2005年7月

殉愛 亡国のイージス 姑獲鳥の夏
あの旗を撃て 五人の斥候兵 翼の凱歌 NONE BUT THE BRAVE
勇者のみ
オープン・ウォーター スター・ウォーズ
エピソード3/シスの復讐
星になった少年 フライ、ダディ、フライ
ナニワ金融道 
灰原勝負!起死回生のおとしまえ!!
潜水艦1号 海軍 リチャード・ニクソン
暗殺を企てた男

殉愛


日時 2005年7月31日18:50〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 鈴木英夫
製作 昭和31年

(詳しくはキネ旬データベースで)


空襲も日常になった昭和20年の東京。
伊藤(鶴田浩二)と山田照子(八千草薫)は恋人同士だった。
しかし伊藤は特攻隊の隊員。明日をも知れぬ命に結婚に踏み切れぬ二人だったが
「たとえ10日、いや1日でもあなたの妻でいたい」という照子の想いに押され、
二人は結婚する。
同室だった戦友の三島(佐原健二)も特攻し、同じく同室の秋田(小林桂樹)も
明日特攻に決まった。しかしその晩、秋田は急性盲腸炎で出撃は見送りに。
代わりに伊藤が出撃することになる。
出撃した伊藤だったが、途中でグラマンに遭遇、燃料タンクに被弾した。目標に
たどり着けないと判断した伊藤は独断で基地に引き返す。
しかしまた出撃命令が下る。明日は出撃という晩、照子を訪れる伊藤。
伊藤の服のポケットに遺書を見つけた照子は出撃が近いと知る。
翌朝、基地に向かって出発する伊藤。
出撃予定時刻に照子は「あの世で一緒になりましょう」と服毒自殺する。
その頃伊藤の乗った電車は空襲で炎上してしまう。
仕方なく照子の下に帰った伊藤だったが、自害した照子を見て自らも拳銃自殺する
のだった。


うわー、べたな恋愛ドラマだなあ。
これが見終わっての正直な感想だ。
戦争映画というより戦争を背景にした純愛ドラマだ。
途中、照子が毒薬を買ってくるので、彼女が最後に自決することはわかっている。
一度伊藤が出撃したときに、基地指令はすでに戦死を報告してしまったので
それを聞いた照子が自決するのかと思ったら違ったが、それにしても照子の自決は
早急すぎる。
実際、伊藤より照子のほうが早く死んでしまっているし、完全なすれ違いによる
悲劇で、昼メロなみだ。

しかも伊藤。その後自分も特攻するなら兵士として男らしいが、ピストル自殺だ。
基地で出撃を待っていた秋田が可愛そうだ。
どうせ死ぬならピストル自殺ではなく、戦って死んでもらいたいと思うのだが、
それは男の感覚なのだろうか?
また戦後11年目の昭和31年ではまた見方が違ったかも知れないが。

監督は鈴木英夫。
出演は他に照子の父に笠智衆、基地の分隊長に田島義文、伊藤たちの当番兵に多々良純。
佐原健二はこの作品は「ラドン」の1本前の公開作品だが、この作品ではクレジットでは
「石原忠改め佐原健二」と表記されていた。



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亡国のイージス


日時 2005年7月30日15:20〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン4
監督 阪本順治


「亡国のイージス」については「名画座」に記載しました。


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姑獲鳥の夏


日時 2005年7月24日19:15〜
場所 新宿東急
監督 実相寺昭雄

(公式HPへ)


昭和29年、東京雑司が谷の久遠寺医院では娘の梗子(原田知世)が妊娠
20ヶ月を迎えているとうわさになっていた。小説家の関口(永瀬正敏)は
学生時代からの親友、古本屋の京極堂(堤真一)にそのことを話す。
取り合わなかった京極堂だが、この久遠寺医院では梗子の夫、牧朗が一年半前に
謎の失踪をしていたり、生まれた赤ん坊の失踪事件などかずかずの怪事件が
起こっていた。


実相寺昭雄、待望の新作。
姑獲鳥、と書いてコカクチョウと読む読み方も間違いではないらしいのだが、
ここでは「ウブメ」と読む。
私は読んだことはないのだが、京極夏彦の人気シリーズの映画化だ。

広角レンズを多用した独特のカメラアングルや構図、そして鐘の音などの現実音を効果音
として使用し、極めて日本的な文化と近代の西洋文化が渾然と交じり合い、どちらとも
つかない、摩訶不思議な独特な空間世界が彼、実相寺昭雄の特徴。

実相寺昭雄というとどうしても円谷プロ作品が引き合いに出される。
「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」で数話監督し、その本流ではない、
しかし極めて印象に残るエピソードを作り上げ、ファンの間では人気が高い。
もちろん私もそんな実相寺ファンの一人だ。

その中でも特に代表作といえば「怪奇大作戦」の「呪いの壷」「京都買います」の2本。
円谷の作り出す極めてSF的世界と日本的文化の融合は特に「怪奇大作戦」の「京都買います」
において(そのテーマもあいまって)遺憾なく発揮されていた。

この作品は実相寺世界と円谷特撮の融合が見事成功した稀有な作品で、僕の意見としては
実相寺作品の一番の名作がこの「怪奇〜」の2本だと思う。
そして見るほうも作るほうも「『怪奇〜』の名作よもう一度!」の夢から抜けてないような
気がする。少なくとも僕はそうですね。

