2008年5月

殺しの烙印 けものみち 素敵な片思い 女殺し油地獄
ミスト 隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS さらばモスクワ愚連隊 相棒 劇場版 絶体絶命!42.195km東京ビッグシティマラソン
クレヨンしんちゃん
ちょー嵐を呼ぶ金矛(きんぽこ)の勇者
大いなる陰謀 砂時計 さよならエマニエル夫人

殺しの烙印


日時 2008年5月31日16:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 鈴木清順
製作 

(詳しくはキネ旬データベースで)



殺し屋No3の花田五郎(宍戸錠)はある男(南原宏二)を長野まで護送してもらうよう依頼
を受ける。
途中で襲撃を受け、今回の仕事を組んだ春日(南廣)は敵に倒されつつも仕事をやり遂げる。
また新たな依頼を美しい女・美沙子(真理アンヌ)から依頼を受ける。
ある外人を殺して欲しいというものだった。
ライフルで狙撃するその一瞬の瞬間、スコープの前に蝶が止まり、彼は目標をとらえることが
出来ずに失敗する。
やがて殺し屋No1から狙われる羽目になるのだが。


鈴木清順が日活を追われる羽目になった殺し屋もののハードボイルドの怪作。
学生時代(それこそ20年以上前)に文芸以下で見ていると思うが今回は2回目。
前は「わけわからん映画」と思ったが、今回はそうでもなかった。
ただ最初の長野行きなど敵との駆け引きをもっと見せるとか、例の蝶の失敗ももっと
丁寧に蝶が留まって失敗するさまをじっくり見せれば僕の気に入る映画になったと思うが、
そういうストーリー的な面白さはまったく追求していない。

「蝶が留まって失敗した」というのはホンの1秒ぐらいスコープの前に蝶が留まったカットを
インサートするだけでまったく解りづらい。
お話のほうは「殺し屋に狙われだして最初の対決で車の下に隠れてその車を自分でロープ
で引きながら進んで敵の弾を避ける」など面白いシーンも多い。
ただそういう所を面白く見せようとしたりしないのが鈴木清順。

ご飯の炊けた匂いをかぐと興奮するとか(それも日本人なら解ります)、真理アンヌの
蝶の標本のある部屋とか、螺旋階段でのセックスとか細部のほうが印象的。
多分、清順にとってはストーリーは別に関心がなく、イメージの面白さ、ショットの美しさを
描いていきたかったんだと思う。

ストーリーの縛りから解放されたショットとしての魅力を追求するのが清順さんなのですね。
そう思って最初から見ればきっともっと面白く感じられると思う。
DVDで再見の価値はありますね。



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けものみち


日時 2008年5月25日16:40〜
場所 ラピュタ阿佐ヶ谷
監督 須川栄三
製作 昭和40年(1965年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


旅館の女中、民子(池内淳子)は病気で寝たきりの夫を看病しながら働く生活だったが
常連客のホテルの支配人小滝(池部良)に誘われ、夫を火事に見せかけて殺害、
旅館をやめ小滝についていくことに。
小滝は弁護士の秦野(伊藤雄之助)を紹介し、秦野は民子を鬼頭(小沢栄太郎)という
政界の影の実力者の下に連れて行く。
鬼頭は民子を気に入り、寝たきりの自分の相手をさせる。
しかし警視庁の刑事久垣(小林桂樹)は民子の夫の死を、民子による殺害と
疑い始めた。


松本清張原作の映画化。2時間を越える大作だ。
前半は単なる女中として家に帰れば病気の夫に浮気をネチネチ詮索され、ねちっこく愛撫
される生活に嫌気がさしている民子がのし上がっていく様が描かれる。
最後までこの女の成り上がり一代記になるかと思ったら、途中から小林桂樹の刑事の比重が
大きくなり、民子は物語から一時はずれ、また民子の話に戻ってくる。
このあたりの脚本の混乱、というか乱れが惜しい所。
民子が次々と男を乗り換えていつしか政界の裏社会に君臨する姿を描いていったほうが
僕は満足したかも知れない。

小林桂樹が珍しく職務に必ずしも忠実でない刑事を熱演。
ただしやはり小林桂樹にはこういった役は似合わない。
たまにはいいのかも知れないが、その辺が惜しい。
あと小沢栄太郎と民子の夫役の森塚敏。
池内淳子の足にしゃぶりつく好色ぶり(変態ぶり)を発揮。
これは見ものでした。
そして黒部進(「ウルトラマン」の前ですね)が鬼頭の家の用心棒役で出番は少ないが
強烈な印象を残す。

