2007年9月

包帯クラブ
シッコ 続社長三代記 社長三代記 夜を探がせ
ヒロシマナガサキ 巨人と玩具 結婚の夜 東京のえくぼ
喜劇 百点満点 豚と軍艦 エマニエル夫人 廃市

包帯クラブ


日時 2007年9月27日19:15〜
場所 ユナイテッドシネマ豊洲スクリーン5
監督 堤幸彦

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女子高生のワラ(石原さとみ)は両親が離婚して母親と弟と3人暮らし。
料理の途中で謝って包丁で手首を切ってしまい、病院に行ったが、リストカットと
間違えられカチンと来る。そんな時、病院の屋上で不思議で怪しげな関西弁の少年、
井出埜辰耶(いでのたつや)、自称ディノ(柳楽優弥)と出会う。
彼はそのときにワラの心の傷を癒すために屋上の手すりに包帯を巻きつる。
ワラは自分の友人のタンシオから失恋の悩みを打ち明けられたとき、思わずディノと
同じようにタンシオの心の傷を癒すために、と失恋の現場のブランコに包帯を巻きつける。
そのことが他人の心の傷を癒す「包帯クラブ」結成の始まりだった。


柳楽優弥の新作。
東映作品で「69」「フライ、ダディ、フライ」の青春路線だ。
主人公達は「包帯クラブ」なるHPを立ち上げ、色んな人たちの悩みを聞いて
その人たちの心の傷の場所に行って包帯を巻いてあげるという活動をはじめる。
寄せられる悩みはサッカーでオウンゴールをしてしまって以来学校へ行っていない
中学生からだったり、逆上がりが出来なくてバカにされてる小学生からだったりする。
もう中年の私からするとその悩みは幼い。
しかしそういって切り捨ててしまうのはあまりに酷だ。

我々おじさんは歳を食っている分経験がある。
人間関係をうまくやっていくコツを知っていたり、この世の中を渡っていく知恵を多少なりとも
持っている。
しかし、若い彼らは何も解らない。
人生を生きていくコツも、働きながら生きていく難しさも簡単さも、楽しさもつらさも解らない。
だからこそ、無限の不安にさいなまれる。
後半、ディノの過去に登場する少年も「あの頃、妙にいらだっていた」と言う。
それは「漫画家になりたい」という夢があればこその不安と苛立ちだったのだろう。
その気持ちはわかってあげたい。

柳楽優弥扮するディノは学校へポケットに生ゴミを持っていったり、目隠しをして学校に
行ったり、自分の張ったテントに爆竹を投げ込んでくれといったり、自分の体に爆竹を撒きつけたり
する自虐行為を繰り返す。
その理由は後半、ディノによって明かされる。彼のおかしな関西弁の秘密も。
この明かされるシーンの一人語りは柳楽優弥の見せ場。
彼の役者としての素晴らしさを味わえる瞬間だ。

なんかこう、とりとめのない文章なのだが、10代というのは我々が中年が抱える悩みとは違う
レベルの悩みを抱えているものだ。
それをくだらないと否定するのではなく、わかってあげたいなと思う。
そんな気がする。自分が10代の頃に抱えていた悩みや気持ちを思い出させてくれる映画だった。

あとは映画のロケに選ばれた高崎の風景。
仕事で高崎に行くこともあるので、よく知ってるスズランデパートなどが登場して、なんだか
ニヤついてしまいました。



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シッコ


日時 2007年9月23日11:10〜
場所 新宿ジョイシネマ2
監督 マイケル・ムーア

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話題のマイケルムーアの最新作。
アメリカの医療制度の矛盾に切り込む。
でも保険会社のトップに突撃取材する、といった激しいシーンがないせいか、
はたまた所詮はアメリカの国内問題と思われてしまったのか、「華氏911」に
比べるとこの映画についての話題は聞かない。
私自身も最近自分の上映会の準備で忙しいせいもあって、見に行くのが遅くなった。

アメリカの医療が高いと聞いていたが、こういう実態とは知らなかった。
国の保険はなく、民間の保険ばかり。日本でも主に外資系の医療保険は存在するが、
あくまで国民健康保険を補完するものとしての位置づけだ。
それが民間保険しかないとなったら怖いよなあ。

