2007年4月

惑星大戦争
THE WAR IN SPACE
フライ、ダディ 初恋カナリヤ娘
憎いもの 五十年目の浮気 チエミの婦人靴
(ハイヒール)
婚約指輪
(エンゲージリング)
サンシャイン 2057 地獄の変異 人妻集団暴行
致死事件
ブラッド・ダイヤモンド 江戸川乱歩猟奇館
屋根裏の散歩者
安藤昇のわが逃亡と
SEXの記録
女教師 私生活

惑星大戦争 THE WAR IN SPACE


日時 2007年4月30日
場所 DVD
監督 福田純
製作 昭和52年(1977年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


1988年、地球に謎の円盤が襲来した。
国連宇宙局は日本支部にて滝川博士(池部良)がかつて開発中だった轟天を
完成させ、出撃させることを要請する。
三好(森田健作)、室井(沖雅也)、滝川の娘・ジュン(浅野ゆう子)らが
隊員として乗り込む。
そして敵の地球攻撃が本格化した時、轟天は出撃した!


この映画は公開時にも見たし、数年前にチャンネルNECO(だったか)で放送
されたときにも見た。
つまらんのだなあ。
多分、この映画を誉める人は少数だと思う。

よく知られてる話だが、この映画、かなりやっつけで製作された作品。
1977年12月公開のお正月映画で山口百恵の「霧の旗」との2本立て。
この年にアメリカで「スター・ウォーズ」が公開され、大いに話題になっていたが、
本家の「スター・ウォーズ」が日本では78年7月公開なので、その間に一儲けしようと
企画されたという泥縄商売の見本みたいな映画だ。

面白くない原因はまずは轟天号のデザイン。
なんだか大デブの形で脱力する。
当時ヒット中だった「宇宙戦艦ヤマト」にかつての「海底軍艦」をミックスさせたような
センスのかけらもないデザイン。
このデザインを考えた奴がまず戦犯第1号だろう。
まあ「海底軍艦」の続編「海底軍艦・宇宙へ」みたいな企画は田中友幸プロデューサーに
ずっとあったらしいから、それが具体化したものだろう。

お話のほうはかなりいい加減で宇宙に向った轟天が破壊された宇宙ステーションに
立ち寄って隊員の遺体を収容したのだが、これが実は敵のダミー。
このダミーが轟天で生き返り、ジュンは誘拐されてしまう。
そして敵基地は金星にあるので、金星に向かい、敵艦・大魔艦を発見する。
この敵艦がねえ。
どういうセンスか昔のローマ艦風のデザイン。
もう止めようよ、そういうセンス。

そしてまあジュンを救助するために室井が戦闘機でバリアを破壊し、三好が敵艦に突入。
(三好たち隊員が戦闘時にも関わらずヘルメットをしていないのが気になった)
それでジュンはあっさりと助け出したはいいが、室井の戦闘機はあっさり破壊される。
そりゃないんじゃないかなあ。
せめて「俺はいい。君は生きろ」的な見せ場があって死ぬんじゃなければかわいそうじゃないか。

でクライマックスはでかい船同士が何の知恵もなく、ただドンパチやって戦い、終いには
轟天は敵艦と接触して敵艦にダメージを与えるという雑な戦い方。
そして最後は池部良の艦長が「実は私はこの轟天を開発中に強烈な破壊力をもった爆弾を
作ってしまった。この発明は葬らねば」と「ゴジラ」の芹沢博士みたいなことを言って
「宇宙戦艦ヤマト」の第2作目みたいな感じで轟天の先頭ドリルのみが飛んでいき、
敵艦に体当たり!
そして大爆発してついでに金星もなくなってしまう。
脚本が雑すぎる。

出演者は森田健作、浅野ゆう子、沖雅也というかつての東宝スターとは違う新メンバー。
脇を池部良、平田昭彦が固め、さらに中山昭二、そしてなぜか大滝秀治。
この森田、沖、浅野の3人がよくないのだなあ。
森田なんか(松竹)の表示もあるように松竹からわざわざ引っ張ってきたんだぜ。
そんな必要もなかったんじゃないか?

とにかく70年代の大作ブームの一方で、まだ泥縄的商売をしていた頃の大混乱時代の
あだ花のような映画。
はっきり言うけど見ていて悲しくなるよ。



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フライ、ダディ


日時 2007年4月29日18:50〜
場所 シネマート六本木スクリーン3
監督 チェ・ジョンテ

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チャン・ガピルは39歳のサラリーマン。マンションのローンや妻や娘のために
毎日一生懸命働いてきた。
ところがある日、娘は怪我をして病院に運ばれる。カラオケボックスで他校の高校生に
殴られたというのだ。
病院で面会した相手の高校生は国会議員の息子で権力を笠にきてまったく反省していない。
しかし平凡なサラリーマンのガピルには何も出来ない。
彼は包丁をもってその高校生の学校に行く。しかし彼は別の高校生スンソク(イ・ジュンギ)
によって止められる。
事情をしったスンソクはガピルを40日間鍛え上げることに!


