2007年8月

SOS地球を救え!
戦争の犬たち 樺太1945年夏
氷雪の門
TOKKO 特攻 栄光のル・マン
青燕 トランスフォーマー ホリデイ キサラギ
太陽(てぃだ) 二百三高地 ダイハード4.0 夕凪の街 桜の国

SOS地球を救え!


日時 2007年8月28日
場所 DVD
監督 アンソニー・ドーソン
製作 1960年


イタリア製SFという人生初体験の映画。
いや60年代宇宙SFを作っていたのは日本とアメリカだけではない。
こんなところでもSFは作られていた。

当然のことながら全体的のチープ。しかもDVDの画質もかなり悪い
私が見たのはアメリカ公開版に日本語字幕をつけた700円の格安版。
(もっとも値段の高いヴァージョンはない)

2017年、新聞記者のレイは宇宙の取材のために宇宙ステーションに向かう。
だがステーション側は明らかに迷惑がっている。司令官は露骨にいやな顔。
しかし宇宙ステーションのメンバーである調査のために火星に行くことになった。
宇宙船の定員はいっぱいなのに、レイは地球の上層部に頼んで無理やりに
乗せてもらう。
メンバーの一人(一応ヒロイン)はあわやステーションに置き去りかと思われたが
やっぱり必要ということで乗り込むことに。
必然的にレイは立ったままになる。(ずいぶんアバウトな設定だ)
そして火星の近くで故障した宇宙船に遭遇。
その宇宙船はエンジンが故障し、火星のフォボスに激突。
激突寸前に勝手に逃げ出してフォボスに落ちた飛行士を救助。
しかしそこへ緊急司令。急遽金星に進路変更。
すごいコース変更だ。地球から行ったほうが早いんじゃないか???

ここでもはや隠し切れないと思った司令官はレイに本当の任務を打ち明ける。
実は太陽圏外に行った光子ロケットが故障し、地球に向かってきている。
光子ロケットの周りには「光子フィールド」と呼ばれるバリアみたいなものがあって
ミサイルを撃ってもそのバリアの内部にはミサイルは届かない。
しかしそのフィールドにはひずみがあるらしい。
たった一箇所のひずみに向かって今までお荷物でしかなかったレイが宇宙タクシー
(というかジェットスキーみたいな感じの小型艇)で光子ロケットを破壊に行くことに!

雑なSF。
ストーリーの雑だし、細かいところはむちゃくちゃだし、特撮もチープ。

でも何故か憎めない。

このあと光子フィールドの目には見えないひずみを見つけるため、宇宙タクシーに
ある工具などを適当に投げてフィールドのふちにぶつけて、ぶつからなかった
所を進んでいくというアナログ感覚だ。
そしてもう投げるものがなくなった時、自分の宇宙服の部品(レギュレーター)を
投げてしまう。
(そしてあとで困るのだが)
そんなこんなで結局光子ロケットは破壊される。

細かいことは気にしない、でも宇宙への夢は気軽に広がる低予算なSF。
この宇宙への夢が広がるってところがミソだ。
(「COSMIC RESCUE」の原点もここにあったか?)

また他のイタリヤSFも見てみよう。



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戦争の犬たち


日時 2007年8月25日20:00〜
場所 シネマアートン下北沢
監督 土方鉄人
製作 1980年

(詳しくはキネ旬データベースで)


70年代末期の作られた日本では珍しい傭兵ものアクション映画。
もっとも自主製作映画だから、できばえのほうはそれほどでもない。
この映画のことは製作時から知っていたが、見ていなかった。
いや、実は映画館に入ってから「この映画は実は見たことがあるのではないか?」
と思い出し始める。
映画を見るうちに思い出した、たこ八郎が死ぬシーンは覚えていた。
つまり私はこの映画を見ていたにも関わらず、すっかり忘れていてまた見に行くという
おバカなことをしてしまったのだ。

では何故以前見に行ったのか?
それはキネ旬などで紹介されたストーリーが面白そうだったからだ。
「東南アジアの某国で日本の鉱山技術者が現地のゲリラに誘拐された。その技術者は
実は核物理学者でその鉱山というのはウラン鉱だったのだ。事実が発覚するのを恐れた
鉱山の持ち主の日本企業は傭兵を使ってその科学者を救出しようとする。
そこで自衛隊のレンジャー出身の男(青木義朗)に兵を育てさせ、救出させようとするのだが」

なんだか面白そうだ。「ナバロンの要塞」とか特殊部隊の隠密作戦ものは私は大好きなのだ。

では何故憶えていなかったか?
簡単に言えばつまらなかったからだ。
スターがいないのは仕方ない。低予算だからな。
しかしまあ出てくる出演者が、たこ八郎とか泉谷しげるとか安岡力也とか立川談トン
(快楽亭ブラック)なんかがちょこちょこ出てきて、見せ場を作って死んでいく。
なんかこう友達同士で遊んで作っている「作った人だけ楽しい映画」みたいで、自主映画の
域を完全に出ていない。

