2004年11月

血と骨
鯨神 風速七十五米 あゝ海軍 2046
TUBEチューブ 隠し剣鬼の爪 笑の大学 人間魚雷回天

血と骨


2004年11月28日19:00〜
新宿ピカデリー3
監督 崔洋一

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韓国済州島生まれの金俊平(ビートたけし)は大正11年、新天地を求めて大阪にやってきた。
戦後、彼はかまぼこ工場を起こし、大成功をする。
しかしそのやり方は家族、従業員すべてに対して暴力的で
女に対してもそれは変わらなかった。

ビートたけし、崔洋一という今日本映画で一番面白くなりそうな組み合わせ。
期待したが、裏切られた。
全編ビートたけしが暴れまくて女とやり放題している映画で、金俊平は
ホームドラマにみられるような「愛すべきカミナリ親父」ではない。

鈴木京香(金の妻)に殴る蹴る犯すを連発、残業を拒む従業員にやけど負わせる、
めかけを近所に囲い、そのめかけが寝たきりになると別の女にその介護を
させる。
よくまあこれだけわがままが通るものだと感心すらする。
だが見てるこっちには何も伝わってこない。

この映画のつまらなさは要はそういうことで、見てるこっちには何も伝わってこないのだ。
この金俊平を通じて日本における朝鮮人差別の話をしたいわけではない。
日本の高度経済成長と朝鮮人社会の対比を行いたいわけではなさそうだ。
というのは映画の舞台は金俊平の住んでいる長屋からほとんど出ることもなく、
時代変化もよくわからない。
車とかが時々変わるので時代は変化してるのだろうが、映画を見ていて「今時代はいつなのか」
がはっきりせず、まるで時が止まっているかのような印象さえ受けてしまう。

それほど魅力のない映画なのだが、それでも2時間以上、何とか間が持ったのは
やはりビートたけしの魅力だろう。
暴力的な迫力ある男をやらせたら今現在彼以上の迫力のある役者はいない。
それと戦後から20年間ぐらいの主にCGも使った町並みの再現。
CGとわかっていてもなかなかの見ものだった。

ラスト、朝鮮民主主義共和国にわたった金俊平。
荒土の中の朽ちた小屋で死んでいく様は本来この映画のテーマとするものとは
関係がない北朝鮮の実態を見せられ、現在の北朝鮮問題を考えるとそこだけ
妙に印象に残った。


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鯨神


日時 2004年11月21日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 田中徳三
製作 昭和37年(1962年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


いつの時代かよくわからないけど(志村喬の名主がまげを結って『武士に二言はない』
と言っていて村にはキリスト教の宣教師がいる)九州の捕鯨を生業とした村の物語。
普通の鯨より巨大な鯨がいて何人もの男たちがその鯨を捕まえようとして命を落としていた。
主人公のシャキ(本郷功次郎)は祖父も父も兄もその巨大な鯨・鯨神(くじらがみ)に
よって死んでいた。
復讐を誓うシャキ。名主は鯨神を討ち取ったものに、自分の娘と名主の地位を譲るという。
そこへ流れ者の紀州(勝新太郎)も鯨神を倒すと宣言する。

オープニングと最後の鯨と人間の対決はなかなかの迫力。
船に乗っている漁師たちと海で暴れる鯨のカットが交互に繰り返されるのだが、当然
特撮カットと実写カットの組み合わせだが、これが実に自然。
違和感がまったくといっていいほどないのですよ。
大映特撮の名シーンといえると思います。

ところが見所はこの最初の10分と最後の10分だけ。
あとは流れ者の紀州が村の人々と喧嘩したり、紀州が村の娘(藤村志保)を強姦して
はらませたり、生まれた赤ん坊を「自分の子だ」と言って本郷功次郎が藤村志保と
キリスト教式の結婚をしたり、志村喬の名主が実は腹黒くて「鯨神を倒すものは
その場で倒される。だからそこいらの漁師に名主の座を譲ることにはならない」と
実は計算していたり、名主の娘(江波杏子)がちょっと高慢ちきな女だったり、
そんなこんなでだらだらと話は進むが退屈この上ない。

とにかく最初と最後の鯨対漁師のシーンのみが見所です。
ここはとにかく迫力があります。このシーンだけでもこの映画は価値があるといえますが
逆に言うとそこだけなんですけどね。



