2006年10月

シュガー&スパイス
風味絶佳
鋼鉄の巨人
<スーパージャイアンツ>
地球滅亡寸前
鋼鉄の巨人
<スーパージャイアンツ>
怪星人の魔城
太陽の傷
危険な英雄 出口のない海 グエムル〜
漢江(ハンガン)の怪物
ワイルドスピードX3
TOKYO DRIFT
ウルトラマンメビウス
&ウルトラ4兄弟
九十九本目の生娘 禁断の惑星 サラリーマン目白三平
亭主のためいきの巻
大番頭小番頭 マックス!!!
鳥人死闘篇
ラフ ROUGH 東京フレンズ
The Movie
マスター・オブ・サンダー
決戦!!封魔竜虎伝
46億年の恋 第三次世界大戦
四十一時間の恐怖
ディア・ピョンヤン

シュガー&スパイス 風味絶佳


日時 2006年9月30日
場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン1
監督 中江功

(公式HPへ)



志郎(柳楽優弥)は高校を卒業後、大学に行かないでガソリンスタンドで
バイトを始めた。そんな時、新しいバイトの女子大生(沢尻エリカ)と出会う。
彼女は以前、雨の夜に男と喧嘩しているところを見たことがある子だった。
彼女に一目ぼれする志郎。二人はやがて付き合いだし、彼女は「志郎くんが19歳に
なったら一緒暮らそう」とまで約束してくれた。
バイト仲間とクリスマスパーティの夜、志郎は彼女のためにクリスマスプレゼントを
用意していたのだが・・・・・


柳楽優弥、主演3作目。
こういっては何だが、ようやく演技めいたものをするようになってきた。
今までは「作った演技をしている」というより、「彼が行動している」という
趣が強かった。これは批判しているのでない。
彼はその場にいるだけでもなんとなく様になる「存在感」を持っている。
その存在感で押し切ってきたように思う。
しかし今度は演技をしてきた。それだけ幅が広がったと私は喜んでいるのだ。

バイト入った沢尻エリカにロッカーの説明をするシーンで、志郎の好きなLPの曲の話題で
彼女にどう接したらいいか戸惑い、つい歌ってしまうシーン、「志郎くんの
こと好きだよ」と言われて「今好きって言った?」と思わず聞き返してしまう、
続いて「迷惑?」と聞かれて「ううん」と首を小刻みに振るカット、
いやー、好きな女性との接し方に戸惑う表情がたまらないのだ。

二人の仲は進展する。
しかし、彼女には過去に付き合ったしかし別れた男がいて結局また復縁してしまう。
つくづくいやな女だ。
しかもその相手というのが親は金持ちで慶応医学部で車はBMWという、いかにも
ステレオタイプなのが、(映画の表現として)やや苦笑する。
結局は金なんだろうな、この女も。
ディオールのブランド品のバックなんか使っていたし、そういう金持ちが好きなんだろう。
志郎くんはちょっとつまみ食いしてみただけのおもちゃなんだろう。
ああ、いやな女だ!全く腹が立つ!

志郎くん、そんな女早く忘れなよ。
君ぐらいの優しさとルックスがあれば、もっといい女にもめぐり合えるさ、絶対。
そんな風に声をかけてやりたくなる。

映画としては後半、彼女がクリスマスパーティに来なかっただけで充分で、その後の
別れの手紙をおいていって自転車で追いかけるシーンは不要ではないか?
手紙に何か二人の仲の復活を期待させるものがあれば追いかけるのもいいが、
ただ「約束を守れなくてごめんなさい」だもの。
2回も別れを言わなくてもわかる。
多分、志郎が自転車で走るという感情の爆発のシーンが欲しかったのだとは思うが、
構成としてはややもたつく。

共演では志郎にアドバイスするグランマ役の夏木マリがいい。
当然、実年齢よりは老け役だと思うが、二人の関係は「男はつらいよ」における
寅次郎と満男のごとく、絶妙の師弟関係(といっていいのか)だった。
グランマの恋人、マイクにはチェン・ボーリン。やはり日本語のセリフは
たどたどしく、彼のよさが発揮し切れなかった気がする。

ガソリンスタンドが60年代アメリカ風だったり、スタンドの制服がまっ黄色で
ガソリンスタンド全体の色使いがパステルカラーで、ややつくり過ぎな感じが
しないでもないが、フジテレビらしいともいえるし、恋愛ドラマなのだから
こういう「ありえなさ」もありなのかも。

あと、タイトルにもなった「森永キャラメル」ね。
久々に買ってみましたが、昔と変わらぬ味わいにまた時々買ってしまいそうです。

とにかく柳楽優弥もまた一歩成長した。
映画自体は恋愛映画でイマイチ私の趣味でないのだが、柳楽優弥の成長を見ることが
出来て、それは充分満足した。



(このページのトップへ)




鋼鉄の巨人<スーパージャイアンツ> 怪星人の魔城
鋼鉄の巨人<スーパージャイアンツ> 地球滅亡寸前


日時 2006年9月24日15:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 石井輝男
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)「怪星人の魔城」
(詳しくはキネ旬データベースで)「地球滅亡寸前」

地球を侵略せんとする月の裏側にある惑星、カピア星人とスーパージャイアンツの
戦いを描く。

各地で空飛ぶ円盤が目撃される事件が多発する。
それと同時に日本脳炎のような症状のナゾの病気も多発していた。
科学者たちは対策会議を開いたが、容易に結論はでない。
しかし、その科学者の一人が怪人に襲われる事件が起こった。
その怪人は、宇宙からやってきたカピア星人だった!


「鋼鉄の巨人」と書いて<スーパージャイアンツ>と読む、宇津井健主演のヒーローもの。
1話約40分の2話で構成され、今回の「怪星人の魔城」「地球滅亡寸前」の2本はそれぞれ
独立した作品ではなく、カピア星人編の前編後編だ。

この映画、数年前、チャンネルNECOで放送されたときに見ていた。
確か<スーパージャイアンツ>1〜4話までそのときは見た覚えがあるが、あまりのつまらなさに
その後の作品を見なかった覚えがある。
そしてこの作品もタイトルは忘れていて、橋の上でカピア星人とスーパージャイアンツが
最初に対決するシーンだけなんとなく覚えていた。

なぜつまらないかというと・・・
よくスーパージャイアンツの股間がもっこリしている、などと揶揄されるが、それ以上に
お腹がでっぷりしてるぞ。
なんだか体型がずんぐりむっくりで、アメリカのスーパーマンのようなたくましさの
かっこよさがまるでない。
そもそもこの「スーパジャイアンツ」自体がスーパーマンと月光仮面を合体したような
コスチュームだが見た目が悪いのだなあ。当時の日本人なら仕方なかったのかも知れないが。