江戸川乱歩世界(「D坂の殺人事件」)や「帝都物語」と彼の世界が遺憾なく発揮されそうな
作品もこのところあったのだが、いまひとつうまくいかない。
この原因はやっぱり岸田森の不在にあったのではと思う。
「怪奇大作戦」において主演した岸田森の独特のキャラクターが実相寺世界を構築する
重要なファクターなはずだ。
しかし「哥」などに出演したものの、岸田森は若くしてなくなってしまう。
日本映画史においてこれは実に需要な損失であった。
生きていればその後どんな代表作を残したことだろう。
(本来なら岸田森が演じるような役を堀内正美が演じていたこともあったが、
線の細さもあってかいまひとつだった)

そんな中、今度の「姑獲鳥の夏」だ。
正直、あまり期待していなかったのだが期待以上の出来だった。
イヤーこれは完全に「怪奇大作戦」ですよ。
僕にはそう見えました。ちょうど岸田森が演じていた役どころを堤真一が演じてるわけで。
かつての岸田森がやるべきポジションを堤真一によって踏襲されて、実相寺ワールドを
作り上げることを成功している。

オープニングで「バーチャルリアリティがどうの、人間の脳の知覚とはなにか」を延々と
語るあたりからもう岸田森である。
「怪奇大作戦」においても犯罪者が使った科学を悪用した犯罪道具についての解説
(それだってかなり理屈になっていないようなものだったが)を加えるのが「怪奇〜」
の岸田森だったが、この作品でも最後に堤真一が延々と(しかもよくわからない)解説を
してくれる。

そして「憑物おとし」の能力のある堤が最後に解決するのだが、それにしたって「怪奇〜」
で、相手の科学的犯罪道具に対抗するものを作って戦う岸田森を思わせる。
しかも登場人物の一人が「牧朗」、「怪奇大作戦」の岸田森の役名が「牧史郎」。
偶然なのかも知れないが、この奇妙な偶然がいっそう「怪奇〜」を連想させてしまう。
最後の屋敷の大炎上なんかはもうまるっきり「呪いの壷」に見えました。

で結局、お話のほうは「カエル顔の赤ん坊」とかまで登場し、「梗子」が「京子」になって
その上「涼子」に間違えられるとか(強引だなあと思いつつ)正直、なんだかよく
わからなかったのですが、実相寺世界は充分に堪能できた。

私は満足しました。


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あの旗を撃て


日時 2005年7月24日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 阿部豊
製作 昭和19年(1944年)

(詳しくは日本映画データベースで)


太平洋戦争開始直後、日本軍はフィリッピンに上陸し、米軍はマニラから撤退する。
撤退する米軍の車両に轢かれて歩けなくなった少年がいたが、後にやってきた
日本軍によって手術がなされ、歩けるようになる。
また日本の占領によって捕虜になった比軍将校は日本軍と米=比連合軍との
戦闘で比軍人に対し、「日本軍が残虐だというのは米軍の流した嘘だ」と
放送し、仲間の投降を呼びかける。
しかしそれもむなしく戦闘は開始。
米軍は自分達を守るため、比軍人を盾にして「戦わない奴は撃ち殺せ!」と比軍人に
向かって銃を乱射する。
やがて日本軍はコレヒドールを攻略。米軍は降伏するのだった。

フィリッピンを舞台にした戦意高揚映画。
全編物語の舞台はフィリピンで、日本人とフィリピン人の交流を軸に
米軍を悪者に描く。

まあ威勢のいい映画だし、国際色豊かな映画だ。
何しろセリフの8割ぐらいは英語で、字幕がつくのだよ。
フィリピン人やアメリカ人の出演者も多く、同時代の戦争映画にありがちな
「大和魂、すなわち気合と努力で何でも出来る!」的な精神論はまったくと言って
いいほどなく、日本軍は正義の軍隊、アメリカ軍はアジアを支配する悪い奴ら、
フィリピン人はアメリカ人にだまされている同じアジア人として救うべき存在、
という視点で描かれる。

現地でロケもしてるし、米軍の敗走シーンでは戦車も行列をなして逃げて行き、
日本の戦車も大行進だ。
昭和19年といえば日本もかなり負けているころだが、まだまだこういう映画を
作る余力はあったというのがすごい。
(ちなみにこの映画の公開は昭和19年2月だがこの年の10月にマッカーサーは
フィリピンに再上陸する)

日本軍人はフィリピン人を仲間として扱い、少年の足を直してあげて、その少年の
母から「この子の兄は米軍と共に日本軍と戦ってます。これ以上の親切は心苦しい」
と言っても日本軍人は「これは人間として当然のことです。人間なら誰でも同じ
事をしたでしょう。それに日本人はフィリピン人と戦っているのではない。
米軍と戦っているのです」と泣かせることを言う。
そしてこの母は感激して自分の息子やフィリピン人に対して戦争を止めるよう
放送をしたりするのだ。
また日本軍の捕虜となった比軍将校とその世話係だった日本兵は別れ際に
「俺達は言葉は通じなかったが、心は通じていた。日本とフィリピンは仲間だ!」
とひしと握手をする。

とにかく国際色豊かなスケールのでかい戦争映画だ。
今にしてもこれほどまでに規模の大きな作品はそうそうない。

出演は大河内伝次郎や河津清三郎など。英語を話す通訳として戦後も活躍する
中村哲が出演。もちろん藤田進も出演。
フィリピン人の足を怪我した少年と交流する日本軍人に大川平八郎。
英語はすごく流暢で、きれいな発音をしていた。



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五人の斥候兵


日時 2005年7月18日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 田坂具隆
製作 昭和13年(1938年)

(詳しくは日本映画データベースで)


