2007年5月

神阪四郎の犯罪
ジョセフ・ロージー
四つの名を持つ男
首都消失 鬼火 ボロ靴交響楽
初雪の恋
ヴァージン・スノー
東京タワー オカンと
ボクと、時々、オトン
パッチギ! LOVE&PEACE 俺は、君のためにこそ
死ににいく
クィーン 黄色い涙 夜霧に消えたチヤコ 狂った脱獄
蜘蛛の街 二人で見る星 好人物の夫婦
バベル ゲゲゲの鬼太郎 クレヨンしんちゃん
嵐を呼ぶ歌うケツだけ爆弾!
新しい背広
生きている小平次 下町(ダウンタウン) 乾杯!見合結婚 マルクスの二挺拳銃

神阪四郎の犯罪


日時 2007年5月29日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 久松静司
製作 昭和31年(1956年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


雑誌編集長の神阪四郎(森繁久弥)は梅原千代(左幸子)という女の部屋で
ウイスキー入りの睡眠薬を飲んで死にそうになったところを発見され、一命を取り留めた。
しかし同じ部屋にいた梅原千代は亡くなった。
心中にも思われたが、心中に見せかけた殺人とも考えられ、神阪は逮捕される。
やがて裁判が始まる。
神阪の雑誌の出版社の社長、神阪をその出版社に紹介した有名な評論家(滝沢修)、
神阪の部下の編集者、神阪の妻(新玉美千代)、神阪と交流のあった歌手が証言台に立ち、
そして千代の日記も紹介される。
誰もが神阪を嘘つきで卑劣な男と評する。しかし妻は神阪はいい夫だったと証言する。
やがて神阪自身が証言台に立つ。
その証言は他の証人たちとことごとく食い違っていた!

タイトルの「神阪四郎」は多分「神しか知ろう=神のみぞ知る」のもじりだろう。
(根拠なし。多分)
法廷劇のミステリードラマ(それこそ「検察側の証人」のような映画)だと思っていたので
ちょっと外された。
(新珠三千代の妻が急に神阪を擁護する証言をしだしたので、どう大逆転があるのか
わくわくしてしまったよ)
しかし、この映画はそういうミステリーではない。
これはつまらなかったというわけではない。

黒澤明の「羅生門」と同じく、「人間は自分の都合のいいことしか言わない」という
テーマだ。
「羅生門」では上田吉二郎が映画を見ていればわかるのに「人間はてめえの都合のいい
ことしか言わないだよ!」と何回もいうお説教くささが気になったが、こちらでは
そんなくどくどとは言わない。
ラストシーンで神阪が拘置所に護送される姿をみた新聞記者(多分)の宍戸錠が
「結局本当のことはわからないのさ」という程度。
このくらいの説明はあっていい。
それすらないと、観客はちょっと放り出されたような気になってしまう。

描かれる事件は心中未遂か殺人か、心中ならどちらが引き込んだか、どうとでも
取れる事件だ。
はじめは一方的に悪く言われる神阪だが、妻の弁明、そして神阪の反論を聞くと
もっともな気がして、そのくるくる変わる事態はスリリングで見逃せない。
理論的な結末はないにせよ、ころころ変わる展開に充分引き込まれる。

出演では主演の森繁久弥が好演。
左幸子は貧乏で情念のこもった役が多いが、本作では目がくりっとして美人な
面も見せる。
また滝沢修が終始和服の評論家で「壮士」といった趣で登場。

人間の心の不条理を描いた秀作。



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ジョセフ・ロージー 四つの名を持つ男


日時 2007年5月27日16:00〜
場所 グリソム・ギャング
監督 中田秀夫
製作 平成10年(1998年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ジョセフ・ロージーとは1950年代のアメリカの非米活動委員会による
「赤狩り」によってハリウッドを追われた映画監督の一人。
その生涯を彼の遺族、彼と一緒に仕事をした人たちへのインタビュー、
彼の映画のダイジェストによってつづる。
タイトルの「四つの名前」とは、ハリウッドを終われ、イギリスに亡命後
使った変名と合わせて合計4つの名義で映画を発表したことによる。

まあ普通のインタビュー映画で、「衝撃のシーン」みたいなシーンはない。
正直言うけど、ジョセフ・ロージーという名前は全く知らず、
作品など全く見ていないので、この映画を見てもピンと来ない部分が
多いのだが、今日はトークイベントがあるので見に行った。
(トークイベントは映画評論家で〜さん)

その話の中で赤狩り、非米活動委員会というとマッカーシーが有名だが
別にマッカーシーが中心人物ではなく、その活動は1940年代から
あったという。
また第2次対戦中、ルーズベルトの病死により、トールマンが大統領に
なったわけだが、同じ党だが政策がだいぶ違った。
トルーマンにより追われた一派が、敗戦の日本に左遷されるような形で
やってきて、そこで彼らが理想の国家の実験をしようとして、現在の憲法を
作ったという話が余談として紹介された。
(聞き違いがあったらごめんなさい)

またハリウッドを追われた一派が、イタリアやドイツに行っており、映画人も
同様に行っていた。
その人間たちが作った映画の一本が「ローマの休日」だそうだ。
ダルトン・トランボのような後の「ジョニーは戦場に行った」のような映画を
作る人がなぜ「ローマの休日」のような大甘のラブコメを作ったのか疑問だったが
そのつながりがやっとわかりました。
(ちなみに現在発売中の正規のDVDはクレジットに「ダルトン・トランボ」の
名前がちゃんとクレジットされるよう修正されているそうです)

そしてそもそも中田秀夫という日本人の映画監督が、なぜ外国人の監督のインタビュー
映画を作ったか、に関して。
ホラー映画の代表などのように言われている中田監督だが、東大の出身で、当時
蓮見重彦のゼミを受けていたんだそうだ。
だからこの映画は、ホラー映画の系譜より、蓮見重彦の弟子、としての映画と理解すると
いいらしい。

自分の知らない世界ばかりで、勉強になりました。



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首都消失


日時 2007年5月25日
場所 セルDVD
監督 舛田利雄
製作 昭和62年(1987年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ある夏の日、東京上空に巨大な雲が現れ、東京とすべての連絡が取れなくなった。
東京の本社に名古屋から向かっていた北斗電気の浅倉(渡瀬恒彦)は新幹線を
途中でおり、厚木の研究所に向う。
また同じ新幹線に乗っていたテレビキャスターの小出まり子(名取裕子)は浅倉たちの
行動の取材に行く。
大阪のテレビ局では川村報道部長(財津一郎)の指揮の下、ディレクターの田宮(山下真司)
カメラマン小山(おさむ)がヘリで雲に向う。
その雲に近づいた自衛隊機は爆発墜落した。
中では一体何が起こっているのか?
その頃、政府のなくなった日本に対し、米ソの緊張は高まりつつあった。
全国知事会の小室知事(渡辺文雄)は箱根で静養中だった保守党の元幹事長中田(丹波哲郎)
を臨時代行政府の代表になってもらうことを打診する。

「日本沈没」を縮小変形版とでも言うべきSF映画。
原作は同じく小松左京。
公開当時見て以来、20年ぶりの再見だったが、やはり面白く見た。
公開時に映画を見てから原作を読んだ覚えがあるが、原作のほうは「政治経済とも東京集中の日本の
仕組みの中で、東京がなくなったらどうなるか?」という政治的シミュレーション小説としての
色彩が濃かった覚えがある。

しかし、映画のほうでは、その辺は残っているものの薄まり、「『雲』という一種の巨大怪獣に
襲われた東京の救出物語」というデザスターパニック映画の様相になっているのが個人的には
好きだった。

技術者が出てきて老練な博士(大滝秀治)が登場し、ヒロイン(名取裕子)がいて危険な目に
あいながら、怪物体(雲)接近遭遇をする。
そして調査を進めるうちに弱点がわかり、それに対する対抗装置を作り、台風の中それで
攻撃するというアウトラインが「怪獣映画」のそれと同じで、怪獣映画が途切れていた時期だった
ので非常に楽しんだ。

確かに東京が雲に覆われた、というだけなので、映像的なスペクタクルは少なく、やはり
「B級感」は今見ると否めない。
しかしパニック映画好きとしては満足だった。

その中でも(あまり深くは突っ込まないが)雲を見に野次馬が駆けつけ、その集まった人目当てに
たこ焼きやラーメン屋の屋台が出ているシーンが印象的。
人間の無責任な野次馬根性を現していて、妙にリアルな感覚を味わった覚えがある。