2005年夏に公開された岡田准一主演映画「フライ、ダディ、フライ」の韓国映画版。
同じ原作を映画化したわけで、別に日本版をみてリメイクされたわけではないらしい。
日本版は私は面白くなかったが、今回の韓国版のほうが好き。

その理由を「サラリーマンが40日も会社を休んで特訓するという設定が日本の設定では
考えにくく、外国映画のほうが設定がすんなり来るせいかな?」と思ったが
そういうことではないらしい。
パンフレットにあった監督インタビューを読んで解ったのだが、この韓国版では
主人公は高校生のスンスクではなく39歳の中年男のほうだ。
監督の同世代者として「みんながんばろうよ!」という意気込みを私が感じたのだろう。

対して日本版は岡田准一をはじめとする高校生の視点で物語が進んでいたように思う。
だから「オヤジども、しっかりせいよ!」という高校生から説教をされている気分になり
そんな「上から目線」が気になったのだ。
そういうわけで私のようなオヤジにはこの韓国版のほうが励まされる想いがしたのだ。

原作は未読だが、スンスク役はい・ジュンギのほうがしっくりきた。
岡田は甘すぎるのだ。がんばってはいたが、岡田は甘さ8割、厳しさ2割だった。
ジュンギのほうは甘さ3割、厳しさ7割と言ったところか。

そんなわけでラストの対決もボクシングリングでの対決でも素直に盛り上がることが出来たし
バスとの競争のエピソードも日本版はバスの乗客が主張しすぎていたが、今度はそこまで
行かなくていいし、ローラーブレードに挑戦するデブのエピソードも同じ。
「こんな風にみんなでがんばろう!」と励まされる思いだった。
またチャン・ガピル役のイ・ムンシクのぶよぶよだった体が引き締まるあたりの
肉体改造の役作りが素晴らしい。

売り方としてはイ・ジュンギ映画となってしまったが、(「王の男」の撮影後、公開前に
この映画がクランクインしたらしい。従って公開の頃は「王の男」の人気にあやかった
公開となってしまい、「イ・ジュンギ」メインになってしまったようだ)
やはりこれは中年男の人生の応援歌。

素直に楽しめた。



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初恋カナリヤ娘


日時 2007年4月28日12:50〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 吉村廉
製作 昭和30年(1955年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


銀座の裏通りの安アパートにバンドボーイのフランキー堺と岡田真澄が住んでいた。
岡田真澄はアパートのとなりの小鳥屋の娘(神楽坂浮子)と仲がいい。
この小鳥屋の娘は歌がうまく、バンドボーイの岡田真澄はホールの支配人に紹介する
つもり。だが彼女の父親が許さない。この娘の母は実は歌手で、娘を捨ててどこかへ
行ってしまったのだ。
そんな時にアパートにやたら態度がでかく人使いが荒いおばさん(丹下キヨ子)が
引っ越してきた。彼女は歌手で、フランキーたちが働く店で歌うことに。
しかし彼女は実は・・・・

岡田真澄は日活アクションのイメージが強いので、日活出身だと思っていたら、実は
東宝が芸能生活のスタートだそうです。
同期生が宝田明、佐原健二、藤木悠だそうで。東宝から日活へ移った経緯は知らないのだが、
結局この映画がデビュー作だ。
とにかく2枚目。
(ちなみに私は若い人に岡田真澄の当時の2枚目ぶりを説明するのに「今のウエンツ瑛士が
真面目に2枚目をしている感じ」と言っている。)

お話のほうは実は丹下キヨ子が神楽坂浮子の母親で・・・というひねりのない話。
あと小林桂樹が街を巡回する警官で、そして怪しげな大きなトランクを持った男を
有島一郎が演じている。ただし有島一郎はお笑いの役ではない。
神楽坂浮子という芸者みたいな名前の女優さんは今回初めて見た。
というか女優というより古賀政男門下の歌手が映画に出た、と言ったほうが正しいらしい。

そんなことよりこの映画の見所はクレージーキャッツ参加以前の植木等がバンドマン役で
出演してること。
この頃植木等はクレージーキャッツ参加以前で(植木さんがクレージーに参加するのは資料に
よると1957年3月)この映画の頃はフランキー堺のシティスリッカーズのメンバー時代だ。
フランキー主演映画だから多分そのつながりでの出演だったのだろう。
映画の中では「バンドマンA」の役だからセリフもアップもなし。当然クレジットもなし。
マラカスを振ったり、ギターを弾いたり、映画の後半でフランキー堺が強盗団と音楽に
あわせて殴りあう、というシーンがあるが、そこで効果音を楽器で鳴らすカットあり。