またスーパージャイアンツは主人公だが、出演時間は少ない。
科学者の博士やその子供たちがなにやら、わさわさと活躍して危機に陥ったとき、
突然都合よく現れる。いわゆる変身していないときのドラマというものが
まるでなく、基本的にドラマつくりが間違っていたのではないか。
(一応コスチューム以外の時の背広姿もあるが、ほとんどない)

そしてお話の方も10分か15分単位で小さな山があるのだが、映画全体としての緩急の
山がなく、1話10分の連続活劇をまとめて見させられたような、構成の悪さを感じる。

前半のクライマックスでナゾの病気にかかったものは、ほとんどが山野ホールに行って
いることがわかり、博士たちが山野ホールに行ってみると、謎の舞踏団が人間業とは
思えない、体の動きをする舞踏をしている。
実は彼らはカピア星人だった!という話なのだが、なぜ舞踏団に変装しているのか
さっぱりわからないまま、やってきたスーパージャイアンツと対決する。
なんだかよくわからない展開だが、一方では子供たちが疎開しておりその子供たちが
カピア星人にさらわれて、スーパージャイアンツに助けを求める合図を送ると
スーパージャイアンツは舞踏団はほっておいて、子供たちを助けに向かう。
ここで前編は終了だった。

そして後編になってその後いろいろあって結局は勝つ。

つまらない理由だが、スーパージャイアンツの特徴がよくわからない。
特殊能力がはっきりしていれば、その能力を敵に封じ込められてしまい、ピンチになったところで
人間に助けてもらうとか、普段は背広姿で活躍し、いざとなったら変身するのだが、
何かの事情で変身できない、といったような危機に陥ることがないのだな。
その辺、基本設定が何にもないから魅力が乏しいのだろう。

そういうヒーローもののセオリーというか考えられていない、小手先で作ったヒーローもの
だから、主演が宇津井健でなかったらとっくに忘れられていたかも知れない。

あと「カピア星は月の裏側にある惑星」とスーパージャイアンツが言ってたけど
「月の裏側にある惑星」って何だよ?

このシリーズ、もう少しは見てもいいが、全部は見る気がしないなあ。



(このページのトップへ)




太陽の傷


日時 2006年9月17日21:00〜
場所 ユーロスペース2
監督 三池崇史

(公式HPへ)


平凡なサラリーマンの片山(哀川翔)はある日帰宅途中に家の最寄の駅の路地で
少年たちが浮浪者を暴行しているのを止めに入り、少年達を殴ってしまう。
駆けつけた警察では少年達を殴りすぎたと言われ、過剰防衛を問われそうになる。
その晩は何とかなった片山だが、少年たちのリーダーから逆恨みを受け、5歳の娘が
殺されてしまう。
しかしマスコミは彼を養護するどころかその前に少年たちに暴力を振るった片山が
悪いと非難する。妻はノイローゼになり自殺。
3年後、片山は土地を変えてやり直すが、かつての事件の犯人の少年が1年8ヶ月で
仮釈放されていることを知る。しかもかつての街に戻っているらしいのだ。
復讐が目的ではない、しかしあの少年が更生しているかどうか気になって仕方ない
片山はかつての町に戻ってくる。

近年未成年による殺人事件が増えている中、娘を少年に殺された男の残酷なストーリー。
映画を観ている最中、主人公の理不尽な運命に終始怒りの緊張感が走る。
その主人公を演じる哀川翔がよい。

復讐が目的ではない。
彼が本当に更生したかを自分で確認したかっただけなのだが、回りは少年の更生を
理由に許さない。
警察も法律や少年の更生を理由に自分の味方にはなってくれない。
弁護士役の宅間伸が実に憎憎しく演じる。またテキトーにしか報道しないマスコミ。

ラストの対決も復讐を成し遂げたヒーローのような爽快感はない。
片山は妹の恋人となった刑事に電話をする。
「妹を頼む」
真実は伝えられることなく、片山は恨みに任せて少年を殺した凶悪犯としてマスコミに
もてあそばれることが想像される。

「少年犯罪をもっと厳罰化しろ!」などと単純に言うつもりはない。
しかし片山の運命はあまりにも残酷すぎる。
これが法律の限界か。

後半、少年たちがインターネットで拳銃を手に入れてからの展開がやや単なる
バイオレンスドラマになっていく感じがしないでもないのだが、前半の平凡な市民から
少年犯罪事件に巻き込まれていく様は、自分自身にも起こりえる事件として
非常に怖かった。
モノトーンに近い、カラーを抑えた色調が美しい。
今まで見た三池作品では一番好きだ。


出演は保護監察官に佐藤愛子、片山に協力する友人に勝野洋、出所した少年を引き受ける
サーフボード工房のオーナーに(僕にとっては久しぶりの)風間トオル、などなど。
また少年犯神木の森本慧(サトシ)が中世的な声と外見で恐怖をあおる。
その神木を慕う少年に冨浦智嗣。デビュー当時の滝沢秀明に似た容貌だが、その少年らしさ
とは対極にある行動が、嫌悪感に似た恐怖を誘っていた。



(このページのトップへ)




危険な英雄


日時 2006年9月17日15:00〜
場所 シネマアートン下北沢
監督 鈴木英夫
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)



週刊誌にある大企業の一家が紹介された。その週刊誌の写真と下校中の子供を
見比べる中年男。
そう、男は誘拐犯だった。
隠密に捜査を開始する警察。しかし新聞記者(石原慎太郎、仲代達矢)は気づく。
警察や家族の心配をよそに新聞記者のスクープ合戦が始まる!

現東京都知事・石原慎太郎の主演映画。
もちろん「太陽の季節」の芥川賞受賞後で、監督作品「若い獣」より前だ。
(ちなみにこの頃は現在のような誘拐事件に関しては警察との間に報道協定は
なかったらしい)

鈴木作品では「非情都市」という同じく新聞記者のスクープの映画があるが、
こちらのほうが誘拐事件を題材にしている分サスペンスフル。
新聞記者の行き過ぎた報道が子供の命を奪いやしないかとハラハラする。

犯人は?子供の命は?という縦糸を軸にして、「報道の自由」「知る権利」を盾に
若き新聞記者の慎太郎は動き回る。
誘拐された子供の姉(司葉子)の手記はとってくる。しかし編集長から「サインがない」
と言われれば、社の女の子にニセのサインを書いてもらって当たり前のように新聞に掲載する。
また犯人のモンタージュ写真を警察のデスクから盗み見して写真に撮ってきてしまう。

慎太郎の新聞記者は誘拐された子供が好きな野球選手(三船敏郎)に、犯人に向って
テレビで子供を解放するよう訴えかけさせる段取りをする。
そして犯人が潜伏してると思われる地区の販売店に犯人のモンタージュ写真を配り、警察より
先に犯人にたどり着こうとさえする。

なりふり構わず、自分なりの信念を貫こうとする(わがままな)姿は後の石原氏にも
ダブって見える。

こんななりふり構わぬ目立つことばかりを優先させた報道の結果とは?
予想していた通りの結末と言えるが、ラスト、子供の姉は慎太郎記者にビンタを
食らわせる。
後の「その場所に女ありて」に通じるシーンだ。