ラスト、民子と黒部進を放火で殺してしまう池部良の高笑いが印象に残る。
後に「金環蝕」や「華麗なる一族」で政財界の内幕ものがはやるが、この時代にしては
早い作品だったのではないか?
その手の大作の先駆け的作品だったともいえるなあ。
松本清張も「迷走地図」という政界ものを後に手がけることになるし。



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素敵な片思い


日時 2008年5月18日16:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 森山茂雄
製作 2006年(平成18年)


暗黒街の殺し屋、祖父江は舎弟の勝也との関係を楽しんでいるときに依頼が入る。
パチンコ店の売り上げを従業員のシローが持ち逃げしたというのだ。
新宿2丁目のゲイタウンでシローを見つける祖父江たちだが、逃げられてしまう。
シローはゲイバーのママのマギーに助けられ、彼の部屋で祖父江たちにやられた
傷を治すことに。
シローはマギーを信頼し、ある女性にお金を届けてくれるよう頼む。
祖父江たちはマギーのことを嗅ぎつけ、マギーを締め上げるのだが。


久々にみたホモ映画。
グリソムギャングでは森山監督特集という企画で上映。
暗黒街を舞台にしたホモ・ピンク映画。
最近日本のこういう暗黒街もの的な映画がなかったので、その分楽しんでみることが
出来た。

この映画に限らずゲイものはみんなそうなのだが、役者がそれしかいなくて仕方なく
キャスティングした的な感じがするので、脳内変換を行わなければならないのだよ。
シローが魅力的な男なので、マギーは惚れこんで献身的な介護をしていくわけだが
これが別になんてことない男なので、見ているこっちがそういう気にならないのだな。
説得力がない。

だからこれが妻夫木聡でるとか滝沢秀明であるとか、そういう風に「この役者が演じて
いたら」と脳内変換をして理解しないと映画が理解できなくなる。

結局シローがお金を届けて欲しかったのは病気の妹で、彼女の病気を治すために
金を盗んだわけで、その金を届ける途中で息絶えてしまう。
それを知らないマギーはシローを追いかけている祖父江たちに車で体当たりして
自らの命をもってシローを助けるというエンディング。

暗黒街+ラブストーリーでキャスティングの不満を除けば、ありきたりといえば
ありきたりだが、プログラムピクチュアとしては充分楽しめた。



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女殺し油地獄


日時 2008年5月15日
場所 録画DVD(日本映画専門チャンネル)
監督 堀川弘通
製作 昭和32年

(詳しくはキネ旬データベースで)


江戸時代の大阪。
油屋のせがれの与平(中村扇雀)は放蕩三昧で、遊女小菊に熱を上げていた。
その日も小菊を連れて祭りに行こうとしたが、小菊は一緒に行ってくれない。
それもそのはず、小菊は別の客と祭りに来ていたのだ。
それを見つけた与平はその客を殴りつけて大喧嘩。それだけでなく、投げた泥が
侍にあたり、着物を汚す大失態に。
そんな与平を実の母親(三好栄子)と義理の父親(中村鴈治郎)は勘当することに。
しかし与平は借金をしてまで小菊の元に通っていたのだが、その借金の期限が迫っていた。
与平は以前から自分に優しくしてくれた近所の同業者の豊島屋のお吉(新珠三千代)に
肩代わりを頼みに行くのだが・・・・


近松門左衛門作品の映画化。
堀川監督の本によるとこの映画はなんと太陽族映画としての企画だったと言う。
そりゃ金持ちの息子が放蕩する、という点では「太陽族」なのだろうが、それって
ちょっと強引過ぎないか?