中国戦線。
ある部隊は多くの兵も本来の部隊長も戦死してしまい、その部隊でただ一人の将校となった
岡田が指揮をしていた。
岡田は中国軍への攻撃準備の敵陣地の状況偵察のため、五人の斥候兵を送り出す。
だが中国軍の偽装は思ったより巧妙で、斥候兵達は敵陣に深く入り込みすぎてしまう。
激しい戦闘になり、バラバラになりながら報告のため部隊に帰る斥候兵たち。
四人は無事戻ったが、一人はどうしても戻らない。
しかも戦友は行方不明になった兵の鉄兜だけを発見して帰ってきた。
戦死と判断した岡田だったが、翌朝、その兵は帰還した。
しかしその喜びを味わう暇もなく、本隊から総攻撃命令が下される。
岡田は残った兵に「自分に命を預けて欲しい」と訓示を行い、岡田部隊は
総攻撃へと向かっていった。


戦前の映画だが、当時としてはかなりヘビーではなかろうか。
斥候に向かった兵が全員無事帰還したのに数時間後には死を覚悟した突撃だ。
とてもじゃないが戦意など高揚せず、厭戦気分が漂ってしまう。

この映画は戦地の兵の労苦を描いた映画だ。
「戦地の兵隊さんはこんなに大変な思いをしているからたたえよう!」という視点に
たてば戦意高揚になったかも知れないが、とてもじゃないがそんな気分にはなれない。
「こんなに苦労するなら戦地など行きたくない、送りたくない」と感じてしまうでは
なかろうか?

このギャップは近年の「ブラックホーク・ダウン」も同じで、僕なんかは「ブラックホーク
ダウン」を観て、「軍事介入なんて余計なことをするからアメリカの青年は苦労する」と
解釈したが、リドリー・スコットは「こんなに大変な思いをしてるのだから応援しよう」
という意思があったらしい。
そういう意味ではまったくこの映画は「ブラックホーク・ダウン」だ。

斥候兵を出すまでがかなり退屈だが、それにしても戦闘シーンの迫力はすごい。
五人の斥候兵が見つかって戦闘シーンが始まるのだが、同時代の他の映画よりずっと
迫力がある。
逃げて走る日本兵をカメラがかなり長い距離を移動しながら追いかけるショットなど
今見ても本当に迫力がある。

またまわりの草木に偽装した兵隊は画面を見てるときは本当に気づかず(白黒で色の
違いがわからないこともあろうが)、兵が動いて初めてそこに兵がいることがわかる。
ただの草木だと思っていたところが動き出すところなど「あれ!」と思わせてしまう。

戦前の戦争映画では高い評価を受けている本作だが、それも納得の出来だった。


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翼の凱歌


日時 2005年7月18日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 山本薩夫
脚本 黒澤 明 外山凡平
特殊撮影 円谷英二
製作 昭和17年

(詳しくは日本映画データベースで)
(日本映画データベース上では「翼の戦歌」とありますが「凱歌」の誤りと思われます)

大山雄吉陸軍大尉は大山が生まれた頃、パイロットだった父を航空機事故で亡くしていた。
彼の弟・喬は同じ事故でなくなった機関士の息子で、事故後雄吉の母が養子に迎えたのだった。
成長した二人は、雄吉は陸軍のパイロットとして華々しい戦果を挙げ、弟の喬は新鋭戦闘機
の開発テストパイロットとして活躍していた。
雄吉も一旦戦地をはなれ、弟と共に新戦闘機開発に加わる。
そんな時、喬はテスト飛行中に事故を起こし、飛行機を燃やしてしまう。機体が残っていない
状態では事故原因も特定できない。
そんな中、雄吉は次のテスト飛行を行い、昇降舵に問題があることを発見する。
かくして新鋭戦闘機「隼」は完成し、実戦に配備され雄吉は「隼」で米軍のボーイング爆撃機さえも
撃墜していくのだった。


昭和17年製作の戦意高揚映画。
まずスタッフをよく観ていただきたい。
監督 山本薩夫、脚本 黒澤明、特撮 円谷英二だ。
(しかも助監督は谷口千吉らしい)
戦後の日本を代表する監督たちが戦時中に同じ作品にかかわっていたとは!!!
もう驚異としか言いようがない。

だからと言って面白かといえばそういうわけではない。
陸軍主導の下の戦時下で作られた映画だから、本人達の意思とはあまり関係のない
(かどうかはよくわからないのだが)普通の戦意高揚映画だ。
この当時の戦意高揚映画にはひとつのパターンがあったらしくて、「少年達が軍人や
兵器開発者に憧れ、その夢を実現させ多少の困難を乗り越えて初志を貫徹する」というもの。
「ハワイマレー沖海戦」もそうだし「潜水艦1号」も「海軍」もそうだった。
映画という媒体では、大人の戦意を高揚させるより子供に軍人になる夢を抱かせるほうに
作られていたようだ。

物語はそんな感じで特に見る価値もないのだが、やっぱり実機を使った飛行シーンは
すばらしいなあ。
今回気づいたのだが、ミニチュアと実機の違いは遠近感に出るのだよ。
画面手前から奥へ、または画面奥から手前に飛行機が移動した場合、飛行機自体は
数千メートル移動しているはず。となれば目に見える飛行機の大きさも変わるはず。
徐々に大きくなったり小さくなったりするはずだ。
それがどうしてもミニチュアだと大きさが変わらない。
かくしてミニチュアで撮影された映像では飛行機が左右に動く画が中心になって
しまうのではないか。

そんな新しい発見もありつつ、この映画ような戦意高揚映画を山本薩夫、黒澤明、
円谷英二はどのような思いで作っていたのだろうか?
3人とも鬼籍に入った現在、確かめるすべはない。


