2005年6月

宇宙戦争 将軍と参謀と兵 日本の首領・完結篇 日本の首領・野望篇
やくざ戦争 
日本の首領(ドン)
不毛地帯 3000キロの罠 喜劇 三億円大作戦
戦国自衛隊1549 ミリオンダラー・ベイビー 電車男 炎のメモリアル

宇宙戦争


日時 2005年6月30日21:15〜
場所 ユナイテッドシネマ・スクリーン8
監督 スティーブン・スピルバーグ

(公式HPへ)


港でコンテナの積み下ろしクレーンの操作の仕事を行うレイ・フェリアー(トム・クルーズ)
は仕事を片付けると一目散にうちへ帰る。今日は離婚した妻が連れて行った二人の子供に
会える日なのだ。
しかしそんな喜びもつかの間、妙な磁気嵐が巨大な音を立て始める。
おびえる娘(ダコタ・ファニング)。それは宇宙人の襲来だった!
トムはふたりの子供を妻のいるボストンへ送り届けようとするのだが。


「SW3」と並んでこの夏最大の話題作!日米同時公開でそのせいで日本では
珍しい水曜封切り。
個人的には「SW」より期待していたので、平日のレイトショーに駆けつける。

まとめというと、派手な話を地味に映画化したというべきか、地味な話を派手に
映画化したというべきか。

宇宙人襲来!という壮大なスペクタクルが期待できる話にもかかわらず、自由の女神も
エッフェル塔もレインボーブリッジもビッグベンも出てこない。
もちろん合衆国大統領も陸軍参謀総長も出てこない。
でこのレイが「宇宙人の兵器トライポッドの破壊の仕方を発見する」、という世界的
ヒーローの活躍をするわけでもない。
(一体破壊するが、だからといって次につながるわけではなかったし)
話は終始、逃げ惑うレイ親子に終始する。

となると地味な映画な感じがするのだが、これがさりげなくすごいシーンがあるのだよ。
まずレイが最初のトライポッド出現のシーンを目撃するところ。
トライポッドを見上げるレイのショットになった時、レイのとなりに車があるのだが、
その車のフロントガラスにちゃんとトライポッドが映っている。

そして続いてトライポッドが攻撃を始めてレイが逃げ惑うシーン。
建物に入ってその建物の中を駆け抜けるのだが、その窓の向こうではちゃんと
トライポッドに攻撃される人々が映っておる。(しかもここワンカットが長い)
次に子供たちを連れて車で逃げ始めたとき、車が延々と走るのだが、そのガラス越しの
外には逃げる人々や置き去りにされた車などがちゃんと映ってるというさりげない豪華さ!

高速道路を壊すとか船をひっくり返す、という派手な画もあるが、それもあんまり前面には
出てこない。金のかけてある画が実に謙虚に登場する贅沢さなのだ。
「どうだ!」とばかりにこういった画を前面に押し出さないスピルバーグの贅沢さ
ひしひしと感じる。

そして全体的にトーンとしてはかつての「ジョーズ」や「激突」のときのような
恐怖感に満ちたシーンの連続。
逃げ込んだ廃屋での宇宙人のカメラに追われるシーンもそうだし、敵は宇宙人だけでなく
車の奪い合いのシーンなども怖い。
しかしこの怖さ、ちょっと物足りなかったかも。

こっちが子供だったせいもあったのかも知れないけど、「ジョーズ」は本当に怖かった。
劇場でぶるぶる震えたもん。
今回はこっちが大人になったせいか怖さでは以前の比ではなった。
このあたり、もう少し怖かったらよかったのだが。

先に書いたように有名な建物の破壊とか大統領の活躍といったシーンはない。
そういったシーンの登場を観客は期待したかも知れないが(少なくとも私は期待した)
スピルバーグは今回はそれはやらない。
そんなのは近年の「インディペンデンス・デイ」や昨年の「デイ・アフター・トモゥロー」
でも行われたことだ。
映画作家としては興味がなかろう。
一家を中心に描く、という手法は近年では「サイン」があった。
しかしあの映画はあまりにも一家の話になっていて宇宙人の襲撃感に乏しかった。
宇宙人の襲撃も描き、なおかつ有名な建物の破壊はしない。
そういう映画を目指したように思える。

それはそれで成功したのだが、個人的には自由の女神の破壊とか、エッフェル塔の倒壊は
観たかった。

スピルバーグの壮大な実験映画だ。
この手法が成功だったかどうかはもはや観客が決めることだ。
監督の手腕は遺憾なく発揮されている。
これを面白かったと感じるかどうかは観客によってこれから答えが出されるだろう。

