2005年5月

ザ・インタープリター イン・ザ・プール オペレッタ狸御殿
ジャガーノート 男ありて 総会屋錦城
勝負師とその娘
バッド・エデュケーション
オクトパス
in NY
暁の合唱 娘と私 サラリーガール読本
お転婆社員
若い狼 交渉人 真下正義 Shall we Dance?
シャル・ウィ・ダンス?
娘・妻・母

ザ・インタープリター


日時 2005年5月29日12:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン5
監督 シドニー・ポラック

(公式HPへ)


アフリカのマトボ共和国。今は内戦で廃墟と化したスタジアムに3人の男が
到着し、二人が中に入った。だが二人は殺され、外に残った一人はその場を逃れる。
舞台は変わってアメリカ・ニューヨーク。
国連で同時通訳の仕事をするシルヴィア(ニコール・キッドマン)は偶然にも
アフリカのマトボ共和国のズワーニ大統領暗殺計画を耳にする。
連絡を受けた要人警護官のケラー(ショーン・ペン)は捜査を開始するが・・・

国連を舞台にして大統領暗殺計画、とくれば面白そうな気がするし、またその期待は
裏切られない。
そして単なる「大統領暗殺計画阻止」のアクション映画ではなく、「戦争の連鎖」に
ついても触れる奥の深い作品だ。
こう書くとなんだか小難しい映画ような感じがするがそれは間違い。

大統領暗殺の真の計画者は誰か?そしてシルヴィアの過去とは?というミステリーを
縦軸に観客を引っ張っていく。
シルヴィアはアフリカでも少数言語のクー族の言語を理解する。
彼女は何故クー族の言葉を話せるのか?
彼女はもともとアフリカのマトボの生まれだった。ではマトボを離れるに至った事件とは?
と事件は意外な展開。

シルヴィアは偶然の目撃者ではなく、彼女自身もマトボの内乱に関係していたのだ。
そのあたりの人間関係などがやや複雑で途中、少し混乱するのだが、「単なる目撃者」
だと思ってシルヴィアに対し観客が油断していると置いてきぼりにされるのでご注意を。

やがて明らかになる真実。
暗殺計画当日。
シルヴィア自身も失踪。彼女は何をたくらむのか?
そして会議場での狙撃。
この暗殺計画でその方法がライフルによる狙撃、というのがセオリーに乗っ取った展開で
(映画として)楽しい。
トイレに隠されていた分解式ライフルを組み立てての狙撃など、最近の映画では
見かけないような古典的な方法だ。
近頃の映画ではハイテクになりすぎて、極端な話、なんだかよくわからない方法で
殺される映画がある中、今の時代でもこの古典的な方法は(映画として)嬉しい。
(また最近のハリウッドアクション映画を見ると、「やりすぎ」「くどい」と感じる
派手すぎるアクションシーンが気になるのだが、この映画はその辺のさじ加減を
よく心得ている。さすが名匠シドニー・ポラック)

映画は「復讐の連鎖では戦争はいつまで経っても終わらない」と説く。
当たり前なことだが、見過ごされようとしている。
「やられたらやり返せ!」「やられる前にやれ!」そんな理屈が今の世界では
当たり前のように蔓延している。
しかしそんなことをしていたら戦争はいつまで経っても終わらない。

イラク戦争を止めることが出来ず、国連の無意味ささえ、ささやかれる昨今だが、
やはり現在の仕組みでは戦争を終わらせる仲介者の役目は国連にしか出来ない。
そんな中、国連を舞台にした「戦争の連鎖」をテーマにした娯楽映画が出来たことは
大変有意義だと思う。

面白かった。


(このページのトップへ)



イン・ザ・プール


日時 2005年5月28日19:00〜
場所 テアトル新宿
監督 三木聡

(公式HPへ)


ここ伊良部総合病院の神経科には心に悩みを抱えた患者が訪れる。
24時間勃起しっぱなしのサラリーマン(オダギリジョー)や
出かけた後にガスや電気を消し忘れてないか気になって仕方がない
ルポライター(市川美和子)。
そしてまだ病院は訪れてないけどプールに入らないとストレスが
溜まるエリートサラリーマン(田辺誠一)。
彼らの深刻な悩みをものともせず、伊良部先生(松尾スズキ)の
診療が始まる!

原作は読んでいたが、どうなることか映画になるのかと心配だったが
予想以上に面白かった。
しかしどこがどう面白かったかというのは文章にならない。
患者たち(田辺はまだ患者ではないが)には自分の病気にとっては
(他人から見ると何でもないことだが)重大事件が次々に襲い掛かる。

オダギリジョーにとっては会社の接待の温泉旅行だったり、市川美和子に
とっては失敗が許されない沖縄取材、そして田辺にとっては性病による
プール通いのドクターストップ。
それらの困難を何とかかわそうと奇策を行う彼ら。
彼らのドタバタぶりが面白い。
彼らにとって一番望まない状況に追い込まれたとき、彼らはどう立ち向かうか?
伊良部先生は火を消そうとするのではなく、逆療法なのか火に油を注いでいく。
爆笑の連続だ。かなり笑った。

正直言って原作小説より面白かった。
特にオダギリージョーが真面目そうな2枚目で、しかし彼がパンツを下ろして
下半身むき出しで診察を受けるときの姿の情けなさには同情すると同時に笑えてくる。
また焼肉屋のガスの火まで心配になる市川美和子のハチャメチャぶりも面白かった。
また彼女が沖縄に出かける時、タクシー内での自分なりの対策が成功したときの
ニコニコぶり。(しかし一転するのだが)
この辺は小説で読むより映像になったほうが面白いのだなあ。
よくできたシチュエーションコメディだ。