その上、素人の私が見ても編集がヘタクソでテンポが悪すぎる。
もっとカットをを短くしたりしてテンポがよくなれば、まだ見れた映画になった気がするのだが。

でまたさらに私が不機嫌になったのは上映後、配給の「男の墓場プロダクション」のメンバーの
杉作J太郎や主役の飯島洋一らが登場し、トークイベントとは呼べないシロモノのだらだらトーク
をはじめたもんだから、早く帰りたい私の怒りは頂点に達する。
「このだらだらトークは何時までですか?」と聞いてやりたくなったが、我慢した。
だったらさっさと黙って帰ればいいのだが、なんとなく途中で帰るのはいやなので最後まで
いてしまった。
結局大した話は聞けなかったけどね。

今度は見たことをよく憶えていて、また見ないようにしよう。
このサイトに書いておけば備忘録として大丈夫か。



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樺太1945年夏
 氷雪の門


日時 2007年8月25日13:30〜
場所 靖国神社・遊就館映像ホール2
監督 村山三男
製作 昭和49年(1974年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


昭和20年8月、当時日本領だった南樺太におけるソ連侵攻を描いた映画。

映画完成後、一般公開の直前になって中止されお蔵入りになった作品。
私自身はこの映画の存在は全く知らず、自分のサイトの書き込みによりその存在を
知った次第。
公開直前に中止になったのはソ連側の圧力によるものらしい。
(らしい、というのは伝聞でしかないから)
しかし映画を見てそれも納得した。
この映画に描かれている事が事実なら、ソ連が何か言ってくるのは(その是非は別にして)
充分に考えられる。

ソ連の樺太侵攻に対して最後まで郵便局における電話交換業務を守った女性交換手たち
の悲劇、と聞いていたので「よくある戦争悲劇もの」と思って映画を見始めた。
映画は昭和20年8月7日ぐらいから始まり、広島の新型爆弾について人々は
うわさなどで不安がっている。そこへソ連が参戦し樺太北部から侵攻してくる。
「8月14日ぐらいに交換手たちは亡くなってしまうのか?」と思っていたら
8月15日過ぎても戦闘は終わらない。
終戦の日は映画の中盤でやってきてしまう。

ソ連は終戦を無視、停戦せずにそのまま侵攻を続けるのだ。
日本軍の上層部の対応は戦時中から「積極的攻撃に出るも越境せず」という
沖縄戦のごとき意味不明のもの。
その指示を中央から受け取る樺太八十八師団の参謀長が丹波哲郎なもんだから
「沖縄決戦」の再来だ。(ちなみに師団長は島田正吾)
終戦後の「自衛のための交戦は許可」という札幌の司令部の命令もなんだか
はっきりしない。

いつまでも戦闘を行う敵師団長に丹波先生は「停戦しているのになぜ交戦するのか」と抗議する。
しかし「我々は樺太を占領するように命令されている」と取り合わない。
丹波先生「国際法を無視するのか」ソ連師団長「敗戦国に国際法はない」などとのたまう。
また現場の兵士も黒沢年男が(70年代の流行のもみ上げを伸ばした姿で)白旗を
もって戦闘の中止を敵軍に申し込むのに無視されて射殺される。

この二つのシーンだけでソ連がなにか言ってくるのもありがちだろう。
もちろん私にはこのエピソードが真実かどうかわからない。
ただソ連をこういう風に描けば日本国内でソ連は批判されるし、ひいては北方領土問題にも
関わってくる。
諸々の事情からまあお蔵入りもありえるわけだ。

そして映画はラストは真岡郵便局の職員にも撤退命令が出る。
にもかかわらず女子交換手たちは「電話交換業務が止まったら通信が途絶えて大変な
ことになってしまう」と自分から志願して残ることを直訴する。
千秋実の局長が撤退を命じているにも関わらず、だ。
(もっともこの映画では女子交換手たちは志願して残っているが、「強制的に残らされた」
という記述もネット上で読んだ。どちらが真実か私にはまだわからない)

やがてソ連軍の艦砲射撃が始まり(くどいようだが8月15日は過ぎている)、
彼女たちは「北のひめゆり」のごとく亡くなって行く。

映画は出演者は二木てるみ、岡田可愛、藤田弓子、若林豪、丹波哲郎、島田正吾、
田村高広、千秋実、黒沢年男、南田洋子、岸田森、佐原健二などの豪華キャスト。
しかしワンシーンのみの出演も多く、役者のスケジュール調整で1,2日で撮りおえた
感じもあり、スケジュール担当の腕の見せ所だったろう。
でもどことなく安っぽさが付きまとう。
映画のレベルとしてはよくある「日本の戦争悲劇もの」の域を出ていない感じがした。