サスペンス映画としても一級の面白さ。
肝心の慎太郎の演技だが、うまくはない。しかし同時代には同じ程度の若手俳優は他にもいたよ。
映画をぶち壊すほどではない。
鈴木監督作品のサスペンス映画として充分面白かった。



(このページのトップへ)




出口のない海


日時 2006年9月16日21:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン8
監督 佐々部清

(公式HPへ)


昭和20年、人間魚雷回天の搭乗員となった並木は他の回天搭乗員達と共に
潜水艦で索敵中だった。しかし、駆逐艦に発見され攻撃を受ける。
このまま出撃もせずに撃沈されたのではたまらない。
映画はやがて並木が回天に乗り込むに至った過程が語れられていく。


ゼロ戦による特攻の次に有名な「人間魚雷回天」を描く戦争作品。
期待以上の点もあったが、全体としてイマイチ。

予告などでは語られなかったが、映画は回天についてかなり説明する。
回天の操縦方法の難しさなどが、構造の講義、木製の模擬運転席を使っての講習で
克明に描かれる。
松林宗恵監督の「人間魚雷回天」を観ているので多少の知識はあったが、それにしても
回天の操縦があんなに複雑とは知らなかった。
また「イルカ」と呼ばれる上下の蛇行なども起こるなど初めて知る知識で驚く。
エンジンの始動も難しく、ただ前に突っ込んでいったんではないんですね。
この講義のシーンや初めての操縦訓練のシーンは実によかった。
このあたりは予告にも使ってもっと前面に出した方がよかったのではないか?

そしてイ号潜水艦のセットの素晴らしさ。
壁面の金属感も見事に作りこまれ、「ローレライ」以上の素晴らしさだ。
暖色系の画面が美しい。

また潜水艦館長の香川照之がよい。
中国映画「鬼が来た!」の兵士役もよかったが、今日本で一番軍人役が似合う役者だと思う。

でよくなかった点だが、相変わらずの日本の戦争映画のワンパターンぶり。
「六大学野球の夢を捨てた」とか「恋人との別れ」とか戦争映画として見飽きたシーンの連続。
いい加減に他の視点から描くことは出来んのか!!
こっちが戦争映画を見慣れたせいかも知れないが、せっかくの「回天」の詳しい説明も
このありきたりのシーンの連続で一気に映画に対するボルテージは下がってしまう。
大体恋人のいなかった特攻兵だって多かったんじゃないか?
そういう意味では女郎屋に行く「肉弾」の寺田農のほうが共感が持てる。

また最後に敵と交戦することなく死んでしまった主人公の説明をナレーションで説明するには
簡単すぎる。
その後の遺書が見つかるシーンのほうが重要だからと言うのも解るが、あっさりしすぎ。
映画を観ているとちょっとガクッとくる。
また出撃できなかった伊勢谷由介や伊崎充則がどうなったかも(簡単でもよいから)
教えて欲しかった。
それと最後に現代のシーンも要らないよ。

出演は潜水艦の航海長で田中実、教官役で高橋和也、永島敏行、主人公の両親役で小手川祐子
三浦友和。
「連合艦隊」では恋人役だった小手川祐子と永島敏行の共演(画面で一緒になることはない)
が懐かしい。

名作になる要素はあったのだが、従来の「泣かせの戦争映画」のパターンから抜け出せなかった
ために失敗した。
惜しい映画だった。



(このページのトップへ)




グエムル〜漢江(ハンガン)の怪物


日時 2006年9月16日17:20〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン6
監督 ポン・ジュノ

(公式HPへ)


今から数年前、在韓米軍の医者は「瓶にホコリが積もった」というだけの理由で
その瓶の薬品を下水に流し、瓶を処分するように命じる。
ソウルの昼下がり、漢江のほとりでは人々が休日を楽しんでいた。
そんな時、突然、巨大な魚に足が生えたような怪物・グエムルが出現する。
それは人を食いちぎりだす。
河川敷で売店を営むパク一家の末娘はグエムルに連れ去られてしまう。

話題の韓国の怪獣映画。
まずは化学薬品を川に流したら、その薬品のせいで動物が突然変異して怪獣に
なるという、怪獣映画「お決まり」の設定がよい。

しかし映画はその娘をさらわれた家族を中心に怪獣にさらわれた一人娘を
救い出す様を描く。
やや軍隊が活躍しなさすぎ(映画に描かれない、と言うだけでなく
テレビなどのマスコミにも怪獣を捜索する軍隊が出てこない)という点が
ちょっと気になるが、怪獣映画を家族の視点で捉えたのは面白い。

スピルバーグの「宇宙戦争」に影響を受けたわけでなく、同時代に同じような映画が
出来てしまうのは興味深い。
また全体的に怪獣映画のセオリーを踏襲しつつ、微妙にはずすというきわどいことをやりぬける。
この「踏襲しつつ、微妙にはずす」と言うのが実にさじ加減が難しい。
はずしすぎると「ゴジラ・ファイナルウォーズ」になってしまうから。

主人公達は銃でグエムルに立ち向かい、ラストは火炎瓶で戦う。
いいねえ、日本では死語になった「火炎瓶」だが、韓国ではまだまだ現役なのか。
ラスト、火炎瓶の攻撃が失敗に終わった、と思わせてアーチェリーで決めるのは
怪獣映画ならではのカタルシス。
でもねえ、ラストで娘が死んでしまう、っていうのはルールをはずしすぎではないだろうか。

それと全体的にやや長い。
もう少し刈込んだら私はもっと好きになったのだが。

米軍が「グエムルはウイルスを持っている」と発表したが、実はなかったという展開。
この「よく調べたら実はなかった」って言うのは現実のイラク戦争へのアイロニーだろうか?
それは少しうがった見かたかも知れないが、韓国のカード破産者問題や大学出の就職難などの
問題をさりげなく織り込んでいるところを見ると、あながち的外れでもないかも知れない。



(このページのトップへ)




ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT


日時 2006年9月16日14:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン3
監督 ジャスティン・リン

(公式HPへ)


高校生のショーンは金持ちの同級生の挑発にのり、オンボロのモンテカルロで
建設現場でレースを行い、事故を起こし警察沙汰に。
少年院に行くよりは、と離婚した軍人の父を頼って日本に。
日本の高校に通いだしたショーンだが、「類は友を呼ぶ」とばかりに
走り屋たちの仲間になっていく。

東京を舞台にしたハリウッドカーアクション。
この映画は(たとえワンシーンとはいえ)妻夫木聡が出てるから。
このシリーズは今まで見ていないのだが、私は日本を舞台にした外国映画はそれだけで
見る人なので、見てみた。

