2005年4月

隣人13号 乱れる
めし 斬る EAST MEETS WEST 真夜中の
弥次さん喜多さん
クレヨンしんちゃん
伝説を呼ぶブリブリ
3分ポッキリ大進撃
女の中にいる他人 フライト・オブ・フェニックス ナショナル・トレジャー
女が階段を上る時 大学の山賊たち ある日わたしは 若い娘たち

隣人13号


日時 2005年4月30日17:15〜
場所 渋谷シネクイント
監督 井上靖雄

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村崎十三(小栗旬)は小学校の頃、赤木(新井浩文)から陰惨ないじめを
受けていた。それも理科室の硫酸を手にかけたりするのだから陰湿極まりない。
青年になった十三は怒りが頂点に達すると「13号」(中村獅童)という凶暴な人物に
なってしまう2重人格者になっていた。
大人になってある工務店で大工をしている赤木だったが、十三も同じ工務店に
就職した。昔のことなどすっかり忘れている赤木は小学校の頃にいじめた子が
今同じ職場にいることなど気づかない。


見ていていやになった。途中で帰ろうかと思った。
映画の冒頭から陰湿な小学生のいじめシーンから始まる。
手や顔に硫酸かけたりするんだよ。
勘弁してほしい。
こういうホラー、スプラッタ系(と言っていいのか)映画が好きな人には面白いのかも
知れないが、私はダメ。

この手の残酷系の映画はダメなんですよ。
どういう人がこういうの面白がるのかなあ??
「こういう映画があるから現実社会でも異常な犯罪が起こるのだ。規制を強化したほうがいい」
という意見が出てくるものもっともな気がしてくる。
私自身はそれほど短絡的に「こういう映画は規制すべきだ」という意見を言うほど
単純じゃないけど、でもそういうことを言う輩が出てくるのはうなずける気がする。

もうとにかく語りたくないんだよな、この映画。
じゃなんで見に行ったかというと小栗旬の全裸シーンがあると聞いたから。
十三と13号がイメージの中で出会う山小屋風のシーン。
全体的に赤系になった映像の中で、全裸になった小栗が登場する。

でこの映画でまったく誉めるところがないかというとそんなことはない。
全体的にフィルターで色のコントラストを強くした映像は実にきれいで
最近の日本映画では少ない美しい画面だった。


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乱れる


日時 2005年4月30日13:00〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン1
監督 成瀬巳喜男
製作 昭和39年(1964年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


清水のある商店街。ここでもいまやスーパーマーケットが登場し
昔ながらの商店街は寂れつつあった。森田屋酒店もそのひとつだった。
戦争で夫が死んだ後もこの家に残った礼子(高峰秀子)が戦争でなくなった
店を再建したのだった。
しかし礼子にとっては大人になって就職してもすぐに会社をやめてしまった義理
の弟の幸司(加山雄三)が心配の種だった。
そんなところへこの店をたたんでスーパーにしようという計画が持ち上がるのだが。


いや、誰が誰を好きになろうとそれはありだと思う。
しかし25歳の男前の青年が37歳の義姉に恋をするのはどうかと思う。
それも「東京タワー」の黒木=岡田コンビなら納得がいくが、庶民的な
高峰秀子でしかも商店街の酒屋のおかみさんだ。
こういってはなんだが相当マニアックな趣味だと思う。
一歩間違えばポルノ映画になりかねないよ。その辺が現実感がないのだなあ。

そしてスーパーの進出で寂れつつある商店街が舞台。
加山の実姉(草笛光子)の主人(北村和夫)の力を借りてスーパーマーケットに
にしようという計画が出てくる。
おそらくは高峰秀子がこの家に今まで通りいられなくなるという変化の設定が
欲しかったからこういう話になったのだとは思うが、スーパー建設によって
周りの商店街との付き合いはどうするかということはまったく出てこない。

前半で柳谷寛の食料品店がスーパーの攻勢によって将来に悲観を感じ、自殺まで
しているのだ。
加山と柳谷はマージャンをしたりして仲がよかったのに、自分のところをスーパーに
しようという発想は実に身勝手。
しかも母親を含めて、「ご近所の手前なかなか踏み切れない」と言ったことは
誰も言わない。おかしいよ。

恋愛ドラマが主な話だからこういうことを僕が考えるのは変だというのはわかるのだが
それにしても気になった。

ラスト、高峰秀子は故郷に帰る。加山は「送っていく」と同じ列車に乗ってついてきて
しまうのだ。
そして加山の情にほだされて途中の温泉で一泊するのだ。

えーと全部書いちゃうけど、旅館の部屋で加山は高峰秀子に迫るのだが拒否される。
それを悲観して加山は自殺(事故死?)する。
どうなんだろうねえ、この展開。
最後は運ばれてきた加山の死体を見る高峰秀子のアップで余韻もなしに終わる。
高峰秀子もショックだろうが、見てるこっちもショックだった。


