2005年1月

サザエさんの婚約旅行
サザエさんの青春 続サザエさん サザエさん THE BULLET TRAIN
(「新幹線大爆破」アメリカ公開版)
YONGARY
MONSTER
FROM THE DEEP
カンフーハッスル
(字幕版)
東京タワー 地球の危機
約三十の嘘 戦争のはじめかた プルガサリ
伝説の大怪獣
ニュースの天才

サザエさんの婚約旅行


日時 2005年1月29日26:45〜
場所 浅草東宝
監督 青柳信雄
製作 昭和33年(1958年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


今度は宝塚映画の製作でカラーで東宝スコープ。
サザエさんの婚約者のフグ田さんは転勤で福岡にいる。
ほとんど会えなくてさびしいサザエさんだが、九州の若松での波平の父の法事に
波平の代理でカツオと出かけることになる。
若松から福岡までは少しの距離。
法事のついでにフグ田さんに会いに行こう決めるサザエさん。
法事では親戚のおばさんたちから「行儀がなってない!」と起こられぱなしの
サザエさん。
なんとか法事も終わってフグ田さんと九州めぐり。

ここから完全に観光映画。
行った先がまず長崎。
原爆祈念像、オランダ坂、大浦天主堂、グラバー亭と完全に観光地。
(実際私も高校の修学旅行で同じところに行ったから懐かしい)
原爆祈念像ではカツオがふざけて原爆祈念像と同じポーズを取ったりして地元の
おじさんに怒られるシーンがある。
戦争が終わってまだ10年ちょっとだが、もうこの頃から原爆を知らない世代に
よる無理解はあったようだ。
でもグラバー亭で蝶々夫人の話になり「あんたよく知ってるわねえ」というサザエに
「知ってらい。ピカドンは空から、ピンカートンは海からってね」と、先ほどの
原爆祈念像のシーンなどなかったかのようなブラックなジョークが飛び出す。

そこで突然、フグ田くんが福岡で下宿している家の娘さんが友達を連れ立って偶然に会う。
この娘さんというのが宝塚で女優をしているというなんか強引な設定。
娘を演じるのは安西郷子。(後の三橋達也夫人)
娘さんが美人なのでやきもきするサザエさん。

今度は福岡に戻って仕事にでたフグ田くんと別れて自分たちは映画に行く。
行ったのは福岡東宝らしい。映画の看板は「隠し砦の三悪人」でしたね。
しかしフグ田さんの話ではどうも今度は大阪に転勤になるらしい。

サザエさんたちは一度大阪の親戚の下へ。
法事の際に「家で花嫁修業をするといい」と行っていたおばさんのうちへ行き、
そこへフグ田さんもやってきて、みんなで安西郷子の舞台を見に行く。
(その前に大阪城も見学した)

そんな感じで映画は終了。
今回はサザエさんの家族もほとんど登場せず、完全に観光映画と化していた。
マンガの「サザエさん」を映画化するというより、江利チエミの主演映画を撮るために
「サザエさん」を借りた、という感じのするこのシリーズだが、あと6本の計10本あるようだ。
事情があってテレビでの放送は難しいらしい。
なんとか全部見てみたいものだ。


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サザエさんの青春


日時 2005年1月29日25:05〜
場所 浅草東宝
監督 青柳信雄
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


今度のサザエさんはスタンダードカラー作品。
少し豪華になってきた。

前作同様、サザエさんらしいエピソード。
まずは家族みんなでピクニックに行こうとしたら電車がストライキでダメ。
この時、みんなで出かけようとするたびに忘れ物を思い出し、家に帰ってくるため
泥棒が入ろうとするのになかなか入れない、というコントが演じられる。
そういえば前作でも泥棒よけのための防犯ベルをお隣とお互いにつけましょう、となって
目覚まし時計のベルを防犯ベルの音と勘違いするというネタがあったが、泥棒ネタは
もともとサザエさんには多い。

本作に話を戻すとストライキで意気消沈しているところへフグ田さんが迎えにやってきて
サザエさんとフグ田さんは二人で弁当をもってドライブへ。
そこで二人で弁当を食べながら新居の夢を描きながら江利チエミが一曲歌って小泉博も
踊る(といっても軽くステップを踏む程度だけど)
(ここでしばらくフグ田さんは1年間九州へ転勤、となったことが告げられる)

