2007年6月

ゾディアック
告訴せず 監督・ばんざい! 殺人容疑者 青い芽
大日本人 憑神(つきがみ) 帝銀事件 死刑囚 赤ひげ
隠し砦の三悪人 女探偵物語
女性SOS
月と接吻 歌謡曲だよ、人生は

ゾディアック


日時 2007年6月30日21:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン2
監督 デビッド・フィンチャー

(公式HPへ)



1970年ごろにアメリカで起こった連続猟奇殺人事件を追う男たちを描く。
犯人は自らを「ゾディアック」と称し、暗号文を新聞社に送りつける。

面白い!
犯人は動機の見えない連続殺人を犯し、新聞社に挑戦状を送りつける。
こういう猟奇的殺人は犯人の動機の見えないだけに「何故こんな殺人をしたのか?」
が知りたくなる。
とにかく知りたくなる。

金目当ての犯行などありがちな事で、これほどまでに犯人追求の好奇心は湧かないだろう。
新聞記者、刑事、彼らは職業的な義務もあってこの事件にのめりこむ。
そして観客の立場に一番近いのは新聞社に務めるイラストレーター(風刺漫画家)だ。
彼はたまたま新聞社内にいるという、一般の人より情報を知りえた訳だが、
それにしても追求していく義務はない。

一般の人々の好奇心とあいまってどんどん事件にのめりこむ。
それは夫婦の仲にヒビが入ってしまうほどだ。

やがて浮かんでくる一人の男。
しかし状況証拠では確実だが、筆跡鑑定などの物証はない。
その筆跡鑑定にも異論が出てきて、またもその男は重要参考人になるという
食いついたら離れない設定。

ゾディアックとは時計メイカーのマークらしいのだが、聞き込みに行った元映写技師の
シーン。映写フィルムの最初についている(通常は映写されない)カウントダウンナンバー
のマークが○に十文字でまるでゾディアックのマークに見えてくる。
ひょっとしたら真犯人に遭遇してしまったかというサスペンスはなかなか。

主人公のイラストレーターが地道に状況証拠を固めてきた男はラストでDNA鑑定の
結果、犯人ではないと結論付けられる。
状況証拠では限りなくクロだと言うのに・・・・・

ということころで映画は終わる。

アメリカ犯罪史上、有名な事件だそうで日本の三億円事件と同じく、限りなく人々の興味を
ひきつけてやまない事件なんでしょうね。
そういえば「グリコ森永事件」はどうなったのだろう?
時効は成立してしまったようだが、そろそろ誰か映画にしてほしいものだ。



(このページのトップへ)




告訴せず


日時 2007年6月30日
場所 DVD
監督 堀川弘通
製作 昭和50年(1975年)


「告訴せず」は「名画座」に記載しました。



(このページのトップへ)




監督・ばんざい!


日時 2007年6月28日13:45〜
場所 シネセゾン渋谷
監督 北野武

(公式HPへ)


映画監督のキタノはバイオレンスなギャング映画を得意としていたが、
「今後はそういう映画を撮らない」と宣言してしまった。
彼は次回作として小津安二郎風の映画、昭和30年代を舞台にした映画、
難病ものの恋愛映画、などを撮り始めるがいずれも頓挫してしまう。
そしてCGを使った隕石が地球の衝突するSF映画を撮り始める。
その隕石に人間の顔に見える模様があったことから映画に女性を登場
させようとしたのだが。


評判はよくない。
また前作、「TAKESHI’S」もよくなかったのでよほどパスしようかと
思ったが、一応北野映画のファンなので、今回もとりあえず見た。
(この義務で映画を見る癖は本当に止めようと思う)

やっぱり見なきゃよかった。
「大日本人」といいこの「監督・ばんざい!」といい、金とって見せる作品じゃないよ。
こういう映画を撮りたい意欲は自由だが、ロードショー料金撮って見せる映画じゃない。
どうしても作りたくて見せたきゃ500円とか破格値で見せるべきだ。
(それじゃ劇場が困るか)

映画は先の「女性を登場させる」ということからなにやらおかしな母娘(岸本加代子、鈴木杏)
が登場する。
ここからが怪しげな宗教団体(江守徹)が登場したり、ベンツの当り屋、そのベンツの持ち主
(宝田明)が登場したり、江守徹の部下(たけし)が登場して鈴木杏と結婚するとか
もう話の脈絡がなくなり、私にはわけわからん。

