツと再会してしまう。

こんな感じの話。
この田舎娘というのが小林トシ江でこれがはまり役。ちょっとデブなところが
外見的には魅力のない女になっている。
吉岡はマリ子と結婚しようとするがかといって彼女の親戚連中の貧乏人を
見下す感覚にはついていけない。
しかし田舎娘との地味に暮らしていく気にもなれずに中途半端な状態だ。
この辺の男のエゴに吉岡は苦悩する。

映画は最終的にはカラーになるのだが、対立した妻・マリ子とミツが仲良く川で
洗濯をしているイメージ画像になったり、その前後にまるで戦争でもあったかのような
荒廃した都会で能面をつけた警官隊に吉岡が追われたりする。
(この能面が映画中随所に登場する)
能面は非常に不気味な表情で、常に吉岡を嘲笑ってるかのように彼を見える。
これは自分を嘲笑って見るもう一人の自分なのだろうか?

そしてラストは途中で出てきた加藤武の乱暴者の男とマリ子と吉岡と
三人で仲良く夕食の相談をしているシーンになる。
で、ラストシーンは海に沈む夕陽の画で、水平線を馬が右から左に駆け抜ける。

途中までは理解できたが、ラストは正直よくわからなくなったなあ。
昔はよく解らない映画のときは「まだ自分が若いから」と思ってたけど、だんだん
年をとってくると「解らんのは解らん。表現が下手」と人のせいに出来るように
なった。
余り深く考える必要はないのかも知れない。


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あゝ零戦


日時 2004年9月12日
場所 録画DVD
監督 村山三男
製作 昭和40年(1965年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


オープニングは現代の東京のデパートで展示されている零戦のシーンから
はじまる。
「今はゼロ戦も商売の道具にされてしまった」というアイロニーの物語に
なるかと思ったらそうはならない。

映画は昭和17年の南方戦線に話は変わる。
日増しに戦況は悪化していったが、本郷功次郎の飛行隊長は「ゼロ戦は戦い方次第で
まだまだ戦える」とその性能のよさを語っている。
ところが司令部は戦闘機のゼロ戦に250キロ爆弾を積ませるという爆撃機としての
使い方を命令する。
ここで本郷隊長は「ゼロ戦は馬力が弱い。しかし弱いという事は燃料を食わないので
飛行距離が長い。また機体が軽いので小回りがきくので空中戦には優位。そんな零戦の
優位性を無視した爆撃機としての使い方は絶対に反対」と主張する。

ところが根上淳の参謀はその意見を無視し、爆弾を積んでのテスト飛行を命じる。
本郷隊長が250キロ爆弾を積んでのテスト飛行を行うが爆弾を投下直後の急上昇に
耐えられずにゼロ戦は羽根が折れて墜落してしまう。
そして歴戦の名パイロットの早川雄三飛曹もその後の戦闘で死んでしまう。

この映画、ここで魅力はなくなってしまった。
何しろこの映画を引っ張っていってくれると思われた魅力あるキャラクターの
本郷隊長と早川雄三飛曹がはじまって30分で戦死してしまうのだ。

この後、長谷川明男なる人が演じる夏畑中尉が主人公になっていくのだが、この人まるっきり
主役としての華がないので映画はちっとも盛り上がらず、森谷司郎の「ゼロファイター
大空戦」のような内容を期待したが、よくあるただの特攻隊ものに話は移行していく。

実をいうと最近戦争映画を立て続けに見ているので、やや食傷気味なのだが、それにしても
特攻隊の話が単なるメロドラマのような「お決まりの悲劇」的な感じになってしまい、
なんだか作ってる側にものすごくイージーな製作姿勢があるように見えてしまった。

したがって後半の1時間はものすごく退屈。
そんな中でも二木てるみの少女を夏畑中尉が訪ねるエピソード(いつも上空を飛ぶ時に
日の丸を振ってくれる人があるので、特攻の前夜に訪ねるのだ)がすこし印象深い。
また夏畑中尉が同期生と戦地で再会するのだが、その翌日出撃したまま同期生は帰って
こない、という「連合艦隊」にあったようなエピソードもあった。
脚本が同じ須崎勝弥だからだろうと思うけど。


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蟻地獄作戦


日時 2004年9月11日26:30〜
場所 浅草東宝
監督 坪島孝
製作 昭和39年(1964年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


中国奥地の東平橋。八路軍の機動部隊が進撃するのを防ぐ要の橋だが、
八路軍の襲撃により敵の手に落ちてしまう。
田崎潤大隊長は(何やら私腹を肥やしているらしいのだが)師団司令部の
命により東平橋爆破の決死隊を選抜する。
営倉送りの佐藤允と平田昭彦、内地では泥棒だった堺左千夫、落ちぶれた
大陸浪人の中丸忠雄、そして真面目な一年兵工兵の夏木陽介という豪華メンバー。
これをまとめる隊長は各部隊をたらいまわしにされていて、本来、東平橋守備隊隊長
になるはずだった将校、仲代達矢。
さてさて橋の爆破はなるか??