そしてご近所からお菓子のおすそ分けをもらったりして「一口いかがですか」と聞かれたら
「はい」といってしまう癖がついたところで今度は保険の勧誘がやってくる。
ここでも「一口いかが」につい「ハイ」と答えて保険に入ってしまう。
(この前に家族会議でサザエが家計を握ることに決めたのでサザエはこの赤字を責任を
もって埋めねばならなくなる)
仕方ないのでデパートでアルバイトするがうまくいかないが、あるお客さんに気に入られる。
このお客さんというのが波平の上司の奥さんで、サザエを気に入った奥さんは自分の息子
(江原達怡)と見合いさせようと計画する。
箱根のホームガーデンパーティに呼ばれたサザエさん、「音楽はクラシックがいいですねえ」
という江原達怡に「そうですか?私はジャズが好きです」と一曲江利チエミが歌う。
そこへ偶然にも居合わせたフグ田さんと鉢合わせ、喧嘩になってしまう。

とはいっても結局仲直りしてめでたしめでたし。
江利チエミのサザエさん、ますます快調だ。


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続サザエさん


日時 2005年1月29日23:25〜
場所 浅草東宝
監督 青柳信雄
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


前作の続き。(同じく白黒スタンダード作品)
今回は前作に比べストーリー性が薄くなり、サザエさんらしいエピソードの
積み重ねになる。
ご近所のご隠居(柳家金語楼)が耳が遠いと勘違いして大声で話し、
「耳が遠いとご不自由ですね」と言った後「いいえ耳が遠いのは家内です」という
オチがついたのが前作だったが、今回はそれを受けておばあさん(沢村いき雄)を
連れている柳家金語楼に対して「奥様が耳が遠いとご不自由ですね」というと
「これは私の母です」というオチがつく。

またサザエさんが同窓会に出席し、同窓会に出席し、その余興で「美空ひばりさんと
雪村いずみさんの物まねをします」と言って物まねをはじめたのには驚いた。
ひばりのほうはよくわからなかったが、雪村いずみはよく似ていた。
私、爆笑。
その後「江利チエミさんの歌を歌います」と言って一曲歌う。

またこの同窓会で友人たちの結婚生活話を聞いたサザエさん、自分もフグ田さんとの
結婚を空想するシーンでサザエさんが歌って一緒に小泉博さんまで踊っている。
そして今回はノリスケの弟のノリオ(藤木悠)がサザエさんのうちに下宿、という形で
登場。
また近所の酒屋、炭屋などで脱線トリオ(由利徹、南利明、八波むと志)、お隣に越してきた
作家の伊佐坂先生で三木のり平、サザエさんの同級生の夫役で佐原健二がワンシーン出演。

一応お話の流れとしてはフグ田さんが母親に紹介したいというので家に連れてきたら
サザエに見合いを勧める柳家金語楼と鉢合わせしてしまい、フグ田さんに嫌われたと
思ったサザエさんだったが、無事に婚約がかなう、
というハッピーエンド。
江利チエミのサザエさん、ますますはまり役になって行きます。


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サザエさん


日時 2005年1月29日21:40〜
場所 浅草東宝
監督 青柳信雄
製作 昭和31年(1956年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


もちろんあの「サザエさん」の実写による映画化。
(白黒スタンダード作品)
サザエさんを江利チエミ、フグ田マスオを小泉博、波平を藤原釜足、
舟を清川虹子、ワカメを(子役のころの)松島トモ子が演じる。
うわさには聞いていたがはじめてみた。
(ノリスケを演じるのはなんと!仲代達矢だ)

驚いたのだが実写にしても違和感がまったくと言っていいほどない。
大抵漫画の映画化というと漫画のキャラクターを生かすと実に「変な人」に
なってしまうが、この「サザエさん」は実にしっくりくる。
サザエさんの髪型は特徴的だが、ワカメちゃんの髪型など実写にしても
実に自然。パンツがみえそうな丈の短いワンピースを着ていても
「そういえば昔の女の子はあんなの着ていたなあ」と納得してしまう。
あの漫画はやはり昭和30年代の日本を舞台にした漫画なのだと思わせられる。

ストーリーはまだ独身のサザエさんは友人の紹介で雑誌社に勤めるようになる。
作家の先生の原稿を取りに行ったが失敗してしまい、一日でクビ。
その日の朝、ビルの中の道案内をしてくれた素敵な男性・フグ田さんの紹介で
探偵社に勤めることに。
その探偵社に娘のお見合いの相手の男性の素行調査の依頼があった。
相手の男性というのがなんとイトコのノリスケさん!
早速尾行したサザエさんだがノリスケはその日自分の高校時代の友人にプロポーズ!
ノリスケと友人の結婚を見たサザエさん、自分も結婚願望が強くなり、
フグ田さんをクリスマスの磯野家のホームパーティに呼ぶことに。
雪の降るクリスマス当日、でもフグ田さんはいつまでたってもやってこない・・・・・


