2007年2月

幽閉者(テロリスト) キャプテン トキオ 悪魔の手毬唄
雌が雄を喰い殺す
三匹のかまきり
雌が雄を喰い殺す
かまきり
最後の審判 不都合な真実
どろろ ディパーテッド 守護神 囁く死美人
一万三千人の容疑者 狙われた娘 本陣殺人事件 僕は妹に恋をする
あなたを忘れない 恋の大冒険 乾杯!ごきげん野郎 それでもボクはやってない

幽閉者(テロリスト)


日時 2007年2月25日16:15〜
場所 ユーロスペース1
監督 足立正生

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あるテロリスト(田口トモロヲ)は国際空港で仲間と3人と機関銃の乱射事件を起こす。
他の2人は自決できたが、彼は自決用の手榴弾が不発に終り、逮捕される。
そこで彼は監禁、拷問を受ける。やがて彼は精神の均衡を失い、彼の前にはフランス革命や
ロシア革命などの革命家が現れる。

あの足立正生35年ぶりの新作。
足立正生という人は大島渚の「絞死刑」にも出演していて、映画における思想表現に飽き足らず
ついには日本赤軍に加わったというすごい経歴の方。
学生時代、私も大島渚の映画が好きだったこともあり、足立正生の名前は知っていてその後
重信房子らと一緒に交番に指名手配の顔写真が載っていたのが印象的だった。
映画で革命を表現するのでなく、実際の革命家になってしまったのだから。

そんな足立も日本に帰ってきて、映画を撮るという。
しかもタイトルは「テロリスト」だ。
一体どんなものが出来るか大いに期待していったが、これがとんでもないシロモノ。

まず低予算ミエミエ。
ビデオ撮りだから画がよくないし、冒頭の空港襲撃シーンが彼ら3人のカットと爆発音だけ
なので、見ていてもの悲しさを感じてしまう。
しかし悲しいのは最初だけで、あとは(見ているほうに)苦行が待っている。
主人公が捕らえられて、そこからはほとんどのシーンが牢獄につながれた彼のシーンばかりで
画の変化はないし、見ていて実に退屈する。
見ているこっちが映画館という牢獄に幽閉されている気がしてくる。

彼は当局から拷問を受け、牢獄に入れられた上に手首を鎖でつながれ、めしは犬のように
食器に顔を当てて食べさせられる。
しかもこの映画、やたら食べるシーンが多い。
ただ鎖につながれているだけではさすがに画にならんと判断しての、アクションとしての
食べるシーンなのだろうが、それも見たような犬食いのカットばかりなので見ていて退屈
することこの上ない。

80分ぐらいの映画ならともかく、2時間もあるのだよ。
こんなに映画を見ていて退屈するのは久しぶりだ。
周りの観客もかなり退屈しているように見えた。

なんと言うかなあ、もう言うことがないのだよ。
今年のワーストワンかな。
今日、午前中に「キャプテントキオ」を見たときにも「ワーストワン」と思ったが、あっちは
まだ「ウエンツ瑛士」という見所がある。
こっちは田口トモロヲという(熱演はしているが)見ていて面白くないおじさんなので(彼が
脇で固めるなら、よかったのだが)とにかく帰りたくなった。
最近渋谷の単館上映の映画を見るとはずれなことが多い。
渋谷で映画を見ること自体、いやになってしまいそうだ。



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キャプテン トキオ


日時 2007年2月25日11:15〜
場所 シネマGAGA!
監督 渡辺一志

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東京は大地震で復興不可能な状態になり、日本政府は東京を見捨ていまや
東京は無法地帯と化していた。
そんな東京で都知事主催のロックフェスティバルが行われると聞きつけ、
高校生が二人(ウエンツ瑛士、中尾明慶)東京にやってくる。
しかし彼らは「映画屋」と称する映画を作っている連中に捕まってしまう。

ウエンツ瑛士初主演映画。(でも「ゲゲゲの鬼太郎」の方が撮影は先かも知れない)
でもねえ。
はっきり言って下らん。
まるで高校生の自主映画のレベルなのだよ。

「ロックが好きで映画が撮りたいんだ〜〜」と子供がダダをこねているようなレベルの内容。
10代の学生が撮ったのならまだわかるが、監督はもう30過ぎているのでしょう?
いい加減に考えが(失礼だが)幼くないか??

フルタ(ウエンツ)はいろいろあって新東京都都知事(泉谷しげる)の製作の下、
「キャプテントキオ」なるヒーローものの映画を作り始める。
で天気待ちをしないで晴れで撮りたいところを曇りで撮ったところから妥協が
始まり、テレビで放送されてみたら、都知事に改変されていた。
このあたりで要は「自分の信念は曲げるな!」ということが言いたいらしい。
そしてもう一つ言いたいらしいのが「友達を大切にしよう」

ふ〜〜〜
あのなあ、いい大人がそんなことテーマにすんなよ。
もう少し社会勉強してほしい。
高校生が撮った映画じゃないんだよ。
昔の大島渚とかはさあ、(とか言いたくないが)「愛と希望の街」を撮ったときは
まだ20代だったはずだ。
こういうことを言いたくなるのは俺がジジイになった証拠か?

