2006年4月

小さき勇者たち〜ガメラ〜 クレヨンしんちゃん
 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!
the EYE3 闇を裂く一発
恐竜100万年 サンダーバード6号 サンダーバード
劇場版
藍色夏恋
エアポート’80 エアポート’77
バミューダからの脱出
エアポート’75 寝ずの番
大統領のカウントダウン 硫黄島の砂 最後の特攻隊 サウンド・オブ・サンダー

小さき勇者たち〜ガメラ〜


日時 2006年4月29日19:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン9
監督 田崎竜太

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1973年、伊勢志摩でガメラとギャオスが対決し、ガメラは自爆してギャオスから
人類を守った。
それから30年後、同じく伊勢志摩で母を交通事故で失った少年・透は光る石の上にあった
卵を見つける。その卵からはかわいらしいカメが生まれた。
そのカメを「トト」と名づけた透。家で親に内緒で飼う事にしたのだが、一晩で3倍くらいに
大きくなり、やがては1mぐらいにまで急成長する。
その頃、日本近海では海難事故が相次いでいた。
それは海魔獣ジーダスの仕業だった。伊勢志摩に上陸するジーダス。そこへ成長したトト、
いやガメラが立ちはだかる!

99年の「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」以来の再登場。
でも「ああ、話をそっちへもって行ったか」のため息がでる。
私はほとんど見ないからこのサイトには話が出ないが、近年流行の動物映画とミックスされて
しまった。
動物映画は以前は数年に1本だったが、近年は「クイール」とか「いぬのはなし」とか「星になった
少年」(これは見た)とか「子ぎつねヘレン」とか年に何本も公開される。
そんな中の1本なのだなあ。
そして透の隣のうちに住んでいる少女が心臓病で手術をするという。
動物映画に難病ものというなんでも詰め込んでやれ式のシナリオだ。

製作者の目指したものと私が期待しているのものとの完全にギャップがあるのだが、とにかく
映画にのれない。
動物と少年の友情映画なんて嫌いな映画だしなあ。
第一、子供がターゲットな映画だから子供を主人公にするという発想が嫌い。
私自身は子供が主人公の映画は子供の頃は嫌いだった。
同世代の少年がヒーローな活躍をするのを見て「あんなこと絶対できっこない」という否定の
感情が大きかった。ヒーローな活躍をする少年を見てあこがれるより、自分にできないことを
する少年に嫉妬していたのだと思う。
大人が活躍する「ウルトラマン」や「ウルトラQ」や怪獣映画を見て「ああ大人になって
早くあんな活躍がしたいなあ」と将来の夢につながっていたのだった。
だから子供が活躍する昭和ガメラもあんまり好きじゃなかった気がする。

で、映画に話を戻すとジーダスはガメラに一旦は食い止められるんだけど、ガメラは自衛隊に
よって名古屋の大学に運ばれる。
そしてジーダスはガメラを追って(かな?)名古屋へ。
名古屋での大決戦になるのだが、ガメラが生まれたときに下に敷いてあった赤く光る石を
トトに届けなきゃ、と少年は名古屋へ。
心臓病の少女が入院するときに透は赤く光る石を少女にお守りとして預けたのでそれを
取りに行こうとする。
ところが病院はジーダスに襲われて少女はいない。

で少女のほうも「この石をトトに届けなきゃ」と思い、出ようとするが体が動かない。
そこで突然いままで何の関係もなかった女の子が「トトに」の一言でわかってくれて
石をガメラに持っていこうとする。
そして次々と少年、少女がリレーしてトトに石を届けようとする。
もうここらあたりになると完全に製作者の発想のベクトルと期待のベクトルが正反対を
向いているとしか言いようがない。
あほらし。

そんでトトにやっと石が届くのだが、少年とトト(ガメラ)が見つめあったりしてテンポの
乱れることおびただしい。
完全に白けてくる。

しょうがないわなあ。
作ろうとする映画と見たい映画が全然違う方向を向いてるもん。
評価のしようがないよ。


で、技術的な話。
「トト」の頃の小さなカメが実にリアルでよくできた造形だなあと感心していたらあれは
「ケヅメリクガメ」という本物のカメだそうだ。なあんだ。
トトの頃がリアルな分、ガメラになってからが目しか動かない(顔の皮膚の部分がまったく
動かない)ので作り物感が余計に増してしまい、ちょっと惜しかった。

でも病院の瓦礫、街に捨てられた車や瓦礫が実によくできていて(一個一個がよいというだけでなく
破壊された街、の描写が見事)ここは見所があった。

それと深読みかも知れんが、名古屋の駅前のツインタワーにガメラが突っ込むカット、何だか
NYのワールドトレードセンターを思い出し、ちょっと悪趣味な演出だなとそんな気がした。
意図したかどうかはわからんけど。

よかったのはトトが透の家の食堂の厨房に入り、落ちてきた包丁を見たカット、包丁の形が
昭和ガメラの「ギロン」を思わせるカットになっていて、そこは遊びのショットとして楽しめた。



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クレヨンしんちゃん
 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!


日時 2006年4月29日15:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン5
監督 ムトウユージ

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いつもの春日部市、しかしそこでは本物の人間がそっくりの偽者と入れ替わる
というオソロシイ事が起こっていた。
しんちゃんの幼稚園の先生もなんか変だぞ!
ある日、しんちゃん一家がスーパーに行った時、ママやパパのニセモノが現れた。
その場にしたきれいなおねえさんのの活躍で助かったけど
風間君のママやパパの会社の友達もニセモノになったらしいぞ!

しんちゃんシリーズを見始めて今年で6年目。
SF色の強い滑り出しは好調。
しかし何故ニセモノが現れたのか?その目的は?という部分がなかなか明かされず、
少しジリジリする。
ニセモノたちはサンバが好きで、音楽をかけると踊りだすという伏線があるのだが、
結局、この場合、なんでサンバなのかはっきりしないまま映画は進行する。

で、ニセモノというのがコンニャクでできたクローン人間で、それでサンバが好きだとなるのだが
この辺になるともう理屈とかテーマ性はなく(監督にはあったのかも知れないがうまく整理が
ついていない)ナンセンスなお笑いの世界に向かっていく。

いやそれはそれで面白いし、映画のしんちゃんがテーマ性を持っていなければならない理由
などはないのだが、こっちがテーマ性を感じようとしたために私は混乱してしまった。
こっちの見る側のスタンスの問題だったとは思うのだが、それにしてもうまく整理が
つかなかった気がしてならない。