こんな感じ。
結局フグ田さんは残業で遅くなっただけでやってくる。
ラストは江利チエミの歌うクリスマスソングを、酒屋の三河屋など近所の人に扮した
ダークダックスや家族のみんなで歌って輪になって踊りだすという明るいエンディング。
江利チエミの映画だけあってチエミが映画の中で3曲ぐらい披露する。
(クレージーの映画を見て植木等が街中で歌いだすのを見て「変だなあ」と思ったけど、
何のことはない、東宝歌謡ミュージカルという伝統があったのだ。この伝統は今は
どこにも受け継がれていない)

江利チエミの歌など「テネシーワルツ」をちょっと聞いたことがあった程度なのだが
改めて聞いてみると実にうまい。
どううまいかはうまく説明できないのだが、音域が広いとでも言うのだろうか。
実に伸びやかに歌うのだ。
その上はじけるような明るさと三枚目ぶりを発揮し、実にチャーミングで魅力的だ。
「サザエさん」の映画化というより江利チエミの主演映画の企画がたまたま「サザエさん」
だった、というぐらい彼女の魅力があふれている。

明るさだけでない、歌も歌わせたら一流という見事なエンタテイナー。
彼女の映画は初めて見る私だが、この1本で彼女のファンになった。


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THE BULLET TRAIN(「新幹線大爆破」アメリカ公開版)


日時 2005年1月23日
場所 DVD
監督 佐藤純弥
製作 昭和50年(1975年)

(発売元HPへ)


アメリカでDVDとして発売されている英語吹き替え版。
「新幹線大爆破」の海外版としてはフランス語吹き替え版が有名だが
英語版もやっぱりあったのだ。
「新幹線大爆破」フリークの私としては個人輸入でこのDVDを手に入れて鑑賞。

このDVDに発売元はCRASH CINEMAというカンフー映画専門といってよい会社。
この映画も「ソニー千葉シリーズ」の1本としての発売らしい。
かなりテキトーな会社らしく、普通DVDのジャケット裏面に記載されている
リージョンなどの表記がまったくなく、「DVD VIDEO」とも書いていない。

いやー驚いたことにめちゃめちゃ画が汚い。
DVD、というとみんなきれいな画質をイメージしがちだが、DVDはあくまで
きれいな画質が可能なだけで、DVD化すると自然に画がきれいになるわけではない。
「退色してピンクになっている」というのではなく、妙にざらついた映像に加え、
露出が過剰気味で白地に文字があるシーンなど、真っ白で読めなくなっている。

上映時間は1時間50分ほどだから、もちろんカットされた再編集版。
(オリジナルは2時間30分)
言語は英語吹き替えのみでもちろん日本語字幕などないから、どのように翻訳されているか
わからないが、私はオリジナルのほうを10回以上見ているから、どのシーンでどんなセリフを
言っているかおおよそ覚えているので、内容の把握には困らない。

オリジナル版とこの米国版を並行して再生したわけではないから正確なことはいえないのだが
カットされたとわかるシーンは以下の通り。


1、新幹線出発後の検札シーンで、歌手の取材をするテレビクルーのシーン。
同様に後にテレビクルーが「爆弾が仕掛けられた新幹線、恐怖のドキュメント!」と興奮しながら
取材に行くシーン。

2、浜松駅でポイント切り替えの後、上り線に入ったものの、「非常ブレーキが解けない!」と
千葉真一があせるところ。

3、羽田空港に着いた古賀(山本圭)を北大路欣也の刑事が見逃してしまうシーン。

4、主犯・沖田哲男(高倉健)の事件に至るまでの回想シーン。
(3人の出会い、妻が離婚を申し出るシーンなど)

5、古賀の高島平駅での逮捕失敗の報を受けた宇津井健がそれを警察側に抗議するシーンの
後半、「確かに二度にわたる失敗は許されないことです」と鈴木瑞穂が弁解するシーンと
それに続く国鉄スタッフに「新幹線を半分切り離してみて片方をとめてみたらどうですか?」
と提案するシーン。

