2006年8月

夜叉ヶ池 幻遊伝 親指さがし
拍手する時に去れ 大日本帝国 ハチミツとクローバー M:i:V
ユナイテッド93 ピンクナルシス マッカーサー 若い獣

夜叉ヶ池


日時 2006年8月27日17:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 篠田正浩
製作 昭和54年(1979年)

「夜叉ヶ池」については「名画座」に記しました。


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幻遊伝


日時 2006年8月27日11:50〜
場所 渋谷シアターAX
監督 チェン・イーウェン

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台湾で漢方薬店を営む日本人親子(大杉漣と田中麗奈)。娘・シャオディエのほうはまだ見ぬ
日本に行きたがっていてた。
ある日、そんなことで喧嘩した父娘だが、シャオディエはある晩友人たちとドライブに
出かけ、映画のセットの中に迷い込む。
そしてタイムトリップしてしまう。
気が付いた世界はまさしく時代劇の世界で、強盗が銀行を襲っていた。
最初は事態が飲み込めず、戸惑うシャオディエ。しかし役人への賄賂を洪水で被災した故郷のため
に盗んだ若者ハイション(チェン・ボーリン)たちの仲間になってしまい、彼らの旅に同行することに。
ハイションたちはキョンシーの一行に扮し、官憲の網をくぐろうとしているのだが。
果たしてシャオディエの運命は?

チェン・ボーリンファンなので見に行ったのだが(あまり期待もしていなかったが)やっぱり
面白くない。
原因はスピード感がないのだな。

例えばハイションの友人アーゴウ(ホン・ティエンシャン〜サモ・ハン・キンポーの息子)が
キョンシーにかまれ、毒が回る。
毒をなくすには「童貞のおしっこをかける」という下ネタなのだが、そこでおしっこをかける
カットがあるのだが、ここが長い。
長いといっても何分もあるわけではないのだが、かけ始めてすぐに外のカットに切り替わり
アーゴウの悲鳴が聞こえる、というカット割なら笑いも取れるのだが、ただおしっこを
かけるシーンを写すので、笑いにならないのだよ。
こんな感じでなんとなく編集でつめればもうちょっと何とかなったのではないか?

また田中麗奈が女義賊と顔が似ているという設定があるのだが、ならば二人が入れ替わったり
するような笑いとかサスペンスとかが出来たのではないかと思うのだが、その義賊はほとんど出てこず
活躍もない。

あとそもそもタイムトリップものはネタとして「もういい」って感じもするのだがね。
結局、僕のとっては素朴な笑顔が魅力のチェン・ボーリンだけが見所でしたね。
昨日初日で、今日2日目なのだが、お客さんは私が見たときにはお客さんは20人ぐらい。
興行的には難しそうだなあ。



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親指さがし


日時 2006年8月26日14:40〜
場所 k's cinema
監督 熊澤尚人

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沢武(三宅健)は8年前の小学生の時に友達とやった「親指さがし」という親指がなくて
成仏できないでいる子供の親指を捜してあげる心霊遊びをしている最中にいなくなった
由美子のことをずっと気にかけていた。
同窓会で偶然にも同じテーブルに付き、再会したその時一緒に「親指さがし」をしていた仲間たち。
由美子を探すためにもう一度「親指さがし」をして欲しいという武。
やがて仲間の一人が殺される。そしてまた一人・・・
果たしてそれは「呪い」なのか?それとも?


V6の三宅健主演のホラー映画。
私は彼のファンなので、この映画も期待と不安が入り混じっていたのだが、いやいや期待以上の
出来だった。
連続殺人事件には意外な結末が待っている。
実は「呪い」ではなくちゃんと犯人がいるのだが、登場人物たちには「呪い」なのか犯人がいるのか
判然としない。
ネタバレになってしまうので、詳しくは書けないのだが、犯人はいる。