私はこの映画に植木さんが出演していることを老舗邦画有名サイト「日のあたらない邦画劇場」
で知ったのだが、実に貴重な場面を見ることが出来た。
(ラピュタのチラシには植木さんのことは書いていない)
岡田真澄のデビュー作とか水の江滝子の第一回プロデュース作品とか植木等が出ているとか
映画の面白さとは別の場所で見所の多い映画ですね。



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日時 2007年4月28日12:50〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 野村芳太郎
製作 昭和27年(1952年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


高校生の三浦勇(石浜朗)たちの間では鳩を飼育するのが流行っていた。
勇は動物好きのいい青年。友人の友田君の家はお金持ちで、伝書鳩レースで
優勝するような立派な鳩も含め、たくさんの鳩を飼っていた。
友田君のお父さんもいい人で、勇に「そんなに動物が好きなら、うちの鳩を一羽
分けてあげよう」ということに。
しかし勇の父(有島一郎)は反対。だが、勇の懇願に負けて鳩を飼うことを許すことに。
自分で作った鳩小屋で毎日可愛がる勇。
貰った鳩をなれさせるために、友田君の家から自慢の優秀な鳩を借りてきた。
ある晩、嵐になったが、勇は鳩を守るために一晩中鳩小屋のそばにいるほど熱心に
世話をする。しかし翌朝、勇が少し目を話した隙に大事な鳩が野良猫に食われてしまう。

野村芳太郎第一回監督作品。
石浜朗主演で、石浜朗が当時美少年として人気が高かったということがよくわかる。
きりっとした顔立ちでなるほどなあ、といった感じだ。
今でも存在する動物と少年の物語だ。
(ただし鳩にキャラクターはないけど)

でお話のほうは翌日、学校で鳩を殺してしまったことを友人達から責められ
勇は自己嫌悪に陥って鳩を弁償するために、家出して働くことに。
当然父親をはじめ、家族は心配するわけで大騒ぎになるのだが、勇はその頃、
ポスターでみた山梨県の勝沼のぶどう農家に向う。

「心配しないでください、探さないでください」と置手紙をした割には同級生で
いつも味方になってくれる女の子には自分の居場所の手紙を書く。
それでまあ、友田君や有島一郎はその同級生の女の子は迎えに行く。

浅はかだなあと思う。
いや勇が浅はかというより脚本が安易だ。
勇が自分の居場所を手紙で書いて「迎えに来ないでください。親には言わないでください」
って書いてもそりゃ言うだろう。
最後は迎えに行くことにしなきゃいかんので、もう上映時間もないし(紙数もないし)無理やり
同級生の女の子に手紙を書いた感じだ。

まあこの辺がやっぱりSPというのは、「所詮は添え物。テキトーにプログラムの埋め合わせ
に作ってます」という感じがありあり。
「そんな状況下でもいいものを作ろう!」という気合が感じられない。
野村監督も第一回ではまだまだ本領発揮とまでは行っていない感じだった。



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憎いもの


日時 2007年4月22日19:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 丸山誠治
脚本 橋本忍
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


青森の雑貨商(藤原釜足)は東京で働いている娘(安西郷子)の仕送りのおかげで
貯まったお金で、地元よりものを安く仕入れるため上京した。
ほとんど初めての上京の藤原釜足を地元から東京に一緒に行ってくれたのは、
同じ地元で小さなデパートを経営し、市会議員でもある東野英治郎。
藤原釜足は行きの列車の中から「2千円残しておいてくださいね。いいところに
案内しますから」と東野英治郎に言われ続けて困り顔。
安西郷子と合流し、仕入れが終わった後、東京見物を楽しむ二人。
やがて帰る晩に東野英治郎に無理やりイイトコに連れて行かれる藤原釜足。
そこで彼が見てしまったものは・・・・・

こんな感じの話だが、そこで藤原釜足が見てしまったものは大体想像がつく。
実際そういうことを知ってしまうのだが、それをどうまとめるかが気になった。
何しろ橋本忍脚本だ。
橋本忍著「複眼の映像」で「腕力で書く」と評された橋本である。
偶然にも安西郷子とイイコトをしていた東野英治郎を旅館に帰ってから
殺害してしまう。

警察で取り調べをするのが宮口精二の刑事。
「殺したのは自分の娘を買っていた東野英治郎が憎くなってか?」
と問われると
「いや違う!違う」と大声で否定する。
東京でOL(という言葉はなかったが)をしているだけでは親孝行できない。
そんな売春さえしなければ親を助けることは出来ない。
そんな貧富の差に対するやり場のない怒りが殺させたと展開する。
まっるきり傾向映画だなあ。
それにしても強引な展開だ。
橋本忍らしいとも言える。