蛇足。
「ET」や「未知との遭遇」で友好的宇宙人を描いたスピルバーグが、今回は敵対的
宇宙人を描くことに違和感があったが、スピルバーグ自身、「宇宙人は友好的なはずだ!」
という主張はなかったのかも。
「そういう映画は今までなかったから作ってみた」という考えだっただけかも。
だとしたら「今までありそうでなかったちょっと変わった視点の映画を作る」というのが
彼の癖なのかも知れない。


(このページのトップへ)






将軍と参謀と兵


日時 2005年6月25日19:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 田口哲
製作 昭和17年(1942年)

(詳しくは日本映画データベースで)


中国戦線。
日本軍は中国軍をある山岳地帯に包囲しつつあった。
完全に包囲するための進軍作戦を計画。しかし途中の険しい山々に
作戦の見直しを唱える参謀もあったが、将軍(坂東妻三郎)は作戦の
決行を決断する。
兵たち(小林桂樹ら)の進軍は続く。途中抵抗にあったものの、包囲作戦は
完了する。

昭和17年の作品だからもちろん戦時中の映画で陸軍の協力の下に作られた
いわゆる戦意高揚映画だ。
だから戦後の映画にあるような軍隊批判はない。
参謀は軍のこと、日本のこと、兵のことを考え作戦を立案し、参謀同士で
意見を戦わせる。将軍は彼らの意見を聞き決断する。兵は作戦に従い
作戦を遂行しようと最善をつくす。

万事こんな感じ。
食料も乏しく、3度のめしがすべてかぼちゃだったり、本土からの手紙を
つんだ輸送車が敵の攻撃あい手紙が着かないといったエピソードが出てくる。
また従軍記者が参謀に取材をし、「派手な戦いはないんですか?」とまだ新米の
記者が質問すると「そんなものはない。無いほうがいいのだ」とたしなめられたりする。

実写フィルムを使ってるシーンもあるし、全体的にドキュメンタリーっぽい感じで
「戦地の陸軍はこんな感じです」という紹介映画のテイストだ。
そして兵たちは全体的にのんびりしていて、(今から観ると)なんだか楽しそうな
感じさえする。

やがて始まる作戦。
途中である部隊の弾薬がなくなり、司令部は空から補給してもらおうと後方部隊に
連絡を取ろうとするが、敵の砲撃により司令部の無線機は故障。
進軍中の戦車部隊から連絡してもらおうと一人の参謀が戦車部隊へと向かう。
参謀はなんとか後方へ連絡をし、空からの補給は完了し作戦は成功する。

音楽を使って盛り上げようとせず、戦闘シーンも淡々としている。
今見ると退屈な映画でちょっと眠くなるのだが、それにしても陸軍協力の映画らしいから
進軍する兵隊などのモッブシーンは見る価値あり。

それよりも兵隊役で小林桂樹が出演してるのには驚いた。
今でも携帯電話のCMでご活躍だから64年以上のキャリアがあってしかも現役とは
恐れ入る。
今現役でご活躍の俳優の中では一番キャリアが長い方といえるのではないだろうか。


(このページのトップへ)






日本の首領・完結篇


日時 2005年6月26日
場所 録画DVD(東映チャンネル)
監督 中島貞夫
製作 1978年

(詳しくはキネ旬データベースで)


今回は松原産業の工場跡地の住宅公団による買い上げ、サイパン島リゾート開発
の利権争いが話の中心。
中島側の主要幹部が前作までに全員死んでしまっているので、今回中島組組長の
佐倉一誠(佐分利信)の横にいるのは織本順吉でちょっと弱い。
その代わり、以前大石を撃った男として菅原文太登場。
設定から言うと前作とつながっているのだが、今回は名前が違う。
前作では単なる武闘派だったが、今回は経済やくざのだからちょっとキャラクターが
違ったためか。
また最後ということで第三のドンを出そうということで今まで内田朝雄が演じていた
右翼の大物・大山を片岡知恵蔵が演じる。
役を取られた内田朝雄がかわいそうだが、鶴田、千葉、松方、成田らの大物が
死んでしまったので、大物登場は仕方ないか。
このシリーズ、割と行き当たりばったりな配役と筋書きだ。
(佐倉の娘婿の一宮医師(高橋悦史)は開業医でなく、東京の病院の医師になってるし)