出演は酒屋の店員役で西條康彦。割と出演シーンは多かった。


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めし


日時 2005年4月29日10:30〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン1
監督 成瀬巳喜男
製作 昭和26年

(詳しくはキネ旬データベースで)


周囲の反対を押し切って結婚した岡本初之輔(上原謙)と三千代(原節子)だったが
証券会社に勤める初之輔の転勤で大阪に来て何年も経っていた。
毎日食事と洗濯と掃除だけに明け暮れる日々に三千代は嫌気がさしていた。
そこへ親子喧嘩から家出してきた初之輔のイトコ里子(島崎雪子)がやってくる。
自由奔放でわがままな彼女に腹を立てる三千代。
単調な初之輔との生活もいやになった三千代は里子を連れて東京の実家に帰る。
こちらで仕事を見つけようとする三千代だったが・・・


こんなことを言ったらまた女心がわかってないと思われるだろうが、
この映画に登場する原節子も島崎雪子もわがままだなあと思う。
そりゃ毎日が単調で飽きるのもわかるが、しかしそれが人生というものだ。
「あなたは私の顔を見ると『腹が減った』しか言わない」と三千代は怒るのだが
それも仕方ないんじゃないの?

僕は結婚していないので、夫婦については本当はよくわからないけど、だからって
実家に帰って東京で働こうとするのはどうかと思う。
初之輔と里子の中を疑ったりするのだが、実際は何もないのだから
私にしてみれば「いい加減に馬鹿なことを考えるな!」と思ってしまう。

そしてまた里子のほうも輪をかけてわがままだ。
最初大阪にやってくる親子喧嘩の理由も親の薦める結婚がいやだから。
それはいいのだが「親の薦める人は嫌いだけど金を持ってる、好きな人は金を
もってない」というわがままぶり。
三千代のイトコの一夫(二本柳寛)と知り合うのだが、「一夫さんは歳は少しいってるけど
お金は持ってるし、紳士だ」とうそぶく。
言い過ぎ覚悟で言うのだがこれでは援助交際目的の女子高生と同じレベルだ。

一夫と海に行って遅くなってしまい、三千代の川崎の実家に里子が泊まりに来るのだが
彼女の自分勝手ぶりに三千代の妹の主人(小林桂樹)がさすがに説教する。
いいねえ、言ってやったほうがいいよ、あんなわがまま娘。
しかしこの映画における小林桂樹と島崎雪子は親戚だが、ずいぶん遠い。
小林桂樹からすると島崎雪子は「自分の妻の姉の夫のイトコ」だ。
そういう人のうちにやってくるこの娘は本当にずうずうしい。

結局最後は上原謙が迎えに来て三千代はもとの鞘に収まるのだが、それがいいと思うよ、
この夫婦にとっては。

出演は大阪の原節子の近所の住人に大泉幌。
あと映画の前半で上原謙と島崎雪子が大阪観光をするのだが、道頓堀の食いだおれ人形は
この頃からあったのだなあ。


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斬る


日時 2005年4月23日25:40〜 
場所 浅草東宝
監督 岡本喜八
製作 昭和43年(1968年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


上州のある町に二人の流れ者がやってくる。
武士を捨てた男(仲代達矢)と百姓に嫌気がさして武士なりたい男(高橋悦史)。
この藩は今、若手による藩政改革が起ころうとしていた。
血気盛んな若手(中村敦夫、中丸忠雄、土屋義男、久保明、橋爪功ら)によって
城代家老が殺されたのだ。
江戸の殿の下へ使者が走る。江戸からの連絡を待つ間、砦にこもった若手たち。
かつての自分と似てるものを感じた仲代達矢は彼らの手助けをしようとするのだが。

この映画は学生時代(だから20年位前か)に一度見ている。
そのときも黒澤の「椿三十郎」みたいな話だなあと思った覚えがある。
藩政改革を叫ぶ若侍のグループを年長者が助ける話だから。
しかし映画の雰囲気はかなり違う。

黒澤映画はこの作品と比べるとなんかお上品な感じがするのだ。
岡本喜八のこの映画はずいぶんと土着的な感じがする。
どちらが上というのではなく、同じ話でもこうも違うものかその違いが
面白い。