ところで藤原釜足が仕入れに行くのが浅草橋界隈。
北側のおもちゃ問屋から南側の馬喰町まであるくのだが、当時の活気が伝わってくる。
後は安西郷子と藤原釜足がはとバスに乗って東京見物するのだが、その回るのが
皇居、靖国神社、迎賓館前、勝鬨橋。勝鬨橋のゲートが開く瞬間が写っている。
でもこの時代からはとバスコースになっていたのだな。



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五十年目の浮気


日時 2007年4月22日19:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 青柳信雄
製作 昭和31年(1956年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


柳家金語楼のおじいちゃんは五男六女の子持ち。
金婚式を迎える夫婦だったが、おばあさんの方はおじいちゃんとケンカして全国に
住む子供達を訪ね歩いてもう数ヶ月も帰ってこない。
そんな時、柳家金語楼の家に新しい女中(宮城まり子)がやってくる。
実はおじいちゃんがつい「死ぬまでに若い娘と浮気するのもいいな」と言ったことに
腹を立てておばあちゃんは家を空けているのだった。
おばあちゃんに家に帰って来てもらいたい金語楼は宮城まり子といい仲になったふりを
して、ばあちゃんにやきもちを妬かせ帰ってきてもらおうとたくらむのだが・・・・


柳家金語楼主演の喜劇。
後に「ねむの木学園」で有名になる宮城まり子が19歳ぐらいの田舎から出てきた
女中役で出演。
書いちゃうけど、金語楼の思惑は成功し、子供達から「お父さんは新しい女中と出来てしまった」
という連絡を受けてばあさんは九州から飛んで帰ってくる。
実は宮城まり子の女中は金語楼の心の優しさに触れて、彼のことを本気で好きになって
しまっていた。子供達は二人を別れさそうとするのだが・・・という展開。

ところが最後は宮城まり子が「わたすが身を引きます」などと言って泣く泣く田舎に
帰るシーンで終り。
なんだかなあ。
それじゃ当たり前すぎて面白くもなんともない。

「こうすれば」とか言えないけど、なんかもう一つオチ、というかヒネリがないと
ただの「ああそうですか」の話になってしまう。
とは言っても近所の酒屋の小僧に二人の浮気の現場をわざと写真に撮らせるシーンは
まあ、面白かった。

50分のSPだから長くて退屈する前に終わってくれたからいいですけど。



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チエミの婦人靴(ハイヒール)


日時 2007年4月22日17:20〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 鈴木英夫
製作 昭和31年(1956年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


雑誌「明星」の文通蘭に「僕は靴職人です。得意はハイヒール。江利チエミのファンです」
という投稿を出した又吉(井上大助)隣町の美代子(江利チエミ)から手紙が届く。
二人は文通を重ねた上に会う。
又吉は作ったことのないハイヒールを美代子にプレゼントすることになったのだが。

江利チエミの冠のあるタイトルだが、事実上の主演は井上大助。
話は井上大助の視点で描かれる。
(関係ないが、同時上映だった「婚約指輪(エンゲージリング)」でヒロインだった
青山京子が今度はメガネをかけて井上大助の前の店の中華料理屋で働く娘を
演じているのは笑った)

で、江利チエミなのだが、画面に最初登場したとき「『サザエさん』の頃に比べると太っているな」
と思ったら、井上大助に会って最初に言ったのが「私って太ってるでしょ?」という話。
ダメ押しにラストで「私みたいな米俵みたい体でハイヒールを履こうとしたのが云々」という
セリフまで出てくる。(女優によくそこまで言わせるものだ)
この頃はすでに女の子は太っていることを気にしている。
それにしても太っていた。

井上大助は実は作ったことのない真っ赤なハイヒールを苦労して作る。
このハイヒールをチエミに送るのだが、これがカラーでないのがさびしい。
カラーだったら、この赤が映えたのだが。

ところがこのハイヒールを送ってからチエミからの文通が途絶える。
友人の江原達怡なんかは「女なんて貰うもの貰ったらサヨナラさ」と慰める。
で、手紙がやってくるのだが、実はハイヒールを貰って出かけたら足をくじいて
しまったという。それで罪の意識を感じ手紙を出せなかったのだ。

で、チエミは「実はハイヒールが得意な人と仲良くなればひょっとしたらハイヒールを
もらえるかも知れない」という打算があったと打ちあける。
でも二人はお互いにウソをついていたことを謝り、「これからもお付き合いしていきましょう」
と誓い合う。

ふーん。なんだか庶民はつつましく分相応に生きていけというお説教をされたようでイマイチ
いやだな。
もちろん過ぎた夢をみて見栄を張るのはよくないが、でも一歩先へ行こうと努力する話しのほうが
私は好き。

それにしても「文通蘭」は出会い系サイト、太っているを気にしているのはダイエット、
ハイヒールをあこがれるのは今のブランド品志向。
今も昔も(スピードとか度合いは違うが)変わらない女心を描いているようで、今の視点から
しても面白かった。