私の中ではこの映画は誰がなんと行っても「黒い画集」である。
ある男がちょっと遊ぶ金を高利貸しから借りたわけだが、返すつもりでいたのに
いつも間にかボタンの掛け違いのように転がっていき、ついには殺すゆえんのない人を
殺してしまう。
松本清張の「黒い画集」の中にある「坂道の家」を思い出した。
この「坂道の家」も遊ぶことを知らないでいたある商店主が取引先に連れて行って
もらったキャバレーのホステスに熱を上げてしまい、財産を全部その女に貢ぎ、
果ては他に男を作られてしまい、最後には殺人を犯してしまう話だ。

「女殺し油地獄」も全く同じだ。
堀川弘通、やはりこういった普通の人間がエアポケットのような犯罪のポケットに
落ち込んでしまうサスペンスが見事だ。



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ミスト


日時 2008年5月10日13:20
場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン6
監督 フランク・ダラボン

(公式HPへ)


アメリカ田舎町。この町は嵐に襲われ主人公の家も庭の木が倒れて窓が壊れてしまう。
まだ小さい息子を連れてスーパーに食料品の買出しに行く。
しかしスーパーから帰ろうとした頃、町は霧に覆われまったく視界が利かなくなってしまう。
そして「霧の中には何か怪物がいる!」と言って怪我をした男が飛び込んでくる。
主人公がスーパーの裏口を見ると何かがシャッターを叩いてみる。
不信に思った従業員達がシャッターを開けると怪生物の触手が襲ってきた!!


スティーブン・キング原作「霧」の映画化。
原作は未見だが早速読んでみたい。
なにやら怪生物の登場となると怪獣映画ファンとしては血が騒ぐのだよ。

初日に見に行ったが期待を裏切らない出来。
怪生物が初めは一部しか姿を現さず、実態がわからないので観客の恐怖心をあおる。
また主人公にしても停電し、ラジオもテレビも受信出来ず、霧で先が見えないとなると
「外は一体どうなっているのか?アメリカ中がこうなっているのか?それともこの
スーパーの周りだけなのか?」といったことが解らずますます不安になってくる。

そして中盤の昆虫型怪生物の侵入。
最初の登場の時、いきなり窓にドサッを音を立てて張り付くカットでは音の大きさも
あるが怖くて椅子から飛び上がりましたよ。
また薬局のシーンでは蜘蛛型怪生物も登場。
色々な怪生物が登場することがますます事態を不安に陥れる。

いやいや敵は外だけではない。
みんなの心はバラバラになり「これは神の審判なのだ!」と宗教の即席教祖まで現れる始末。
もう「マタンゴ」であり「連合赤軍」だ。

そして驚愕のラスト。
まあアンハッピーエンドにしようと思ったらああなるしかないかも知れませんねえ。
但し「アンハッピーエンドのためのアンハッピーエンド」の気がしてああいう結末をつけることの
意味、みたいなものが感じられず、私としてはイマイチですね。
DVD化されたら「もう一つのラスト」として救いのある結末もよかったかも知れません。

登場人物のキャラクターとしてはスーパーの従業員でなにやらもさっとした小男がいい。
また個人的には主人公が映画のポスターを画く絵描き、という設定だが、この職業設定が
映画に何の意味があるかよくわからず不満。
主人公の職業上、あるいは趣味の上で詳しいことがこの事態の対処に役立つ設定でないと
意味がない、と考える人なので。

とはいっても面白かった事は事実。
今年いままで観た外国映画の中では一番面白かったかも?です。



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隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS


日時 2008年5月10日10:25〜
場所 TOHOシネマズ・六本木ヒルズスクリーン2
監督 樋口真嗣

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時は戦国。秋月は山名に滅ぼされ、秋月の姫と秋月の財宝の行方は知れない。
山名の国の金堀り師の武蔵(たけぞう=松本潤)は山名軍の過酷な労役から逃れて来た。
そんな時、木こりの新八(宮川大輔)と出会い、川で金の棒を拾う。
そこには秋月の紋章が!
これは秋月の隠し金だと近くを探しているときに、若い女(長澤まさみ)から弓で射られる。
武蔵と新八はふたりの前に現れた男・真壁六郎太(阿部寛)にとらえられてしまう。


ご存知、黒澤明の人気作品のリメイク。
樋口真嗣がこのリメイクに挑戦したわけだが、この映画のリメイクなんかしたって叩かれる
だけなのに、よく引き受けたものだと同情する。
予告編を見た感じではなかなかよさそうな感じなので期待半分、不安半分で初日初回を鑑賞。

これからあちこちで叩かれまくるだろうが、いやいや面白かったです。
もちろん「今年のベストワン」とは行きませんが、充分合格点ですよ。
実を言うとそもそもオリジナル黒澤作品も黒澤作品の中では出来はよくないほうだと私は
思っていたので、その欠点を修正してくれただけで充分満足だ。