2週目の日曜日の11時の回だったが、客は20名ほど。
ほとんどがウエンツか中尾ファンらしい女の子。
ロビーに出ても客は待っていなかったから2回目もガラガラなのだろう。
ウエンツも興行力としてはまだまだだな(個人的には好きだけど)

そのウエンツ、本作品ではパンツ一枚になって頑張っている。
ウエンツは映画監督を夢見る少年の設定だが、いしだ壱成と映画の中で映画談義をするシーンがある。
そのいしだが「なんかスピルバーグっていいよなあ」となんとなくいうのだが、
そこでウエンツが濃い映画談義が出来ると思って「どんなところが?」と目を
輝かせて聞こうとする。
するといしだが「なんかこう、ファッションというかなんていうか」というみたいな
答えしか返ってこなくて、ウエンツが落胆するのだが、そのときのだんだん
落胆していく表情の変化がいい。

映画全体としては昔の石井聡互の映画を安っぽくしたような感じで(多分石井聡互みたいな
映画を作りたかったのだろう)面白くない。
ウエンツファンもがっかりしたんじゃないかな。
でも映画上映後におまけ上映として映画の中で作られていてウエンツと中尾が無理やり
出演させられた映画「メキシコの烙印」(だったか?)の中で、「演技が下手な高校生」
を演じたウエンツは、そのヘタさが出ていて(わざとヘタに演じているということ)
よかった。
(でもこの映画は要はマカロニウエスタンと鈴木清順の「殺しの烙印」のオマージュ
なんだろうな)



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悪魔の手毬唄(1961)


日時 2007年2月24日19:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 渡辺邦男
製作 昭和36年(1961年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


横溝正史の原作を高倉健の金田一耕助で映画化!という触れ込みのこの映画、
実は全くの別物。
なにやら「すごい映画らしい」という評判は聞いていたので驚きはなかったが、
それでもやっぱりすごかった。

原作では重要な伏線だった亀の湯の女将さんの主人が20年前に殺された!という
事件はどこかへぶっ飛び、肝心の手毬唄も仁礼家の娘が流行歌手になり、
その新曲という形で登場。(一応、村に古くから伝わる歌を題材にしたという
設定はある)だから曲は原題風。

オープニングでこの歌手が故郷にマネージャーと車で帰る途中、マネージャー
もろとも殺される。
そしてこの村に(ちょっと旧式の)オープンカーに乗って金田一が颯爽と現れる。
で、仁礼家と由良家の対立、といったものはなく、唄の内容のように飾られた
連続殺人が起こるわけでない。

映画では実はこの仁礼家の主人は誰かから半年前から脅迫されていて・・・
という展開。その脅迫の内容が、20年前に青池(アオイケ)という男の
土地を実印を偽造して取り上げたことが元になっているとなる。
そして今度は仁礼家の息子が自分の部屋で猟銃自殺のような形で殺される。
しかし金田一は一目で「これは自殺に見せかけた毒殺だ」と判断する。
(磯川警部は神田隆)

で、犯人なのだが、意外でしかなかった。
動機はないし、第一、毒殺した後どうやって猟銃を撃ったのかというような
あたりの説明がまるでない。
いやいや最初の殺人の犯人は誰?実は生きていた青池??
説明があったのかも知れんがよくわからなかった。

金田一さんなんだが、警視庁の嘱託の設定。
映画の途中で資料を持ってめがねをかけた秘書みたいなのが登場する。
(ラスト、事件が解決した後、「先生、このまま九州の現場に行かれます?
それとも一旦東京に帰ります?」とのたまうのだ。)
金田一は映画の中で村の住民の山本麟一に「なんだこのよそ者は!」みたいな
罵倒をされるのだが、「先生は警視庁の嘱託です!」と立派に反論する。
(私は山本麟一が犯人だと思っていた)

結局、原作は読まずに登場人物の名前と手まり唄が出てくるという設定だけで
シナリオを書いたんだろうなあ。
それにしても雑だぞ。
なにか裏の事情があったんだろうか?



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雌が雄を喰い殺す 三匹のかまきり


日時 2007年2月24日17:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 井上梅次
製作 昭和42年(1967年)

(詳しくはキネ旬データベースで)



婦人服会社の「ムラキ」はワンマン社長(内田朝雄)とその息子の専務(穂積隆信)と
その妹の常務(岡田まりこ)で経営していた。
専務は親友で営業部長の大場(根上淳)を使って常務を誘惑し、結婚させ
仕事から引退させ経営を独り占めしようと目論んでいた。
大場には妻がいたが、その妻は海で遭難、事故死したと思われた。
これ幸いと大場は常務と結婚、しかし大場の前に死んだはずの妻が現れる。
専務、常務、大場、大場の妻、愛人のモデルらのもくろみは一体どうなるのか???

テンポのよいストーリー展開、くるくる変わる悪人たち。
最初はただのプレイボーイとして常務、妻、モデルの愛人と3股かけていた大場は
やがて社長殺害の殺人犯にしててあげられてしまう。
3股をかけて女たちをはしごし、楽しくやっている間のにやける大場は実に笑える。
場内にも笑いが絶えない。

しかし、彼は一転して殺人犯に。
悲劇のヒロインだった常務も本性を現し、徐々に悪女になって大場を落としいれ、
それを知った大場の妻やモデルたちが常務を脅迫し始める。
しかし彼女も負けてはいない。

そんな感じで状況はくるくる変わり、目が離せない。
さすがは井上梅次のミステリーだ。

出演ではなんといっても根上淳だ。
根上淳は大映の主演俳優だったが、どうもこれといった有名作品が思い浮かばない。
しかしこの映画では、3人の女性を相手に大人の男のプレイボーイぶりを十二分に発揮。
前半は3人の女性を相手ににやけていたのが、やがて殺人犯として追い詰められていく
様は実に印象に残る。

感動大作!というわけではないだが、見ている間の1時間半、充分楽しめる上等の
プログラムピクチャア。
さすが井上梅次!