助監督は新城卓。なんとなく「俺は君のためにこそ、死にに行く」とのつながりを
見た気がした。



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TOKKO 特攻


日時 2007年8月25日10:30〜
場所 シネアミューズ・ウエスト
監督 リサ・モリモト

(公式HPへ)


アメリカに住む日系アメリカ人のリサ・モリモトは自分の叔父が特攻隊としての
訓練を受けていたことを知る。それまでは遠い存在だった特攻隊を身近な
存在に感じ、特攻隊について調べてみることにする。
まずは自分の叔母さんや従兄弟たちに亡くなった叔父について聞いてみることに。
そして他の特攻隊の生き残りや日本の特攻の攻撃を受けたアメリカの駆逐艦の
元乗組員に話を聞いてみることに。

考えてみれば私は特攻隊については劇映画でしか見たことはないかも知れない。
本当の特攻隊の人の話をインタビューしたドキュメンタリーは私は初めてではないか?

アメリカ在住の方だからどんなに基本的なことを質問しても許されるような気がする。
これが私のような半端な知識しか持たないものなら、「日本人ならもう少し勉強してから
来なさい」と怒られてしまうのではと思ってしまう。

映画の中で出てきた話で興味深かったのは特攻は戦果そのものではなく、「戦争完遂
のための象徴」として扱われたという話。
「自分の命を捨てて戦っている兵隊さんもいるのだ!」という事実の迫力は一般国民を
黙々と戦争に協力させるには確かにインパクトがある。
誰も逆らえまい。

またアメリカ人へのインタビューで「日本やドイツに追い詰められたらアメリカ人だって
特攻をやる奴はいるだろう」という意見が興味深い。
そうか、特攻を「武士道」などと絡めて日本人独自のもの、と語る人もいるけれど、
そういうものでもないらしい。

「特攻」というものを理解するには実に視点が偏っていなくて、客観的にとらえたいい映画だ。
やはりアメリカ人が作ったからこそこういうニュートラルな視点な映画が出来たといえるだろう。



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栄光のル・マン


日時 2007年8月19日
場所 DVD
監督 リー・H・カッツィン
製作 1971年(昭和46年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


有名なフランスの「ル・マン24時間耐久レース」を舞台にしたカーレース映画。
自らもレース好きで有名なスティーブ・マックィーン主演。

映画はドキュメンタリーに近く、ドラマ的な盛り上がりは少ない。
レースは土曜日の16時から日曜日の16時までの24時間だが、金曜日から
テントなどでキャンプした観客の姿を映し出し、やがて時間が経つにつれて
続々とやってくる人々は集まりだす。
カメラは望遠で観客たちや準備するクルーたちの姿を捉える。

そしてレースのルールなどを説明する場内アナウンスを使って映画の観客も
このル・マンレースの世界に引っ張り込む。
場内の実サウンドとアナウンスのみでスティーブ・マックィーンらの俳優たちは
セリフが出てこない。
このまま全編俳優たちはセリフなしで行くのか?と思ったが、ピット内での監督との
会話などからセリフが始まる。

正直このドキュメンタリータッチは成功だったか?
映画の観客にも「ル・マン」を体感してもらいたい、という意図はわかるのだが、
やはりドラマとしての面白さは物足りないと言わざるを得ない。
要は盛り上がりに欠けるのだなあ。

またセリフが一つもなく、スティーブ・マックィーンらも望遠レンズで捉えられた
動きのみの映画だったらそれはそれで斬新だったかも知れない。
斬新だが面白かったかは別の問題だ。

だがこの映画に魅力がないわけではない。
レースシーンは迫力があり、地面すれすれのレーサーの目線でレースを捉え、
マックィーンが相手の車を抜きさるシーンはやはりカーレース映画の醍醐味の
迫力がある。
また途中ピットのシーンでタイヤ交換やボディーの交換とか割と詳しく見せてくれるので
ピットの内部を覗き見れて楽しい。

また24時間レースなのだから、ドライバーも交代で走る。
そのときに観客にサインに応じるドライバー姿とかレース場のそばに遊園地が
あって観覧車を楽しむ観客や、ゴーカート場があってミニレース場にみ見たたて
子供がレーシングスーツを着てゴーカートに乗ってカートを走らせるシーンなど
現場に行って見て来たような楽しさがある。

ルマンを体感できるコンパクトな映画。



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青燕


日時 2007年8月19日11:15〜
場所 イイノホール(シネマコリア2007にて上映)
監督 ユン・ジョンチャン
製作 2006年

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2006年の東京国際映画祭では上映されたそうだが、一般劇場では未公開作品。
昭和初期に日本の立川航空学校で飛行士となったある韓国人女性を描く。