若手侍のリーダー(中村敦夫)には千乃(星由里子)という恋人がいるのだが
若手侍の中に彼女のことを好きだったものがいて、この女をめぐる対立が彼らの
結束を乱す原因になってくる。
また高橋悦史が途中女郎屋に行くのだが、指名した女は「土の匂いのする女」。
このあたりのセンスは後の「沖縄決戦」に登場する女郎にも通じるものがある。
何かこう人間的欲望に満ちているのですね。

また出演では岸田森が女郎になった妻を助けようと身請けの金を刺客をして稼ごうという
剣客を演じて、印象に残る。
そしていい家老役で女郎屋に初めて行って嬉々とする好々爺を東野英治郎。

ラスト、せっかく侍になった高橋悦史が、やっぱり侍の身分を捨てて仲代達矢に
ついていこうとする。
このあたりの自由人になろうとするあたり、「独立愚連隊」にも通じる岡本喜八らしさだ。


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EAST MEETS WEST


日時 2005年4月22日21:50〜
場所 浅草東宝
製作 平成7年(1995年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


浅草東宝・岡本喜八追悼特集第4回。

幕末、日本からアメリカ大統領あての使節団がサンフランシスコに到着した。
日本から持ってきた3千両を銀行に預けようとしたところ、その3千両は
銀行強盗に奪われてしまう。
そのお金を取り戻そうと上条(真田広之)が追いかける。
しかし、上条は実は水戸藩士で、桜田門外で井伊大老を暗殺した一派で、
米国への使節団のメンバーを狙ってもぐりこんでいたのだ。
3千両の持ち逃げを警戒し、為次郎(竹中直人)を追わせる使節団。
銀行強盗に父親を殺された少年やその先生らを巻き込んで3千両の
奪還が始まった!

10年前の封切りの時にも見ているが、映画のシーンはまるで記憶になかった。
要するに面白くなかったのだ。
聞くところによると封切りの時は公開日が急遽はやまり、編集が完全でない段階で
公開したとのうわさ。
だから完成度は低かったともいえるのだが、今回見たのはその後編集をやり直した
「ディレクターズ・カット版」。(レーザーディスクもこのバージョンらしい)

で面白くなったのかというと大して変わっていない感じ。
そりゃ多少テンポはよくなっているのだろうけども。
話の内容は「愚連隊シリーズ」にあるようなお宝奪還物で(もっとも「愚連隊」
が西部劇のもじりと言ったほうが正しいのかも知れないが)話は面白いのだが、
登場人物にまるで魅力がないのだよ。
教師なのに「体育の授業だ!」といって昔の悪ガキを引き連れていく教師など
なかなか設定としては魅力なのだが、どうにもさえない。

かつての喜八映画は仲代達矢、佐藤允、中谷一郎、中丸忠雄、堺左千夫、砂塚秀夫
加山雄三らの役者の個性に負うことが多かったのだ。
彼らのような個性派の面々がいたからこそ、喜八演出の面白さが120%発揮されたと
いえるのだ。

そんなメンバーがいなくなって、アメリカの無名の役者ばかりではどうも
盛り上がらない。
アメリカの役者に喜八映画にありがちなオーバーアクト気味の顔の表情を
やらせれば、喜八らしさの片鱗は感じられたのだろうが、やらなかったのか
やれなかったのか、役者の演技はいたって普通。

また岡本喜八映画は台詞回しに独特のリズム、節をつけて話すことが多いのだが、
せりふの9割が英語だからまるきりこ部分の面白さが消えてしまっているのだ。

日本人の主要キャストが真田広之と竹中直人なのだが、二人とも苦手な役者なので
私にとってはますますストレスがたまってくる。
(仲代、高橋悦史、岸辺一徳、天本英世らも顔見世で出てくるが、最初の方で
チラッとだけだしね)

西部劇風のものを作ると面白かった岡本喜八だが、本物の西部劇を作ったら
まるで失敗してしまった。
これが「レッドサン」ぐらいに大物を起用しての作品だったらまた違ったかも
知れないが、結果として「形だけが西部劇のなんか妙な映画」にしかならなかった。
結果としてうまくはいかなかったが、一度はアメリカを舞台にした西部劇を
作りたかったろうから、その意味では岡本喜八にとってはよかったのだと思いたい。

ラストで侍になりたがっていた竹中直人はインディアン娘と結婚、アメリカに残る。
また上条も日本には帰らなかった。
このあたりがラストは国家の権威を信用せず、自由に生きることを選ぶ主人公たちの
生き方は、「愚連隊シリーズ」の面々から引き継いでいる岡本喜八らしさだ。