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雌が雄を喰い殺す かまきり


日時 2007年2月18日19:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 井上梅次
製作 昭和42年(1967年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


観光会社社長、大田黒軍平(加東大介)はバスの運転手から一代でのし上がった男。
妻の京子(岡田茉莉子)は人もうらやむ美人だが、軍平はそれには飽き足らず、
妾を多く抱え、一晩に3人4人と掛け持ちで回ってナニを交わす絶倫男だった。
ある日、軍平は胃痙攣で病院に運ばれる。診察の後、京子は医師・中条(山内明)
に呼ばれる。実は中条と京子はかつては恋人同士だったのだ。
しかし、軍平は京子が医師に呼ばれたことを、実は自分は癌ではないかと疑いだす。
京子は軍平に自分は癌だと思わせるような行動に出る。
軍平は死ぬ前に一度は処女を交わりたいと思い、会社の秘書・司しのぶ(香山美子)
を口説きだす。
京子、しのぶ、そして大田原がかつて認知した娘、みどりも加わって三つ巴の
遺産争いが始まる。


井上梅次は海外ミステリーに詳しい人だったそうなので、井上梅次のオリジナル脚本による
ミステリーは面白いものが多い。
これもそんな一本。

加東大介の絶倫振りはものすごく、女のアパートを出るたびに、車で待っている秘書
(露口茂)に「次!」と命じ、一晩で3人とことを行う。
いやー、あんな風にやってみたいものです。
この絶倫振りには終始劇場内は笑いがあふれていた。

そこへ自分は癌ではないかと疑いだす。
京子たちはそれをわざと隠すようなそぶりをして、ますます軍平は疑いだす。
また娘のみどり、秘書のしのぶも加わって、三つ巴の腹の探りあいが始まる。

例えば京子は娘と軍平の親子関係を消滅させようとする。
そもそも娘のみどりは軍平が昔付き合っていた女の娘を認知しただけのこと。
そこへみどりの前に実の父親が現れ、自分が本当のみどりの父だと証言するように
ある人から言われたと言い出す。そんな証言をさせてはまずいと、お金を要求する
父親と夜の公園で待ち合わせる。実は父親をみどりのもとへ仕向けたのは京子。
みどりは邪魔な父親を車でひき殺す。
ところが今度は京子がみどりと父親が待ち合わせの約束をしたときの会話の
録音テープを持ち出し、みどりを自分の支配下においてしまう、と言った具合。

そして罠には罠を仕掛け、最後に笑うのは・・・・・・・・・?

3人のうち、誰が勝ってもおかしくない状況。
しかも有利不利はころころ変わる。
見ている間は充分楽しかった。

井上梅次はやっぱりはずれの少ない、娯楽映画の監督だ。



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最後の審判


日時 2007年2月18日16:50〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 堀川弘通
製作 昭和40年(1965年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


金井次郎(仲代達矢)は今はビリヤード場の雇われマスターをしながら競馬のノミ屋を
やっている男だ。彼の従兄弟小寺は今は設計技師として成功した男で、次郎は彼に殺意を
抱いていた。
小寺が2年間の海外出張の間、次郎は小寺の妻・正子(淡島千景)と関係を結んでいた。
小寺が日本に帰ってきたが、正子のために2000万円の貯金をしていると知ると
次郎は小寺の破滅を計画するのだった。


W・P・マッギバーンの原作を堀川弘通が映画化したもの。
堀川弘通は「白と黒」とか「告訴せず」「黒い画集・あるサラリーマンの証言」など
ミステリーが面白いので、期待してみた。
でもちょっと期待したほどではなかった。

第一その次郎の計画がずさんだ。
小寺の九州出張を利用して、自分も羽田まで行き、空港のバーで「人と待ち合わせだが
まったく来ない。今6時45分だからかれこれ1時間待ってるな」(実は6時30分)
こういう会話をバーテンとして自分のアリバイを作ろうとするのだが、これはあまりにも雑。
バーテンがちらと時計を見たらすぐにダメになるじゃん。

で、小寺の財布を正子が抜き取っておいて、小寺がそれを気づいて家に戻る。
そうすると正子にちょっかいを出している正子の同僚の医師(松村達雄)が
家にやってきていて、それを見た嫉妬深い小寺が松村達雄を猟銃で殺そうとする。
でも殺しきれないのだが小寺が部屋を出た後に、次郎がやってきて松村達雄を
殺してしまう。

で、次郎は警察に疑われないために近所の喫茶店の娘と関係を結び、硝煙反応を恐れた
次郎はその喫茶店の娘に殺害の日に着ていた服を預けクリーニングを依頼する。
一方でビリヤード場のオーナー(三島雅夫)が次郎にビリヤード場を買い取って欲しいと
いうのだが、ヤクザの大原(加藤武)もこの物件を狙っている。
喫茶店の娘がうるさくなった次郎は大原に娘を殺させる、という展開。

すべてうまくいくかに見えたが、突然逮捕される。
実はある人物が裏切ったため、ということなのだが、ここで裏切るというこの展開はないだろう。
当然、硝煙反応の着いた服も警察に見つかり、(書いちゃうけど)次郎は逮捕。

プロット全体に雑さが見えるミステリーで、ちょっとがっかりだった。



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不都合な真実


日時 2007年2月17日21:45〜
場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン6
監督 デイビス・グッゲンハイム

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元大統領候補のアル・ゴアが全世界で行っている地球温暖化の実態を知らしめる
スライドを使った講演をまとめたドキュメンタリー映画。

あのアル・ゴアが延々と講義をする。
映画を見ている我々はその講演の観客と同じく聞くことが出来る。
はっきり言ってそういう映画だ。
アル・ゴアの講義を記録しただけで、この映画には監督とか作者の意図は感じられない。

「映画館をアル・ゴアの地球温暖化についての講演会場にしちゃおう!
そうすれば今までより飛躍的に多くの人に見てもらえるし、世界中の人に見てもらえるぞ!」
という意図で製作されたのだろう。
だからもう映画としてみれば映画独特の手段を用いてのシーンがあるわけじゃなく、
つまらない。
誤解のないように言っておくが、「地球温暖化を訴えるアル・ゴアがつまらない」
と言っているのではなく「映画としてつまらない」のだ。