主人公の韓国人女性はまだまだ女性の教育に関心が低かった韓国から、日本に
やってきて飛行士を目指し、立川でタクシーの運転手のバイトをしながら
航空学校に通う。
彼女の航空技術が認められ、徳田教官(仲村トオル)に後押しもあって立川で
開かれる全国の航空学校対抗の飛行大会に選手として選ばれそうになるが、
日本の外務大臣(中原丈雄)に近い存在の日本人の美人パイロットにその
選手の座を奪われる。
しかし、前日の練習飛行でその女性日本人パイロットが事故を起こし、
代わりに出場することに。かなり危険を冒したが、大会では立川航空学校を
優勝に導いた。
韓国人の恋人もいてすべては順風満帆に見えたが、恋人の友人が韓国独立運動の
一員でテロ事件を起こしたために、あらぬ疑いをかけられてしまう。
なんとかその嫌疑は晴らしたが、彼女の目標とした故郷訪問飛行はなかなか実現しない。
やがて日本、満州、朝鮮は一つであるという政府の宣伝のための「日満鮮訪問飛行」
という形で彼女の夢はかなえられることになったのだが。


女性飛行士の誕生物語、というとかつてのNHKのテレビ小説「雲のじゅうたん」を
連想するが、前半は厳しき中にも比較的希望があって、彼女は飛行士として成長していく。
権力者に近いものに選手の座を奪われる、といった横槍も「伝記物語」としては
ありがちな成り行きで(ありがちがいけないのではなく)順調な話の展開だ。

そして大会前日での練習飛行や大会当日の急上昇飛行など、実に迫力ある映像!!
(またラストの嵐の中を主人公が飛ぶシーンもなかなかの迫力だ)
実写やCGの合成だが、実に迫力ある映像で、昨今の日本の映画など追いつかない。

しかし後半恋人の友人が日本の軍人を射殺するなどのテロ行為を行ったため、恋人も
主人公も「朝鮮赤色革命団」に関連があると思われて、日本軍につかまり、拷問を
受ける。
前半が希望的な成功談だっただけにこの展開は日韓の関係が一筋縄ではいかないように
この映画の展開も一筋縄ではいかなくなる。

そして彼女の故郷訪問飛行実現のために、政府のプロパガンダに手を貸さざるを得なくなる。
そのために無理をして遭難してしまうラストは物悲しい。

作者の視点は単なる日韓併合を屈辱の時代として日本を悪く描くのではなく、
韓国も主人公のことを歴史から消し去っている事実を掘り起こし、彼女をもう一度
評価すべきという視点に立っている。
単純に「日本=諸悪の根源」とばかりに考えている韓国人ばかりではないという点が
嬉しい。(また全体的に日本の風景などの描写に違和感はなく、へんてこりんな
日本は登場せず、日本人が見ても納得できるのが嬉しい)


もっとも「親日的」とされ、興行的には失敗だったようだ。
日本のことを悪く言うほうが受けるのかも知れないが、そうとばかり言わない映画が
作られる点が韓国の映画界の懐の深さを感じた。

日本でも一般公開されることを望む。
シネマート六本木とかでならそこそこ商売になるのではと思うが、どうなのだろう?
関係者にご一考願いたい。



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トランスフォーマー


日時 2007年8月18日18:50〜 
場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズスクリーン2
監督 マイケル・ベイ

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テレビラジオで取り上げられると「すごい、すごい」という評判だが、
ネット上の友人のブログなどを見るとどうも芳しくない。
公開されてから少したつが、やっと見た。

なるほどね。確かにすごいことはすごい。
車やヘリコプターが一瞬にして巨大ロボットになるシーンは
すごい。驚異の映像体験だ。いわゆるCGくささが全くなないし、
技術もここまで進歩したかと感心する。

でもねえ、それだけなのだよ。
ロボットの戦闘シーンが長くて飽きが来るのだな。要はロボットが
がちゃがっちゃやってるだけだから、はじめはすごいと思っても
見慣れれば何でもなくなる。

ドラマは大昔、どこかの遠い宇宙のロボットの惑星で、そのパワーの
源のキューブが地球に送られ、それを狙っている悪い宇宙人がいて
それを取り戻そうとするいい宇宙人が来て地球で戦うというシンプルな話。
で、アメリカは例によって国防長官も知らない大統領直属のセクター7なる
秘密機関があってそこにキューブは隠されていた、となる。

何か子供っぽいなあと思ったのだが、いい宇宙人側のカラーリングの問題か?
リーダーが赤が中心でその他黄色いやつや青いやつがいてなにやら
東映の戦隊ヒーローものみたいなカラーリングなのだ。
そして悪いやつは黒とかグレーとか、くすんだ地味な色使い。
そんなカラーリングとかあまりにも荒唐無稽すぎて、怪獣映画が好きな私でも
いささか子供っぽい気がしてついていけなかった。