しかし今回の文太。車椅子に載っての登場でそのインパクトでは他を圧倒し
文太が数多く演じたやくざ役の中でも印象に残る役柄だ。
特に松原産業の債権者説明会で、杖で机をたたきながら「ここに50億の手形がある」
と松原産業が以前パクられた手形を出すシーンは圧巻。

そして女性陣では大谷直子。
はじめは松原産業の下請け零細企業の娘として登場するが、父親が借金に追われて
死んでしまうとそれをきっかけにホステスの世界に入り、果ては銀座のママにまで
上り詰める。
単なる町工場の娘に過ぎなかった彼女が徐々に変貌していく姿は印象深い。

またサイパンリゾート開発問題ではアメリカ側の上院議員に大石側が献金しようと
している所を中島組側が急襲し、強盗事件化して警察の捜査のきっかけを作る。
このシーンでは片桐竜次らが西村晃の国会議員を襲ったりするのだが、大石側に
追いかけられ、逃亡用のヘリに乗るが撃墜されるという大アクションのサービス付。

そしてついに迎えるラスト。
サイパンリゾート開発の利権は中島組が手中に収め、佐倉が勝者となる。
しかし急な心臓発作により死亡。
この死のシーンが移動中の新幹線の中で心臓発作を起こすというものだがが、
修学旅行の生徒たちにに取り囲まれた状況で死に至る。
日本の首領と修学旅行中の女子中学生というほとんど対極にある状況のなかで
死を迎えるというのは実に皮肉な姿。

佐倉の死によっていまや名実共に「首領」となった大石は大谷直子の店に
幹部連中を引き連れてやってくる。
大山を病気に見せかけて殺し、いまや医者を辞めた一宮が大石の前に座る。
そして拳銃を大石に突きつける一宮。
大石「一宮さん、冗談にしてもそれはまずい。今しまえば我々は見なかったことに
するから早くそれをしまいなさい」
しかし一宮はしまわない。
大石は「やくざになるのは医者になるほど楽じゃない!」と一喝する。

このセリフは東映やくざ映画史に残る名セリフではないだろうか?
やくざ映画ばかり観ていると社会では落ちこぼれた者でもこの世界なら出世しそうな
錯覚に陥ってしまう。
そんな(私も含めて)おろかな観客に向けられたような気がしてどきりとさせられる。
結局、一宮は大石の配下の者によって射殺される。
ここでそれまで脇役でしかなかったバーテンが、大石にいいところを見せよう
という浅はかな考えで一宮を包丁で刺そうとする。が、断末魔の一宮に殺されてしまう。
そんな大騒ぎのなか「止めて!うちの店やで!」と叫び続ける大谷直子がすごい。

ラストの10分間の展開はシリーズ3部作を締めくくるにふさわしい出来だったと思う。
実際のところ、話もキャストも似ていて3本続けてみるとどのシーンがどの作品だったか
わからなくなってしまい、ストーリーもあんまり記憶に残らない。
しかしオールスターの共演という豪華な見せ場合戦(演技合戦ではない)は飽きることがなく、
それがこのシリーズの大きな魅力なのだ。

その中でもなんといっても佐倉一誠の佐分利信。
今回見直して思ったが、出演時間は割りと短い。
しかしその圧倒的な存在感と迫力は他を寄せ付けず、70年代の、そして僕にとっての
佐分利信の「ドン」というイメージは脳裏に深く植えつけられた。

見ごたえは充分だ。


(このページのトップへ)





日本の首領・野望篇


日時 2005年6月25日
場所 録画DVD(東映チャンネル)
監督 中島貞夫
製作 1977年

(詳しくはキネ旬データベースで)


「日本の首領」のヒットにあやかり早速シリーズ化され第2弾が作られた。
それがこの「日本の首領・野望篇」だ。
お話は前半はジャパンシップという海運会社の株の買占めに絡む抗争、後半は
東南アジアの石油開発をめぐり、その東南アジアの国の大統領を囲い込む工作。

ジャパンシップの株の買占めの情報を得ようとジャパンシップのメインバンク
の頭取(渡辺文雄)に中島組は近づくのだが、きっかけがその頭取がゲイでゲイバーの
ママにふられた腹いせに店で暴れた一件をまるく収めたことというもの。
ゲイがらみってのが新しい点ともいえる。
また東南アジアの石油開発という利権争いのネタが国際的になったのも新しい。
(今までは日本国内の利権争いばっかりだったからなあ)