語られている内容は「最近は地球の気温が上ってきて各地でハリケーンなどが起こりやすく
なっている。ここ30年ぐらいの地球の温度の上昇の記録と二酸化炭素濃度の上昇の記録は
完全に一致し、温暖化の原因は二酸化炭素の増加が原因と考えていいだろう。温暖化は
地球の周期的な気候変動の一つ、と主張する人もいるが、氷河に含まれた気泡から
過去の地球の大気状態を類推すると、現在は地球史上一番二酸化炭素が多い時期だといっていい。
温暖化が進むと北極、南極の氷が解ける、そうすれば世界各地で水没する地域が出てくる。
それだけでなく、北極の氷が解ければ海水の温度が変わりそうすれば海流が変わり、
徐々にではなく、一挙に地球の気候が変わる恐れがある。どうなるかまったく予測がつかない
事態になるだろう」

で、京都批准書をはじめとする各国の二酸化炭素放出量の話になり、アメリカと中国が
断然多い事実を明らかにする。
しかもアメリカは二酸化炭素放出量削減には消極的という話をする。

では何故消極的なのか?
「二酸化炭素放出量削減=石油会社や自動車産業の収益の悪化」となるから
「実は石油会社や自動車産業がブッシュ政権に圧力をかけているのだ」
というあたりまで踏み込むかと思ったら、そこまでは話が行かない。
ちらりと匂わせる程度だ。

だから私としてはがっかりなのですよ。
「石油会社や自動車産業やブッシュ政権」にとってこの「二酸化炭素濃度の上昇」は
「不都合な真実」なのだ。だから隠したがるのだ、というあたりを徹底的に描いてくれる
かと思っていたので正直、私にはがっかりだった。

映画はクレジットが出るときに「車はなるべく控えましょう」「エアコンの温度を見直し
ましょう」「環境問題に関心のある候補に投票しましょう」「車は出来ればエコカーに
しましょう」などという日本では比較的毎日言われていることが字幕で示される。

日本は(もちろんこれで充分だとは思わないが)アメリカに比べれば、地球温暖化に
関しては関心が高いのだろう。
だからまあ私にとってはあまり目新しい事実が出てくる映画ではなかった。

個人的な想いだが、今度ゴジラか怪獣映画を作ることがあったら、是非地球温暖化が
原因で怪獣が現れた!という設定にして欲しいな。
かつてゴジラが水爆実験で世に現れたように。



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どろろ


日時 2007年2月17日19:00〜
場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン1
監督 塩田明彦

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戦国時代のような、いつとも知れない架空の時代、国。
醍醐景光(中井貴一)は魔物から天下統一の力を得るため、代わりに生まれてきた
自分の息子を差し出した。魔物たちはその赤ん坊から48の臓器を持っていった。
その赤ん坊はある男(原田芳雄)に拾われその男の術によって仮の体を得る。
やがて大人(妻夫木聡)になり、彼は魔物に奪われた臓器を取り戻すべく、魔物との対決の
旅に出る。そして女泥棒(柴咲コウ)と知り合う。


手塚治虫の有名漫画の実写映画化。
主人公が汚い格好で旅をしてCGを使って登場する魔物たちと戦う、といえばもう
「ロード・オブ・ザ・リング」の日本版を目指したことは明らか。
多分、企画もそんなところから始まったのではないか?
「CGはさりげなく使ってCGと解らないように使ってほしい」と普段から思っているクチ
なので、CG使いまくりのこの映画には最初は乗れなかったが、やがて映画に引き込まれていった。

なんと言っても妻夫木聡である。
滅茶苦茶決まっている。
ワイヤーアクションも本人がかなり行っているし、第一殺陣がかっこよい。
まあ私は時代劇ファンではないので、殺陣にうるさい人にはこの映画をどう思っているか
解らないのだけれど、相手を斬り終わったあとに刀をもったまま、妻夫木がポーズを
とる様に静止するのだが、そのときの姿のかっこよいこと!
また途中、相手の刀を奪ってその刀で相手を斬る、というカットがあるのだが、
その奪うところなど、実に動きがすばやく「あっ」という間だ。
このときに妻夫木が表情を変えずにこのアクションをこなすところがいい。
このときの動きはDVDになった折には再見してよく見たいと思う。
(まさかCG加工がしてないと思うが、どうのだろう?)

妻夫木の初の本格的なアクション映画だと思うが、実にいいのだなあ。
ニヒルな剣の使い手をやらせても充分にかっこよいのだ。
正直、妻夫木の新たな面が出たと思う。

で、相手役の柴咲コウだが、この役を女性にしたのはいかがなものか?
女優がこういう男言葉を使う役をするとなんか似合わない、浮いた感じがして
いやなのだよ。
原作では少年だったと思うが、ここは少年のほうがよかったのではないか?
(実は私は原作は未読なので誤りだったらご容赦願いたい)

見始めたときは「ロード・オブ・ザ・リング」の焼き直し、とバカにしていたが、
妻夫木のアクションを見ているうちに「超えた」とまではいかないにしても
充分対抗できる仕上がりになったと思う。
但しラストの醍醐景光との対決が単なるだだっ広い広場で行われたのは制作費の
なさを見てしまったような気がする。
あそこは醍醐景光の城で行うべきだったのでは?