完全に観客不在。
多分わかわからんのは私の頭がわるいからなのだろうが、もう北野武の映画は見たくないな。
「TAKESHI’S」とこの「監督・ばんざい!」、おそらく北野武にとっては
作ることに意味があったと思うが、観客には見る価値がある映画になっていたのだろうか?
ものすごく疑問である。



(このページのトップへ)




殺人容疑者


日時 2007年6月24日
場所 録画DVD(チャンネルNECO)
監督 鈴木英夫
製作 昭和27年(1952年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


渋谷の桜ヶ丘で男の死体が発見された。その男のポケットに入っていた新品の
店のマッチからその男が前の晩に飲みに行った店が判明。
その店のおかみの家に行ってみるとそのおかみも殺されていた。
どうやら同一犯らしい。そのおかみの家に夕べ訪ねてきた男が、目撃者の証言と
店の常連客から山本という男と判明する。山本はおかみが殺される前の晩に
泊まったことは認めたが殺人は否認。
やがておかみが持っていた指輪が質屋に流れてきたと連絡が入る。
その指輪を持ち込んだのはバーの女給だったが、その女給は男から貰ったと証言。
男はカネダという名前で、その男の勤め先は山本と関係のある会社だった。
一旦はカネダを逮捕した警察だったが、証拠不十分で釈放。
しかし翌日にカネダは死体となって発見。
殺したのはカネダの会社の社長、木村(丹波哲郎)だった。
木村の会社の社員の一人は怖くなって警察に通報する。
木村は徐々に追い詰められていく。


丹波哲郎のデビュー作。
クレジットタイトルが出演者に関しては冒頭と最後に出るのだが、冒頭では「丹波哲郎」
最後では「丹波正三郎」となっている。土屋嘉男も若手刑事役で出演し出演シーンは
思ったより多い。また小林昭二も刑事役で出演。

警視庁などの後援で作ったらしいのだが、その成果、前半はドキュメンタリータッチで
現代の科学捜査の実際の紹介も兼ねている。
ナレーションが「髪の毛一本、タバコの吸殻からも犯人の手がかりがつかめる」として
指紋の検出や、血液型の判定など実に詳しく解説してくれる。
科学捜査のPR映画としての側面も併せ持っているようだ。
当時はまだまだ科学捜査なんて今ほど世間には知れ渡っていなかったろうから、当時の
多くの人々は現在の(あくまで映画公開当時の)科学捜査のすごさに驚いたのでは
ないだろうか?

お話のほうは殺人の動機がはっきりしないし、第一最初の殺人事件のことなんか後半では
さっぱり忘れ去られている。
結局最初と2番目の殺人はカネダの犯行らしいのだが、カネダが逮捕されると別件の
事件がばれることを恐れた木村がカネダを殺したらしく、木村は第1、第2の事件とは
関係ないらしい。

映画は後半、木村の逃亡劇になる。
ホテルに隠れていたが、やがて見つかって駅の線路を逃げ回る木村。
線路という列車がいつ来るか解らない状況が追う刑事の邪魔になる。
また最後には追い詰められた木村は地下の下水道に逃げ込む。

そして土屋嘉男の若手刑事に追い詰められるのだが、土屋嘉男の刑事が足元の
水のゆれから誰かがいると悟る。「おーい見つかったか?」と上司に問われ、「いません」
と答えるが、首を振って実はいると伝えるいくあたりのサスペンスはなかなか。

ドキュメンタリー的な手法がマッチした刑事映画の秀作。



(このページのトップへ)