治療費が高くて治療が受けられない人(指を切断された事故にあった人など)
の話が続々と(長いくらいに)登場する。
なぜ民間の保険しかないというと、冷戦時代に「国民皆保険は社会主義=共産主義に
つながる」というプロパガンダがあったからだという。
ソ連の崩壊を知っている我々からすると、「共産主義が何でそんなに怖いんだろう」
と思えるが、米ソの対立の時代には「ソ連=悪の塊」に見えたのだろう。

そしてムーアは海外の実態を調べるため、カナダ、フランス、イギリスに向かう。
そこでは国民皆保険のおかげで充実した医療サービスを受けられ、少なくとも
医療に関しては何の心配も要らない世界だった。

ムーアも一連の海外のシーンで最後に「財源はどうなっているのだろう?高額な税に
苦しめられていないか?」という疑問は私も思った。
映画の中ではその疑問には答えを出さない。
「フランス人は高額な税に苦しめられていない」というシーンしか紹介されない。
しかし日本では安易な救急車の使いすぎが問題になり、一部は民間に委託する、
「救急車は本当に急ぎの人だけに!」といったキャンペーンが行われている。
またそれほど治療を必要としない人々、一部の老人医療が国民健康保険に負担を
増やしていると、自己負担分が徐々に増えている。
(私が子供の頃は親たちは医者はただだったはずだ)

最後はマイケル・ムーアは「911」の救助活動により肺をやられた人々をつれて
手厚い保護を受けている米軍施設に向かい、彼らの治療を訴え、そのあとキューバの
病院に行く。
このキューバのシーンで、地元の消防士が911で活躍した消防士に敬礼を
するシーンが登場する。
ここで図らずも涙が流れた。
そうなのだよなあ。人間の生死に対しては等しく世界中が平等であるべきだよなあ。

確かに怠けてもいい生活が出来たり、努力しても報いられない世界もいやだ。
しかし頑張ったって結果が出せない人もいる。
結果が出せないからといって切り捨てられる自由主義的経済社会もどうかと思う。

少なくとも医療の面では「無料」とは行かなくても安い金額で治療を受けられる
制度は維持すべきだ。
民間にやらせたら「コムスン」になっちゃうよ。



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続社長三代記


日時 2007年9月22日19:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松林宗恵
製作 昭和33年(1958年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


森繁久弥の社長がアメリカへ行ってしまい、アメリカでの森繁社長の珍滞在記になるのかと
思ったら大違い。
次に社長になった加東大介の堅物男が段々と女遊びを覚えていく姿が話の中心。
考えてみたら、「社長三代記」だから次の社長が中心になって当たり前なのだな。

今まで「質実剛健」を旨としてきた加東大介新社長だが、社長ともなれば周りが
遊びを覚えさせようとする。
森繁がごひいきにしていた銀座のママは加東社長の大阪出張の際にちゃっかり
飛行機で隣の席に座り、「大阪のお店に来てね」と誘惑する。
加東大介は梅田のコマ劇場近くにある大阪の店に、こっそりと夜旅館を抜け出して
行ってしまう。
東京に帰ってきてから銀座の店にも顔を出すようになり、いつのかにか新橋の
芸者遊びも覚えだす。
しかし加東大介の異例の抜擢を快く思わない奴がいて・・・・

という展開。
いつものごとく、小林桂樹、三木のり平、有島一郎らの脇が面白く、女優陣も
雪村いづみ、司葉子、団令子、扇千景、淡島千景が華を添える。
創業社長の未亡人の会長が有島一郎の前で加東大介を褒めちぎり、有島が嫉妬のために
唇をわなわなと振るわせるところなど、芸を見せてくれる。
またアメリカとの会社の業務提携の席での通訳でトニー谷がワンシーン出演。
あと加東大介に社員への訓示のやり方の先生として徳川無声がワンシーンゲスト出演。

「社長シリーズ」は人気があったにも関わらず、批評家からは全く無視されたそうだが
その理由が少し分ったような気がした。
「お笑いは低レベルで思想性の強い作品は高レベル」といっただけでなく、批評家は
この面白さを文章に出来なかったからではないか?

