2007年11月

ミッドナイトイーグル
ALWAYS
続・三丁目の夕日
大怪獣空中戦
ガメラ対ギャオス
犯人に告ぐ クワイエットルームへ
ようこそ
ボクは五才 オリヲン座からの
招待状
関白宣言 グッド・シェパード

ミッドナイトイーグル


日時 2007年11月24日16:00〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン8
監督 成島出

(公式HPへ)



戦場カメラマンだった西崎優二(大沢たかお)は以前は人の心を動かす写真を撮る男だったが
帰国して以来、人が変わったように写真に対する熱意を失っていた。
彼はある日、北アルプス上空で飛行機が墜落するのを目撃し、写真に撮る。
その写真を見た新聞記者落合(玉木宏)は何かあると直感し、その写真を写真週刊誌の記者で
西崎の義理の妹の有沢慶子(竹内結子)に送り、自らも西崎とともに北アルプスに入山する。
一方、日本政府は総理(藤竜也)を交えた緊急会議が召集されていた。
一体何が起こっているのか?


この映画の作者たちはなにか勘違いをしているのではないだろうか?
いや単に勘違いしているのは私かも知れないのだが。

北アルプスで起こった墜落事故、それは米軍のステルス戦闘機らしい。
前日横田基地で東洋人が射殺される事件があった、この関連は?と事件をミステリータッチで
東京篇は引っ張っていくのだが、恐らく爆弾か化学兵器が積まれていることは見に来る人は
全員わかっているので、ミステリーとしてそれほど引っ張れるネタではない。
むしろ観客には明かしておいて、主人公達がどう真相に迫るかに力点を置いたほうがよかったと
思う。

そして北アルプスだが、これがちっとも面白くない。
セリフにあるように「北アルプスは俺達の庭だ」とするならその土地勘を利用して、敵の
工作員を徐々に封じ込めていったり、(例えば雪崩を起こさせて倒すとか)するのが
人数が少ないのに人数の多い相手を倒していく面白さではないか?

そしてやっとステルス戦闘機にたどりつく。
で、爆弾をパスワードを東京から連絡を受けて解除されるのだが、あっさり解除しすぎ。
あそこは数々の爆弾映画のように、主人公たちが解体を試みて、トラップを潜り抜け
ながら、時にタイムリミットが短くなったりしながらハラハラさせるのが映画の常道だろう。

そして天候の切れ目をぬって大森南朋たちがヘリで駆けつけるがあっさり引き返す。
それはないだろ。だったら最初から出てこなければいいし、ここで出てきた以上は
無理やりでも降りるべきだ。

完全武装の敵に囲まれる主人公たち。
しかし、あれだけの人数の完全武装の集団が日本に潜入しているのだろうか?
数人単位の工作員(スパイ)レベルならわかるが、敵は総数100人ぐらいは最初は
いたのではないかと思われる量だ。
その辺も不自然だが、さらに言うならここも姿の見えない敵、ではなく、敵の司令官との
駆け引きがあってこそ、活劇としての面白さが増すと思うのだが。


で、総理の決断。
あのねえ、ナパーム弾もどきを打ち込んで敵を殲滅させるのはわかる。それをすると
大沢たかおたちが死んでしまうので、総理は迷う訳だが、あのねえ、それをしなかったら
日本人の半分が危険になるわけでしょ?しかも首都東京も壊滅するかも知れないんでしょ?
だったら、申し訳ないけど2人と比べたら絶対に迷うことはないと思うのだが・・・
こんなこと考える私のほうがおかしいのだろうか?
シドニー・ルメットの「未知への飛行」ではニューヨーク数百万市民を犠牲にする
決断をするのだよ。
それにしてはその決断はあまりにも軽い。

それに藤竜也の総理。
やたらと言葉が丁寧で腰が低い。
実は最近の藤竜也の活躍(「海猿」「力道山」など)をみていると迫力と貫禄の男、を
演じているので、総理大臣役には随分期待した。
でもこの映画のキャラクターでは向いていないよ。
何だが社会党の村山富市みたいな腰の低さだからなあ。