また本日は小谷承靖監督と急遽山下洋輔氏がゲストで舞台挨拶付でした。


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真夜中の弥次さん喜多さん


日時 2005年4月16日19:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン2
監督 宮藤官九郎

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見た映画は全部感想をある程度の長さで書く、ということをサイトをはじめてから
のポリシーにしているのだが、時々どうにも文章を書けそうにない映画に
出くわすことがある。
そんな時は大抵あらすじを書いたりしてごまかすのだが、そのあらすじすら書けない。
僕にとって「真夜中の弥次さん喜多さん」はそんな映画だ。

まず弥次さん喜多さん(長瀬智也、中村七之助)はホモの恋人関係にある。これはわかる。
そして喜多さんは金髪だ。これもまあいいだろう。
だが喜多さんはヤク中だ。このあたりからなんとなくセンスについていけなくなる。

いや時代考証がどうの、というのではなく笑いのセンスとしてなじめないのだ。
それから先もどんどん映画は暴走して行き、女子高生のギャル軍団登場するわ、
笑いの関所で奉行を笑わせなければ関所は通れないとか、どんどんディープに
なってくる。
こういう、ナンセンスギャグ(という言い方が適切なのか僕にはよくわからないが)
とか不条理ギャグ(??)で押し切るのかと思ったら、途中で弥次さん喜多さんの
腕はつながってしまい、そしてクスリにラリった喜多さんは弥次さんを殺してしまう。
そして弥次さんは三途の川に行き、わたるわけには行かないとそこにいた何たら言う
バアさんと三途の川の源流に行く、というあたりから生と死の話になり、
丹波哲郎も真っ青なくらいな霊界話になってくる。

で喜多さんはなんだかわけのわからん森の中のバーに行きマジックマッシュルームを
食べて「マタンゴ」に負けないくらい体がキノコ化してくる。

結局訳わからないよ。
僕は「クドカンファン」というより、「木更津キャッツアイ」ファンなのでもうついて
いけない。
考えてみたら「木更津〜」も主人公は余命半年と言われてるし、「生と死」というのは
クドカンにとって重要なモチーフなのかも知れない。
でも今回クドカンは暴走しすぎて観客不在にしていると思う。
一部では評価されて数年後には「カルト映画」になるのだろうか?

まあこういう映画を「訳わからん」というとなんだか馬鹿にされそうでいやなのだが、
私はこのセンスについて来れませんでしたね。
クドカンファン、長瀬ファンは満足できたのでしょうか??

その辺の方々の感想が知りたいですね。
面白かったんでしょうか???

ゲスト出演は豪華で毒蝮三太夫や妻夫木聡まで出ていた。


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クレヨンしんちゃん
 伝説を呼ぶブリブリ3分ポッキリ大進撃


日時 2005年4月16日12:45〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン4
監督 ムトウユージ

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野原家の朝は相変わらず忙しい。
夫を送り出し、しんちゃんを幼稚園の送迎バスに乗せなければ
ならないのだが、遅刻してバスは行ってしまう。
自転車でしんちゃんを幼稚園に送り届けるみさえ。
家へ帰ったが、まだ何も食べていないことに気づき、カップラーメンに
お湯を注ぐ。だが疲れたみさえは一眠りしてしまう。
そこへなぜか時空調整員ミライマン(?)が野原家にタイムスリップしてくる。
姿のないミライマンはとりあえずしんのすけの怪獣のぬいぐるみに
入り込む。
カップラーメンのにおいに誘われ、ついつい食べてしまう。
そこへ起きてきたみさこ。そこで目にしたのはぬいぐるみが
カップラーメンを食べている姿だった!

今回はタイトルの3分を見てわかるとおり怪獣もののパロディ、というか
オマージュというかもじり。
時空調整員ミライマンが言うには3分後の未来に怪獣が出現するから、タイムワープして
しかもミライマンの持つ力で自分のイメージしたヒーローに変身し、
怪獣をやっつけてほしいというのだ。
なんだかよくわからない設定だが、みさえをはじめ、しんちゃんもひろしも
日常とは違うヒーローな自分が楽しくなる。

怪獣の出現するにある東京タワーの頂上に巨大な繭が浮かび、怪獣はここから
登場するという話。
東京タワーと繭といえば「モスラ」。そしてゴジラ風の怪獣が登場したりひろしも
ウルトラマンやスーパーマンもどきのヒーローに変身し怪獣を倒す。