はっきり言って映画に乗れなかった。
まずは主人公がアホだ。
悪い奴の挑発にのってホイホイとレースを行うなんてまず馬鹿だ。
その辺からこの映画は乗れないのである。
主人公はもうちょっと頭がよくて(勉強ができると言う意味ではない)観客に
「さすが!」と言わせる点がなくちゃあ。
「頭文字D」は主人公は挑発にのって自分から進んでレースに出たりしない。
「俺は別にレースなんて興味ないんだけど」というスタンスが馬鹿になっていなくて
よかったのだ。

ドリフトシーンはカットを割りすぎためか「弧を描く美しさ」が感じられない。
ハリウッドの編集でずたずたにされたか。

まあそんな感じでまずこの映画は気に入らないのだが、詰襟学生服の高校生、上履き、
ガード下のパチンコ屋、銭湯、立体駐車場(アメリカにはあれはないらしい。以前、
会ったアメリカ人は立体駐車場を見て驚いていた)、などなどアメリカ映画らしい、
しかし間違ってはいない日本描写が楽しい。

それにしてもラストが山道のカーブでのレースになるとは、もろに「頭文字D」の
ハリウッドリメイクになってましたなあ。

ゲスト出演は妻夫木の他にKONISHIKI、柴田理恵、レーサーの土屋圭市など。
千葉真一がヤクザの親分役で出演してましたな。



(このページのトップへ)




ウルトラマンメビウス&ウルトラ4兄弟


日時 2006年9月16日12:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン5
監督 小中和哉

(公式HPへ)


20年前、強大な宇宙人、Uキラーザウルスを迎え撃ったウルトラ兄弟は
自らの変身能力を失うことを覚悟で自分達の光エネルギーを使って神戸沖に
Uキラーザウルスを封印する。
そしてウルトラ兄弟は人間になってそれぞれ市民となって生活していた。
そんな時、GUYSの隊員でウルトラマンメビウスのヒビノ・ミライ
(五十嵐隼士)は神戸に不安なものを感じ、調査にやってくる。
しかしその頃、宇宙人連合は自分達の力を合わせ、地球侵略を計画していた!


ウルトラマン誕生40周年記念作品。
今回は今放送中の「ウルトラマンメビウス」を元にしているものの、神戸に
やってくるのは主人公ヒビノ・ミライだけで、あとの隊員達は応援に駆けつけた
ところ、後半の怪獣決戦の間は神戸に怪獣達によってシールドが張られ、
入れない設定。
従って他の隊員たちはほとんど活躍がない。

敵となる宇宙人連合がザラブ星人やガッツ星人などのかつての「マン」「セブン」に
登場した敵星人で、「ニセウルトラマン登場」(ザラブ星人)とか十字架に貼り付ける
(ガッツ星人)とかかつての侵略方法を使っている点がオールドファンには楽しい。

いや、そもそもウルトラ兄弟の地球での姿を黒部進(ウルトラマン)森次晃嗣(ウルトラセブン)
団時朗(帰ってきたウルトラマン)高峰圭二(ウルトラマンエース)らが演じているのが
何より楽しい。
カメオ出演的にワンカットのみの出演かと思ったら、主演級なのでびっくりした。
とにかくこの4人が年老いながらもウルトラマンに変身するのだから、ただただ楽しい。
涙が出る(そこまでは行かないか)。

またザラブ星人が女性海洋学者ジングウジ・アヤを誘拐するシーンでは「ウルトラQ」の
サントラが使われている。ここまできたら、セリフ一つでいいから佐原健二や西條康彦も
出演して欲しかった。
(僕にとっては「ウルトラQ」と「ウルトラマン」はつながっているのだが、「ヒーローがいない」
と言うことで「ウルトラQ」はウルトラシリーズに入れてもらいないらしい)

ヒビノ・ミライ役の五十嵐隼士の明るい美青年もよいのだが、このオールド・ウルトラ兄弟が
元気に活躍するのが楽しかった。
40周年にふさわしい作品になったんじゃないだろうか。

(この映画の主題歌を歌う「KIYOSHI」(氷川きよし)もワンカットゲスト出演していましたね)



(このページのトップへ)




九十九本目の生娘


日時 2006年9月13日20:45〜
場所 シネヴェーラ渋谷
監督 曲谷守平
製作 昭和34年(1959年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


東北のある山村。ここでキャバレーのホステス二人を誘って山に出かけた男女4人
の一行のうち、2人の女性が行方不明になった。
残った男たちは、前から自分達を見張っていた怪しい婆さんを捕まえるが
村の駐在所に連れてきたところで逃げられてしまう。
警察に話しても真剣に取り合ってくれない。
しかし若い警官(菅原文太)だけは心に引っかかるものがあった。
村では近く神社で祭りがあるのだが、不思議な祭りで神社に神々が降りてくるので
宮司は神社を離れ、村の家々は雨戸を締めて一晩を過ごすのだと言う。
その祭りの真実の姿とは?
それは神社で山奥の部落の人々が若い娘の生血を使って刀を作ると言う妖しい儀式だった!


「封印された映画」とうわさは聞いていたのだが今回初めて観た。
でもそんなにすごい映画ではない。そもそも映画自体面白くないよ。
どうも部落が登場するから「部落差別になる」という理由でソフト化がされないらしい。
しかし「ノストラダムスの大予言」のように完全に封印された映画ではなく、事実こうして
(しかもきれいなプリントで)上映されている。

要は新東宝らしいエログロ(そして話はテキトー)路線の一本で、いろいろ突っ込みたくなる所
満載なので、それを楽しむのも楽しみ方の一つ。
(三原葉子を殺しておいて「いかん、この女は生娘ではない。失敗だ」と言うところとか、
ラストの警官隊の突入で「威嚇射撃だ」と言っておきながら、いつの間にか西部警察もびっくりの
銃撃戦になっているところとか)

しかし思うにこの映画の作られた昭和34年という頃は近代化していく日本と古い因習の残る日本が
せめぎあう時代ではなかったか。
今のケータイやGPSまである時代ではこんな話は成り立たない。
皇室には初めて民間から皇太子妃を向え、東京タワーが建ち、テレビ放送も始まっており、
東京オリンピックに向って東京は大工事中、時速250キロの新幹線も作っている頃だ。

一方では(多少、デフォルメされているにしても)こんな儀式まではないにしても「山奥の部落」
はまだ多少は存在したろう。
部落の人々は弓矢や刀で警官隊に立ち向かい、毛皮の服を着ている。
かたや警官隊はヘリコプターで捜索し、拳銃、ライフル、機関銃もどきまで装備している。

多分作者達は意図しなかったと思うが、「古い日本」が「新しい日本」に飲み込まれていく
時代の空気を繁栄している映画に思えてならない。
そういう意味では見る価値のある映画だ。



(このページのトップへ)





禁断の惑星


日時 2006年9月10日
場所 DVD
監督 フレッド・M・ウイルコックス
製作 1956年(昭和31年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