そしてこの後から観客に「泣け!」とばかりの間をとった演出。
まるで泣く時間を取っているかのようなまったりしたテンポ。
もう30分ぐらいあるぜ、ラストのもたつきは。

さらに言うなら大沢たかおの言い分。
「日本がどうとか、そんなことはわからない。しかし父親として自分の息子ぐらい
守らせてくれ!」という叫び。
あのなあ、ちょっと考えが狭くないか?というかバカ?
裏を返せば「自分の息子さえ救えればそれでよい」的な狭さであり、
納得いかないなあ。
第一そんな狭い了見の男なら「戦場カメラマン」なんて仕事は選ばないんじゃないか?
彼は自分が戦場写真を撮ることによって、戦争の悲惨さを伝えひいては戦争のない世界を
作る手助けをしたいと考える男ではないのか?
だったらそんな狭い了見はないだろう。

要するに数々の面白くなる要素を持ちながら、どこかに最初に間違えたので
全部狂ってしまった見本のような映画。
惜しかった。














ALWAYS 続・三丁目の夕日


日時 2007年11月24日12:15〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン3
監督 山崎貴

(公式HPへ)



話は前作の続き。
茶川(吉岡秀隆)が育てている淳之介を血縁にあたる小日向文世が引き取るかどうかが
話の中心。
茶川は自分にも淳之介を育てる力のある男だと証明するために芥川賞に挑戦する。
あと鈴木オートの住み込み従業員六ちゃん(堀北真希)が再会した幼馴染との恋、
などが描かれる。

決して悪い映画ではない。
心暖かい人に囲まれたハートフルストーリーだ。
だが2時間半の大作にする必要があるのか?
「男はつらいよ」のように2時間弱と同じくらいのボリュームのほうがもっと
すっきりした映画になったのではないか?

とにかく詰め込んだ要素が多すぎる。
「寅さん」を思わせる夢のシーン(ゴジラ)から始まってストーリー上には何の意味もなく
日本橋が登場する。
まるでVFXでの日本橋を見せるためだけに作ったシーンであるようだ。
まあ全体的にVFXで作った昭和30年代を見せるためだけのストーリー展開には飽きてくる。
前作はそれほどその「強引さ」がなかったのだが、今回は「今昭和ブームだから」「今回も
大ヒットを狙うから」という理由で「あれもこれもみんな入れろ!」と製作委員会の船頭たちが
口を出した結果かも知れない。

ストーリーの方もいまひとつ疑問が残る。
三丁目の住人達が芥川賞の選考委員に賄賂を使うことだ。
これは似合わない。
「寅さん」に登場するような柴又の人々は絶対に賄賂なんか使わないと思うよ。
それともこういう「これが大人の世界だ」という理屈で賄賂を使うことに罪悪感を感じない
中小企業のオーナーが昭和30年に結党した自由民主党政治を支えてきた、という裏テーマが
あるなら話は別だが、そんなわけでもあるまい。

それと茶川(吉岡秀隆)の元で貧乏をしながら淳之介を育てたがる理由がいまひとつ私には
理解できない。

確かに茶川のことを「君には才能のかけらもない」という小日向文世も言いすぎだが、それにしても
淳之介くんが頭もいいのなら金をかけて教育をさせてあげるべきだ。
「砂の器」はだってそうしたじゃないか!

「貧乏でも仲がよければよい」という結論に持っていくのはどうかなあ。
「今はいいけど5年先、10年先に後悔する」という理屈ももっともだと思うよ。

なんだか賄賂のことといい、自分達だけがよければいい、今がよければ将来のことなど考えない
というレベルの低い考え方が脚本の底辺に見え、いやだった。

他にも三浦友和は今回はストーリーとはほとんど接点がなくなる。
また本筋の方も吉岡秀隆が小雪とくっつくかくっつかないかとか六ちゃん(堀北真希)の
幼馴染との恋模様とか、鈴木オートにやってきた平田満の娘とか話を広げすぎ。
まあどれか一つに絞って、もう少し連作でシリーズ化したほうが話としては楽しめたのでは
ないかと思う。
要素を詰め込みすぎて話が散漫になった気がする。
もっと釈を短くして気楽なプログラムピクチャとしてシリーズ化するほうが、作品世界には
あっている気がするのだが。