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NONE BUT THE BRAVE
勇者のみ


日時 2005年7月17日
場所 セルビデオ(アメリカ版)
監督 フランク・シナトラ
製作 1965年(昭和40年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


フランク・シナトラが主演で三橋達也が共演したアメリカ映画があるらしいと
知ったのは何年前だろうか?
しかもその映画には円谷英二も特撮監督として参加しているのだ。
長年この映画を探していたが、ついにアメリカのアマゾンよりビデオ版(DVDは
日米とも未発売)を購入し、やっと見ることが出来た。
もちろんアメリカ版だからセリフは英語、日本語字幕なし。
内容がわかるか不安だったが、日本側のシーンは日本語だし、内容は意外に
単純な話なので充分理解することが(もちろん細かい内容はわからなかったが)出来た。

この映画について検索すると
「太平洋上の小さな島で米軍の一隊と日本軍守備隊とフットボールの試合を行う。」
というような紹介記事が見つかるが、どこでどう間違ったのかと思う。
この映画はソロモン諸島のある無人島にいる本隊から忘れされれた日本軍守備隊と、
近くを飛行中にゼロ戦によって墜落させられてこの島にたどり着いた米軍兵士の
物語だ。

日本軍の隊長、黒木中尉(三橋達也)はやたら威勢がよくて戦いたがる田村軍曹
(加藤武)をもてあましながら何とか米軍と戦いが避けられるように努力する。
また同じく墜落した米軍兵士にもやたら日本軍と交戦する事を主張するやつがいる。
そんな日本とアメリカという国籍以外はまったく同じような人間たちがいる部隊たち。
最初は相互不信を丸出しにしていたが、やがて日本兵が獲った魚とアメリカ兵の
タバコを物々交換するあたりから彼らの交流がはじまる。

しかし最初に起こした戦闘で怪我をした兵士(勝呂誉)の怪我は悪化していく。
見かねた黒木は今は日本軍が確保している島で唯一の泉を米軍が使ってもよいということ
を条件に米軍の医者(?)(フランク・シナトラ)に診てもらうことを提案する。
足は切断したが何とか助かる兵士。この事がきっかけで日米の交流がはじまる。
そして台風がやってきて泉を高波から守るために日米は協力する。

彼らの友情と休戦はこれからも続いていくように思われた。
しかし米軍は無線機の修理が完了し、救援を呼ぶことに成功。
いまやお互いの戦いは無意味でしかないのだが、米軍の上陸を許すわけには行かない
黒木たちは米軍と一戦を交えていく。

以上がこの映画の内容だ。(詳細は違うかも知れないが)
映画はどちらかというとユーモラスなタッチで進み、無人島に暮す日本軍といっても
食べ物に困って死体の肉を食う、といった悲惨なムードはなく牧歌的な雰囲気が漂う。

それがこの映画の緊張感のなさでインパクトにかけるのだが、この頃のアメリカ製戦争映画は
「大脱走」に代表されるように戦争をスポーツゲーム感覚で作る傾向にあったから、特に
この映画がどうというわけでもあるまい。
悲惨さを強調するより、戦争の無意味さを誰にでも見てもらえるタッチで描きたかった
に違いない。

一番の泣かせどころは、戦闘を始める前に日米両兵士が整列してお互いの決断を伝え合う。
フランク・シナトラの医師は自分が救った兵士・勝呂誉に「Stay here!」と米軍と行動を共に
するように誘う。
しかし兵士は日本軍と行動を共にし、次に起こる戦闘で死んでいく。
ラスト「NOBODY EVER WIN」の言葉が字幕として映される。
単純な反戦映画、と片付けるのは簡単だがそれだけにしてしまうのは惜しい。

出演は日本側は三橋達也、加藤武、佐原健二、黒部進、勝呂誉、谷村昌彦、太宰久雄ら。
特に太宰久雄は坊主の役で、他の兵隊よりキャラクター的に目立つポジションにあり、
コメディリリーフとしていい役だと思う。
佐原健二、黒部進はひげ面のためうっかりすると見逃しそうだ。

円谷特撮は最初の米軍機が打ち落とされるところ、そして台風のシーンが主な見せ場。
日本の戦争映画で南方が部隊でも伊豆か三浦半島で撮影することが多いのだが、
この映画はハワイロケ。
道理で太陽のギラギラ感が違う。(太陽の光が射す角度が違うのだよ)
こんなあたりが日本映画とは違い、贅沢な映画だなあと思う。
日本でも早くDVD化されることを望むところだ。


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オープン・ウォーター


日時 2005年7月16日17:35〜
場所 シネクイント
監督 クリス・ケンティス

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いつも仕事で忙しいスーザンとダニエルの夫婦、短い休暇をカリブ海ですごそうと
やってきた。
船で沖合いまで行ってダイビングするツアーに参加。
しかしツアースタッフの勘違いからスーザンとダニエルは海に取り残されたまま
船は港に帰ってしまう。
海中から海上に上ったスーザンとダニエルの二人。
そこには船はない。陸も見えない。まわりの海には鮫がいる。
どうなる、この二人。

低予算映画。デジタルビデオ撮りだから時々ブロックノイズが見えそうなくらい
画像は危うい。
でも面白い。
夫婦二人が海に取り残されるっていうワンアイデアだけなのに、それだけで
1時間は引っ張ってくれる。

しかも海しか映すものはないから、カメラアングルとか構図とか限られてくるのに
見せてしまうのだなあ。
登場人物も二人しかいないからそんなにドラマも期待できないのに。

これはもう演劇的な世界だ。
ワンセットの登場人物二人の舞台作品のような濃密な世界なんだな。
最初は励ましあう二人。
途中喧嘩になってしまう二人。
海中からとらえた二人の足。それは海中の魚や鮫の視点だ。
そしてカメラは時折海上に浮かぶ二人の後姿を映し出したり、周りの海の上に
現れる鮫の背びれを写す。

たったこれだけのショットの連続だが怖い怖い。
こんなに映画で振るえがったのは久しぶりだ。
もう当分海には入れない。

この監督、今後の作品が楽しみな方だ。


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スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐


日時 2005年7月16日12:25〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン7
監督 ジョージ・ルーカス

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観終わった後、すごい爽快感に包まれた。
しかしこの爽快感は映画そのものの爽快感ではなく、28年間完結しなかった
物語の最終回を見ることが出来たという爽快感ではないだろうか?