しんちゃんらしい下ネタとナンセンスな世界で面白くはあったけどさ。



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the EYE3


日時 2006年4月29日9:35〜
場所 新宿武蔵野館1
監督 オキサイド・パン
   ダニー・パン

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タイの友人チョンカイを訪ね、タイにやってきた香港の男女4人の若者たち。
チョンカイがある日、道に迷って入った本屋で「幽霊を見る10の方法」という本を
買ってきた話をする。
それを試してみようということになり、いくつかの方法を試してみる。
しかし、暗闇で黒い猫を抱いてかくれんぼ、というのをやっていたときに一人が
冥界にさまよいこんでしまう。
助けようとするがかなわない。
仕方なくタク(チェン・ボーリン)たちは香港へ帰ったのだが。

「アバウト・ラブ」を見て以来お気に入りのチェン・ボーリン君の新作。
新宿では朝の9時半からの1回、池袋では夜の7時からと9時からの2回、渋谷では
夜、9時半から1回上映という、劇場数が3館もある割にはモーニングショーかレイトショー
だけ、というちょっと寂しい扱い。
まだまだ日本では知名度は低いらしい。

完全なホラーというわけではなく、コミカルな要素もあり、ホラーが苦手な私にとっては
見やすい。
でも日本人とは笑いのセンスが違うのか、それほど笑わなかったが。

幽霊を見る方法を試すのだが、最初の方で十字路で茶碗を箸で叩いていると幽霊が現れる
というのがあって、でも幽霊が通り過ぎるまで茶碗を叩き続けなければならない。
ところがチェン・ボーリンが叩いていた茶碗が割れてしまう。
音は出し続けなければならないので、口に箸を突っ込んで歯を箸で叩いて音を出す。
何だかチェン・ボーリンが情けない顔をして叩いているのには笑った、というより失笑した。

そして今度はチェン・ボーリンは香港のマンションの廊下で幽霊に取り付かれて、体が半ば金縛り
みたいになり、体の自由が利かなくなるとなるのだが、そのときの動きが周りから見たらブレイク
ダンスのように見えて他のダンサーとダンス対決みたくなってしまうという、またまた笑いにくい
シーン有。

最後はもう一度タイに戻り、いなくなった友人を探すため幽霊を見る最後の方法、死装束をつけて
死の世界に向う。
でそこでわらわらと死人がよってくるのだが、こいつら人間の息に弱い。
だから息を吐き続けて追っ払い続けるのだが、実は「おなら」にも弱い。
おならがでて(ここはCGか合成で息やおならは描かれる)死人が去っていくのをみて
「クレヨンしんちゃん」みたいだなあと思った。

そんな感じでなかなか脱力系の笑いのシーンもあるのだが、チェン・ボーリン君の主演作を
堪能できて、その点では充分満足できた。
日本未公開の作品もまだまだある彼。
公開されるたびに見に行きたいと思う。



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闇を裂く一発


日時 2006年4月23日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 村野鐵太郎
製作 昭和43年(1969年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


オリンピックにむけて強化合宿中だった射撃の選手の本多(峰岸隆之介)は警視庁より
他の仲間と共に呼び出しを受ける。
昨夜、ヤクザの殺人事件が発生し、その犯人がライフルを持って逃亡、しかも途中で子供を
人質にしたのだ。
本多たちはそれぞれベテランの一課の刑事たち(露口茂、加藤武、高原駿雄)と組んで
捜査を始める。


リンクしている「とめの気ままなお部屋」の掲示板で、うちの掲示板にも何度か書き込んで
いただいているケイケイさんがお勧めの言葉を書いていたので、早速録画して鑑賞。

う〜〜ん、決してつまらなくはないのですが、期待したような「知られざる傑作」、という
ほどではなかったというのが正直な感想。
それより、この映画の元になった映画のことばかり思い出された。

1、真夏が舞台
2、犯人は銃を持って逃亡中
3、ベテラン刑事と新人刑事の組み合わせ
4、新人刑事はなんとなく犯人の心情がわかり、憎みきれない
5、ベテラン刑事は途中で撃たれる
6、野球場に隠れていて下手に手出しをしたら観客が危ない

3番目ぐらいの共通点が出た段階で気が付いた。これは黒澤明の「野良犬」だ。
見終わったあと確認してみたら、「野良犬」は原作・黒澤明、脚色・菊島隆三ではないか。
この映画の脚本は同じ菊島隆三だ。
(そういえば「野良犬」にも本多という人が登場しますね)
新人・峰岸隆之介の売り出しのために作られた映画らしいが、菊島隆三は昔書いた「野良犬」の
シナリオを引っ張り出して再構成したようだ。

別にだからいけないと言っているのではない。
出来上がった作品が面白ければいいのだ。
この頃の峰岸は(そういわれたらしいが)日活の赤木圭一郎に少し似た、少し暗さを秘めた
男っぽい二枚目。
新人アクションスターには刑事役は必須。しかもベテラン刑事役が露口茂ならまったく申し分ない。
しかも「野良犬」ではラストが森に犯人を追い詰めるだけで、実は盛り上がりに欠けるきらいが
あるのだが、「野良犬」では中盤の盛り上がりだった野球場のシーンをラストのクライマックスに
持ってきたのは大正解。

射撃の名手の峰岸とライフル犯の佐藤允の対決は盛り上がる。
しかもいよいよ対決!のところで犯人は暗闇に逃げ込み位置がわからない。
画面で見せるべき映画を暗闇にしてしまって犯人と対決するという映画を放棄するような大胆さ。
でも長々とやらずに暗闇で銃の光だけが光るカットで対決は終了。
何故暗闇で相手の位置がわかったか?は書かないでおこう。

難を言えば、せっかく子供を人質に犯人は逃亡、という設定があったのに犯人は子供をあっさり
返してしまう。ここは子供を使った何か見せ場があってもよかったのでは?

約1時間半の映画。前半は露口茂が、後半は加藤武がベテラン刑事として画面で新人峰岸を支える。
面白くあったが、しかしこの程度の出来なら刑事ドラマ全盛期にはいくらでもあったような気がする。
見て損はないが、かといって見逃したからと言って損するわけでもない。



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恐竜100万年


日時 2006年4月23日
場所 DVD
監督 ドン・チャフィ
特撮監督 レイ・ハリーハウゼン
製作 1966年(昭和41年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


原始時代。
洞窟に住み、狩りを中心に生きている部族がいた。
その部族の長の息子トゥマクは、獲物を食べるときのいさかいで部族を追放される。
やがて彼は、海辺に住み魚を取ることを中心にする部族と知り合った。
その部族の娘ロアナ(ラクウェル・ウェルチ)と仲良くなるが、槍の奪い合いからくる
争いで追放されてしまう。
ロアナと共にもとの部族に戻ったトゥマクだったが、兄との権力争いに巻き込まれ、
海辺の部族はロアナを追ってやってきて、やがては争いになる。
しかしそのとき、火山の大噴火が・・・・

レイ・ハリーハウゼンの代表作。
恐竜と人間の戦いのシーンが見ものだ。

そもそも人間と恐竜が同居していた時代というのはないはずで、時代考証、というか
科学考証はいい加減、というより無茶苦茶なのだが、そういう硬いことは言わない言わない。
だからラクウェル・ウェルチの髪がセットされていたり、眉が整っていたりしても
突っ込んではいけない。