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大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス


日時 2007年11月23日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 湯浅憲明
脚本 高橋二三
製作 昭和42年(1967年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


高速道路建設の用地買収でもめている富士山付近のある村。
ここでは欲にかられた村長(上田吉二郎)が村人を先導して土地の値段を吊り上げようと
していた。建設現場の主任(本郷功次郎)は東京の公団本社から工事再開の矢の催促だ。
そんな時、富士山が噴火、その河口付近から怪光線が発射され、航空機に事故が起こっていた。
調査に向ったヘリコプターもその怪光線のために真っ二つに!
それはなんと怪獣ギャオスから発射されたものだった!
ガメラも登場、いよいよ二大怪獣の激突が始まる!


ガメラシリーズ第三作。
シリーズ最高の面白さといわれているがそれも納得の出来。
何より対戦相手のギャオスが最高だ。
日本怪獣映画史上のベストテンに入る人気だろう。

ギャオスが光線を発して見事にかぱっと飛行機やヘリコプターや車が割れる様は
漫画チックで笑ってしまうのだが、ここは笑っていいものかちょっと苦しむ。
怪獣らしく恐怖に描いたほうがいい気がするのだが、子供を対象にしていたから
ここは笑っていいのかも知れない。

その割にはガメラとの対決ではガメラはギャオスの光線にやられてダラダラと緑の血を
流し、実に痛そうで残酷ムード。
ここは大人が見ても迫力があります。

そして最大の見せ場がギャオス捕獲作戦。
名古屋を襲ったギャオスとガメラが名古屋港で対戦した際に、ガメラに足をくわえられ、
自らの足を光線で切り落として逃げるという離れ業。
そのことからギャオスは太陽光線の紫外線に弱いと判断される。
そこで日の出の直前にギャオスを誘い出し、なんとか逃げ出さないようにして・・・
と考え出されたのが、ギャオスの巣の近くのホテルにある回転展望レストラン。
このレストランの回転に高速モーターを取り付けて、人間の血と似た人工の液体で
ギャオスを誘い出し展望レストランを回転させてギャオスの目を回し飛べなくなったところで
日が昇ればギャオスを倒せる、という大作戦。

いいねえ、こうやって人間が力を合わせて怪獣と対決するシチュエーションは好きですね。
そして日が昇り始めてもう少し!というところで回転モーターや変電所が火を噴く、というのも
映画の王道です。

ラスト、ガメラによって富士山火口に落とされるギャオス(そういえば富士山が噴火しただけでも
大変なことなのに、ギャオス=ガメラ騒ぎのせいか、ドラマ上重要視されていない)。
そのギャオスの最後の姿は見せずに徐々に弱っていく光線で「ギャオスの断末魔です」と
示したのはギャオスを再び登場させるための吹く伏線か?

ガメラと少年の友情という「ガメラ=子供の味方」という路線も確立し、そのせいで主人公である
筈の本郷功次郎がイマイチ活躍がなくなるという矛盾も抱えているのだが、平成ガメラのライバルとなる
ギャオスの初登場映画として記憶されるべき面白さだろう。



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犯人に告ぐ


日時 2007年11月17日18:40〜
場所 シネマスクエアとうきゅう
監督 瀧本智行

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6年前、横浜で起こった誘拐事件、その犯人を取り逃がし誘拐された子供も殺されてしまうという
最悪の結末だった。その事件の責任をとって捜査責任者だった巻島(豊川悦史)は今は田舎の
足柄署に飛ばされていた。
折から半年前から起こっている川崎の自動連続殺害事件は未解決のまま、世間の批判を浴びていた。
新しく県警本部長になった曽根(石橋凌)はかつての誘拐事件時の刑事部長だったが、なんとか
県警本部長に返り咲き、巻き返しを図っていた。そこで巻島をテレビに出し、一般からの情報を
呼びかえることに。
テレビ当日、巻島は打ち合わせとは違って犯人を挑発する呼びかけを行った!!

