2007年1月

スキトモ
マジシャンズ 六ヶ所村ラプソディー けつわり あるいは裏切りという名の犬
音楽喜劇
ほろよひ人生
急げ!若者 シルバー假面 ダーウィンの悪夢

スキトモ


日時 2007年1月27日21:15〜
場所 ユーロスペース(地下)
監督 三原光尋

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智和(斉藤工)は大学ボクシング部のヒーロー選手。そんな彼のことを後輩であるヨシキ(相葉弘樹)
は常に見つめていた。新聞部の取材と称していつも智和の練習を見つめ、カメラに収めるヨシキ。
しかし智和の血のつながらない妹、みさおも智和のことを好きだった。
告白できない感情に彼らは動かされていく。

人気コミックが原作かと思ったら、そういうわけではないらしい、ボーイズラブ・ストーリー。
私は知らないがミュージカル「テニスの王子様」で人気の二人を主役にした企画らしい。
主役の二人が肩を組んでいるスチルが実にかっこよく、このスチルを見ただけで見たくなった。
東京、大阪、名古屋だけで各地での公開はレイトショーのみのようだから、オリジナルDVD作品
の先行公開といった感じの劇場公開なのだろう。
実際上映時間も70分弱で、昔風に言えばSPの作品だ。

お話のほうは橋口亮輔の描くような「リアルなゲイの悩み」といった現実的な話ではなく、
美少年たちのピュアなラブストーリーだ。
美少年マニア(というべきか)の女の子向けに作ってるのだから、それでいいのだろう。
(僕が見たときは観客は40人ぐらいだったが、男性客は5人ぐらいだった)

だから性的なシーンはほとんどないのだが(例えばヨシキが智和を想って自慰行為をする
といったような)、そんな中でも始めのほうで、歩いているところへ突っ込んできた
オートバイに避けようとして結果として智和がヨシキを押し倒してしまい、ヨシキがドキマギ
してしまうシーン、智和の飲むスポーツドリンクのペットボトルをヨシキも飲んでしまう
シーン、ファーストカットの智和の汗、といったシーンが、きわどさの一歩手前で止めている
欲望のカットで、僕としては好きなカットだった。

あくまで「美少年マニアの女の子向け」といったレベルの作品だから、役者の演技が下手とか
シナリオがパターン的だとか(ヨシキが子供の頃交通事故で足が少し悪いとか、みさおと
智和は親が再婚同士で血がつながっていないとか)そういう批判もできるのだが、
これは斉藤工と相葉弘樹の美少年、美青年ぶりを楽しむ作品なのだ。

その意味においては私は充分楽しかった。
見て損した気にはならなかった。



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マジシャンズ


日時 2007年1月27日16:55〜
場所 シネマライズX
監督 ソン・イルゴン

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今は人知れず山奥の山荘でカフェを営んでいる主人公は以前は学生時代の仲間と
マジシャンズというバンドを組んでいた。
メンバーで彼の恋人が自殺したことからバンドは解散したが、大晦日の夜、バンドメンバーは
その山荘で再会する。


95分ワンカットの映画。
この映画の売りは95分ワンカットという一点だけのような宣伝だ。
正直、そういうのを売りにするのはどうかと思う。
ヒッチコックの「ロープ」ようにまあそういう技術的な面白さも売りの一つにはなるかと思うが、
それはあくまで「マニア受け」にしかならないと思う。
パンフレットも「ワンカットの秘密」とでもいうような技術的な話題が多い。

「トゥモロー・ワールド」のような激しいアクションの連続で10分のカットなら
見終わったあとに拍手したくなるのだが、今回は見ていてつらい。
「ここにアップのカットが欲しい」と思っても入らないし、カメラがよろうとすると
間が生まれテンポが悪い。
話も特別面白い話ではないし、(私は「マジシャンズ」というタイトルからなんとなく
ミステリーっぽい話を連想していた)特にどんでん返しやオチもなく、かったるい
テンポの青春ドラマを見せられただけだった。

話は面白くないし、その上テンポが悪い。
何度も寝そうになった。
シナリオがあって、そのシナリオを映画にするに当たっての演出方法として「ワンカット」に
なったのならともかく、「ワンカットの映画を作ろう」というそういう実験精神が先行して
いたかのような印象を受けた。

この映画に関わったスタッフ・キャストはこの映画の経験がこれからの映画製作において
きっと役に経つとは思うよ。
だから作る側にとっては作る意義が大きかった映画だとは思うが、見るほうにしてみれば
練習作品を見せられたような、作った側だけが楽しい自己満足映画を見せられた気になった。
ああ・・・・・