6、北海道の古賀の実家を川地民夫の刑事が尋ね、古賀の兄の田中邦衛が応対するシーン。

7、続いて古賀の昔の女に聞き込みに行くシーン。

8、名古屋駅で「おろして!」と泣き叫ぶ妊婦(田坂都)を博多の刑事が殴るシーン。
及び田坂都が流産するシーン。

9、1回目の車両撮影のシーン、及びその写真の出来を見て「広島で再撮影しましょう」と
打ち合わせするシーン。


大体こんな感じかな。
「新幹線大爆破」という映画を純粋に楽しもうと思ったら、東映から発売されている
DVDをごらんになったほうがよい。
この映画は日本サスペンス映画史上の傑作「新幹線大爆破」がどのようにアメリカで
紹介されたかを知る映画だ。

色あせた状態の悪いプリント(おそらくアメリカに現存するプリントからテキトーに
DVD化したのであろう)は場末感いっぱいだ。
だがおそらくタランティーノもロサンジェルスのカンフー映画専門館で
この映画を見たのだろう。
そして「KILL BILL」へとつながっていく。

そういうことを考察する上ではとても貴重な映画だ。
「新幹線大爆破」フリークには一見の価値がある。


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YONGARY MONSTER FROM THE DEEP


日時 2004年1月23日
場所 DVD
監督 KI-DUK KIM
製作 1967年(昭和42年)

日本未公開の韓国初の怪獣映画。
「YONGARY」はヨンガリーと発音。
2002年に公開された「大怪獣ヤンガリー」とはタイトルこそ同じだが
まったくの別物。

英語版を日本語字幕なしで見たからストーリーは細かい点はよくわかってないのだが、
要はどこかで核実験が行われ、その影響で地底から怪獣が現れソウルを襲う!、
主人公の科学者とそのまだ子供の弟イーチョウが怪獣の弱点を発見し、ヨンガリーを
やっつけるという内容。

DVDのジャケットの解説には「韓国初の怪獣映画。ゴジラのストーリーラインやイメージに
強く影響を受けている」みたいなことが英語で書かれている。
(ちなみに怪獣映画は「kaiju movie」と書かれている。「怪獣〜kaiju」も世界で通用する
日本語のひとつらしい)

確かに日本の怪獣映画と同じく、荷物を抱えて非難する住民たちの姿が描かれ
まったく同じだ。
思わず笑ってしまう。
また逃げ惑う人々に向かって宗教を説く者がいたり、どうせ死ぬんだからと思ったのか
従業員がいなくなったレストランでバクバクと食べ続ける人々もいたりで描写が細かく
楽しい。

で実際に特撮に携わったのは大映スタッフのようだ。
製作は1967年(昭和42年)だからちょうどガメラ映画を作っていた頃。
ストーリーつくりやヨンガリーの設定にガメラとの共通点が多い。

1、子供が大活躍する。(もっともこの作品の場合このイーチョウは余計なことをして
  一旦眠ったヨンガリーを起こしてしまったりする)

2、炎が好きで燃える石油タンクの炎を食ってしまう。(確かガメラも火が好きだったよな)

3、目が光っている。(目の内部に電球が仕込んであり、目が光る。東宝の怪獣は
  目が光ることはない)

4、顔がギャオスに似ている。(ゴジラタイプの2足歩行怪獣だが、顔つき、特に目つきが
  ギャオスに似てるのだなあ。また口がパカッっと下にあく感じもそっくりだ)

5、後半、ヨンガリーはレーザー光線をはく。(このレーザーによって車や戦闘機が真っ二つに
  割れる所など「ガメラ対ギャオス」にそっくりだ)

まあそんな感じでガメラスタッフが特撮を手がけた(または手伝った)のは出来を見れば
おおよそ想像がつく。
「プルガサリ」「北京原人の逆襲」に続いて「ここにもあった海外製日本の怪獣映画」という
点で、怪獣ファンとしては見逃せない一品です。

そしていつか「ヨンガリー対プルガサリ」という映画が見たいなと思う。
その次には「ヨンガリー・プルガサリ・北京原人 三大怪獣アジア最大の決戦」も見たい。



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カンフーハッスル(字幕版)


日時 2005年1月22日17:45〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン3
監督・主演 チャウ・シンチー

(公式HPへ)


1940年ごろ中国上海。
悪の集団がはびこっていた。貧民街のアパートでは貧しいながらも平和な日々が
続いていたが、この悪の集団と戦わなければならない羽目になる。
強いものなどいないかに見えたこのアパートの住人たちだったが、
実は大家をはじめ、カンフーの達人が合計5人もいた!
またそこへ悪になりたいコンビ巻き込んでの大対決へ!