22世紀初め。円盤型の地球の宇宙船は第4アルテア惑星に到着する。
アダムス船長達の目的は、20年前にこの惑星に到達して消息をたった宇宙船の
乗組員達を救出することだった。
第4アルテアには言語学者だったモービアス博士だけが生き残っていた。
だがモービアスはアダムス船長達を歓迎せず、地球に帰れという。
惑星に降り立つとそこには優秀なロボット、ロビーとモービアス博士の美しい娘がいた。
やがてアダムス船長達の船に侵入者がやってくる。
しかし姿は見せない。そして乗員が徐々に襲われ、死んでいく。


有名なロボットのロビーが登場する映画として有名。
実際このロビーはこの映画だけではなく、「宇宙家族ロビンソン」や「刑事コロンボ」にも
ゲスト出演するほどの人気者だ。
「スターウォーズ」のR2D2やC3POが登場するまで、ロボットといえば「宇宙家族〜」の
フライデーかこのロビーだった。

しかしロビーは主役ではなく、単なるキャラクターに過ぎない。
この映画は人間の「文明の行き着くところ」を考えさせる非常に深いところにテーマが
ある作品だと思う。
その「侵入者」は画面には登場せず、透明生物として映画では描かれる。
ここで姿が現れれば、モンスターという別のキャラクターが生まれて楽しかった気がしないでもない。
しかし、この姿なき侵入者、の正体がこの映画の肝なのだ。

未見の方のためにここで記すのはとめておく。

文明というものは人間が体を使うことなく、機械や道具に仕事をさせていくことだ。
それが究極の域にまで達し、人間が体を動かすことなく、自分の思うことが出来るようになったら
どうなるか?
私はこの映画を最初に見たのはまだ10代の頃だったと思うが、「人間というものは結局は『憎しみ』
の感情から逃れられないものだ」ということをこの映画に感じた記憶がある。

多分戦争映画などを観て「戦争」について考えていた時期だったのだろう。
どんなに文明が発達しても「憎しみ」の感情の呪縛から抜けられない限り、文明は破滅する運命に
あるという壮大なテーマを扱った作品だ。
製作当時の冷戦下の時代ではいっそうその思いが強かったに違いない。

確かに今見るとテンポは遅くてややだるい。
起こる事件もそれほど派手ではない。
SFメカとしてはロビーぐらいしか印象に残らない。

しかしこの映画は「文明の行き着く果てはどうなるのか?」という壮大テーマを描いた志の高い
映画だと思う。
だから私はこの映画が忘れることが出来ないのだ。



(このページのトップへ)




サラリーマン目白三平 亭主のためいきの巻


日時 2006年9月9日19:00〜
場所 シネマアートン下北沢
監督 鈴木英夫
製作 昭和35年(1960年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


目白三平(笠智衆)は国鉄の福祉課に勤め社内報の編集という地味な仕事をしている男。
革靴がぼろぼろになっても妻(望月優子)からは「雨の日は水溜りを避けて歩けば」といわれてしまう。
その上、下戸なのに会社の親睦会では酒も飲まないのにしっかり会費だけは取られ、
しかも酔っ払った上司をタクシーで送らなければならない。
妻にしても亭主の給料は安く毎日毎日が同じことの繰り返しだ。
お互い飽き飽きした日々だったが、ある日、遠縁の若い娘(水野久美)が目白三平を頼って
東京に出てくる。


この文章を書いているのはこの映画をみて1週間経ってからなのだが、妙に心に引っかかって
離れない。
冒頭、雨の日に出勤する。靴の不満を言うと「水溜りを避けて歩けば」と言われるだけ。
しかし道を歩いていると車が泥をはねてしまう。
会社に行くと靴や靴下を脱いで乾かしている。
その情けな〜い姿を笑うと同時に自分を見たような気になった。

また親睦会と称する飲み会に無理やり誘われ、「下戸の自分は飲まないのに割り勘になって
同じ金額を払わされて損だ」とぼやく。
田島義文の同僚に絡まれて喧嘩をしてしまい、「大人気ないことをした」と後悔する。
「酒は飲まないから金を使わない亭主だ」と言っても妻からは「その代わりタバコやコーヒーが
多いので同じだ」と反論される。
子供からも「あそこのうちはお父さんと給料もそう変わらないはずなのに土地を買った」などと
いわれる。

妻は妻で母の日なのに何にも楽しみがない。
腐って子供を留守番にして自分は新宿に出かける。(ちなみにこのシーンにこの頃の新宿コマ劇場と
ミラノ座がチラッと映る)
そんな中、三平は田舎から出てきた娘が自分を頼ってくれてちょっとうれしくなる。

何気ない夫婦の心の行き違いが起こる。

一方で次男は学校で養老院のお年寄りに手紙を書こうという授業がある。
そのお年寄りから「手紙をくれて本当にありがとう」という返事が届く。
うれしくなった次男は貯めていたお小遣いを全部使ってお菓子をその養老院までもって行く。
(ちなみにこの養老院のあるのが小田急線の柿生なのだが、えらい田舎で驚かされる)

それを学校の先生から聞かされる三平たち。
遠縁の娘は結局田舎に帰る。
彼女に貸していた旅館代やらが返ってくる。
それを目白は「ちょっと貸した金が返ってきたからお前の好きなものでも買いなさい」と
妻に渡す。
数日後の朝、三平の靴が新品になっている。
「私のは次にして今回はお父さんの靴にしました」

お互いの心がぎすぎすしてきたとき、子供の優しい気持ちに教えられるという話。
特別なクライマックスはない。
盛り上がりがあるわけでもない。
「あの子の優しさを見習わなくちゃいかんな」と言ったような説明セリフもない。
しかし心に残るのだ。
鈴木英夫の不思議さが感じられる映画だ。

鈴木英夫の喜劇は面白くない、と思っていたが、その認識を改めさせた。
もう一度観てみたい映画だ。



(このページのトップへ)




大番頭小番頭


日時 2006年9月9日17:00〜
場所 シネマアートン下北沢
監督 鈴木英夫
製作 昭和30年(1955年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


大学を卒業した原野(池部良)はやむなく日本橋の下駄問屋「田丸屋」に就職する。
就職と言っても小さな商店だし、ちょっと時代遅れの大番頭(藤原釜足)がいて背広ではなく
和服で仕事、使ったこともないそろばんで計算をしなければならず、苦労は絶えない。
その上、社長(伊藤雄之助)は若くしてこの店を継いだのだが、下駄屋という商売を嫌っていて、
商売替えばかりを考えている。
しかも社長は柳橋の芸者に熱を上げている。
そんな時、社長の死んだ兄(前の社長にあたる)の嫁(若山セツ子)の妹(雪村いづみ)が
九州から上京してくる。

シネマアートンでの鈴木英夫特集。
鈴木英夫は喜劇は何本か手がけているが、今まで見たものはどれも芳しくなかったのでこれも
期待していなかったのだが、意外に面白かった。