本日見た「オペレッタ狸御殿」に偶然にもオダギリジョーや市川美和子は
出演していた。しかし本作の方がはるかに彼らはよかった。
特にオダギリジョーは「あずみ」「血と骨」と、僕にとってはどちらかというと
嫌いなキャラクターを演じていたので、いまいちいい印象がなかったのだが、
この映画で好きになった。彼の今後にも期待したい。


惜しいのは映像が汚いところ。
明るさに強いカメラを使っているせいか、窓の外とか、部屋の中にある照明などが
明るすぎてハレーションを起こしているのだよ。
照明のバランスをちゃんとすればこんなことにはならないと思うのだけどなあ。


(このページのトップへ)




オペレッタ狸御殿


日時 2005年5月28日16:10〜
場所 新宿ピカデリー3
監督 鈴木清順

(公式HPへ)


自分がこの世で一番美しいと信じるがらさ城城主・安土桃山(平幹二朗)は予言者
(由紀さおり)に「あなたの息子の雨千代のほうが美しい」と言われたことに腹を立て、
雨千代(オダギリジョー)を殺そうとする。
逃げた雨千代は森に迷い込み、美しい姫(チャン・ツィイー)と出会う。
しかし彼女は狸御殿のお姫様だった!

鈴木清順、82歳の渾身の作。
でも眠くなりました。
初日にもかかわらず劇場はがらがらだし、後ろでは大いびきをかいて寝てる人もいるし、
観客は笑わないし、新宿ピカデリーとは思えない活気のなさ。
これが浅草東宝なら普通の光景ですけど。

もともと鈴木清順という監督はあまり好きではない。
カットのつなぎが不自然だったり、セットも無茶苦茶だったり、色使いも原色過ぎて
変だ。
そして今回は私があまり好きでないミュージカルだ。
だから期待もなかったのだが、彼の今までの作品は、本来日活アクションとして
作られる素材であったものを彼独特の映像感覚で作ったからこそ、違和感があり、
その「違和感」こそが僕には不快であったが、彼の特徴でもあった。

でも今回は「狸御殿」で「オペレッタ」。完全にファンタジーだ。
今までの作品は日活アクションを彼独特のファンタジー間隔で撮ったからこそ
「変な映画」だった。
ならば正当なファンタジー映画を撮ったらどうなるか?
案外、面白いかも
と思ったがやっぱり「変な映画」だったし、僕は好きになれなかった。

本来、明るく楽しく笑いありの楽しい映画になる素材だ。
だが、観客はまったくと言っていいほど笑わない。
私自身も笑えない。

キャストはチャン・ツィイーという美人女優にオダギリジョー、それに薬師丸ひろ子。
面子だけ見るとよさそうなのだが、妙に明るさがないのだよ。
というかこの映画、妙に静かなのだ。
妙に無音部分が多く、とってつけたように歌が流れる。
この無音がつらいのだよ。
緊張感もなく、退屈感が漂うのだ。
こちらは映画から取り残されたような疎外感を感じるのだ。

またテンポの悪さ、間の悪さ。
実を言うとこの映画の退屈さが、音の問題なのか正体が見えてないのだが、
結局の所、鈴木清順は私の観たい映画を作る人ではないという結論のつけ方でしかない。

オダギリージョー目当てらしい若い女性観客がいたが、彼女たちにはこの映画は
どう映ったのだろうか?
でも主役のチャン・ツィイーは魅力的でしたね。



(このページのトップへ)




ジャガーノート


日時 2005年5月26日
場所 ビデオ
監督 リチャード・レスター
製作 1974年(昭和49年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


豪華客船ブリタニック号はイギリスの港をニューヨークに向けて出航する。
だが出航してしばらくたったころ、ブリタニック号に爆弾を7つ仕掛けたと
船のオーナー会社に脅迫電話が入る。
爆弾のはずし方を教えてほしければ50万ポンドの支払いを要求。
大西洋は大しけで1200人の乗客を他の船に移すことは不可能。
爆弾作りのノウハウのある者の洗い出しを始める警視庁。
そして海軍も爆弾処理の第一人者ファロン少佐(リチャード・ハリス)を飛行機で
ブリタニック号に向かわせる!


2005年5月公開の「交渉人 真下正義」の中で引用されて再び脚光を
浴びたこの映画。私も公開時に見逃していたため、ビデオで早速鑑賞。
公開当時なぜ見なかったかというとやっぱり華やかさがなかったためだろう。
主演はリチャード・ハリスとオマー・シャリフだが、(名優だが)スター性
という点では今ひとつ物足りない。

肝心の映画の方は、もう一つ物足りないのだ。
豪華客船に仕掛けられた爆弾!となれば「タワーリング・インフェルノ」や
「大空港」並にグランドホテル形式の構成でパニック大作に仕上げることも可能。
しかしアメリカ映画ではなく、イギリス映画のためか大作感は乏しい。
上映時間も1時間40分と短め。
乗客側のエピソードもあるにはあるがそれほど出てこない。
犯人も割りとあっさりつかまる。
身代金の受け渡しなどそれほど複雑でなく、「新幹線大爆破」のほうが
よほど手が込んでいる。
船長のオマー・シャリフは貫禄がある割には特別な活躍はしない。

ではこの作品に魅力がないかといえば、それは間違い。
本作はそんなごちゃごちゃしたトッピングはなくして「時限爆弾VS爆弾処理の
ベテラン」に絞りきった構成だ。
爆弾処理についてはたっぷり時間をかけて描く。