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六ヶ所村ラプソディー


日時 2007年1月27日13:20〜
場所 ポレポレ東中野
監督 鎌仲ひとみ

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よくわからないのだが文化庁が支援している。
国のエネルギー政策批判のこの映画に文化庁が支援しているというのがよくわからない。
監督が会場に来ていたので訊けばよかった。

青森県六ヶ所村に核燃料再処理工場が完成し、2007年には本格的に稼動する。
安全だ、安全だという行政の説明に不安を隠し切れない住民たち。
「私一人の力ではどうにもならない」と諦める人、ビジネスチャンスととらえる人、
生活のために仕方無しに関連施設で働く人、この土地にはさまざまな人の想いが渦巻いている。

前にも書いたけどドキュメンタリーの面白さは「今まで自分が知らなかった世界を
教えてくれる」ことに面白さの大半があると思う。
その点で言えばこの映画はあんまり面白くない。
原発の問題は以前なら黒木和雄の「原子力戦争」アメリカでは「チャイナシンドローム」
最近では「東京原発」など「映画の素材としては」それほど目新しくはない。
もっとも今までの映画で充分だとは思わないから、作る必要がないとは思わないが。

面白くない理由の一つは構成に工夫がない。その上上映時間が2時間は長い。
取材してきた素材をただパートごとに並べるだけでは当たり前すぎる。
しかも時々挿入される風景カットが長く(と言っても15秒ぐらいのことなのだろうが、
これは数秒でもいいと思う)
要はテンポが悪いのだな。

この辺の監督の構成に対する考えは僕の考えと違うというだけで、別に間違っているとは
思わない。
でも映画全体に激しさがなく、のんびりした感じなのだな。
例えば賛成派と反対派、中立派、無関心派などの意見を10秒づつカットバックでつないで
いったらまるでディスカッションをしてるような激しさ、インパクトを感じられるのではないか。
「あんにょんサヨナラ」はこういう構成が見事だったと思う。
この映画では一人一人のインタビューをそのままパートとしてつないでいるので、真面目な
構成ではあるが映画としての面白さ、激しさ、監督の主張と言ったものは編集、構成からは
感じにくい。
(映像を編集によって加工してしまうとインタビューに応じてくれた人に失礼だと思った
のかも知れないが)

また面白くない理由の一つに映画全体を引っ張る人物がいないことだと思う。
例えば「あんにょんサヨナラ」ではヒジャさんと古川さんだったし、「蟻の兵隊」では
奥村さん、「ボウリング・フォー・コロンバイン」ではマイケル・ムーア自身が
「めぐみ−引き裂かれた家族の30年」では横田さん夫妻だった。
映画を引っ張る対象に適切な人がいないなら監督がもっと前面に出てきてもよかったと思う。

あまり誉めなかったが、印象に残ったシーンを。
六ヶ所村の方の話で、再処理工場は「新築の家の土地にある地雷のようなもの」という。
何かなければ実際何事もなく暮らせるが、常に不安が残るということだ。
またイギリスに取材に行ったシーンでの漁師の話。
向こうでも「例えていえば親戚に変わり者のおじさんがいるようなもの。縁を切りたいが
親戚なのでそうも行かない」というわけだ。
このあたりが原発関連施設の近くで住む人の心情を端的に表していると思う。



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けつわり


日時 2007年1月20日
場所 DVD
監督 安藤大祐
製作 2006年


例の「まぶしい一日」という映画に携わった安藤大祐さんの自主製作映画。
24分の短編だ。
劇場公開されているわけでもなく、先日の「まぶしい一日」の上映に際して安藤監督本人から
DVDをいただいた。

現在の自主製作映画のレベルがどの程度なのかまったく無知なのだが、想像以上にレベルが
高かった。
これが現在の平均的自主製作映画のレベルなのか、特にこの作品がいいのか私には解らない。

まず画がきれいだった。
スクリーンで見たら印象も違ったかも知れないが、TVモニターで見る分には充分な出来だった。
その上、音声もしっかりしている。
こういう自主映画などだと同時録音した音がマイクの性能のせいで、必要な音がきれいに
録れていなかったり、逆に聞こえなくてもいい音が妙に聞こえたりする。
そんな音のバランスの不均衡が気になることはなかった。

タイトルの「けつわり」とは昔の炭鉱で仕事がきつくて逃げ出した人のこと。
映画のほうは戦時中の筑豊の炭鉱が舞台。
強制労働から逃げ出した朝鮮人と日本人少年の心の交流を描いた作品。
戦時中のシーンはモノクロ映像。
逃げ出してきた朝鮮人を少年が家にかくまうのだが、その少年の家に炭鉱の労務係が
やってきて・・・・
という内容。