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婚約指輪(エンゲージリング)


日時 2007年4月22日17:20〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松林宗恵
製作 昭和31年(1956年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


石原慎太郎の金持ちの息子は今は大学院で研究している身分。どっちかというと
研究している、というより「まだ学生をしている」といった感じだ。
親は白川由美の幼馴染の子と結婚を勧め、慎太郎はいやいや婚約指輪を買いに銀座へ。
ところがその帰りによったデパートでその指輪を忘れてしまう。
その指輪を届けてくれた青山京子のデパートガールとそのお礼に食事に行く慎太郎。
いつしか慎太郎は青山京子に惹かれていくが、白川由美は面白くない。
あてつけに慎太郎の友人の宝田明と食事行ったりするのだが。

今週から始まったラピュタのSP特集。
1つの番組で2本見せてくれるから一回分の料金で2本見られる。

でこの映画。
慎太郎主演で松林監督のラブコメだ。
しかも慎太郎が原作、脚本(若尾徳平との共同)
ところが慎太郎がヘタクソなのだなあ。
下手なくせにセリフが長いのだ。

例の指輪をなくすときにデパートで靴下を買おうとしているのだが、デパートガール
相手に「君どっちのほうがいいと思う?これなんか飾りが隠れていていいと思うんだけどな。
本当のおしゃれって言うのは見えるか見えないかのところにするもんなんだ。
元禄時代の人は下駄の鼻緒に飾りをつけていたって言うぜ」
と説明的なセリフをべらべらと早口でしゃべる。
(この頃から慎太郎は早口だ)

その点、宝田明はかっこよい。
タバコを持ちながら、足をちょっと交差させている立ち姿など、やはり「プロ」の俳優としての
かっこよさを感じる。
慎太郎なんかただの出たがりの素人に過ぎない。

で慎太郎だが、これが金持ち。
婚約指輪を買うのだが、これが7万円。
当時と今では物価が20倍くらい違うだろうから、140万円だ。
これをあっさり小切手で払う。
もう金持ちのボンボン。

でお話のほうは青山京子の素直な性格が慎太郎の親(中村伸郎)や祖母に気に入られる。
白川由美が青山京子に恥をかかせようとお茶会に招く。
そしてお茶を立てさせてるように仕向けるのだが、青山京子は難なくこなす。
で、親も認める人となる。「太陽の季節」と違って至極まともな展開だ。
慎太郎と青山京子は車で湘南を走り、江ノ島が見えるあたりで
車を止めてキスをする。

関係ないが、ここでキスしているときに白バイがやってきて「おいおいこんなところに
車を止めちゃ・・・」と注意しかけるがやめる。
こういうシーン、他の映画でも見たよな、と思ったが「女王陛下の007」だ。
別に関連性はないと思うけど。



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サンシャイン 2057


日時 2007年4月21日16:10〜
場所 シネマート新宿SC1
監督 ダニー・ボイル

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太陽はいまや死滅しつつあり、その太陽を核爆弾で活性化させるべく、
宇宙船イカロス2号が地球を飛び立って16ヶ月が過ぎ、水星に近づきつつあった。
やがて地球と通信できない地域に入ったが、そのとき7年前に同じ任務で飛び立ったが
行方不明になったイカロス1号からの救助信号をキャッチした。
乗組員は激論の末、進路を変更してイカロス1号に向う。
使えるかも知れないイカロス1号の核爆弾が手に入れば「太陽活性化計画」も
成功の確率が上るからだ。
進路変更を行うイカロス2号。果たして彼らの任務は成功するのか?


話だけを聞くと「ディープインパクト」とか「ザ・コア」とか「アルマゲドン」
見たいな「地球を破滅から救う特別部隊の話」で似たような感じかと
思ったら、そうでもない。
真田広之が隊長役で出演しているからもう少し話題にされてもよさそうだが、
芸能マスコミでも話題にされず、新聞広告もちっちゃい。
配給会社のやる気がなさそうなのが伝わってくる。

それもそのはずで、あまり面白くないのだよ。
どうもテンポが悪いのだ。
スピード感がないというか「盛り上げよう」という感じがしないのだな。

また太陽が近づくにつれ、「神がどうした」というような宗教的話題になるのだが、
あまりこちらは突っ込まない。
しかも後半には突然「イカロス1号」の船長がなにやら変質した姿で登場する。
そこで「私は7年間神と対峙してきた」などと理屈を言い出す。
ただし深くは突っ込まない。

見てるこちらは単純に大宇宙の冒険物語を期待するのだが、なにやら言いたげだが、
よくわからない。
宇宙船の形も「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号に似ているし、ああいう
哲学的な映画にしたかったのではないか?