そしてしんちゃんやみさえ、ひまわりもヒーローに変身する。
中盤、「ヒーローに変身して怪獣を倒す」というのが何回も繰り返されるので
やや飽きる。

やがて怪獣退治が面白くなったみさえやひろしは、家事や仕事をほっぽり出して
怪獣退治に夢中になり、食事も作らなくなる。
しかし最後に登場した怪獣は最強でひろしもみさえも歯が立たない。
そこでしんちゃんが「きれいなおねーさんを女子大生になったひまわりに
紹介してもらえるようガンバルゾ!」と力を振り絞って戦う。

しんちゃんらしい正義感で、「モーレツ大人帝国の逆襲」に近いものがあるが、
5年もたてば肝心の子供客層のほうは変わっていてもおかしくないのでこれもありかな。

エンドクレジットで出てきた怪獣が「かいじゅうがほう」として紹介される。
ありましたねえ、大伴昌司の「怪獣画報」。
この中で出てきた怪獣に「ラドン温泉」というのがいたのには笑った。
でもどうせ怪獣もののパロディをやるなら、造形を真似るとか、ネーミングを
まねるとかもっとどんどんはじけてほしかったな。
それとも怪獣の造形など権利関係で難しかったのか??

怪獣画報もラドンもわかってる怪獣オタクが作ったしんちゃんだから、もっと
はじけてほしかったと思う。
こっちも怪獣オタクだから、オタク話で盛り上がりたかった。
六本木ヒルズが登場したが、国会議事堂とか、マリオンとか和光の時計台とか
東京都庁とかそういった場所も登場すればもっと(僕には)面白かった。


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女の中にいる他人


日時 2005年4月16日10:30〜
場所 ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ・プレミアスクリーン
監督 成瀬巳喜男
製作 昭和41年(1966年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


田代(小林桂樹)と杉本(三橋達也)は鎌倉の近所に住む20年来の友人。
田代は実は杉本の夫人(若林映子)と不倫関係にあったのだが、
誤って殺してしまったのだ。
沈黙を守る田代だったが、罪の意識に耐えかねて自分の妻(新珠三千代)に
殺人を犯したことを告白してしまう。

成瀬巳喜男には珍しいミステリー作品。
外国のミステリー作品の翻案だが、普通のサラリーマンがふと犯罪のポケットに
落ちてしまうというまるで松本清張作品にあるような内容だ。
しかも殺人の原因が、若林映子がプレイの一つとして首を絞めてほしいという
江戸川乱歩にあるようなSMチックなプレイが原因。

映画の前半では田代が殺人を犯したとは明らかにされない。
だが予告や作品紹介で田代が殺人を犯したことは観客はほぼわかっている。
犯人当ての楽しさはないのだが、びくびくしている小林桂樹を見ていると
「彼がいつ告白するのか?」が楽しみの焦点だ。

罪の意識に絶えかねてついに妻に告白する田代。
しかし妻は罪を償うことより家庭の平和を優先する。
田代の罪の意識は一向になくならない。
そこへ自分の子供が些細なことでカッとなるところがあり、自分に似たのかと
言われて、自分の殺人に結びつけて考えてしまったり、また自分の会社の経理担当が
会社の金を使い込んで夜逃げしてしまい、その男について社長が「まったく会社の
金を使い込んで何食わぬ顔で何ヶ月も働いていたなんてとんでもないやつだ」と
憤るのをつい自分と結びつけて動揺してしまう。

こういった小市民の心の動揺をやらせると小林桂樹は本当にうまい。
「あるサラリーマンの証言」「首」「白と黒」を小林桂樹ミステリー3部作と
呼んでいたが、この映画も加えて4部作といいたい。

罪の意識の重さに耐えかねた田代はついに自首を決意する。
しかし妻の取った行動とは?
というところでこれ以上書くのは止めにしよう。

女というのは怖いなあ。
社会の中の自分という大局的な立場でものをとらえることが多い男だが、
それよりも「家庭の平和」を第一に考える女の考え方が恐ろしい行動と
なって現れる珠玉のミステリー。


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フライト・オブ・フェニックス


日時 2005年4月14日22:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン4
監督 ジョン・ムーア

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モンゴルの砂漠、ある油田の試掘場が閉鎖されることになり、
メンバーは迎えの双発の貨物機にのって飛び立つ。
しかし途中で巨大な砂嵐にあい、不時着を余儀なくされる。
ここはゴビ砂漠。歩いて砂漠を抜けることは不可能。
しかし一つだけ脱出する方法がある。
それはたまたま油田の試掘場に来ていた自称飛行機の設計技師
の提案だった。
飛行機の残った残骸から新たな飛行機を作ろうというのだ!