この映画、セリフはない。
最初に「太古の昔、人間はまだ言葉がなく弱肉強食の時代だった」というようなナレーションが
入るだけであとは人間の叫びと動きだけでストーリーを判断せねばならず、セリフになれた
目からすると、ちょっと疲れる映画だ。

しかし次々と恐竜が現れる。
恐竜、(というより大トカゲ)に始まって強大な海亀、トリケラトプスやら肉食のティラノサウルス
みたいな奴や何だか知らないが猿人や、最後にはプティラノドンがラクェル・ウェルチをくわえて
巣に持って帰って子供のえさにしようとしたりする。

恐竜達はコマ撮りで、日本式のぬいぐるみではないのだが、動きが実に緻密。
そしてそんな恐竜と人間が対決するのだから、合成も見事なのだ。
このあたり、ため息がでるような見事さだ。
そしてラストには火山の大噴火により大地震が起こり、地割れはするわ、山は崩れるわ、
下から岩が飛び出すわの天変地異!
巨大生物だけでなく、大地震のスペクタクルまで付いた大サービス映画。

恐竜目当てに見に来た子供たちは大満足、子供を連れてきたお父さんにはラクウェル・ウェルチの
半裸姿で満足。彼女、実に見事。
巨乳でスタイルもよく、お色気がいっぱい。
この映画、恐竜だけでなくラクウェル・ウェルチ売りだったのだろうなあ。
(少なくともDVDのジャケットは恐竜よりラクウェル・ウェルチの半裸姿のほうが大きい)
まるっきり「北京原人の逆襲」のアウェイみたいなもんだ。(そこまで露出はしてないけど)

恐竜映画ファン必見。
見る価値あり。



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サンダーバード6号


日時 2006年4月22日
場所 DVD 
監督 デイヴィッド・レイン
特撮監督 デレク・メディングス
製作 1968年(昭和43年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


新世界航空からブレインズは新型航空機の設計依頼を受け、それを完成させた。
しかし、それは新世界航空の予想を反して、新型の飛行船スカイシップだった。
その最初の飛行船のテスト飛行にアラン、ミンミン、ペネロープ、パーカーが
乗り込む。
ところが国際救助隊の壊滅を図る一味によって乗組員はすべて入れ替わった。
彼らはペネロープの会話をすべて録音し、助けを求める文章を作成し、
サンダーバード1号、2号が出発する。
間一髪、異変に気づいたペネロープによって危機は未然に防がれたが、
スカイシップは悪漢たちによって占拠され、ペネロープたちも危機に。
銃撃によりスカイシップは下降し、地上にあったタワーにぶつかる!


「サンダーバード」の劇場版第2作。
サンダーバードのメカは1号から5号までだが、それに新メカの6号が登場するという
新企画。
だが、この作品、あんまり面白くない。

90分の作品だが、1時間はサンダーバードの醍醐味の「危機」が起こらない。
スカイシップに乗り込んだペネロープたちが話の中心だが、彼女達が世界一周を楽しみ、
ニューヨーク上空を飛んだり、インドに行ったり、エジプトに行ったり、スイスでスキーを
楽しんだりのシーンが続き、大きな事件が起こらない。
もちろんその影には盗聴が行われていて、来るべき「危機」の伏線はあるのだが、それにしても
退屈だ。

しかし後半、スカイシップがタワーに引っかかり、かろうじて墜落は免れているが、しかし
それも時間の問題、というときに1号や2号ではスカイシップのバランスが崩れて落下
しかけてしまう。
そんな時、軽い複葉機で救助に向うという、このあたりのサスペンスはさすがサンダーバード
ならではの盛り上がりだ。

前半の1時間は確かに退屈だが、サンダーバード6号の製作を依頼されたブレインズが、
ジェフ・トレーシーからダメだしをくらい、ふてくされるなど遊びのシーンも多い。

また技術面では最後の複葉機のショットなど実際に複葉機を飛ばして撮影した実写カットと
うまく組み合わせたり、手前にスカイシップを置き、奥で1号が動いてるという奥行きの
あるカット、メカをや人物を俯瞰で撮らえるカットなど技術面では見るところは多い。
また最初のスカイシップ計画を発表するシーンで人形が大口を開けて目に涙をためて
大笑いするところなど、今までにない表情もあった。

テレビシリーズと同じものを作っても面白くない、テレビシリーズとは違うことをやりたい、
という意図があって、遊びの要素や実験的なシーンが多くなったと思うが、テレビシリーズの
スケールアップヴァージョンを期待したこちらとしてはやや不満足な出来だった。

だから劇場版の2本の「サンダーバード」は拡大版というより、「番外編」と思って楽しむべき
なのだろうな。



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サンダーバード 劇場版


日時 2006年4月22日
場所 DVD
監督 デヴィッド・レイン
特撮監督 デレク・メディングス
製作 1967年(昭和42年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


アメリカの新型火星探査機ゼロエックス号が妨害工作にあい、発射に失敗する事故が起こった。
それから2年後、再びゼロエックス号が火星に向うことになった。
今度は万全を期すため、サンダーバードに発射の護衛を依頼することに。
本来、人命救助のみが目的のサンダーバードだが、今回ばかりは特別に。
やはりスパイが潜入したが、サンダーバードの活躍で事故は未然にふさがれた。
火星探検を終え、帰途に着くゼロエックス号。
しかし、故障のため着陸ができない状況に。
サンダーバードは救助に向う!

2004年に実写となって復活した「サンダーバード」。
テレビシリーズとは別に作られた劇場版サンダーバードの2本がその時期に合わせてDVD化された。
これはその第1作。

画面はテレビのスタンダードサイズではなく、映画らしくシネスコ。
劇場で見たら迫力あったろう。
シネスコサイズなので、テレビシリーズからの流用カットはなく、すべて撮り下ろし。
だからテレビシリーズではいつも一緒だったメカの発進シーンがすべて撮りなおされており、
いつもとは違う発進シーンで楽しめる。
テレビシリーズ時との違いを発見して楽しむのも一つの楽しみ方。

でも正直脚本のほうはややつらい。
オープニングのゼロエックスの失敗するシーンはいいのだが、2度目のゼロエックス号の発進は
事前に(割とあっさりと)スパイのフッド(テレビシリーズでも悪役の準レギュラー)はつかまって
しまい、盛り上がりにはやや欠ける。
ここが妨害工作のため、ゼロエックスが危機に陥るがサンダーバードのおかげで発進に成功!
となればもっとよかったのだが。

