2006年12月

武士の一分
007 カジノ・ロワイヤル めぐみ―
引き裂かれた家族の30年
犬神家の一族(2006) 王の男
硫黄島からの手紙 ありがとう 病院坂の首縊りの家 女王蜂

武士の一分


日時 2006年12月30日19:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン5
監督 山田洋次

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三村新之丞(木村拓哉)は小さな藩の下級武士。殿様の食事のお毒見役といえば立派だが、実際に
何かがあるわけでなく閑職で退屈な日々を送っていた。
しかしある日、毒見で食べたものに当たってしまう。原因は貝の毒に当たっただけで
謀反があったわけではなく城内は落ち着いたが、三村は失明してしまった。
最早働けない体となった三村だが、その生活を案じた三村の妻(壇れい)は番頭の島田藤弥(坂東三津五郎)
に今後の事を相談に行く。
三村の家禄を保証する島田だったが「ただというわけにはいかんぞ」という三村の妻を弄ぶのだった。


2006年最後に見た映画となったわけだが、2006年の邦画ベストワンとなった。
島田は三村の妻を弄んだだけでなく、家禄の保証するために動くことはなかった。
それを知った三村は目の見えない体で果し合いをしようとする、という展開となるわけだ。
世の中はっきり言ってぶっ殺したくなるような悪い奴、憎い奴はいる。
しかし現実にぶっ殺したら犯罪だし、またそれを描く映画を作っても現代劇なら、主人公が
善悪が微妙になってしまい、実にやりにくい。

ところが時代劇ならこういう復讐譚を作っても違和感はない。
そうだそうだ、悪い奴は偉い奴だろうと何だろうとぶった切ってやればいいんだ!!!
それが男の意地、武士の一分ってものよ。
(こういうことが大きな声で言えるのも時代劇のよさだ)
また島田を切った後に笹野高史が羽織をかけてやるあたりの相手にもそれなりの礼をつくす
あたりがよい。
確かに島田だって逃げることはなく、三村の果し合いの知らせに応じたのだから、彼とて
それなりの「一分」はあったわけだから。

そしてこの映画、こういう復讐譚を単なる活劇にせず、そこにいたる過程を時系列にそって
淡々と描いていく。
音楽も少なく、山になるような事件もなく(また盛り上げもせず)実に平板に物語は進む。
しかし画面にひきつけられるのだ。
よくまあこう淡々と物語を進めて退屈しないものだと思う。
これが巨匠の仕事といわずして何と表現したらよいのだろう。

そして迎えるラスト。
これはもう想像がつく。
しかしこれで「いいなあ」と思えるチャップリンの「街の灯」からの伝統的な展開。

主演の木村拓哉は特にいいと思わなかったが、殺陣のシーンでは感心した。
途中、緒形拳の師匠と道場で手合わせするシーンがあるが、木刀の切っ先を見ていないのに
緒形拳と刀の先を重ねている。これは恐れ入った。

そして笹野高史。
今まではワンシーン出演して場面をさらっていく感じだったが、今回は準主役級。
素晴らしいバイプレーヤー。実に見事。

前作「隠し剣鬼の爪」も好きだったが、実は「侍が一旦商家に嫁いだ女中を自分の妻にする」というあたりが
時代劇にしては違和感があり、その辺がイマイチ好きでなかった。
しかし今回はそういう気になる点もなく、最高の出来だ。
山田洋次の時代劇三部作、僕にとっては徐々に出来がよくなっていくように感じられた。
すべての山田作品の中でも一番好きな作品と言っていいかも知れない。



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007 カジノ・ロワイヤル


日時 2006年12月30日16:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン2
監督 マーチン・キャンベル

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敵に情報を売ったMI6の上司を殺し、「00」ナンバーを与えられたジェームズ・ボンド
(ダニエル・クレイグ)。彼の第一の任務はテロ組織から資金を集め、それを運用してる男に
近づき、テロ組織を壊滅させることだった。