青い芽


日時 2007年6月24日
場所 録画DVD(チャンネルNECO)
監督 鈴木英夫
製作 昭和31年(1956年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ミッションスクールに通う気の強い女学生(雪村いづみ)は高校の野球部の試合で
自分の高校のイケメンピッチャー(山田真二)に野次を飛ばす不良高校生に
言い返す。その日、帰り道にその不良に絡まれたが、雪村いづみはビンタを
食らわす。翌日、山田真二や同級生の佐原健二(当時はまだ石原忠)たちと
ボートを漕ぎに。そこで例の不良たちにまた絡まれるが、山田真二は石をなげて
不良たちをやっつける。
雪村いづみはその晩、うちで母親(清川虹子)に山田真二と結婚したいと言い出す。
まだ早いと反対する母親、「もう少し世間を見てほしい」という父親(藤原釜足)。
雪村いづみは翌日、学校の教会で若い二人(司葉子、宝田明)の結婚式が行われるのをみて感激する。
そして山田真二にも自分の気持ちを打ち明ける。
二人はこれからもがんばりあうことを話し合うのだった。


こんな感じの話。
35分程度のSPよりも短い中篇映画。完全に添え物作品。
お話の方も何てことないお話で、感想の書きようもないというのが本音。

特に鈴木英夫らしい部分は感じなかったが、配役で後の「その場所に女ありて」の宝田明と
司葉子のコンビが、結婚式を挙げる若い二人役でワンシーン出演しているのが、ポイント。

また宝田明と石原忠(佐原健二)は同期だが、すでに宝田は「ゴジラ」で主役を務め、この映画でも
ワンシーンの出演ながら、美男美女の結婚シーンというポイントとなる出演。
正直、石原忠とは役の重さに差が出ている。
しかし、数ヶ月のちには石原忠も「空の大怪獣 ラドン」で主演を果たし、特撮映画路線を
走り出すから、人間の将来はわからないものだ。

あとは雪村いづみと山田真二や石原忠たちがボート遊びをするシーンだが、多分JR市ヶ谷から
飯田橋の間ボート場でのロケと思われる。



(このページのトップへ)




大日本人


日時 2007年6月23日22:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン7
監督 松本人志

(公式HPへ)


「つまらない」とは聞いていたが「ひどい」とは聞いていなかった。
あまりの出来のひどさに唖然とした。
この手のひどい映画を見ると「これは映画じゃない」といいたくなる。
いやだからと言って「どういう条件があれば映画といえるのか?」を問い返されると
非常に困るのだが。

日本に昔から怪獣(映画では「獣」)が現れると自らの体に電流を流して巨大化し、
その獣をやっつけることを家業とする「大佐藤」という家がある。
昔はみんなから感謝され、全国に同じような家業の人がいたのだが、今はこの「大佐藤」だけ。
映画はその「大佐藤」を追い続けるドキュメンタリー映画の形を取って
かなりの時間その「大佐藤」がインタビューでぐちぐち愚痴をいう姿が延々と続き、
時々CGによる巨大化した「大佐藤」と獣と対決シーンが挿入される。

2時間近い映画だが、編集でカットして30分、いや20分ぐらいに縮めれば実験短編映画として
そこそこ面白かったかも知れない。
ラストのミスタージャスティスの家族会議(?)のシーンも10秒ぐらいだったら
オチとして決まったかも知れないが、延々とやられても困る。

いやラストに限らず、大佐藤へのインタビューを延々とやられても退屈なばかりだ。
仮にドキュメンタリー作家が撮った実際の話の映画なら、ドキュメンタリーとしてもひどい。
もっとテンポがあるべきだし、編集によって映画作家の意図を出すべき。
ただのドキュメンタリーの素材を未編集のまま出されたようなものだ。

所詮は飲み屋で「ウルトラマンって建物壊すし、実は少し迷惑な存在だったりして」
「そうだよね、実は反対運動が起こっていたりとか」みたいな酔っ払いの与太話を
映画にしたに過ぎない。

「いままでみなさんが見たこともない映画をお見せする」とカンヌ国際映画祭での舞台挨拶で
松本人志は豪語したそうだが、確かにこんなひどい映画は見たことがない。
カンヌも随分くだらん映画祭になったものだ。
映画以外で成功した人が映画をとるとろくな事にならないという定説のような映画。
だいたい今まで何本「今までにない映画」があったと思っているんだよ。
そういわれて面白かったためしがあるか?ええ?