その欠点の第一が前半が長いこと。
「姫と金を持っての敵中突破!」という話だと思っていたのにいつまで経っても旅に出発しないのだよ。
(1時間ぐらい経ってからの出発だ)
これはないよなあ、と思っていたので今回は15分ぐらいで旅に出てくれたので、もうそこで満足。

オリジナルの第二の不満点はラストにクライマックスがないこと。
小さな盛り上がりはたくさんあるのだが、例えば「七人の侍」のような大クライマックスが
ないのだなあ。
この辺も大いに気に入らなかった。
これがパンフレットなどを読むと樋口真嗣も同様に思っていたらしく、この辺も山名も砦を
作っていた、という設定でこの山名の隠し砦をクライマックスに持ってきた。

もうこの2点で私は樋口真嗣よくやってくれた、と満足なのだよ。

そして例の関所破りのシーンも高島(兄)を使って新ヴァージョンを作ってくれたり、六郎太の
両手離しの馬での追っかけも長澤まさみの流鏑馬を付け足してのサービス。
さらに火祭りのシーンなどオリジナルで残すべきところは残している。
そして例の「裏切りごめん」がどこで登場するかと思ったが、こうなったのですね。
敵方の武将(椎名桐平)が前と違ってダースベイダーを彷彿とさせるキャラクターなので
どうなることかと思ったが、そう来たか。
この辺は賛否の分かれるところだろうが、な〜に何をやったって誉められはしないからこれも
いいだろう。

それよりこの火祭りのシーンで民衆の祭りの歌の合いの手が「アッセアダホイ、アセテサモハイ」と
いう歌詞になっているのは心の中で爆笑した。

この火祭りのシーンあたりから姫が「民は君主を欲しておるのだろうか?」などと君主のあるべき姿
について悩むシーンは不要。
そういうことはこの際いらないのではないか?
あと前作では火祭りのあと、灰から金を出してそれを敵の雑兵に持たせるという爆笑エピソード
があったが、それがなくなっていたのが残念。
あと全体的に笑いのシーンがなかったのがさびしい。


出演者ではまずは松本潤。
こちらが主役になった今回のシナリオだが、充分役目を果たしていたろう。
ただし松潤でなければ出来ない役かと言われれば疑問は残る。
岡田准一でもタッキーでもよかった気がするし、そのあたりの松潤らしさ、が欠けるといえば
そうなのだが、じゃあどんな役なら松潤らしいのだと言われれば困るのだが。
長澤まさみも阿部寛も好演。
新人のお笑い芸人宮川大輔(私はこの映画を見るまで知らなかった人)もよくやっていた。

今後あちこちで叩かれまくるだろうが、黒澤版で私が欠点だと思っていた点を修正してくれただけでも
私は合格点をあげ、擁護派に回りたいと思う。



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さらばモスクワ愚連隊


日時 2008年5月6日
場所 TSTAYAレンタル
監督 堀川弘通
製作 昭和43年(1968年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


ジャズバンドのプロモーターの北見(加山雄三)はかつては人気ジャズバンドのピアノ
として絶頂を向えたこともあった。しかし今は演奏をやめ、アメリカからジャズバンドを
呼んで公演を行っているが最近は呼んだサックスが麻薬で逮捕されたりとついていない。
この件の残りの公演の後始末を大手のプロモーターに引き受けてもらう代わりに、
もう一度プレーヤーとして復帰話が出るが彼は断る。
仕事が暇になったのも理由の一つとして、今は日ソ文化交流協会で働く大学時代の
友人・森島(塚本信夫)の誘いで日本のジャズバンドをソ連で演奏させる仕事に
取り組むことにして準備のためにモスクワへ。
外務省の役員白瀬(伊藤孝雄)導かれてソ連外務省などに向うが、モスクワを一人で
散歩中、ミーシャというジャズを演奏する青年と出会う。


五木寛之の原作はタイトルだけは昔から聞いていた。
「さらば」で「モスクワ」の「愚連隊」だ。
一体何がどういう話なのだろう?しかもジャズの話らしい。
モスクワでジャズ、しかも加山雄三主演?
映画の内容はさっぱりわからない。