ジェームズ・ボンド役者も交代し、心機一転となった新作007。
公開前はダニエル・クレイグのボイコット運動を起こすファンサイトも海外では
あったようだが、公開されてみたら意外と好評。
しかし僕にとってはショーン・コネリーがロジャー・ムーアになった時ほどの違和感を覚えることは
もうなく、実をいうと最早誰が007を演じてもかまわない。
(というかむしろ関心が低い)

正直言うけど後半の展開が地味だなあと思う。
前半、テロリストの一味を追いかけて工事中のビルを上ったり降りたりするあたりや
空港の新型旅客機爆破阻止、あたりまではよかったが、(工事中のビルのあたりは
やややりすぎ、という気がしないでもないが)後半になると単なるカジノ対決に
なってしまい、これでは正直、Vシネマ並み、という気がしてさびしい。
クライマックスはそれなりに用意して欲しかったなあ。

あと、敵ね。
今回はなんだか村上ファンドみたいな投資家が出てきて、テロ組織から元手を集めて
それを運用するという、悪玉としては小粒だ。
(ありがち、現実にいそうだ、という点ではそうなのかも知れないが)
しかも「血の涙を流す」という007にありがちな怪人ぶりにも関わらず、暴力には弱い。
テロ組織から「金返せ!ゴラァ!」と怒鳴り込まれてビビッている。
そんなテロ組織の奴を逆にビビらせるくらいでないと007の悪役としては迫力不足ではないか??

そして話題の拷問シーン。
椅子をくりぬいてそこに全裸になった007を座らせ、先がボール状になったロープで下から振り上げ
タマタマを叩くというギャグなのか、真剣なのかよくわからない拷問。
男だからわかるが、あれはきついよな。
でも「ゴールドフィンガー」や前作「ダイ・アナザー・デイ」ではレーザー光線で拷問を受けた
このシリーズにしてはやることが安っぽい。

それとねえ。
またまたアストン・マーチンが(ご丁寧にもシリーズ当初の頃の型まで)登場するが、過去の007と
決別するつもりなら、もういいのでは?
前作は「とにかくシリーズ40周年のお祭りを!」ということで昔のオマージュばかりで
それが楽しかったが、今回はもうねえ・・・・
でも旧作からのファンがそれではさびしがるかなあ。
まあ、その心理もわからなくはないが。

ゴジラも一旦終わったことだし、もう007も止めてもいいじゃないか、も思うのだが、
商売になるうちは続けられるだろう。
そして新作が出来るたびにいろいろ言われ続けられるのだろうな。
僕も一応見るとは思うのだが。

書き忘れてたけど、最初のライフルマークごしにボンドが銃を撃つショット、今回のバージョンは
僕も好きです、ハイ。



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めぐみ―引き裂かれた家族の30年


日時 2006年12月28日21:15〜
場所 テアトルタイムズスクエア新宿
監督 クリス・シェリダン&パティ・キム


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北朝鮮拉致被害者、横田めぐみさんのご両親、横田滋さんと早紀江さんを追った
ドキュメンタリー。
この映画をみる多くの外国人は初めて北朝鮮と日本の間にある拉致問題を知ることになるのだろう。
しかしはっきり言うが、日本人にとってはある程度北朝鮮拉致問題に関心を持ってニュースを
見ていた人には目新しさは少ない。
この映画のためのオリジナルの映像は少なく、過去の映像を集めたシーンが多い。
監督は外国人で小泉訪朝のニュースで初めて拉致問題を知ってそれから
横田さんたちを取材し始めたわけだから、当然、過去の部分についての映像は
過去のテレビ番組の映像を使わざるを得ない。

従ってあまりニュースを見ていない人はともかく、比較的ニュースやワイドショーを
見ていた人には、ほとんどが「前に見たことのある映像」で、新鮮味はない。
ドキュメンタリーの面白さは「自分の知らない世界を映像で示してくれる」ということに
比重が多いので、「すでに見たことのある映像」が多くては正直映画を見てる間
「初めて知る驚き」というのはない。