どう面白かったか?などということを文章で説明するのは難しい。
彼らの芸、相手のセリフに対するリアクションの面白さ、などというものは言葉で
説明できるものではない。
文章にしにくいから面白いとは思っても文章にしなかった、つまり批評を書かなかった
のではないか?

確かに反戦映画、みたいなメッセージ性の強い映画のほうが文章にはしやすい。
だからといって文章にしないのは批評家の怠慢に過ぎないと思う。
この映画を見て笑いながら、ふとそんなことも思いました。



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社長三代記


日時 2007年9月22日17:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松林宗恵
製作 昭和33年(1958年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


社長シリーズの松林監督の初作品。
関西が初まりの電気会社は創業社長は亡くなったが、その奥さん(三好栄子)が会長として
影ながら君臨していた。
森繁社長のアメリカ出張中は社長代理に営業部長の加東大介が抜擢されておお張り切り。
帰国後、森繁はアメリカの会社と業務提携をしようとしてアメリカの会社の代表を日本に招く。
その宴会の席での余興芸がアメリカ人の代表には受けたが奥さんには「野蛮!」と大不評。
その様子を三好栄子の娘(雪村いづみ)が8mmに収め、「面白いでしょう」と笑って
見てもらうつもりで三好栄子に見せたところ逆効果で、大激怒。
森繁はニューヨーク支店長という左遷だか出世だかよくわからない移動を命じられ
社長の後任は加東大介に。


まあ、いつ仕事をしているのかよくわからん天下泰平な会社だ。
森繁はバー遊びと芸者遊びを掛け持ちし、秘書の小林桂樹は日曜も関係なく、社長のプライベート
に付き合わされる。
経済成長期だったからあんな会社もあったのだろうか?
まさかそんなことはあるまい。

それにしてもやはり面白さは森繁や加東大介、小林桂樹、三木のり平の掛け合いの面白さだろう。
そして団礼子、司葉子、雪村いづみ、扇千景らの美人女優の共演。
見終わったらすぐに忘れるけど、見てる間はまったくもって面白いというのがこの社長シリーズ
なのだな。
この後、森繁社長はアメリカに行ってどうなったのか?
金髪女性を口説きまくるのか?
乞うご期待!



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夜を探がせ


日時 2007年9月22日14:50〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松林宗恵
製作 昭和34年(1959年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


船乗りの佐伯(鶴田浩二)はせこい密輸などして小遣いを稼いでいたが、ある日波止場で
の取引の最中に警察に踏み込まれる。何とか逃げおおせたが、そのときに別の男が
撃たれて死にかけている現場に遭遇する。その男から死に際に万年筆を預かる佐伯。
やがて翌日から佐伯に尾行がつく。警察ではないらしい。
この事件の背後には何が?
戦争中の満州での黄金をめぐる殺人が絡んでいた!

松林監督には珍しいアクション物。
話としては「東宝暗黒街もの」に属するような話だ。
主人公が偶然に手にしたものをきっかけに悪い奴から金を奪おうという大筋は
岡本喜八の「地獄の饗宴」を思わせる。
(ちなみにこの映画の原作は石原慎太郎だ)
まあ、アクションシーンにキレはないし、今は大企業の社長になった悪役(千田是也)の
愛娘(白川由美)と鶴田のラブシーンが甘いムードが漂うあたりが、ちょっと松林監督らしい。

ミステリーとしての大どんでん返し、といったものはないのでまあ話は先は割れるのだが、
今で言う2時間サスペンスぐらいの面白さはあるので、とりあえず見ていて飽きない。
またキャストが一番の悪人に千田是也、その軍隊時代の上官に小沢栄太郎と田武謙三、
そして最後に鶴田浩二は小沢栄太郎にガス室に閉じ込められてしまうのだが、そのときに
そのガスの技師に天本英世がまたまたいつもの不気味な雰囲気で登場。
実によく似合う。