脚本のほうは「宇宙船の修復」「イカロス1号のドッキング」「イカロス1号からの脱出」
「太陽への決死的突入」など冒険SFの要素は強かったと思うが、監督が冒険物語の味を
消そうとしたのではないか?

真田広之も「隊長役」という大役にも関わらず、一番最初に死ぬ。
同じ日本人として残念だなあ。
あんまり話題にならないのも納得の出来でした。
宇宙の特撮はよく出来ていましたけどね。

ところで今回初めて入ったシネマート新宿。
「新宿文化シネマ」の改装だが、椅子やロビーの内装が変わった程度で、
根本的に劇場の形を変えていたわけではなかった。
最近シネコンに通ってご無沙汰だったが、意外に広かったのには少し驚いた。
記憶では「あまり大きくない」という印象だったので。
そりゃ新宿ミラノ座に比べれば小さいけどさ。



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地獄の変異


日時 2007年4月17日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 ブルース・ハント
製作 2006年
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ルーマニアの山奥。この地にあった過去の人々が封印した
大洞窟に30年以上前に進入したものたちがいた。
しかし洞窟の入り口は崩れ、再び入り口は封印された。
現代にその洞窟はまた発見される。中には大きな川や湖も存在するらしい。
そのため優秀な海洋ダイバーチームが選ばれ、洞窟探検に挑む。
しかし、そこには未知の生物が!

面白い!
水の中、光のない闇の世界、逃げ場のない洞窟。
人間が本能的に恐怖を感じる世界が広がる。

またそれをあおるようなカメラアングルがいい。
水の中からあおりや常に岩場の影から覗き込むようなアングル。
登場人物たちは気づかないが何かが近づいてくるような不安感をあおり立てる。

水の中で襲われたり、急流を抜けたり、崖伝いにモンスターと戦ったり、洞窟の中、
という画的に単調になりがちななかで、非常にがんばっている。

怪生物(モンスター)は寄生する微生物が始まりらしい。
寄生された人は徐々にモンスター化していく。
まずリーダーが寄生されてしまう。
徐々に言動や表情がおかしくなるリーダー。
彼の言動は仲間を脱出させるための道しるべと考えていいのか?
はたまたモンスターとなり仲間を殺させる方向へ向おうとしているのか?

単なるモンスターに襲われる恐怖だけでなく、仲間を信じていいのかいけないのかの
心理サスペンスも加わる2重の面白さ。

そしてモンスターとの対決!
何とか脱出した後のラストシーンは「エイリアン」「マタンゴ」からの伝統の結末。
秘境モンスターものの久々の秀作。

ノースターで派手さがないのが、惜しい。
でもそのB級具合がいい気もするし、難しいところですね。
この映画、公開は2006年の秋。予告編も見ていたし、劇場で見ようかと思ったのだが、
「銀座シネパトス」だったからイマイチ行く気がなくなってしまったんですよね。
でもやっぱり見ておくべきでした。



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人妻集団暴行致死事件


日時 2007年4月14日19:10〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 田中登
製作 昭和53年(1978年)

(詳しくはキネ旬データベースで)



埼玉県のある街。中学校が一緒だった転職を重ねる20歳前後の若者(古尾谷康雅
ら)がいる。
ある晩、彼らは止めてあったトラックから積んであった卵を盗む。
警察につかまるが、トラックの持ち主の室田日出男は訴えを取り下げる。
そのことがきっかけで一緒に飲みに出かけたりする彼ら。
ある晩、やりたいことで頭がいっぱいの若者たちは室田の妻を強姦するが、彼女は死んでしまう。

昭和53年というともうキネ旬を読み始めた頃だが、日活ロマンポルノにも
関わらず、キネ旬ベストテンにも10位くらいにランクインした映画。
というわけで昔からタイトルは知っていて気になっていた映画。
成人指定だがポルノとはいえないだろう。
この映画を見て興奮したり、性的な満足を得られる奴はいるわけない。

主人公の3人は地方都市に住む、女とやることしか考えていないような奴。
同級生の女はスナックで働く尻の軽そうな女だし、しかも金も持っていない。
都会の大学生のようなスマートさ、かっこよさは微塵もない。
私の周りにはこういったタイプの人はいないのだが、少なくともこの映画の
70年代はいたような感じがする。
仕事は配管工や土方、計画的ではない、衝動的な犯罪に多そうな職業だ。
(別に職業差別をしているわけではない)
そして室田日出男は昔浅草でヤクザだった男。

見終わってなんだかよくわからないな、という気がする。
いやストーリーの展開はよくわかる。
登場人物の気持ちとかがよくわからないのだなあ。
なんか作者が何をいいたいか、何をやりたいかがさっぱり伝わってこない。
私自身が感性が鈍いのか、都会のサラリーマンだからなのか、単に私がバカだからなのか
主人公達の地方都市での特に未来のない暮らし鬱屈が実感出来なかった。