時折めぐみさんの小さいときのスチル写真が挿入されるし、それは映画のパンフレットにも
あるのだが、僕は2005年の秋に行った横田めぐみさん写真展で見ているので(このときは
衝撃だった)驚きはなかった。
そういう感じで日本人も知らなかった秘蔵衝撃映像、見たいなものが出てくるかと思っていたが、
それはなかった。

唯一それらしきものは横田滋さんと早紀江さんが口げんかするシーンだ。
新聞評かなにかでこの滋さんと早紀江さんのケンカのシーンがあることは知っていたので
「実は滋さんはテレビの印象と違って暴君だった」みたいなものかと思っていたら
全然そんな感じではなく、「よくある夫婦の口ゲンカ」程度のもの。
出かけの準備をしている時に滋さんが「お前この間の時の発言だけどさああいうのはよくないよ」
「え、でも私としては・・・」「そうじゃなくてさ、だからつこっまれちゃんだよ」「はいはい
今度は気をつけます」というようなもの。
話題にしているのは何かの集会の席で本で読んだ知識を早紀江さんが話したのだが、それが
「自分が見聞してきた」ように参加者にとられるから「そういう時は『本で読んだ話』とちゃんと
断ったほうがいい」というような内容らしい。

しかしこのシーンを見て思うのは「いつも冷静に見える横田さんも実はイライラすることも
あるのだなあ」ということだけだった。


拉致問題、実に厄介な問題だ。
日本は武力をもってこの問題を解決することは出来ない。
オウム事件と違って国内法の範囲の及ばないところが相手だ。
しかし経済制裁をやれば解決する問題ではない。
小泉さんは「対話と圧力」といい続けた。
被害者家族は「とにかく制裁を!」といい続ける。その気持ちもよくわかる。
しかし一方で小泉前首相の「核の問題、ミサイルの問題、包括的に解決せねばならない」
という意見もよくわかる。
何も手が打てない袋小路のジレンマに日本中が陥っている。

果たしてめぐみさんをはじめとする拉致被害者は生きているのだろうか?
そして日本に帰る日が来るのだろうか?
その日が一日も早く訪れるのを願ってやまない。



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犬神家の一族(2006)


日時 2006年12月24日19:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン7
監督 市川崑

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昭和22年、信州・那須の製薬会社の創業者、犬神佐兵衛(仲代達矢)がなくなって
7ヵ月後、遺族が一同にそろったところで遺言状が開封された。
それは佐兵衛の恩人の孫娘・珠代(松嶋菜々子)に佐兵衛の3人の孫のいずれかと
結婚することを条件に彼女に全財産を譲るという内容だった!
やがて3人の孫が次々と殺されていく!

いわずと知れた70年代横溝ブームの火付け役となった角川映画「犬神家の一族」のリメイク。
「犬神家の一族」は映画としての出来も素晴らしいが、70年代の日本映画を語るに欠かせない
存在自体が「事件」だった。
どう事件だったかは76年版「犬神家の一族」を見直した際に書いていきたい。

今回も面白かった。
今年のベストワン級の面白さだ。

今回はなんと言っても石坂浩二が金田一耕助を演じるところがミソ。
しかしまあ「老けたなあ」というのが率直な感想。
しかしいいのだ。
まるで老けたショーン・コネリーが007を演じるようなもので、老けたかどうか、ということより
「石坂浩二」ということが重要なのだ。

そして加藤武。
こちらの警官役もいいのだが、やっぱり老けている。
「よーしわかった!」の言い方のテンポが遅いのだ。
最近70年代の「石坂=金田一」を見直してので気になるのだが、「よーしわかった!」の言い方に
勢いがないのだ。

そしてここではいちいち書かないが近年まれに見るオールスターキャスト。
芸達者なベテランがずらずらと出てくるとやっぱり面白さが引き立ちますねえ。
そんな中で三谷幸喜は出ないほうがよかった、林家木久蔵は演技をさせると面白さがない、
深田恭子がイマイチ明るさがない、などの細かい不満はあるものの、総じてよい出来だ。