全体的に長いというのは例えば、いい宇宙人が主人公の祖父のめがね(この祖父が
昔北極で「キューブ」を発見したらしい)を取りに来るところ。
またロボットたちが主人公の両親から隠れるシーンはアホらしいし、長くて
退屈する。
またせっかくそのめがねを手にしてもそのめがねに書き込まれた「キューブ」の
ありかにはすでにないわけだし。

関係ないが、遊びがあったので記録。
黄色いボロ車がロボットな訳だが、「あまりにかっこ悪い」という話になったら
かっこいい最新のモデルの黄色い車になって戻ってくる。
このときの音楽が「キルビル」の音楽だった。
ユナサーマンの黄色いトラックスーツに引っ掛けての遊びだったのだろう。
だからって面白くもなんともなかったのだが。

それにしても2時間半は長すぎるね、1時間半の話だったら印象は違ったと思う。



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ホリデイ


日時 2007年8月18日13:30〜
場所 イイノホール(シネマコリア2007にて上映)
監督 ヤン・ユノ
製作 2006年(平成18年)

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シネマコリア2007での上映。日本初公開。
のどかなタイトルだが内容はハード。
日本人には全く知られていないが、88年のソウルオリンピックの頃に
ソウルで起こった民家立てこもり事件を題材にしたハードアクションだ。

ソウルのスラム街に住むチ・ガンヒョク(イ・ソンジュ)はソウル五輪開催に
伴う土地の整理事業により、仲間たちと住んでいたスラム街を公権力によって
奪われる。そのときに弟のように可愛がっていた少年がチェ・ミンス扮する官憲側に
よって射殺されてしまう。
それがきっかけで暴動となりガンヒョクは逮捕され17年の刑となる。
しばらくしてこの刑務所の副所長としてやってきたのは弟分の少年を殺した
あの男だった。
ガンヒョクは同部屋の仲間ともに移送中のバスから脱走。しかしその際に移送に
立ち会っていた副所長を撃ったが、肩を負傷させただけで命までは奪わなかった。
ソウル市内を転々とする彼ら。やがて仲間は警察によって徐々に射殺されていく。

シネマコリアの紹介文で「社会派エンタテイメント」という書き方だったが、娯楽色が
かなり強く社会的メッセージはあまり感じられない。
もっともこれは僕自身が映画に登場する「保護看護法」なる法律をよくわかって
いないためかも知れない。
日本で言う「保護観察がつく」と言ったようなものではなく、「再犯の恐れがあるから」
というような割と安易な理由で本来の懲役期間にさらにプラスできるという悪法だそうだ。
窃盗程度でも10年以上の刑にもなってしまうことがあったらしい。

ソウルに入った主人公達はこの法律を作った全斗煥(チョン・ドファン)に直訴に行く
という行為に出る。
この辺の心情は「保護看護法」がわかっていないとよくわからないのかも知れない。

娯楽色が強いというのは何しろ敵役の(金歯の入った)副所長だ。
スラム街の整理、刑務所の副所長、脱獄した彼らを警官を率いて追うという日本の
組織ではありえないような対場で常に主人公をいたぶりぬく。

刑務所における執拗な苛め(独房に入ったガンヒョクに小便を引っ掛けるというような)
のシーンなどまったく東映ヤクザ映画ののりで主人公を菅原分太か松方弘樹が演じても
おかしくないような映画なのだな。
脱獄した仲間のうち、二人が香港に逃れようとして密告され警官に射殺されるあたりとか
最後の立てこもりで徐々に仲間が死んでいく時の間の取り方もヤクザ映画のノリ。
(もっとも韓国映画はアクション映画では死ぬときの間がいつも長い気がするが)

映画終了後、ロビーで観客のサインに応じていた監督に「東映ヤクザ映画みたいですね」
と聞いてみると(もちろん間に通訳はいます)「ヤクザ映画に限らず日本映画はたくさん
見ました。私もああいう男気のある映画は好きです」ということだった。
日本では大手では死滅したヤクザ映画だが、「友へ〜チング」とともに韓国では
脈々のその「男気」は伝わっているようだ。



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キサラギ


日時 2007年8月12日21:20〜
場所 新宿武蔵野館2
監督 佐藤祐一

(公式HPへ)



とりあえずパスするつもりでいたこの映画、「リピーターも続出する面白さ」
の評判をネットで聞きつけ遅ればせながら見に行く。
なるほど、予想以上に面白い。
映画にしろ、ドラマにしろ、登場人物というのはどうしてもあるカテゴリーに
属する人物たちの間で行われることになる。
しかしこの場合、C級アイドル如月ミキのファン、という以外に年齢も
住んでいるところも職業も異なる男たちがドラマを作っていく。
ユースケ・サンタマリア、香川照之、小栗旬、小出恵介、ドランクドラゴンの塚地、
という普通ならなかなか組み合わされないメンバーのみでドラマは進行する。