その後、バージルとスコットはペネロープとゼロエックス号の発射基地近くのナイトクラブ
「SWINGING STAR」に遊びに行く。
しかしそれを聞いたアランは「僕も行きたい!」とわがままをいい、ジェフに怒られるという
展開となり、妙に人間味があって、ヒーロー番組っぽくない。
その後アランはまだ未練があって、寝ているときに夢でペネロープと二人で宇宙のナイトクラブ
「SWINGING STAR」に遊びに行く。
そこは生演奏付のナイトクラブだが、バンドはビートルズ風のラブソングを演奏し、技術的に
遊びがかなりすごい。
で、アランが「素晴らしい夜だ。一生忘れないよ」と感激しているとペネロープが「あら、夜は
まだまだこれからよ。一緒に踊りましょう」と妙に思わせぶりの展開。
どうなることかと思っているとジェフから呼び出しがあって「夜のお楽しみ」はお預け。
そうこうしているうちにアランはベッドから落ちて目が覚める。
お遊びのシーンとしては面白いのだが、このシーンは10分ぐらいあり、正直やや脱線しすぎ。

そして今度は火星に行ったゼロエックス号だが、不思議な形の岩があったので、標本を持って
帰ろうと銃撃して破壊したところ、実はそれは火星の生物だった!というわけで、その怪生物から
攻撃を受けてほうほうのていで逃げ出す。
正直これもどうかと思う。
SF映画としては宇宙生物もありなのだが、「サンダーバード」の世界観にはあわない気がして。
サービス精神、遊び心の賜物だとは思うのだが、やややりすぎかな。

でも後半、ゼロエックス号は着陸困難な状態に!
あわや、というところをサンダーバードが救助する。
しかし今回は4号も活躍がなく、サンダーバード側もレギュラーメカ以外のメカも登場せず
やや不満。
(ブレインズの活躍も大してないし)

劇場用の新作として技術的な実験や新趣向が凝らされたのはわかるのだが、肝心の「サンダーバード」
の世界観からはやや逸脱し、作品としては満足できなかったのが私の本音。
惜しい。



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藍色夏恋


日時 2006年4月22日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 イー・ツーイェン
製作 日本公開2003年(平成15年)

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台湾の女子高校生モン・クーロウは仲良しの女友達のリン・ユエチャンより同じ高校の
男子、チャン・シーハオ(チェン・ボーリン)が好きだと告白される。
しかし、ユエチャンはチャンの飲んだペットボトルや使った靴やバスケットボールを密かに
集めてくるだけで、なかなか彼自身に告白しようとしたりしない。
そんな中、モンはユエチャンにチャンに封筒を渡してくれるよう頼まれる。
封筒をチェンに渡したモンだったが、中の手紙の差出人の名はモンになっていた。
そんなモンをチャンは意識し始めるようになる。
が、モンには彼女の心に秘めた想いがあった。


このGWに新作「THE EYE3」が公開される私の今お気に入りの男優、チェン・ボーリン
の出世作。
2005年日本公開の「アバウト・ラブ」で彼を知って以来、この作品のことは知っていたが
「THE EYE3」が公開されるので、ついでに見てしまおうと借りてきた。

まず驚いたのはこの作品では何だか田舎くさい高校生。
髪の毛は高校生らしくショートにしていて、もともと髪質が硬いらしく、ごわごわしてボサボサ感
のある髪型はホントにその辺の高校生っぽい。

映画全体も特別な事件があるわけでもなく、淡々と穏やかに進む。
青春映画にありがちな何かスポーツの大会とかコンテストとか学園祭、のようなイベントごともない。
そういう縦糸がないのだから映画にぐいぐい引っ張られるような勢いはない。

映画のタッチも説明的なセリフもなく、あくまでモン、チャン、リンの3人の日常を
ドキュメンタリー風に静かに追う。
いわゆる映画的な盛り上がりがない分、この3人が「現実にもいそうな高校生」の感覚が増してくる。

実は(書いちゃうけど)モンはリンのことが好き。
しかしレズというほどではなく、友情なのか同性愛的な愛情なのか判然としない、「一緒にいたい」
「彼女の助けになりたい」という感情。
正直、17,8歳の女の子の気持ちは僕にはさっぱりわからないのだが、それでもそんな友情とも
愛情とも付かぬ淡い感情は伝わってきた。

最後にチャンとモンは将来の再会を約束する。
数年後、彼らが付き合うかどうかそれはわからないけど、二人の記憶の中では大切な夏に
なったろうな、とそんなさわやかな印象が残る映画。

しかしいい映画であることは認めるが、淡々としすぎていて私のような映画に刺激を求めてしまうような
タチにはイマイチ薄味すぎた。
良質な映画であることには変わりがないのだが、私としてはそれほど満足はできなかった。

で主役のチェン・ボーリン。
さっきも書いたように「アバウト・ラブ」と違ってまだまだ純情な高校生。
はじめは何だかなじめなかったが、映画が進むに連れてその普通っぽさ、どこにでもいそうな感じが
とても魅力的だった。
水泳部なので水着シーンあり。プールのシーンはあっても水の中に入ったままだったり、水着姿でも
後ろ姿だけだったりしたのでジリジリしたが、最後の水泳大会のシーンで全身が登場。
胸筋の形が意外ときれいではなく、裸になるとちょっと見劣りがした。
その辺が彼の写真集「ボーリン・ストライク」でも裸のカットがなかった理由かも知れない。



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エアポート’80


日時 2006年4月16日
場所 DVD
監督 デヴィッド・ローウェル・リッチ
製作 1979年(昭和54年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


アメリカの武器製造業のハリソン産業は実は敵国にも武器を輸出していた。
その内部情報が女性人気ニュースキャスターにもれた。ハリソン産業の社長(ロバート・
ワグナー)とそのキャスターは実は恋人関係にあったが、社長は武器輸出の事実を否定し、
そして彼女を殺害することを決意する。
その頃、フランスから米国の航空会社にコンコルドが就航した。そのコンコルドは
翌日、パリ経由でオリンピックが開かれるモスクワに親善飛行することになっていた。
操縦士はメトラン(アラン・ドロン)とジョー・パトローニ(ジョージ・ケネディ)。
二人とも機長の資格のあるベテランだ。
ハリソン産業の社長は自分の会社のミサイル実験に使うミサイルでコンコルドを撃墜
しようとするのだが。


「大空港」に続くエアポートシリーズ第4弾。
シリーズが続くにつれ「現実感」が薄れ、「ありえなさ感」が増してくる。
ミサイルでコンコルドを撃ち落そうとするなんてかなり滅茶苦茶だ。
ミサイルは熱に反応するから、照明弾を撃ってそちらに向わせようというのだが、
これが(高度を低くしたとはいえ)操縦席の窓を開けてそこから拳銃型の照明弾を
撃つ、というもの。
かなり大胆だなあ。
最後は結局米軍の戦闘機にミサイル撃ち落してもらうのだが。