面白い!
緊張感の漂うサスペンスでスリリングな展開だ。
最近なかった大人のサスペンス映画だ。

児童殺害事件の犯人は誰か?サスペンスだけでなく、警察内部の手柄の奪い合い、テレビ局の
視聴率競争、などの人間関係が大きく交錯するドラマが展開される。
児童殺害事件では遺族はまったく登場しない。
この事件を解決することによってそれを利用して己の利を追求するものばかりが登場する。
県警本部長しかり、テレビ局しかり(ライバル局もだ)、元警視総監の息子植草(小沢征悦)しかり
これらの人物の駆け引きは見逃せない。

正直、これらの犯人逮捕を単なる出世や欲望を満たすための道具としか思わない連中のドラマは
やや見慣れてきたし、あまりに汚い話でいやになる部分も多いし、食傷気味な気がしないでもないのだが、
それでも役者がいいので一気に見てしまう。
(ニュースキャスター役の崔洋一など実に様になっている。相変わらず笹野高史がいい。
この人が出てくるとほっとするものがある)

でも何といっても犯人逮捕に近づいていくあたりが面白い。
一通目の犯人からの手紙を書いたのは誰か?何故エンジ色をカーキ色と言ったか?
6年前の横浜の事件との関わりも描きながら、事件は一気に解決へ。
しかし犯人逮捕の瞬間という見せ場を描かないという裏技を使う。

ある意味この場合、犯人や事件は重要ではなく、この事件に対して関わったすべての人間はどう
対応したか?にドラマの主軸が置かれているんだろう。
「ゾディアック」も面白かったが、あれは真犯人が捕まらない、未解決のまま、という消化不良感が
残った。
この事件ではとりあえず、事件は解決し、そんな消化不良はない。
しかしラスト、病室で巻島は何かに気づいたように目を見開く。
あれは何を意味するのか?

原作が発売された頃には時間がなくて読まなかった。
しかし今度は読んでみたい気になってきた。

今年のベスト5に入るかも知れない面白さだった。



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クワイエットルームへようこそ


日時 2007年11月11日13:25〜
場所 新宿ジョイシネマ3
監督 松尾スズキ

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28歳の雑誌ライターの明日香(内田有紀)、締め切りに追われる毎日だったが、
同棲相手でテレビの放送作家鉄男(宮藤官九郎)とは最近うまく行かない日々。
ある日彼女は気が付くと精神病棟に拘束されていた。
どうやら酒と睡眠薬を飲みすぎて倒れたのを自殺と間違えられたらしい。
この病棟には拒食症(蒼井優)やら過食症やら一風変わった人ばかりだ。


クワイエットルームとは精神病棟の中でも暴れる危険性のある患者を拘束させる特別室のこと。
明日香はここで出会う人々おかしな人々に振り回されていくのだが、精神病棟を舞台にすれば
おかしな人々はいっぱい出しやすいから笑いはとりやすい気がする。
その点、ちょっと設定が安易な感じもします。
精神病棟を舞台にすればどんなおかしな人を出しても、「アリ」ですからね。

明日香は過食症の西野(大竹しのぶ)にタバコを貰ったことがきっかけで彼女に自分が
ここに至った今までの人生を話し始める。
「周りにアホが多かったのはアホが好きだったから」の言葉に象徴される通り、彼女はおよそ
真面目にコツコツという生き方ではなく、「明るく楽しく」酒に飲まれるような日々を
送ってきた。
こういうタイプの女性はあまり好きではないし、「嫌われ松子の一生」の二番煎じ的な
「不幸な女の半生」みたいな感じで、前半は好きになれなかった。