映画を見ていて「ああCGの使い方もここまできたかああ」という気にさせられた。
よく出来たスペクタクル映像のCG(たとえば「デイ・アフター・トゥモロー」とか)
を見ているとすばらしい出来具合に感嘆すると同時に、「有り得ない(撮影できない)映像」
にどこか白けた、というか失笑してしまっている自分がいたのも確か。
その辺の思わず白けてしまう部分を逆に笑いに昇華したのがこの映画だ。

全編、ギャグマンガ、ギャグアニメーションのような映像が実写で続く。
まるで「トムとジェリー」の実写版を見てるかのようだ。
(実際、参考にはしてるだろう)
このサイトでも書いたけど、かつて日本でもマンガの実写版がはやって
(「ドカベン」「ザ・サムライ」などなど)そのマンガで使われたギャグが実写で
映像化されたが、どれもお寒くなる映像にしかなっておらず、見てるこっちが
恥ずかしくなるような映像だった。

ところがこの映画は違う。
繰り広げられるギャグの数々がみんな決まっている。
後半のカジノやアパートでの対決のシーンの建物の壊れ方は先ほども書いた
「トムとジェリー」を髣髴とさせるセンスのよいギャグが繰り広げられ、ちゃんと
笑いになっている。
(カジノでの対決で、釣鐘をメガホンにして「獅子の遠吠え」をするシーンには
大笑いした)

その辺のCGの使い方、使い方のセンスが非常にいい監督だと思う。
また人物設定も一見まったく強くなさそうな人物が実はカンフーの達人だったりして
誰が強そうなのかまったく予断を許さず、楽しい限りだ。
男はやっぱり見た目じゃないよな。

でラストはチャップリンの「街の灯」になり、花がペロペロキャンディーに代わって
恋人たちの再会シーンあり。
そういう点からしてもこの映画の監督は、ちゃんと映画を見てる人だな、と大いに
好感を持った。



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東京タワー tokyo tower


日時 2005年1月15日18:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン3
監督 源 孝志

(公式HPへ)


実に美しい映画だ。
全編まるでファッション雑誌やインテリア雑誌のグラビアのような美しい画がつづく。
その美しさにはため息が出てしまう。
ストーリーだけを見るとたいしたことはない。
人妻が若い男と知り合ってセックスしてやっぱり別れて再会して・・・
みたいな話でどうってことはない。

夜の東京にそびえ立つ東京タワーをはじめとして美しい風景(まるで外国映画のような)
に全編彩られる。
まるでおとぎ話のような現実感(生活感)のなさだ。
(途中、新橋の立ち飲みが登場するが、それにしたってまるでリドリー・スコットの
映画に登場する風景か、香港のような異空間だ)
またセリフにしても「恋はするもんじゃない。落ちるものだ」をはじめとする、
現実には絶対言わないようなカッコいいものばかり。

そしていちばん大切なのが出演者。
岡田准一と黒木瞳という有り得ないような美形カップル。
もう一方は松本潤と寺島しのぶ。こちらは単に美しさという点では岡田=黒木カップルに
劣るが、それを補う「空気」を持ち合わせている。

一応クレジットでは黒木が上だが、映画の中心となるのはやっぱり岡田准一。
岡田の美青年ぶりが冴え渡る。(岡田は妻夫木聡と並んで日本映画の代表的人気男優に
なるかも知れない)
その美青年描写も徹底していてシャワーシーンによるメールヌードも披露する。
プールに服を着たまま落ち、その後濡れたままで歩くシーンをはじめ大人の色気
がぷんぷんする。
また松潤もジャグジーのシーンのサービスつき。

岡田、松潤はこういった映画に出演できて、また観客にしてもこんな美青年映画を見ることが
出来てお互いに実に幸せだ。
美青年は以前にもいた。しかし彼らが美しい時に美しく描かれる映画が
常にあるとは限らない。
岡本健一は実に美しかった。しかし彼の美しさを描ききった映画はついに現れなかった。
しかし(偶然にも二文字違いだが)岡田准一はそんな映画を持つことが出来た。
時代が変わったのだ。
岡本健一は登場が早すぎたのだ。

要するに岡田、松潤の美青年映画でストーリーはレディスコミック並みの「ありえねー」話。
「Moon Child」「下弦の月」などの美青年映画も増えてきたが、この映画はこの種の映画の
ひとつの到達点と言ってもいいだろう。