そして白川由美。
千田是也の大社長に近づくのに利用するために鶴田は初めは白川由美に近づくのだが、
(それも日比谷映画街で封切り映画の切符をダフ屋から買い取って映画を見たがっている
白川由美に渡すというやり方。映画の中で主人公がダフ屋からチケットを買うなんて
まあ随分なやり方だ)、やがてお互いが好きになるという強引な展開。
強引過ぎるのが気になるが、まあ白川由美のファンだからここは多めに見よう。

滅茶苦茶に面白い、というほどでもないが、とりあえずそつなく見せる。
松林監督、職人監督として何でもできることの証明だ。



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ヒロシマナガサキ


日時 2007年9月17日14:00〜
場所 岩波ホール
監督 スティーブン・オカザキ

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日系のアメリカ人監督が作った原爆をテーマにしたドキュメンタリー映画。
評判がいいので、期待して見に行ったが、実はそれほどの映画ではなかったというのが
正直な感想。

こういう良心的な映画は批判しにくいのだが、映画としてはそれほど魅力はない。
被爆者への「あの日」の様子、その後の原爆症についてのインタビューが中心だが、
正直、戦争に関する映画を比較的見ている方だと思う自分にとっては、目新しい
ものは少なく、驚きはなかった。

しかし、これは比較的戦争に関する映画を見ているから目新しさを感じないので
あって、この映画が意味がないとは思わない。
この映画は全米のケーブルテレビで放送されるそうだが、原爆の知識をあまり
持たないアメリカ人にはかなり衝撃的な映像の連発になると思う。
また戦争に関する知識の少ない若い世代にも見るべき価値はある。
学校などで強制的に見せればいい。

その中でも記憶に残ったのは戦後、アメリカの原爆被害調査団が被爆者を検診した映像
(検診だけ、治療はしていないらしい)がカラーだということ。
戦争中からアメリカでは記録にカラーが使われてるのは知っていたが、白黒でしか
見たことがなかった映像をカラーで見ると、その生々しさに驚かされる。

そして昭和30年ごろに募金によってアメリカに「原爆少女」として何人かが
医療に行ってたという事実。
アメリカのテレビ番組でエノラゲイのパイロットと被爆者が握手をしていたという事実。
これは今回初めて知った。

そしてラストのエノラゲイのパイロットの一言。
「馬鹿な奴がイラクに原爆を落とせばいいんだ、という。しかしみんな知らないんだ、
原爆の恐ろしさを」
そう、まずは原爆の何たるかを知らなければならない。
日本だけでなく、全世界の人々がだ。



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巨人と玩具


日時 2007年9月17日10:30〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 増村保造
製作 昭和33年(1958年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


製菓業界はワールド、アポロなどの上位3社が激しい首位争いを行っていた。
まもなくキャンペーン期間が始まる。商品そのものにあまり差がないこの業界では
景品に何をつけるかが、勝負の分かれ目になってくる。
ある会社は小動物を、ワールドは宇宙服など宇宙関連おもちゃを、そしてアポロは
子供が大人になるまでの生活費を景品にした。
しかしワールドは同時に宣伝課長が街で見かけた少女をスターにして広告塔にする
戦略も同時に仕組んでいた。
やがて始まるキャンペーン!果てしてその勝負は?

一応クレジットの上では新人宣伝部員の川口浩が主役だが、本当の主役はモーレツ
宣伝課長の合田(高松英郎)だろう。
なんだか黒シリーズを思わせるテイストなので、そのちょっと前の作品かと思ったら
昭和33年だ。
実はこれには驚いた。
テレビCMを使って広告を流し、そしてテレビ、およびマスメディアを制したものが
この世を制する、ということを宣伝課長が言うのだが、もうこの頃から始まっていたのだ!
皇太子のご成婚や東京オリンピックでテレビの時代になったと思っていたが、ものこの頃から
テレビはメディアとして充分威力を発揮していたのだな。