技術的にはいいのだが、ここで演出、というか脚本に一工夫欲しかった。
少年が朝鮮人をかくまいました、少年は学校ではいじめられていましたが、やがて
自分をいじめる同級生に立ち向かうほど成長しました、って言うのが映画の内容のだが、
話にもう一ひねり欲しい。
炭鉱の労務係がやってきたあたりをクライマックスにすえて、かくまっている朝鮮人が
見つかりそうになる!という味付けをすれば(つまりサスペンスとして盛り上がりをつけていれば)
もっといい映画になった気がします。
あるいは「実は労務係はこの家に朝鮮人がかくまわれているのをうすうす気づいているだが、
気づかないフリをする」とかのヒネリがあると映画全体の印象も違ったように思う。

次回作を期待しています。



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あるいは裏切りという名の犬


日時 2007年1月20日19:15〜
場所 テアトル銀座
監督 オリビエ・マルシャル

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パリ警視庁の総監候補のレオとドニ。今パリでは昨年から現金輸送車を襲う連続強盗団
の事件が起こっていた。
彼らは捜査の末、犯人たちのアジトを突き止め、逮捕に踏み切ろうとするのだが、
手柄をあせったドニはレオの指令を無視して突入を開始する。

面白かった。
大人の男たちがかっこよい。

私はこの邦題は好きだ。「カッコつけたタイトルだ」と敬遠される意見も
あるようだが、正直、私はこの邦題だから見に行った。
地下鉄に貼ってあったポスター、「あるいは裏切りという名の犬」。
原ォ氏の小説「そして夜は甦る」「愚か者死すべし」など文章調のタイトル
好きなんですよ、私。
この映画のタイトルもおお、フランスフィルムノワールらしい、いいタイトルだなあ
と思ったら原題はパリ警視庁の住所を示す所番地。日本で言えば「桜田門」ということに
なるらしい(チラシにそう書いてあった)
となるとこの映画の興行成績はこの邦題によるものもあるのだろう。
(少なくとも私はこの邦題効果、で見に行った)

しかもこの邦題の持つ雰囲気を壊すことなく、映画はハードボイルド調に(笑いなんかなく)
進んでいく。
現金輸送車を襲う連続強盗事件。それを追う警察、警察内部の対立、密告、ヤクザに
はめられる刑事などなど、いわゆる「ハードボイルド」な要素をはらみつつ、物語は結末へ。

主人公をはめた悪徳(実はそう呼べるか微妙だが)刑事と対決する主人公。
こういった主人公は若いイケメンではだめだ。
やはり人生の年輪を感じさせる「大人の男」が必要。
近頃の「美男美女」ばかりが出演する映画と違って、見た目の美しさではなく、
内側来る美しさに彩られた男たちが活躍する。

そして意外な(小声で「あっ」と言わせる伏線)結末。見事だ。
映像が美しい(それは実は「パリの風景」が根本的に日本人には
きれいに見えるだけかも知れないが)

でも日本でもこういった映画は製作可能ではないか?
CGを駆使した派手な見せ場がある映画より、はるかに低予算で来そうだ。
役所広司あたりを主役にして一本作ってもらいたいなあと思う。
そうすれば今の日本映画をもっと好きになるのだが。



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音楽喜劇 ほろよひ人生


日時 2007年1月20日16:00〜
場所 国立近代美術館フィルムセンター
演出 木村荘十二
製作 昭和8年(1933年)

(詳しくは日本映画データベースで)


東宝の前身PCL(写真化学研究所)の第一回作品。
東宝映画の歴史はこの作品から始まったといえる。

フィルムセンターで貰った資料によるとPCLの経営者の植村澄三郎が大日本麦酒の
重役であったことから宣伝もかねての内容だったようだ。
主人公のトク吉(藤原釜足)は駅のホームでアイスクリームを売りながらビアホールを
持つことを夢見ていて、同じ駅のホームで働くビール売りのエミコに惚れている。
だがエミコのほうは音楽大学の学生に惚れている。やがてその学生が作った歌「恋は魔術師」
が大ヒット。
しかし音楽大学からは「こんな低俗な歌を作るとはまかりならん!」と退学処分になってしまう。
エミコはその作曲家と結婚。
一方トク吉は泥棒たちが盗んだ宝石を偶然宝石店に返すことが出来、一躍その賞金が手に入る。
泥棒たちは今度はエミコたちの家を襲うする。
それを知ったトク吉は泥棒たちを追っ払うために一計を案じたのだが。