東南アジアの大統領も一宮医師(高橋悦史)の看護婦を気に入り、夫人にまで迎え、
中島組がは一気に優位に立つ。
しかし三船率いる関東同盟も負けてはいない。
中島組の関東への切り込み隊長だった天坊(菅原文太)の親分(嵐寛寿郎)を
殺し挑発、松枝(松方弘樹)の若頭就任を快く思わない中島組の幹部(成田三樹夫)
を抱き込み、国会で追及しようとする。
さらに東南アジアの大統領夫人と結婚した看護婦を自殺に見せかけて殺す。
中島組は窮地に立たされるが一時的な撤退を決意する。
しかし天坊は大石を狙撃する。狙撃に失敗する天坊。
成田三樹夫も裏切り者として殺されてしまう。
すべての責任を取って若頭の松枝は自殺する。

と今回の中島組は後半、一方的に負けてしまう。
考えてみれば勝ってしまったら後が作れなくなるので今回負けるのは当然だったのだ。
また前作で登場した佐倉の淫乱娘もアメリカ人の夫を連れてきたが、その夫も
浮気性で他の女に手を出してばかりでそれが元で喧嘩し交通事故にあって死ぬ。

出演では前作で鶴田浩二と千葉真一が死んでしまったため、今回は出演せずに
やや見劣りがする。
その代わりの今回の目玉は何と言っても関東同盟の大石(三船敏郎)だ。
関東のボスとして圧倒的な迫力を持って登場する。

しかし成田三樹夫、松方弘樹らの強力メンバーが今作で死に、前作の千葉真一、鶴田浩二に
続いてどんどんスターがいなくなるこのシリーズ、次回に若干の不安を抱かせつつも
完結へと向かうのだ。


(このページのトップへ)





やくざ戦争 日本の首領(ドン)


日時 2005年6月25日
場所 録画DVD(東映チャンネル)
監督 中島貞夫
製作 1977年

(詳しくはキネ旬データベースで)

東映オールスター大型やくざ映画!
「仁義なき戦い」に始まった実録シリーズもかげりを見せ始めた70年代後半、
角川映画によって巻き起こった邦画の大作ブームにのって登場した東映やくざ映画が
この「日本の首領(ドン)」。
当初タイトルは「日本の首領(ドン)」だけだったそうだが、「これではタイトルの意味が
わかりにくいのでは?」という営業、興業サイドの意見によって「やくざ戦争」の
サブタイトルがついたそうな。
しかしこの映画のヒットによって「ドン」という言葉が一般的になり、今では
慣用句になったのだから、それくらいインパクトがあったタイトルなのだ。

大阪に本拠を置き西日本に勢力を誇る構成員数12000名の大組織・中島組は
美人局に巻き込まれた関西の大企業・アベ紡の社長(高橋昌也)を救ったことから、
その大番頭(西村晃)を仲立ちに多くの関西の企業の顧問を務めるようになり、
経済界に進出する。
アベ紡が吸収合併する会社の手形が暴力団がらみの金融会社にわたったのを買い戻したり
横浜に建設する石油コンビナートを建設する事業に加担するうちに東日本に進出するのだが
東日本の錦城会(菅原文太ら)と渡り合うようになる、というのが大筋。

70年代、東宝、松竹はすでにスターシステムは崩壊していたが、東映だけは
まだその片鱗は残っていた。
3年ぶりの映画出演になる鶴田浩二をはじめ、松方弘樹、千葉真一、菅原文太、成田三樹夫
らが幹部連中に、そしてチンピラたちに渡瀬恒彦、小林稔侍、尾藤イサオ、火野正平ら、
そして政治家や企業幹部を西村晃、小池朝雄、小松方正、金子信雄、神田隆、内田朝雄、
田中邦衛などなどが演じている。
もちろん梅宮辰夫も警察幹部役で登場。
また佐倉の娘と結婚し佐倉ファミリーに加わっていく一宮医師に高橋悦史。
肝心の日本の首領、佐倉一誠は佐分利信。
これらのオールスター演技は大変なご馳走だ。

なかでも火野正平が愚図な感じでどうしようもなく社会の底辺を這い回るチンピラを好演。
そして一宮医師。はじめはまじめな大学病院の医師だったが、佐倉たちの専属医師を
しているうちこの世界に染まっていき、最後は引退をしようとする鶴田浩二を
治療に見せかけて殺してしまう医者を熱演。
そして佐倉の娘が淫乱で誰かれかまわず、「うちはあんたが好きや。抱いて」と裸で
せまるというお色気サービス付。