物語は自殺した(と思われる)アイドルの如月ミキの一周忌に5人のファンが
オフ会を始めることから始まる。彼らは初対面だったが、同じ如月ミキファン、と
いうことで話は盛り上がる。しかし彼らの一人が「如月ミキの自殺には疑問の点が
多すぎる」と言い出したことから、彼らが知っている事柄を少しずつ語っていく。
その断片がジグゾーパズルのピースのように組み合わさったとき、彼らは
いままで予想も付かなかった結論にたどり着くのだった。

彼らの会話は実にスリリングで軽快でそのテンポ、間、スピード感は面白い。
見ていて実に飽きない。
大島渚の「絞死刑」三谷幸喜の「12人の優しい日本人」に匹敵する。
次々と明らかになる真実には驚きの展開だ。
この手のディスカッションドラマの新しい名作の誕生だ。

実は私もある男優のファンサイトを運営しているのだが、この場合、私の立場は
小栗旬に一番近い。
自分が一番のファン、と実は内心自慢に思っていたのが徐々に崩されていく姿は
自分と照らし合わせてしまい、とても面白かった。

ただし真相が示されて、みんなでプラネタリウムの星空を見上げるあたりは
いささか感傷的。
そして最後に如月ミキの大磯での歌のシーンの録画を見るわけだが、実は
この映像、複数のカメラで撮影されたものを編集しているので、小栗旬が隠し撮りした、
という説明では現実と乖離してしまう。
このあたりがラストに指摘されるかと思ったが、そうはならず、宍戸錠が出てくる。
宍戸錠がスクリーンに登場すること自体は嬉しかったが、物語の流れで言えば
必要なかった気もする。
ラストでもたついてしまった気がするので、その点が実に惜しい映画だ。



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太陽(てぃだ)


日時 2007年8月12日17:00〜
場所 港区高輪区民会館区民ホール
監督 小田大河

(公式HPへ)


俳優活動の傍らトライアスロンに挑戦する峰岸徹が自ら製作に携わった映画。
今のところ配給網にのって一般劇場では公開されておらず、自主上映を
行っている。

社内のイジメにあい退職した男、妻に先立たれうつ病になった元八百屋、
かつてはアパレル界の青年実業家だったが今は不景気で倒産した男(天宮良)。
映画はこの三人と、一見順調な人生を送っているように見える銀行の支店長(峰岸徹)
と大手商社の社員がトライアスロンを通じて出会い、そしてこのレースにどう
立ち向かったかをトライアスロンのレースの実況と並行して回想で
描かれる。

1時間48分の映画だが、トライアスロンレースは途中リタイアする者も
現れるが、1時間20分ぐらいで終わってしまう。
まだ30分もあるのにこれからどうなるのかと思っていると彼ら(プラス
同じトライアスロン仲間の若い女性)のその後が時間をかけて描かれる。
彼らは再就職したり逆にリストラされる男も出てくる。

ヒロインは恋人から振られる、出世コースだった男は逆にリストラされてしまう、
峰岸徹は息子が引きこもりだったが、ついに息子を力をつけさせようと家から追い出す。
またある者は面接でいやみを言われながらも再就職し、八百屋はなんとかスーパーの片隅
で小さな店を持つことが出来た。
天宮良はアパレルの社長から婦人服店の販売員になってしまうがそれでも頑張って生きていく。

そうなのだ。
トライアスロンレースは終わっても人生はまだまだ終わらない。
トライアスロンは水泳3km、自転車150Km、マラソン42kmと長い。
しかし人生はもっともっと長い。
極論を言えばトライアスロンの試練は、完走するにせよリタイヤするにせよ
1日で終わるが、人生の試練はまだまだこれからも続くのだ。

単純にトライアスロンレースが終わって「万歳万歳、男たちはこれから自信を
取り戻して順調に行くだろう」的なハッピーエンドにしなかったのは
正解だった。
このあたりがメジャーな映画だったら、トライアスロンのレースで終わり、
あとの彼らの人生は字幕で表示される程度だろう。
こういう冒険的な構成が許されるのは自主映画のいいところなのかも知れない。

単なる「元気をもらった」という24時間テレビのドラマのような映画に
しなかった点が実にいい。
機会があったら皆さんにも見ていただきたい作品だ。



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二百三高地


日時 2007年8月5日13:30〜
場所 東映大泉撮影所第1試写室
監督 舛田利雄
製作 昭和50年(1980年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