第1作の公開が78年だから27年間ではないかという計算は違う。
「スター・ウォーズ」(以下、この映画をこの稿では第1作と呼ぶ)という映画が
アメリカで大ヒットしている、というニュースが映画雑誌を飾ったのは77年の夏だった。
そして日本公開は78年の夏になった。(77年の年末公開はもうすでに番組が
決まっていて、いまさらそれを変更することは出来なかったからその次の夏休み
公開になったと記憶している)

つまり評判のみで映画そのものに触れるまでまず1年。
そして2年たって「帝国の逆襲」が公開、このあたりでこの「スター・ウォーズ」は
全9部作になると発表され、この「帝国の逆襲」は5作目だという。
ここから全部が完結されるまでのまたまたされ続けることになるのだ。
ところが「ジェダイの復讐」が公開された後、まったくその後が作られる気配がない。
「一体どうなってるのだ、このシリーズは??」
そんな思いが何年も続く。

で97年に全3部作がデジタルリマスターされて再公開。
このときもう30代になった私は「第1作で興奮してから20年経つんだなあ」という
感慨にふけったものだ。
(このときの再公開、見に行こうと思ったが何しろ仕事が忙しかった時期なので
結局観なかった)

そして99年になっての新3部作のはじまり。
でもねえ、このときは私はもう完全に「スター・ウォーズ」からは心が離れてしまっており、
また「どうせ物語は完結しないのだし」と完全に白けきっていた。
私のエピソード2に対する感想を読むとそのあたりの白けぶりがよくわかる。

しかし、やっとこの28年にわたる「しばらくお持ちを!」「続く・・・」から開放されるのだ。
当初9部作だった予定が6部作になったことを不満に思う方がいらっしゃるが、
いいじゃないですか。
これ以上「しばらくお持ちを!」「続く・・・」が続いたらたまりませんよ。

今回の映画で「美青年のアナキンがなぜ黒ヘルメット姿のダース・ベイダーになったか?」
「ルークとレイアは何故別々に育てられるに至ったか?」「ヨーダはどうして身を隠して
暮らしていたのか?」などなどの謎がいま解き明かされたのだなあ。

ラスト、帝国軍の船の中に新3部作ではまったく出てこなかった、しかし第1作の時にはいた
ドイツ軍風の軍服を着た男たちが船を動かし、ピーター・カッシング風の男まで登場し、
二つの太陽が沈むタトゥイーンの夕陽も登場する。
今回みるとこの二つの太陽はルークとレイア姫という二つの希望を表しているかのようだ。

そんなこんなで完結したことばかりがうれしかったが、1本の映画としてみると
それほど面白くない。
最初から最後まで組み合わせや場所は変わるがライトセーバーによるチャンバラばっかりだ。
第1作のとき、あれほど興奮させられた宇宙船による空中戦は最初に出てきただけ。
それもうるさいくらいに小さな船がごちゃごちゃしすぎていて、まるでスクリーントーンの
使いすぎで画がうるさくなったマンガを見てるかのようだ。
(全体的に「都市の風景」のときなどバックに小さな船が映りすぎでうるさいのだよ)

しかも「ライトセーバー」チャンバラも「カンフーハッスル」並みに人間が跳躍して
くれるのでこちらは苦笑してしまった。
だから1本の映画としてはそれほど楽しくもなかったし、世間ではこの映画と現実の
イラク戦争と結びつける人もいて「そうかあ???」という感想しかもてなかったり
したが、さっきから言ってるように28年の物語の完結がうれしかった。

とにかくすっきりした。


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星になった少年 Shining Boy & Little Randy


日時 2005年7月16日9:30〜
場所 ヴァージンTOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン6
監督 河毛俊作 

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小川哲夢(柳楽優弥)は千葉県にある両親が経営する動物プロダクションに
暮らしていた。ある日、母親(常盤貴子)の念願だった象がやってきた。
哲夢には象の言葉が聞こえ、彼は象の魅力のとりこになり、ついには
タイにある像使いの学校に入学するまでになる。

2004年、映画ジャーナリズムで大ニュースになったカンヌ映画祭主演男優賞
受賞の柳楽優弥の第2作。
「誰も知らない」は是枝演出の下、偶然の結果が受賞につながった「ラッキーボーイ」
とも思えたのだが、それは違った。
彼はやっぱり本物だ。

とにかく柳楽優弥はすばらしい。
こんな魅力的な俳優見たことない。
象使いになる少年の役だが、半分以上象とのからみや一人のシーンが多い。
そんな中、彼の魅力で画面が引き締まる。

驚いたことに映画前半後半では彼自身が成長している。
撮影は2004年11月から2005年1月までの3ヶ月だったようだが
柳楽自身が身体的に成長しているような気がするのだ。
物語は小川哲夢が13歳ぐらいから17歳ぐらいまでの数年間だが、この撮影期間の
数ヶ月にこの4,5年ぐらいの身体的成長を感じさせるのだ。
13歳の設定の時には13歳に、17歳の設定のシーンでは17歳に見えるのだ。
髪型などのメークの部分ももちろんあったろうが、実際の数ヶ月の身体的成長を
数年分の成長に見せているのだ。
たまたま映画の撮影期と彼の成長が重なったという意見もあろうが、その幸運も
彼の実力だ。

ドラマ「象のいない動物園」のメイキングシーンがあるのだが(小川動物プロの
象がこの映画に出演したので)その中で映画俳優役の武田鉄矢が何気なく言う。
「いや〜象と子役には勝てないねえ」
では動物と子役ではどっちが勝つか?