そしてミサイル作戦が失敗すると、ロバート・ワグナーは今度は国籍不明機を使って
撃墜させようとする。
コンコルドは曲芸飛行を行ってなんとか回避するのだけれど、なんだかあまりの無茶苦茶さに
見てるこっちは段々白けてくる。
(まあ、それなりに面白くはあるのだが)

それでも懲りないロバート・ワグナーの社長はまたまた女性キャスター殺害を計画。
パリで女性キャスターと会ってるのだからそのときに殺せばいいわけで、そんなたいそうな
仕掛けをしてコンコルドごと撃墜しなくてもいいような気がするのだが。

そして今度は整備士に仕掛けをさせて、時間が経ったら貨物室のドアが開くように設定させる。
で、モスクワに向う途中に貨物室のドアが開いてアルプスの雪山に胴体着陸!
この映画、封切りの時に見て、今回26年ぶりに見たのだが、前半のミサイルをかわす所は
憶えていたが、この胴体着陸のあたりはまったく憶えていなかった。
多分そのときも「ありえなさ感」が気になって白けた気分になっていたのだろう。

出演はフランスを代表するスターでアラン・ドロンが機長役。
もっともアメリカでの知名度はあまりなかったかも知れないが。
その恋人のスチュワーデスにシルビア・クリステル。
あの「エマニエル夫人」だ。
この頃脱ポルノ女優を計っていてその第1作ではなかったか。
しかしやっぱり彼女は脱がなきゃ観客も納得しないらしく、この後裸にならない役で成功
したわけではない。
その後も「プライベートレッスン」とか「チャタレー夫人の恋人」とか裸が売りの女優でしか
なかったな。今どうしてるだろう?

シルビア・クリステルのせいではないだろうが、ジョージ・ケネディのパトローニ機長も
アラン・ドロンの紹介の娼婦と一夜を過ごしたり、ベトナム時代の思い出話で「○○って
女知ってるか?あれはいい女だったぜ」とアランドロンと話したり、「パイロット=女遊びが
激しい」のイメージで話は進む。
機長の品位がちょっと落ちたような気がした。
あとこのシリーズお決まりのオールドスターの出演として「ローマの休日」のエディ・アルバート。

「大空港」から始まったこのエアポートシリーズ、ここまで話が荒唐無稽になるとやはり作りづらく
なったのか、この作品で終わり。
それもこの出来ではもっともな気がする。

しかし70年代に流行ったパニック映画ブームを代表するシリーズとしてやはり記憶に残したい。
そういえばパニック映画ブームの終わりを告げたのも77年(日本公開は78年)の「スターウォーズ」
と「エイリアン」だったと思う。(ここから今に続くSF映画ブームが始まる)
そう考えれば、この「エアポート’80」はブームに乗り遅れた作品だったのかも知れない。



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エアポート’77 バミューダからの脱出


日時 2006年4月15日
場所 DVD
監督 ジェリー・ジェームスン
製作 1977年(昭和52年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


億万長者のスティーブンス(ジェームズ・スチュワート)自分の美術コレクションを
自分の元邸宅を美術館に改装し、そこに展示しようとしていた。
そのオープニングセレモニーの招待客と展示する美術品を自家用の豪華ジャンボ機で
輸送しようとしていた。
ところが副操縦士も一味になった美術品窃盗団により、睡眠ガスにより機長(ジャック・
レモン)や乗客は眠らせられて飛行機は乗っ取られ、予定コースを大きく外れる。
しかし濃霧のため油田基地のタワーに翼をぶつけてしまい、海中に墜落してしまう。
ジャンボ機は水圧にいつまで耐えられるかわからない。
彼らは助かるのか?

「大空港」をベースにした飛行機パニック映画の第3弾。
今までは一般の旅客機が舞台だったが、今回は個人のジャンボ機。
一般の旅客機を舞台にした事故だと何かと現実の航空会社からクレームその他でも
付いたのだろうか?
とにかく今回の墜落は「事故」ではなく「事件」だ。
また「バミューダからの脱出」というサブタイトルが日本ではつけられた。
当時、「ノストラダムスの大予言」のヒットで「超自然現象」がブームで、バミューダ海域は
「バミューダトライアングル」と呼ばれ、飛行機や船舶の謎の消失が多い地域で有名だった。
但しこの映画では、そういう「四次元空間への消失」みたいな話には流れず、普通に
パニック映画になっている。

今までは飛行機が落ちるか落ちないか、がサスペンスのポイントだったが、今回は逆手を
とって最初から墜落。その中からどう脱出するかがポイント。

「エアポート’75」が一つ一つの障害を越えていく過程がない、とぼやいたが
今回の方は、ハイジャックによる乗っ取り、海面に着水、沈没、機体の破損状況の調査、
救助を呼ぶための脱出、引き上げ用の風船の設置、そして引き上げ、と見せ場がちょこちょこ
用意されており、こちらのほうが映画のストーリーとしてはよくできている。

出演者ではなんと言っても機長役のジャック・レモン。
ビリー・ワイルダー映画のコミカルな役ではなく、完全に2枚目のヒーロー。
これが実に様になっているのだな。
そして乗り合わせた飛行機の設計者役でダーレン・マクギャビン。テレビシリーズ
「事件記者コルチャック」のファンなので彼の映画出演は当時大変うれしかった。
そしてジェームズ・スチュワートやジョセフ・コットン(乗客)のオールドスターの出演。
あとジョージ・ケネディはジャンボの製造会社の重役として(スケジュールの都合からか)
ちょっと顔見世程度に出演。
でも「大空港」「エアポート’75」と同じ役名のジョー・パトローニなのだな。
(設定は毎回違うけど)

正直、テレビのスターとか往年の大スターが出演し、何だかオールスターっぽいのだが
実は旬のスターはジャック・レモンだけ、というオールスターだかどうなのか中途半端な
出演者陣。
この辺がA級ではない、かといってB級というほどひどくはない、という1.5級ぐらいの
シリーズな感じなのですね。



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エアポート’75


日時 2006年4月15日
場所 DVD
監督 ジャック・スマイト
製作 1974年(昭和49年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ワシントンを飛び立ったコロンビア航空409便はロサンゼルスに向っていた。
しかし濃霧のためソルトレイクシティに着陸することになったが、操縦士が心臓発作で
制御を失った小型機が突然濃霧の中から現れ、409便の操縦室に激突した。
副操縦士は投げ出され、機長は重症、機関士も死亡した。
ジャンボ機の運命はスチュワーデス(今の言い方だとフライトアテンダント)のナンシーに
託される。
ジャンボ機を救う道は一つしかない。
それは高速ヘリで近づき、新たなパイロットを乗り組ませることだった。


「大空港」につづいて製作されたパニック映画。
それにしてもジャンボジェットという飛行機は息が長い。
70年代に就航したわけだからもう30年以上も大型旅客機として世界の空を飛び続けている。
そりゃ詳しい人に言わせれば初期型と現在のモデルでは違うところもあるのだろうが、
基本的なデザインは変わっていない。