「華麗なる一族」「ゴッドファーザー」を足して2で割った二番煎じ映画、という批判も
あったが、(確かに音楽なんか「ゴッドファーザー」っぽい)オールスターの娯楽映画と
して充分な出来栄え。
70年代後半の東映代表作なことに間違いはない。


(このページのトップへ)






不毛地帯


日時 2005年6月18日25:30〜
場所 浅草東宝
監督 山本薩夫
製作 昭和56年(1976年)

「不毛地帯」については「名画座」に記載しました。

(このページのトップへ)



3000キロの罠


日時 2005年6月18日23:45〜
場所 浅草東宝
監督 福田 純
製作 昭和46年(1971年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


鹿児島のホテル業者の田宮二郎は義父の永井智雄に頼まれて新車の三菱ギャランGTO
を3000キロ先の北海道の稚内まで運ぶことになる。
出発の初日に男に追われているという女がいきなり同乗してくる。
また鹿児島のバーのマダム(浜美枝)が尾行してくる。
どうやら自分は狙われているらしい。
事件の真相は????

田宮二郎の田宮プロ映画第1弾。
かなりトホホな映画と聞いていたがそうでもない。
女が次々と入れ替わり同乗し、浜美枝もつかず離れずで敵か味方か判然としなくて
興味を引かれる。

でも本音をいうと設定からして実はかなり強引。
何故車を運ぶかというと稚内のデパートの社長と永井智雄が賭けをして負けたから
車を一台プレゼントする、しかし新車で渡すのも癪だからちょうど新規事業のために
日本海側を旅する予定の義理の息子に頼む、という寸法だ。

事件の黒幕は大体察しがつく。だから途中で黒幕がわかっても何の意外感も
ない。でも事件の細部は知りたいので、一応は最後まで見てしまう。

問題はラストシーン。
最後になって突然、悪の親玉(三国連太郎)が何十人という手下を引きつれて
登場するのだよ。
(ワイズ出版の福田純監督のインタビュー本によると映画館でここで爆笑が起こったそうだ。
私はそれほどでもなかったが。その本によるとこの辺のシーンに関しては田宮二郎と
もめたんだそうだ。でも三国連太郎の「田宮が金出すんだから田宮の言うとおりに
しようよ」の一言で監督のほうが折れたらしい)

この唐突さには私も参ったが、私は映画をあまり斜めから観ないようにしているので
素直に「意外などんでん返し!(それほどでもないか)」として楽しんだ。
そして三国連太郎の正体は明かされることなく「いつかお前(田宮)を殺しに来る」
とうそぶいて去っていくのだ。

まあこのシーンは「悪いやつの上にはさらに悪いやつがいる」というどんでん返しを
感じながら見終わればいいんじゃないんでしょうか??
ロードムービーとしてそれなりに楽しめる一篇だったと思います。

ちなみにギャランGTOは当時人気のあった車で子供心に「かっこいいなあ」と思った
覚えがあります。
田宮が途中で立ち寄るガソリンスタンドが三菱石油。タイアップしてますね。


(このページのトップへ)




喜劇 三億円大作戦


日時 2005年6月18日22:00〜
場所 浅草東宝
監督 石田勝心
製作 昭和46年(1971年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


田宮二郎はあるバーのママのヒモ。
でも今日もあるホステスのアパートに調子よくしけこんでいるとそのホステスのパパ
(三木のり平)と鉢合わせしてしまう。
何とかうまく誤魔化した田宮だったが、後日三木のり平が訪ねてくる。
三億円を強奪する計画があるから実行して欲しいというのだ。
田宮は自分の舎弟や友人の葬儀屋(江戸家猫八)、ムショ仲間を巻き込んで
計画を実行する!

かの有名な府中の三億円事件をモチーフにした1本。硬軟取り混ぜ、たくさんの
映画テレビが出来た事件だなあ。
期待していなかったのだが、これが意外に面白かった。

前半は三木のり平と田宮二郎が鉢合わせしてしまうときに他の部屋に隠れたり
といった様な面白くないドタバタがあって白けたが、後半、計画を実行に
移してからが俄然面白くなる。

実行計画自体は府中の事件と同じなのだが、集合場所に三木のり平の女が
現れたりでまずドキドキ。
現金を輸送するのに使うのが江戸家猫八の葬儀屋の霊柩車。
これなら警察の検問も突破できると考えたのだが、警察も馬鹿じゃない。
お金を隠してある御棺を開けるあたりでまたヒヤリ。