爆弾は7つあり、リチャード・ハリスと部下が、別々の爆弾を連絡を取り合いながら
同時に解体していく。
ネジ1本緩めるにも「爆発するかも知れない」という緊張感が張り詰める。
しかも「爆弾は全部構造がちがう可能性だってある」という複線があるので
リチャード・ハリスがはずして大丈夫だったネジも、部下の爆弾では爆発するかも
知れないとこちらの体も緊張しっぱなしだ。

そして最後に「赤を切るか、青を切るか」という段解になるのだが、(未見の方のために
詳しくは書かないが)このシーンがフジテレビで放送した人気異色刑事ドラマの1話と
まったくおなじだったのには驚いた。
僕はそのフジのドラマの方を先に見ていて、そのシーンがあまりに面白かったので
そのドラマを書いた人気脚本家を大変評価したのだが、なんとこの映画の単なる
パクリだったのだ!!

だから映画としては面白かったのだが、先に書いたような大作感の乏しさから
残念な作品だなあという感想になってしまう。

キャラクターとしては乗客のパニックを静めようと必死に仮装パーティを盛り上げようと
するパーサーや、アフリカ生まれのアジア人のボーイがいい線行ってたと思う。
また警視庁の刑事の妻と子供がこの船に乗っているとか、そういう面白そうな要素が
たくさんあったので、この映画の地味さ、大作感の乏しさが残念に思えてならないのだ。



(このページのトップへ)




男ありて


日時 2005年5月22日
場所 録画DVD
監督 丸山誠治
製作 昭和30年(1955年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


プロ野球の監督の島村(志村喬)は家でも野球のことばかり考えて家庭を顧みない
男だ。しかしこのところチームのスバローズは負けてばかりで今では最下位争いを
してる始末。当然、オーナーからも攻め立てられる。
ある日、新人ピッチャー大西(藤木悠)をしばらく下宿させることにする。
ところが大西は娘のみち子(岡田満莉子)と仲良くなり、島村はなんとなく面白くない。

志村喬がプロ野球の監督を演じる。でもプロ野球をテーマにした映画というより
一人の仕事一途な男、父の物語だ。
だからスポーツ映画みたいなもの期待するとはずされる。
ヴィンセント・ミネリ監督、スペンサー・トレーシー主演の1950年の映画、
「花嫁の父」をみち子と大西が見て「あの映画よかったですねえ」というシーンが
あるが、この「男ありて」もやはり父の映画だ。

映画は中盤、ピンチランナーで塁にだした大西が、サインを無視して盗塁をする。
それを怒った島村は試合後、ベンチで大西を殴る。
それがきっかけで娘も抗議の意味で一晩家を空けてしまう。
そのことで機嫌が悪い島村は、次の試合中に審判のサインに不服があって
審判に暴力を振るい、出場停止になってしまう。
暇になった島村は日ごろ振り返らなかった妻を連れて少女歌劇を見に行く。

この少女歌劇を見るシーンで志村喬がそわそわするシーンが面白かった。
そういえば私の父もあんな感じだ。

ところが最後に、妻は普段の無理がたたってついに亡くなってしまう。
葬式の日にも泣かず、初七日の法事もそこそこに試合に出かける父を
冷たい人だと娘は攻め立てる。
シーズン最後の試合で最後のイニングで自らキャッチャーとなって試合に出る島村。
シーズンも終わりついに引退を決意する。
だがもはやいたわってやるべきの妻はなく、大西は妻の墓前で泣きくづれる。

まあこんな感じで展開する。
でも正直言ってプロ野球の監督という職業である必要があったのか?
プロ野球の監督というのは職業としてちょっと特殊すぎると思う。
スポーツ映画として盛り上がりがあるわけでもない。
仕事一途な男なら同じ監督でも工事現場の監督の方が話として普遍性が
あるのではないか?

実はプロ野球には詳しくない私だが、この映画、誰かモデルがいて伝記映画
だったのだろうか?
この前年には沢村栄治を描いた「不滅の熱球」もあったし、プロ野球伝記物路線
というのがあったのだろうか??
そのあたりがどうも引っかかる。

あと出演者はチームリーダーで時には監督代理も務める選手に三船敏郎。
選手の一人に土屋嘉男。
でも期待のルーキーに藤木悠はちょっと似合わない。
後の3枚目のイメージが強いので、2枚目ルーキーには見えないのだよ。
どこかで馬鹿やってくれそうな気がしてしまって。
これが佐原健二あたりだったら説得力あったのだが。

そしてロケ地について。
名古屋に遠征に行ったときに、「うちのチームは試合に向かうバスが霊柩車と
すれ違うと勝つ」というジンクスにちなんでサクラの霊柩車を島村は頼む。
そこで選手の乗ったバスが霊柩車とすれ違うのだが、その場所は納屋橋の
東宝会館(東宝名古屋支社)前だった。



(このページのトップへ)




総会屋錦城 勝負師とその娘


日時 2005年5月22日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 島耕二
製作 昭和34年

(詳しくはキネ旬データベースで)


その年の太洋銀行の総会は荒れた。総会屋の扇山が銀行の不良債権のことを持ち出し、
議事進行を乱したのだ。
今は引退した総会屋の大ボス内藤錦城(志村喬)はその話を聞いて扇山は今回のことで
株価が下がった株を買占め、10%以上の株主となり監査役を送り込み更なる
揺さぶりをかける腹だというのだ。
いよいよ扇山による太洋銀行への攻勢が始まった。
太洋銀行の頭取(柳永二郎)は錦城に臨時総会をまとめてもらうよう要請するが
錦城にはその気がない。