セットも昔ながらの豪華さで今のロケ中心の映画に比べれば格段の「格」と言ったものを感じる。

確かにいまさら「犬神家」をリメイクして何の意味がある、というご批判もあろう。
実際最初にこの映画のニュースを聞いたときは僕もそう思った。
しかし見てみると面白いのだなあ。
脚本を妙に手を加えなかったのがいいのだろう。
大体名作のリメイクをやると大抵失敗するのだが脚本から変えてしまうのがよくないのだろう。
「がんばれ!ベアーズ」やこの「犬神家」のように脚本を変えなければ、世間で言う「リメイク批判」
もかなり減るのではないか?
この映画に関して言えば音楽も同じなのがよいのだな。

でもねえ、ラストシーンが変わってしまって(私は)がっかりした。
前作のラストシーン、結構好きだったですから。

いちいち細かいことは書かないけど、とにかく面白かった。
(しかし画はイマイチきれいではなかった。気になった)
91歳の市川崑、すごい人だ。
最早巨匠を通り越して「怪物」の域に達しているのかも知れない。



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王の男


日時 2006年12月23日19:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン1
監督 イ・ジュンイク

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チャンセンとコンギルは旅芸人として町から町への生活だった。
ある日、他の芸人達と一緒になって王様の生活を皮肉る喜劇を演じたら大喝采。
たちまち評判になった。
そのうわさは宮殿にも伝わり、重臣が彼らの出し物を見に来た。
やがて彼らは王の前でもその喜劇を演じるのだが。

韓国で2005年から2006年にかけて大ヒットした時代劇。
「同性愛」を扱っている、というようなキワモノ的情報が伝わってきていたが、そういう映画ではない。
確かに同性愛チックな面はあるが、それが主題ではないだろう。
肉体的な(性的な)シーンなど、王(チョン・ジニョン)がコンギル(イ・ジュンギ)にキスするシーン
ぐらいでまったくと言っていいほどない。
チャンセン(カム・ウソン)とコンギルの関係など、肉体関係を超えた精神的な信頼関係だ。

個人的にいうと歴史劇とか時代劇にはあまり体が反応しないほうなのだが、つまらなくはないのだが
それほど面白くなかった、というのが本音。
韓国の歴史とかまったく知らないから、余計に背景とかの事情がわからなくて盛り上がらないのかな?

それにしてもこの二人の芸人の行う芸はひょうたんを男性器に見立てたり「上の口と下の口を
どっちがふさがれたい?」といわれて逆立ちして「上の口!」などと答えるなど随分と下ネタ満載だ。
日本の時代劇で殿様の風刺劇を行ったら、こういう下ネタには走らんと思うがどうだろう?
「品がない」ともいえるが、「これぐらい過激なネタだからこそ、笑いも大きくなる」という気もする。
難しいところだ。

なんと言っても見所は魔性の美青年コンギル役のイ・ジュンギ。
「ベニスに死す」に匹敵する魔性の役どころ。
特に王の部屋で影絵を演じて、行燈越しに微笑む姿は実にセクシー。
単なる美形、とは違った色気が感じられる。

最後に単なる王宮でのクーデターではなく、何万の兵を巻き込んでの大合戦、となればまたスペクタクルの
要素を帯びて面白かったかも知れない。
その辺がもうちょっと惜しかった気がする。



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硫黄島からの手紙


日時 2006年12月16日21:00〜 
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン5
監督 クリント・イーストウッド

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太平洋戦争末期、小笠原諸島の硫黄島に米軍が上陸する。
圧倒的な兵力の米軍を前に日本軍は敗退。しかし5日で終わるといわれた硫黄島攻略を
日本軍は30日以上戦い続け、米軍の戦死者は日本軍のそれを上まった。