意外でないって言えばそうなのだが、犯人役の俳優のがんばりもあって後半、犯人が解ってからも
見逃せない。
犯人が後半、廃ホテルで斧を持って暴れまわり、登場人物を追い回し、扉を斧でぶち破るあたりは
「シャイニング」の影響か?
若干つじつまが合わない気がするのだが(第一の殺人事件の時のアリバイはあったんじゃなかったけ?
など)このあたりはDVD化されたときにもう一度犯人を知った上で見てみたいものだ。

三宅健、会心の作品。
最近は舞台の役柄もあってモヒカン刈りのような髪型にしてしまっている彼だが、アイドルらしい
きれいな顔立ちで本作は魅せる。
また夏の話で袖なしTシャツから出た腕や、Tシャツの下にうかがわせる筋肉質な体つきが
セクシーさをだし、アイドル映画としての魅力も兼ね備えている。
そして「親指さがし」の「呪い」の秘密を追って映画を引っ張っていく・・・

サイコサスペンスの傑作。
ヒッチッコックの「サイコ」に匹敵する出来、と言っては誉めすぎだろうが、その8割ぐらいは
行ってると思う。
今年のベスト5にいれていい面白さだ。



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拍手する時に去れ


日時 2006年8月19日11:15〜
場所 イイノホール
監督 チャン・ジン
製作 2005年

「シネマコリア2006」で上映)



あるシティホテルの一室で女性の死体が発見された。
現場近くでガソリンを撒こうとしていた男がおり、現行犯で逮捕される。
男が女性を殺した後、9ヶ所刺し、その後火を放とうとしたという事件と最初は思われたが、
ウソ発見器では男は殺そうと部屋に行ったが、すでに女性は死んでいたという供述に
間違いなさそうだという結果になった。
そして解剖の結果、女性は刺殺ではなく、毒殺と判明する。
事件は他の容疑者が現れ、解決したかに見えたのだが・・・・

韓国映画紹介イベント「シネマコリア2006」での上映。
一般公開の予定は今のところないのだが、これは面白かった。
ミステリーとして1級の出来だ。
事件は二転三転し、一旦犯人は捕まる。
それだけでも意外な犯人だったが、さらに逆転が控えている。

あんまり書くとネタバレになるので遠慮するのだが、いやー最後まで目が離せない。

事件発生からテレビが騒ぎ出し、取調べを生中継させるなど、日本と同じワイドショー化し
視聴者がスタジオで自分の推理を言うシーンがあるなど現実の事件のようだ。

またミステリーとしてだけでなく、要所要所に笑のシーンもあり、娯楽映画として非常にいい。
特に被害者とエレベーターで居合わせた日本人への事情聴取のシーンなど面白い。
混乱した通訳が最後には韓国人に対し「すいませんでした」と日本語で謝り、日本人に「帰りましょう」
と韓国語で言っているあたりまで笑いが絶えない。
また最初犯人と思われた男を取調べの待ち時間見張っている警察官が「お願いがあるんですが」
と言って、次のカットでは携帯電話のカメラで二人で写メールをしている。
「どうしても彼女がブログに載せたいって言うもので」
実際にこういうことをしたら懲罰ものだと思うが、今のブログ、ネットブームならありがち
なことなので大笑いをした。
あと笑ったのは監視カメラに不審人物が写っているのだが、それを見た刑事が係員に
「ここを拡大して」「映画みたいに?そんな無理ですよ。そこまではできません」というところ。

これらのシーンは何の伏線でもなく、ストーリー上なくても差し支えないシーンなのだが
それでもやっぱりあるほうが映画の厚みが増す。

被害者の部屋の廊下を写す監視カメラが途中壊れていた。
監視カメラを壊しに行く男が技術室に入っていくのは別の監視カメラが捉えていた。
この男は帽子をかぶって顔がわからない。
でもあることがきっかけでこの男の正体がばれる。
そして・・・・・

今のところ、日本での正式公開の予定はなく、こういったイベントでの上映しかなさそうだが
正式公開の際にはぜひ皆さんにも見ていただきたい。

監督のチャン・ジンは韓国では舞台、映画の演出を手がけ、かなり人気の方だそうだ。
この秋日本公開の「トンマッコルへようこそ」はもともとはこのチャン・ジンの舞台の映画化だそうで。
これから日本での評価もきっと高まることだろう。