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ディパーテッド


日時 2007年2月12日17:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン7
監督 マーティン・スコセッシ

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ボストンの貧困街で育ったビリー・コスティガン(レオナルド・ディカプリオ)と
コリン・サリバン(マット・ディモン)。
ビリーは過去と決別するために警官を志し、警官になると同時にボストンの暗黒街の
ボス・コステロ(ジャック・ニコルソン)の組織に潜入を命じられる。
コリンは幼い頃からコステロの援助を受け、やがて警察官になりフランクのスパイと
しても活動するのだった。

ディカプリオは今のハリウッドの若手スターの中では割と好きなほうなので、新作は
大抵見ている。
この「ディパーテッド」は最近見たい映画が多くて忙しいのでパスしようかと迷ったのだが、
ディカプリオの新作なのでやはり気になってみることにした。

実はこういう「特につまらなくもなかったが、特に面白くもなかった」というのが一番
感想が書きにくい。プラスもマイナスもない。
でもまず思ったのは、2時間半は長いよ。
最近の2時間を越える映画はそれに見合う内容があるのかと思ってしまう。
もう30分ぐらい詰めて2時間以内ならもう少しよかったのだけどな。

ジャック・ニコルソンが殺されるあたりがクライマックスかと思ったら、それから30分
ぐらいあって、ディカプリオとマット・ディモンの対決になってくる。
この辺ももう少し詰めてもいいのでは?

でも最後に(書いちゃうけど)みんなバタバタと死んでいくのには驚いた。
ディカプリオなんかあんな殺され方は初めてではなかったか?

あと精神科医との恋愛ドラマ、この辺も僕には不要だった。しかもこの女医がそんなに
美人じゃないし。
でもこの女医相手のディカプリオの濡れ場もなかなか大人の芝居でしたね。

それにしても映画の質とは関係ないが、この映画を見ていると携帯電話を使ったシーンが多い。
昔から潜入捜査もの、というのは映画のジャンルとして存在したが、そこでは味方との
連絡方法が一つの見せ場だった。
連絡メモをどこかにあるいは誰かに預け、それが見つからないかどうかというのが
映画の見せ場だった。
しかし今回は携帯ですぐに話す、果てはポケットの中で指だけの操作でメールを打つ、
などの方法で連絡をやってのける。
いい悪いではなく、時代は変わったな、とつくづく思った。



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守護神


日時 2007年2月11日21:20〜
場所 新宿バルト9・スクリーン9
監督 アンドリュー・デイビス

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アメリカの沿岸警備隊で救難士をベン・ランドール(ケビン・コスナー)は今までに
何百人も救助した伝説の男だ。しかし、ある救助活動の最中に事故が起こり、仲間を
なくしてしまった。
ベンの上司はベンに現場を一時離れさせることにし、救難士の訓練校の教官として
18週間赴任するよう命じる。
そこには全米から集まった沿岸警備隊のエリートがいた。しかしこの中から救難士に
慣れるのは半分以下だ。
そこには高校時代に数々の記録を打ち立てた名選手ジェイク・フィシャー(アシュトン・
カッチャー)がいた。

沿岸警備隊ものといえば真っ先に思い出すのが日本の「海猿」だ。
偶然とはいえ、よく似ている。
最大の違いは若者の方を主人公に持ってきたのではなく、ベテラン救難士の方を
主役に持ってきたことだ。

アメリカ映画なんだから救難シーンが話の中心になるかと思いきや、上映時間の
大半は救難士の訓練校の話になる。
(制作費を抑えようとするとこういう展開に持ってきてしまうのは、アメリカも
日本も同じらしい)
ここで鼻っ柱の強い若者が登場して一人前に成長していく話になる。
でもってお決まりで学校を夜抜け出し、近くのバーで女の子をナンパしたり、喧嘩を
したりする。

長い。もう少し詰めて欲しい。
あと訓練校入りが三回目で今回やっと「救助する相手がパニックになっているときに
対処できない」という弱点を克服する気弱な訓練生も後半フィッシャーと
同じ場所に配属され、ベンと3人で活躍して欲しかったな。

で最後の30分くらいは実戦になるのだが、ここでベンは前回の事故のトラウマで
現場で体が固まってしまうというミスを犯す。
それで退職を決意するのだが、最後にもう一度、出動して・・・・という展開。

最後どうなるかここでは書くのを控えるが、あの展開はちょっとあっさりしすぎて
ないか?
ベンが自己犠牲する展開はわかるのだが、それにしても諦めが早すぎる。
もう他に手段がない!というギリギリまで追い詰めなければ、映画としての盛り上がりが
イマイチだ。
そしてその後のジェイクもまだ諦めずに何かをして、最後に助け出したほうが盛り上がるのだと
思うがなあ。

期待したほどの映画ではなかった。
それにしてもタイトルの「守護神」、どうにかならんのか?
なんか仰々し過ぎるよ。
あっさり原題の「ガーディアン」のよかったのでは?
(いやそうでもないか)



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囁く死美人


日時 2007年2月11日19:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 村山三男
製作 昭和38年(1963年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ある個人総合病院の優秀な青年外科医・菅英一(川崎敬三)は院長から娘との
結婚を勧められる。将来はこの病院を任せたいという。
しかし菅は以前から付き合っている看護婦・不二子(万里昌代)がいた。
彼女が邪魔になった菅はついに不二子を病院裏の用水プールで溺死させるのだが、
死体がなかなか上らない。
やがて菅は言いようもない不安感に取り付かれていく・・・・


この映画はもうクルーゾーの「悪魔のような女」にヒントを得ての内容だ。
プールに死体を沈めて死体がなかなか上らず、また死んだはずの女の幻影が
ちらつき始める、というのはもう「悪魔のような女」である。

オチは違うのだが、それにしても不安感に悩まされる川崎敬三がいい。
強いヒーロー、というより何か気弱さを感じさせる役をやらせると実にいい。
また万里昌代が幻影として登場するのだが、なんと言っても目が怖い。
切れ長の目でにらまれるとこっちもビビってしまう。
看護婦だから、時々マスクだけをして目だけしか見えない顔になるのだが、
そのときの目がいっそう強調される。

惜しいのは時々入る川崎敬三の独白。
「そんなはずはない。彼女は死んだはずだ。俺としたことがどうしたんだ?
しっかりしろよ」というようなナレーションが多すぎる。
そんなことは見てれば解るのであって、ここは川崎敬三の不安に満ちた表情
だけでも充分それは伝わると思う。
説明が過剰になって返って作品の質を落としてしまってる気がする。