出演では丹波さんが「日本沈没」の山本総理を髣髴とさせる髭をたくわえての登場。
それだけで丹波ファンの私としてはたのしい。
また報道部長の財津一郎が坊主狩りで登場し、頭をぴしゃりと叩きながら「よっしゃ。いけえ!」
とエネルギッシュに指示する姿が楽しい。
あとマンザイブームが一段落したあと、消えかかっていた「ざ・ぼんち」のおさむが役者として
新たなスタートを切った作品(だと思うよ)

「すごいお勧め」というほどではないが、忘れたくない一品。



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鬼火


日時 2007年5月20日12:50〜 
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 千葉泰樹
製作 昭和31年(1956年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ガスの集金人忠七(加東大介)は今日も暑い中、一軒一軒の家を歩いていた。
ある日、同僚(堺左千夫)から「あそこはダメだ。払ってくれない」と言われている家に行く。
そこはあばら家で応対した女ひろ子(津島恵子)は美人だが、やつれていた。
話を聞くと夫(宮口精二)が病気で寝込んでおり、ガス代は今は払えないがせんじ薬を作るために
ガスは止めないで欲しいと言う。
忠七は「払いは待ってやるから、今夜うちに来い。わかってるだろ?」といやらしく笑う。
その晩、ひろ子のために寿司までとって待ちわびた忠七だったが。

東宝のダイヤモンドシリーズ第1弾(だそうだ)
キネ旬データベースを見ると「怪談味の濃いスリラードラマ」と書いてあるけど、まさしく
その通り。文芸作品という紹介のされ方もするが、怪談風だ。
のっけから伊福部昭氏のいつもの重厚なサウンドでホラーというか怖い映画の感じである。

津島恵子がやつれきった顔をして登場するともうホラー映画のような怖さを感じる。
この家が道から玄関までがなんだかぬかるんでいて、ここを加東大介が通るところで
足元のアップになるのだが、ぬかるみ具合がこれから起こる不気味さを予感させる。

ひろ子は着物に締める帯のないほどの貧乏。今夜出かけなければならないというと
夫は布団の中で自分の兵児帯をはずして渡す。
男物の帯じゃまずいだろ、とこっちが思っていると「暗いところなら解らないよ」と
いう宮口精二。
なんだか取り付かれたようで怖い。

銭湯で髭をそりながら、今夜ひろ子が来たときのことを想像してニヤニヤしていた忠七だが
遅くにやって来たひろ子が昼間と同じ着物で男ものの帯をしていると知るとがっかりというか
驚く。
「絶対ガスは止めないですね」と聞かれて「とりあえず俺が立て替えといたよ」というと
ひろ子は帰ってしまう。
ふてくされてヤケ酒を飲む忠七だったが、翌日、ひろ子に家に行ってみる。
勝手口から覗いてみるとガスコンロだけが燃えている。
中に入ってみると、夫は目をひんむいて死んでおり、ひろ子は台所で首をつっていた。
ガスの集金人ごときに体を与えなければならなくなった自分の身に絶望したのか
夫婦で心中したらしい。

ひろ子が首をくくった台所は夫の部屋から障子を隔てているのだが、ガスの炎をバックに
障子に首をくくったひろ子の姿はそりゃ怖い。
ここで重厚な伊福部サウンドが響くのだから尚怖い。

忠七が驚いて悲鳴を上げながら去っていくところで映画は終りなのだが、津島恵子や
宮口精二が実に不気味で、効果的だった。



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ボロ靴交響楽


日時 2007年5月20日12:50〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 西村元男
製作 昭和31年(1956年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ある川沿いのボロ家の長屋にある若い男(木村功)がやってきて、ここに置いて欲しいと言う。
バタ屋の彦さん(藤原釜足)たちは結局空いている小屋に置いてやることにする。
彦さんの娘・マリ子が若い男の名前を聞いたところ、「小田倉次郎」で父親の名は「小田倉喜八郎」
だという。
彦さんたちが翌日リアカーを牽いているときに「小田倉喜八郎」の表札を見かける。
聞けば「小田倉」が日本でも五本の指に入る金持ちだという。
やがてマリ子がその若い男に関心を持ち始めるのだが、この若い男に怪しい女が訪ねてきた。

菊田一夫原作映画化。
貧乏人は欲がなくて心がきれい、という幻想の元に成り立っている話。
そんなわけないだろ!と思う私はこの映画を鑑賞する資格がないかも知れない。

宮城まり子と藤原釜足たちがリアカーを牽きながら歌うシーンから始まるのだが、なんともまあ
のどか。
宮城まり子は頭が弱そうな女の子を演じさせると実にうまい。
本当に頭が弱そうに見えるが、そんなことはないだろう。

結局、木村功は適当な名前を言っただけらしく、実は悪い組織から追われる身。
欲のない人々と接するうちに改心するという結末。
予想通りの結末でコメントしようがないのだな。

出演は藤原釜足。この人も「憎いもの」でも貧乏人だったが、「七人の侍」もそうだし、
ワンシーンの出演の黒澤の「天国と地獄」でも貧乏そうなゴミ焼却係を演じていた。
そういう役ばっかり。
他には左卜全。
相変わらずのワンテンポ遅い受け答えがユーモアを添える。
あとは子役時代の松島トモ子ね。
また木村功が小屋に住むという設定で、なんだか黒澤の「野良犬」を思い出した。



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初雪の恋 ヴァージン・スノー


日時 2007年5月19日22:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン9
監督 ハン・サンヒ

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父親の仕事の都合で京都にやって来る事になった高校生のミン。
立ち寄った神社で巫女のバイトをしている七重に一目ぼれ。
偶然にも七重はミンの転校した高校の生徒だった。
二人はやがて惹かれあおうが、七重は突然姿を消してしまう。

韓国のCJエンタテイメントと角川映画の合作映画。
どういうところから企画が始まったかよくわからないのだが、なんてことのない
ラブストーリーだ。
普通、恋愛映画なんて興味がない私だが、イ・ジュンギは好きな俳優なのでとりあえず
見てみた。

見たこの日は4本映画をみてその最後だったので少し疲れもあったのだが、あんまり記憶に
残らない。
京都、という日本的な場所を舞台に神社やおみくじが登場し、日本の祭りやら、「0円携帯」
やチンドン屋なども登場させた観光映画みたいなもの。

後半のソウルで登場するのがソウル市庁そばの徳寿宮。
ここも観光地です。

最後は結局二人は結ばれてめでたしめでたし(だったよな?最早憶えていない)

日本語のまったく話せない高校生が日本の高校に転入するなんてそんなもんなんですかね?
言葉がまったくわからないんじゃ、授業もまったくわからないだろうに。
それともやがて解るようになる、という気持ちで転入させたのかな?

あとねえ、七重がいなくなる前に自分の気持ちを手製のお守り袋に手紙を書いて入れておいて、
それがソウルに住むミンのおばあさんの手に渡ってしまって読むのが遅れる、という設定だが
それってちょっと強引すぎやしないか?
まあ宮崎あおいとイ・ジュンギが恋をして、ちょっと別れてまた再会するというだけの
話なので、そういうことをいちいち言う必要はないかも知れませんが。

それにしても宮崎あおいも高校生役はちょっと無理があると思う。
イ・ジュンギは1982年生まれ、宮崎あおいは1985年生まれ。
大学生ぐらいの設定か、ヤングサラリーマンぐらいの設定のほうが自然な気がしますけど。
そうなんですよね、話が高校生らしくないのが余計に面白くなかった理由かも知れません。



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東京タワー オカンとボクと、時々、オトン


日時 2007年5月19日19:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン1
監督 松岡錠司

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イラストレーター、コラムニスト、放送作家など何でも屋のボク(オダギリ・ジョー)は、
今、母(樹木希林)を東京タワーが見える病院に入院させていた。
子供の頃のボクとオカンの思い出、そして現在への母の思いをつづる。

大ベストセラー、「東京タワー」の映画化。
「東京タワー」というと私は岡田准一、黒木瞳の不倫映画を思い出してしまうが
まったくの内容違い。
大ベストセラーで2時間ドラマになるわ、連続ドラマになるわ、映画にはなるわという
人気ぶり。
どれも見てないし、本も読まなかったが、一応ヒットしてるし、リリー・フランキーという
サブカルチャーの代表みたいな人がどんな話を書いたのか興味があったので、映画版を見ることに。