「父親たちの星条旗」に続くクリント・イーストウッドの「硫黄島二部作」の日本篇。
9日に公開されまだ1週間だが、米国アカデミー賞受賞も可能性ありと言われ、世間では
大絶賛だ。
戦争映画ファンとしては見るしかないのである。

でも正直に言おう。
期待したほどではなかった、というのが本音。
いやいや映画の出来が悪かった、と言っているのではない。
もちろん立派な映画だ。
ただアメリカ人が日本人の立場からみた戦争映画を作るというので、日本人にはまったく
生まれなかった視点で描き(いい意味でも悪い意味でも)滅茶苦茶違う戦争映画を期待したのだが
正直、今まで日本人の作った戦争映画とそうは違わなかったからだ。
これはもう日本人が作ったような映画だ。

実はこの映画の予告を見たときからそんな予感はあった。
栗林中将(渡辺謙)が西郷(二宮和也)が体罰を受けているのをとがめるシーンがあったが
もうこのへんから「日本の戦争映画」にありがちな「上官」だ。
(「日本の軍隊にありがちな上官」ではない)
栗林は「日本とアメリカは工業力が違うから戦争するのは間違い」と考えるアメリカ通の男。
これはもう幾多の戦争映画で描かれた「山本五十六長官像」に通じる。

そして下級兵士代表として西郷が描かれる。
身重の妻を残して出征した、という設定は「恋人や妻を残して戦争に行った庶民」という
これまた日本の戦争映画にありがちな人物像だ。
同じく伊原剛志の「元オリンピック選手」という国際人を見ても先の栗林中将と同じで
「一本の映画に二人も同じキャラクターは要らないんじゃないか」という気になったし、
中村獅童の突撃軍人もありがちだ。

しかしこの映画の驚くべき点はアメリカ人の監督によって作られたということだ。
擂鉢山が落とされるとき、日本人は自決をしていく。
こういうのは日本人にとっては今までいくらでも映画で見てきた。
また日本軍は「アメリカ人は腰抜けで根性なし」という教育され、精神論で戦争をしようとする。

しかし、おそらく大多数のアメリカ人にとっては初めてみるシーンではないのか?
そりゃアメリカでは「軍旗はためく下に」がDVD化されているし、映画マニアなどにとっては
「初めて」ではないかも知れない。
そういう日本人の考え方がアメリカ人にも理解された(というか適切に紹介された)というのが
興味深い。

アメリカ人の捕虜の母親からの手紙を読まれたり、アメリカ人が日本人捕虜を殺すシーンが
出てくる。
こういうシーンは逆にアメリカ人でないと挿入できまい。(というか難しい)
特に日本人捕虜を殺すシーンなど、日本の戦争映画で描いたら(事実がどうであれ)
いろいろ批判されるだろう。
アメリカ人だからこそ許されるシーンだ。
また日本人が「靖国で会おう」と言って自決したり、「いつか我々に対し、後世の人が
評価するときがくる」という主旨のセリフがあったと思うが、このへんはなんだか近年の
「靖国神社礼賛」につながって恐ろしい気がしないでもない。
このあたりが非常に今の日本人には受けやすい要素が多い。

しかしこの映画の絶賛の嵐のにはイマイチ釈然としない。
この映画がいいという方はぜひ岡本喜八の「沖縄決戦」と深作欣二の「軍旗はためく下に」を
見て欲しい。
「硫黄島からの手紙」はいい映画だが、こっちのほうがもっとすごいよ。


そして「硫黄島二部作」として見ると「父親たちの星条旗」に描かれた「いなくなって日本軍に
つかまって殺される兵士」のエピソードがこちらにもある。
「星条旗」で見るとこのエピソードは日本人が憎く見えるがこの「手紙」の方を見ると殺す日本人の
心情も理解できる。
戦争というものをお互いの視点から公平に描く、という今までの戦争映画にまったくと言っていいほど
なかった作品を作ったイーストウッドの想像力、理解力はすごいと思う。
日本人が中国人を主人公にした戦争映画を作れるだろうか?
いや、今の日本映画界ではそんな映画は誕生しまい。
日本人の一方的な視点でしか今の日本映画界は戦争映画を作れまい。



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ありがとう


日時 2006年12月16日17:15〜
場所 池袋シネマサンシャイン・6番館
監督 万田邦敏

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神戸でカメラ店を営んでいた古市忠夫(赤井英和)は阪神大震災によって人生が一変した。
彼は次の人生を自身の中ただ一つ残ったゴルフクラブを使ってプロゴルファーとして
人生の再生を図る!