また尺の都合で長くしたのか、看護婦を殺すまでがやや長い。
もう少し早く殺して川崎敬三のおびえ、をもっと描くとさらに面白かったと思う。

全体的には、プログラムピクチュアとして充分面白かった。
今回のラピュタでのミステリー特集、通ってしまいます。



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一万三千人の容疑者


日時 2007年2月11日17:0〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 関川秀雄
製作 昭和41年(1966年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


東京の下谷で明彦ちゃんが公園で行方不明になった。
やがて東北なまりのある男から50万円を準備するよう電話が。
警視庁の刑事たち(芦田伸介、織本順吉ら)は早速捜査を開始するのだが。

昭和38年に発生した「吉展ちゃん誘拐事件」を映画化。
名前は明彦ちゃんなど仮名になっている。

誘拐事件の発生、いたずらの脅迫電話、勘違いの情報などに振り回されながら
捜査陣は事件を追う。
なんと言っても圧巻は芦田伸介の刑事だ。
刑事となればやはり芦田伸介だ。TBSの「七人の刑事」はもう放送されていたから
当たり役なのだろう。

いよいよ身代金の受け渡しの時に、警察は別の場所を見張るという大失態を犯し、
また札の番号を控えていなかったという2重のミスをしてしまう。

やがて捜査線上に上る容疑者の小畑守(井川比佐志)。
ここで容疑者を井川比佐志のような名脇役を持ってきたのは正解。
これが無名の役者だったら、芦田伸介の刑事と渡り合えない。
この井川比佐志が芦田伸介の刑事に追及されて、目をオドオドさせるあたりは
真に迫っている。

最後の自白が主張するアリバイに矛盾が生じることで、崩れるのだが、ちょっと
あっけないかな。
もう少し、引っ張ってもよかったかも。

ラストに事件の発生した公園の空撮に犯人の母の顔や、明彦ちゃんの顔がオーバーラップ
するのはやや過剰演出。
ただしオープニングに大川博(東映社長)の名前で「この誘拐事件から1年が過ぎました。
この事件を忘れない、そして2度と起こさせないという願いからこの映画を作りました」
と文字タイトルが出て、ナレーションでそれが読み上げられる。
当時としてはとにかく大事件だったのだろう。

そして伊福部昭のいつもの重厚サウンドがすごい。
いつも思うが伊福部さんの音楽は、ちょっと聞いただけでもすぐわかる。
クレジットが出る前に確かに解る。

でも全体的に面白いサスペンスフルな映画だった。

最近ではもっとすごい事件が起こってしまう。
やっぱり治安は悪くなっているんだろうなあ。



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狙われた娘


日時 2007年2月11日15:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 丸林久信
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


若枝(青山京子)は製薬会社で事務の仕事をしている20歳の女性だ。
彼女には北村(久保明)という苦学生の恋人がいて、彼の大学の学費も
立て替えていた。
お金に困った若枝は同じ会社に勤める町田(伊藤久哉)から金を借りていた。
町田は自分には取り立ては厳しくなかったが、北村には町田からお金を借りて
いることを知られたくない。
お金に困った彼女は、地下鉄銀座線の中で、分厚い財布を持った男(有島一郎)
が落とした財布をつい、自分のものにしてしまおうとする。
しかし、それが男に見つかってしまい・・・・・


昨日に続き、ラピュタ阿佐ヶ谷のミステリー特集の1本。
まったく知らない映画だったが、これが面白い。67分のSPだが、だらだら長い
だけの映画よりはるかに楽しめる。

ふとした過ちがどんどん深みにはまっていく恐怖。
財布をネコババしようとしてそれが見つかり、有島一郎の小汚い男にネチネチいじめられる
あたりは、普段の有島のギャップのあいまって、怖い。
そして有島一郎の仕事が被り物をしてバーのビラ配りなのだが、この仕事を今日代わりに
やってくれと言われる。
その通りに仕事をする若枝。顔が隠れているので、北村にビラを渡しても気づかれない。
男のところに帰ってくると、一転優しく、「もうこれでお終いだ。いやなことは
すぐに忘れなさい」とバイト代までくれる。
見てるこちらは「?????」

実はこの男、アリバイを作ってもらった間に妻殺しをしてきたのだ!
しかも男に取られたハンカチが現場に残されたらしい。
自分に捜査が回ってきたらという恐怖。
そこで彼女は町田を犯人を仕立て上げ、殺人犯になるかも知れない恐怖と町田に迫られる
恐怖から逃れようとするのだが・・・・

という展開。
町田も殺してしまおうとするのは展開としてはやや苦しいが、見ている間はこの町田を
殺そうとしてニセの遺書を書かせるあたりはスリリングに楽しめる。

ラストは結局町田殺しは実行に移さず、北村にも警察にもすべてを相談しハッピーエンドに
なるのはちょっとあっけない感じもするなあ。
もっと追い詰められれば「黒い画集・あるサラリーマンの証言」に匹敵する面白さだったのだが、
その一歩手前で終わった。
でも充分楽しめた。



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本陣殺人事件


日時 2006年2月10日15:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 高林陽一
製作 昭和50年(1975年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


岡山県のある村のかつて本陣だった名家の当主・一柳賢三(田村高広)は結婚式を挙げたが
その晩に新婦ともども刀で惨殺された。
彼らがいたはなれには内側から鍵がかけられ、凶器の日本刀は庭に刺さっており、
完全な密室状態。
結婚式のあった日に、一柳賢三宛に手紙を持ってきた右手の指が三本しかない男に
磯川警部(東野英心)は疑いをかける。
そこへ新婦の父に頼まれた金田一耕助(中尾彬)がやってきた。