で、映画のことだが以前テレビ放送されたときに見たことがあって今回は2回目。
でも意外と話が小さい。
その原因は映画の舞台がほとんど飛行機の内部と管制塔の会話で終わる部分が多く、
話の広がりを感じないのだ。
「大空港」の時は空港のいろんな人が出てきて情報やエピソードが満載だったが、今回は
そういう細かいエピソードがなく、ドラマが薄っぺらい。

救出の方法も高速ヘリでパイロットが乗り移るという方法だけ。
「その前にこういう問題を解決しなければ乗り移れない」というような段階をたどるわけでは
ないから、どうもこちらのほうもイマイチ盛り上がらない。
途中、カレン・ブラックのスチュワーデスに操縦が任されて指示を受けながら操縦する、という
あたりが見せ場なのだろうが、飛行機のスピード感が感じられない。
もともと飛行機のスピード感が静止しているもの物がそばにないので感じにくいのだが
ゆっくり旋回したりして、現実の恐怖が感じられないのだ。
山のすれすれを飛ぶとか、何かもっとスピード感を感じる危険なクライマックスが中盤にあれば
よかったのだが。

そしてパイロットの乗り移りが最初は空軍のパイロットが行うのだが、これが失敗する。
ここがなぜ失敗したのかが映像で見るとわかりづらい。
多分、ジャンボ機の穴の曲がった部分にパラシュートのレバーが引っかかってパラシュートが
開いてしまったのではないか?
あそこでパイロットが落ちていく姿が映像にないのでわかりにくいのだな。
同様に最後にチャールトン・ヘストンが乗り移って着陸させるのだが、飛行機が停止する
カットがないのがさびしい。言い換えるとジャンボ機が滑走路を外れて停止するフルショットが
欲しいのだが、それが操縦桿を握るヘストンのショットしかない。

全体的に今見るとスクリーンプロセスは荒いし、映画技術の古さを感じさせる。
先のパイロットの乗り移り失敗やジャンボ機が停止するショットも技術的に撮れなかったのかも
知れないな。
そして思ったより低予算ぽかったし。

出演は他には「エクソシスト」のリンダ・ブレアが腎臓移植を受ける少女役、あと「サブウエイ
パニック」で鉄道公安官(という名称ではなかったと思うが)役で出演の方が乗客役で
出演していた。但し二人とも大した活躍はない。

B級映画というほどひどくはないが、かといって名作というほどではない。
ほどほどの作品だったので、それなりには楽しめた。



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寝ずの番


日時 2006年4月8日22:00〜
場所 ユナテッドシネマとしまえんスクリーン4
監督 マキノ雅彦(第1回監督作品)

(公式HPへ)


監督のマキノ雅彦とはマキノ雅弘のおい、マキノ省三の孫である津川雅彦のこと。
今回、初監督に挑戦だ。

お話は上方落語の名人が亡くなり、その通夜の席で弟子達が思い出話をしていくという
喜劇。
オープニングはその師匠(長門裕之)の臨終のシーン。一番弟子(笹野高史)の
「何かしたいことはありませんか?」の問いに師匠が「そ、そ・・・見たい」と答えたと
一番弟子が聞いたところから始まる。
「ソソ」というのは京都弁で女性性器のこと。
「さすが師匠や」というわけで弟子の一人(中井貴一)の妻(木村佳乃)のそれを
見せようということとなり・・・・

このシーンが滅茶苦茶面白い。(特に富司純子の一瞬の恥じらいの表情やトレンディ女優
を捨てた木村佳乃が素晴らしい。木村佳乃は10年ぐらい前のキムタクドラマ「協奏曲」で
初めて知ったが、その後、ドラマで主演を勤めるに至るのだが、イマイチパッとせずに
くすぶっていた感じがあった。しかしこの映画で本当に一皮むけたと思う)

正直、このシーンが面白すぎて、その後に続くシーンはややパンチ不足に感じてしまう。
物語もその後、師匠の生前の爆笑エピソード(主に下ネタ)が回想シーンとして
語られる。
そういうエピソードの羅列なので、映画的な展開が少なくちょっと飽きが来る。
(そうは行っても中井貴一の少年時代の「エイ」のエピソードなど爆笑ものだ)
そしてその後、笹野高史や師匠のおかみさん(富司純子)が次々と死んで通夜のシーンが
繰り返される。

だから余計に飽きかけるのだが、最後に堺正章の登場によってぐっと盛り返す。
堺は昔芸者だった富司純子を師匠とで争ったという役どころ。
かつて富司純子から教わった春歌を中井貴一と歌合戦するシーンで爆笑ものだ。
「チンポ、チンポと威張るでないぞ、チンポ、オメコの爪楊枝」
「オメコ、オメコと威張る出ないぞ、オメコ、チンポの植木鉢」
と絶対テレビでは放送できないネタが続く。
その歌を歌う中井貴一の声のいいこと!
彼の新しい魅力が登場した思いだ。

そして最後は「私の心はトタンの屋根よ。かわらないのを見ておくれ」という歌が登場し、
そのうまさに思わずひざを打ちたくなる。

先に「映画的な展開が少なくちょっと飽きが来る」と書いたものの、2時間近い上映時間を
やっぱり魅せてしまう。
それはもうなんといっても長門裕之、笹野高史、中井貴一、岸辺一徳、木村佳乃、富司純子
堺正章、蛭子能収らのベテラン、芸達者、個性派の演技の絡み合いが実によい。
近頃流行の「視聴率が稼げる女優」「イケメン男優」なんて出ていない。
しかしベテランたちの素晴らしい掛け合いで充分魅せてくれる。

近頃の人気の俳優達を集めればなんとかなる的な映画ではなく、俳優達のベテランの芸で魅せる
上質な喜劇。
面白かった。



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大統領のカウントダウン


日時 2006年4月8日11:30〜
場所 新宿シネマミラノ
監督 エブゲニー・ラブレンティエフ

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チェチェン紛争で捕虜となったロシアのスモーリン少佐は敵地から
脱出することに成功し、モスクワに帰還する。
しかしそんな時、チェチェン独立軍と手を組んだイスラム過激派は
満員の観客のサーカス劇場を占拠する。
その会場にはスモーリンの娘も観客として来ていた。
もちろん敵側が娘を招待したのだ。
スモーリン少佐は単独でサーカス会場に進入する。
しかし敵にとってはサーカス会場占拠は計画の第一段階でしかなかった!!