現在の世の女性は老若問わず美しい男に惹かれていく。
韓流ブームやジャニーズブームはその象徴だ。
それこそこの映画の黒木瞳や寺島しのぶのように年齢を忘れて熱中する。

不倫というものは自らの義務とは関係なく、性に対する欲望(直接セックスはしなくても)に
忠実な愛情だ。
スターに恋するのも一種の擬似恋愛で、それも恋愛の一種とみなしてよいならば世の女性たちは
どんどん恋をはじめている。

そして自らの欲望にのみ忠実で、子供を作ることをしなくなる。
人口は減っていき、やがて人類は滅亡へとたどるのだ。
人類を滅亡させるのは核ミサイルではなかった。
世の女性たちが美しい男のみを愛し始めた時、実は人類消滅のカウントダウンは始まったのだ。


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地球の危機


日時 2005年1月15日
場所 DVD
監督 アーウィン・アレン
製作 1961年(昭和36年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


新造の潜水艦シービュー号は設計者のネルソン提督の指揮の下、北極海を
試験航海中だった。ところが北極海の氷山の氷が突然崩れだし、シービュー号を襲う。
浮上してみるとそこは空が燃えている信じられない情景だった。
地球の周りのバンアレン放射能帯が燃え出したのだ!
急いでNYに引き返すシービュー号。
ネルソン提督はバンアレン帯に核ミサイルを撃ち込んでバンアレン帯を爆発させれば
燃焼は収まると判断し、国連で提案する。
彼の説は否決されたが、ネルソンはシービュー号を出航させる。
なんとしても核ミサイルを発射し、バンアレン帯の燃焼を食い止めねば
地球上のすべてのものが焼き尽くされてしまう!


アーウィン・アレンといえば後にテレビ「宇宙家族ロビンソン」や「巨人の惑星」を
製作し、この「地球の危機」も「海底科学作戦・原子力潜水艦シービュー号」となって
テレビシリーズ化されている。
(ちなみにテレビシリーズで登場した「フライング・サブ」というメカは本作品では出てこない)
この映画もバンアレン放射能帯が燃え出す、という世界規模のパニック映画が出来そうだが、
世界の各都市が破壊されていくシーンはない。
その辺がA級でないのだが、かといってB級映画ではない。
その中間に位置するような作品だ。

オープングで北極海から急速浮上してくるシービュー号は、「マイティジャック」も
負けていない。
またバンアレン帯の発火による燃える大空のシーンは実にすごい。
真っ赤に燃えた空を見上げるシービュー号の乗組員たちのシーンもなかなかだ。
とにかく特撮シーンがすばらしい。

また話のほうも、ワシントンとの通信のために海底ケーブルと接続しようとしたところに
大イカに襲われたり、機雷源に突入し、小型潜水艇で除去しようとしたり、艦内で
ネルソン提督の命を狙う者が現れたり、最後には大ダコ(!)まで登場し、火災は
発生するわ、乗組員の反乱が起こったり、とにかく事件が多くてサービス精神が
たっぷりだ。
またディーンマーチンの歌うラブソングのようなメロウな主題歌もなかなか。

そしてバンアレン帯の鎮火にも成功し、「万歳万歳」のシーンで一挙にエンドマークへ。
この余韻のなさがA級にはなれない弱さがある。


子供の頃、テレビの洋画劇場で見ていらい何十年ぶりかのこの映画との再会。
DVDは3800円ぐらいしましたが十分元は取れた!と思わせた一篇でした。



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約三十の嘘


日時 2005年1月10日
場所 渋谷シネクイント
監督 大谷健太郎

(公式HPへ)


大阪発北海道行きの寝台特急トワイライトエクスプレス。
ここに6人の男女(椎名桔平、妻夫木聡、田辺誠一、八嶋智人、中谷美紀、伴杏里)
が乗り込んだ。
彼らは詐欺師のグループ、北海道で不良品の羽毛布団を一組30万円で売ろうというのだ。
そしてその帰りのトワイライトエクスプレス。
集めたお金をトランクにいれそのトランクを八嶋智人が預かり、鍵はその5人のうちの
誰かが持った。
翌朝、トランクがなくなった!トランクそのものはすぐに見つかったが、トランクを
移動させたのは誰?
そしてそのトランクを開けてみると中身はジャガイモだった!
犯人は誰だ??