タイトルが「ありがとう」で、赤井英和が主演で、初老の男が人生の再起を賭けて
プロゴルファーに挑戦する!という話である。
もうここまで聞いただけでこの映画、まったく見る気がなかったのだが、「前半の
阪神大震災のシーンがすごい」という話をちらほら聞いて「それなら!」と俄然見たくなって
上映が終わりそうな劇場に駆けつける。

何せ正月映画公開時期に入ってくる11月中下旬に公開される映画というのは、とにかく
配給会社からは「テキトー」扱いされ、宣伝費もろくにかけてもらえずに「ひっそりと」
終わることが多い。
この映画も11月25日公開で12月23日からはヒットテレビドラマの映画版「大奥」が
控えている時期だ。正直東映にしてみれば「かまっていられない」状態だろう。
(実際金券ショップではこの映画の前売り券は500円だった)

映画は阪神大震災が起こるシーンから始まる。
阪神高速の倒壊や三宮のビル倒壊、阪急三宮駅の被災、神社がぺちゃんこになってしまう姿が
映し出される。画像が暗く、はっきり見えないのが残念だが実際に早朝5時45分という日の出前
に地震は起こったのだから仕方あるまい。

そして古市一家の避難が始まる。
地震の揺れはもちろん数分で終わるのだが、その後の火事だ。
消防車は来ない。来ても水が出ない。
またつぶれてしまった家に家族が残されていて、声も聞こえるのだが火事が迫っているので
助けられず、見殺しにしなければならない地獄。
こういったシーンが繰り返される。

また完全廃墟になって主人公の自分の店があったところに立つシーン。
廃墟のセットがものすごく立派で(というのも変な言い方だが)驚く。
しかも主人公達が写っている後ろのほうでエキストラが動いている!
細かいところまでちゃんと画が出来ているので驚く。

この映画、ワンシーンとかしかでない登場人物が豪華なのが驚く。
佐野史郎が消防車の隊員を演じるのだが、なんか妙に楽しそう。
「こういう役をやりたかった!」と満足げにしているのが画面にひしひしと伝わってくる。
また自分の妻が倒壊した家に取り残され、火事が迫ってくるので救出を断念しなければならない男
に豊川悦史。アップはないので豊川だとわかりづらいが、声でわかった。
地震で亡くなってしまう民間の消防団員役に高橋和也。
後半、プロテストのキャディー役で薬師丸ひろ子。
そしてもうセリフがあるのかないのか解らんような役で仲村トオル、永瀬正敏など。
後は関西芸人のMrオクレとか島木譲司とか里見まさとなどなど。
豪華すぎるようなゲスト出演陣だ。

「日本沈没」で満足できなかった人はこの映画の前半1時間ぐらいで「日本沈没」の
不満をかなり解消できるだろう。

で地震が終わって「街を区画整理するかしないか」と住民達がもめだして公民館で話し合うシーン
があるのだが、ここで区画整理反対派の住民があっさり賛成派に負けてしまうあたりからなんだか
出来すぎた話に感じ出してきてちょっと白ける。
但しこれが実話だといわれれば反論のしようがないのだが。

はっきり言うと面白いのは前半1時間ぐらい。
「我々は生きているのではない。生かされてるんや。『ありがとう』気持ちを忘れたらあかん」
という正直解りきった説教されるとやや恐縮してしまう。
こういうシーンが始まりだすと正直映画を見るテンションは下がり始める。

