2008年9月

人狼 JIN-ROH おくりびと パコと魔法の絵本 大決戦!
超ウルトラ8兄弟
エスパイ FAIL SAFE
未知への飛行
TOKYO! 武士道残酷物語
ラストゲーム
最後の早慶戦
闇の子供たち 東京ディープスロート夫人 暗号名(コードネーム)黒猫
(ブラックキャット)を追え!

人狼 JIN-ROH


日時 2008年9月27日15:00〜
場所 ザ・グリソムギャング
監督 沖浦啓之
製作 2000年(平成12年)

(詳しくはキネ旬データベースで)



ドイツが第2次大戦に勝利したもう一つの戦後。
日本は復興のための経済政策を行ったが、それは貧困層を生み、それが反政府運動へと
つながっていった。
一般の警察いわゆる自治警のほかに、こういった反政府組織を取り締まる首都警を
組織し、弾圧を強めていったが、それは反政府組織をゲリラ化させていった。
首都警の実働部隊の伏はゲリラの一員で武器の運搬係の少女を下水道で追い詰めたが
あまりに子供だったので発砲するのを一瞬ためらってしまう。
しかし少女は自爆し、伏も怪我を負う。
今回のミスで伏は再訓練となって再び訓練学校に送り込まれる。
しかし少女のことが気になる伏は同期の公安部の者に頼んで、少女の身元を教えて
もらう。
墓参りに行った伏はそこで少女の姉と知り合う。


押井守監督の原作脚本、監督・沖浦啓之によるSF。
SFと言っても舞台は昭和38年ぐらいをモデルにした風景が広がり、SFっぽいのは
実働部隊・ケルベロスのメンバーが着ている強化服ぐらい。
全身を防弾装備して顔は赤外線暗視スコープ付きのマスクをつけた姿は、その目が赤く
光り、実に不気味ながら美しい。

首都警と自治警察の対立なんて現実の警察内部の刑事部、公安部、警備部の対立を
見ているようで近頃の実写映画よりはるかにハードな内容だ。
最近は「花より男子」のようなマンガの映画ばかりで、実写の方がコミック化し、
アニメの方が実写的だ。

首都警と自治警察の対立を巡る陰謀、スパイ合戦は逆転逆転の連続でスリリングで
目が離せない。
特にラストなど主人公が敵のスパイを撃った時、さらにスナイパーが控えている姿が
示され、どこまでも保険をかけており、人を決して信用しない組織の過酷さを
感じた。

時代は昭和38年の設定で現実の学生運動の60年安保と70年安保の中間であり、
いわゆる「あさま山荘世代」の押井守らしいなあと思う。
但し学生運動はこの場合、背景であってもテーマではない。

アニメは最近は見ない私だけど、最初の少女の自爆シーンで、自爆の直前に伏たち警官が
マスクをして顔の表情がないにも関わらず、肩の動きなどで驚きの表情を表現するなど
(いやいまさらそういう程度のことで感心するのは無知が過ぎるとは思うのだが)
アニメのレベルの高さを感じた。
押井作品、いままで全く見ていなかったが、他の作品も見てみようかと思った。



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おくりびと


日時 2008年9月23日15:40〜
場所 新宿ピカデリー スクリーン1
監督 滝田洋二郎

(公式HPへ)


チェロ奏者だった小林大吾(本木雅弘)は自分の所属していた楽団が解散になり
職を失い仕方なく妻(広末涼子)と共に故郷の山形へ。
求人広告を見ていると「旅のお手伝いをいたします」の広告が。
旅行代理店かと思ってみるとそこは亡くなった方を棺に納めることを専門に行う
納棺師の会社だった。

モントリオール映画祭でグランプリ受賞ということで話題の作品。
評判もいいようなので見てみました。

納棺師という今まで映画になった事のない世界を描き、まず新鮮さがある。
その辺はかつての伊丹十三映画を思わせる。
(そのデビュー作「お葬式」で主演だった山崎努が助演しているのは奇しき縁か、
意図的か)

腐乱死体を納棺したりするエピソードに始まり、女性になりたかったが自殺した
男の子や、妻に早くに先立たれた男(山田辰夫)、暴走族に加わってしまい事故で
死んだ女の子の親(諏訪太郎)などなど数々の人間の人生を切り取っていく。
このあたりのエピソードはそれだけで切なくなるものがある。

やがて主人公の近い人間の死が描かれる。
幼馴染の実家の銭湯のおかみさん(吉行和子)。ここでは常連客だった笹野高史が
実は火葬場の職員だったというエピソードが意外感があって、さらには名優
笹野高史の存在感もあって見せるものがある。

そしてラストは別れていた主人公の父の死。
最後の最後になって主人公の父が(遺体となって)登場する。
ここで驚いたのはその父親役がなんと峰岸徹なのだ。
話の流れから言ったらここは別に無名の俳優が演じてもおかしくない。
極端な話、スタッフを寝かせていても大丈夫だ。