松本人志も深夜番組「一人ごっつ」をやっていたときは「一枚の写真を見て一言オチをつける」
というコンテンツがあり、同じ写真に対し何回もオチをつける、という課題をやっていて
そのときはすごいなあと思ったものだが、映画に関しては所詮はシロート以下である。

とにかく映画はもう撮らないでほしい。
もう一本撮ったらそれこそ映画の「大佐藤」と同じく「大松本」は映画界(観客もふくめて)に
迷惑な存在でしかない。



(このページのトップへ)




憑神(つきがみ)


日時 2007年6月23日19:45〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン4
監督 降旗康男

(公式HPへ)


時は幕末。徳川家の影武者役として代々勤めてきた別所家だが、次男の彦四郎(妻夫木聡)
は才能もあったが、今は不幸にも職を失い失意の日々を送っていた。
ある日、行き着けの屋台のそばや(香川照彦)から向島の、ある神社におまいりすると
出世すると聞かされる。
その晩酔っ払った彦四郎はその向島の神社の分社と間違えて寂れた祠をお参りしてしまう。
ところがそこは不幸の神の社。貧乏神(西田敏行)、疫病神(赤井英和)、死神たちが
次々と彦四郎の下にやってきた!

妻夫木聡の最新作。
今の日本映画界では妻夫木聡が一番好きな役者なので、内容関係なく妻夫木の出演作品は
見てしまう。
(私の中では妻夫木が演じれば大抵の映画はなんとかなる、というぐらい高い評価なのだ)

この映画、途中まで(貧乏神、疫病神のあたり)までは西田敏行らの軽妙な安定した役者の
魅力で面白く楽しめた。
しかし後半、死神が現れたあたりから映画は(僕にとっては)変な方向性に走る。
彦四郎が生きる意味、死ぬ意味は探し始める。
「無駄死にはいやだ。意味のある死に方がしたい」という考えはいいのだが、
それが徳川慶喜の影武者になって、上野の山に立てこもる武士たちの心のシンボルと
なって死んでいくというのだ。

ふーん、原作がどうだったのか知らないから映画だけを見て非難するのはよくないのかも
知れないが、「主君のために美しく死ぬ。たとえ将軍が逃げてしまっても、その方の
ために死ぬ」という思想はどうよ?
ここは勝海舟たちに合流してほしかったな。

現在の状況に当てはめるのはどうかと思うが、保守派と革新派の対立とか、主君のために死ぬとか
なんだか「日本の伝統を守って若者は命を迷わず投げ出すべきだ。たとえ、一番上の人間が
逃げてしまっても」といわれてるようで、実にいやな気分になった。
微笑みを浮かべながら大砲の玉に死んでいく妻夫木は実にいやだった。
(正確にいうとそういうカットを撮らせた人たちがいや。妻夫木は悪くない)

妻夫木の顔を見ているだけでそれはそれで楽しいから、上映時間は苦痛ではなかったが、
実に後味の悪いものを感じてしまった。
この感想が実は深読みのし過ぎであればよいのだが。



(このページのトップへ)




帝銀事件 死刑囚


日時 2007年6月16日20:40〜
場所 テアトル新宿
監督 熊井啓
製作 昭和39年(1964年)

「帝銀事件 死刑囚」」については「名画座」に記しました。


(このページのトップへ)




赤ひげ


日時 2007年6月16日11:00〜
場所 テアトル新宿
監督 黒澤明
製作 昭和40年(1965年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


長崎帰りの医師見習い保本登(加山雄三)は小石川養生所を訪ねる。保本は
ちょっと顔を出すように言われてきてみただけだったが、実は彼はここに住み込み医と
して働くことにされていた。幕府のお抱え医者になるのが望みだった保本にとって
ここは大いに不満な場所だった。
患者は貧乏人ばかりで金には縁がない、出世にも縁がない。
しかも所長の通称赤ひげ(三船敏郎)は態度がでかく好きになれない。
しかし彼はここの患者やそれに対する赤ひげの対処を見ていくうちに、本当の医師とは
何かに気づいていくのだった。
そして彼は出世の道を捨て、この小石川療養所で働くことを決意するのだった。


テアトル新宿での三週間に渡る黒澤明特集。
この映画は20年ほど前にリバイバルがあり(ちょうど「乱」の頃)そのときにも今はない
新宿ロマン劇場(今の新宿ビレッジとシネマート新宿の間、コメ兵のあるところ)で見た覚えが
あるのだが、そのときも気に入らなかった。
今回20年ぶりに見たのだが、やっぱり気に入らない。
そんなに嫌いなのに何故見たかというと今日は香川京子さんのトークイベントがあったから。