そして主人公が「プロゴルファーになる!」と決意するあたりからは(僕にとっては)見る価値のない
成功譚だ。正直ここで帰っても問題はないくらい。
でもここで帰っちゃうとエンドロールの後のおまけ映像が見られないので注意。
エンドロールが終わると赤井英和とその妻役の田中好子が出てきて「映画を最後までご覧いただき
ありがとうございました」とお礼のメッセージをいうカットが登場する。
そうか、やっぱり途中で帰っちゃう人がいるかも知れないと作るほうも思っていたのか。



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病院坂の首縊りの家


日時 2006年12月9日10:30〜
場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・プレミアスクリーン
監督 市川崑
製作 昭和59年(1979年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


昭和26年、金田一耕助はアメリカに渡る前に旧知の推理作家(横溝正史)を訪ねる。
そこでパスポートの写真撮影をする写真館を紹介される。
写真館で撮影をした日、そこの主人(小沢栄太郎)は金田一が探偵だと知ると「自分の
命を狙っている人がいる。調べて欲しい」と頼まれる。
またその写真館に婚礼写真の出張撮影を頼んできた美しい娘(桜田淳子)がいた。
その晩、撮影に行ってみると今は廃屋になっているお屋敷で撮影はされた。
翌日、金田一を伴ってそのお屋敷に行ってみると、そこには夕べの花婿(あおい輝彦)
の首が天井から吊るしてあった!

横溝正史=市川崑=石坂浩二トリオの東宝金田一シリーズ最終作。
この原作は過去に執筆された作品の映画化はなく、70年代後半の金田一ブームに
のって、横溝正史が書き下ろしたもの(たしかそうだ)

「女王蜂」から1年ちょっとの間をおいての新作映画だ。
さすがに「女王蜂」の時のようなヨレヨレ感はなくなっているが、「面白い!」と
いうほどでもない。

その代わりキャストは「女王蜂」では犯人役の女優総出演だったが、今度はその他の
俳優陣が総出演だ。
あおい輝彦、ピーター、岡本信人、中井貴恵、小沢栄太郎などが出演。北公次も出演して
くれたらもっとよかったのだが。

新規の出演では草刈正雄の活躍が目立つ。市川作品では「火の鳥」に続いての出演。
金田一の助手として髭面で二枚目ではない役柄。
実は初見の時はそのうち金田一役をやるのではないかと思ったが、実現はしなかったな。

話のほうは「病院坂」と呼ばれる坂の途中に立つ、法眼家という病院を経営する家の戦争で廃屋と
なった建物が舞台。
この法眼家の「血の怨念」が事件の元凶。他人と思われた人が実は血がつながっていて、
というような複雑な家系が話の中心なのだが、この人間関係が映画で見るとよくわからない。
一通り説明があった後、「難しいですよね」みたいセリフが登場するが、一度聞いただけでは
頭によく入らない。手書きの家系図が少し登場するが、これがはっきり写してくれないので
映画だけしか見ていない客にはホントよく解らないのだ。

これは初見の時にも思った感想で、そのときには一緒にみた友人も「人間関係がよくわからなかった」
ともらしていたのを思い出す。
でも犯人だけは実は最初から察しがつく。
このシリーズは美熟女競演が売りの一つなのだが、今回はその美熟女が佐久間良子しか登場しない。
だからもうその時点でなんとなく想像してしまう。

また映画の冒頭でアメリカに渡る金田一が旧知の推理作家を訪ねるのだが、この推理作家とその妻を
実際の横溝正史夫妻が演じているのが遊びとしてご愛嬌。
そして金田一耕助も犯人に同情し、証拠品の古い写真の乾板を破壊してしまうという、今までに
なかった金田一の姿も登場。

シリーズ最終作となったわけだが、やはりシリーズ当初の勢いは感じられず、マンネリ感のほうが
つよい。「女王蜂」よりは盛り返したものの、「有終の美を飾る」とまでは行かなかったようだ。