宣伝課長は傲慢で今のライブドア社長や村上ファンドを思わせる。
会社の会議で彼は言う。
「現代人は忙しい、物を考える暇なんてない。だから刷り込む、徹底的に刷り込む、そうすれば
大衆は自然とわが社の商品に手を伸ばす!」
こういったマスコミ操作の理論はテレビが成熟してきてからの話だと思っていたが、
そうではないのだ。
すでにこの頃からそうなのだ。いやひょっとしたらもっと昔からそういうもので、江戸時代だって
いつだって同じことなのかも知れない。

映画はセリフが怒涛のごとくあふれ出し、早口でまくし立てられテンポは速い。
ついていくのがやっとだが、このスピード感が作品世界を象徴している。

スターにした少女(野添ひとみ)はやがて放漫になり、スターにしたワールドの言うことを
聞かなくなる。
血を吐きながらも仕事の鬼と化す合田。
川口浩の新人社員も大学時代の親友で別の製菓会社に就職した男にしてやられる。
川口浩がラストに景品の宇宙服を着て街をさまよい歩く姿は最早こっけいだ。
そこへ恋人となったアポロ製菓の女子宣伝部員が言う。
「笑いなさい」

彼らは果てしのない戦いに巻き込まれていく。
登場人物たちはこのマスメディアという化け物の世界の泥沼にはまり、逃げ出すことは
最早出来ないのだ。



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結婚の夜


日時 2007年9月10日20:45〜
場所 シネマヴェーラ渋谷
監督 筧正典
製作 昭和34年(1959年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


デパートの時計売り場に勤める水島(小泉博)は女を二股どころではない三股四股
かけているようなどうしようもない奴。
ある日、売り場に髪の長い美しい女性(安西郷子)が腕時計の修理を依頼する。
彼女の美しさに目を奪われた水島は、持ち前の話術でその女性と外でも会うようになる。
そして水島はいつしか彼女を連れ込み旅館に誘うことが出来た。
やがて水島の下に親の勧める資産家の娘との縁談が持ち上がる。
彼はその結婚に乗ることにし、彼女と別れることに。
水島はほんの遊びのつもりだったが、彼女は本気になっていた。

あの東宝映画で常に「良心的な誠実な人」を演じ続けた小泉博の悪役映画。
「結婚の夜」というなんだか内容がピンとこないタイトルが損をしている気が
しないでもないが、これは拾い物の作品だった。
いつもの小泉博が女をたらしこむプレイボーイ(もはや死語か?)を演じるのだが、
実にはまっている。
小泉博にもこういう役をもっとやらせれば役が広がったのではないか?

また美しいのは安西郷子。
前々から誰かを彷彿とさせると思っていたが、帰りの電車の中で気が付いた。
オードリー・ヘップバーンではないか?
ヘップバーンより少しきりっとした感じだが、彼女の日本人ばなれした美しさが
実にすばらしい。
これといった代表作を聞かないせいか、水野久美、浜美枝らに比べて現在あまり
評価を聞かないが、もっと再評価してもいいと思う。

そして中盤どんでん返しがある。
未見の方のためにここでは記さないが、ある程度予想されていたとはいえ、驚くべき展開。
やがて水島は安西郷子の恨みに悩まされることに。
そしてこのあたりからは安西郷子はメイクもかえ、やや怪談映画調になってくる。
この辺の演出はやややりすぎの感がないでもないが、娯楽映画としてはこの程度の誇張は
ありだろう。

「小泉博っていつも良心的な誠実な二枚目のインテリ」という私の固定観念を覆すような
映画だった。
一見の価値あり。



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東京のえくぼ


日時 2007年9月9日19:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松林宗恵
製作 昭和27年(1952年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


下町の娘(丹阿弥谷津子)は大企業紀伊国屋物産の就職試験に向かうための
バスの中でスリにあう。
すぐに気が付いた彼女はバスを交番につけて乗客の身体検査をしてもらう。
すると自分の後ろに立っていた背の高い男(上原謙)のポケットから財布が出てきた。
男は逮捕されたが実はその男は紀伊国屋グループの本社の社長だった!
そうとは知らず、彼女は試験を受け、なんと合格。
しかも配属先は社長秘書だった。

松林宗恵第1回監督作品。
東宝争議によって新東宝に行っていた時代の監督昇進だ。
「ローマの休日」を彷彿とさせるラブコメだが、こっちの方が早いかな?