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風速七十五米


日時 2004年11月20日
場所 録画DVD
監督 田中重雄
製作 昭和38年(1963年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


大手新聞社の社会部記者田村(宇津井健)は伊勢湾台風の取材以来、台風災害の
恐ろしさをことあるごとに説き、「台風記者」の異名をつけられていた。
そんな中ある製薬会社が銀座に新しいネオン広告塔を完成させた。
しかしそのネオンは完成したその晩に何者かによって爆破されてしまう。
犯人は対立する建設業の名古屋の遠藤組と思われる。
果たして真相は?

タイトルで判断すると台風の大災害と戦う人々を描くスペクタクル映画に思えるが
ちょっと違う。
そういう気分にさせるのは最初の10分ぐらいで、完成したばかりのネオンが爆破
されるあたりから映画はトーンが変わってしまう。

もう東映映画か日活映画に出てきたような組同士の対立劇へと話はシフトしてしまう。
で、遠藤組の手足となって働く実行部隊の暁産業の若き常務が田宮二郎。
しかもこの田宮が宇津井健と学生時代の親友で、しかもネオンを作った丸山組の
社長の娘ともかつてお互いに惚れあっていた仲という具合に万事都合よく進む。

遠藤組の仕業と思わせておいて実は違った、というようなミステリー的要素もなく、
やっぱり遠藤組が悪の権化。終いには殺し屋(高松英郎)を差し向けて丸山組の
社長を殺してしまう。
いきり立つ子分を抑えて丸山社長の娘が陣頭指揮にたって壊されたネオンの作り直しを
しようとするが、そこへ伊勢湾台風をしのぐ台風がやってきて・・・・・

という話。
大災害と戦う話はあくまで最後の味付けで映画の大半は組同士の勢力争いで、いい親分と
悪い親分の対立などよくありがちな話だった。

ただしラストの台風シーンで、水没した銀座、数寄屋橋のシーンは見ごたえがあった。
とはいっても時間にしたら数分程度だけど。
考えてみたら毎年台風はやってきてその被害も甚大なのに、台風をテーマにした映画って
ないですね。
地震は「日本沈没」とか「地震列島」とか何本かありますけど。


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あゝ海軍


日時 2004年11月20日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 村山三男
製作 昭和44年(1969年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


東北の貧乏な小作農の子供、平田一郎(中村吉右衛門)は海軍兵学校に入学する。
同時受験した一高も合格していたことがわかったが、兵学校の退学は許されなかった。
母(村瀬幸子)は田舎で病気になり、危篤の連絡を受けたが「今は海軍軍人としての勉強が大切だ」
と帰らなかった。
やがて平田は一人前の海軍士官になる。

戦争映画もたくさん見たが、これは出来が悪いほう。
物語の中心にすえるものがなく、ただエピソードの羅列に終わってしまっているのだ。
主人公平田が海軍軍人となり、やがて特攻隊に志願するようになる、というパターンと
言うわけでなく、ただ海軍軍人となり優秀らしいのだがたいした活躍もせず
だらだらとエピソードが描かれる。
唯一歴史上の有名な事件と重なるのは山本五十六長官の撃墜されるときに護衛についていた
というものぐらい。
ハワイ作戦もミッドウエイにも参戦していない。
だから映画的にものすごく盛り上がりがない。

平田は兵学校を卒業して航空隊に入り航空隊本部勤務となる。
で何の仕事をするかというとその辺の活躍はなく、本部長のお供で新橋の料亭で
山本長官(島田正吾)と会うだけだ。
(山本長官が登場すると音楽が流れ、「大物登場」の配慮はあった)
陸軍に入った幼馴染・本多(峰岸隆之介)が憲兵に追われてるのを助けたり、本多の許婚
だった娘が東京で女郎をしているのを本多が偶然知り、彼女は自殺してしまうエピソードが
脈絡もなく挿入される。

でラバウルに行き、本多と再会したり、山本長官の護衛をしたり、絵のうまい部下(露口茂)
を死なせてしまったりする。
その後内地に帰って平田は故郷に帰り、自分のことを好きだった地主の娘が結婚している
ことを知ったり、海軍兵学校の教官になったり、そこへ露口茂の母(浦辺粂子)が
たずねて来たりする。
最後は沖縄勤務を命じられ兵学校の生徒たちに見送られながら映画は終わる。