ロバート・アルドリッチの「飛べ!フェニックス」のリメイク。
アルドリッチ版はテレビで半分くらい見たことがあるが、詳細は
覚えていない。だから完全な新作として楽しむことができた。

でも結論からいうとイマイチな作品だった。
もともと砂漠に落ちた飛行機の話だ。
画的には変化に乏しくやりづらい。
もちろんそんな中でも砂漠を美しく捉えた映像は美しかったが、
それにしても限界がある。

またいろんなアクシデントが起こるのだが、エピソード一つ一つが
もう一つなのだ。
燃料に調理の火の粉が降りかかって爆発するシーンはよいのだが、
落雷のシーンはもう少し粘ってもよかったのでは?
雷がだんだん近づいてくる、もう少しでアースが接地できる、というあたりは
もう少しじりじりと描いていけば盛り上がりも今以上になったろうに。

またせっかく完成した飛行機が砂嵐で埋まってしまったあと、すぐに掘り返して
しまっている。ここももう少し掘り返すカットがあってもよいのでは?
そしてラストの離陸の時に西部劇のインディアンのごとく、密輸団が襲い掛かるが
ここももうちょっとなんだなあ。
まあ、離陸した瞬間は落ちたんじゃないかとハラハラさせられたけど。
(映画だから墜落しないことはわかっているのだが)

出演では自称飛行設計技師のジョヴァンニ・リビシがよい。
ポーカーフェイスの無表情さはまるでナチスドイツのゲシュタポを想起させる
冷徹さだ。
実際、ゲシュタポの制服も似合いそうだった。
この男が「人当たりは悪いがいいやつなのかな?」と思わせて、後半みんなに
土下座に近いことをさせるといううやっぱり「やな奴」だった。
でもこの展開があるから、この自称飛行機設計技師の正体がわかったときの
リアクションが面白いんだけど。

ところどころに面白いところはあるのだが、それぞれもう一つ盛り上がりに
掛けた。

ちょっと惜しい。


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ナショナル・トレジャー


日時 2005年4月9日13:10〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン1
監督 ジョン・タートルトープ

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古代エジプトのころからの秘宝が、独立戦争以前のアメリカに持ち込まれていた。
独立戦争を戦った当時のアメリカ指導者たちはその財宝をアメリカ国内のどこかに
隠した。
その伝説の財宝を探し当てることを代々行っている家があった。
その一族の一人(ニコラス・ケイジ)はアメリカ独立宣言書の裏にその財宝の
ありかの地図が記されているらしいと知る。
独立宣言書はワシントンの博物館に保管され、実物を手にすることなどできない。
しかも単なる金目当ての悪党もその情報を知り、独立宣言書を狙っている。
ニコラス・ケイジは財宝を守るために自らがその独立宣言書を奪うことを
計画する。

この春の話題作。
予告などを見て、この独立宣言書の奪取が物語のクライマックスになるのかと
思ったら、それは実は映画の始まり。
独立宣言書の奪取に始まって、その裏を見たところ、そこには数字しか記されていなくて
その数字の意味するところを解読し、ある場所に行ってみると色付きのガラスめがね
(いわゆるサングラス)が見つかってそのサングラスを通して見てみたのだが・・・
とまるでエンドレスな暗号説き。

そこへ独立宣言書の奪取のためにFBIから追われ、また財宝を狙う悪党たちからも
狙われて、仲間が悪党に捕まったり、自分もFBIに捕まったりととにかく
速いテンポで映画は進行する。

そんな感じで見ていて面白いのだが、エンドレスな暗号説きにはやや飽きが来た。
「また手がかりかよ!」って気がして少しくどい。
実は(ネタばれだが)宝は見つからないと思っていた。
見つかっても「レイダース」の時のように封印されるのだろうと。
ところがラストは宝が見つかってニコラス・ケイジたちは大金持ちになるという
ハッピーエンド。
まあ面白かったことは面白かったが、最近のアメリカアクション映画にありがちな
「見てる間は面白かったが、1週間たったら忘れる」映画。


そんなことよりこの映画の裏の意味。
この映画で知ったのだが、独立宣言書には「われらは自由と独立のために戦う」と
いうようなことが書かれていようだ。
なんだかこの時期に独立宣言書をモチーフにした映画を作られてしまうと
「自由のために戦う」というアメリカ建国の精神に立ち返ろうという思想が見え隠れ
するような気がする。
それは現在のアメリカの戦争を正当化しようという意図があるのではないか?
そしてラストには財宝(探し物)は見つかる。
最近のアメリカの大きな探し物。
それはイラクの大量破壊兵器。
つまり「自由のための戦う」という精神に立ち返れば「探し物はきっと見つかる」という
それこそこの映画の隠された意味があるんではなかろうか??
まあそんなことを考えるのは私だけだろうから、深読みのしすぎと笑い飛ばして
もらってかまわない。
でもディズニーの映画だしな。