しかしここで峰岸徹が登場することによって画面がグッと引き締まる。
セリフがなくても顔の表情を作らなくてもその存在感で圧倒される。
どんな死に顔をしていたか、でこのラストの印象は変わるのだが、ここで峰岸徹が
抜群の存在感と演技で画面を支えるのだ。

だが僕にとってはイマイチな点もあった。
まず本木雅弘。悪くはないんだろうが個人的何の魅力も感じないので、心に響くものがない。
それこそ(私がファンだからだろうが)妻夫木聡あたりが演じていたら印象もだいぶ変わったろう。
そして本木の職業設定。
なんでチェロ奏者だったのか?
普通のサラリーマンの方が普遍的な感じがすると思うのだが、どうだろうか?

広末涼子も大人の女優になって来ましたね。今後の活躍が楽しみです。

人間の死を通して生というものの重要性を感じた。
総じていい映画だと思う。



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パコと魔法の絵本


日時 2008年9月20日14:20〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン8
監督 中島哲也

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変な大邸宅に変な男(阿部サダヲ)が訪ねてくる。この家の主人(加瀬亮)の伯父さんに
ついてのことだ。
男はその家の主人の伯父さん(役所広司)についての昔話を聞かせるのだった。


「嫌われ松子の一生」が途中で帰りたくなった中島哲也監督作品。
普通ならパスするのだが、役所広司、妻夫木聡共演となれば見ないわけにはいかない。
最初のけばけばしいばかりの趣味の悪い(僕にとっては)色彩感覚の絵はどうにも
慣れなかったが、アヤカ・ウイルソンの演じる美少女、パコが登場するととりあえず
画面が見ていて飽きなくなる。
何といってもこの少女の存在がなんとか見れる代物になったことは間違いない。

難病の少女のために何かしてやる、という話で、普段の僕なら見ない話。
普通の難病ものとして撮っていたらどうだったろう?
とりあえず役所=妻夫木の出演で見たろうけど、今回ほど面白くなかったかも
知れない。

しかしそれにしても後半のCGアニメと実写の合成画面には何かなじめないものがあった。
ああいう画を作るくらいなら最初からフルCGアニメで映画にすればよかったのではないか?

それと役者が誰とはわからないメイクで登場。
上川徹也の医者なんかめがねのせいで最初は解らなかった。
妻夫木もメイクが激しく、果たしてファンは楽しめたのだろうか?
少なくとも私は楽しめなかった。
あんなメイクをするのでは極端な話、どんな役者でもよかったのではないだろうか?
いやもちろん暴論だということは百も承知だが。

しかしながら役者はやはり顔でありその表情がみたいと思う。
それがああいう誰ともわからないようなメイクじゃなあ。
とにかく僕は中島哲也監督の映像趣味と私の見たい映画は全くあわない。
次の映画は観たくないなあ。



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大決戦!超ウルトラ8兄弟


日時 2008年9月20日11:50〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン6
監督 八木毅

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昭和41年7月、日本中の子供たちはテレビの前で「ウルトラマン」の初放送に感激し、
自分たちも未来に夢を持っていた。
そんな一人だったダイゴ(長野博)も今は横浜市役所の観光課で平凡な日々を過ごす毎日。
やがて怪獣が横浜に出現。
ウルトラマンメビウスが登場し、怪獣を倒してくれた。
しかしまた怪獣が襲来。メビウスは怪獣によってブロンズ像にされてしまう。
やがてダイゴは自分や自分のまわりにいるハヤタさんやモロボシさんや郷さんや北斗さんも
実はウルトラマンであることに気づく!


2年前の「ウルトラマンメビウス&ウルトラ4兄弟」でやった昭和ウルトラ大共演プラス
平成ウルトラマンも出演の豪華版。
ウルトラってもともとドイツ語で「超」みたいな意味もあると思うからタイトルも
「超超」みたいな感じでどれだけすごいかがわかる。

ウルトラマンの初放送を見た世代ならそのとき8歳ぐらいだとしたら今は50歳ぐらいで
ダイゴ(長野博)では計算が合わないのだが、まあ気にしない気にしない。
ハヤタとフジアキコやダンとアンヌが結婚しているとか聞いていて、「それじゃ話が
つながらんだろう」と思ったらパラレルワールドになっているわけですね。
だったら「帰ってきたウルトラマン」で死んだ榊原るみが生きていて結婚しているのも
納得。

さらに佐原健二が「SF作家 万城目淳」役で出演しており、さらに西條康彦氏も元町で
怪獣の攻撃にあったビルのがれきの下敷きになりそうな役、さらには二瓶正也も駄菓子屋
のおじさん役。
(ついでに毒蝮三太夫さんも出演してほしかった)