しかし全体を通じてなんといっても内田有紀がいい。
かつての「アイドル」の枠から抜けきった弾けた、どんなシーンにも挑戦する勢いを
感じられ、彼女、及び彼女のスタッフのいい変化を感じられ、すごくいい。
私の中では今年の主演女優賞候補と言っていい。

また助演の俳優たちもそれぞれが持ち味を発揮している。
大竹しのぶは大女優の貫禄だし、妻夫木聡も助演だからこそ出来るハチャメチャな役が
実にいい。
彼も主演ではどうしても正統派の役になってしまう(させてしまう)がこうした
助演でいつもとは真反対の役を演じることによって、役柄の域を広げていって欲しいと思う。

映画は後半になり、西野の嫌がらせによって彼女のこの病院に来るにいたった経緯が暴露される。
そして明日香は鉄男と別れ、人生のやり直しをはかる。
このあたりの流れは内田有紀も堂々としたもので、本当にいい。
また「嫌われ松子〜」と違って、主人公が再生の道を力強く歩き出すので見ていて爽快感がある。

別れ際の色紙にある文章を書く蒼井優。この一文が実に効いている。
ラストシーンは明日香とすれ違いに一人の患者が運び込まれる。
その患者が・・・というちょっと意外なエンディング。
最後まで飽きさせず、お固く言えば人生の難しさを感じさせるラストだった。
(という風にストレートに言ってないのが、この映画のいいところなのだが)

ちなみにこの映画を見た新宿ジョイシネマ3では内田有紀や妻夫木が着ていた衣装、
退院時の色紙、妻夫木が明日香のために(勝手に)代筆した原稿などの小道具が展示。
この映画館で見てよかったです、ハイ。



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ボクは五才


日時 2007年11月10日17:00〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 湯浅憲明
製作 昭和45年(1970年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


太郎(岡本健)は四国高知の田舎に住む5歳の男の子だったが、おじいちゃん(左卜全)
おばあちゃん(北林谷栄)や叔父叔母いとこなどと暮らす大家族だった。
しかし肝心の太郎の母親は太郎が小さいときに亡くなり、父親(宇津井健)は大阪の建設現場
に出稼ぎに行っていた。
寂しさを我慢していた太郎だったが、かつて父に大阪に連れて行ってもらったときの描いた
たくさんのスケッチをたよりに一人で大阪に行くことを決意する。

この映画、公開当時小学校で見させられた。昔は学校の講堂などで文部省特選みたい映画の
上映があったものだ。
そんなにたくさんそれで映画を見たわけではないのだが、この映画のことはよく憶えている。
自分より年下の5歳の子がたった一人で高知から大阪に行くという大冒険をする物語に
信じられないながらも、劣等感にも近い驚きを感じたのだ。
そんな感じで記憶に残る映画だったので、数年前に映画専門チャンネルで見直したが、
再見したくて今回見る。

これはもう「敵中横断三百里」の世界で、戦争映画にあるような困難また困難の旅の連続だ。
面白い。
まず第一の関所が地元の路面電車の停車場近くのタバコ屋のおばさん(ミヤコ蝶々)。
このおばさんが幼稚園児が道を渡るときは横断歩道の車を止めて園児を渡らせる親切なおばさん。
太郎が一人で電車に乗ろうとするならすぐに見つかってしまう。
たまたまおばさんがタバコ屋の店にいないので、これ幸いと電車に乗ろうとしたら・・・
という展開。

やっとのことで高知駅まで行ったら、捜索願が出ていてあっけなくつかまる。
そして今度は配送のトラックに乗って・・・・
高松でフェリーに乗ろうとするのだが、なかなか目印が着いた船が来なくて・・・
船は乗ったのに肝心のスケッチブックを無くしてしまい・・・

とまあ娯楽映画として本当にこの小さな大冒険は飽きさせない。
しかも太郎の家出を察して大阪に行ったおじいちゃんとおばあちゃんは梅田の地下街で・・・
というオチがつく。

役者ではミヤコ蝶々、左卜全、北林谷栄などの脇役陣が映画を盛り上げる。
お父さん役での宇津井健はほとんどラストに顔を見せるだけの特別出演だが、作品に
厚みを持たせる。