詐欺師6人が集まっての密室劇。この6人以外、登場人物はほとんど登場しない。
誰が盗ってもおかしくないこの6人の中で犯人探しを行うくだりは最高に面白い。
しかし、しかしなのだ。

ここからはややネタばらしになるので未見の方は読まないほうがいいのだが、
犯人がわかってからの最後の15分、ラブストーリーになるのだ。
椎名桔平に中谷美紀が「昔のあなたに戻って」とかそういう二人の復縁の
話になるのだ。
この後、どんでん返しがあることをクレジットロールが終わるまで期待したのだが、
それはなかった。
残念だなあ。

出演ではやはり妻夫木聡。
もっともこの映画は妻夫木が出演しているから見に行ったわけで。
今回の主役は椎名桔平で妻夫木は役の上から言っても助演。
最初のほうは「転んで鼻の骨を折った」という設定で鼻に絆創膏を張った姿で登場。
肝心の顔が見えないじゃないか!と少し憤ったが、ところが目の部分を見てるだけでも
十分魅力的。
やはり役者は目なんだなあと改めて思う。

また舞台のほとんどがトワイライトエクスプレスの車内。
JR西日本のインフォメーション映画みたいだったが、それでも寝台特急を舞台にした
ところはヨーロッパのオリエント急行みたいでおしゃれに決まっていたと思う。

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戦争のはじめかた


日時 2005年1月9日
場所 有楽町シネカノン
監督 グレゴール・ジョーダン
製作 2001年

(公式HPへ)


舞台はベルリンの壁崩壊の頃のドイツの米軍基地。
戦争のない軍隊は暇をもてあまし、兵士たちの規律は緩み、軍需物資は横長しを
するわ、覚せい剤が取引されるわの無茶苦茶ぶり。
そこへ新任のこわもての曹長(スコット・グレン)がやってきた!

もっと笑える映画かなと思ったらそうでもなかった。
笑わせようとしてるわけでもなく、かといって大真面目な内部告発映画でもなく
ちょっとスタンスが中途半端だったと思う。

市街地を戦車が暴走するシーンなど実際にあったらしいが、本国ドイツでは
問題にならなかったのだろうか?
(映画ではなく、事件当時の米軍について)
日本などは沖縄の基地問題を抱えているから、「嘉手納基地でも同じことが起こって
いるのだろうか?」と思いこされ、笑う気にはなれなかった。
先ほど「笑える映画ではなかった」と書いたが、これは映画のせいではなく、
日本人である私が見たからかも知れない。

日本の自衛隊など戦争はまったくしていないが、普段は何をしているのだろう?
戦争の予定がまったくないから、公務員的に訓練をこなしているに過ぎなくなるうち
それが普通になっているのだろうか?
アメリカ軍は本来の仕事は戦争だから、その戦争がないときなんて客のまったく来ない
飲食店みたいなもので、規律も緩んでしまうのだろうか?
日本の自衛隊は先の飲食店で言えば客が来ないことが当たり前なので、それなりに
時間のつぶし方は知っていると考えればいいのだろうか??

やはり「正義の軍隊などない」という当たり前の結論を思い起こさせる映画だった。
アメリカやドイツでの評判はどうだったのだろう?
そちらのほうも気になる。




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プルガサリ 伝説の大怪獣


日時 2005年1月9日
場所 DVD
監督 チョン・ゴンジョ
製作 1985年

(詳しくはキネ旬データベースで)


朝鮮の昔、圧制に苦しむ人々の中には一揆を企てようとしてるものがあった。
ジンテはその若者たちのリーダーだったが、計画を知った鍛冶屋の親方から
止められる。
やがて代官は一揆を企てるものを征伐するための武器を鍛冶屋に頼み、その材料と
なる鍋や鎌などの農具も没収し始めた。
武器を作るのを拒んだ鍛冶屋は捕らえられる。
捕らえられたが武器を作ることを拒む鍛冶屋。彼は娘が投げ入れてくれたおにぎりの
ご飯を使って人形を作る。
それは伝説の怪獣、プリガサリの姿だった。

今、唯一(たぶん)手軽に見ることが出来る北朝鮮映画。
よく知られていることだが、特撮シーンは中野昭慶をはじめとする東宝のスタッフ。
プリガサリに入ったのは平成ゴジラの薩摩剣八郎さんだ。
内容のほうは要は「大魔神」みたいな映画。
圧制に苦しむ民衆が立ち上がるという映画だが、こういう映画も許されるようだ。
北朝鮮のことだから「体制に逆らう内容の映画などまかりならん!!」となるかと
思ったらそうでもないようですね。
昔話だから許されるのかな?