はあ、こういう話だったのですね。
マザコン話、と切り捨てることも出来るがそうは言い切れない。
男なら誰しも年を取ると母に対する自分の親不孝さを恥じて何かをしてあげたいという気持ちに
なるものだと思うが、それをズバッといい当てている。
ベストセラーのことはある。
学生時代留年するとかとにかく親不孝だったのが、30過ぎて一人前になってくると
母親のことを心配する。
まだ私は母親と同居したいと思わないが(その必要もないのだが)親孝行したくなる
気持ちはよくわかるよ。


個人的な感傷になるが、リリーフランキーと私はほとんど同じ年なので、子供の頃、学生時代
の流行とかファッションが実に身近だった。
同じ頃に同じようなファッションや体験をしていたのだな。
特に大学生のころにバミューダパンツを履いていたり、勝地涼がダンサーとして上京し再会を
果たすシーンで着ていたのがチェックのシャツにネクタイといういでたち。
そういえば、俺もあんなファッションしてたよな。

関係ない話だが、ラジオでの放送作家の仕事をしている時にパーソナリティの女性アイドルに
カンニングペーパーを見せるシーンが興味深かった。
そうか、ラジオでパーソナリティが話していることは全部パーソナリティが考えて話しているのかと
思ったが、ああいう風に助け舟を出したりしていることもあるのですね。

主演はオダギリジョーだが、ちょっとかっこよすぎる。
留年したりの情けなさ感、ダメダメ感がオダギリ・ジョーでは出ないのだよ。
もう少しうまくやっていけそうな気がしちゃうしなあ、オダギリ・ジョーでは。
あとはオカンの若い頃の内田也哉子。
親子だから似てるのは当然だが、それにしてもはまりすぎ、というくらいはまっている。
このキャスティングには参った。
なかなか出来そうで出来ないキャスティングだ。
あとは中学高校時代のボクを演じた富浦智嗣。「太陽の傷」でいいと思ったが、ここにも
登場してくれてうれしかった。


まさしくリリー・フランキー版、現代の「母に捧げるバラード」



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パッチギ! LOVE&PEACE


日時 2007年5月19日16:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン4
監督 井筒和幸

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今日、この「パッチギ! LOVE&PEACE」と「俺は、君のためにこそ死にに行く」
を続けて見たのはよいことだった。
井筒監督が「俺は〜」を批判していたようだが、この映画を見たらうなづけた。
極論を言えば、「俺は〜」みたいな映画を批判するためにつくったような
映画だった。

劇中、主人公の兄妹の妹は女優になる決心をして芸能界に入る。
そしていろいろあって戦争大作「太平洋のサムライ」のヒロインに抜擢される。
この映画の完成披露試写会のシーンで劇中映画「太平洋のサムライ」で描かれた
(それは多くの日本の戦争映画で描かれたシーン)と主人公たちの父が戦争で
体験したヤップ島の戦闘シーンがカットバックされる。
そこでは「戦争で美しく死んでいった日本人」ではなく「朝鮮人を虐げた
日本人」が描かれる。
モンタージュすることにより、「今までの戦争映画のような日本人はウソで、
実態はこうして朝鮮人を虐げてきた」と描く。
韓国だけでなく、ヤップ島にまで神社をつくりヤップ島の人々にまで「天皇崇拝」
を強制している姿はもはやこっけいだ。
「大東亜共栄圏は『欧米からのアジアの開放』ではなく、単なる日本植民地化」
に過ぎなかったと描く。

もう完全な反日映画だ。韓国映画だったら滅茶苦茶ボイコットされたかも知れない。

主人公の女優は舞台挨拶で「この映画(太平洋のサムライ)に描かれるような
戦争で愛する人を守るために死ぬより、生き抜いたほうが立派」と言わせる。
「俺は、君のためにこそ死にに行く」はタイトルだけで批判する価値があったのだ。

昨今の(というか昔からだが)「日本人は戦争の被害者」という視点からのみ描かれる
映画を真っ向から批判する。
その姿勢は大きく買う。井筒監督作品で初めてすごいと思った。

だたしこの映画自体にも疑問や不満な点がないわけではない。

第一に主人公の兄妹の兄のほうの押さない子供が「筋ジストロフィー」という筋肉が
萎縮して歩けなくなる難病にかかる。
この子供の難病の話、と在日問題とどう関わるかが(多分私がバカだからと思うが)
解らなかった。
単なる「難病映画ブーム」に乗っかっているとしか思えなかった。

そしてもう一つ。
映画の舞台は1974年だが、「1974年」というアイコンを出しすぎ。
「佐藤栄作のノーベル賞」「ユリゲラー」「ノストラダムス」「ブルース・リー」
「ヌンチャク」などなどなど私は知ってるから懐かしくもあったが、一方で
オンパレード過ぎてやや食傷気味だった。
これもまた今の映画、テレビ界の昭和ブームに乗っているに過ぎない。

「戦争映画ブーム」を批判し、その部分では評価するのだが、結局別のブームに
乗っかっているとしか思えない。
何だかなあ。
そして映画の中で藤井隆に「暴力では何も解決しない」と言わせておきながら、
結局最初と最後に大乱闘シーンがあって、それが見せ場になっている。

監督の自己矛盾を感じたような気がした。



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俺は、君のためにこそ死ににいく


日時 2007年5月19日12:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン6
監督 新城卓

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結論から言うと世間で言うほどひどい映画ではない。
窪塚洋介が井筒監督に「見ないで批判するな」と言ったそうだが、その通り。
しかしまあ世間が批判したくなるのもよくわかる。
大体映画ファンなんてのは大抵「左翼」だ。
映画監督をはじめ、芸術家なんてのは大抵「反体制」で「左翼」だから、
(だから赤狩りとかある)そういう人たちの作ったものを喜んで見るのだから
それに影響された人が多いのは当然。(かくいう私もその一人)

でこの映画は「製作総指揮・石原慎太郎」と大きく出る。
慎太郎なんていわゆる保守、復古主義の代表みたいに見られてる人だから、慎太郎製作
というだけで拒否反応が起こる。
また「俺は、君のためにこそ死ににいく」という長たらしいタイトル。
確かにいまさら「ああ特攻隊」なんて詠嘆調のタイトルもなんだと思うが、それにしても
この大時代的な恩着せがましいタイトルでさらに拒否反応が増幅する。
(私も見る前はそうだった)

もちろんこの映画にも不満がないわけではない。
しかし、まあよくある日本の戦争映画のパターンに乗っ取った映画だ。
大西滝二郎がレイテ戦において特攻を命令するところから映画は始まる。
「それは志願ですか?」と問う部下に「絶対生還しない作戦など誰が志願するものか。
志願の形を借りた命令だ」と答える。
このあたりで私は許した。
そして知覧に舞台は移り、勝野洋の飛行団長は「もはや空母を撃沈することが目的ではない。
敵に脅威を与えることが目的」と特攻で死ぬことが目的と説く。
私にすればこの2点を描いてくれただけで、及第点だ。

そして特攻隊の筒井道隆、徳重聡、窪塚洋介などと食堂のおばちゃん(岸恵子)との交流を
軸として話は進められていく。
筒井道隆など特攻に出撃のあと、エンジン不良で何度も帰ってくる。
「死ぬのが怖くて逃げ出した腰抜け」と批判され、エンジンの整備のあと、テスト飛行を
させられる。ところが途中でエンジンは止まり、あっけなく墜落死。
同時に筒井に結婚を申し込む女性(戸田菜穂)がいるのだが、筒井の父(江守徹)は
「明日死ぬとわかっている男に嫁に来てもらうわけに行かない、娘さんの親に申し訳が立たない」
と訴える。
特攻に行く中西少尉(徳重)に対し、土下座をしてその苦労をたたえる石橋蓮司。
また知覧の隣村が生まれ故郷の若い兵士は特攻の前日、自分の家に帰る。
だが、家族に顔を見せることも出来ずに去っていく。
また憲兵に「明日死ぬ人たちに検閲とか、門限とかが必要ですか!」
と食ってかかる岸恵子など、見せ場が続く。
単なる恋人との別れ、みたいなパターンのシーンがなくてよい。

そしてラストの戦闘シーンなどかなり立派。
「ローレライ」の頃よりもCGの技術が進んだのか「特撮!」といった違和感がない。
かなりのものである。

とまあ、このあたりはいいのだが、ラストでこける、というか不満が出る。
戦後のシーンで実は生き残った窪塚が「申し訳なくて帰れない」といったシーンは
よいのだが、夜道でホタルと特攻隊の兵士とオーバーラップするシーンはこけた。
あれは白ける。
そしてラストカットは岸恵子の「みんな美しい若者でした」というセリフで終わる。

ここから先は個人的な考え方になるのだが、特攻隊の方々をたたえる以上にしなければ
ならないことがある。
なぜ特攻作戦を行うようになってしまったか。
「国体の護持」のために特攻を行うという。
守ろうとした「国体」とは何なのか?
彼らに特攻をさせた「国体」とは果たしてそれだけの代償を払う価値があるものなのか?
その責任者は誰なのか?