ラスト、犯人3人のうちのまだ強姦してなかった一人は執行猶予がつく。
そいつは真面目な地味な女の子と付き合うようになって自転車で二人で幸せそうに
走っているシーンで終わるのだが、これもよくわからない。

しかしこういった泥のにおいがするような映画は今の映画にはないなあ。
もっとも70年代にも多かったわけではないけどさ。
インパクトはある映画だが、かといって面白かったわけではなかった。



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ブラッド・ダイヤモンド


日時 2007年4月14日18:30〜
場所 新宿ミラノ座1
監督 エドワード・ズウィック

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内戦が続くアフリカ西海岸のシエラレオネ共和国。
その国で漁師をするソロモンは反政府軍に家族と引き裂かれ、ダイヤの採掘場へ
強制労働に送り込まれる。そこで彼は親指ほどの大きさの巨大なピンクダイヤを見つけ、
土に埋めるが、今度は政府軍によって投獄される。
ダイヤの密輸をするアーチャー(レオナルド・ディカプリオ)は密輸が見つかり逮捕される。
その投獄先で、アーチャーはソロモンの巨大ダイヤの話を耳にする。
アーチャーはコネを使ってソロモンを出獄させ、彼の家族を見つけることを条件に
ダイヤ探しの旅に出ることに。
そしてアーチャーは戦場を抜けるのにアメリカ人ジャーナリスト・マディー
(ジェニファー・コネリー)にダイヤの密輸ルートの情報と引き換えに協力させることにする。

今年の初めに大い芸能マスコミを大いににぎわせたディカプリオのアカデミー賞ノミネート作品。
アフリカ問題をハリウッド式エンターテイメントで描いた大作だ。
「まあハリウッドが作るとこうなるんだろうなあ」というのが正直な感想。
最近アフリカ問題を扱った映画は「ホテル ルワンダ」「ダーウィンの悪夢」など多く、
ちょっとしたブームにさえなっている。

しかし上記2本は映画を見終わったあと、どよんとしたがっくりするような気分で映画館を
出たものだった。特に「ダーウィンの悪夢」などは「見なきゃよかった」と思ったし、
「何で金払ってまでいやな気分にならなきゃいかんのだ」とさえ思った。

ところがこの映画は(書いちゃうけど)ハッピーエンド。
でもアフリカの問題ってのは今でも完全に解決したわけではないだろうから、こうして
完全にハッピーエンドにされるのはどうもねえ。
しかも美人女性ジャーナリストが登場するあたりは典型的なハリウッドエンタテイメントの
定石とさえいえる。
さらにディカプリオは「ダイヤのため、金のため、自分のため」に動くような人間だったのだが、
ラストは唐突に(僕にとっては)「いい人」になって、ソロモンだけを助けダイヤさえも
渡してしまうという(映画にも出てくるが)性善説の行動となる。

この辺がなあ。
やっぱりディカプリオが演じることの限界なのかな。
ここでラストまで自分のためにだけディカプリオが行動すれば、私の中ではアカデミー賞ものだった。

女性ジャーナリストに、ディカプリオが最後はいい人、そして敵中突破のアクションに大爆発。
おまけにディカプリオが肉体美をみせるサービス付き。
アフリカの問題をハリウッドエンタテイメントにされることに大いに違和感を感じた。
しかし「ホテル ルワンダ」や「ダーウィンの悪夢」より確実に多くの人がこの映画を
見るのだろうから、(たとえハリウッドエンタテイメントという形にせよ)アフリカの問題を
知ってもらうのはいいことなのかも知れないけど。

しかし3月ごろの朝日新聞の小さなコラムに「最近の映画界でアフリカ問題が描かれるのは
アフリカ問題に関心があるというジャーナリスト的視点があるからではなく、紛争とか
映画になりそうな題材が転がっているに過ぎないから」という意見がチラッと紹介されていた。
うーん、そういうものか。

それにしても前売り券の表記、「グローリー」「ラスト サムライ」監督作品ってあるだけで
監督の名前が書いてないぞ。作品名まで書いたんなら「エドワード・ズウィック監督作品」とも
書いてあげなさいよ。



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江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者


日時 2007年4月7日17:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 田中登
製作 昭和51年(1976年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ポスターに「エロス超大作!」って書いてあったけど、それに恥じない倒錯した性の世界を
描く大作。
「屋根裏の散歩者」って何回映画やテレビになっているのだろう。
まさしく江戸川乱歩の代表作だ。
加えて本作では江戸川乱歩の短編「人間椅子」も加えられる。
こちらも単独で映画化されることはないが、石井輝男の「恐怖奇形人間」でも登場したし
やはり乱歩としては映画化される代表作だろう。