そんな感じで映画を見始めたのだが、正直、堀川弘通としては不向きな題材だろう。

それにしてもこの映画で語られるジャズは理屈っぽい。
加山雄三がやたら他人のジャズを批判する。喧嘩を売る。
新人の日本人ジャズマン(黒沢年男)が演奏すれば「今夜のお前は最低だ」
アメリカから兵士でやって来てやがてベトナムに行くピアノプレーヤーに「お前のジャズは
一人で演奏している。ジャズは対話なんだ!」
そしてその男が明日ベトナムに行くという前の日、またジャズがやりたいとジャズのバーに
やってくる。「一人でもいい。自分と対話してみろ!」
その演奏を聞いてもピンと来なかった森島に「貴様、労働運動をやっていたんだろ!労働者の
味方だろ!それであの魂の叫びが解らないのか!」と説教する。

ソ連に行ってもモスクワの外務省の男が「クラシックは芸術音楽ですが、ジャズなんて大衆芸能の
娯楽に過ぎません」と言われ、「どんな音楽が芸術ですか!」と喧嘩を売る。
売られた外務省の役人も大したものでその場にあったピアノでショパンを演奏、加山も負けじと
その後、ジャムを演奏する。
で、日本の外務省の白瀬が実は学生時代、自分のバンドのファンでかつてはクラリネットを
演奏していたと知る。
「ジャズってのはかつてのあなたのように、虐げられた黒人達の魂の叫びなんだ!」
そしてミーシャにも「若いうちはもっとやりたいことをするんだ!今のお前の怒りを、
コンプレックスをすべて演奏に叩けつけろ!」とまた説教。

原作の五木寛之の考え方だったのかも知れんが、そこまでジャズを「魂のさけび」とか「民衆の
怒りの声」みたいな理屈付けをしなくてもなあ。
それとも当時の学生運動とシンクロさせるものがあったのだろうか?
最初から最後まで北見の「ジャズとはこうあるべき」という講義(説教)を聞かされた思いが
したが、そこまで定義付けしなくてももっと気軽に楽しんではいけないんだろうか?
ジャズが窮屈なものになってしまうような気がするんですが。

そして北見の性格が失敗しているのはそのミーシャに対し、「好きな女がいるなら力ずくでも奪え!
よってくる男なんて殴っちまえ!」とけしかけ、実際に言い寄っていた闇屋の男を殴る。
そこまでは北見も見届けるのだが、翌日ミーシャが闇屋の男をナイフで刺して逮捕されたと知る。
おいおい、あんたがたきつけたおかげでミーシャは犯罪者になっちまったよ。
まあそういう見方をするのではなく、「世の中、なかなかうまくいかない」という矛盾でアンハッピー
エンドで終わらせたかったんだろうけどさ。

結局今回のジャズバンド訪ソの後ろ盾になっていた政治家が死んだので北見の計画は中止になる。
それで「さらばモスクワ愚連隊」か。
まあミーシャ役の青年がもう少しうまかったらミーシャに対する感情移入も出来、評価が
変わったかも知れないが、北見のジャズ論ばかり聞かされたような映画になって
しまっていました。

五木の原作がどうなってきたのかそれを知らないとちょっと評価しにくい映画ですね。



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相棒 劇場版 
絶体絶命!42.195km東京ビッグシティマラソン


日時 2008年5月5日16:15
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン8
監督 和泉聖治

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殺人現場にアルファベットと数字の組み合わせの奇妙な暗号が残されている事件が
連続して発生。警視庁特命係の杉下右京(水谷豊)はチェスの棋譜を示す記号と
関係があると推理する。
しかしその連続殺人が「人民裁判」というサイトで「死刑」の判決を受けたものばかり。
当初はそのサイトに関連した連続殺人かと思われたが、実は犯人の狙いは別にあるようだ。
近日開催される東京マラソンのランナーと観客がターゲットらしい。
犯人は?動機は?