作戦シリーズ最終作。「やま猫」「のら犬」とイマイチな作品が続いたが
それを取り戻す面白さ。

キャストを見ていただければ解るとおりこれだけの豪華メンバーがそろっていては
一筋縄では行くまいという観客の期待を裏切らない面白さ。
出発早々これ幸いと逃げ出そうとする者がいたり、ジンギスカンの末裔を名乗る馬賊
(三橋達也)に武器を取上げられたり、一夜明かした寺で出会ったおしの少年を
仲間に加えたり、八路軍に敵対するゲリラに襲われたりと次から次へと事件は起こる。
そのゲリラ(柳谷寛)を道案内も兼ねて仲間に引き入れた思ったら
今度は負傷者がでて、その治療のために八路軍の医者(谷啓!)を誘拐してきたり
ユーモラスかつスリリングな展開はシリーズ最高級。
(この谷啓の手術のシーンが『西部劇で見たとおりにやってみる』と酒をかけたナイフで
弾を抜き出し、火薬で傷口を焼くという治療法!)
最後に裏切り者がいるということが解るのだが、これが意外な人物!

ラストはこのシリーズお決まりの、生き残った全員で日本軍を離れ大陸浪人になる
というもの。

監督は坪島孝。
クレージー映画を撮っただけあって、谷啓が登場したり、ワンシーンだけ遠藤辰雄が出てきたり
笑わせどころでの役者の使い方も心得ている。
今まで作戦シリーズには出ていなかった仲代達矢を主役に迎え、オールスターで見せる
重量級の面白さだった。


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のら犬作戦


日時 2004年9月11日24:40〜
場所 浅草東宝
監督 福田純
製作 昭和38年(1963年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


浅草東宝、今夜は「作戦シリーズ」特集。
「独立愚連隊」「独立愚連隊西へ」から波及したコメディ感覚を含めた戦争アクション
シリーズ。今夜は「どぶ鼠作戦」「やま猫作戦」も上映されたが、この2作品は
以前に見ているので、今夜は3本目から。

中国奥地でのある砦で大隊長の葬儀が行われ、平田昭彦の中尉が強引に指揮を
取り始める。
後任の大隊長がやってくるようだが、連絡が途中で途切れ、詳細はわからない。
そこへもぐりの慰問と賞して怪しげな手品師(佐藤允)がやってくる。
実は大隊長は誰かに殺されたらしい。
その動機は?その犯人は?

「やま猫作戦」ではカラーだったが、再び白黒に戻っていて、今回は日本軍内部での
腹の探り合いが話の中心。
佐藤允のオトボケぶりや、最初は脇役っぽかった門番兵の藤木悠がだんだん重要に
なってきたり、いかにも何かたくらむ平田昭彦副官や、藪医者に見えて実は一筋縄では
行かない三橋達也軍医、沢村いき雄のいかにもこすっからい売春宿の親父とか
キャラクターは面白いのだが、いかんせんストーリーに盛り上がりに欠ける。

結局、殺された前隊長は軍需物資として阿片をドラム缶3本に隠して貯蔵していたのだが、
それを奪うために殺されたというのが事件の真相。
で肝心の大隊長殺しの犯人だが、全くひねりがないのだよ。

実は犯人がわかる直前の5分間ぐらい寝たのだが、この5分間に盛り上がりがあったのかも
知れないが、犯人に意外性がなくてガッカリだった。
これくらい意外性がないのもめずらしいくらいだった。

佐藤允が手品師という設定で、突然タバコを出したり、旗を出したりでユーモアがあって
笑えるのだが、作品全体としては面白みにかけた。
あと今回私が見たプリントは夏木陽介、団令子、堺左千夫らの中国人のシーンに日本語字幕が
ないプリントで、ここだけ話がわからないものだから、余計に話しについていけずに残念。
今度はきちんとしたプリントで見直したい。


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潜水艦ろ号未だ浮上せず


日時 2004年9月11日
場所 録画DVD
監督 野村浩将
製作 昭和29年(1954年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


もうタイトルを聞いただけで内容が想像できてしまう新東宝戦争映画。

藤田進を艦長とするろ号潜水艦は丹波哲郎の副長、中山昭二の軍医などを
乗組員として活躍著しかった。一旦横須賀基地にかえるろ号。
電探(レーダー)を強力なものに改良するよう進言するが、司令部は特攻作戦を
作戦の主軸におこうとし、聞く耳を持たない。
そんな中、中山昭二の軍医と聴音長はそれぞれ料亭の芸者と恋仲になっていた。
南方の島に補給を命じられるが、島への補給が完了した後、潜水艦に乗組員が
戻る途中に敵機の襲来にあい、艦長は迷った挙句に中山昭二を残して
潜行してしまう。
帰還するろ号。
やがて彼らにも最後の出撃命令が下る!