ライブドア対フジテレビの株の争奪戦は記憶に新しいが、株主が主役となる
株主総会とその会を仕切る総会屋を描いた作品。
原作は城山三郎の直木賞受賞作。
企業ドラマとしてだけではなく、タイトルに「勝負師とその娘」とあるように
彼の娘・美和子(叶順子)が嫁いだ先からで戻ってきた話も並行して描かれる。

総会屋というと裏社会に巣食うゴキブリのような言われ方をするが、この作品では
単なる悪党としてではなく、娘が嫁ぎ先で「総会屋の娘」とさげすまれたことに
対する贖罪の念ももつ父親の姿も描く。
そして彼自身もどこかの財閥の妾の子供であり、そこから彼の反骨精神も生まれたのだ。
映画ではあまり描かれないが、彼の場合は恐喝まがいの犯罪者として総会屋の世界に
足を踏み入れたのではなく、庶民対財閥の構図の中で、大企業に一矢報いる存在として
スタートしたのかも知れない。
しかし、戦後社会においては彼のような存在は単なる「企業に対するたかり、恐喝屋」
でしかなくなっていく。

映画はそんな総会屋の自己弁護はあくまでサイドストーリーであり、太洋銀行=錦城と
扇山の一騎打ちをメインストーリーとして描く。
どちらも悪党なのだが、そこはそれ映画だから、見てるこっちは主人公に肩入れし
この勝負の行方を楽しませてくれる。

金次第でどっちににもつく総会屋仲間。特に多々良純がその辺の小ずるさをコミカルに
演じ、映画にアクセントをつける。
同様に三島雅夫。この人も腹に一物持った男を演じさせると実にうまい。

またセリフもなく2シーンしか登場しないが、総会に現れる度に用意されたお茶菓子全部を
風呂敷に入れて持って帰る半身不随の落ちぶれた総会屋が印象的。
彼はなぜ半身不随になったのか?裏社会における報復の故か?
映画では何も語られないが、総会屋の世界の恐ろしさを端的に象徴する。
(原作は文庫本で50ページほどの短編。今回読み返したがこの人物は
原作には登場しない)

ラストで錦城は、自分のような総会屋は所詮は「企業に食らいつくダニ」と自嘲する。
最期のとき、彼は家族に「いまなんじ」と口も聞けなくなった体で筆談で訊く。
総会屋仲間は「今何時」というのは株主総会で彼が総会が荒れたときに訊くことであり、
つまりは錦城は株主総会の夢を見てるのだとうわさする。
しかし、彼の死後、枕の下には大阪からの列車の到着時刻のメモが見つかったという。
自分の家から飛び出し、絶縁状態になり今は大阪にいるらしい娘が帰ってくるのを
待ちわびていたのか?

錦城が死に際しての姿は、果たして総会屋としてか?はたまた娘を想う一人の
父親としてか?
余韻を残したラストは秀逸だった。

最近、こういった企業ドラマは「金融腐食列島」以来作られていないが、男性オールスター
キャストでこういった大型ドラマをまた見たいものだ。



(このページのトップへ)




バッド・エデュケーション


日時 2005年5月21日18:50〜
場所 テアトルタイムズスクエア
監督 ペトロ・アルモバドル

(公式HPへ)


若き映画監督エンリケの元に16年ぶりに子供時代の親友、イグナシオが
訪ねてくる。今は俳優で仕事が欲しいという。彼は自作の脚本をエンリケに
渡す。その脚本には彼らの子供の頃の記憶に基づいて描かれていた。
エンリケとイグナシオはかつて愛し合い、しかし学校のマノロ神父によって
引き裂かれたのだ。
しかし今のエンリケには現れたイグナシオがかつてのイグナシオに思えない。
果たして真実は?

ゲイ映画という触れ込みで見に行ったけど、どっちかというとミステリー映画ですね。
エンリケの前に現れた男は本当にかつてのイグナシオなのか?
果たしてイグナシオは今どうしているのか?
この2点で話は展開させていき、その点では飽きが来ない。

だから面白かったかというとそれほどでもない。
ミステリーとしての意外性はそれほどないので、すぐに忘れそうな映画だ。
ゲイ映画としてもインパクトはないのだなあ。

第一、この映画に出てくるゲイ(同性愛者)がものすごくパターン的なのだよ。
映画監督、俳優、女装の麻薬中毒のオカマ、少年愛の神父。
もうゲイは芸術家か、女装の性転換者か、異常性欲の悪いやつ、なのだよ。
映画の記号としてそれはもちろんわかりやすいに越したことはないけれど、
ここまで来ると少し安易な感じがしてしまう。

でも最後にイグナシオが死の直前にエンリケに宛てた書きかけの手紙。
「たぶん今度こそ・・・」みたいな内容だったかと思うが、彼らの純愛を示す
内容で人によってはここで涙するだろう。(私は泣かなかったが)

そしてこの映画におけるゲイ描写。
エンリケ少年とイグナシオ少年が映画館でお互いの性器をしごきあうというシーンは
なかなか衝撃的。
また「訪れ」という脚本の中で(つまり映画中映画)で女装のサハラとイグナシオの
ベッドシーンはバックファックまで描いていてこれもなかなか美しい。
あと映画監督エンリケの家でのプールシーンね。
イグナシオ役のガエル・ガルシア・ベルナルがセクシー。