「犬神家の一族」の公開前につくられた、金田一が和服を着ていない最後の金田一もの。
舞台は原作とは違い現代。
中尾彬の金田一はアメリカで放浪生活をしていた、という設定でつぎはぎ模様のジーンズの
上下を着て登場。
市川崑が最近の金田一もののフォーマットを作ってしまったので、なにやら違和感がある。

しかもATGの低予算映画だから、豪華な旧家、といった趣がない。
役者も中尾彬、田村高広、東野英心以外はノースターと言ってよく、金田一の事件の解決を
依頼する新婦の父などは比較的出番が多いのに、見慣れない役者だからどうにも
こちらとしては寂しさを憶えるのだな。
もっとも豪華スターの共演、というフォーマットも市川崑が作ってしまったのだとは思うが。

1時間45分の映画だが、1時間15分ぐらいから謎解きが始まる。
また映画自身も謎解きの面白さ、より犯人とその協力者の一種の偏執狂的性格(潔癖、
プライドなど)の異常心理を描くことに興味が置かれているような気がする。
(例えば、江戸川乱歩の小説がトリックより異常性愛に重きが置かれて映画に
なることがあるように)
江戸川乱歩の小説ほどの異常性愛にはならないのだが、それに近い異常心理の
映画を作者も作りたかったのだろう。

ミステリーとしての面白さは少なく、僕としては楽しみが少なかった。



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僕は妹に恋をする


日時 2007年2月4日12:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン6
監督 安藤尋

(公式HPへ)


双子の兄妹の頼(より〜松本潤)と郁(いく〜榮倉奈々)は子供の頃からお互いに好きあっていた。
高校三年の今、頼はついに耐え切れなくなって郁に好きだと告白し、キスをする。
しかし、この関係は許されるわけがない。

松本潤初の単独主演作。
岡田准一とダブル主演であった「東京タワー」が気に入っているので、松潤を見るために映画を見る。

つまらん。ただ一言つまらん。
やたら意味もなくカットが長く、セリフの間もあいているのでとにかくテンポがとろい。
ストーリーのほうも大きな事件もないので、実に盛り上がりがない。
その上、上映時間が2時間あるので長い長い。
だれるなあ。

長まわしは使いどころを間違えるとただだれるだけ。ここぞ!という時に長回しをすることに
よって緊張感が生まれるのだが、多用しすぎると疲れるだけだ。
「編集が楽」「撮影が早く済む(かどうかはよくわからんが)」というような安易な理由で
長回しをしている監督がいやしないだろうか?

それに長まわしは編集による修正が聞きませんからねえ。
「だからこそ」という方もいるのだろうが、やっぱり難しいと思うよ。
例えば松潤が初めてベッドで妹にキスするシーンだが、松潤の横顔をとらえているのだが、前髪で
目が隠れてしまっている。松潤はあの大きすぎるくらいぱっちりした目が魅力なので(しかも
重要なシーンで)目が隠れてしまうのはもったいない。
あれはNGカットではないか?

それとラストの思い出の草原に行ったら造成中だった、というシーンだが、季節間違ってないか?
新緑の草原が記憶にあって、同じような新緑の時に行ったら造成中だった、というから
ショッキングな感じがするのだが、なにやら枯れ草みたいに茶色になっているときに
行ってもただ汚いだけではないか?

またハンディカメラを多用しているので画が揺れて見づらい。
パンフレットのスチル写真はカラーもコントラストがあってきれいなのだが、スクリーンは
全体的に白っぽくなって美しさがないのだな。
最近の映画はこういうのが多いが、何か映写方法とか根本的に問題があるのだろうか?

松潤の親友が妹のことを好きで告白したりするのだが、ラストの携帯電話の写真を見ると
(松潤と親友が肩を組んで一緒に写ってる写真)実はその親友は松潤のほうが好きだった
らしいと暗示される。(この写真を撮るシーンは映画ではなかったような気がするが、
パンフレットにはそのシーンのスチルがある)
だからといってそれ以上話が広がるわけではない。
意味ないシーンのような気がします。

松潤を見に行ったわけだが、楽しめませんでしたね。



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あなたを忘れない


日時 2007年2月3日21:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン1
監督 花堂純次

(公式HPへ)


2001年1月26日にJR新大久保駅で、ホームに落ちた人を助けようとして
なくなった韓国人留学生のイ・スヒョンを題材にしたドラマ。

この映画、どこまでがフィクションでどこまでが事実に基づいているのだろうか?
いや、事実を基にしたって映画的創作をすることはある。
だからすべてを事実の通りにしろとは言わない。
しかし最後の主人公のイ・スヒョンさんが事故にあう以外は全部創作なんでは
ないだろうか?

その創作だが、チープな恋愛ドラマになってしまっている。
日本人の恋人がストリートミュージシャンで父親がライブハウスをやっていて
犬猿の仲で、コンテストで優勝するかも知れない実力を持っていて
そこへあまり本筋と関係があるとは思えない金子貴俊のバンド青年が登場する。
で、主人公との出会い方も路上ライブをしているときにヤクザに絡まれているのを
助ける、というおよそ定番的なもの。

イ・スヒョンさんのドラマを「日韓交流の架け橋に」という志の元にドラマ化するなら
過剰な脚色は控えるべきではなかったのだろうか?
単なる恋愛ドラマにしてしまったのでは、彼の志を単なる「商売の道具」にされて
しまったようで、私としてはあまり楽しめない。

またその恋愛ドラマに「韓国の若い男性には兵役がある」「かつての在日の厳しい現実」
「北と南の分断」などのエピソードも挿入されるが、チープな恋愛ドラマに画面から心が離れている
自分には、「無理やりに」ドラマに入れた「強引さ」だけが残る。