盛り上がりに欠ける演出のため、まるっきり迫力がない。
中山昭二を残して潜行してしまうあたりの艦長の迷いは、シチュエーションとしては
面白いのだが、泳ぐ中山昭二とそれを艦橋から見る藤田進のカットバックだけなので
盛り上がらない。
ここは潜行を進言する副長、襲来する敵機、潜行命令を待つ艦の内部、などなど各所を
カットバックでつなげばまだ盛り上がったろうに。

その他、聴音長と芸者の最後の別れ(桟橋から見送るだけのシーン)とか小鳥を飼っている
機関長の見た目に似合わない優しさなどエピソードとしては面白くなりそうなものが
あっただけに凡庸な演出は惜しい。

と書くと見所がないみたいだけど、潜水艦内部の動き、(浮上の時のバルブ操作、魚雷の
装填シーンなど)実写フィルムを用いての描写でやっぱり本物ならではの迫力。

いやそれよりも艦内内部の移動のカットがすごいのだ。
文章にはものすごくしづらいのだけど、人物が艦内のいろんな部屋を抜けながら手前に
進んでくるシーンがあるのだが、それが全部カメラが後ろに下がる形で移動する。
ところが潜水艦だから所々には艦内の部屋と部屋を仕切るハッチがある。
このハッチの周りの部分が床から立ち上がっている形だから、ただカメラがバックしただけなら
その床から立ち上がっている部分にぶつかってしまう筈だが、カメラはすいすいと
後ろに下がっていくのだよ。

読んで私の言っていることが解ってもらえたか不安なんだけど、どうやってやったんだろう?
ズームダウンじゃなくてカメラ自体が移動してるように見えたのだが・・・・
僕の中では仮説があるのだけれど、確認してみたいなあ。
関係者に意見を聞いて見たいものだ。


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ゆきゆきて、神軍


日時 2004年9月4日
場所 下北沢シネマアートン
監督 原一男
製作 昭和62年(1987年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


神戸でバッテリー商を営む奥崎謙三。
彼は神軍平等兵を名乗り、天皇の戦争責任を追及するため皇居で一般参賀の時に
天皇に向かってパチンコ球を撃ち、天皇ポルノビラを東京のデパート屋上から
ばら撒いた男だ。
また彼の交友は広く、後のオウム事件の弁護士で有名になった遠藤誠氏とも親交が
あったらしく、何かのパーティで祝辞さえ述べるシーンが挿入される。
そして彼は戦時中の同じ部隊だった人間が戦後23日たってから処刑された事実の
真実を追究するため、その事件に関わったかつての戦友たちを訪ね歩く。
その口調は激しく、観る者を圧倒させる。

かなり面白い映画だ。
封切りのときにも見ているから2度目だが、それでも充分面白かった。
しかし、それが「映画」の面白さなのか、「奥崎謙三」という人物の面白さなのかは
判然としないのだけれども。

関係者の口は重く、「喋っていいことと喋れないことがある」と口をつぐむ。
「何故喋れなのか!あなたにやましい事がないならカメラの前だろうとなんだろうと
喋れるはずだ!」と追求を止めない。
そしてしまいには相手に殴りかかる事も少なくない。
しかしその後に見せる奥崎の人懐っこい笑顔や「どうも失礼しました」とぺこりと
頭を下げる態度にこの男を憎む気にはなれない。

また警察に対しても彼の態度は変わらない。
法律など権力者が自分の都合のいいように作ったもので、神の法の前では
何の意味ももたないのだ。
そして天皇のことを終戦時に何の責任も取らなかった無責任者と言って非難する。

映画を見る私は終始そのパワフルさには圧倒され、尊敬の念すら抱いてしまう。

そしてもう一つ描かれるのはこの映画で奥崎謙三の標的になった人々、つまり
かつての戦友たちだ。
事件の真相は実はニューギニアで処刑された人々は飢餓のために食料にされた
らしいのだ。
人肉のことを「代用豚」とも称し、現地人や白人を「黒豚」「白豚」と呼んで
いたのだ。
まさに深作欣二の「軍旗はためく下に」と同じ世界があったのだ。

そして彼らは現在、一般市民としてどこにでもいるような人として暮らしている。
見たところ、それほど裕福そうな人はおらず、とても戦場で悲惨な体験を
したような人には見えない。
そこが妙に恐い。

そして最後に奥崎は戦時中の分隊長を殺しにいってしまう。
(もちろん映画中にそのシーンはなく、字幕と新聞記事で示されるだけだ)


奥崎謙三という男には賛否両論あると思う。
しかも映画に登場する奥崎はあくまで「撮影される事を意識している奥崎」だ。
原氏の書いた製作ノートによると(まだ全部読んでいないのだが)かなり奥崎自身の
演技、演出がはいっているらしい。

したがってこの映画を見ただけで「奥崎謙三」を見たことにはならないように思う。
しかし彼のパワフルさには圧倒され、何か魅力を感じてしまう。
だからこの映画は奥崎謙三という男のしたたかな彼の宣伝映画になっているとも
いえるのだが、映画として2時間見ていて飽きない。

彼のその後も知りたくなってきた。


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