覗き、そして覗かれる露出の快感、ボディペイント、椅子の中からの触感を楽しむという
フェティズム、顔のわからない道化師とのセックス、そういうSM的異常性欲の世界が描かれ、
ついには宗教家の殺害という反社会的な行動に向かっていく。

映像は美しく、江戸川乱歩の官能的な異常性欲の世界を十分に描き出す。
明智小五郎は出てくるのか、と思ったら本作では出てこずに、ラストは関東大震災で
物語を締めくくる。

東京という街全体を破壊するという究極のSM観を見たような気がした。

屋根裏の散歩を楽しむ異常性欲者に石橋蓮司。
石橋に覗かれることに快感を覚える有閑マダムに宮下順子。
この二人の異常性欲の快感さがよい。
二人の代表作だろう。



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安藤昇のわが逃亡とSEXの記録


日時 2007年4月7日15:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 田中登
製作 昭和51年(1976年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


まあ身も蓋もないストレートなタイトルだ。
公開当時、キネ旬かなにかでこの映画のタイトルは見ていたのだが
あまりのストレートなタイトルに少年だった私は見に行かなかったが、
その後何十年も記憶に残った。
それでまあ今回見に行った次第だ。

安藤昇は例のホテルニュージャパン火災事件などで有名な横井英樹
(人を小ばかにしたような薄ら笑いが気持ち悪い、貧乏エビスといわれた
あの男)の銃撃事件を起こした男。
この映画はその銃撃事件後の逃亡生活をその事件の後に映画俳優となった
安藤昇自身に演じてもらうという、安藤昇映画の決定版(という言い方が正しいのかどうか)

「逃亡とSEXの記録」というから日本中をあちこち転々としながら、時には
警察の検問を知恵やカーアクションを交えて突破する!というシーンが
あるかと思ったら、ない。

女の部屋や昔の戦友(小池朝雄)の家に逃げ込んで、隠れながらSEXをする、
というあまり動きのない話。
そして一方では安藤組の組員達の蟹江敬三なども逃亡しながらSEXする。

しかし単なるエロ映画ではない。
むかし戦友だった小池朝雄と特攻隊(飛行機ではない)時代の人間爆雷の訓練させられた
戦争中の恨み節が印象的。

そして安藤が逃げたあとの家に警官隊が踏み込む。
そのときに安藤が組み立てていたおそらくはあの戦争中の記憶の象徴する「戦艦大和」の
プラモデルが警官が踏み潰される。自分の戦争の記憶さえ踏みにじられる。
そんな使い捨てられた男の無念が伝わってくる。

ラスト、安藤はプールサイドで女を強姦中に逮捕される。
「もう少しで終わるから」と言うのを警官によって引き離される安藤。
ところが連行されるパトカーの中でさっきの続きで自分のモノをしごく安藤。
そして彼の白いものがフロントガラスに飛び散らせるという国家に対して唾棄行為を行う。
このシーンは痛快だった。

そしてパトカー数台で連行される安藤は車で追っかけてきた小松方正の新聞記者に
「今のご気分は?」と聞かれてぼそりとつぶやく。

「天皇陛下にでもなった気分だよ」

なかなかの皮肉の聞いた映画だった。



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女教師 私生活


日時 2007年4月7日13:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 田中登
製作 昭和48年(1973年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


自分が教師を務める学校の生徒・啓二(風間杜夫)と同棲をするなおみ(市川亜矢子)。
啓二に思いを寄せる同級生の女子高生や啓二の兄、なおみの同僚教師との関係を描く。

実は日活ロマンポルノを見るのは初めてではないか?
少なくとも20年以上は見ていない。
学生の時も見たかなあ??

そんな程度の認識だが、田中登特集ということで、試しに見てみる。
風間杜夫が高校生役で出ているのが初々しい。
というより、(初歩的なことだが)ボカシがあることに驚いた。
最近のAVとかそういうのを見慣れてくると、実に新鮮だったよ。
昔の映画にはボカシがあるのはもちろん知っているが、そんなことすっかり忘れていた。
しかもカットによっては画面の3分の1がボカシになるのだから、「そういえば昔は
こうだったなあ」と懐かしさを憶えた。

この映画についてだが、主演女優にまったく魅力がない。
もっとも今のAVと違ってポルノとかピンクの女優って今以上に数段下に見られていたから
はっきり言ってレベルの低い女優しかいなくても仕方ないのかも知れない。

風間杜夫と女教師の公園での花吹雪の中でのセックスとか同僚教師とホテルに行ってセックス
するシーンでカットバックで嫉妬に狂った風間杜夫が電気自殺を試みるシーンとか、
風船や模型飛行機を飛ばすシーンなど幻想的なシーンがあって、見ごたえがない訳ではないが、
所詮は「がんばっている」の域を出ていないと思う。

まあ日本映画研究として日活ロマンポルノもこれからも見るだろうけど、あまりに
持ち上げすぎるのはどうかと思ってしまった。



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