「大魔神」と大きく違うのはこの民衆を助けてくれた「プルガサリ」が今度は
民衆の重荷になってしまうという点だ。
「大魔神」はラストで悪代官を倒した後、おとなしく元の場所に帰り、静かに眠って
くれたが、この鉄を食べる怪物・プルガサリは戦いが終わっても鉄を食べ続けなければ
ならない。
民衆は鍬などの農具まで差し出さなければならなくなってしまう。
見かねたヒロインがプルガサリと心中してしまう。

「大魔神」よりはるかに奥が深い。
「革命の戦士が革命後、権力を手に入れた途端、権力者となって横暴になる」ということの
アイロニーかと思ったが、それだけではない。
技術の進歩などにも当てはまる。
鉄は農具を作ったが、今度はそれが剣にもなってしまう。
近代で言えば核実験が核兵器を生み、いや身近で言えば石油の利用が便利を通り越して
地球温暖化を招いてしまう。
進歩というものは常に副作用も隣り合わせだという実に深い話だなと思わせられる。

特撮は東宝のスタッフが行っただけあってさすが見事なもの。
プルガサリが城を壊すあたりは見事なもの。
しかも建物を壊したときの破片が細かく、実に丁寧に作りこんである。
このあたりの細かさは本家「ゴジラ」をしのぐのではないか?

また北朝鮮らしく兵隊のモッブシーンも本物ならではの迫力だ。
そしてヒーローの主人公がいて恋人がいて、恋人には幼い弟がいる。
このあたりの人物設定は世界共通。

北朝鮮映画。一体どんな作品があるのだろう??
かの国の映画、他の作品もぜひ見てみたい。


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ニュースの天才


日時 2005年1月3日16:00〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・アートスクリーン
監督 ビリー・レイ

(公式HPへ)


アメリカでもっとも権威ある政治雑誌「ニューリパブリック」誌の記者・
スティーブン・グラスはハッカー少年とソフト会社との裏取引の記事をものにした。
しかしネット配信を行うニュース社がこの記事を疑い、調査する。
なんとその記事の内容はダテラメだった。


「スターウォーズ」の美青年、ヘイデン・クリステンの主演作。
ニュースの捏造、というテーマも面白そうだったが、ヘイデン・クリステン主演というのも
この映画を見に行った動機のひとつ。
ヘイデン君、なかなかの正統派美青年で見ていて飽きがこない。
演技派もいいがこういった美青年もやはり映画の魅力のひとつですね。

で、映画の内容のほうだけど、問題のハッカー少年の記事についてはすぐにネタが割れる。
この記事の話になった段階で観客にはでたらめだったと気づかせてしまう。
ウソかホントかわからなくて観客も登場人物も振り回される、という内容ではないので
ミステリー風なものを期待するとやや外される。

そして話の中心は編集部の人間関係になってくる。
編集長が途中で変わり、今度の編集長ではついていく気になれないとかそういう
小さい世界の話で、とても何万人という読者を相手にしている世界ではないみたいだ。
しかしやはりどんな世界でも人間というものは、ユーザー(顧客)より組織(会社)の
方が気になるようだ。
何万人の読者のことより編集長との人間関係が行動の基準になるものなのだろう。

スティーブンがなぜ捏造記事を書いたのかはこの映画でも説明はない。
映画を見た直後は医者か弁護士しか職業として認めない両親に対して、自分の仕事を
認めさせようという気があったからかと思ったが、それだけではないようだ。
面白い記事を書くと社内の人間が喜ぶとかでもない。
スター記者になりたいという功名心だけでもなさそうだ。

たぶん、ウソをつくことが日常になっているのだろう。
私は今までの人生の中で二人、虚言癖のある人間に出会ったことがあるが、彼らは実に
普通だった。
ウソを言ってるときも彼らの目に曇りはない。
「目を見ればウソをついてるかわかる」なんていうがそんなことはない。
何のやましさもなくウソをつける人間はいるのだ。
彼らは自分でついたウソと現実が区別がつかなくなってしまったのではないかと
思うほどだ。

「マスコミは真実を伝えるのでなく、売れる記事を伝える」というのがここ数年の
僕の持論なので、ニュースが真実でなくても驚かないが、記事を書くほう、読むほう
双方ともに気をつけなきゃいかんなあというという至極当たり前の結論を
書いてこの稿を終わる。


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