そこまで突っ込んで描いてほしかった。
今までの「日本人はあの戦争でこんなにひどい目にあった。だから戦争はやめよう。
戦争で戦った兵隊さんに感謝しよう」という日本戦争映画のパターンから抜け出して
いない。

悲壮美に酔うだけでは今までの幾多の戦争映画と変わりはない。



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クィーン


日時 2007年5月13日19:10〜
場所 新宿武蔵野館1
監督 スティーブン・フリアーズ

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1997年8月に起こったダイアナ妃の死亡事故に揺れる英王室の1週間を描く
本年度アカデミー主演女優賞受賞作。

ダイアナ妃の事故のことはよく覚えている。
しかし、その裏で英王室、エリザベス女王があんなに苦悩していたとは知らなかった。
これは日本での報道が少なかったのか、あるいは私自身が関心がなかったので
記憶にないのかよくわからない。

ダイアナ妃の事故の一報がエリザベス女王にもたらされたとき、「もうチャールズ
皇太子とは離婚したのだから関係ない」と判断したのは正しいと思う。
しかし離婚したとは言え、結果的に(身分的には民間人なのに)国葬にしなければ
ならなかったあたりが、ダイアナ妃の存在のすごさなのだろう。
とにかく美人だったから、マスコミのネタにはなりやすかった。
これがそれほど美人でもなかったら、こうマスコミも騒がなかったのではないか?

「英王室としては関係ない」のスタンスを貫くエリザベス女王も、日増しに高まる
世論の「英王室は冷たい、対応がひどい」の声に戸惑いながら世論にしたがっていく。
その進言をするのは若きブレア首相。
このブレアという若き首相とエリザベス女王の擬似親子関係が世代の違いを
象徴させている。

それにしても見ていて私は昨年の日本の天皇を扱った「太陽」を思い出していた。
両方とも王室や皇室など今まで見たことが我々が見たことのなかった世界を描いている。
いや映画「太陽」というより、英王室と日本の皇室との違いを思っていた。

英王室批判がピークに達した頃、「4人に1人が王室不要と考えている」という
世論になったという。
日本でも天皇制廃止論はあるにはあるが、それにしてももっと低いだろう。
病気療養中の(旧姓・小和田)雅子さんにしてもどっちかというと皇室批判より、
雅子さん批判、果てはその雅子さんを守ろうとする皇太子に批判(もしくは直言)が行き、
皇室そのものに対する批判は少ないような気がする。
(あくまで私の感じ方である。話はそれるが私の個人的な意見では「男の子を産まなければ
皇太子妃にあらず」といったような意見には反対である。
そもそも女系天皇も女帝も認めてしまえばいい、というのが私の考えだから。)

しかし、今回のダイアナ妃に関しては世論は圧倒的にダイアナ妃に味方だった。
やっぱり英王室と日本の皇室とは違うなあ。
しかし、そんな英国でも、エリザベス女王がロンドンに戻って宮殿の前の献花を見たとき、
その場にいた市民はエリザベス女王に親愛の礼をする。
なんだかんだ言ってもやはり敬愛されているのだな。

映画の評価とは全く関係ないのだが、映画を見ながら、そんな日本の皇室との
違いばかりが気になった。



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黄色い涙


日時 2007年5月12日19:00〜
場所 恵比寿ガーデンシネマ2
監督 犬童一心

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昭和38年の阿佐ヶ谷。
そこには児童漫画家を目指す村岡栄介(二宮和也)をはじめ、歌手を目指す章一
(相葉雅紀)、画家を目指す圭(大野智)、小説家を目指す竜三(櫻井翔)がいた。
栄介が泊り込みで人気漫画家のアシスタントをして稼いだお金で、彼らはこの夏、
創作活動に専念する。

J-ストームムービーの新作。
J-ストームムービーといえば、東京ではグローブ座の単館上映が普通だったが、
「ホールドアップダウン」から他劇場でも公開されるようになってきた。
その中でも恵比寿ガーデンシネマなんていいう、個性のある劇場で上映されるのは
ひとえに犬童一心監督作品だからだろう。

「ジョゼと虎と魚たち」「死に花」「メゾン・ド・ヒミコ」「タッチ」と近年評価の
高い犬童監督だが、私にはどれもこれもイマイチだ。
ダメ、というわけではないが、大して面白くもない。
本作もそうなのだな。

夢を目指す若者を、昭和38年という昭和レトロ世界を使っての映画化だが、
根本的にこの場合、嵐である必要があったのか。
事実、松本潤の役がなく、近所に住む御用聞きの青年役で、本筋のドラマにも
あまり関わらず、グループの映画としては甚だバランスを欠いている。
あれでは松潤ファンはがっかりだったろう。
(エンディングで意外な結婚をする、というサプライズは与えられているが)

その問題はまあアイドルグループを映画にした場合、どうしてもバランスを均等に
配分するのは難しく、どんなアイドル映画にも内包する問題ではあるが。

で、内容なのだが、これがつまらなくはない。
かといって面白くもない。第一、芸術家としての夢を追いかけているのは漫画家の
栄介と画家の圭だけで、竜三は小説は構想だけで、喫茶店でうだうだするだけで
一行も書いていない。章一にいたっては普段何をしているかわからない。
それぞれがコンテストとかのそれぞれの目標に向ってがんばる姿があれば
群像劇としての面白さもあったが、そうでもなく、だからクライマックスというか
盛り上がりもないのだな。
(私は竜三のような口だけ芸術家タイプが一番好きになれない。下手でもとりあえず
書くことは大事です)

そんなわけで結局みんな挫折して行くのだが、がんばる姿が描かれればこそ、この挫折の
落胆も大きいのだが、今言ったように大してがんばってないのだから、落胆もない。
しかも竜三や章一は一円も稼がずただ居候しているだけなので、タチが悪い。

2時間以上の上映時間をとりあえず見せたのはやはり犬童監督の演出力というべきか。
(別に誉めているわけではない)

映画の主役はやはり二宮和也だが、やっぱり役者としての評価が高いだけあって、
他のメンバーと比べると、微妙な表情がよいと思った。
彼の今後の活躍には注目ですね。



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夜霧に消えたチヤコ


日時 2007年5月12日15:10〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 森永健次郎
製作 昭和34年(1959年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


フランク永井のヒット曲の映画化。
ヒット曲から映画を作るってのは最近なくなりましたねえ。
最後は「関白宣言」とか「北の国から」ぐらいだと思うので、もう30年は作ってないと
思われる。

お話のほうは霧の晩にタクシーの運転手の青山恭二が、睡眠薬自殺を図った女性(チャコ)
がタクシーの前に飛び出し、あわや交通事故になるところを助けたところから始まる。
病院に連れて行き、一命は取り留めたが、身寄りがない。
青山恭二は一目ぼれしてしまい、彼女を自分のアパートにつれていくが、置手紙を
残して出て行ってしまう。
そして街をふらつくチャコは銀座のマダムに拾われて、その店で働くことに。
そこで自分の生い立ちを話すが、戦争中、広島の原爆で家族は死んでしまい、
神戸で養子になるが、養父に犯されそうになり、逃げ出したがまた別の男に
襲われる。そして今度は東京に来たのだが・・・という幸薄い彼女。
でも銀座のホステスになっても先輩ホステスからいじめられ、自分の不幸な過去も
ばらされてしまう。
店を辞めたところをまた青山恭二に助けられて胸が悪く入院するのだが、自分の
過去を恥じて、夜霧の街に消えていく・・・・
という消えてばかりの女の話。

フランク永井が青山恭二の近所に住む歌手だか、作曲家の役で登場。
青山恭二が詩を書くのを趣味にしていて、そのチャコについて書いた詩を見た
永井さんが、その詩に曲をつけて売り出すという設定。