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大日本帝国


日時 2006年8月16日
場所 レンタルDVD
監督 舛田利雄
製作 昭和57年(1982年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


昭和16年の太平洋戦争直前の頃から終戦、東京裁判までを描く東映戦争大作。
第1部「シンガポールへの道」第2部「愛は怒涛をこえて」の2部制。
途中で休憩が入る。

この頃は東宝「連合艦隊」東映「二百三高地」などの戦争大作が多く作られた時代だったが、
特にこの映画「大日本帝国」は公開された当時、右翼的だとかなんとか騒がれた。
封切りでもちろん観ているのだが、あまり記憶に残っていない。
記憶に残っていなかった理由は後で書く。
今回、24年ぶりにDVDで再見したのだが、実はなかなか見ごたえのある作品だった。

登場人物たちはこの道しか選べなかったものたちばかり登場する。
主人公の一人、小田島中隊長(三浦友和)は軍人になりたかったわけではなく、東北の貧乏
農家の生まれのため、学校へ行こうとしたら官費で行ける陸軍学校しかなかった。
あおい輝彦の床屋は招集令状によって兵隊になる。もう一人の京都の大学生(篠田三郎)も
いつかは召集されるならと自分から志願して海軍に入る。
東條英樹(丹波哲郎)もアメリカから「ハルノート」という日清日露で得た権益をすべて
放棄しなければならないような要求を突きつけられ、アメリカと戦争するしか方法がなかった
とされる。

このあたりの東條の描き方、後の東京裁判のシーンを見ると、東條を正当化しているかのように
思える。
しかし、実はそんな単純でははないように思う。
大体東條の出演シーンは少なく、合計で20分ぐらいしかないのではないか?

やがて開戦、三浦友和やあおい輝彦はシンガポールを陥落させる。
しかしその戦いも楽ではない、英国軍も抵抗し、3人の兵士が白旗をあげて投降してくる。
そこで佐藤允の兵士が迎えに近づくと英軍兵士は突然銃をだし、日本軍に抵抗する。
佐藤允は死ぬ。戦闘が終わった後、戦友で坊主である小倉一郎が読経しているときに
捕虜になったイギリス軍兵士の列が通りかかる。それを観て小倉一郎は思わず、刀で
イギリス軍兵士を切りつけてしまう。

あおい輝彦は負傷し、一旦は日本に帰る。
そして再び召集がかかったとき、前夜に妻(関根恵子)と体を交わしたにも関わらず、
出発の朝、服を着た途中でズボン脱ぎ、妻に「お前も脱げ」ともう一回交わす。

そして三浦友和たちはサイパン島へ。
サイパンに向う途中でも船は撃沈され、ボートにはまだ乗れるにも関わらず、「軍旗を奉じておるのだ」
とか言って将校たちは兵士を乗せようとしない。
三浦友和の中隊長は自分はボートから降りて部下の兵を救おうとする。
そしてサイパンの激戦。ここは岡本喜八の「沖縄決戦」を髣髴とさせる地獄絵が展開される。
ついに部隊は玉砕。生き残った三浦友和はなんとか生き残った部下を助けようと米軍に投降
することを決意。そしてまず一人で米軍に向うのだが、そこで砂浜で白いボールのようなもので
フットボールごっこを楽しむ米兵を見かける、
しかしそれはボールではなく、日本軍兵士の頭蓋骨だった。
その場にあった米兵の銃を使って米兵を射殺し、自分も射殺される。

篠田三郎も海軍に入り、特攻隊へ。彼とて特攻したくて志願したわけではなく、志願するしか
なかった。南方の基地で特攻を待つ日々のうち、やがて敵に基地を追われる羽目になる。
ごりごりの軍人の西郷輝彦に引かれながら逃亡する日々。そんな中、現地民を殺さなければ
自分達が生きていけなくなる。