エピソードは主に5つ。
座敷牢に閉じ込められた色情狂の殺人鬼の女(香川京子)、癌で父が死んでから遣ってきた親子、
自分が病気でも働く佐八(山崎努)の過去、岡場所(女郎屋)で幼くても客を取らされる少女
おとよ(二木てるみ)、そのおとよと心を通わせる少年(頭師佳孝)などなど。
出てくる人物がみんな「いい人」なのだな。
いい人のオンパレードで照れくさくなる。
杉村春子などの二木てるみを虐待する因業ババアも登場するがそういう悪い人はあっさり
赤ひげにやっつけられる。

そしてまたそのいいひとぶりを照れもなく、解りやすい演出をする。
例えば二木てるみに頭師佳孝がおかゆ泥棒を見逃してくれたお礼に飴をあげるシーンがあるが、
二木てるみが飴を貰って「確かに貰ったよ」と言って「あんたに上げる」と飴を返す、そして
それを干してある布団の隙間から療養所のまかないのおばさんと加山雄三が見てるシーンなど
はっきり言うけど善意があふれすぎている。(ここたくさん干してある布団と布団の間で
芝居が繰り広げられるので、立ち位置などさぞ練習したのだろうなあ)

解りやすい演出といえば、二木てるみが加山に好意を寄せてしまったために後の加山の
結婚相手まさえ(内藤洋子)から貰った着物を捨ててしまい、その気持ちがわかると言った団玲子が
野村昭子たちのまかないのおばさんたちに「半太夫先生(土屋嘉男)のところに(まさえさんが)
来たんじゃなくてよかったねえ」とからかわれて逃げ出すシーンも解り易すぎる。
そしてメイクも病気になればものすごく頬をこけさせるメイクをしてわかりやすい。

このようにわかりやすい演出、あふれんばかりの善意、なんだか文部省推薦の教育映画みたいで
どうも好きになれない。
20年前もそう思った気がする。
この感想は年月がたっても変わらなかった。



(このページのトップへ)




隠し砦の三悪人


日時 2007年6月9日12:00〜
場所 テアトル新宿
監督 黒澤明
製作 昭和33年(1958年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


戦国時代、秋月家は山名家に敗れた。そんな頃、百姓の又七(藤原釜足)太平
(千秋実)は下克上を夢見て戦に出たが、負け戦になってしまい、今は
帰るあてもなく逃げ惑う日々。
ある川で焚き火をしたところ、燃やした薪から黄金が出てきた!
実はその金は秋月家が家の再建のための隠し財産だった。
その金をもって秋月の侍大将・真壁六郎太(三船敏郎)は世継ぎの雪姫(上原美佐)
とともに同盟国の早川領に逃れようとしていたところだった。
真壁は又七、太平を使って山名領を抜けて早川領に逃れることにした!

面白い。
しかし「面白い」の後に「!」が付くほどではないのだ。
細かいところでは「すごいなあ」とか「さすがだなあ」と思うのだが、全体の
流れがうまくいてない気がするのだよ。
脚本の橋本忍が自身の著作「複眼の映像」の中であまり出来を誉めていないのだが、
ひとえに元となる脚本に問題があるのではないか。

以下、この映画は「面白い」ということを前提によくなかった点を列挙する。
1、出だしが長い。
六郎太が又七、太平を手下に雪姫を連れて砦を出るまでに1時間かかっている。
ここはもっと省略すべきではないか?
旅のための準備、という例えば「七人の侍」における侍集め、のような見せ場があれば
よいのだが、ただダラダラしているだけなのだよ。
ここはいい加減いらいらする。

2、クライマックスがない。
アクション映画というものはやはり最後に大きな見せ場があるものなのだが、それがない。
映画中、小さな山は何度かあるのだが、大きなクライマックスがないので、クライマックス
を構えて持ちわびていると、なんだか肩透かしを食らったような気分になるのだな。