ロードムービーの小さな名作。
お勧めの一篇です。



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オリヲン座からの招待状


日時 2007年11月7日19:15〜
場所 新宿バルト9・スクリーン7
監督 三枝健起

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昭和30年代前半、京都の地元の映画館に留吉(加瀬亮)という17歳の少年が転がり込む。
夫婦二人(宇崎竜童、宮沢りえ)の二人で経営している映画館だったが、やがて館主である
主人が亡くなる。残った未亡人と留吉の二人で経営を続けるオリヲン座だったが、近所の
者は留吉と未亡人の仲をあらぬうわさを立てる。


映画は現代から始まり、この映画館に子供のころ通って後に結婚して今は別居している夫婦
(田口トモロヲ、樋口可南子)の元にオリヲン座閉館の通知が来るシーンからだ。
原作ではこの夫婦の話が大半らしいので「オリヲン座からの招待状」でいいのだが、
原作では少ししか登場しない留吉と未亡人の話になったため、タイトルと話があっていない。
(ちなみにこの原作、「鉄道員(ぽっぽや)」の本に納められているため読んでいるはずだが
まったく記憶にない)

それはともかく、映画で「映画を愛してがんばった」、という話を描くのは手前味噌過ぎて
私は好きではない。
「映画が好きだから、つらくてもこの仕事を続けてきた」と自慢話をされても困るのだ。
映画以外の媒体(小説など)で褒め称えられるならともかくねえ。
最後には年をとった留吉(原田芳雄)が「ピンクややろうかと思った時期もあったが、
がんばってきた」という。
そういう風に自慢話をされるのはとにかく甘えである。

「ALWAYS 三丁目の夕日」をピークとする昭和ブームに乗っかったような映画だが
やはり「三丁目の夕日」に比べると「東京タワー」とか「日本橋」のような目立つものが
ない分、映画としては見劣りを感じざるを得ない。
純愛ブームとこの昭和ブームに乗っかった企画で「二兎を追うものは一兎をも得ず」の
ことわざの通り。

「無法松の一生」(私も未見だが)をモチーフにして話を作ってあるのはいいんだが、
とにかく、映画人の「昭和30年代はよかった」式の話でとにかくいやだ。
そんなにいい時代でもなかったと思うよ、ほんと。

昭和40年代〜現代に至るまで、どうこのオリヲン座が経営してこれたのか実に不思議。
建物の老朽化とかバブル景気の頃の地上げとか、困難はいくらでもあったろうにまったく
出てこないのも納得いかない。

しかも画が汚くてさらに見ていていらいらする。
仕事帰りに見たが、さらに疲れさせる映画だった。



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関白宣言


日時 2007年11月3日17:10〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 松林宗恵
製作 昭和54年(1979年)

(詳しくはキネ旬データベースで)



広告代理店の制作部のうだつの上らない新入社員・宇田まさし(さだ繁理)は友人(新井康弘)
の紹介で久美(名取裕子)という美しい女性と知り合う。
たちまちほれ込んだまさしだったが、久美の父親は自分の上司の鬼部長(財津一郎)の娘だった!
果たして父親の許しを得ることが出来るのか?!

当時大ヒットしたさだまさしの歌、「関白宣言」の映画化。
本来ならさだまさしが主演といきたいところだったが、スケジュールの都合でそれは実現せず、
代わりに実弟の佐田繁理が主演することに。
さだ繁理はこの後、俳優になるわけでもなく表舞台には出なくなった。

この映画の冒頭、制作発表記者会見の模様がある。
実際の記者会見のシーンではなく、映画用の記者会見らしいのだが、そこでさだまさしが
「私は雑事で時間が取れないので、弟が主演することになりました」といわれて繁理が飲んでいた
水を噴出しさだまさしの顔に水がかかるというカット付き。