まず藤原釜足の大番頭、社長の伊藤雄之助がよい。
この二人の掛け合い、というか「やる気のない社長をいさめる堅物の番頭」という関係が笑わせる。
直接は関係はないだろうが、伊藤雄之助の役柄など後の森繁の社長シリーズを彷彿とさせる
ものがある。

そんな中で池部良は実直な青年を演じる。
社長や他の番頭が池部良の歓迎会を口実に柳橋で芸者をあげるなど、「お決まり」のネタだが
出演者の持ち味で笑わせてくれる。

またそこへ「九州は退屈だから」という理由だけで田丸屋に居候する雪村いづみの高校生も登場。
クレジットによると「東宝専属第一回作品」らしい。
映画の中でも一曲歌うが、実にうまい。
実に明るい雪村いづみの笑顔が映画に彩りを持たせる。

結局悪徳不動産屋にだまされそうになった社長だが、池部良の機転でなんとか無事に。

ラスト、社長に早く結婚して落ち着いてもらいましょう、という話が池部良と藤原釜足の間でまとまる。
しかしその相手候補が死んだ兄の嫁なんだな。
「連合艦隊」のような戦時中なら兄の代わりに弟と結婚する、ということもあったろうが、
戦争でもないこの時代にそれはちょっとムチャじゃないか、と少し気になるラストだった。

しかし、おおむね面白かったと言っていい。



(このページのトップへ)




マックス!!!鳥人死闘篇


日時 2006年9月9日14:20〜
場所 銀座シネパトス3
監督 ジュリアン・セリ

(公式HPへ)


ロンドンでトレーニングをしていたYAMAKASIのグループはタイにジムを作ることに
なり、メンバーはタイにやってきた。
そこでタイの暗黒街・赤竜会のボスとその娘婿で日本人ヤクザとの争いに巻き込まれてしまう。
赤竜会とヤクザの両方から追いかけられるYAMAKASI。
そんな中である兄妹もはじめはヤクザの手先だったが、やがては両方から追われることなり、
YAMAKASIたちも彼らに加わる。

友人に無理やり買わされた前売り券で見た映画。
最初から見る気もなかった映画なので、何の予備知識もナシで見た。

フランスアクション映画もいつの間にか香港映画っぽくなっていたが、最近はそのブームも
すたれ気味。
そんな中で久々に見たタイを舞台にしたアクション映画。
そういえば以前「YAMAKASI」というフランスアクション映画があったが
これはその続編になるらしい。


そもそも「YAMAKASI」についてよく知らないで見たので、設定がよくわからない。
それは私の問題なのだが、さらに「YAMAKASI」のメンバーの顔をよくわかっていないから
彼らがバラバラに活動しだすと、「あれ、誰だっけ?」状態で、途中混乱した。

そうは言っても映画の主要メンバーが「敵の敵は味方」とばかりに敵味方の区別が
くるくる変わり、面白い。
それよりすごいのは「鳥人死闘編」のタイトルの通り、壁を伝うアクションシーンはすごい。
最初のビルの屋上を伝いながら行うバスケットボールのシーン、中盤の竹で組んだ
工事現場の足場を伝うシーンは見せ場ですね。
これをCG無しでやっているのだから生身の人間の技には感心する。

彼らの動きはCGじゃない、ってところがこの映画のミソなのに、ところが関係ないシーンで
CGを使ったために、彼らの部分までCGに見えてしまう。
オープニング、赤竜会のガーデンパーティのシーンから、その背後にある高層ビルに進入
しようとしている兄妹をワンカットでつなぐ。
地上にあったカメラが何十メートルも一気に空中を飛んで高層ビルの壁を登る兄妹を逆に
俯瞰で捉えるまでをワンカットで捉えるのだが、こんなカットを作る必要はないだろう。
こんな風にCGを使ったら後の「YAMAKASI」のメンバーの動きさえもCGに
見えてしまう。

CGはさりげなく使うとよいのであって「どうだ、すごいだろう!こんなこと今まで
出来なかったぞ!」とはしゃいで使っては駄目である。
技術を見せたくなるのはわかるけどね。
その辺がちょっと惜しかった。



(このページのトップへ)




ラフ ROUGH


日時 2006年9月6日22:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン6
監督 大谷健太郎

(公式HPへ)


長澤まさみと速見もこみちの水泳部員は同じ高校の同じ寮に入った。
二人は実は実家が和菓子屋で、商売敵だった因縁を持つ。
長澤まさみはやがて速見もこみちを好きになるが、彼女には水泳日本一で
兄のように慕っている阿部力の大学生がいた。
彼女の心は揺れていく・・・・


面白くない。
どうにもこうにも面白くないのだよ。
何か決定的な要因があるわけでもないのだが、盛り上がらない。
いくつか要因を挙げてみよう。


全体的に明るさがない。(女の奪い合いの話だからか??)

速見もこみちが高校1年から3年までを演じるのだが、高校生に見えない。

もこみちは顔はよいのだが、何故か明るさがない。ついでに言えば体のラインも
あんまりきれいじゃない。

もこみちの身長が高すぎ(186cm)で他の共演者と頭一つ高いので誰かと二人で
並んだときつりあわず、構図がおかしくなる。

日本一を争うレベルの水泳をしているのだが、八嶋智人のコーチがおちゃらけすぎて
そんな高レベルには見えない(せいぜい県大会レベルだ)

阿部力の恋のライバルが金持ちでホストっぽい服装でBMWを乗り回し、いやな奴。
しかし悪役キャラになりすぎていないか?

長澤まさみがもこみちのことを祖父の仇と思っていたのになぜ好きになっていったのか
よくわからない。

脇役(もこみちの同室の石田卓也とか長澤と同じ飛び込みの子)が中途半端に
登場する。原作は長いのでそれなりの活躍はあるのだろうが、妙に残したので
何だが活躍するようなしないような中途半端さだけが印象に残る。

原作はあだち充だし、なんだかつまらない要因がはっきりしないなあ。
要は売れてるような人を集めても面白い映画が出来るとは限らんという見本の
ような映画でした。



(このページのトップへ)




東京フレンズ The Movie


日時 2006年9月3日16:20〜
場所 新宿ジョイシネマ3
監督 永山耕三

(公式HPへ)


まだCDも出していないバンド「サバイバルカンパニー」のボーカル・玲(大塚愛)は
いなくなった元バンド仲間で好きだった男・隆司(瑛太)をニューヨークで見かけた
という友人の話を元にニューヨークに探しに行く。

これではストーリーの紹介にならんのだが、この映画は歌手大塚愛主演で作られた
DVDドラマのシリーズものの新作。
私は未見だがDVDドラマのほうで玲が高知から上京し、居酒屋「夢の蔵」でバイトを始め、
隆司にバンドに誘われボーカルをはじめるが、隆司は他のバンドに移り、そのバンドは
デビュー直前にメンバーが暴行事件を起こし、失意のうちに行方不明になる、という話らしい。
それは大体解った。