登場人物たちはとにかく自分達の好むと好まざるとに関わらず、戦争の狂気に関わっていく。
彼らを見ていると、「ああ自分が戦場にいたら同じになっていたかも知れない」と思う。
右翼とか左翼とか反戦とか好戦とかではない。

東條もまた捕らえられ、裁判で死刑を宣告される。
篠田三郎たちもBC級戦犯として裁かれ、死刑を宣告される。
そして彼らはそれを受け入れる。

右翼とか左翼ではない。
つまり戦争とは人間をこういう風に追い詰めていくものなのだ。
まさしく「戦争と人間」というタイトルのほうがふさわしい映画だ。

そして昭和天皇は(セリフにもあるのだが)「宮城から出ることなく」そのままであった。

脚本の笠原和夫は「あゝ決戦航空隊」で責任を取らなかった天皇を追及した。
また佐藤允のセリフでは「戦争で苦労するのは下のものばかり。上の奴は楽ばかりしちょる」
と言う。
下のものは常に選択肢が残されていない。


ただし映画全体の出来はあまりよろしくない。上映時間は3時間もあり、やはり間延びを感じてしまう。
いくつかのシーンを削除したり、編集でつめれば2時間半ぐらいにはなったと思う。
そうすればもうちょっと面白くなった気がする。その辺が損していると思う。
但しシンガポールのシーンなどエキストラなど多く、今から考えると実に豪華なつくりだ。

欠点は抱えながらも観るべき価値はあるように思う。
少なくとも観て損はしない。



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ハチミツとクローバー


日時 2006年8月15日21:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン6
監督 高田雅博

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竹本(櫻井翔)は美大の3年生。ある日先生と学生の飲み会で天才的な絵の才能の不思議な
女の子はぐみ(蒼井優)に出会い、一目ぼれする。
そんな時、インドを旅行していた美大の8年生森田(伊勢谷友介)が帰国した。
はぐみは森田の作品に触れるうち、彼に惹かれていく。
また竹本の友人の真山(加瀬亮)はバイト先の未亡人理香(西田尚美)にほれていた。
しかし山田あゆみ(関めぐみ)は真山のことが好きだった。


「ハチクロ」と呼ばれて世間では大人気のコミックだそうだ。
コミックは知らないが「全員が片思い」という内容だそうで、何より櫻井翔が主演と聞いて
見に行くことにした。櫻井翔は「木更津キャッツアイ」でもよかったし、今度は主演となれば
興味は出てくる。
見逃してもよかったのだが、まあなんとなく見てみたのだよ。


もともと恋愛ものは体が反応しないのだが、今回もピンとくるものはなかったなあ。
観ていて腹が立つということはなかったが、かといって共感したり出来るものもない。
それだけ若者気質がわからないオジサンになったということなのかな?

そんな中でもいいと思ったのは蒼井優だ。
最近の若手女優の中でははいいなと思っていたが、今回で改めてその魅力を再認識した。
美人とかのそういうアイドル的ではなく、笑顔がとてもいいのだな。
心和ませるものがある笑顔なのだよ。
単なる美形というのとはまた違う不思議な魅力があるのだ。
今日の上映で「バックダンサー」なる映画の予告を見たが、主演の4人はなんとなくメイクで
助けられているよな薄っぺらさを感じるのだ。
ところが蒼井優はそういう表面的ではない、内側から出てくるような魅力を感じるのだ。

将来がホント楽しみになってきたなあ。
日本映画を代表する女優になるかも知れません。
あと先生の花本役の堺雅人。
暖かく主人公たちを見守る大人、という役どころはかつての森本レオを思わせるものがある。
私としてはこれからちょっと注目。



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M:i:V


日時 2006年8月15日16:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン7
監督 J・J・エイブラムス

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IMFのスパイであるピーター・ハントは現場からは離れ、スパイの教官になっており
結婚も決まっていた。
ある日、かつての教え子が敵に捕まりそれを救出に向う。
しかし彼女は何かを伝えようとして死んでしまう。
ハントの元に彼女からはがきが届く。切手の裏にあったマイクロチップにはIMFの
上層部が敵とつながっているというメッセージが入っていた。
救出に向ったときに敵から奪ったPCのメールから「ラビットフット」という名前の
重大兵器がバチカン市国で取引されようとしていた!