3、主演が藤原釜足と千秋実では地味。
もちろん藤原釜足も千秋実も名優なのだが、三船敏郎と並ぶとスター性、というか華やかさ
にかける。
タイトルの「三悪人」は普通に考えれば六郎太、又七、太平ということになろうが
ここはやはり同格の役者にするか、タイトルの「三悪人」の方を変えたほうがいいと
思う。第一、「隠し砦」ではたいした活躍もないのだし。

4、ラストシーン
最後の方まで金の取り合いをしていた又七と太平が最後に金の小判を「お前持てよ」
「いやお前持ってろよ」と譲り合う精神はいかがなものか?
確かに最後になって奪い合って殺しあっては困るのだが、ああ譲られると見てるこっちが
照れてしまう。

このあたりの気に入らない点は今回みて思ったのではなく、高校生のころの初見の時にも
思ったことだった。

しかし先にも書いたようにこの映画には魅力がないのではない。
例えば川の手前にいる又七たちが川の向こうにいる敵の動きを見たりするシーンは
実に大掛かりで、黒澤らしい手前と奥で芝居をさせる画面の奥行きを感じるし、
三船が両手放しで馬に乗って敵を追いかけるところなど、ものすごい。
また話の展開でも、馬を売ってしまい荷車で金を運ぶとき、敵の侍たちが
彼らを見過ごしてしまう。又七たちが「馬鹿なやつだ」と言っているとすぐに
その侍が戻ってくる。
火祭りにまぎれようとしたが、そんなことは敵も先刻承知。さらに裏をかいて薪を
燃やしてしまう展開。
翌朝持てなくなった金を堺左千夫たちの雑兵に持たせる機転、最後の藤田進の
「裏切りごめん」などそのユーモラスな展開は実に見事。

このように細かい点では実にすばらしいのだが、全体としてはイマイチなのだ。
なんだかおいしい小鉢料理をたくさん出されて、それはそれでおいしかったのだが
メインディッシュがなかったような、不完全燃焼を感じてしまう映画だった。



(このページのトップへ)




女探偵物語 女性SOS


日時 2007年6月2日19:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 丸林久信
製作 昭和33年(1958年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


探偵社に勤める小川信江(白川由美)はある令嬢の恋人の素行調査を依頼される。
ところが調べだすといく先々で別の探偵(堺左千夫)が同じ調査をしている。
調査対象の岩田洋一郎(平田昭彦)は真面目というほどではないが、かといって
女癖が悪いようにも見えない。しかし時々一緒に会っている男(土屋嘉男)
のほうが女癖が悪そうだ。
実はこの男は洋一郎の従兄弟・民夫で洋一郎の名を語って複数の女をもてあそぶ悪い奴
だった!
信江は同僚の木下剛(佐原健二)と協力してお嬢さんに民夫を諦めさそうとするのだが。


誰でも思うことらしいのだが、この映画は東宝特撮ファンにたまらない珍品だろう。
佐原健二、平田昭彦、土屋嘉男、白川由美らの昭和30年代東宝特撮の常連が
まったく別の役で出演しているのだから。(中丸忠雄もチラッと出ている)
私自身、この映画は出演者の顔ぶれを知って見に行ったのだから。

映画のほうは前半の岩田洋一郎がと名乗る男は実は民夫だった、というあたり
まではテンポがよく面白い。
女を口説きまくり、バーのマダムとお見せの2階の部屋でいちゃいちゃしながら
別の女に電話をする土屋嘉男、オープンカーで海岸までドライブして急に
女性に襲い掛かる土屋嘉男、会社でいたずらで新人OL(若林映子)のお尻に
おもちゃのピストルの矢を放つ平田昭彦、などなど。

しかしご令嬢の付き合っている土屋嘉男が飛んでもない奴だと白川由美たちが
報告してもそのご令嬢は「そんな人じゃない!うそ言わないで!」と聞く耳を
持たない。
そこで仕事の範囲外だと知りつつ、彼女に諦めさせるべく、土屋嘉男を白川由美が
ホテルに誘い、その現場をご令嬢に見せようとするのだが。
という感じで展開。
しかしホテルに連れ込んでからご令嬢が来るまでが長いのでここら当たりはやや退屈。