予想以上に面白かった、というのが正直な感想。
テレビ朝日で放送中の「相棒」はここ数年の続いている人気番組。
評判の高さはいろいろと耳にしていたが、見たことがない。
それでも映画版は充分に面白かった。

数年前に起こった「ある事件」を題材にしていることは聞いていた。
しかしその「ある事件」とは何か知らなかった。
予告を見てもそれは解らない。
東京マラソンを題材にしたテロリスト物、と思っていたら全然違う。
むしろテロリストもの、としてみるとその完成度は低くあまり楽しめない。
またミステリーとしても犯人の動機が別にあるなら、連続殺人を人民裁判の
サイトに引っ掛ける必要はなかろう。

そんな風にアラはある。
犯人が逮捕されたからも動機にまつわるドラマでかなり長い時間が割かれ、なかなか
終わらない。
最近の映画には珍しく社会的な問題を正面から題材にした功績は大きい。

もうそろそろ書くけど「あの事件」とは2004年3月の「イラク日本人人質事件」だ。
あの時、被害者を救うのは日本政府として当然、という意見もある一方、イラクに行ったら何が
起こるかわからない、当然死ぬ事だってありうる、ああいう事件に巻き込まれるのは「自己責任」
いまさら助けて欲しいとはわがままもいいところ、という声も多かった。
私自身の意見は今でもどっちにも決められない。

「ボランティアでイラクに行っている日本人は自衛隊以上に国際貢献している。日本人として
助けるのは当然だ」という意見を聞けばそうだとも思う。
しかしイラクは誰が何を言おうと戦場だ。
死ぬのも覚悟で行ったんじゃなったのか?日本政府だって出来ることと出来ないことがあるぞ。
自衛隊が近くにいるからと言って戦闘行為をして力ずくで救出することは出来ないんだから、
それに外務省なんてろくな力ないから交渉で救出なんてそんな能力あるわけないだろ。

自分の中でこの二つの思いが交錯する。
映画は「自己責任論」を振りかざしたマスコミ、それに乗っかった国民を断罪する。
観客を敵に回すとは実に勇気ある行為だ。
映画は「『退避勧告が出ていたにも関わらず退避しなかった人が悪い』という主張を当時
政府はしたが、退避勧告は被害者のもとには事件当時実は届いていなかった」という展開を
見せ、政府が悪かった形にして一応結論付ける。

しかし映画中でも言っているように次々と事件が起こり人々はどんどん忘れて行き、テレビは
無責任に垂れ流す。
「テレビの質を向上させよう」といつも言われる。
しかし相変わらずテレビの質は向上しない。
それは本当は向上しなければならないのはテレビではなく、観客であり、視聴者だと思う。
映画はそこまでは言わないが、本音はそこにあるのではないかという気がしますが。

こういうマスコミ批判を(あるいは一歩進んで観客批判)題材にインデペンデントではなく、
テレビ局が映画を作ったことを評価したい。
フジテレビにも見習って欲しいです。
こういう社会的題材でもやりようによってはヒットする証明になったのではないか。
これがきっかけになって「女が見たいと思う映画でなければダメ」という悪しきジンクスを
打ち破って欲しいですね。



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クレヨンしんちゃん
 ちょー嵐を呼ぶ金矛(きんぽこ)の勇者


日時 2008年5月5日13:25〜
場所 ユナイテッドシネマとしまえん・スクリーン5
監督 本郷みつる

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しんちゃんの大好きなヒーロー、アクション家面のおもちゃスーパーソードのおもちゃを
買ってもらい家に帰って明けてみたら竹のものさしが入っていた。
幼稚園の帰り道、捨て犬のクロを拾ってくる。そして夜中に怪しいおじさんがやって来て
しんちゃんに何かの書類にサインしろという。
翌日の晩、今度はきれいなセクシーなお姉さんがやって来て、レンタルビデオ店に返しに
行くのを一緒に行ってほしいという。ビデオ店について扉を開けたらお店とお姉さんは
消えていた!
一体どうなっている??


恒例のGW映画のクレヨンしんちゃん。去年あたりからもう見るのはやめようか、と思いつつ
見てしまっている。
いや話の流れはわかるのだが、最初の闇社会の設定をよく理解できないうちに話が進むので
なんだかついていけないのだよ。

途中から正義のほうのキャラクター・マタが登場し、マタの父親が昔悪の親玉と対決して
金矛と銀盾をどこかに隠したというのがオープニングにあるのだが、悪の親玉は
どういう悪いことをしてマタの父親と対決するようになったのかが説明されないので
どうも作品世界に入れない。
これって俺がもうジジイなのか?頭が悪いのか?