テレビの歌番組が今のようにない時代ですから、こういう歌謡曲映画も需要が
あったんでしょうね。
当時の人が面白いと思っていたかは解りませんけど。



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狂った脱獄


日時 2007年5月12日15:10〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 小杉勇
製作 昭和34年(1959年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ある夜、交番の警官の元に一人の男がやってくる。
男岩上(岡田真澄)は今日あった殺人事件の犯人だというのだ。
妻がレイプされ、その犯人らしい、自分の知り合いを殺したのだと言う。
ところが自分の殺した男にはアリバイがあり、妻をレイプ出来なかったのだ。

話はかなり強引だ。
岩上は長距離トラックの運転手だが、(岡田真澄では見えない)3日ぶりに
家に帰ると妻が泣いている。レイプされたと知ると「誰だ、どんな奴だった?」
と問い詰め「コートを着た茶色い手袋をした男」と聞くと勝手に自分の知り合い関根が
犯人だと思い込み、殺してしまう。
警察の取調べ(妻同席が許された)でも「その知り合いはレイプしたと認めたのか?」
と聞かれても妻が「そうです、あの男です」と答える。
それで妻は家に帰って別の男が訪ねて来て、その男は「関根がやったと押し通せばいい」
ウソを強要する。
ここまで来ると私なんかその男が「関根を殺したくてレイプされたことにして
夫に関根を殺させたのだ」と思ってしまう。

ところがさにあらず。
警察から関根にはアリバイがあるのでレイプ犯ではないと聞かされた岩上は
たまたま同じ房に入った男と留置場から脱獄する。
逃げようという男を振り切って、妻に会いに行く岩上。
ところが妻は夫と一緒に逃げてきた男をみて、「この男に殺された」と言う。

見てる私は「!?」である。
妻が会っていた男は関係ないらしい。
ミステリーとしては無茶だなあ。
話の方は結局、この一緒に逃げた男を捕まえて警察に自首して終わり。

ただし、見所はある。
オープニングのクレジットに赤木圭一郎の名前があったので、わくわくしながら見ていたが
岡田真澄たちが脱獄する時の留置場の当番の新人警官役。
後と違ってまだほほも少しふっくらとして、少年っぽさを残す顔立ちだった。

あと、岡田真澄が脱獄した後、妻の所に立ち寄ったときに、岡田が運転するトラックの
横にいる男(つまり一緒に逃げてきた男)をみて、「この人が犯人!」と言いかけたところで
岡田真澄はトラックを出してしまう。
それで妻の方は荷台につかまってトラックを追いかけるのだが、しまいにトラックに
引きずられながら泥道をトラックが進むカットがしばらく続く。
スタントを使ってる様子もなかったし、女優にこんな危ないことをさせるなんて、
すごい演出だ。

ちなみに監督は戦前の日活で俳優として活躍した小杉勇。
本作では音楽を担当し後の「サイボーグ009」の音楽を書いた小杉太一郎は息子。



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蜘蛛の街


日時 2007年5月10日
場所 録画DVD(チャンネルNECO)
監督 鈴木英夫
製作 昭和25年(1950年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


会社が倒産して無職になった榊原(宇野重吉)は仕方なく銀座でサンドイッチマンの
仕事をはじめる。
そんなある日、ある男がやってきて、あなたに是非うちの会社の製品を宣伝して
もらいたいと言う。
報酬の高さに飛びついた榊原だったが、その当日、車に乗せられて服を着替えさせられ
手には包帯を巻かされるというおよそサンドイッチマンらしくない格好をさせられた。
電車を降りたら駅員に道を聞けとか小料理屋に入って注文しても食べるなとか
おかしな指示ばかりを受ける。
自分は一体何をしたのか?

鈴木英夫の中でも評価が高い作品だったが、初めてみた。
これは面白い!
監督第2作だが、初期の代表作と言っていいだろう。

当時の人にはすぐにわかったと思うが、例の昭和24年に起こった下山事件を話のヒントに
している。
「下山事件を追求した社会派映画」というわけではなく、下山総裁が行方不明になってから
の目撃された情報があったことをヒントにしている。
映画の方は冒頭で、ある汚職事件で逮捕された容疑者が何者かに輸送中に拉致された
所から始まる。この男が、榊原にそっくりで・・・という展開。

未見の方のために映画の内容紹介はこれ以上控えるけど、後半、事件の犯人から命を狙われる榊原。
常に見張られていて、自分だけでなく妻(中北千枝子)や子供まで狙われる恐怖。
元気がない夫のために遊園地に行く家族だが、そこでも自分は狙われている。
回転する遊具に乗っている家族から、時折犯人たちが見える恐怖はなかなか。

そしてついに妻に自分の行った事を打ち明け、警察に行くことを決意する。
しかし、外には犯人たちが待ち受けている。
という展開。

このあたりの閉じ込められた環境から外にいかに助けを求めるか、というモチーフは
後の「彼奴を逃がすな」「脱獄囚」につながる鈴木英夫のお得意と言えよう。

正直、榊原が外に脱出するあたりはもう一ひねりほしいところだが、前半がいいので
映画全体の価値を下げるほどではない。
今、リメイクしても充分通用しそうな面白さだ。

出演は他には犯人グループの親玉が三島雅夫(善人そうな顔が返って怖い)、バーのマダムに
千石規子。下山事件もあつかう熊井啓監督「日本列島」に主演する宇野重吉が本作でも
主演しているのは奇しき縁。
やはり喜劇やメロドラマよりこういうサスペンス作品が面白いと思う、鈴木英夫は。



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二人で見る星


日時 2007年5月6日
場所 録画DVDチャンネルNECO
監督 鈴木英夫
製作 昭和22年(1947年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


高子(沢紀子)は戦災で住むところがなく、幼馴染の家に居候していた。
ある日、その家に矢野(水島道太郎)という男が人を探してやってきた。
高子は矢野が南方からの復員兵だと知ると、その家の主人である幼馴染が留守だった
ために、矢野に食事を振舞った。高子とかつて結婚するつもりでいた恋人・阿部
(伊沢一郎)が矢野と同じ地方に行っていたからだ。
しかし見ず知らずの他人の矢野に食事を振舞ったことから幼馴染と険悪になり
高子は当てもなかったが、その家を出ることにした。
丸の内界隈を歩いていたら道の反対側にいる阿部を見かけた。信号が赤だったために道路を渡れず、
阿部は車に乗って行ってしまった。そんな時、高子は矢野と再会する。

鈴木英夫の第一回作品。
もともと大映の出身なので、これも大映作品。
期待してみたが、はっきり言ってつまらなかった。

高子はその後、矢野と一緒に泊まる所を探しているうちに、二人の間に愛情が生まれる。
という展開。
ベタである。

ストーリーの展開もほとんどない。
高子は矢野に「きっと阿部さんはまた丸の内に来ますよ」と言われ、あてもなく
毎日丸の内の街角に立ち続ける。
そんなことするだけでなく、阿部さんを呼びかける貼り紙でも貼れば?と思っていたら
映画の後半になって矢野が気を利かして広告社に頼んで掲示板(ネットじゃないよ)に
阿部さんに呼びかける貼り紙を貼ってしかも街頭アナウンスまでする。

話は戻るが最初のほうに阿部さんとの別れのシーンが高子の回想として登場する。
そのシーンで阿部は「自分は南方に飛行場建設の技師として行く。何年かかるか
解らない。その上、生きて帰ってこられるとは限らない。ここで君に待っていてくれと
言うのはお互いを束縛することになる。だから僕のことは忘れてくれ」という。

阿部さんも「お互いを束縛しないために約束はしないでおこう」と言ったのだし自分も
今目の前にいる矢野さんに心を惹かれたのだからと映画の最後で阿部さんのことは諦めることにする。
おまけにそのすぐ後に再び阿部さんを見かけるのだが、阿部さんも女連れだった、
という展開。

終戦直後の焼け跡で出会ったあたらしい二人の再出発を希望豊かに描いた、といえば言えるのだが
それにしてもストーリーの展開がなさすぎた。

そんな中で先の阿部さんとの別れのシーンだが、カメラが高子の視点として写される。
高子の目が涙で曇ったかのようにピントがぼけたり、頭を振ったようにカメラが揺れる、
という演出。この演出が成功しているかどうかといえば、そんなに効果的だったとはいえないが
まあ実験精神はあったのでしょうね。
(しかし、最後には高子がフレームインして今まで高子の視点だと思っていた画面に高子が
写るるという混乱するカットになってしまっている)