(またオープニングのクレジットタイトルがいつもの明朝体ではなく、ゴシック体で書かれていたので
こんなところにもちょっとシリーズとしてのちょっと異色な感じがしました。出演者のトップは佐久間良子で
石坂浩二はトリだったし)



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女王蜂


日時 2006年12月3日10:30〜
場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・プレミアスクリーン
監督 市川崑
製作 昭和53年(1978年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


昭和8年、伊豆の大道寺家に二人の青年が泊まったことが事件の発端。
その青年の一人、日下部(佐々木勝彦)と大道寺家の娘琴絵(萩尾みどり)は恋仲になるが
日下部の母が結婚に反対し、日下部は謎の死を遂げる。
琴絵はもう一人の青年銀造(仲代達矢)と結婚。やがて19年が過ぎ、日下部と琴絵の間に
出来た娘智子(中井貴恵)を伊豆から銀造の住む京都に住まわせ、結婚させようと話になる。
しかし智子に求婚する男性はみな殺されていくのだった。


金田一耕助シリーズ4作目。
はっきり言うけどもうよれよれである。
この頃、市川崑は手塚治虫の「火の鳥」と重なったようで、一部は松林宗恵監督が
撮ったらしく「協力監督」とクレジットされている。

以下どの辺が不満だったかを記していく。

まず死体飾りとか俳句、手毬歌、などの昔からの言い伝えになぞらえた犯行、というのが
「横溝ミステリー」の肝である。今回はそういう楽しみがない。
もちろんすべての作品がそうであるとは限らないことは知っているが、ここは「お決まりの
お楽しみ」なのだ。
冒頭の時計台の殺人で無理やり死体の腕が歯車に挟まって切れる、という残酷ムードを
出しているが、あまり意味がない。

また登場人物の人間関係がやや複雑なのだが、それを伴淳三郎との会話だけで延々と
説明するので、聞きながら頭で整理しないといけないので、正直頭によく入らない。
(要はわかりづらい。人物名と顔が一致しないのだ)

最後に金田一が「犯人はあなたですね?」と謎解きをするのだが、「違います、私が犯人です」
という人物が現れ、自殺する。
ところが実はその人物は犯人ではなく・・・・という展開になるのだが、その真犯人というのが
以外でもなんでもない。
面白くない。

加藤武警部の「よーし、わかった!」が1回しかない。
正確に言うともう一回あるのだが、それは金田一による謎解きの直前で、ちょっとタイミングが
ずれている。
そもそも「いかにも怪しい」というのが沖雅也の青年ぐらいしか登場しないのも問題が
あるのだが。

(その代わりに中井貴恵が本作でデビューに当たって資生堂の口紅の本作とのタイアップCMに
出演したのだが、そのときのキャッチコピー「口紅にミステリー」に引っ掛けて、「時計に
ミステリー」「口紅にミステリー」と言わせているが、インパクトは弱い)
最後に金田一と加藤武の警部が別れ際に「金田一君!また会おう!」と言って別れるのは
「もうどうとでもなれ」という市川崑のため息か。

そしてキャストも3作で犯人役を演じた女優陣(高峰三枝子、岸恵子、司葉子)総出演という
豪華版(というか鍋に具を全部突っ込んだ感じ)。大物男優として仲代達矢出演。
(学生服のシーンはちょっと痛々しい)

また本作品デビューの中井貴恵、佐田啓二の遺児、ということで鳴り物入りのデビューだったが
きれいだが、演技はうまくなく(ヘタ)この後東宝の売り込みにもかかわらず、その後大した
活躍もなく見かけなくなった。

京都の茶会のシーンで第2の殺人があったとき、登場人物たちがすべてマルチスクリーンとなって
捉えられるなど、映像的にも工夫はされているが、全体として原作のセレクトミスから始まって
準備不足のよれよれ感が漂う。

もうとにかく東宝の都合で作らされた、という感じの映画で、とりあえず金田一シリーズは
一旦休み、1年以上おいて「病院坂の首縊りの家」が製作されることになる。



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