ご令嬢がなかなか来ない、という設定なのだが、佐原健二は事前に加藤春哉のボーイを
買収して、白川由美が入る部屋に隠しマイクを設置、その音を佐原健二が聞きながら
いらいらするという流れ。
時間稼ぎのために白川由美が音楽をかけてダンスを踊るのだが、その音を聞いた
佐原健二が一人でダンスを踊るシーンは笑った。

東宝特撮ファンの必見の番外編。



(このページのトップへ)




月と接吻


日時 2007年6月2日19:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 小田基義
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)



ニッ木月風(三木のり平)は売れっ子女優千絵子(淡路恵子)の夫。
自らも詩人なのだがさっぱり売れず、今日もエプロン姿で洗濯にいそしむ毎日。
近所の雑貨屋の2階に下宿する作家志望の青年が友人だ。
月風の前の家に新婚夫婦が越してきた。雑貨屋のおかみ(都家かつ江)は電気製品の
訪問販売をしている夫を炊きつけ、セールスに行かせる。
セールスがうまく行ってみんなで祝い酒を飲んでいる席で、月風が雑貨屋のおかみ
の悪口を言ったことが原因で作家志望の友人は下宿を追い出されてしまう。
友人は月風の家に下宿することにしたが、それが原因で千絵子と喧嘩になってしまう。


なんだかよくわからない喜劇だ。
笑えない喜劇の見本のような映画で、評価に困るのだなあ。

結局「雨降って地固まる」のような話で、月風(『げっぷう』と読む)と千絵子は
喧嘩したことによって今で自分の言うことをぺこぺこしてきいてばかりいる
月風に不満だった千絵子は、「あなたのそんな男らしいところが好き」となって
仲直りするとい話。

そして江ノ島(だと思う)が見える浜辺で満月を見ながら二人は接吻して
ハッピーエンド。
オチも何もない話だ。

出演者では近所の噂話が三度の飯より好き、といったタイプの雑貨屋のおかみの
都家かつ江。のちのテレビドラマなんかでも似たような役をしていたのだが
このころからそうなのだなあ。
(千石規子などは「金八先生」の下宿のおばちゃんんが印象深いが、若い頃は
バーのマダムとか情婦とかやってたしな)
あとは月風の友人の作家志望の男の千葉信男ね。
名前だけはよく見るが、印象に残った役は(僕にとっては)初めてだった。



(このページのトップへ)




歌謡曲だよ、人生は


日時 2007年6月2日16:00〜
場所 シネマスクエアとうきゅう
監督 矢口史靖、他

(公式HPへ)


昭和の歌謡曲をモチーフにした短編を集めたオムニバス。
2時間の映画で12話あるわけで、つまり1本10分ぐらいづつ。
これが面白くない。
矢口監督作品を除いて面白くない。

1本10分だから退屈する間に終わるだろうと思っていたらさにあらず。
退屈する。
ミュージックビデオを作る気になってしまったのか、やたらセリフのない、
無音のドラマが続く。
それも昭和歌謡(昭和レトロ)がテーマというわけなのか、やたら中年男女が
過去を回想する話が多い。
しかもオチのない、というか展開のない話が多いのだな。
そういうのが延々と続くといやになる。

その点、矢口作品は違う。
ヒットメーカーのことはある。
若夫婦(妻夫木聡と伊藤歩)があるアパートに引っ越してくる。
夫は近所の粗大ゴミの中から文机を拾ってくる。この机は引っ越してきたアパートの
前の住人・五郎丸が捨てていったものだが、その引き出しを開けてみると彼がある
女性に送っていたラブレターが帰ってきてしまったものだった。
「こいつストーカーじゃん」と笑う二人だが、そこへ肝心の五郎丸(ベンガル)が
やってきてしまう。

というもの。
何より起承転結があってクライマックスがある。
短編映画の見本みたいな映画なのだな。

あとはしいて言えば、宮史郎の「女の道」のパートかな。
サウナで刺青の男に「女の道」の歌詞を思い出せ、と言われて戸惑う高校生の話。
途中でもっと邪魔が入ったりとか山があればもっと面白くなったのだが。

それにしても12曲が登場するのだが、実は自分で知ってる曲は2、3曲しかない。
私が青いのか?
楽しめなかった理由も知らない歌手のコンサートに行ってもちっとも楽しくないのと
同じ理由だったのかも知れない。



(このページのトップへ)