鈴木英夫、正直デビュー作はまだまだ、と言った感じがいたしましたね。



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日時 2007年5月6日17:10〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 山本嘉次郎
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


太平洋戦争末期、東京をはじめとする大都市では空襲の際に動物園の動物が
外に出て人間を襲うことを恐れた軍部は、上野動物園をはじめとする全国の
動物園にトラ、ライオン、象などの動物を処置するよう通達をだす。
飼育係はつらい思いで毒入りのえさを動物達に与える。
しかし、頭のいい象は毒入りのえさを見抜いてしまい、食べようとしない。
そんな時に象係の善さん(榎本健一)に仙台の動物園から象を譲ってほしいという
話が舞い込む。

柳楽優弥の「星になった少年」でその撮影風景が登場した、有名な上野動物園で
戦争中に象を殺した話の映画化。
飼育係を榎本健一が力いっぱいに演じる。

小林桂樹の飼育課長は「軍の決定が変わることはないのだから、諦めてくれ」
善さんに懇願する。
しかし善さんはなかなか納得できない。
いやその気持ちはわかるのだが、やっぱり情にほだされてえさをあげることは
返って残酷だと思う。
こう考えてしまう私はこの映画を見る資格はないかも知れない。

私は動物を飼う事はしない。
犬とか猫とかリスとか小動物を飼ってみたいとは思う。
しかし一時は一生懸命世話をするかも知れないが、そのうちに愛情が冷めて
しまうような気がする。
そんな時に捨てたりしたら無責任だ。だから最初から飼わない。

もっとも榎本健一の善さんと私ではまったく次元が違う。
戦争という人間の身勝手さが生んだ産物によって自分の愛する動物が殺されるのは
実に許せないことだろう。
知恵はないけど、動物に対する愛情や正直さだけは人一倍強い飼育係を
榎本健一が好演。

結局仙台に輸送するための貨車の手配が付かず、象の仙台行きの話はなくなり、
象は銃殺される。

出演は他には集団疎開の前に動物園に子供達と挨拶に来た小学校の先生に安西郷子、
(洋風できれいな方)、ライオン係りに堺左千夫、守衛に小杉義男、近所の工場に
勤める女性に河内桃子。

ちなみにこの映画、キネ旬データベースでは中丸忠雄さんが「成田軍曹」という役で
出演していることになっているが、このシーンはカットされたそうだ。
だから映画自体のクレジットには中丸忠雄の名前はないが、資料、宣伝材料には
出演者の名前があるという珍しい事になってしまっている。



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好人物の夫婦


日時 2007年5月6日17:10〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 千葉泰樹
製作 昭和31年(1956年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


鎌倉に池部良の画家と津島恵子の夫婦が住んでいるが、池部良は最近スランプ
気味で筆が進まないので、旅行にも行こうかと考える。
妻は浮気が心配だが池部良は「多分しないが、絶対しないとは限らない」などと
あやふやなことしか言わない。
そんな時、津島恵子の大阪の祖母が病気なので見舞いと看病にでる。
池部のうちには青山京子の女中がいたが、かいがいしく池部の背中にサロンパス
などを貼るところをみた隣の奥さんは、二人の仲を怪しいとにらむ。
また隣のご主人の有島一郎は浮気癖があって、奥さんにはいつも疑われている。
そしてこのごろ青山京子はつわりらしい。

東宝ダイヤモンドシリーズ第2作。
今回のラピュタのSP特集は何の予備知識もなく、また2本立てなので自分の意思とは
関係なく映画を見る羽目になることがある。
「好人物の夫婦」というから世話好きの夫婦がご近所の揉め事を解決したりする
ほのぼの喜劇、かと思ったらそうではない。

池部良が浮気をするんだかしないんだかはっきりしないままずるずると
話は進む。
飽きる前に映画は終わるからSPはいい。

出演者で書いておきたいのは今回のSP特集でよく見かける青山京子。
相変わらずふっくらした頬が、庶民的な親しみやすさを感じる。
で、青山京子のつわりの原因(つまり相手の男)は池部良ではなく、二枚目
石原忠(後の佐原健二)。ワンシーンの出演。

有島一郎って喜劇専門のイメージだったが、この映画といい、「鳩」といい、
ミステリー特集でみた「狙われた娘」といい、何でも演じた人だと最近わかった。
色々と勉強になる特集だ。



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バベル


日時 2007年5月5日19:00〜
場所 新宿バルト9スクリーン5
監督 アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ

(公式HPへ)


モロッコの砂漠の地を旅行中のアメリカ人夫婦(ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット)
の妻がバスで移動中に銃撃された。
撃ったのはその前日に父親がその友人からライフルを貰い受けていた少年。
アメリカ人夫妻は子供をアメリカに残しており、メキシコ人の乳母(アドリアナ・バラッザ)
は自分の息子の結婚式に出席したくて、その子供達をメキシコに連れて行く。
一方、日本では聾の少女(菊池凛子)が終始不機嫌でいて、父親(役所広司)はそれに悩んでいた。


今年の初め、菊池凛子がアカデミー助演女優賞を獲得するか否か、で日本の芸能マスコミが
勝手に大騒ぎした本作品。
あまり期待しすぎないで見たが、なかなか見ごたえのある作品だった。

一言で言えば「滅茶苦茶金のかかったアート作品」という印象。
これは決してけなしているのではない。誉めているのだ。
話は地味だが、豪華に映像化している。

時間軸をずらした映画の展開は、常に話がどうつながっていくのか、画面から目が離せない。
結果としてことの発端は役所広司のヤスジローがモロッコを旅したときに、銃をガイドに
あげたことから始まる。
そして本人達の意思とは関係ない方向に不幸の連鎖がつながっていく。

みんな誰かを傷つけようとしているわけでない。
しかし、結果として不幸が玉突き式に起こっていく。
世界はどこかでつながっている

誰かを傷つけようとしてるわけではない。
相手のことを想いやっている。
アメリカ人の夫は妻の心の病を癒すためにこの地の旅行にやってきただけ出し、
ライフルを撃った少年も本来は羊を襲うジャッカルを追っ払うためことが目的、
乳母も単に自分の息子の結婚式に出たかっただけだし、子供を連れていったのは子供を
ほったらかしにしておけない想いがあっただけだ。
しかしその想いは通じない。
想いは通じないのに不幸だけはつながって、時には世界中を駆け巡る。

そんな作者達の想いがひしひしと伝わってくる。
充分な力作だ。

そんな中、菊池凛子は手話を駆使し健闘。
彼女の役柄が言葉が通じない分、誰かの心を求めて肉体をさらけ出すように見えたが、
正直、僕からすると行動がとっぴな感じがした。
この辺が外国人監督のための限界か?

しかしここで何故日本が選ばれたかが知りたい。
フランス人でもイギリス人でも話は通じる。
アジア代表、みたいなことなのかな?
だとしたら本来「アフリカ篇」もあったのだが、削除されたりしたのだろうか?
役所広司の出演シーンが少ないのが、少しがっかりだが、それは私が役所広司の
ファンだからの不満。

ブラッド・ピットのような大スターをあのようのな地味な役にすえられたことが、
日本ではなじみの少ないアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督(憶えられないだろうな)
の実力を示しているような気がする。

DVDで何度も見直したいような作品ではないが、充分満足した映画だった。



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ゲゲゲの鬼太郎


日時 2007年5月4日15:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン2
監督 本木克英

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金に汚いねずみ男はある日、お稲荷さんに封印してあった光る石(妖怪石)を
宝石と思って質屋に売ってしまう。
しかしその石を人間の晴彦(利重剛)が偶然手にしてしまい、その石の魔力によって
盗んでしまう。
その石を息子健太に託す晴彦。
しかし石を取り戻そうとする空狐たちに狙われる健太。
鬼太郎(ウエンツ瑛士)たちは健太を助けるのだが。


ウエンツ瑛士が鬼太郎を演じると初めて聞いた時、ものすごく疑問だった。
鬼太郎を演じるのは若手イケメンアイドルというのはよくわかる。
それはありえること。しかし鬼太郎という純日本的なキャラクターに
何故ウエンツのような洋風なキャラクターを持ってきたのか?
断っておくがウエンツ瑛士自体は私は好きだ。
しかし鬼太郎っていうキャラクターでもないだろう、と思っていたのだ。
(WaTで言えば小池徹平のほうがよっぽど鬼太郎に似ている)