さらに話は進んで売れるはずのない最高級の棺にお金を隠したのだが、
江戸家猫八が留守の間に従業員の左とん平がその棺おけを某国の王子(大泉幌)
の葬儀にもっていってしまう!
(田宮二郎がヒモだったバーのママはこの王子の第三夫人になってしまっている
という伏線付。前半、大泉幌が何のために出てきたのかわからなかったが、
ここで結びつくのだ)

何とか3億円の入った御棺を取り戻そうとして、遺体を入れ替えて戻されて、
また入れ替えて戻される、といったあたりは最高のブラックユーモア。
(ヒッチコックの「ハリーの災難」を連想させる面白さ)

ネタバレするから省略するけど、結局最後になって登場した本国よりの使者
(藤村有弘)によって遺体は本国に運ばれそうになってしまい、
田宮たちは最後のチャンスにかけるのだが・・・・・
(ここで藤村有弘は例のむちゃくちゃな外国語、という持ち芸を披露する)

監督は石田勝心。
この人は後に「東京湾炎上」という名作を作った。
この映画もユーモアサスペンスの快作としてもっと評価されてもいいと思う。
監督になったのが映画の斜陽期だったために本数も少ないが、再評価するべきな
監督かもしれない。
他の作品ももっと見てみたい。


(このページのトップへ)




戦国自衛隊1549


日時 2005年6月13日13:30〜
場所 ユナイテッドシネマスクリーン8
監督 手塚昌明

(公式HPへ)


2003年、自衛隊の実験演習中にある部隊が消滅した。3日後、同じ場所に
戦国時代の武士(北村一輝)がタイムスリップしてきた。自衛隊は戦国時代に
タイムスリップしたらしい。
しかしやがて富士山のふもとに小さなブラックホールが登場した。
そのホールはやがて大きくなっていく。前回と同じ条件がそろった
2年後の2005年、除隊した自衛官(江口洋介)をオブザーバーに
先にタイムスリップした部隊を救出に向かうが、そこには織田信長になった
自衛官(鹿賀丈史)がいた!

ゴジラ映画の名作「ゴジラ×メカゴジラ」「ゴジラモスラメカゴジラ東京SOS」
の手塚昌明監督作品。
今まで以上に自衛隊を前面に押し出した本格的「自衛隊映画」になっているかも
知れないということで期待したのだが、期待はずれだった。

まずストーリーに矛盾が多すぎるのだ。
たとえば富士山の付近の演習場からタイムスリップしたのに、なぜ斉藤道三が
いるのだ??
その辺から変だなと思ったら、織田信長(鹿賀丈史)の城、天母城につれていかれたら
そこには燃料の精製所が煙突を立てている。
100歩譲って精製所をタイムスリップした隊員たちが作ったとしよう。
でも原油はどうするんだよ???

そして織田信長になった鹿賀丈史が「21世紀の日本をちゃんとした国にするため、
この時代からやり直す」といって「なんとかかんとか」という装置を使って富士山を
噴火させて関東を壊滅させようとしている。
それって意味あるのか??
織田信長がこのまま天下を取って本能寺で殺されなければいいだけの話ではないのか??

で、江口たちが助けた戦国時代の子供・藤介(中尾明慶)が自衛隊の装甲車を運転して
江口洋介たちを助けに来るのだがそれってどうよ??
戦国時代の人間に装甲車が運転できるのか??
付け足すと斉藤道三に腕時計をつけさせて同時刻に攻撃を開始する、ということを
するのだが、斉藤道三にアラビア数字は読めないんじゃないかなあ??

また戦国時代から21世紀の日本にタイムスリップした北村一輝が、江口洋介を
説得に行くシーンがあるが、果たして戦国時代の人間が21世紀で生きていけるのか??
と違和感を感じた。

そういう突っ込みどころだけでなく、この映画には欠点が多い。
自衛隊を辞めていた江口洋介をこの作戦に参加させるまでが長い。
ここで話のテンポが落ちるのだよ。

そして最後の決戦だが、(リメイク物の宿命だが)前作の方がよかった。
今回の映画では城の中で少人数で切りあうだけで、テレビの時代劇みたいなのだよ。
幾千の騎馬武者と戦車との対決、を期待したが完全にあてが外れた。
かなりの予算をかけたらしいが、スケール感がまったくなく、「一体どこに
金をかけたんだ??」という気になってしまう。