タイトルは「エム・アイ・スリー」と読んだほうがいいのか「ミッション・インポッシブル・スリー」と
読んだ方がいいのか?
情報番組などで散々紹介を見させられたこの夏最大の娯楽話題作。
あまり興味はなかったが、評判はいいので観てみた。

でもなあ、基本的にこの映画シリーズは好きでないのだよ。
どうしてもテレビシリーズ「スパイ大作戦」とのつながり、違いを考えてしまう。
端から違うものだと思えばよいのだが、ラロ・シフリンのテーマ曲を聴くとどうしても
気になってしまうのだ。
「スパイ大作戦」の世界観がどんどん崩されてしまっているのだなあ。
単なるトム・クルーズの007の真似シリーズと割り切れればよいのだが。

今回はバチカン市国のシーンなどチームワークの取れた行動で「スパイ大作戦」の趣が
あってまあ満足。
しかし、主人公の私生活がでて結婚話が出てくると「違うなあ」と思っていまう。
うん、でもテレビシリーズとの違いは止めよう。

見所は上海のシーンで近代的なビルに隣のビルから振り子の容量で進入するところ。
あまりに派手すぎて苦笑してしまう。
「お前はスパイダーマンか?」と思わず口にしてしまうそうだ。
なんかちょっと子供っぽい、というかコミックすぎやしないか?
どうも最近のアメコミの映画化ブームで派手さばかり追及する映画になってきた。
もっとこう「緻密な陰謀」という頭脳戦のスパイ映画を観たいのだな、私は。

そして最後は近代的な上海ではなく、いかにもアジア、中国、といった感じの上海も
登場してのアクション。

まあ観てる間は楽しめたが、1週間、いや3日たったら忘れる映画だな。
そういう映画、最近多い気がするが、すでに忘れてしまっている。

(海外物流のDHLの車にこの映画のロゴマークが張ってあってなぜだ?と思っていたが
こういうタイアップがあったのですね。納得しました)



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ユナイテッド93


日時 2006年8月15日14:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン5
監督 ポール・グリーングラス

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2001年9月11日、アメリカのニューアーク空港はいつもの朝を迎えていた。
ユナイテッド航空93便サンフランシスコ行きは朝の空港の渋滞により出発が
30分遅れる。
乗客も乗り込み離陸する。しかしその頃別の空港から飛び立ったアメリカン航空11便が
ハイジャックされたらしいと管制センターに情報が入る。
それから大混乱に陥るアメリカの空港。
NYの世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んだ。
一体何がどうなっているのだ?
混乱に陥る、空軍、管制センター。
ユナテッド93便もハイジャックされた。


記憶に新しい2001年9月11日の朝を描いた映画。これから何本も公開される予定だ。

実に生々しい。
演出はドキュメンタリータッチでドラマらしいものは持ち込まない。
カメラは「その現場」を記録してるかのように捉えていく。
まるで記録されていた映像を編集したかのようだ。
(この演出は基本的には賛成だが、カメラがぶれすぎて観ていて気持ち悪くなる。まるで船酔い
してるかのような気分だ。大画面では観ないほうがいいのかな)
またスターは出演せず、無名の俳優ばかり。それどころか「Himiself」として自身が
自分役で出演しているのも少なくない。

当日の大混乱振りがよくわかる。
管制センターは何が起こったかわっぱりわからない。
レーダーから消えてしまった以上、飛行機の現在位置がわからない。
従ってワールドトレードセンターに激突した飛行機が消息を絶った飛行機だとすぐに結びつかない。

そして空軍にしても大統領に連絡がつかず攻撃か否か決められない。
次々に飛行機はハイジャックされ(普通ハイジャックされれば犯人から声明があるが今回はそれがない。
だからこそハイジャックなのか単に連絡がうまくつかないだけなのかわからず混乱する)
ワールドトレードセンターに2機目が激突し、国防総省にも激突する。