面白い!
「暗くて長い」というソ連映画のイメージを打ち破るスピーディなアクション展開。
実はチェチェン紛争について無知なので、人間関係や敵側の動機、みたいなものが
はっきりとわからないので、本当にはこの映画を理解していないかも知れない。
でもテロリストもののアクション映画として充分に楽しめる。
(以下ネタバレしてますので、ご注意を)


「ダイハード」を思わせる単独で敵と戦う主人公、そして計画の第二弾は核物質を
奪い、それをもって飛行機に乗り込み、サミットが開かれているローマに
突撃しようと言うもの。
しかも核物質には爆弾が取り付けられ、その爆弾は高度が3000ヤードより下がったら
爆発する仕掛け。
だからどこかの飛行場に強制着陸させることも出来ない。
もう「新幹線大爆破」だ。ここにもあったか、「新幹線大爆破」の教え子映画!

サーカス会場の救出劇だけでも面白いのに、その後があるというのがすごい。
ところがこれが裏目にでて、せっかくの素材なのに(上映時間の都合か)割とあっさりと
サーカス会場占拠の方は解決してしまう。
もったいない。
一度突入を仕掛けて失敗、今度は失敗が許されない再突入、とかもっと話を膨らませても
いいと思うのだがなあ。

そして今度は飛行機に積んだ爆弾の除去になるのだが、コンピュータに制御されていて
簡単には解除できないとなる。
ところが(ここのメカニズムがよくわからないのだが)もう一人の主人公のCNNみたいな
ところの女性記者が持っていた携帯電話がブルートゥースで爆弾のコンピュータと接続される。
で、NATO軍とロシア軍の暗号解読ソフトが共同してその暗号を解き、爆弾は解除される。
う〜〜〜ん、コンピュータが自分で解除するというのはなんだか現代的な感じもするのだが
ここはオーソドックスに主人公のスモーリン少佐が電話連絡を取りながら除去させてほしかった。

そして今度は飛行機の着陸となるのだが、緊急着陸しようとした空港は現在滑走路の工事中!
そんな状況で無事に着陸できるか?
着陸に失敗したら核物質がばら撒かれる!というサスペンス。
これはもう「大空港」シリーズですね。

日米サスペンス、パニック映画の要素をうまくミックスした新しいロシア映画。
面白かった。
この喜びは「シュリ」を初めて見たときに匹敵するかも知れない。
(本当はチェチェン紛争などのロシア外交のことを詳しく知らないと、本当はこの映画を理解
したことにならないかも知れない。だから私はこの映画の面白さを半分しか味わっていないのか
も知れないのだが)



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硫黄島の砂


日時 2006年4月2日
場所 DVD
監督 アラン・ドワン
製作 1949年(昭和24年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


アメリカ海兵隊のある部隊。補充兵が送り込まれるが、隊長の軍曹(ジョンウエイン)は
兵たちには厳しい。しかし彼も国に残してきた妻や息子との関係がうまくいっていなくて
悩んでもいた。
そして部隊はいよいよ実戦。タラワ島上陸だ。日本軍の厳しい抵抗はあったが、なんとか
攻略。
ハワイでの休暇のあと、いよいよ硫黄島へ。
すり鉢山の攻略は日本軍の猛烈な抵抗によって困難を極めたが、無事星条旗を立てることが
出来た。
しかし、ジョンウエインは・・・・・

1949年の映画。
戦争の悲惨さ、厳しさというより、困難に打ち勝つ主人公たちの姿を時にユーモアを
加え描き、完全な娯楽アクションとなっていた。
「太平洋作戦」といい、この「硫黄島の砂」といい、ジョンウエインの鬼上官が部下と対立
しながらやがては協力し勝つ、というのはこの頃のジョンウエインのパターンだったのかな?

例えば新兵の一人が銃剣術が下手で、ジョンウエインに怒られてたのだが、ジョンウエインは
ある時、フォークダンス(?)のレコードが流れているのを聞く。
そしてその新兵に音楽にあわせて体を動かしてみろという。
音楽にあわせて銃剣術の構えをしていたら「軍曹!コツがわかりました!」と兵士は銃剣術を
ものにするという、なんとものどかなエピソードが登場する。

そしてジョンウエインは家族から手紙が来ない、とさびしがっているのだが、ハワイでの
休暇で酒場で飲んでいるときに、ある女から誘われて彼女の家に行って飲みなおす
ことにする。ところがそこには赤ん坊がいて、その子にミルクを作ったりしてるうちに
元気を取り戻す、みたいなエピソードさえ登場する。

こんな感じで硫黄島の戦いがあんまり悲惨な戦いだった感じがしないんだな。
それにしてもハワイの酒場でジョンウエインを誘った女は戦争未亡人だったんだけど、
ジョンウエインを誘って何がしかのお金でももらうつもりだったんだろうか?
そういうゆがんだ見方も出来るが、映画の印象では売春的な行為ではなく、単なる一夜の恋、
見たいな感じなのだ。
これが「戦争未亡人は売春しなければ食べていけない」みたいな主張で作られているなら
映画の印象は変わるのだが、そういう感じでもなさそうだ。

かといって悲劇的なエピソードがないわけでもない。
部隊がタラワ島に上陸したとき、3人の兵士のうち一人が弾の補給のため、最前線から
補給部隊のいるところに向かう。
弾を補給した後、すぐ近くでコーヒーを飲んでいる兵隊がいて、自分もつい分けてもらう。
そして一人でコーヒーブレイクをして時間をつぶしてしまい、仲間の元に帰ったら、
仲間は日本軍に殺されていた。
コーヒーを飲んでサボっていた兵士は落ち込む。
また夜間前線で構えているときに明らかに負傷したアメリカ兵が助けを呼ぶ声がする。
助けに行こうという部下をジョンウエインは「こちらがやられてしまうかも知れない」
といって見捨ててしまう。

こういう戦争の悲惨さをあらわすようなエピソードもあるのだが、だからといって反戦的な
スタンスでつくらている、というより、「前線の兵隊さんはこんな悲惨なご苦労がある」
と彼らをたたえるスタンスだ。
実際、映画のオープニングとエンディングには「海兵隊に捧ぐ」という字幕が流れる。

そしてタラワの戦闘も硫黄島の上陸も似たような感じで、それぞれの戦いの特徴がさっぱり
わからない。
タイトルは「硫黄島の砂」だが同じ脚本で「ガダルカナルの砂」にしても充分映画は
成り立つような特徴のなさだ。

正直、今年(2006年)年末に公開予定のクリント・イーストウッドの2本の硫黄島映画
の予習のつもりで見たのだが、全く予習にならなかった。
「好戦的な映画」って聞いたことがあったけど、要は戦時中の戦意高揚映画と同じスタンスで
作られた映画でしたね。



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最後の特攻隊


日時 2006年4月2日
場所 レンタルビデオ
監督 佐藤純弥
製作 昭和45年(1970年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