その疑問は映画が始まってすぐに氷解した。
この映画、私は2005年の「妖怪大戦争」のヒットを受けての製作だと思っていたが
それだけではないらしい。
「ハリーポッター」をも目指しているのだ。
一反木綿に乗って空を跳ぶところなど完全にハリー・ポッターの世界。
また後半の輪入道(西田敏行)によって機関車が空を飛んでいく姿も
完全に「ハリー・ポッター」だ。
だからウエンツ瑛士のような欧米系のルックスが必要だったのだ。
(しかしそのルックスも顔半分が常に髪の毛で隠れているので、ファンは納得したかどうか)

で、それはまあ解ったのだが、(今日は「クレヨンしんちゃん」と2本続けて見たのだが)
ストーリーに完全に疑問を感じてしまったのだよ。
妖怪石の争奪戦なのだが、妖怪石を取り返しに来た空狐が悪い奴ではないように見えてしまったのだ。
彼らも実は妖怪石のパワーを使って悪いことをしようとしているのだと最後になって
天狐(小雪)から言われるが、それまでは(私がバカなのか)「お稲荷さんから盗み出された
石を取り戻しに来た正当な所持者」だと思っていたので、石を返さない健太が意固地に
見えてしまったのだ。

健太は父親から「この石を預かっていてくれ。誰にも言うんじゃないぞ」といわれて
それを守っている。
「約束を守る」ということは重要だが、そのために主人公の鬼太郎たちが窮地に陥るのだから
おかしくないか?
どうもこの辺で根本的な脚本に疑問を感じてしまうのだ。

ここはつまり、森を荒らしリゾートを作ろうとする社長の鶴田忍に人間の欲望の象徴に
なってもらい、鶴田忍が石を健太から取り上げてしまい、また彼を操って邪悪な力を得ようとする
悪い妖怪と、鬼太郎をはじめとするいい妖怪と健太たちの戦いにしなければならんのではないか。

少なくとも今回のお話では健太が口をつぐむたびに「お前がかくしているから鬼太郎たちが
迷惑してんだよ!このボケ!」と心の中で突っ込んでしまった。

あとねえ、黄泉の国に行くのはいいのだが、父親が生き返るのはどうも。
これは死生観の違いかも知れんが、人間は生き返る話はどうも好きになれないのだよ。
だってそれはないことなのだから。

ストーリーには気に入らないところはあったが、ウエンツはがんばってました。
彼にはまた別の映画でがんばってもらいたい。
しかしああいう洋風のルックスだと(かつての岡田真澄のように)役者としては役柄が
限られちゃうかなあ?
それが心配だ。



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クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ歌うケツだけ爆弾!


日時 2007年5月4日13:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん スクリーン7
監督 ムトウユージ

(公式HPへ)


ひろしの会社勤続15年を記念しての沖縄旅行にでかけたしんのすけ一家。
海岸でにいたら愛犬のシロのお尻に“ケツだけ星人”の落とした爆弾がついてしまう。
それを知った宇宙監視センター通称「UNTIウンティー」はしろを宇宙に打ち上げて
地球を救おうとする。
しかし家族の一員のシロを渡したくないしんのすけ達は?
またシロを狙っているのは「ウンティー」だけでなく怪しげな歌劇団までが!

クレヨンしんちゃんは毎年見ているのだが、正直、そろそろ見るのは止めようかと
思った。
今回のクレしんはお話の根本にのれなかったのだ。

シロのお尻についたケツだけ星人の爆弾は、そんじょそこらの爆弾ではなく、
地球そのものを破壊する威力をもっているのだ。
ウンティーの長官(声:京本政樹)は「地球のために犠牲も仕方ない」みたいな
ことをいう。
まあ、「公の利益のために個人の利益を剥奪される是非」みたいなことを言いたいのなら
この場合、地球を救うというなら比較の対象が大きすぎる。

だってシロの爆弾が爆発したら、地球はなくなってしまう。
だったらしんのすけ一家がシロを救ったところで元も子もないのではないか?
これが「国のため」「会社のため」という程度の小ささなら、シロを救うのも解るのだが。

例えばしんのすけの父、ひろしの会社が悪い奴に乗っ取られて、会社にいたければ
「シロを差し出せ」程度の規模であれば、しんのすけ一家の行動も動機付けがはっきりする。
「公共の利益のため」という御旗であればなんでも許されるわけではないと思う。
しかしある程度は「みんなのため」に譲ってくれなければ困る。

「シロの命」と「地球全人類65億人およびすべての動植物の命」ではどっちが重たいか?

ここら辺でもう話にのれなくなってしまったので、あとは何をがちゃがちゃやっても
白けるだけ。
宝塚のパロディーも面白くないし、京本政樹つながりで「必殺仕事人」を持ち出されても
こっちの心は離れまくっている。

こういうことを考える俺ってなんか変かなあ?
最近よく解らなくなるときがあるよ。



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新しい背広


日時 2007年5月3日19:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 筧正典
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


設計事務所で働く斉藤隆太郎(小林桂樹)は弟(久保明)と二人暮らしで
未だに未婚。両親は戦争で亡くなっていて、自分が親代わりになって弟を育て
なければならない。そんなわけで同じ事務所で働く綾子(八千草薫)と
付き合ってはいたが、結婚には踏み出せないでいた。
ある日、弟の泰助は東大に行きたいと言い出す。
学校の成績もいいし、先生も薦める。自分が大学へいけなかった分、弟には
勉強させてやりたい、隆太郎にはそんな気持ちもあったが、いかんせん弟を大学にやる
金銭的余裕がなかった。
諦めきれない泰助は町工場を営むおじさんの下でアルバイトをしたいと言い出す。
おじさんは隆太郎のことを考えて大学進学は諦めることを諭す。
隆太郎は綾子と今後のことを話し合う。


プロデューサーの金子正且さんのインタビュー本「その場所に映画ありて」
で誉めて書いてあったのが、この映画。
なるほど、心温まる一編だ。

ただしラストの展開にはちょっと疑問を感じた。
隆太郎と綾子は泰助を東大にやるために、結婚は4年待ってくれと言われ、
「4年経ったら私26よ。大丈夫?」「僕だって34ですよ。あなただけ年を
とるわけじゃない」と泰助が大学を卒業するまで結婚を待つことに同意している。

だったら泰助は大学へ行かせるべきではないのか?
東大進学という人生の重大事だ。
何か買ってほしいとか、どこかへ旅行したいというようなレベルの話ではない。
しかも隆太郎も綾子も泰助の大学進学には賛成しているのだから。
ちょっともったいないんじゃなかなあ?
ここは泰助を逆に説得して「安心して大学へ行け」というべきではないか。

そう考える俺がおかしいのか?

それにしてもこの頃の八千草薫は実にきれいだ。
両手を腰の辺りで軽く組むしぐさは実に楚々として美しい。
大和撫子の鑑のような方だ。

みんな少しづつお互いに遠慮して譲り合って生きている。
自己主張ばかりする輩が多い世の中、このようにみんなが少しづつ、助け合って
譲り合っていく世の中はいいと思う。
(それを国レベルとかの上から言われると腹が立つのだが。ちなみにこの映画は
文部省特選とかになった。多分学校の映画上映会などでも上映されたのだろう)


まったく関係ないがこの映画を見た日は60周年の憲法記念日。
「下町(ダウンタウン)」にしてもこの「新しい背広」にしてもみんな戦争の後遺症に
よって苦しめられている。
戦争さえなかったら、隆太郎たちの両親は生きていて、泰助も難なく東大に行けたかも
知れない。
「下町(ダウンタウン)」のりよたちも苦労が少なかったかも知れない。
このように直接的な被害だけでなく、間接的にも戦争は国民に非常な犠牲を強いる。
今、安倍内閣は憲法を改正して集団的自衛権を行使し、戦争に参加できる国へ
変えようとしている。
それは単なる安倍氏のプライドの問題に過ぎない。
無数の人々に犠牲を強いるようなことになりかねない憲法改正など断じて
行わないで欲しい。
映画とは直接関係ないが、そんなことを映画を見終わってから考えた。



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生きている小平次


日時 2007年5月3日19:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 青柳信雄
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