複数の管制センターを中継でつなぐような映像が連続し、現場はただただ大混乱だ。
その時ブッシュは何をしていたか。「華氏911」によると幼稚園を訪問していたらしい。

そしてユナイテッド93便の様子になる。
機内電話で家族と連絡を取った人々は自分達の飛行機も自爆テロに利用されるとわかる。
乗客は力を合わせてハイジャック犯に立ち向かう。

実はこの映画を見る前はこの乗客たちをどう描くかが心配だった。
描きようによっては「テロへの戦争の正当化」になってしまう。
「乗客たちはこれ以上の被害を防ごうと率先して戦ったのだ。ユナイテッド93便の乗客たちの
意思をついで我々もテロに対して戦おう!」という論調で描かれていやしないか心配だったのだ。
これでは93便の乗客たちはプロパガンダにいいように使われてしまう。

しかしこの映画の93便の乗客たちはそんな高尚なことは考えていない。
考えたのはとにかくハイジャック犯から飛行機を取り戻さないと自分たちが死んでしまう、という
単純な、しかしもっとも納得できる動機だ。
国のため、とか正義のため、という以前の「まずは自分達が助かるため」ことに必死だった。
そういう視点で描いたのが何よりうれしい。

政治宣伝のために「国や正義のために93便の乗客は戦った」という映画がこれから出てくるかも
知れない。
しかしこの映画のおかげで後発の映画はそんな主張をしてもうそ臭い。

「911映画」公開第1号がこの映画でよかったと思う。
これ以上「正義」を振りかざして戦争を起こされたらかなわん。



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ピンクナルシス


日時 2006年8月14日21:20〜
場所 シアターN渋谷 
監督 ジェームズ・ビドグッド
製作 1971年(昭和46年)

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ゲイカルチャーの中では伝説的となった美少年幻想映画。
うわさには聞いていたが、今回初めて観た。

観たらびっくりした。
内容云々ではない。それは大抵のものには驚かない。
何しろ今回の上映には「リマスターバージョンで甦る」とある。
チラシや公式HPのスチルは鮮明だから、さぞかしきれいな画質でこの作品を堪能できると
思っていた。
ところが画質は悪い。
まずクリアさがなく、粒子も粗い。しかもフィルムに傷がある。
まったくアングラ映画のままだ。

これでは「美青年の幻想」の世界ではなく、場末のポルノ映画館で見てるような映画だ。
がっかりした。

内容は一人の(ヒップラインが実にぴっちりして下に何も履いていないようなホワイトジーンズ
を履いた)美青年(ボビー・ケンダール)が幻想の中の自分の家に入り、幻想の闘牛を行い
(相手は牛ではなく男)それとカットバックでゲイ同士の出会いの場のトイレのシーンが続く。
そして「千夜一夜物語」風のセットの中で王族のように椅子に座った青年がSMチックなことを
別の男にさせる。
今度は美青年は草むらに寝転がり、葉っぱで自分の乳首やへそをこそこそしてオナニーにふけり、
下半身むき出しの男たちばかりの歓楽街のシーンへとつながっていく。
全体は70年当時のサイケ調の色彩でピンクや青の原色の照明に彩られている。

内容はそんな感じでセリフは一切ない。
イメージ映像が続き、映画にあわない人はすぐ寝るだろう。
しかしボビー・ケンダールという青年は今でも美青年として通用しそうな美しさだ。
但し日本での公開なので美青年の股間にはボカシが入る。
このボカシが余計に場末館が増すのだなあ。

結局オリジナル版を観ないとなんとも言えないな。
一つ言えるのは今回の日本上映版では画質も悪いし、ボカシはあるし、この映画の真価はよくわかりません。



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マッカーサー


日時 2006年8月8日
場所 DVD
監督 ジョセフ・サージェント
製作 1977年

(詳しくはキネ旬データベースで)