そもそもこの映画見る気もなかったのだが、映画関係の友人から無理やりチケットを買わされ
見に行った。
私のような人間には20代前半の女の子の気持ちはわからないし、だからこの映画が気に
いらないのか、もともとこの映画が面白くないからなのかよくわからない。

主役の大塚愛は可愛さで言ったら中の上ぐらいで特別美形ではない。でもメイクや髪型で
今どきの女のこのらしい可愛らしさは出ている。

玲は弱小レーベルといえども近々CDを出し、プロモーションの予定が決まっているにも関わらず
ニューヨークに当てもなく男を捜しに行く。
あのなあ、ええ加減にせえよ!
そして周りの人間には「隆司を一発殴ったらすぐ帰る」と言いつつ殴ったあともバカップルよろしく
いちゃいちゃして「明日は『自由の女神』にいきたーい」などとのたまう。
こんな馬鹿な女の映画なんか見てる暇ないよ。

この映画はどういうファン層が見るのだろう?
大塚愛って女性ファンと男性ファンとどっちが多いのだろう?
「そうそうやっぱり男は大切だよね。ああいう行動力にあこがれるわあ」と若い女の子達は
共感するのだろうか?
男を追っかけてニューヨークに行くのは許すとしてもバンドがデビュー直前だろ?
メンバーとか事務所の人たちのこと考えろよ、と思ってしまう。
しかもコンサートの日にちは決まっているのに間に合うかとハラハラしてしまった。

こういう風に考えるのは私がオジサンだからなのだろうか?
それともやっぱり玲の行動は無茶苦茶なのかな?

それと思ったのだが、4人の女の子が中心人物。
これがまた(見分けがつかない、というほどではないが)メイクとか髪型とか服装とか似ているんだな。
今どきの女の子自体がそうなのだろうが、没個性的だなあ。
あっ、でもオジサンも没個性的ということでは似たようなものか。

そしてこの4人の女の子がみんなセックスがお好き、というかそういうシーンがある。
中でも松本梨緒なんか佐藤隆太の服を脱がそうとするのだからすごいねえ。
とにかく今どきの女の子にはついていけんな。
もっともこの映画で「今どきの女の子」を判断してもらっては困る、という人もいるだろうけど。

でも大塚愛の歌う主題歌「ユメクイ」はいい歌ですね。
CDを買おうかとは思わないが、借りてみようかとは思った。



(このページのトップへ)




マスター・オブ・サンダー 
決戦!!封魔竜虎伝


日時 2006年9月3日13:30〜
場所 シネマート六本木スクリーン2
監督 谷垣健二

(公式HPへ)


40年前に怨霊(松村雄基)が現れたときは7人の仲間で戦った三徳(倉田保昭)と
源流(千葉真一)。再び怨霊が現れたが、いまは年老いて二人だけでは怨霊を倒す力がない。
三徳の弟子のアユミ(木下あゆ美)はかつての三徳たちの仲間の弟子や血を引くものを
集めて戦おうとする。

千葉真一と倉田保昭の夢の共演。
二人はかつて70年代のブルース・リーから始まったカンフー映画ブームの時に
東映で似たような映画をつくりその主演俳優として大いに活躍した。
千葉真一にとってはカンフー映画は数多い仕事の(重要ではあるが)一つに過ぎないと
思うが、倉田保昭にとってはほとんどすべて(だと思う)。

いまさら二人が共演しても賞味期限切れでしかないのだが、そこに女の子を絡ませて
アイドルカンフー映画に仕立てた。
この映画も見る気はなかったのだが、友人にチケットを貰ったので見に行ったのだ。

7人の若い仲間と戦うのだが、うち男は3人。でなぜか一人はアフリカ系で一人はオタク
一人はナンパ好きの男、というおよそかっこよくない。
中心になるのは4人の女の子だ。
そしてその設定が主役は三徳の弟子で、その他にレディースの暴走族っぽい子、ガリベンの子、
秋葉原のメイドカフェでバイトをする女の子。なんか妙にマンガチック。
また途中、修行シーンが続くのだが、そんなときでも彼女達はメイクを忘れず、唇が
ツヤツヤしている。
昔のアイドル映画みたいだな。

それでもう完全にアイドル映画ののりで、お決まりのお寒いギャグが繰り返される。
どうお寒いかはもう忘れたいくらいなのでいちいち書かないけど、そのお寒いギャグを入れるあたりの
センスが一種懐かしさも漂う80年代アイドル映画を想起させた。

で千葉真一と倉田保昭の対決もある。(倉田は怨霊に取り付かれて千葉と戦うのだよ)
もともとカンフー映画にはあまり燃えないクチなので、ああそうですか、で終わってしまった。
(スイマセン)

これ、カンフーファンには受けたのかねえ?
もっとも主役の女の子たちは「仮面ライダー」とか「戦隊シリーズ」に出演経験のある子たち
だからそれなりのファンはついているようで需要はあったのだろうけど。



(このページのトップへ)




46億年の恋


日時 2006年9月3日11:30〜
場所 シネマート六本木スクリーン4
監督 三池崇史

(公式HPへ)



刑務所で有吉淳(松田龍平)が馬乗りになって同室の香月史郎(安藤政信)の首を
手で締めているところが発見される。
有吉は香月を殺したと言ったが香月の首には紐で締められた跡があった。
真実は一体?

オープニング、背景のないところで品川徹の老人がまだ10歳ぐらいの少年に対し、
「この村の掟としてお前は今から大人になる儀式をするのだ」と言い放つ。
そこへ赤い、腰の周りだけを隠す布をまとったたくましい青年が登場し、その肉体美を
披露する。老人は「その青年はお前ののどに聖なるものを放つだろう」と意味深なセリフ
を言うところから始まる。
その少年は有吉の子供の頃の姿なのか?

有吉はゲイバーで働いていて、ある日客にホテルに誘われて襲われたために逆上して
相手を殺してしまって服役、香月は喧嘩による2回目の殺人だった。
二人は偶然同室になったのだが。
そんな感じで二人の過去が少し明かされる。
そして所長(石橋凌)の妻は以前香月により強姦され、それが原因で自殺したとわかる。

しかし、謎解きはそれほど論理的には描かれない。
イメージ的なカットが続き、ストーリーにそれほど重きを置いているようには思えない。
安藤が背中に刺青をしているのだが、カットによっては(意味があるのか?多分ある)
その刺青がなくなっていた。

しかし私はこの映画が好きだ。
何よりも映像が美しいのだ。
安藤政信、松田龍平という美しい男優ももちろんだが、映像が(照明が)美しい。
真っ暗な中、ピンスポットにより濃淡、陰影のある画像が作り出される。
実は低予算のため、背景を作る予算がなかったので、背景を写さないようなピンスポットの
照明設計がなされた気もするのだが、それがマイナスになっていないのがいい。
暗闇の中にぽっかりと浮かび上がった映像たちは実に美しい。