ゲイ描写には今まで一般映画では見たことのないような美しさがあり、その点は
評価したいが、根本的に「ゲイの愛には障害があるからこそ美しい」みたいな
考えで作者が作ってるような気がしてしまい、そんな気持ちならゲイ映画なんか
作って欲しくないなと思ってしまった。
同性愛者の辛さや苦しみ(というほどのことではないのかも知れないが)をまったく
理解しておらず、商業的に利用されただけでないことを願う。

この映画の監督のペトロ・アルモバドルってゲイなのか?ゲイを題材にした作品を
見るとき、いつも思うのだ。もしゲイでないなら「ゲイにすれば珍しがられて受けるから」
という考えで作ったのではないかと疑ってしまうのだ。



(このページのトップへ)




オクトパス in NY


日時 2005年5月15日
場所 録画DVD(日本テレビ)
監督 ヨッシ・ウエイン
製作 2001年


ニューヨークのハドソン川の河畔でアベックが死亡する事件が起こった。
水上警察の刑事二人が現場に向かう。
数日後に控えた独立記念日のイベントに影響を心配した市長も秘書をよこす。
そしてその夜、イーストリバーに停泊するタグボードが爆発炎上する。
第一の事件の目撃者の浮浪者は大ダコが現れたと証言した。
はじめは本気にしなかった刑事たちだが、目の前に大ダコが現れたのを見て
信じざるを得ない。
しかし、今度は警察署長たちが本気にしてくれない。

日本では劇場未公開でビデオのみで公開の作品(たぶん)
タコがニューヨークに現れるっていう怪獣映画っぽいので見てみた。

B級ぽかったのであまり期待はしていなかったが、やっぱり期待はずれ。
ストーリーは刑事が上司に報告するけど全然相手にしてもらえない、っていうのを
繰り返され、ちっとも話が前に進まない。
これが動物学者に相談に行くとかして、動物学者も合流するなら話の進展が
あるのだが、主人公の刑事はタコについてはネットで検索して調べる程度。

ラストはやっと信じてくれた警察署長が部下に出動させるのだが、これが刑事
数人が川に潜って爆弾をタコの口に仕掛けるだけで、あっけなくタコは死ぬ。
せっかく川の上では独立記念日のイベントに参加するたくさんのヨットなどが
いるのに、これを襲うとかのスペクタクルはなし。
まあ、刑事たちの活躍で惨事はまぬがれったってとこなのだろうが、
ぎりぎりで回避する!っていう盛り上がりもなし。

ところが例の市長秘書(といっても下っ端〜途中で主人公の刑事と仲良くなっている)
が、市の招待の子供たちを乗せたバスがマンハッタンのトンネルに差し掛かったところで、
タコがトンネルを壊し浸水するというのがクライマックス。
トンネルだから大パニックになるはずだが、バスともう一台の乗用車しか被害に
あわずに、刑事の活躍で何とか助かる。
ここ、結構見せ場になるはずだが、盛り上がりなし。
低予算作品な割にはここのセットは立派でしたけどね。

それより見所は、中盤、タコが自由の女神に上っていくという悪夢を刑事が見るところ。
ここが一番のスペクタクルだなあ。
ここをラストのクライマックスにもってくれば見終わった時、もっと面白く
思えたと思う。

(ちなみに2001年9月11日に倒壊したワールドトレードセンターは
映画中ではまだ健在で、にょっきり2本建っていました)



(このページのトップへ)




暁の合唱


日時 2005年5月14日27:00〜
場所 浅草東宝
監督 鈴木英夫
製作 昭和38年(1963年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


斎村朋子(星由里子)は新人バスガール。ある日、無賃乗車しようとする
おかしな客・小出三郎(黒部進)を会社の事務所に連れて行く。
彼はなんとバス会社の社長(山村総)の弟だった。
朋子はバスの運転手(宝田明)や事務所の先輩(新珠三千代)らに囲まれながら
成長していく。

石坂洋二郎の原作の三度目の映画化。
明るい青春映画かと思ったが、鈴木英夫作品だからそれほどキャピキャピした
明るさはなく、むしろ地味なトーンだ。
実は今回のオールナイトはこの鈴木英夫作品が目当てだったのだが、鈴木英夫が
得意とするサスペンスではないので面白さはない。

黒部進は映画館の経営を任されていて、映画の後半、嵐の夜に映画のフィルムを別の街の
映画館に時間までに届けなければならない、というあたりがややサスペンスがあるか。
と言ってもそれほどではないのだが。

出演者で見所なのはなんと言っても黒部進だ。
この映画が役らしい役に最初についた映画。
この映画の前の鈴木作品「やぶにらみニッポン」に地下鉄の乗客役として(セリフもなく
単なるエキストラ)として出演。
その撮影現場でプロデューサーの金子正且さんに見出され、この作品で抜擢されたという
いわくつきの作品。(黒部進さんの本によると芸名もこの作品に出演するにあたって
藤本真澄さんにつけてもらったそうだ)

結局この作品もあまり成功とは言えず、その後、アクション映画で悪役を何本か
やって「ウルトラマン」になるのだが。


星由里子特集だったが、僕にとっては黒部進やら小橋玲子やら西條康彦やら二瓶正也やら
円谷プロ作品特集な一夜でした。



(このページのトップへ)




娘と私


日時 2005年5月14日24:45〜
場所 浅草東宝
監督 堀川弘通
製作 昭和37年(1962年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