アメリカ独立宣言・全訳↓
http://www.h4.dion.ne.jp/~room4me/america/declar.htm


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女が階段を上る時


日時 2005年4月9日10:30〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン6
監督 成瀬巳喜男
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


成瀬特集5本目。(先週の「流れる」は都合で見にいけなかった)

今まで成瀬映画を「下半身のゆるい男女の話」となじめないものを感じていたが
この映画は違う。
名作だ。

タイトルの「女が階段を上がる時」とは高峰秀子演じる主人公の
勤めるバーがビルの2階にあることに由来する。
彼女は実は水商売の世界に好きで入ったわけではない。
夫に死に別れ、生活のために仕方なく銀座のバーに勤めだしたまでだ。
「階段を上がる瞬間が一番いや」と主人公は独白する。
しかし、階段を上がって店に入った瞬間から接客のプロに徹するのだ。

マダムとはいえ(というかマダムだからこそなのだが)仕事は楽ではない。
店のオーナーから売り上げが下がったと責められたりとか、
いやな客から旅行に誘われたりとか、自分の店にいたホステスが別の店で
ママになって客を取られたりだとか、自分自身が病気になったりとか、
自分の客をとってその客に店を出させる若いホステスとか、
借金苦に陥る他の店のママだとか、店を出す決断をしてみたりとか、
実の兄がだまされたりとか、その息子である自分のおいが小児麻痺であるとか、
亡き夫への想いとか、結婚の誘いとか、好きな客との一夜の夢とか、
自分を想うマネージャーとか、数多くのつかの間の喜びと試練に満ちている。

これらの幾多のエピソードに彩られながら映画は進行していく。
多くのエピソードを見事に整理した菊島隆三の脚本がすばらしい。
特に加東大介とのエピソードなど「あっ」といわせる展開だ。

主人公はそれらの試練に負けそうになりながらも果敢に挑んでいく。
ラスト、森雅之との別れのシーンは痛快ささえ感じられるほどだ。

幾多の事件を乗り越え、再び店に立ち、プロとしての接客に徹する主人公
の笑顔で終わる。
その力強い笑顔には敬意さえわいてくる。

「その場所に女ありて」に匹敵する女性映画の名作だ。


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大学の山賊たち


日時 2005年4月2日
場所 浅草東宝
監督 岡本喜八
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


いまやスキーブーム。あるデパートの社長(上原謙)はスキー用品販売拡大の
ためにどこかの山荘を買い取り、お店の顧客に貸し出そうというプランを考え、
ある山に向かう。そのころ、その山では大学生のグループ(山崎努、久保明
江原達怡、佐藤允、ミッキー・カーチスら)が冬山登山に挑戦していた。
そしてデパートのOLグループ(白川由美、上原美佐ら)もスキーを楽しんでいる。
彼らは天候の不順からやむなくある山荘に避難する。
しかしその山荘は上原謙が買取を計画中だった。そこへ二人組みの強盗(中丸忠雄ら)
が警察に追われて逃げてくる。
果たしてどうなる??

岡本喜八の痛快アクション。
デビューから3本ほど、東宝青春喜劇を作らされていて、本領発揮と行かなかったが、
この作品のあたりから喜八らしいコミカルなアクション映画になってくる。
なんと言ったって冒頭スキーシーンから始まるのだが、1分ほどスキーシーンが
あっていきなり「終」の文字が!
浅草東宝だけに巻のかけちがいか??と一瞬思わせてカメラはズームダウン。
それは上原謙社長が見ていたスキーのPR映画だったという落ちがつく。

彼ら逃げ込んだ山荘には越路吹雪扮する未亡人が住んでいて、彼女の亡き夫は
画家。その幽霊が時々登場し、それを上原謙が一人二役で演じている。
中丸忠雄らは警官(沢村いき雄)たちに追いかけられたとき、拳銃を撃ったために
なだれが起こって下山の道がふさがれてしまう。
食料を何とか持たせようと計画する主人公たちだが、中丸忠雄らに奪われてしまう。
彼らの拳銃を奪ったが、また奪い返されて形勢逆転、ところが中丸忠雄が病気になった
ために医学生のミッキー・カーチスが手術したり、なくなった食料を得るために近くの
別の山荘に取りに行ったり、だが江原達怡がリーダーの山崎努と別れて単独行動を
とり始めたりと、形勢がころころ変わり目が離せない。