あの「マッカーサー」の生涯を描く伝記映画。
映画はアジア太平洋戦争での米軍のコレヒドール撤退から始まり、フィリピン再上陸、
終戦、日本占領、朝鮮戦争までを描く。

戦争映画としても面白くなりそうなのなのだが、これがまるで面白くない。
映画の冒頭「彼は各地で戦ったが、賞賛と批判がある。しかし彼が世界に影響を
与えたことは事実だ」という意味のテロップが現れる。
つまり製作者の意図の混乱がここに見えている。

マッカーサーを肯定的に描くか、否定的に描くか、そのスタンスが定まっていないので
どっちつかずのエピソードの羅列に終始しているのだ。
つまり「コレヒドールから撤退しました、オーストラリアに一時逃れました、『I shall return』と
言いました、ガダルカナル島への補給路を絶ち日本軍を壊滅させました、ニミッツとルーズベルト
はマニラを後回しにして台湾上陸を計画しましたがマッカーサーは反対しました、マニラに
再上陸しました、日本は負けてミズーリで調印しました、日本の占領をしました、朝鮮戦争が
ありました、トルーマン大統領とそりが合わず解任されました」という再現映像の羅列で
映画として面白くない。
マッカーサーを肯定的に描くのか、否定的に描くのか、その辺のスタンスがはっきりしていないから
なんともまあただだらだらと映画は進行するだけだ。
賛否両論のある人らしいからどっちのスタンスでも映画は作れなかったのだろう。

またその上制作費が少ないのか、戦闘シーンもアメリカ映画にしてはチャチでなんとなく
安っぽい。
ほとんど困難といわれたらしい朝鮮戦争の「仁川上陸作戦」もセリフで説明されるだけで
スペクタクル的面白さもまるでない。
この辺が戦争映画としても面白みが少ない。(というかない)

そんな中でも解ったのはマッカーサーという人はゴリゴリの軍人で親父も軍人で、よく「私の
父は・・・」と父親のたとえを出す人、年中、開襟シャツの軍服を着ていてトルーマン大統領から
「失礼なやつだ!」と思われていたこと、(もっとも彼は前線視察を積極的にしたと描かれていたから
「心は常に最前線」という現場感覚のある司令官だったと解釈も出来るのだが)などなど。

日本占領のシーンでは日本人にとっては有名な昭和天皇とのツーショット写真を撮影するシーンは
でてこない。
幣原首相が新憲法作成に当って「日本は不戦の誓いを立てた証に新憲法に『戦争放棄』の条項を
加えてほしい」と懇願してきたシーンが出てくる。
おいおい、ホントかよ!?

この映画が出来た頃は「遠すぎた橋」とかあって「第二次世界大戦映画」の最後の方だったわけだが
もうネタもやる気もなかったんだろうな。
だったら無理して作らなければいいだろうに。



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若い獣


日時 2006年8月6日10:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 石原慎太郎
製作 昭和33年

(詳しくはキネ旬データベースで)


あるボクシングの試合会場。新たなチャンピョン(佐藤允)が生まれたその会場に
牛乳瓶の底のようなメガネをかけた頭のちょっと足りなさそうな若い男(久保明)
が紛れ込んでくる。
その男、宮内進は実はかつては将来を嘱望されたボクサーだった。
彼はかつて所属していたジムの会長(河津清三郎)を訪ねてきたのだった。

現・東京都知事の石原慎太郎初監督作品。
昭和31年には「太陽の季節」で芥川賞を受賞、弟の裕次郎は映画スターに。
また昭和32年には慎太郎自身が鈴木英夫監督「危険な英雄」に映画主演をしている。
この頃は政治よりも映画にかなり関心があったようだ。

この映画の監督するにあたって、東宝としては時代の寵児の慎太郎に監督をさせ
話題づくりをしようとしたのだが、既存の助監督から猛反発をくらう。
今じゃ歌手とか作家とか映画シロートが映画の監督をするのは、珍しくないが
当時はそんな時代じゃなかったのだろう。
監督昇進を待つ多くの助監督達から「素人に監督をさせて何故俺達に監督をさせない」
とすったもんだあったそうだ。
(この辺の経緯は金子正且へのインタビュー本「その場所に映画ありて」に詳しい)