上原謙の文太郎社長は実は社長業に飽き飽きしていた。
仕事といっても実際は部下のまわしてきた決済書類にただただめくら判を押すだけ。
そしてあちこちの結婚式やら葬式やらお祝いの席を30分単位で回って用意された
祝いの言葉やお悔やみの言葉を述べるだけ。
自分の意思などないロボットのような生活だ。
めまぐるしい儀式の連発を「5時」「5時半」「6時半」などと字幕で表し、
とんとんと流していく様はテンポよく面白い。

文太郎に同情した丹阿弥谷津子は社長を「左千夫(さちお)」となずけ
自分の家にしばらく住まわせることに。
左千夫なら家族の前でつい「社長さん」と呼んでしまっても「さちおさん(=しゃちょうさん)」
で相手の聞き間違えですむという作戦だ。
左千夫は丹阿弥谷津子はつかの間の安らかな日々を楽しむのだが、丹阿弥谷津子の
父(柳家金吾楼)勤める会社が紀伊国屋グループの一つで社長の失踪により、すべての
業務が滞り、父たちも困ってしまう。
それを知った上原謙は会社に帰ることにして「めくら判は部下を信じる証」と悟るのだった。

こんな感じ。
まあ現代では社長がめくら判を押しているだけで会社が存続することなどありえないが
(いや当時だってありえなかったろう)ほのぼのとした御伽噺だ。
ラスト、会社に帰った文太郎は徹夜で机の上に山と積まれた書類に丹阿弥谷津子に手伝って
もらいながら判を押す。
朝までかかって書類に判を押し、最後に「ここに君に決済してほしい書類が入っている。
答えは屋上で待ってる」と文太郎は言う。
丹阿弥谷津子がその机の引き出しを開けてみると・・・
とこのくらいにしておこう。

出演は紀伊国屋物産の番頭(専務)役で古川ロッパ(めがねをしていないのでちょっと
分りにくかった)、交番の警官と婦人警官に小林桂樹と高峰秀子、缶詰工場の係長で
江川宇礼雄などなど。

あと加えて言うなら2007年9月に出版された「日本遺構の旅」に登場する渋谷の
東横デパートに本の数年だけあったロープウエイ「ひばり号」が登場する。
文太郎たちが東京散策に行ったときにのるのだが、途中で停電で止まってしまうという
アクシデント付き。
映画に出るくらいだから、こういうトラブルも珍しくなかったのか?
いや別に昔はひばり号に限らず、停電って時々あったよな。



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喜劇 百点満点


日時 2007年9月9日17:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松林宗恵
製作 昭和51年(1976年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


森繁久弥は代々木の小さな予備校の学長。
彼はこの代々木に以前から土地を持っていて、そこでスーパーをやりたかった
のだが、今はこの予備校の事務局長のフランキー堺らに勧められてあまりやりたくなかった
予備校を始めるにいたったのだ。
しかしもともとやる気がない上に実務は事務局長たちが仕切っていてやることがない。
仕方ないからスーパーの模型ばかり見ている毎日。
そんな予備校の学長や学生たちを交えた人情喜劇。

森繁久弥芸能生活40周年記念映画。
この映画は封切りの時にも見ている。藤岡弘の「大空のサムライ」の併映作だった。
70年代も後半になっており、プログラムピクチャから大作1本立て主義に
変わっていく最後の方の番組だ。

今回久しぶりに見直してみた。
(実は数年前にCS放送とかで見ているかも知れない)
フランキー堺がシークレットシューズをはいていることか、左とん平のコロンボ風
記者とか藤村有広のフランス語の先生とか割と覚えていた。
芸能生活40周年記念映画だから豪華スターの共演だ。
小林桂樹や高峰秀子、藤岡琢也や山岡久乃、竹脇無我、堺正章、草刈正雄、黒沢年男、
坂口良子、池上きみ子、伴淳三郎、三木のり平などなど。
ついでに社長シリーズ同窓会として森繁や小林桂樹の死んだ戦友として加東大介が
遺影での出演。