この映画では柳楽優弥である。
かつて三船敏郎や石原裕次郎が世に登場したときに当時の人々が感じた驚きと
同じものを今の我々は感じているのではないか?
少々誉めすぎに聞こえるかも知れないが、私にはそれぐらいすばらしく感じた。

柳楽優弥、今後もたくさんの映画に出演して欲しい。
「カンヌ主演男優賞受賞」のブランドがいつまで興行的価値を持つかわからないが、
とにかく彼の今後の成功を祈るばかりだ。
これから女性スキャンダルや、未成年俳優にありがちな飲酒喫煙事件、(実際に
この日、NEWSのメンバーの飲酒事件があった)、「態度がでかい」などという
根拠不明のバッシング、さまざまな、俳優としての力以前の困難が待ち受けているかも
知れない。
そんなことにつぶされないことを祈る。
彼は今世界で通用するスターになる可能性を秘めている逸材だ。


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フライ、ダディ、フライ


日時 2005年7月9日19:10〜
場所 丸の内TOEI1
監督 成島 出

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愛する一人娘が夏休み前の期末テスト終了後、カラオケボックスで高校生に
殴られたと知らせを受けたサラリーマンの鈴木さん(堤真一)。
病院に駆けつけてみると知らない他校の教頭が「うちの生徒が殴った」と言ってきた。
しかしその生徒はまったく反省の色がない。その生徒の親は大物国会議員だからと
金で解決しようという教頭。
その場は一旦引き下がった鈴木さんだが、どうにも許せない。
偶然知り合った喧嘩に滅法強い高校生、パク・スンシン(岡田准一)から夏休みいっぱい
喧嘩の特訓を受けることになった!


今妻夫木聡と並んで主演映画の多い若手俳優となったV6の岡田准一主演映画。
ひと夏の中年男と高校生の交流を描いた映画だ。
「喧嘩の仕方を教わる」と特訓を受けるわけだが、この手の師弟関係をモチーフ
にした映画は数多く、近年ではアメリカ映画「ベストキッド」シリーズ
(「スター・ウォーズ」もそうだが)などにもある、映画の一つのパターンだ。

それらと大きく異なっている点は師弟の年齢が逆転していることだ。
喧嘩に弱い高校生がいじめた不良高校生に立ち向かうために、カラテの達人から指導を受ける、
というのが今までのパターンだった。
だが今回は指導を受けるのは中年親父で師は高校生だ。
僕なんか完全に登場する鈴木さんの世代なのだが、映画を見ていて最初はいやな感じがした。

それは要するにプライドの問題なのだろうが、高校生に頭を下げて喧嘩を教わる、というのが
なんか許せないのだなあ。
そういう風に思うのは多分私の心が狭いからだとは思うのだが。

でも映画を見て行くうちに、実は高校生が「こういう大人でいてほしい」という彼らの夢を
描いているのではないかと気が付いた。
後半、パク・スンシンが木の上で鈴木さんに子供のころに襲われたときの思い出を
話す。「自分に守ってくれる大人がいなかった」とさびしく語る。
そして「早く強くなって俺を守ってよ」とまで言うのだ。

そうかあ。
世の高校生からすると今の親父どもはそんなに頼りないかあ。
「俺が鍛えてやるから、強く逞しい、自分を守って引っ張っていってくれる大人になってよ」
と頼れる大人を欲しているらしい。
少なくともパク・スンシンはそうらしい。

また鈴木さんは夜のバスと競争するという自主トレーニングを始める。
それは鈴木さんはまったく知らなかったことだが、その鈴木さんを見ていたいつもの運転手や
疲れた中年サラリーマンの乗客たち(徳井優、大河内浩、温水洋一、田口浩正、浅野和之、
神戸浩)もやる気を取り戻すというサイドストーリー付だ。
こんな風にすべての大人にやる気を出してほしいと願ってる願望を映画にしたように見えてくる。

そうかあ。
いやみでなく、そんな頼りない存在ですまなかったねえ。
その辺は素直に反省したいと思うが、世の大人たち、それほど疲れてもいないし、君たちが
知らない元気で逞しい面も持ち合わせてると思うよ。
だから大人に対してそんなに絶望しないでね。
はっきり言って映画を見終わってそういう気分にさせられた。

主演の岡田准一は相変わらず好調。
「東京タワー」ではセクシーな美少年を演じていたが、今回はかっこよさだけでなく、喧嘩に
強いという殺気も充分漂わせている。
V6の中では(いやジャニーズのタレントの中では)役者として一番成功している岡田だが、
今回もその本領は発揮だ。
岡田の殺気と時折見せる子供っぽさがこの映画の魅力を支えている。
今撮影中の是枝監督の「花よりもなほ」もますます楽しみになってきた。


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劇場版 ナニワ金融道 灰原勝負!起死回生のおとしまえ!!