また同様の話になるが、メカに個性がないのだ。
「この武器(車両)はこういうことは出来ないが、こういうことは出来る」といった
使い分けがないのだ。
たとえば「戦車では川は渡れないが、ジープなら渡れる。でも戦車を渡らせたい。
だから先にジープを渡して、橋を奪って戦車を渡らせる」といったような展開も
なく、ただの車両A、車両Bでしかない。

あと隊員も個性がなく、嶋大輔以外は隊員A、隊員Bでしかなく、ドラマの展開も
さびしい。
そんでもって嶋が死ぬシーンは中尾明慶とのべたべたがちょっとくどかった。
(また「ローレライ」のように「作戦の参加は自由」と言って参加を呼びかけるのも
二番煎じにしか見えなかった)

そして「ローレライ」とこの「戦国自衛隊1549」、現在の世の中を立て直すために
歴史のあるポイントで大爆発を起こそうとするやつがいて、それを阻止するための決戦
ということでは、アウトラインは同じ。
2度続けられるとちょっと飽きる。
「亡国のイージス」もそれっぽい感じがするが、下手すりゃ「シベリア超特急」に
なってしまう。
そうならないよう、祈りたい。


(このページのトップへ)





ミリオンダラー・ベイビー


日時 2005年6月12日10:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン4
監督 クリント・イーストウッド

(公式HPへ)


実はいい映画を観ると感想を書けなくなる。
この映画もそうなのだ。言葉や文章にならないものが映画からひしひしを
伝わってくる。

音楽も少なく、あおるような演出はない。
淡々と女ボクサー(ヒラリー・スワンク)の成長をつづっていくだけだ。
この女ボクサーを演じるヒラリー・スワンクがすごい。
トレーニングシーンで徐々にうまくなっていくところはさすがだ。
彼女のデビュー作「ベストキッド4」を見ているが、まさかこんな大女優に
なるとは思わなかった。

この映画、予備知識はまったく持たず、友人に薦められたから見に行ったのだが
途中まで「敗者復活戦」の映画だと思っていた。
貧困のなかミズーリ州からやってきて、ウエイトレスのバイトをしながらジムに
通う。そのジムもオーナーから一旦は断られたのにやっと入門を許して
もらったのだ。
そんな自分の力で努力していく強い女の物語だ思っていたのだが、その後が
控えていたのだ。

成功の後に待っていた過酷な運命。しかも家族は見舞いの来るときもディズニーランド
やユニバーサルスタジオによってくるような連中だ。
彼女自身の体のことより彼女の財産しか気にしていない。
そしてフランキーに託す自分のこれから・・・

「タフ・エイント・イナフ(タフだけじゃだめだ)」
フランキーは彼女にあったときに最初にそう言う。
またフランキーの事務所に壁にもその言葉が書いてある。
フランキーにとっては「タフ・エイント・イナフ(タフだけじゃだめだ)」
というのが人生訓なのかも知れない。

しかし映画はそんな絶望だけでなく、再生の希望をも示す。
一度はジムを去ったへなちょこの練習生が帰ってきてまたやり直そうとする。
またモーガン・フリーマンのナレーションで映画は進行するのだが、最後になって
なぜ彼のナレーションだったかがわかる。

「タフ・エイント・イナフ(タフだけじゃだめだ)」
確かにそうかも知れない。
だからといって人生をあきらめてしまうのではなく、それを承知の上で前向きに
行こうとする映画のメッセージが・・・・
いやいやそんな言葉になるようなものではない。

ラスト、フランキーが映画の途中に出てきたおいしいレモンパイを頬張っているシーン
で終わる。
もとよりレモンパイはそれほど高級食材を使った物ではない。
しかし映画中フランキーはそのレモンパイを「死んでもいいくらいにうまい」と言う。
この映画もそんな映画だ。
CGや大爆発といった贅沢なシーンはない。
しかし名人にかかれば「死んでもいいくらい」にいい映画もできるのだ。

そんな良質なレモンパイのような映画だ。
大人の映画。
今いえるのはそれだけだ。


(このページのトップへ)




電車男


日時 2005年6月5日19:15〜
場所 新宿スカラ座2
監督 村上正典

(公式HPへ)


去年の10月出版、年末から年頭にかけてベストセラー、そして6月に
映画公開という近年にないスピードぶり。
「ウォーゲーム」でパソコン通信というものを知った私だが、ここまで
ネットというものを映画に本格的に取り込んだ映画を(私は)はじめてみた。