で妙に途中年金問題とか電車の中のマナーの悪さ(めしを食うとか携帯プレーヤーの
音漏れがうるさいとか)の社会風刺が出てくるのだが、本筋とまったくうまくリンク
していないので空回りしているだけ。
(予断だが帰りの地下鉄の中で3人連れの女の子のうち、一人はコンビニのカップサラダを
食べ、もう一人はカップ入りのサラダスパゲティを食べているので目が点になった。
いい加減にしてほしいよ。で真ん中に座っていたもう一人は携帯メールに夢中だった)

しんちゃんもそろそろ見るのは止めようかな。
もう「大人帝国の逆襲」みたいな衝撃作は出て来なさそうだし。



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大いなる陰謀


日時 2008年5月4日19:30〜
場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン6
監督 ロバート・レッドフォード

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テレビ記者のロス(メリル・ストリープ)は上院議員のアーヴィング(トム・クルーズ)
に呼び出され1時間というロングインタビューの時間を与えられる。アーヴィングは
イラク戦争の打開のためにアフガニスタンに新作戦を展開すると打ち明け、これを
ニュースにするよう依頼する。
同じ頃、西海岸では大学教授・マレー(ロバート・レッドフォード)が最近出席が悪くなった
学生と面談を開始した。
また同じ頃、アフガニスタンでは新作戦が開始されるが、敵の思わぬ反撃にあい、
米軍の二人の兵士は苦境に立たされる。その二人の兵士はマレー教授のかつての教え子だった。


うわっ、こんな映画だとは思わなかったよ。
低予算だなあ。製作総指揮はトム・クルーズで監督がレッドフォードだからこの二人の
ギャラは完全歩合になっているだろう。となると制作費の90%はメリル・ストリープ
のギャラになっているかも知れないな。
セットだって3つぐらいしか作っていないぞ。

トム・クルーズ、レッドフォード、メリル・ストリープというハリウッドのスターが
顔をそろえてタイトルが「大いなる陰謀」という邦題がついていればなんかこう「大型
ポリティカル・フィクション」を想像していたのだが、登場人物が世界の3箇所でただ
会話しているだけ。
これじゃ映画的に広がりも何もない。

トム・クルーズとメリル・ストリープは「これはイラク戦争を終結させるための新作戦だ」
「そんなセリフ聞き飽きた。第2次大戦は5年で終わったのにイラク戦争はもう6年ですよ」
というほとんど散々言われている討論を繰り返す。
レッドフォードは学生に「君は最初のうちは授業でいい発言をして将来性のある学生だと
思ったが、最近はどうしたんだ?」と説教して「昔の私の学生に今は軍隊に志願した学生が
いる」「俺に軍隊に行けってこと?」「そうじゃない、戦争に行くのは私も反対だ。ただ
何もしないのはどうかと思うよ」と、くどくどと話し込む。
でアフガンの兵隊は実はレッドフォードの教え子、という話。

で、最後はトム・クルーズは「マスコミはイラク戦争が始まったときは賛成したくせに
今は反対しやがって!下らん芸能ニュースばっかりやってんじゃねーよ」と捨て台詞をいい、
メリル・ストリープはアーリントン墓地を見て涙する。
そしてラストはレッドフォード教授の説教から解放された学生は友達と大型テレビを見るのだが
テレビは芸能人の離婚問題を大きく扱い、アフガンの新作戦はテロップで流すだけ。
悩む学生のアップで映画は終わるが、要は「戦争に行けよ」って感じで終わる。

まあ映画ははっきり戦争に行け、と言っているわけではない。
「何にもしないのはよくない、何か行動を起こそう」と言っている感じで終わるのだが、
その「何か」というのが「若者よ、戦争に行け!」っていってる感じだった。

戦意高揚映画ですね。
トム・クルーズやレッドフォードがそういう人とは知らなかった。
そういう意味では勉強になりました。



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砂時計


日時 2008年5月4日16:05〜
場所 TOHOシネマズ六本木ヒルズ・スクリーン4
監督 佐藤信介

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14歳の杏(夏帆)は両親の離婚のため母の実家の島根にやってくる。
そこでぶっきらぼうだが優しくしてくれる大悟(池松壮亮)と出会った。
若い二人はぎこちないながらもお互いの気持ちを深める。
しかし月島酒造の兄妹、藤と椎香はそれぞれ杏と大悟に想いを寄せていた。
杏の母は自殺し、杏は東京に住む父親の元に引き取られる。
東京の高校に進学していた藤と再会する杏。藤から「好きだ」と告白され
キスされてしまう。
夏休みに島根に帰ったとき、そのことを大悟に知られる二人。
杏と大悟。だが藤は家出して姿をくらまし、杏は一旦東京に帰る。
その後、結局杏は自分が大悟の重荷になっていると思い、別れを告げる。
10年後、杏は婚約して島根に墓参りに戻り、同窓会で大悟と再会するのだが。