こんな感じでだらだらと脈絡のないしかも面白みのないエピソードが延々と続き上映時間は
2時間もある。
「あゝ海軍」という割には艦隊シーンは出てこないし、とにかくインパクトは少なく
記憶に残らない映画だった。
見所は江田島(海軍兵学校)シーンで校庭に多くの生徒が並ぶモッブシーンぐらいかな。
今こういうモッブシーンが出ない映画が多いので珍しく見えるだけなのかも知れんけど。


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2046


日時 2004年11月14日19:00〜 
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン3
監督 ウォン・カーウエイ

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1960年代後半の香港。新聞記者上がりの作家が空想と現実の入り混じった
空間で織り成す恋愛模様。
彼の書く小説「2046」の登場人物が現実と重なり合いながら物語は
進展していく。
暖色系の映像は美しく、物語の舞台は一応1960年代としながらも時代も
舞台もまるで架空の時空間のような美しさだ。

木村拓哉の海外進出作品ということで芸能マスコミから注目の本作品。
私もそれにつられてキムタク出演だから見に行った。

時折思うのだが「職業映画評論家」でなくて本当によかったと思う。
この映画、まったく私には受け付けなかった。
そんな映画でもプロの映画評論家なら誉めてるような文章を書かねばならない
だろうから本当にきつい。
書き出しでは誉めてるように書いたが、書いたとしてもあれで終わってしまう。
ストーリーはだらだらと続き、凝りに凝った映像が延々と2時間以上も続くのだから
たまらない。
私は途中から早く終わらないかと時計ばかり見ていた。

最近日本映画でやたら凝った映像を撮って私を辟易させる方が何人かいるが、香港にも
そういう人はいるのだ。
女性が何人か出てくるが髪はショートカットで全体的に似たような感じで
同じ役者が何役も演じてるように見えてきた。
いやそれは単に私が馬鹿なだけなのかも知れないが。
この映画の監督の他の作品は1本も見てないので、比較のしようもないのだが、
万事こんな作品なのだろうか?

肝心のキムタクは数回登場する。
小説の主人公やトニー・レオンの泊まるホテルの主人の娘の恋人役でちょこちょこ出てくる。
思ったより可もなく不可もなくといったところだった。
しかしあの程度ではこれが世界進出のきっかけにはなりにくい。

ところで肝心のファンの人たちの反応はどうだったのかねえ。
視聴率30%なみの観客動員はしてないようだが、口コミでは広がりにくい作品だろうなあ。


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TUBEチューブ


日時 2004年11月13日21:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン6
監督 ペク・ウナク

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テロリストが地下鉄を乗っ取る話、というから、名作「新幹線大爆破」や「サブウエイ・パニック」
のような映画を期待したが、製作者の意図はちょっと違ったようだ。
「新幹線〜」や「サブウエイ〜」のような頭脳戦というよりスーパー刑事がハチャメチャな
活躍をしてテロリストと戦うアクション映画になっていた。

で地下鉄のメカニズムなどの説明がものすごく大雑把なのだ。
どうかすると「何でそんな風になるんだ?」と疑問すら感じてしまう。
最初の方で人質がいる車内の電光掲示板に別の車両から文字を流すシーンがあるが
何であんなことが出来るの?
司令室を通してならともかく、今風のあんちゃんがバックパックの中に持っていた
キーボードから文字送信してるようだったぞ??
そしてクライマックスの「列車が止まらない!」だが電源をきればいいんでないの?と
思っていたが電源を切ったら爆弾が爆発するのですね。でも途中で列車一度止めてSWATと
銃撃戦をしたんじゃなかったっけ??
また最初の爆弾爆発のシーン、刑事の活躍によってかばんが車内に放り出されたからよかった
けど、そのまま爆発してたら後部車両の爆発によって列車自体も脱線転覆しちゃうんじゃないの?
そしたら犯人も死んじゃうでしょ??