日時 2005年7月9日15:00〜
場所 新宿ピカデリー4
監督 茅根隆史

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東京から大阪に流れてきた灰原。偶然のきっかけで街金の帝国金融に入社した。
ここにお金を借りに来るやつらはみんな人生の一線を踏み越えてしまったようなやつら。
そんな中で灰原は貸した金を騙し取られてしまう。
相手は経営コンサルタントを名乗る悪徳金融(豊原功補)。
灰原、勝ち目はあるか?

青木雄二の有名コミック、「ナニワ金融道」の映画化。
フジテレビで中居正弘主演で年1回ペースで2時間ドラマとして
ドラマ化されていたが、今回は「ウルトラマンコスモス」の杉浦太陽を
主演にしての映画化だ。

実は私はこの「ナニ金」フリーク。
一時期青木氏の著作に傾倒し、転職の際にいろいろ参考にさせてもらったり
して個人的には思い入れが深いコミックだ。
しかし思い入れは別にして興行的にはちょっと時期はずれだと思う。
(どうせならその姉妹編「カバチタレ!」(6月でモーニング誌の連載終了)を
映画化したほうがよかったかも。)
今回も映画として公開するというより、Vシネマのようにビデオ、DVDの発売時に
パッケージに「劇場公開作品」という言葉をつけて箔をつけるための劇場上映か?

そんなこんなを並べると期待できなくなる作品だが、結構面白かった。
まず顔ぶれがなかなか。
主演は主人公・灰原に杉浦太陽、帝国金融社長に津川雅彦、ヒロインに鈴木紗理奈、敵の金融屋に
豊原功補、灰原の先輩桑田に杉本哲太。他にオール巨人をはじめとして吉本の芸人多数出演。

ストーリーのほうは原作コミックにあったエピソードを3つほど組み合わせてのシナリオ化。
原作が面白いので普通にやってれば面白くなるので、そこは定石どおりの映画化だから
見てる間は充分に楽しめる。

そして何と言っても主人公の杉浦太陽がなかなか。
笑った顔がなんとも愛嬌があっていい。
しかし彼は「ウルトラマンコスモス」の終了間際に暴力事件を起こした。
それはたしか俳優として売れる前に恐喝まがいのことをやったのが被害者からの訴えがでて
問題になった事件だ。
事の真相はともかく、結局被害者が被害届を取り下げることで一件落着になったと記憶する。

正直言ってこの事件の記憶が抜けないのだよ。
だからいくら笑顔で笑っても「金融屋としての目の怖さ」はすでに出来上がってる感じがして
なかなか様になってるように見える。
(ファンの方、これ読んだらごめんなさい)

杉浦太陽主演で2,3本はシリーズ化して欲しいと思う。
これをきっかけに杉浦太陽もVシネマの世界に入っていくのかも知れないな。
結構似合うと思うよ。
これ、誉め言葉です。


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潜水艦1号


日時 2005年7月3日15:40〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 伊賀山正徳
製作 昭和16年(1941年)

(詳しくは日本映画データベースで)


昭和16年製作だから日米開戦以前の映画になるので、「ラストに真珠湾攻撃!」
というような戦闘シーンはない。
海軍全面協力による潜水艦紹介映画だ。

物語は福井県三方郡から始まる。ここは海軍の伝説の潜水艦乗り、佐久間艇長の
生まれ故郷だ。
彼は訓練中の事故で艦を沈めてしまう。しかしその最後の時、手帳に遺言を書き残す。
そこには艦や乗組員を失うことのへの謝罪にはじまり、艦が事故に遭い、そこから
艦を修理しようとする乗組員たちの行動がつぶさに記録されており、佐久間艇長は
これぞ軍人の鑑といわれた人物だ。

その地に生まれた少年二人が一人は潜水艦乗りになる、一人は世界一の潜水艦を作ると
お互いに誓い合う。
やがてその一人は海軍兵学校の潜水課に入り、そこで訓練を受けるのだが、そのあたりの
描写が実に詳しい。
そこには学生と訓練生がいて、学生は艦長をはじめとする幹部候補生で、訓練生は
乗組員になるための教育を受けるというように完全に分かれていると説明してくれる。
また魚雷発射訓練とか、手旗訓練とか、字幕で説明してくれてまるっきりPR映画の
のりだ。

映画はその後、乗組員の家族の話とかあって(ここはテンポもだるくてものすごく退屈)
先の少年の一人は大人になって造船所の設計課に勤め、潜水艦を設計してその親友に
設計図を見て意見を言ってもらう。
この設計図を見せるシーンでは、設計図のアップになるとピントがぼけたり、
「速力はこれで」と紙に書いたりセリフにしないところがポイントですね。
しかしこの新造艦は結局妥協の産物で、どっちつかずの中途半端な性能しか持たない
ものであったらしく、「こんなものではダメだ。精神力で科学の常識を超えられるはずだ!」
と無茶苦茶な理屈でダメだしをされる。
まあ精神力である程度はなんとかなると思いますが、何でもかんでも精神力で押し通そうと
するところに時代を感じますね。

結局、設計はやり直されこれは海軍にも採用され建造されて、晴れて完成の暁に、
その軍人になったほうが試運転をまかされることになる。
そこでまずまずの成果を収める、というのが映画全体のお話。

この映画の見所は何と言っても本物の潜水艦が登場するところだ。

海上を航行する潜水艦、潜航シーンで艦橋にカメラを据えて艦首が潜行していきカメラ
自体も水中に没するまでのワンカット、また逆に艦首にカメラを据えて艦橋が潜行して
いく長いワンカット(両方ともカメラが水中に没するまでカットは続く)、また
浮上して甲板の砲を撃ち(砲身のふたをはずし、またふたをするところまではっきり
わかる)また潜行するまでのショットなどなど、実に多彩なカットがある。
もちろん司令室のカットもあり、「ローレライ」の伊507がいかに大型艦だったかが
わかるような狭い司令室だが。
潜水艦ファンにはたまらないショットの連続ではないか。

また主人公が故郷に帰ったとき、子供たちから「海に潜るから、潜水艦は夏は涼しくて
いいですね」という質問に対し、「いや密閉しているから逆に蒸し暑くて大変だ。
日本の兵隊は優秀だから乗りこなせるのだ」と答えるなど、潜水艦のすべてを知ってもらおう
という製作者の精神がひしひしと伝わってくる。
ただしソナー探知、とかそういうのは出て来ませんでした。
さすがに軍事機密になるんでしょうか?