こういうラブストーリーはあんまり興味がないし、普段なら絶対に見ないのだが、
「COSMIC RESCUE」の佐藤信介の長編監督作品なので拝見。

いやなんと言っても夏帆と池松壮亮の二人がいい。
前半は完全に二人が画面を独占しており、二人の魅力爆発だ。
実に素晴らしい。

またフィルムで撮影された島根の風景の美しさ。
夕闇、朝、夕方、森の木漏れ日などなど書ききれない、憶え切れない美しい映像が
展開される。
「COSMIC〜」でも映像が美しかった佐藤信介だが、やっぱり違うなあ。

その点後半に登場する大人になった杏(松下奈緒)と大悟(井坂俊哉)の魅力のなさ。
特に松下のほうはなんだか水商売の女みたいで清楚だった夏帆の10年後には見えない
という感じ。
あ〜都会の水に染まってしまったのか、と嘆きたくなる。
また杏と婚約した男が今風のホスト風のルックスでますます男を見る目がない!と
嘆きたくなってしまう。
井坂俊哉は「パッチギ!2」での勢いのある役の印象が強いせいか、ごついイメージ
ばかりが残ってこういうラブストーリーには似合わない気がした。
アクション映画で刑事役とかやったら似合いそうなルックスだと思うのだが。

映画全体としては好きなタイプではないが、池松壮亮と夏帆の魅力を認識できたことが
よかった。
夏帆は昨年「天然コケッコー」で評判がよかったし、今年4月公開の「うた魂(たま)♪」
にも主演(両方とも未見だが)。あと「学校へ行こう!MAX」にも出演。
今後が楽しみな女優。堀北真希ぐらいの人気は出る可能性あり。
池松壮亮は6月に「ダイブ」の公開がある。
こちらは「バッテリー」の林遣都との共演で楽しみ。
今後の二人に注目。



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さよならエマニエル夫人


日時 2008年5月4日
場所 DVD
監督 フランソワ・ルテリエ
製作 1977年(昭和52年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


インド洋のセイシェル島。
エマニエルは夫のジャンがありながらお互いに自由なセックスライフを満喫していた。
ある日、この島にやってきた若き映画監督、グレゴリーに出会う。
グレゴリーがロケハンに行った島でしてしまうエマニエル。
だがエマニエルは自由にセックスを楽しむ生活をグレゴリーに否定される。
しかしグレゴリーに惹かれるエマニエル。
グレゴリーが他の女といるのを見かけると嫉妬するエマニエル。
ジャンもまたエマニエルが惹かれていくグレゴリーに嫉妬する。
グレゴリーは突然パリに帰る事になるが、グレゴリーに嫉妬するジャンはその伝言を
エマニエルに伝えようとしない・・・


バンコク、香港と続いたエマニエルシリーズ第3弾。
前作までは夫ジャンに職業は外交官だったような気がするのだが、今回は建築家。
この地に来て3年になると説明されている。
まあ適当なのだろう。

お話の方は2作目と同じでエマニエルがあちこちの男性、女性とセックスするだけ。
ただし2作目は唐突感が大きかった気がするが、今回はそれほど唐突感はない。
多少の会話があってからセックスしているからか。
前はなんだか会話も挨拶もなしにいきなり始めていた気がするからなあ。

2作目は香港だったので、景色の美しさはあまり感じなかったが、今回はセイシェル島
ということでさすがに海が美しい。
エメラルドグリーンというのか、実に美しい画が一杯だ。
そこへ持ってきてシルビア・クリステルの美しさが加わるものだから実に贅沢だ。
なんだかんだ言ってもシルビア・クリステルは私が同時代で見てきた女優の中では
いちばんセックスアピールが強い。
マリリン・モンローは同時代に見ていないのでよくわからないのだが、私の中では
それを超えた存在だな。

あとね、そういうつもりはなかったろうけど、フランス人が東洋にやって来て金持ちで
召使いを従えて高級なドレスを着て贅沢な食事をする。
なんかこうフランス人の東洋蔑視の感覚があるような気がした。
いや別にそんなことは考えすぎなのだろうけどさ。



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