出演者らのテンポのいい会話芸は今見ても楽しく笑わせてくれる。
この出演者の間合い、とか会話の呼吸といったものはやはり名人芸だ。

ただ初めてみた中学生の頃も面白くはあったが、不満なこともあった。
それは当時仕掛けの大きいアメリカ映画も見始めていたので、会話だけで笑わせる映画には
しょぼくささ(当時はそう思った)を感じたのだろう。
同じ喜劇でも「ピンクパンサー」のような大掛かりな体を張った笑いのほうが好き
だったんだろう。

実は今でもこういう森繁の社長シリーズは面白くもあるし、嫌いではない。
しかしこういうシリーズを何本も作る安易さは日本映画のしょぼさを感じて、面白くもあるが、
嫌いな感じもする。

昔よりは楽しめるようになったが、「こういう映画ばかり作っていたから日本映画は人気が
なくなったんだ」という気がしないでもない。
その気持ちはいまでもある。



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豚と軍艦


日時 2007年9月9日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 今村昌平
製作 昭和36年(1961年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


横須賀の三島雅夫を親分とする弱小ヤクザは、最近の横須賀の不景気のために
米軍の残飯をもらい下げて、豚の飼育に手を出した。
しかし子分の一人は組の金を持ち逃げするわ、米軍からの残飯の払い下げを手引きして
くれた男は金だけもらってハワイに帰ってしまうわ、強面の子分(丹波哲郎)は
病気で入院し、自分は胃癌だと信じているわと散々だ。
この豚の飼育で一旗あげようとするチンピラ(長門裕之)に、組長の殺しを押し付けて
幹部たち(小沢昭一、加藤武)らは豚を親分から持ち逃げしようとするのだが・・・・

今村昌平の有名な映画。
今回、丹波さんの有名映画ということで初めて鑑賞。
でもやっぱり今村昌平はどうも肌が合わない。
この人の映画を全部見ているわけではないのだが、今までで面白かったのは「黒い雨」ぐらい。
ヤクザの裏切りぶりをコミカルに描くなら「仁義なき戦い」のほうがはるかに上だし、
正直、それほどいいとは思えなかった。

ただしラストでどぶ板通りを豚が駆け抜けるシーンはまあ面白かったが、予想していた
ほどの勢いは感じなかった。

そんな中でもこの豚の飼育をきっかけに一旗あげようとする長門裕之のチンピラ
ぶりがいい。
いつもひょろひょろと落ち着かずに体を動かしているのだが、その辺の軽妙さが
面白かった。
ラストで米軍相手に商売をしている自分の女と横須賀駅で待ち合わせて川崎に行って
やり直そうとするのだが、女はいつまで待っても長門裕之は来ない、という
ラストは日活的なのだが、描き方が日活っぽくないですね。


そして丹波哲郎。
組の幹部の4人の中では一番の強面なのだが、時々「うっ」と胃の辺りを押さえて
痛がっているシーンが実に面白い。
実は胃潰瘍なのだが本人は癌と信じきり、自殺しようと列車がやってくる線路に飛び込むの
だが、思わずよけてしまう情けなさ。
丹波哲郎の中でも珍しく情けない役で面白い。
また列車をよけた時に線路脇の看板に抱きつくのだが、その看板が「日産生命」という
保険会社というのがジョークが利いている。
丹波さんの本によればこのシーンは制作費がなくなって知り合いの日産生命の社長に
広告費としてお金を出してもらったとか。



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エマニエル夫人


日時 2007年9月7日
場所 DVD
監督 ジャスト・ジャカン
製作 1975年

(詳しくはキネ旬データベースで)


ある年代の人にはこの映画は衝撃的ではなかったろうか?
封切られた頃は私が中学生のころだ。
有名な籐の椅子に上半身をあらわにしたシルビア・クリステルの裸身が実に衝撃的だった。
今見ても彼女の体はとてもセクシーだ。
映画史に残る裸身だと思う。
公開当時は中学生だったから、当然のごとく映画は見ていない。
ただ街角にあったポスターや映画館の大看板は実に生々しく記憶に焼きついている。
(今は自主規制があって、乳首の映った写真はポスターには使わないことになっているそうだが)