それと主人公がタクシーとぶつかるシーンがあるが、ただ自分で治療するだけという展開は
まずい。
どちらに非があったかは別として、タクシーは人身事故を起こしたにも関わらず、何の対処も
せず、走り去ったことになる。そのことだけでも警察に連絡すべき事実だと思うよ。
しかも頭を打ってるようだから、精密検査は受けるべきだ。
「親が心配するから医者に行かない」などというレベルの話ではない。それを聞いた仲間も強引
にでも病院に連れて行くという展開になるべきだ。

要は製作に対するスタッフのスタンスからして私の期待とは完全にずれてしまっている。
製作側は主人公の美談を題材に「最後に恋人が死んでしまう恋愛ドラマ」を作ってしまったし、
私は事実に即したドキュメンタリーに近いドラマを期待した。
これでは私が満足できる映画になっているわけがない。

イ・スヒョンさんのせっかくの勇気も日本のショービジネス界のいい食い物にされてしまった
みたいで、私には後味の悪い映画だった。



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恋の大冒険


日時 2007年2月3日16:00〜
場所 フィルムセンター大ホール
監督 羽仁進
製作 昭和45年(1970年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


今野陽子(今陽子)は集団就職で田舎から上京。迷竹ラーメン(マヨタケラーメンという
読むらしい)の工場で働きだす。だがここの社長の迷竹(前田武彦)は社員寮に催眠学習装置
を取り付け、社員達を会社に忠誠を尽くすよう催眠術をかけていた。
陽子は休みの日に電車でスリに間違われるが一人のハンサムな青年(大矢茂)に助けられる。
そのハンサム青年にたちまち恋をする陽子。果たして彼女の恋の行方は?

「恋の季節」で有名な「ピンキーとキラーズ」のピンキーこと今陽子主演映画。
キラーズの面々は警官、道路工事人、迷竹ラーメンの営業社員、靴磨きに
それぞれ扮して映画の途中途中ほとんどストーリーとは関係なく登場する、という感じ。
また迷竹ラーメンの工場が「チャーリーとチョコレート工場」に登場する工場のような
カラフルなポップアートのようでこのあたりのセンスが70年代っぽくて楽しい。

で、ハンサム青年の大矢茂は動物園の飼育係りで、迷竹ラーメンが夜中に行う催眠テープを
作るときの怪電波の影響でカバが不眠症になっている。
その原因を探る動物学者に左卜全、その娘に佐良直美。
ピンキーが途中(ストーリー的には)かなり強引にアニメの声優をやったりするのだが、
そこで共演するのが熊倉一雄をはじめとするテアトルエコーの面々。
そしてピンキーが行ったテレビスタジオのシーンで「黒猫のタンゴ」で有名な
皆川おさむも登場し、一曲歌う。

また大矢茂が忘れられない恋人に由紀さおり、迷竹ラーメン社員に土居まさる、そして前田武彦
など70年当時のテレビの人気者がかなり出演しており、当時を知らない人にはまったくその面白さは
解らないが、当時を知る人には懐かしい出演陣。
あとは藤村有宏も出演し、持ちネタの「訳のわからん外国語」も披露してくれる。
このように脇が豪華で見ていて楽しい。

今陽子は何回も歌うし、佐良直美も歌うのだが、実に歌がうまい。
今の曲とは違うからいい、悪いは比較できないが、音域が広く伸びやかな歌声は聞いていて
心地よい。

バラエティ的なごった煮の楽しさがあり、見ていて楽しい映画だった。
しかしこれは2007年に見るから懐かしさとともに思えるのであって、公開当時に見ていたら
「テレビの人気者をそろえただけの安易な企画」と私は酷評したかも知れない。
多分したと思う。



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乾杯!ごきげん野郎


日時 2007年2月3日13:00〜
場所 フィルムセンター大ホール
監督 瀬川昌治
製作 昭和36年(1961年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


梅宮辰夫、南廣、今井俊二、世志凡太の4人組は鹿児島の巨大養鶏場で働いていたが
趣味のコーラスに夢中になりすぎて仕事をクビ。
東京にでて一流のコーラスグループ「リズムジョーカーズ」として売込みを開始するのだが。

ニュー東映製作だから煙を吹き上げる火山をバックに「ニュー東映」の三角マーク。
なにやら東宝の歌謡映画みたいな内容で東映っぽくない。
4人の歌う歌はデューク・エイセスによる吹き替え。

クレージー映画が始まる前の製作だが、それ以前にも東宝には「歌謡映画」のジャンルは
存在していたので、それに触発されての企画だったのだろう。
後半に榎本健一扮する興行界の神様が登場したりしてコミカルな要素を持ち込んでは
いるものの、まるで盛り上がらない。
しかし見所がないわけではなく彼らのイメージシーンでリズムジョーカーズが3組登場し、
画面左、画面中央、画面右で歌う合成シーンはなかなか豪華だった。

原因はなんと言っても主役の4人だろう。陽気さ、というものがない。
梅宮辰夫など後のヤクザ映画での活躍を知っているだけに、こういった歌謡喜劇、といった
映画にまるで似合わない。
東映の男優はこういったコミカルな作品より、アクションとかのほうがはるかに似合うのだな。
これが同じ脚本でも高島忠夫あたりが演じていれば大分印象が違うと思う。

東映カラーには似合わない題材だったのか、映画全体も不発に終わる。
しかしこんなことは映画を見る前から想像がつくし、またその予想も外れてはいなかったが
では何故見に行ったかというと、南廣氏が出演しているから。
円谷プロのTVドラマ「マイティジャック」に出演した彼だが、その映画時代の出演作は
「点と線」しか見たことがない。
だからこそ南廣ファンの私としてはそれだけで見る価値はあるのだ。

梅宮辰夫がこういった歌謡映画に出ていたという驚きも含めて、見る価値はある映画だった。



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それでもボクはやってない


日時 2007年2月1日20:30〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン9
監督 周防正行

「それでもボクはやってない」に関しては「名画座」に記しました。



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