作家の岩谷(山村総)は今日、娘・麻里(星由里子)の結婚式だった。今日はあいにくと雨。
しかし考えてみれば娘が生まれた夜も大雨だった。

ここから岩谷の回想の形で、娘の赤ん坊の時や、妻がフランス人(フランソワーズ・モレシャン)
のために娘が「あいのこ!」と近所の悪ガキからいじめられたりとか、妻が病気で亡くなった後
全寮制の学校に入った娘が肺炎になったり、自分が原節子と再婚したり、のエピソードが続く。
それも延々となにか物語の山もなく、だらだらと続いていくのだよ。

岩谷はフランス文学者から作家に転向して最初貧乏だったが、段々成功していく。
誰か有名な作家なのかと原作者を見たが、獅子文六。
知らんなあと思って劇場で会った友人・Sさんに聞いたり、ネットで検索したりしたら
結構映画化されている。
有名なところでは「自由学校」とか「大番」とか。
実は両方とも見ていないので、知らないんだ。

映画の方は正直、退屈。
星由里子は麻里の高校生ぐらいからを演じるのだが、小学生ぐらいの麻里は別の子が演じる。
どっかで見たような気がする人だったが、思い出せない。
Sさんも気になるという。
家へ帰ってから「キネ旬データベース」で検索してみたら驚いた。

小橋玲子さんだ!
「誰それ?」とお思いの方もいらっしゃるだろうが、特撮ファンならわかるはず。
そう円谷プロの「怪奇大作戦」のヒロインのSRI所員役です。
「怪奇大作戦」以外の出演作をはじめてみました。
とにかくこの小橋玲子さんはキネ旬の「日本映画俳優全集・女優編」などの資料を見ても
詳細がわからない人でしたので貴重な体験でした。
これを最初から知っていればもっと真剣に見たのですが。
残念なことをしました。



(このページのトップへ)




サラリーガール読本 お転婆社員


日時 2005年5月14日23:05〜
場所 浅草東宝
監督 川崎徹広
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


神谷和子(星由里子)、藤森美岐(浜美枝)は高校の同級生。
二人そろって卒業後、大手建設会社の大鳳建設に入社する。
実は神谷和子は大鳳建設の先代社長の妾の娘だった。
それを知る総務部長(藤村有弘)はなんとか面接で落とそうとしたが、現社長
も含む重役面接で元気のいいところが気に入られ、入社できてしまう。
そして会社のバスケット部にも所属し、そこのコーチで先代社長の息子、
つまり和子の義理の兄・進(佐原健二)とも親しくなる。
すべてを知る総務部長は気が気でない。

東宝サラリーマン喜劇の一本。
べたなギャグ満載で結構楽しめた。
資料とかを見ると、星由里子、浜美枝、田村奈巳の三人で結成された東宝スリーガールの
主演とあるが、事実上の主演は星由里子、浜美枝で田村奈巳は星たちの同級生役で
ツーシーンほどの出演。

で内容のほうは星由里子は社員の太刀川寛に惚れて、浜美枝は佐原健二に惚れるのだが
それぞれ市原悦子や水野久美と付き合ってるらしいとなって、そこから始まる
恋の勘違いやら、会社が社内結婚を禁じていてそれを突破するとか、
総会屋の手先のチンピラ(ジェリー藤尾ら)を追っ払ったりの大活躍。

ジェリー藤尾を社内で追っかけるところをコマ落としで取ったりとか、お決まりのギャグの
連発で笑える。
実は市原悦子は庶務課長と社内恋愛していて、社内結婚が禁じられてるので悲観して
ついに睡眠薬で自殺を図るのだが、それを発見した星、浜は大騒ぎ。
でもそこで市原悦子がむくっと起き上がって「ああ、死ねなかった」というところでは
私は爆笑した。

そんな感じの喜劇。
浜美枝がまたほほがふっくらしてまだティーンエイジな感じが健康的。
藤村有弘の怪演が楽しい。
楽しかった。



(このページのトップへ)




若い狼


日時 2005年5月14日21:30〜
場所 浅草東宝
監督 恩地日出夫
製作 昭和36年(1961年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


浅草東宝・星由里子特集。
実はお目当ては1本なのだが、すべて未見の作品なのでとりあえず見る。

この映画、先月チラシを見たときから「若い娘」だと思っておりました。
星由里子、夏木陽介主演ですから、なんとなく石坂洋二郎原作の映画ではないかと。
だから映画が始まってタイトルを見た時、「あっ」と心の中で声をあげてしまった。

川本信夫(夏木陽介)は少年院をでて茨城の故郷の炭鉱に帰る。
だが炭鉱は閉鎖され、職がない。母親(菅井きん)はいつまでもごろごろしているなと
うるさい。
東京へ出て行った幼馴染の道子(星由里子)を訪ねて仕方なく東京へ。
久しぶりにあった道子は変わり果て、街の不良になっていた。
川本はかたぎになろうとするのだが・・・・


うわーっ、大島渚の映画みたい。というのがまず思ったこと。
「愛と希望の街」(昭和34年)の東宝版だ。
結局、川本はやくざの組に入ってしまい、入ったその日にあった出入り(というか対立する
組の新規オープンするパチンコ屋に嫌がらせに行っただけなのだったが)で勢い余って
相手の組の幹部を刺してしまう。
そしてまた刑務所に逆戻りという話。
犯罪者は一生犯罪者としてしか生きていけないという現実を描く社会派作品だった。
でも「愛と希望の街」に比べればパワー不足は否めないのだが。