日露戦争の乃木大将による中国・遼東半島のロシアの陣地、203高地を巡る戦いを描いた
1980年の東映戦争大作。

この映画は映画そのものより、そのときの話題ぶりから思い出が深い。
当時もう私は高校生だったから同時代で映画を見ている。

なんといってもさだまさしが主題歌を歌ったことが印象深い。
当時、歌謡曲が廃れてニューミュージック全盛で(さだまさし、アリス、オフコースなど。
シンガーソングライターとして自ら作曲した歌を歌い、そのちょっと前のフォークブーム
に源流をたどることが出来る、と思う)その代表的存在でもあった、さだまさしが
主題歌を歌ったのだ。
僕自身はアリスのファンで、(初めてコンサートに行ったのがアリスだった)さだまさしは
コンサートには行かなかったが、アルバムは1,2枚買ったおぼえがあるからそこそこ
好きだった。この映画の前年にテレビにはあまり出なかったさだまさしがNHKの特番で
テレビ用のコンサートを行い、その模様をカセットに録音し、何度か聞いていた。
(当時、まだ家庭用ビデオは一般的ではなかった)

その特番で「203高地という映画の主題歌を作りました」といってギター一本で
歌ってくれたのが、この映画の主題歌「防人の詩」だった。
「海は死にますか、山は死にますか」という歌詞が何かこう「無常感」(という言葉が
適切かどうかはわからないが)が漂い気に入っていた。
映画公開は8月で、その主題歌の発売は7月だった気がする。
好きな歌だったからそのシングルレコードの発売は待ち遠しく、発売日に買いにいった気がする。
ところが聞いてみたらアレンジが全く変わっていて、さだのギター一本で一人で歌うという
シンプルな曲が、オーケストラをバックにした仰々しいコーラスまでついた歌になっており
げんなりしたものだ。

映画とは直接関係ない話から始まったが、実をいうと映画自体、私は気に入っていないのだ。
「明治天皇と日露大戦争」の時にも書いたけど、この「203高地」をめぐる攻防戦、
「映画としては」面白くないのだよ。
日本軍がロシア軍の陣地をワーと攻める、上からロシア軍がバリバリと機関銃で応戦する、
日本兵がバタバタと倒れる、の繰り返しで「映画的な」こう攻めたからこう守る、そしたら
こうやり返す、といった臨機応変な戦いがないので「画的に」退屈なのだ。

映画の構成としては仲代達矢の乃木将軍、丹波哲郎の児玉将軍らの軍の上層部と並行し、
小学校の先生のあおい輝彦、ヤクザの佐藤允、芸者の太鼓もちの湯原昌行、豆腐屋の
見習い新沼謙治らの一般兵の話を描く。
笠原和夫脚本だが、ヤクザとか太鼓もちとか豆腐屋などが主人公となる庶民的、というか
やや下品ささえただよう人物設定が東宝の「連合艦隊」などと比較すると興味深い。

この中であおい輝彦はロシア語を学び、ロシア文学にも精通し、ロシアを愛していたのだが、
戦争が進むにつれすべてのロシア人を憎むようになる設定が(お決まりといえばお決まりだが)
核となる。ただし後半のロシア人を狂信的に憎む加減が「捕虜に対する暴力をいとわなくなった」
という程度で、後の「大日本帝国」におけるサイパン島の海岸で日本人の骸骨で遊ぶ米兵
の描写に比べてやや弱い気がする。
(もっとも弱い、と思ったからこそ、「大日本帝国」におけるその海岸シーンになっていった
ともいえるのだが)

あと印象的なのが新沼謙治演じる豆腐屋。
娑婆にいたころは親方からぼんくらみたいに思われていたのが、最後に高地を占領した際に
銃につけた日の丸を振り回し、勝利を宣言するシーンが勇ましい。
途中の戦闘シーンで戦場に届けられた飯が赤く染まっていて、それが他の兵士の血だと気づき
みんな吐き出し始めるのだが、新沼謙治だけは黙々と食べ続ける。
こういった「戦場では何にも考えないやつが実は一番うまくやっていけるのだ」という主張が
見えるようで興味深い。

あとは歴史的事実として教えてもらって興味深かったのが、戦場で砲撃がやんでいる間、
ロシア人と日本人が酒やタバコの交換をしていたというエピソード。
字幕では「当時はまだ武士道と騎士道のなごりがあった」という文言がでるが
これには見た当時も驚いたことをよく覚えている。

それと今回見直して驚いた点。
3時間の大作(長い!)ので途中休憩が入るのだが、前半のラストはあおい輝彦が戦場を
さまよい歩くシーンで終わる。
そのときに例の「防人の詩」が流れるのだが、このときに歌詞が画面いっぱいに表示されるのだなあ。
これは全く驚いたが、全く記憶にない。
ってことは見た当時は違和感を覚えなかったということか。

出演は他にはあおい輝彦の恋人に夏目雅子、伊藤博文に森繁久弥、明治天皇に三船敏郎。
指摘されて気が付いたが東映スターは全く出ていない。
70年代末期、東映もいろいろな意味で曲がり角を迎えていた象徴だろう。