その上、上原謙は山荘買収に熱心に越路吹雪を口説いたりとサスペンスの中にも
ユーモアを交えての喜八流。
東宝青春映画に「独立愚連隊西へ」などのグループ物のアクション映画の要素も
交えてのなかなかの快作。
岡本喜八の初期の代表作のひとつに加えていいと思う作品だ。


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ある日わたしは


日時 2005年4月2日25:10〜
場所 浅草東宝
監督 岡本喜八
製作 昭和34年

(詳しくはキネ旬データベースで)


岡本喜八追悼特集3作目。

岡山県出身の主人公、ゆり子(上原美佐)は県人会で大助(宝田明)という
学生と知り合う。彼女には幼馴染で彼女に思いを寄せる健太郎(山田真二)という
友人がいたが、結局大助のことが好きになる。
だが、彼女の母親はイマイチ反対だ。
なぜなら昔、ゆり子の母親は大助の父親(上原謙)と恋仲だったからだ。

そんなような話。
上原美佐の母親と宝田明の父親が昔恋仲だったらしい、というのは
映画のかなり早い段階で観客にはわかるんだけど、なかなか上原謙たちはそれを切り出さない。
ずいぶん勿体つけて、映画の最後のほうで「実は・・・」となるのだが、見てるこっちは
わかりきっているので、オチにもなんにもなっていない。
さらにこの映画に魅力がないのは主演女優に魅力がないから。

主演は上原美佐。
この子は黒澤の「隠し砦の三悪人」のお姫様役で有名。
だがこの映画を見る限り、まるで魅力がない。
というかへたくそ。
表情はないし、セリフは棒読みに近い。

資料(日本映画俳優全集・女優編)を読むと、黒澤明が「隠し砦〜」のお姫様役を
探していたとき、たまたま東宝名古屋支社の試写会で映画を見ていたところを
見出されて黒沢がほれ込み、起用した。
東宝も水野久美らとともに新人スターとして売り出そうとしたが、「隠し砦〜」終了後に
「映画界は性にあわない」という理由で引退を決める。東宝は慰留し、その後この映画を
含む何本かに出演したが、やっぱり引退を希望、東宝も今度は慰留しなかった、とある。
彼女があんまりへただし、本人にやる気がないならという気だったんでしょうねえ、
東宝としても。

もうひとり、上原美佐の幼馴染役の山田真二。
今日上映された「結婚のすべて」「若い娘たち」にも出演。
いずれも主人公の恋人役でいい役回りだ。
久保明をエキゾチックにしたような顔立ちでなかなか男前なのだが、現在では
ほとんど忘れられた存在。歌も出したらしい。
男前なのだが、どこかくらい影があり、イマイチ華がなかったのかも知れない。


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若い娘たち


日時 2005年4月2日
場所 浅草東宝
監督 岡本喜八
製作 昭和33年(1958年)

(詳しくはキネ旬データベースで)

本日の浅草東宝は岡本喜八追悼特集第1弾。
金子正且製作(「大学の山賊たち」を除く)の初期の作品。
上映作品は「結婚のすべて」「若い娘たち」「ある日わたしは」「大学の山賊たち」
金子氏の舞台挨拶つきだが、司会が下手でトークは盛り上がらなかった。


ある町の下宿屋は5人姉妹。
そのうち上の3人は下宿した学生と結婚していて、いつしか学生の
間では評判になっていた。
次は四女(雪村いづみ)の番。だが彼女はそんな平凡な結婚には満足しておらず、
新しい下宿人(山田信二)にも「あなたとは絶対に結婚しない」と下宿初日に
宣言する。
雪村いづみの叔父のうちでも学生下宿を始めることになり、その娘(水野久美)
と「二人とも下宿人の学生とは結婚しない」と約束をする。
しかし水野久美は下宿してきた学生(桐野洋雄)と結婚してしまう。
雪村いづみも山田信二を意識していたが、彼女は意地をはって好きだと言わない。
どうなるこの二人?

岡本喜八第2回監督作品。
石坂洋次郎原作の青春ラブコメディ。

まあ何てことないラブコメで、雪村いづみの明るさが映画全体を明るくし、
それなりの面白さを出している。
桐野洋雄の学生が最初はひげもじゃで、不潔だったが、実はひげをそったら
男前、というありふれた笑わせどころを発揮してくれる。

岡本喜八らしい、動きと動きでカットをつなぐ、というつなぎ方が「結婚のすべて」
に引き続き随所に見られ、題材こそ後の岡本作品とは異なるが、その手法においては
このころから特徴があったことは見受けられる。

ラストで雪村いづみの家の新しい下宿人を大学で決めるときの学生役で宝田明が
ワンシーンの特別出演。




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