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海軍


日時 2005年7月3日13:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 田坂具隆
製作 昭和17年(1942年)

(詳しくは日本映画データベースで)

映画が始まる前に「この映画は戦意高揚映画として製作されたため、
戦後GHQに接収され、変換されたときはクライマックスの真珠湾攻撃シーン
がありませんでした」という趣旨の説明文が出る。

で、本編のほうだけど松竹らしい映画。
主人公の谷真人は鹿児島の商家の生まれで、家の商売が心配で
中学を出たら普通高校に行こうと考えていた。
だが親友の強い誘いで海軍兵学校を目指すことに。
しかし誘ったほうの友人は(おそらく視力の問題で)入学できず、
真人は合格する。
そして訓練が始まり、遠洋航海の訓練中に真珠湾にも立ち寄る。
やがて時局は対米開戦へと向かう。
真人は潜水艦乗りになり、死を決して真珠湾攻撃隊に参加する。
で、航空機による真珠湾攻撃が始まり、しばらくは海底に潜んでいたが
空爆が終了したのを確認し、「さあ俺たちも行くぞ!」と二人乗りの
潜航艇が出発したところで、ぶちっと「終」の文字。

でもクライマックスと言っても「ハワイマレー沖海戦」ほど大規模な
ものではなく、恐らく2,3分だったんじゃないかなあ。
根拠のない推測ですけど。

それよりもこの映画の見るべきは「母」だ。

真人は友人に感化されて東郷平八郎の写真を部屋に飾ったりするような
軍国少年になっていくのだが、母は本音では快く思ってないようだ。
真人が「海軍兵学校を受験したい」と決意を述べるシーン、および
「海兵に合格した」と母に報告するシーン。
母は非常に戸惑った顔をする。

あの表情にこの映画のコアある気がする。
子供を戦争に行かせたくない、しかしそれを言うことは許されない、
そんな母の葛藤が痛いほど伝わってくるショットなのだ。
「海兵合格」の知らせに無条件で喜ぶ母の表情をはさむことも
できたし、「戦意高揚映画」としてはそのほうがいいだろう。

しかし「戦意高揚映画」といえどもそれだけにはしたくないという
監督の田坂具隆の意地をこのショットに見たような気がする。

出演では学校に来ている軍事教官役で笠智衆、主人公の担任教師(英語)で
東野英治郎。

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リチャード・ニクソン暗殺を企てた男


日時 2005年7月2日18:50〜
場所 テアトルタイムズスクエア
監督 ニルス・ミュラー

(公式HPへ)


主人公、サム・ビック(ショーン・ペン)は何をやってもさえない男。
妻には逃げられ、新たに就職した事務用家具の販売員の仕事もイマイチ
うまくいかない。社長には「もっとがんばれ!」と自己啓発のテープや
本を渡される。独立して友人とタイヤセールスの仕事をしようと思うが、
中小企業庁からの融資はなかなか降りない。
サムはやがて自分がうまく行かないのは社会が悪いからだと考えるようになり、
それはニクソン大統領暗殺計画へとつながっていく・・・・・


主人公のサム・ビックはとんでもない野郎だ。
仕事も大してできないくせに自分はもっと能力があると信じ込み
うまくいかないのは上司や政治のせいにする。
自分は社長の器だと思ってタイヤの訪問販売を行おうと計画し、
中小企業庁に融資を申し込むがその結果が出るのが遅いと担当者に
「何とか早くしてください」と頼み込んだりする。

妻と子供に逃げられ、別居中の妻や子供に会おうと日曜に電話すると
電話に出ないからといって家まで押しかけるような自分の都合だけで
動くような男だ。

いるんだよね、うちの会社にも何でも人のせいにする奴。
人のアドバイスを聞かない奴。
サムにとっては今勤めてる会社の社長もいやな奴かも知れないが
あの程度のアクと押しの強さがなければ中小企業なんかやっていけまい。
私としてはサム・ピックのような奴はどうも好きになれない。

かといってこの映画を否定する気にはなれないのだ。
実はサムのことは好きにはなれないが、なんとなくわかるのだ。
それは私自身も「サム・ピックなもの」を持っているからだ。

数年前の自分も「俺はこんな会社にいるような人間ではない」と
会社を辞め、独立を夢見る時期があったではないか。
かつての自分を見るような、いまさら人に指摘されたくない
恥部をさらけ出された気さえするのだ。

おそらく日本の多くのサラリーマンはサムピッグに共感できる部分が
あるのではないか。
いや日本でなく、世界中の男はすべてサム・ピッグ的なものを内包
してると思う。

そしてみな同様に自分の欠点を指摘されたような気分になる可能性は大だ。
だからこそこの映画は印象に残る。
しかし好きな映画にはならないかも知れない。

そんな男を演じきったショーン・ペンはすごい。
「ザ・インタープリター」よりずっといい。


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