旅回り一座の二枚目役者・小平次(中村扇雀)は長年惚れあった女おちか(八千草薫)
を同じ一座の囃子方の太九郎(芥川比呂志)にとられてしまっていた。
ある日、小平次は二人で旅先の郡山の沼で船釣りをしているときに太九郎におちかを
譲ってくれるように頼み込む。
しかし太九郎は「おめえも二枚目役者ならその男っぷりでおちかを奪い取ってみろ」と
すんなり譲ることを承知しない。そのうちに二人はもみ合って、小平次は沼に落ちてしまう。
太九郎は小平次を櫂で殴って沈めてしまう。
江戸に帰った太九郎だったが、おちかの元になんと殺したはずの小平次が来ていた。
再び小平次を刺し殺す太九郎。
おちかと二人で逃亡の旅にでる太九郎。
しかし、旅先でも常に小平次の影に脅かされる。

後に中川信夫によってリメイクされるこのお話。
はっきり言って詰まらんのだなあ。
テンポがとろいので、見ていてイライラしてくるのだよ。


またラストが旅先の旅籠で小平次か役人につけられていると感じた太九郎は夜中にも
関わらず、旅立とうと言い出す。
仕方なくおちかも付いてくるのだが、次のシーンは海岸の波打ち際になる。
ここがもう波の音以外何にもなく、ただ真っ暗闇の中に人物が二人いるだけ。
画的にますます面白みがなくつらくなる。

波の音だけあとで入れて実は撮影所のセットでやっているのかな、と思ったが
カットが切り返すとちゃんと波が写っている。
予算節約のための暗がりかと思ったらそういうわけではないらしい。
だったら月明かりで何かバックに写すとかしてもいいんじゃないか。

わずか1時間の映画だが、とても長く感じられた。
青柳信雄ってなんかはずれが多いな、という印象をさらに強くした。



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下町(ダウンタウン)


日時 2007年5月3日17:20〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 千葉泰樹
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


終戦から4年後の東京の下町。
お茶の行商をして歩くりよ(山田五十鈴)は千住の河原で鉄材置き場の番人をしている
鶴石(三船敏郎)と出会う。
親切な鶴石に心を開くりよ。りよの夫はシベリヤに抑留されたまま帰ってこない。
やがてりよは子供留吉を連れて行商し、鶴石を訪ねる様になる。
休みの日に浅草寺に行き、六区映画街で映画を見る三人。
映画館を出ると大雨で、3人は安旅館で一休みすることにする。


千葉泰樹って私はまったく見たことがないのだが、友人が誉めていたので見てみる。
なるほど、下町に生きる庶民の哀歓を見事に描く。
クライマックス(という言い方も正しくないかも知れないが)は旅館のシーン。

映画館を出たときにチラッと財布の中身を確認するりよ。
そしてりよの方から、大雨だからと旅館で休んでいきましょうと誘う。
この辺で男からしたらもうやる気満々になってしまう。
そして旅館に結局泊まるのだが、その中で鶴石は「自分がシベリヤから帰ってきたら
結婚していた女房は別の男と一緒になっていた」と打ち明ける。
当然、誘われたわけだから鶴石はりよに「そっちに行っていいかい?」と問いかける。
「いえ、私は夫のある身です」と一旦は断ったものの、結局鶴石に体を許してしまう。
それだけではなく、自分から鶴石を求めたりする。

私がこう書くと実にスケベなドラマに聞こえるかも知れないが、そういうわけではない。
この人に身をささげてもいい、しかし、自分は本来夫のある身だ、という狭間で
揺れ動く女心が実によく描写されていた。

ここでは省略したが、りよは幼馴染の家に間借りしているのだが、ここは「結婚相談所」
の看板を掲げながら、その実は売春宿。
はあ、昔はそういう形態があったのですね。

そして唐突に訪れる展開。
(書いちゃうけど)鶴石はりよと結婚の約束をしたにも関わらず、交通事故で死ぬ。
それは展開として反則ではないか?

でもラストシーンで川の土手をりよが歩くシーンで、横をトラックが何台も過ぎて
突風にあおられるシーンは、まるで世間の冷たい風にさらされるりよを象徴している
かのようだった。



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乾杯!見合結婚


日時 2007年5月3日17:20〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 瑞穂春海
製作 昭和32年(1958年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


恵美子(香川京子)は結婚式を明日に控えた身。そしてその夫となる国彦(仲代達矢)
とは見合い結婚だった。
結婚式の前日、友人達と祝いの食事をするのだが、その席で「恋愛経験が一度もなく
結婚するなんてもったいない」といわれてしまう。
一方、国彦の方も昼間からバーでウイスキーなんぞ悪友(中谷一郎)と飲んでいたりしたが
そのときにかつて惚れていて今はいなくなったバーのホステスが甲府にいることを知る。
恵美子の方も会社に今は大阪に転勤になった長尾さん(平幹二郎)が自分のことを
好きでいてくれたし、自分も好感を持っていたと話す。
恵美子も国彦も独身最後のこの日にそれぞれの恋をもう一度と思いたち、
国彦は甲府へ、恵美子は大阪へと向う。

石原慎太郎の「太陽の季節」が昭和31年だから、この映画はその後。
東宝はああいう「欲望のままに生きる若者」というこういう秩序ある恋愛映画の方が
会社のカラーとしてしっくりくる。

国彦は(さっきまで酒を飲んでいたに関わらず)車で甲府に、恵美子は飛行機で大阪に向う。
途中の道中でそれぞれが相手に会ってめでたくお互いの愛を確かめ合う、というシーンが
挿入されるが、これは夢オチ。
定番のお笑いネタだ。

そして国彦の方は途中で産婆さんを乗っけていったりするのだが、これが予想通りのオチになる。
恵美子の方も大阪に着いたら、実は長尾さんはもう結婚していて、明るい奥さんがいた、
というオチ。
すべて予想通り。

なんてことない定番通りのオチのドラマ。
その中で見所は香川京子。
実に清楚なお嬢さんタイプなのですね。
そしてその香川京子に想いを寄せるのが平幹二郎。
彼の若い頃の姿は初めて見た。
中谷一郎とともに仲代達矢とは俳優座つながりの出演だったのだろう。



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マルクスの二挺拳銃


日時 2007年5月1日
場所 DVD
監督 エドワード・バゼル
製作 1940年(昭和15年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


マルクス兄弟の映画をみるのは20年ぶりぐらいだろうか。
学生時代、キネ旬で小林信彦氏がコラムでマルクス兄弟の面白さを書いていたので
それに影響されて時折テレビで放送されたり(たしかNHKで放送されたことあり)
新宿の名画座ミラノ(今の新宿ミラノ3)で特集上映されたことがあった。

その中でも特に印象が強かったのがこの「二挺拳銃」だ。
内容はまるで憶えていないのだが、面白かった記憶だけ残っている。
製作から60年以上たった今、見直しても全然古びていない。

チャップリンの映画はサイレントなので、その点がどうしても「古さ」に見えてしまうのだが
これはトーキー。
スピード感のあるギャグは今見てもまったく違和感がない。
彼らの芸、というものを感じさせる。
今回改めて思ったが、ドリフターズがかなり影響を受けていることがわかる。
「8時だよ!全員集合」で同じコントを見たことがあるのだ。

淀川長治は「映画ではなく、舞台である」と言ったそうだが、これは誉め言葉か、否か。
しかしその指摘は当たっていて、映画は映画的な手法で笑わせるというより、彼らの
芸をそのまま映写する。

お話のほうはあってないようなもの。
ペテン師のグラウチョ・マルクスとイカサマ師兄弟(ハーポ・マルクス、チコ・マルクス)
(ペテン師とイカサマ師の違いはよくわからない。DVDのジャケットにそう解説してある)
が西部へ行って一儲けしようとして、ハーポたちが鉄道が通る予定の土地の権利書を
預かったことから、その権利書をめぐって悪い奴らとの争奪戦がおこるというもの。

ニューヨークの駅で西部行きの切符を買うシーンで10ドル札を渡して9ドルのお釣りを
貰うコント(この書き方では何のことかわからない)に始まり、酒場の2階にある悪漢の
金庫から権利書を取り戻す、そしてクライマックスは機関車を使っての大アクションコント!

このように書いても見てない人はさっぱり解らないと思うのだが、そもそもその体で
行うコントは文章で書き表せるものではないのだ。

コントだけでなく、チコのピアノやハーポのハープなど音楽の演奏もあり、実に素晴らしい。
今の日本じゃこういう人はいないですね。
ドリフターズの元ネタがあります。
ドリフファンだった人にはぜひ見てもらいたい、そして再評価してほしい芸人ですね。



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