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ダイハード4.0


日時 2007年8月4日21:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン7
監督 レン・ワイズマン

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アメリカのCIA本部ではコンピュータがハッキングされ、警戒を強めていた。
以前からブラックリストに載っていたハッカーを一人残らず逮捕するよう、警察に指示。
マクーレン刑事(ブルース・ウィルス)もその一人を連行すべく、その青年マットの自宅へ。
しかしその時マットのアパートで銃撃戦に巻き込まれる。
マットは命を狙われているようだ。
実はマットは犯人グループから匿名で仕事を請負い、知らず知らずのうちに犯人達の
テロ計画に加担させられていたのだ。

ここからノンストップアクションが開始される。
銃撃戦が終わりFBIにマットを連行したら、FBIは国中を襲ってるサイバーテロによる
交通網のマヒでそれどころではない。

マットの話ではすべてがネットにより遠隔操作で停止させることは出来なく、発電所などは
現場のサーバーに直接接続しなければならない。だから犯人グループは必ず現れる、
との言葉に従い発電所へ。

ここまででとにかくてんこ盛りのアクションシーンだったから、この発電所がクライマックス
かと思って時計を見たら何とまだ1時間余りした経っていない。
映画を見ていると確かに発電所は途中のクライマックスでまだまだ先はあるのだよ。

ここで戦闘マシンのハイパーレディとの対決があって、そして犯人の顔がついにわかる。
FBIに知らせると、それは以前FBIに所属していてサイバーテロを計画した奴だったんだと。
ふ〜ん、最近のすべてのこういうテロリストものを見てるわけではないので、知らなかったのだが
日本の「アンフェア」もそうだったが、「もと内部の人間が逆側にたって攻撃を仕掛ける」と
いうのは犯人像としてお決まりらしい。
そしてなんだかんだ言ってもそいつの最終的な目的は金に過ぎないという点も。

最後はマクレーンの娘も犯人に捕まり、マクレーンが脅迫されるという展開。

とにかくものすごいスピードで進んでいくなあ。
見てる間は退屈しなかったけど、そのうちすぐに忘れるだろうなあ。

そうそう、マットがBMW(だったかな)のフロントをぶったたいてエアクッションを膨らまさせ
BMWのサポートセンター(かな?)と連絡を取って車を遠隔操作でエンジンをかけてもらう、
というのをやっていたけど、アメリカでは高級車にはああいうサービスがあるのか。
この映画に出てきた方法で車を盗難する奴がいるんじゃないかとふと思った。



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夕凪の街 桜の国


日時 2007年8月4日17:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえんスクリーン2
監督 佐々部清

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昭和33年、広島。あの日から13年、皆美(麻生久美子)は小さな設計事務所で
働いている。同僚の打越(吉沢悠)から結婚の申し込みを受けるが彼女は原爆病に
侵されていた。
2007年、皆美の弟、旭(堺正章)は最近電話代が高くなったり、夜中に
出かけたりして娘の七波(田中麗奈)から不審がられていた。
その夜も一人家を抜け出す旭。七波はその後を友人とつけたのだが、父は広島行きの
夜行バスに乗った。

今年のベストワン候補。
もうこの映画と「それでもボクはやっていない」で今年の映画賞は独占ではないか?

なんともいえない緊張感が映画全編に走る。
物語は特にサスペンスフルな物語ではない。
特に前半の「夕凪の街」など物語を引っ張る縦糸は何もない。
おとなしく誠実そうな男性が同じ会社で働く女性に結婚を申し込もうとしているだけの
話だ。
しかし画面から目が離せない。

とにかく役者がいい。
麻生久美子も吉沢悠も藤村志保も伊崎充則も堺正章も。
これだけ淡々としている話なのに人をひきつける。

原爆の日の描写など例えば「黒い雨」のようなストレートな描写はない。
しかし地獄絵のインサートと死んだ妹の声がぞくりとさせる。
そして銭湯のシーン。女性達のケロイドが「あの日」のことを何も言わずに語ってくれる。

そして現代。
こちらのほうは「父はどこへ行くのか」というミステリつき。
そこでは七波の視点を通じて旭や祖母のその後が語られ、自分の親友と弟の交際の問題へと
つながっていく。
原爆というものはその日限りではなく、原爆症を残しながら何十年に渡って市井の人々を
苦しめる。
彼らは特別な人ではない。
隣の家の人かも知れない。
静かに、しかし強く心に染み渡る。

皆美が最後に言った言葉が頭から離れない。
「原爆を作った人は今、喜んでいるのだろうか?『また一人殺せた』って喜んでいるんだろうか」

「原爆は仕方なかった」と思う人が防衛大臣をつとめる世の中だ。
まだまだ安心して暮らせない。



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