昭和19年10月、レイテ作戦において決死攻撃ではなく必死攻撃、いわゆる特攻が
初めて行われた。
矢代少将は「特攻作戦はこれ限りにする」という意思を残して自らも特攻する。
しかし矢代の遺志はむなしくその後上層部の考える作戦は特攻ばかりだった。
だが特攻の成功率は13%。ほとんどの機は途中で敵機撃ち落されるか、敵艦の上空で
対空砲火のために目的を達せられないでいた。
特攻機は500kg爆弾を積んでいるために機銃すらはずしている状態。
これでは応戦できない。そのために特攻機を無事に送り届ける護衛部隊、直掩隊が編成
されることとなり、その隊長に宗方大尉(鶴田浩二)が任命された。


先の3月26日に「新幹線大爆破」についての佐藤純弥監督のトークショーがあり、
ついで「男たちの大和」の話題にもなったのだが、そのときにも話に出てきた映画が
これだった。
私は未見だったので、早速レンタル店で借りてくる。

東映らしい戦争映画だが、(東映の戦争映画は役者の個性が強くて役の人物、というより
鶴田浩二そのものに見えてしまう気がするのだ)映画の冒頭「宇垣纏中将とは無関係です」
と断りが出る。
宇垣をモデルにした人物が活躍するのかと思ったらそういうわけではなく、終戦後、鶴田が
一人で飛び立つのだが、これが宇垣纏中将を連想させるものだかららしい。

話は特攻に飛び立つ者の苦悩、というより、特攻を選ぶ者の苦悩、見送る者の苦悩を
中心に描かれる。
鶴田浩二の直掩隊は特攻をできるように援護し、しかし自分は特攻の成果を見届けて帰還する
という残酷な役目だ。
また特攻に行くものを選ぶときに何を基準にすればいいかを悩む。
このあたりはやや宗方がいい人過ぎるきらいはあるが、後に山本燐一の下士官が別の作戦で
特攻を選ぶとき、兵士に整列させ、その後番号をかけさせる。
「偶数の者、明日、出撃」と簡単に言い放つ。それを見た山本燐一の弟の士官(梅宮辰夫)が
あんまりじゃないかと責める。
しかし「何を基準に選べばいいのか。一人ひとりの事情など聞いていたら選ぶことなどできない。
だからいっそああいうやり方しかないのだ」と答える。
悩む鶴田とは対照的であるが、これも一つの割り切り方かも知れない。

映画は途中、2度も途中でエンジン故障のため帰ってき渡辺篤史の飛行兵のエピソードが入る。
彼は年老いた盲目の母(笠置シズ子)を思うあまり故障と偽って帰ってきたのだったが、
それを鶴田浩二の隊長は責めなかった。渡辺篤史はついに脱走して母と逃げようと迎えに行く。
しかし母はそんな卑怯者に育てた憶えはないと隊に帰る事ようにしかる。
結局隊に帰ったのだが、翌日、敵の空襲があり、自分の飛行機は炎上し始める。
爆発して基地や他の飛行機に被害が及ぶのを防ぐため、渡辺篤史は自らその零戦を飛ばし、空中で
爆破させ、基地を守る。
息子の戦死を知った母は「卑怯者に育てればよかった」と慟哭の叫びを上げる。
このエピソードは映画としては「ありがち」だが、最後の母の叫びはやはり心を打たれる。

そして映画はクライマックスの特攻作戦へ。
特攻が終わって鶴田浩二が帰ってくると基地には誰もいない。
酒をあおっている整備長(若山富三郎)に聞くと戦争は終わったのだという。

それを聞いた鶴田浩二は一人で出撃し、夕焼けの空に消えていくところで終わっているのだが、
映画の印象では敵に向かっていくように見える。
だが佐藤監督の話では、この後鶴田は日本軍に突っ込むシーンがあったとか。
そうなると最後の印象がまるで変わってくる。
若山富三郎が「上層部は10日ぐらい前から終戦を知っていたっていうじゃねえか。バカやろう」
と叫ぶ。
となると鶴田の出発は無意味な特攻をさせた上層部に対する反抗だったことになる。

私の聞き違いの勘違いだったかも知れない。
いつか佐藤監督にまたお話を伺う機会があったら確認してみたいものだ。



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サウンド・オブ・サンダー


日時 2006年4月1日18:40〜
場所 新宿ピカデリー2
監督 ピーター・ハイアムズ

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2055年、タイムトラベルが可能になって世の金持ちが白亜紀に行って恐竜を撃って
帰ってくるというツアーを販売していた。
何回か行われ、事故がなくうまくいっていたが、あるとき銃が故障し危うく恐竜に襲われかかる
ことがあった。
やがて現代に変化が訪れた。植物が変化し、大量の昆虫が発生し、サルのような顔をした小型の
恐竜に襲われるようになる。
過去に何かを残したからだと気づいた主人公達はそれが何かを調べだす。
そしてもう一度白亜紀に行き、その原因となった小さな事件を未然に防ごうとするのだが。


(僕にとっては)久々のピーター・ハイアムズ最新作。
「2055年人類消滅!」なんていうポスターを見てしまうと終末SF好きの私にとっては
それだけでもうわくわくだ。
でもタイムトラベルが絡んでいると聞いて少しいやな予感。
タイムトラベルものはもう食傷気味なので。

で不安を抱えつつも見たわけだが、意外に話のスケールが小さい。
タイムトラベルの事故により人類消滅の危機になるわけだが、世界各地の状況は出てこず、
主人公の周りの変化のみを描く。だから横の面での広がりは小さい。

そのタイムとラベルは白亜紀への旅だが、ほんの数分ほどの旅らしく「恐竜ハンティングツアー」
とか言う割には「すぐ5分後に火山の爆発で死ぬことがわかっている恐竜の前に行き、液体窒素の
弾の銃で撃ってすぐ帰ってくる」というもの。
あれで一体いくらなのだろうか?
2,3千万円するのかね。あんなにすぐ終わったらクレームが付かないだろうか?
それにあれなら本当に過去に行かなくても何とでも誤魔化せそうな気がする。
それにしても毎回同じ時間の同じところに行くわけだが、何故別の回のツアー客と鉢合わせしない
のだろう?
(実際ラストではその問題のあったツアーの客のところへ行くわけだし)
そういう細かいところはアバウトだ。

そしてあるツアーの時に何かの変化を過去にしてしまい、現代の世界が徐々に変化していく。
結局、過去に行って変化がなかったことにしようとなるわけだが、何がいけなかったかを探ろうと
ツアー客を訪ねるようとするが、怪物に襲われるというわけ。
このあたりは「ジュラシック・パーク」の影響をモロに受けている。(というか焼き直し)
地下鉄に入ったら水路が切れて水が入ってきたり、巨大蛇型の恐竜に襲われたり、翼竜にも
襲われたり、あの手この手で「ジュラシック・パーク」の再生産だ。

でも街の風景やその怪物たちがいまどき珍しくCGぽかった。
この辺に少し「安さ、チープさ」を感じてしまった。

まあ楽しめたが、多分1週間経ったら忘れるという最近のアメリカ映画にありがちな感じでした。



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