なんかそういう疑問をすっ飛ばして映画はひたすらスーパー刑事の大活躍によってのみ
話が進んでいく。
ところがこの刑事が「お前はスパイダーマンか?」とチャチャを入れたくなるような
スーパー振りを発揮するものだから、私は(私だけかも知れんが)途中からついていけなくなった。

また映画の途中から気分が悪くなったのだが、どうもハンディカメラの多用による映像のブレと
暗い地下鉄車内に外からの光がチラチラと差し込むフラッシュ効果のためじゃないかという気がした。
要は映像が走りすぎていて緩急の「緩」の部分がないので落ち着かないのだ。
もちろんノンストップアクションを目指そうとした監督の意図はわかるのだが、気合が入りすぎて
かえって無理が出て来てしまった気がする。

またラストで主人公の刑事と彼を慕う女スリ(マラソンの高橋尚子に似ている)が、列車を
止めるために自分が犠牲になるならないの別れのシーンはくどすぎ。
間合いを取ったこってりとした別れは私なんかには少々長すぎてうんざり。

がんばった映画だとは思うのだが、どこか滑ってしまった映画だと思う。
ちょっと惜しい。

ちなみに「新幹線大爆破」の浜松駅のポイント切り替えシーンと同じようなネタがあったのは
ご愛嬌。やはり参考にされてるようです。
あとここまでやったのなら、橋を渡る時に切り離した後部車両が橋から落ちていくシーンが
欲しかったな。


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隠し剣鬼の爪


日時 2004年11月13日18:00
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン4
監督 山田洋次

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江戸末期、時代は開国に傾きつつあり侍たちは西洋式砲術の訓練で忙しい。
そんな侍の一人片桐宗像(永瀬正敏)は女中のきえ(松たか子)に想いを寄せていた。
やがて商家に嫁いでいくきえ。
しかしきえは嫁ぎ先で働きづめの日々を送り病気になってしまう。
そんな日々の中、片桐は江戸へ行った幼い頃からの友人、狭間弥市郎(小澤征悦)が
江戸で謀反の疑いがかかり、片桐には狭間を討つように命が下る。

実に大人の味わいの映画だ。
ハードボイルドという言葉が適切かどうかわからないが、一人の女性を想い続け
時には組織の不条理な命令に従いながらも最後には正義を貫く。
それをあおるような音楽や激しい映像で盛り上げようとせず、淡々と、しかし
力強く描く。
藩の命令で不条理な人殺しをするという点では前作「たそがれ清兵衛」と同じだが
私はこっちのほうが好きだ。

時代は江戸末期。新しい技術に翻弄される当時の侍の姿は、IT革命やパソコンに
翻弄される現代の人々にも通じ、彼らに妙に親近感が沸く。
そんな時代に流されそうになりながらも主人公、片桐は自分の信念を貫く。
狭間弥市郎との対決がクライマックスかと思ったら、その後にもうひとつクライマックスが
用意されていた。
未見の方のために多くはかけないのだが、一瞬の間に勝負をつけてしまうあたりのは
ロバート・アルトマンの「ロング・グッドバイ」に負けない爽快感だ。

正義を貫き、一人のすばらしい人を愛し守って生きていく。
これぞ男の生き方の理想なのだ。

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笑の大学


日時 2004年11月13日15:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン3
監督 星 護

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舞台は昭和15年。上演されるすべての演劇が警視庁の検閲を受けなければ
なかった時代。もちろん喜劇といえども例外ではなかった。
浅草の喜劇劇団「笑の大学」の専属作家(座付作家)の椿一(稲垣吾郎)の
新作「ジュリオとロメオット」は新任の検閲官・向坂(役所広司)の検閲を
受けることになる。
まったく笑いを好まない向坂は上演不許可の決定を下そうとする。
椿は「悪いところがあれば直します!」と頭を下げて頼み込む。
果たして上演許可は下りるのか??