映画の舞台のほとんどが新宿。
花園神社や歌舞伎町のミラノ座付近、西口と東口をつなぐ細いトンネル、高島屋が
出来る前の南口などなど。
昔の新宿がうかがえる貴重なシーンが登場する。
(最初の方で松本染升が夜の繁華街で登場するのだが、これはたぶん東宝のパーマネント
セット。ここで「女が階段を上る時」で使われたバー「ライラック」の看板が出てきたのには
笑った)

見所はやっぱり星由里子。
新宿駅で初登場するのだが、髪の毛はパーマで逆立って俗にいう「ズベ公」そのまま。
すごかったなあ。(言葉使いも「あたいは〜」とか言ってるし)
まるで「積み木くずし」に登場したようなかんじで絵に描いたような不良。
のちの「若大将」や「モスラ対ゴジラ」しか知らないとのけぞるね。
一応東宝の当時の売り出し中の新人女優だから最後は更生して普通になるのかと思ったら
最後まで「ズベ公」だった。
とにかく見もの。

で夏木陽介。
少年院上がりだから19歳ぐらいの設定。
ほほが少しふっくらして美少年の面影があるけど「太平洋の嵐」のあとの作品。
「太平洋の嵐」に比べるとずいぶん子供っぽい感じ。

そして特撮ファンとしては西條康彦さん、二瓶正也さん。
西條さんはやくざの西村晃のチンピラ役。
二瓶さんは夏木陽介が殺した相手の葬儀のシーンで会葬者に頭を下げている一人で
出演。ただしセリフはないので、クレジットには出ない。



(このページのトップへ)




交渉人 真下正義


日時 2005年5月7日18:30〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン7
監督 本広克行

(公式HPへ)


2004年12月24日のクリスマスイブの夕方。
警視庁のHPが乗っ取られ、交渉課準備室の真下警視(ユースケ・サンタマリア)を
呼び出すメッセージが。
午後4時に葛西の公園で小規模の爆破がある。
そして地下鉄東陽町線で謎の車両が暴走をはじめる。
犯人の目的は何か?
暴走する地下鉄はどうなる?
しかも爆弾を仕掛けられたのは地下鉄だけではなかった!

地下鉄乗っ取りを舞台にしたパニック映画、と聞いたこの映画の製作発表時から
期待していたのだが、期待を裏切らない面白さ。
非常に面白かったということを前提ににしてこの映画の欠点を書く。

なんといっても画が汚い。
新しいカメラをつかったそうだが、これが総合司令室のシーンなど全体的に
白っぽくなって陰影も何もありゃしない。
これだけならまだしもカメラを動かしすぎ。
カメラを固定してきちっと役者の演技を見せてほしいのに、そうすると躍動感が
出ると思っているのかカメラが右に左にやたら動くのだよ。
しかもカメラが動いてついでに画が流れてしまっているから、くっきりしていない
画を長い間見せられるという苦行を強いられる。

ピントの合ってるとか露出があっているとかそういうこと基本中の基本だと思うのですけど。
先日大林宣彦の「理由」をDVDで見たときにスクリーンで見た時に感じた映像の汚さを
感じなかったので、この作品もDVDなりでテレビのブラウン管で見れば気にならないのかも
知れないが。

最近では現場でモニターを見ながら画をチェックするのが一般的だが、これでは
テレビドラマならいざ知らず、フィルムにしてスクリーンで上映する映画では
映像の出来上がりが変わってくることを考慮してない。
考慮しているのかも知れないが、結果として出来ていない。
だからこの映画に関しては大画面劇場より、ミニシアターの小さなスクリーンで
見るほうがあっているかも??

次の不満は音楽の多用と笑わせどころの多さ。
音楽を流しておいてピタッと止めて出演者が何か面白いことを言うという演出は
「踊る大捜査線」の、特に署長、副署長、刑事課長(いわゆるスリーアミーゴス)
のシーンによくあったが、今回多用しすぎ。
この映画はほんの数時間の物語でノンストップのテンポで進むのに、まるで急ブレーキを
かけられたようにテンポが乱れるのだ。

脚本がしっかりしているのでこのあたりの「ぶち壊し」が本当に惜しいのだよ。

この映画の欠点を書いたけど、今も書いたように脚本がしっかりしているので
サスペンスパニックものとしては本当によく出来ている。
試作車両「クモ」の暴走から始まって後半のコンサートホール爆破にいたる流れは
本当にすばらしい。

前半の「クモ」の暴走、「このスピードで突っ込んだら脱線の恐れが!」のセリフには
先月4月25日の尼崎のJR事故を連想させ背筋が寒くなる。
そして後半のコンサートホール。
「ボレロ」をバックに爆破阻止のサスペンスが繰り広げられるが、こういったアンバランスな
曲をもってくる使い方は見事。
先の音楽を止めるやり方とは違って実に効果的な使い方だ。

そして犯人の設定。
これは絶対に「ジャッカルの日」が元ネタと見た。
「ジャガーノート」「オデッサファイル」「深夜プラスワン」などの映画小説のタイトルが
登場してするのに、この作品は出てこないが、「オデッサファイル」と同じくフレデリック・フォーサイス
原作だからあながちはずれでないと思う。

そしてシンバルの使い方。
シンバルが事件の合図になる、というのはヒッチコック作品であったような気がするのだがなあ。
思い出せない。
(この文章を書いた数日後にわかった。「知りすぎていた男」でした)

あと出演者についてはは寺島進。
本人のせいではないかも知れないがキャラクターが目立ちすぎ。
外見は普通の刑事っぽくしたほうがよかったと思うのだけどね。
金田龍之介の「線引き屋」、出てきた割には活躍が少ないのは残念。
国村隼は相変わらずいい。
ユースケ・サンタマリアは・・・特にいいというほどではなかった。

もう一度言うけどサスペンスパニックものとしては1級の作品。
それを演出がぶち壊してると思うんですけど。



(このページのトップへ)




Shall we Dance?
シャル・ウィ・ダンス?