そんな感じの話。
さすがにトーキー研究から始まった会社らしく、第一回作品は音楽をふんだんに使った映画だ。
駅のホームでビールを売るというのは(しかも長距離列車のホームではない感じだが)
今じゃ考えがたい(ほら例の新大久保での転落事故があったから)。
でその駅のセットなのだが、リアルな駅のセットではなく、書き割りのような可愛い感じ。
このあたりが「まだ演劇との境がはっきりとしていなかった」と解釈すべきなのか、
「この映画の美術演出」と考えるべきなのかは、当時の映画をほとんど見たことがない
私には判断つかない。
しかしこの映画に関して言えば、リアルなセットより書き割りのほうがこの映画の世界には
ぴったりだったとように思う。

ほのぼのとした恋愛歌謡映画だった。
後のクレージーや「君も出世が出来る」、若大将、アイドル青春映画に引き継がれていく
要素を見て取れる。
東宝映画の原点を確認させていただいた。
しかし、今の(21世紀の)東宝映画にはその面影はない。



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急げ!若者


日時 2007年1月20日13:00〜
場所 国立近代美術館フィルムセンター
監督 小谷承靖
製作 昭和49年(1974年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


かつてのジャニーズ事務所のアイドル「フォーリーブス」主演映画。

フォーリーブス扮する4人の少年は孤児院を卒業し、社会に出た。
北公次はバンドボーイ、おりも政夫はガソリンスタンドの店員、江木俊夫はブティックの店員、
青山孝はホテルのボーイに。
ライブハウスで他の客に迷惑をかけていたヤクザを追っ払ったことがきっかけで
ヤクザと縁が出来る北公次。
一方江木俊夫のミスから始まったことが原因で、おりも政夫はガソリンスタンドの集金してきた
金が車上狙いに盗まれてしまう。
その金をガソリンスタンドに返すために、孤児院の先生(日色ともゑ)の作った曲を売り込み始める。
やがてデビューも決まった彼らだったが、今度はヤクザが承知しない。

という不幸な境遇の若者が歌によって成功しようとする話。
このあたりは後のたのきん映画「スニーカーぶる〜す」にも通じる。
脚本は同じ田波靖男だからか。
前半のベタなギャグ(ガソリンスタンドのいやなオーナー(藤木悠)が洗車機に巻き込まれる
あたり)も東宝アイドル映画(というか田波靖男)のセンス爆発だ。

主演はもちろんフォーリーブスだが、思ったより郷ひろみの出演シーンが多かった。
顔見世程度のワンシーンの出演かと思ったら大違い。
日色ともゑの作った曲をレコード会社に売り込みに行ったり(相手は藤村有弘)
ラジオの生放送の番組に(パーソナリティは何と二瓶正也だ!)乱入したりする。

で映画の中では北公次はデビューを前にヤクザとの喧嘩で死んじゃうんだけど、その後にある
デビューコンサートのシーンで郷ひろみが北公次の代役をやることになる。
さすがに映画の中では「こーちゃんの代役なんて出来ない!」と郷ひろみはスポットライトから
外れるという映画の中ではバランスをとりつつ、フォーリーブスと郷ひろみの共演を
果たしている。
人気アイドルとその弟分を売って行く「ジャニーズ商法」はすでにこの頃から確立されていた。

フォーリーブスでは一番人気だった北公次だが、個人的には江木俊夫のほうが好きだな。
他にも佐原健二がホテルのマネージャーだったり、二瓶正也のラジオの仕事をしていた頃の
様子が出てきたり、「ウルトラファン」としての見所もありましたね。
(あと岡田真澄もフォーリーブスを売り出す芸能事務所社長役で出演)

本日の上映は突然の北公次の舞台挨拶と小谷監督の来場というおまけ付。
1月20日は偶然にも北公次の誕生日だったそうで、ご本人にとってはかつてのファンに囲まれ
とてもうれしかったことでしょう。



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シルバー假面


日時 2007年1月6日21:00〜
場所 ユーロスペース
監督 実相寺昭雄(第1話)北浦嗣巳(第2話)服部光則

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はっきり言うけどヨレヨレの低予算作品だ。
実相寺昭雄がかつてのヒーロー番組「シルバー仮面」をリメイクすると聞いてきたが
前のテレビシリーズとはまったく関係がないといってよい。
僕自身は前の「シルバー仮面」は見ていないので、思い入れはない。

でも大正時代が舞台と聞いてなにやら「帝都物語」風な感じ。
多分、実相寺も彼のお得意な純日本的な世界とSF的世界のミスマッチの独特世界を
描こうとしたのだろう。
しかしその志はわかるが低予算のためにヨレヨレである。