R指定でも成人映画指定でもなかったと思うから、入ろうと思えば入れたのだろうが、とても
恥ずかしくて入らなかった。
しかし「ロードショー」とかのグラビアや記事はよく見たねえ。
後にテレビ放送があって(ゴールデンタイムの放送もあったが、私が見たのは日曜の昼間とか
だったと思う)そこで見たときは当然、トリミング等で話の内容はわかるものの、ヌード自体は
あまり見せなかった。
で、今回のDVDで初めてその全貌を見たのだった。

セックスシーンは意外と時間は短く、シルビア・クリステルの顔のアップなどが多いから
実はそれほどエロではない。
あっさりしたものだ。
多分、映画雑誌のグラビアや映画館のロビーカードをよく見ていたので、そちらのほうが
目に焼きついているのだろう。

それにしても今回DVDで見て気づいたのは映像の美しさだ。
シルビア・クリステルの裸身が美しいといっているのではない。
自然光を主に使って撮影された映像は実に自然な美しさがある。
またカットの中に赤いものがワンポイント使われているカットが多い。
赤い帽子、赤いシャツ、スカッシュのシーンでの壁の赤の線などなど。
共通点はないのだが、カットカットの要所に赤が使われ、それがいい色のアクセントに
なっている。
カメラマン出身のジャスト・ジャカン監督ならではの色彩設計だろう。

そして音楽。
主題歌は大ヒットしたがそれも納得。
なんともいえない甘美なメロディだ。

最後になんと言ってもシルビア・クリステル。
裸身もきれいだが、表情がなんともいい。
わがままな女王のような表情もあれば、ビーに赤い帽子をかぶらされるときのいたずらっ子の
ような子供っぽい表情など実にチャーミング。

70年代後半という時代だからこその映画で、今同じものを作ってもヒットはしないと思う。
時代、監督、主演、撮影、音楽、すべてが奇跡的にクロスオーバーした上でのまるで魔法の
ように誕生した映画だった。
映画史に残る映画であることは間違いない。



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廃市


日時 2007年9月1日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 大林宣彦
製作 昭和59年(1984年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


大林宣彦作品の常連である峰岸徹さんを見たくて借りてみた。
現代なのか、あるいはちょっと過去なのか判然としない設定だが
中年男・江口の回想のナレーション(クレジットにはないが多分大林宣彦)バックに
映画は始まる。
江口は大学生の頃に卒業論文を書くために親類の知人の家でひと夏を過ごす。

町は町中に堀が張り巡らされているさながら「日本のベニス」だった。
お世話になる旧家は立派な家で安子(小林聡美)という若い女性とその祖母が
住んでいた。安子には姉夫婦がいるようだが、一緒には住んでいないらしい。
江口はこの町の静かな、レトロな雰囲気が気に入ったが、周りの者たちは
「ただの古臭い寂れていく町だ」と言っている。

映画の紹介はこのくらい。
実をいうと大林映画って「理由」など一部を除けばあまり好きでないのだよ。
ちょっと趣味じゃないとしか言いようがない。
この映画も安子の姉・郁代とその夫直之(峰岸徹)は別居していて、その別居の
理由が直之は郁代を愛しているのだが、郁代はそれを信じてくれない、みたいな
心のすれ違い。

かといって単なる恋愛ドラマではなく、この町の不思議な雰囲気がこの不思議な
人間模様も有、にさせてしまう不思議な魅力がある。

出演では峰岸徹。
直之は妻と別れて別の女と暮らしているのだが、そのことについて「あなたは私の
ことをひどい男と思っているんでしょうねえ」と切々と語るところがよい。
アクションのこわもてのイメージが強かった(僕にとっては)峰岸徹だが、こういった
切々と一人語りをするのが実によい。
そういえば「理由」も妹の死について思い出を語る兄の役だった。

峰岸徹、やっぱり侮れない役者だ。



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