日時 2005年5月7日15:40〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン1
監督 ピーター・チェルソム

(公式HPへ)


ストーリーは日本版とほとんど同じ。
しかし主人公の設定が(大幅に)変わっている。
日本版の役所広司はどこにでもいそうな目立たない地味なサラリーマンだった。
しかし今回の主役のリチャード・ギアは遺言書作成専門という単調で
退屈してるとはいえ、収入も多い弁護士だ。

日本版で初めてダンス教室に行った日、役所広司が料金をたずねて1時間6000円と
聞いて「高いんですね」と答えるシーンがある。
今までと違ったことをする、ということだけでも大冒険だったのに、さらに
家のローンを抱えるサラリーマンにとって(結局グループレッスンで安くなった
ものの)かなりの出費ではなかったか。
それにもかかわらず社交ダンスを始めるというところが、僕にとっては
かなり肝だった。
ところがリチャード・ギアは少なくとも出費については一向に気にしていない。
弁護士だから社交ダンスの費用ぐらいは大したことない。
そこで「ちょっと違うな」という気になった。

またレッスンを始めたての時、足がどうしても思うように動かず、役所広司が
悔しそうな、無念そうな顔をするシーンがある。
ところがリチャード・ギアはそんな無様な様子もなく、割と難なくダンスが
上達していく。
それにリチャード・ギアはかっこよすぎるのだよ。
ダンスも何も何でもうまくこなしてしまう。

「社交ダンスとは一番無縁な中年サラリーマンがダンスを踊る」というこの映画の
僕にとってはコアな部分がごっそり抜け落ち、自然な大人のラブストーリーに
なってしまった。

また竹中直人の気持ち悪さ振り。
基本的に竹中は私はあまり好きな役者ではないのだが、この時の怪演ぶりは実に
決まっていた。
ところが今回のスタンリー・トゥッチではその気持ち悪さがなく、それなりの面白さぶり出しかなかった。
まあ竹中直人のような気持ち悪い役者は世界的に見てもそうそういないだろうけど。
田口浩正が演じた役を演じたオマー・ミラーしかり。
西洋人が演じると日本人ほどカッコ悪くなく、基本的に様になってしまうのだ。

オリジナルとの比較をするというのはあまり意味のないことかも知れないが、
なんとなくストーリーをなぞっただけの映画になってしまった印象ばかり残る。

でもひょっとしたらアメリカでも社交ダンスは「年寄りくさい、かっこ悪い」こと
なのだろうか。
それならそんなものに2枚目のリチャード・ギアが挑戦するというのは納得がいく。
もしそうなら今度は私が今のアメリカ人の考えを理解していないだけかも知れない。


(このページのトップへ)



娘・妻・母


日時 2005年5月7日10:30〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・プレミアスクリーン
監督 成瀬巳喜男
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


東京の山の手に暮らす坂上家。子供たちはそれぞれ大人になった一家だ。
三益愛子の母親を筆頭に長男・森雅之、その妻に高峰秀子、次女・原節子
三女・草笛光子、その夫に小泉博、次男・宝田明、その妻に淡路恵子、末っ子で
四女・団令子、その同僚で恋人に太刀川寛。

日本橋の旧家に嫁いだ原節子だったが、夫の急な事故死で
実家に戻ってくる。彼女に再婚話が持ち上がるが、さる事情で実家の
土地と家は売却しなければならなくなる。

東宝オールスターの豪華競演映画。
このほかに原節子の再婚の候補として仲代達矢と上原謙。
草笛光子と対立する姑で杉村春子。

縦軸となるストーリーは特にない。強いて言えば原節子の再婚問題か。
しかし、草笛光子と杉村春子のいさかいとか、高峰秀子の叔父(加東大介)が
会社経営の資金を借りにきたりとか、原節子と仲代達矢の恋愛とか
宝田明と妻の夫婦喧嘩とか、途中母の還暦の祝いでホームムービーの
上映があったりとか細かいエピソードには事欠かない。

いつもは妙な組み合わせの恋愛ドラマが多くていやになることが
多かった成瀬巳喜男だが、今回は「我が家でもありがち」な家族の
姿が描かれ、見ていて充分に堪能できた。
また説明的なせりふやシーンが少なく、(この映画に限ったことではなく
成瀬作品はそうなのだが)バサッと省略して話が進んでいくところは大人の映画だなあ
という感じがする。
(説明が多い映画は子供っぽく感じることがあるのだ)

ラスト、この一家の行く末は示されない。
この母がこれからどう暮らしていくのかはっきりしないまま(暗示はあるけど)
終わる。
しかし人生というものは延々と続いていくものだ。
どこでどう話をきったところで人物たちの生活は続いていく。
だからこの結末で充分だと思う。

ラストシーン、家族から阻害された老人(笠智衆)と三益愛子の母親が
赤ん坊をあやすシーンで終わる。
苦労して子供を育てても結局は・・・という展開だけでなく、そう言っても
子供は可愛い、(たとえ自分たちの子供、孫でなくても)という子育ての義務と
喜びを感じさせるラストだった。

大人向けの映画を見た。
さすがに巨匠の賜物だ。



(このページのトップへ)