今一番名前を知られている脚本家の一人、三谷幸喜の演劇作品の映画化。
「笑の大学」というタイトルは劇中に登場する劇団名だが、実は文字通り
「笑いの大学」だ。三谷幸喜の「喜劇とはつまりこういうもの」という彼なりの
持論が展開される。

向坂は笑いと言うものをまったく理解しようとしない。(実はしていないのではなく
しようとしないだけなのだが)そんな彼に「この芝居は何が面白いのか」説明する。
まずは「もじり」「パロディ」。ここから始まって役者のもち芸とか、かけことば
(ダジャレ)によっての笑いのとり方、せりふをひとつ変えることによってそのシーンが
ますます面白くなるコツとが展開されていく。

特に向坂が「警官は普通『待て〜〜』とは言わない」と言ったことから「実は他に部下が
いることにして『あっちへ回れ〜〜』というせりふに変える」あたりは本当に感心した。
つまりこの辺が素人の脚本家と一流の脚本家の腕の違いと完全に打ちのめされた。
私自身が脚本を書いた経験があるので実感として伝わってくるのだ。

そして観客には面白くなくても、劇団運営上劇団の空気をよくするためには観客には
不必要と思える箇所もあるのだとの弁明もある。
そして最後には笑いというものの(現在でも存在する新聞の「一駒漫画」によって象徴される
ような)「権力に対する戦い」という点にまで言及される。

この作品自体はもちろんそういう「喜劇論」としての側面以上に喜劇として面白い。
文章にしても面白くないのでいちいちは書かないが稲垣=役所のコンビの掛け合いは
実に面白く大いに笑わせてもらった。
ただし向坂が後半、椿を理解しすぎるあたりがちょっと惜しい。

あまり笑わないような役が多い稲垣だが、今回の明るい表情は実によかった。
役所広司は相変わらず何をやらせてもうまい。

面白かった。私の今年のベストテンの上位になる作品だ。


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人間魚雷回天


日時 2004年11月7日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 松林宗恵
製作 昭和30年(1955年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


特攻隊ものというとゼロ戦での体当たりが連想されるが、それだけではない。
一人乗りの小型潜水艦「回天」で海の中から特別攻撃(特攻)を行う事だって
あるのだ。
回天はそれ自体は航行能力が弱いので大型の潜水艦の甲板上に4機取り付けられ
敵近くまで進み、敵の目前で母艦と切り離され敵艦に体当たりするのだ。
この映画はそんな特攻兵器に乗り込むことになった若き海軍士官の物語だ。

宇津井健、岡田英次、木村功、沼田曜一、高原駿雄らがその搭乗員を演じる。
映画は彼らの回天の操縦訓練シーンから始まる。
しかし回天はまだまだ故障も多く、訓練中に命を落とすものさえ出てしまう。

いよいよ明日出航と決まった前夜、搭乗員たちは街へ繰り出す。
木村功らは女郎屋に行くのだが、木村功は恋人のことが忘れられず気が乗らない。
そこへ恋人(津島恵子)が駆けつける。
このあたりの恋人との前夜の別れ、というのは「特攻隊もの」としてはパターン化
しており、「お決まり」ともいえるのだが、やや退屈を感じざるを得ない。

しかし岡田英次は町へ繰り出さず、兵舎に残ってカントの本を読もうとする。
そして年上の従兵(加藤嘉)が実は大学の講師をしていると知ると一晩を
語り明かす。
加藤嘉が「死んではいけません!」と訴えかけるのだが、「年上なんだからそんな
無理なことを言わないでください」と諭すシーンはどきりとさせられる。
もう一人の従兵(娑婆ではすし屋)の殿山泰司がなけなしの材料で握ったすしを
持ってくるシーンなども胸に迫るのもがある。

人間にとって生きるには食欲性欲だけでなく、知識欲だってあるのだ。

このあたりのぎりぎりまで学問をしようとする姿や恋人との別れのシーンなどは
松林監督の後の「連合艦隊」に受け継がれていると言えよう。

いよいよ出撃。
ぎりぎりまで恋人との別れを惜しんで翌朝飛び立つゼロ戦特攻と違い、彼らは
潜水艦で出撃してから攻撃まで何日もかかる。
生殺しにあうような緊張感はゼロ戦特攻よりもつらいのではないか?

そしていよいよ出撃。
ラストを書いちゃうけど、宇津井健、木村功らは特攻成功、空母、戦艦を撃破する。
しかし岡田英次の回天は故障、途中で浸水が起こってしまい、あえなく海底に
落ちてしまう。
攻撃も失敗、何の成果も挙げられず、浸水していき、ただただ死ぬしかない回天の
中で彼はどんな胸中だったか。
「われ生存せり」艦の内部に刀で書き付ける岡田英次。
残酷なラストだった。


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