だからといって映画としてはまったく奇抜ではない。
むしろラブコメとしては王道を行く展開だ。
デートをしたことがない男が、周りの人間のアドバイスに従い、
教えてもらってない事態に陥ると右往左往してしまうなんて、そんなラブコメ
今までにもたくさん見たことある。

そんな一途な電車男に引きずられ、オタク青年はデートをすることを目指し
引きこもりの青年(瑛太)は外に踏み出し、疎遠になっていた夫婦は
再び会話を取り戻し、過去の恋に引きずられる看護婦は古い恋の呪縛から
抜け出す。
今までの映画と違うのは、人々はすべてネット上の友人で基本的にはつながりが
ない点だ。
逆に言えばそれ以外はまったく既存の映画と変わらない。

インターネットを使った人間のドラマを描いた映画だが、
しかしそこで展開されるドラマは今までの人間たちとなんら変わりはない。
ネットというものを好意的に描いた映画だなあと思っていたがラストシーンで
ひっくり返された。

途中、電車の中で電車男が定期券を拾って座席に座っていた
寝ていた小学生ぐらい女の子のひざに置く。でも女の子は気持ち悪そうな顔を
して電車男を見るというシーンが挿入される。
ラストを書いちゃうけど、このシーンが再び登場する。
そしてこのシーンの続きとして小学生の女の子がその定期券を隣の席で寝ていた
エルメスに渡すのだ。
まるで今までのドラマはすべて電車男の架空の書き込みだったかのような
解釈をさせる終わり方なのだ。

それはないんじゃないかなあ。
せっかくネットのプラス面を見せてもらっていい気分になっていたところへ
それをすべて裏切るようなラストはいただけない。
どうもネットを否定したい主張のある映画に見ててしまう。
やっぱりフジテレビがらみの映画だからだろうか??

世間一般(というか新聞テレビなどの既存のマスコミ)は何かとネットの弊害ばかり
を説く。
まるでこの世の諸悪の根源がインターネットにあるかのように。
しかしそれは大きな間違いだ。
マスコミがネットに対して批判的なのは、自分たちの領分を侵される恐怖感の
裏返しだと思っている。
つまりこの新しいコミュニケーションツールの叩きたいのだ
出る杭は打たれるってやつだ。
私自身、ネットを始めたおかげで数多くの友人を持つことができ、インターネットには
感謝してもしきれない。
要は使い方しだいなのだ。
だからこの映画のようなすばらしい人間の成長の瞬間もネットによってもたらされることも
あるだろう。

もしそれを否定しようとするならばそれは時代遅れとしか言いようがない。


(このページのトップへ)




炎のメモリアル


日時 2005年6月5日13:40〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・アートスクリーン
監督 ジェイ・ラッセル

(公式HPへ)


ボルチモアの消防隊ジャック(ホアキン・フェニックス)はある倉庫の
火災現場で負傷者を救出したものの、床が崩落し取り残されてしまう。
動けなくなった彼の頭をよぎったのは、消防隊員として赴任してからの
日々だった。

久々の火災映画。
火災映画というとスペクタクルがあって、危険を顧みない男と自己犠牲の
ドラマがあってと、面白くなりそうな題材なのだが、ちっともこの映画の
評判が聞こえてこない。
しかも公開規模も小さいので、不安を感じたがその不安は的中した。

面白くない。
根本的に脚本の構成が間違っている。
「消防士ジャックの一代記」になっており、新人時代がありました、妻となる
女性と出会いました、デートしました、結婚しました、仲間が死にました、
子供が生まれました、妻と喧嘩しました、と細かいエピソードのつぎはぎで
全体としての盛り上げがないのだなあ。

実在の消防士の伝記の映画化と思ったらそういうわけではないらしい。
オリジナル脚本だったらこの構成はないだろう。
ジャックのそれぞれのエピソードを世代の違う各隊員の背負ってるバックボーン
にしてそれぞれの生活がありながら、大火災に向かっていく、という
構成にすれば違ったかも??

そして(怒ったからラスト書いちゃうけど)最後、ジャックは死ぬのだよ。
結局、助からないと判断したジャックは咽んで上司(ジョン・トラボルタ)に
「みんなを撤退させてください」と言い、トラボルタも泣く泣くそのまま
撤退してしまう。
それはないんじゃない??
現実はそうなってしまっても、そこを救出するのがアメリカ映画だろう!
自己犠牲で泣かせるなら、もう少しうまくやったほうがいいよ。
アメリカ映画らしくない終わり方でした。


(このページのトップへ)