その後、映画は囚人たちの人間関係とかこちゃこちゃ説明が入るのだが、実は私にはそれほど
重要でなかった。
暖色系の照明に彩られたワンカットワンカットの「画」の美しさに魅入られていた。

このサイトでは何度も言うけど最近の日本映画は陰影のない、べタっとした全体的に明るい
照明が多い。そんな映像に飽きていた私にはこの映画の暗い映像は実に心地よかった。
実はこの映画の見所はそれだけの映画な気もするのだが、それだけでも価値がある作品だ。

私にとっては今年みた日本映画の中では好きなほうに入る。



(このページのトップへ)




第三次世界大戦 四十一時間の恐怖


日時 2006年9月2日17:40
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 日高繁明
製作 昭和35年

(詳しくはキネ旬データベースで)



第二東映作品。上映時間も79分と短めなので「添え物」的な作品だったろう事が
想像されるので、期待半分であったのだが、「第三次世界大戦」というタイトルに
引かれて見に行った。

前半は登場人物の紹介。
核戦争の恐怖から逃れようと親のクルーザーで日本を脱出しようとする高校生から話は始まる。
案の定遭難した彼らを取材する新聞記者(梅宮辰夫)、その恋人の看護婦(三田佳子)
高校生の親(加藤嘉)、大企業の重役、流しのギター弾きと寝たきりの病気のその妻らが描かれる。

やがて朝鮮半島でアメリカの爆撃機に搭載された核爆弾が爆発したところから
一触即発の事態になっていく。
戦況は常にラジオで伝えられ、映画では総理大臣とかは登場しない。
この状況がラジオでしか伝わってこない、という映画のシチュエーションが妙に緊迫感を生む。

そして逃げ出す人々。
「どこに逃げたって無駄だ」と避難しない人々(流しのギター弾きの夫婦など)も
登場するが、大半の人々はとりあえず、東京を離れて田舎に逃げようとする。
このパニックシーンがすごい。
オープンセットの街角に人があふれているのもすごいのだが、田舎道を延々と歩いて
逃れていく人々の姿は圧巻だ。
「添え物作品だろう」をなめてはいけない。

大企業の重役の金持ちは車で逃げ出す。
「逃げ出そう」という夫に妻の風見章子は「あなた会社は?」「大丈夫だ。○○君に任せた」
と自分だけ助かろうとする。○○君だって家族を連れて逃げたいだろうに。
そしてその金持ちは途中、加藤嘉を誤って轢いてしまう。
「父さん、ひどい」という家族に「仕方がないんだ!」とエゴをむき出しにする。

一方、三田佳子の看護婦は親が助けに来てくれなかった子供の入院患者に付き添っている。
そんな中、ラジオは刻一刻を緊迫した事態を伝えていく。

そしてモスクワ放送は日本人に向けて放送する。
「我々ソ連は日本にある米軍基地を12分後に核攻撃をする」
避難する人々は東京の上にきのこ雲を見る。
やがて降ってくる死の灰。

梅宮辰夫の新聞記者は別れた恋人の三田佳子を探しに東京に戻る。
そこには廃墟があるばかり。
その頃、世界の主要都市は核攻撃されていた。

前半は説明的なセリフが多かったり、太陽族映画の影響みたいな高校生たち(クルーザーで
海にでるとか)が登場してややまどろっこしさを感じる。
しかし、事態が起こってからは実に画面にひきつけられる。
また群集シーンも想像以上に立派な出来で、本当に拾いものの映画だった。

ラスト、アルゼンチン放送が流れる。
「人類の大半は死滅しました。生き残った我々で人類を復活させましょう」
アルゼンチンという南米の小国が世界に向けてメッセージを発信するというつくりが
妙に生々しい。

世界各都市の破壊シーンは少ないし、ややちゃちだが、しかし松林宗恵の「世界大戦争」も
それほどすごいわけではない。
白黒、ノースター映画だが、この映画も終末戦争ものの映画として見逃せない作品だと思う。



(このページのトップへ)




ディア・ピョンヤン


日時 2006年9月2日14:40〜
場所 ポレポレ東中野
監督 ヤン・ヨンヒ

(公式HPへ)


ヤン・ヨンヒ(監督自身)の父は朝鮮総連の幹部であった経験も持つ祖国に体を
ささげた男だ。二人の兄は祖国・北朝鮮のピョンヤンに住む。
父の姿を撮り続けることによってヨンヒは父の気持ちを理解するようになる。
そんなある家族の姿を描いたドキュメンタリー。

あの北朝鮮に朝鮮総連だ。
ここ数年は拉致問題やミサイル発射もあって悪の権化のように言われている北朝鮮の
金日成、金正日親子を尊敬する父とは一体どんな人物だったか。
それは実はどこにでもいるような仕事人間だった男の姿だった。
娘のヨンヒ(監督)に対し、「お前の好きな男ならどんな男と結婚してもええ」と
言いつつ、「日本人は駄目、アメリカ人も駄目」という。
なんだか普通のお父さんだ。

会社に忠誠を尽くして働いた会社人間の男となんら変わりがない。
最初から北朝鮮も悪の権化だったわけではあるまい。
昔はただの(という言い方は適切かどうか解らないが)共産主義国家だっただけだ。
父は言う。「子供の頃、周りがマルクス主義の人が多かったからな」
自分が信じて働いてきたわけだがその予想が外れただけの話だ。

三人の兄をピョンヤンにやってしまった今、国交がないために日本に帰すことも
出来ない。
父ははっきりとは言わないが後悔しているように思える。

映画の途中、一家はあの「万景峰号」に乗って新潟から船でピョンヤンに向かう。
この映画で見たピョンヤンは舗装道路がところどころはがれた活気のない都市だ。
建設中で止まっている「柳京ホテル(ユギョンホテル)」が物悲しい。

そして兄たちのアパートへ(といっても日本のマンションのような建物)
兄の息子(監督の甥)はピアノがうまく、芸術学校にも通っているらしい。
その甥が自宅のピアノを弾いてくれる。
しかし、画像は突然真っ暗になり、ろうそくをともす。
(このシーンについて会場に舞台挨拶に来ていた監督に聞いたら停電だそうだ)

テレビのマスコミでは伝えきれない北朝鮮の姿があった。
しかし、あの父は(顔が似ているわけではないが)私の父にも似ている。
監督は舞台挨拶で「この映画を見た人は自分の家族の話を私にしてくる人が多い」
と言ったが、それも納得。
私もそんな気になった。
この映画は家族の映画だ。
その父がたまたま朝鮮総連の幹部という仕事をしていただけだ。
その姿も家庭では普通の父親だ。

朝鮮総連とか北朝鮮に対して、ちょっと別の見方が出来るようになった。


(ちょっと苦言を呈すとこの映画、家庭用ビデオで撮られているため、三脚で固定せずに
手持ちで撮っているため、実に映像がゆれる。テレビで見るならいいかもしれんが
スクリーンで見るとちょっと見づらい。船酔いの気分になった)



(このページのトップへ)