映画のほうはホントどうってことない映画で(公開時は百恵友和映画の併映の添え物だった)
財津一郎の部長に娘との交際を申し込むが断られたさだは自分の気持ちを手紙に書き
(その内容は「関白宣言」の歌詞のまま)財津一郎はその真摯な気持ちに打たれ結婚を許可すると
いうもの。
そしてその後で財津一郎は「君を一度殴らせてほしい」というが殴れない、というシーンが財津の
見せ場。
この「一度君を殴らせてほしい」というのは「関白宣言」のあとのさだまさしの曲「親父の一番
長い日」の歌詞からのいただき。
実際、このシーンで「親父の一番長い日」のメロディが流れる。

あとは先日の丹波義隆さんのグリソムギャングでのトークイベントの際に、「この映画で松林監督は
『返事はハイ、ではなく、『がってんだ!』というように」という指示があって、現場はなんだか盛り上がった
そうだが、映画の途中の草野球のシーンでも選手のさだ繁理、丹波義隆、新井康弘が出ているシーンで
財津の監督がハッパをかけると「がってんだ!」と答えるシーンがあって、笑いました。

まあ公開当時は「こんな安易な映画ばかり作っているから日本映画はダメなんだ!」と怒っていたので
見なかったのですが、面白いことは面白いですが、まあその気持ちは変わらなかったですね。



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グッド・シェパード


日時 2007年11月3日11:15〜
場所 新宿プラザ劇場
監督 ロバート・デ・ニーロ

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エリート学生だったエドワードはその大学の優秀な学生のみが会員になれる秘密結社
スカル&ボーンズのメンバーに選ばれる。
やがて彼は自分の教室の教授がナチのスパイの疑いがあるから内偵して欲しいとFBI
から依頼を受ける。
やがて第2次世界大戦。大学を卒業した彼は政府のスパイ機関で働くことに。
その組織はCIAの前身のOSSであり、エドワードはCIAの創立メンバーと
して仕事にのめり込んでいくのだった。
そしてキューバ危機の時代、アメリカの作戦が外部に漏れる。
そんな時エドワードの下に、ある男女がホテルのベッドで愛し合っているときに
その情報らしいものを男が口走ったフィルムが届けられる。
そのフィルムを分析し、男の正体を突き止めようとするのだが。

決して悪い映画ではないのだが、この映画2時間47分もある。
かなり大胆な省略をしたカットつなぎもあるのだが、それにしてもこの長さだ。
つまらなくはないが、正直ちょっとだれる。

ネタバレするから未見の方はここからは読まないでいただきたいのだが、このホテルの
男が実は自分の○○だった、という話。
そして男はこの女性と結婚を決意するのだが・・・・
という展開になる。
そうなるとエドワードの下した決断は唯一つ、となり、実際にそうする。

見ていて始終思っていたのはこの映画、やってることは増村保造の「陸軍中野学校」と同じ。
「グッド・シェパード」の方が20年にわたるスパイ生活の内容を丁寧に描いてるので
3時間もかかるのだが、結局描きたいことは「陸軍中野学校」の長さでも充分伝わるの
ではないかと思う。

40年代から50年代のアメリカが舞台なのだが、この辺のアメリカの歴史、というものを
肌で感じているアメリカ人とそれを知らない日本人ではちょっと感じ方が違うのかも知れない。
例えば「ALWAYS 三丁目の夕日」を日本人が見るか、外国人が見るかではあの「時代の空気」
というものを感じられるかどうかで映画自体の評価も変わってくるような気がする。
そういった意味では日本人には長い3時間でもアメリカ人にはあっという間の3時間だったのかも
知れない。
また「グッドナイト・アンド・グッドラック」やこの映画のようにアメリカ映画でも50年代
の舞台が増えているような気がする。
(未見だが「さらばベルリン」など)
アメリカ人も日本人と同じように50年代を懐かしんでいるのか?

主演はマット・ディモン。
アイドル俳優みたいな軽い役者だと思っていたが、主人公を19歳から40過ぎまで演じて
いて堂々たるものだった。
彼に対する見方を変えるべきという気にさせられた映画だった。



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