第1話は実相寺監督作品であり、まあ見る価値のある作品だ。
しかし2話目になるとギャグなのか真面目に作っているのか判然としなくなる。

「シルバー假面」の由来が語られる2話だが、もともと森鴎外(こういう実在の人物を
絡めるあたりが「帝都物語」的だ)ドイツ留学中に山の中を歩いていたら山の神
から問題を出されて森鴎外が勝ったから不思議な力を持つ指輪をもらった、というもの。
その問題なんだが、一つ目は山の神が出す。
「こうもりが飛んでいった。そのこうもりは西へ行ったか、東へ行ったか?」
とか言って要はなぞなぞを出すだけ。ギャグとして笑うべきだったろうか?
またシルバー假面となる女性の少女時代が語られるのだが、ドイツの設定なのに
日本で撮影し、登場人物は在日の外国人が日本語をしゃべって演じる。
これも笑うべきなのだろうか??

とにかく全体として低予算の悲惨さが目立つ作品で、学生の自主映画に毛が生えたような
作品だった。
そもそもセルDVD作品として製作され、劇場公開はレイトショーのみで、前宣伝、というか
ジャケットに「劇場公開作品」という1行を書くために行っているようなもの。
1話30分で3話なら締まってよかったろうが、1話45分で3本で2時間15分はきつい。
見た日はちょうどひし美ゆり子さんの舞台挨拶がある関係で場内は満席。
満席の酸欠状態でレイトショーだから眠気が襲ってくる。
つらかったなあ。

それにしても低予算でしょうもない作品を作るのはやめようよ。
見てるこっちの身にもなってくれ!
そういうなら見なきゃいいんだろうけど、やっぱり「実相寺作品」となると見ちゃうのだな。

しかし、その実相寺監督ももうこの世にはいない。
これが遺作とはねえ。
でも「姑獲鳥の夏」「乱歩地獄〜鏡地獄」で実相寺世界を堪能出来たから、この2本が
あったことは本当によかったと思う。
実相寺氏のご冥福をお祈りする。



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ダーウィンの悪夢


日時 2007年1月6日17:15〜
場所 シネマライズ(地下)
監督 フーベルト・ザウパー

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アフリカのタンザニアのヴィクトリア湖。ここでは30年ほど前に人が放った
肉食の魚、ナイルパーチがそれまで「ダーウィンの箱庭」といわれるほど生物の種類が
多かったその湖の生態系を破壊した。
またナイルパーチは食用に適しているのでナイルパーチの加工工場が出来、一部の人には
仕事と冨をもたらした。
しかしそれは一部の人々。この国の抱えている問題は数知れない。


うわっ、見なきゃよかった。
正直な感想である。映画がつまらないのではない。
この国が抱える問題を見せられるたびに彼らに対して何もしてやれないことに罪悪感が
出てしまう。

ナイルパーチを輸出するためにヨーロッパから飛行機がやってくるが、そのパイロットを
相手に女性は売春をする。
加工した魚は価格が高くて地元の人は買えず、捨てる骨の部分だけを食べる。
仕事にありつけた人はいいほうで、大半の人には仕事がない。
子供を学校に行かせることも出来ず、育てられなくなった子供は捨てられ、ストリート
チルドレンとなる。

子供達はナイルパーチを保存する箱の白いもの(発砲スチロール?)を火であぶり、
そこから発生するガスを吸って気分をよくする。
しかしそれはおそらくはシンナーを吸うのと同じ効果があるのだろう。
当然死に至る子も少なくない。

ナイルパーチを輸出するための飛行機はアフリカに来るときは積荷は空だという話。
しかし実はアフリカに来るときは武器を密輸しているらしい。
戦争さえも人々の間には「兵隊という仕事にありつける」という理由で望むものすらいる。

国連の視察団もナイルパーチの加工工場を見て「この国の近代化に寄与している」と表面だけを
見て喜んでいる。
そのミーティングをしてるホテルの窓から見える外にはストリートチルドレンがいるというのに。

ラスト、輸送機に機長がいう。
「俺だって世界中の子供が幸せになってほしいと思うよ。でもこの国の子供達のためには
どうすることも出来ない」

貧困の連鎖。一旦陥ってしまうとなかなか抜け出せない。
そしてナイルパーチは日本にも輸出されている。
よくコンビニ弁当などで食べる「白身魚のフライ」がそうらしい。
我々が彼らのために何が出来るのだろうか?
だからアフリカ関連の映画は苦手だ。
だからといって逃げるのは許されないことだと思う。



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