この映画の存在は知っていたのだが、上映される機会が少ない。
うわさによると慎太郎はこの映画について話題にされるのを嫌がっているとか。
「きっとひどい出来なんだろうな」と思って見に行ったが、そんなことはない、
なかなかの力作だった。
後の石原慎太郎と切り離して考えて、一人の新人監督作品だと思ってみれば、なかなか見所が
ありそうな感じさえするのだ。

映画は回想となって、進が染物の絵師であったがボクシングを始めてやがてそれにのめりこんで
行く様子が描かれる。

かつてはボクサーで、ボクシングが原因で足を悪くしている父(東野英治郎)は最初は
「チャンピョンになれるのはほんの一部の人間だけだ。誰だってチャンピョンを夢見るが
ほとんどのものはろくな人生を歩まない。俺を見ろ」といってボクシングを諦めさせようとする。
しかし進はその忠告に耳を貸さない。
現在の進を見れば進は父が言ったとおりの人生を歩むことになるのだが。

進は絵のほうも才能があったが、ボクシングとは両立できるはずもなく、二者択一を迫られボクシング
を選ぶ。
そして進には幼馴染の婚約者(団玲子)がいる。この団玲子の母は病弱で進が何かと金銭的にも
助けていたのだが、絵のほうを絶ったためにその助けが出来なくなる。
やがて団玲子は会長のお気に入りのマダム(新玉美千代)の店でホステスとして働くようになり
その派手な生活が楽しくなり会長の女になってしまう。

会長と団玲子の仲をマダムから聞き及んで団玲子に問いただす進だが、うまく言いくめられ、
会長にも言いくるめられてしまう。
このあたりの団玲子のクールな裏切りはその容貌とは逆の悪女もうまかった団玲子の見せ場だ。

やがて進は頭角を現す。しかし体重が増えてしまい、今までのフェザー級では体重制限にどうしても
引っかかってしまう。
一段上のライト級にランク代えをトレーナー(浜村純)も進も会長に頼むが「ライト級にはうちの
ジムにはすでに別の選手がいる。同じランクに二人の選手を持つのは無駄だ。いいか、ボクシングは
スポーツであると同時に商売なんだ!」と言い放つ。

このあたりは現代にも通じる論理だ。
そして無理な減量で体力を失った進は最後の試合で相手から滅多打ちにされ、パンチドランカーに
なってしまう。
実はこの映画のラストの試合の手前で現在に戻り、佐藤允の試合後、進がボーイをしている新玉美千代
の店で祝勝会が開かれる。
この辺が急にセリフで説明する部分が多くなり、佐藤允のトレーナー(桐野洋雄)の回想という
形で最後の試合は語られる。
その祝勝会で歌う歌手のマイクのコードに、目が悪い進は足を絡めてしまって転んでしまう。
飛び散るグラス。

少し記憶の戻った進は会長に向かって「返してくれ!」と叫ぶ。

青春の野望とその転落を描いた見所のある映画だった。
確かに(特に後半)セリフでの説明が多くなり、映画の表現としてはイマイチなのだが、それにしても
野望に燃える青年がやがて転落していくストーリーを石原慎太郎が作っていたというのは興味深い。
結果的にはラストで「俺は違う!絶対にチャンピョンになってやる!」と叫ぶ佐藤允に慎太郎自身は
なっていくのだが、若い慎太郎は自分が進になる不安を感じていたのだろうか?

石原慎太郎自身、案外この映画は照れくさいのかも知れない。
だからこの映画に触れられるのを嫌がるのだろうか?(うわさがホントだとすればだ)
しかし、いつも強気な発言をする慎太郎だが、こういう弱い面を見て僕の中でのイメージが
ちょっと変わった気がした。

(そうそう進の最初の試合のレフリー役で慎太郎自身が特別出演していた。
あと夏木陽介がジムの練習生役でセリフはないが、ちょこちょこ映っていた))



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