一番笑ったのは、別の世界でウルトラマンメビウスで活躍するミライ(五十嵐隼士)が
この世界にやってきてハヤタやダンにあったとき「兄さん!」と呼びかけるところ。
その中でも郷秀樹に「ジャック兄さん、でなければ新マンにいさん、でなければ帰りマン
兄さん!」っていうところ。
大笑いでした。(ついでに帰マン〜キマン〜ともいってほしかったな)

怪獣対ウルトラマンの対決が始まると私は常に(人間のすることがなくなったという理由で)
しらけてしまうのですが、今回は特に長かった気がする。
「ウルトラマンがんばって!」と人々が声援を送るが、人間にも「ウルトラマンのために
何かをする」という行動に出てほしいのだな。

まあ話のテーマとしては「子供のころの夢をもう一度取り戻して、夢に向かって頑張ろう!」
みたいなおじさん応援映画。
それなりには楽しめましたが、昭和ウルトラマンの4人共演、というテーマは前にやったことなので
若干出涸らし感は否めなかった。
(でも今回はウルトラヒロインの熟女のフラダンスが見どころでしたね)



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エスパイ


日時 2008年9月18日
場所 TSUTAYAレンタル
監督 福田純
製作 昭和49年(1974年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


東ヨーロッパで紛争調停のために国連から派遣された調停員が4名とも暗殺された。
ブラインドの閉まった窓の外からどうして正確な狙撃が出来たのか。
犯人は透視の出来る超能力者だった。
一方、世界平和のため、超能力者たちによるスパイ組織が結成されており、
その日本支部の田村(藤岡弘)は同じく超能力者であるマリア(由美かおる)と共に
新たな超能力者の三木(草刈正雄)をスカウトする。
エスパー対エスパーの平和のための戦いが始まる!

エスパイとは「エスパー(超能力者)」と「スパイ」を組み合わせた原作者小松左京の
造語。
前年「日本沈没」の大ヒットで小松左京原作物で二匹目のドジョウを狙った映画。
国際的なスパイ映画になる企画なのだが、すべてが裏目に出た感じがする。

以下どの辺が失敗している点かあげてみる。

1、画がしょぼい
当時の技術レベルではそもそも無理な企画だったのではないか?
念動力で敵が撃とうとする銃の銃口を持ち上げて引き金も引けなくする、といった程度
でしか超能力が発揮される画がない。
その瞬間目が光る程度。
実際は役者が一人で銃を上に持ち上げている程度だから失笑してしまう。

2、外国人役が日本人
インドのサラバット老師(岡田英次)とか逆エスパイのリーダー・ウルロフ(若山富三郎)
とか外国人が登場するがすべて日本人の俳優が演じるから国際的スケールどころか
苦笑しか出てこない。

3、キャラクターの問題
草刈正雄の新人スパイが初の敵との対決で敵の逆エスパイを殺してしまう。
それでショックを受けて戦意喪失してしまう。
そりゃいきなり一般人が人を殺したらショックを受けるだろうけどさ、彼がエスパイに
なった時点でそういう事態は充分予想されるはず。
だったらそういうメンタルな部分の訓練も日本支部長(加山雄三)はしておけよ。
そういうメンタルな部分も強い奴でなきゃエスパイの資格ナシだろう。

で、藤岡弘が最後の方で「超能力ってのはつまりは・・・・・愛なんだ」と恥ずかしくもなく
いいのける。
正直、ここで笑った。
藤岡弘が言うから余計にそう感じるのかなあ?これが草刈正雄だったらまだよかったかも?

かといってこの映画に魅力がないわけではない。
それはもうなんといっても由美かおるのおっぱいだ。
由美かおるは敵に捕まるのだが、それがトルコのイスタンブールで、そこの怪しげな
酒場で催眠術にかけられ下着姿で舞台で踊るというシーン。
その表情もなんだかストリッパーみたいなのだが、ここでたくましい黒人が登場し、
由美かおると白黒ショーを行う、というところで、由美かおるの下着を脱がす。
そしてキスしようとするとそれを観ていた藤岡弘が念動力でその男の舌をねじ切るという
展開。
この由美かおるは見ものですね。
ここがこの映画のほとんど唯一の見所。

正直、色んな意味で外してしまった映画だと思います。
企画はよかったんですけどね。
でもそもそも映画化にするには無理があった気が・・・・・



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FAIL SAFE 未知への飛行


日時 2008年9月15日
場所 DVD
監督 スティーブン・フリアーズ
製作 2000年(平成12年)

(詳しくはIMDBで)



冷戦下のアメリカ。北極海には核兵器を搭載した爆撃機が常に哨戒中だった。
ある日、通信機械の誤作動で爆撃機に攻撃命令が出されてしまう。
音声による帰還命令は偽装の疑いがあるため乗組員は無視する規定だ。
アメリカ爆撃機はモスクワに向かって進む。
アメリカ大統領はホットラインでソ連の書記長と相談。
ソ連とアメリカによる撃墜作戦が行われるのだが・・・・

1964年製作のシドニールメットのリメイク。
今回はジョージ・クルーニーの製作総指揮でテレビドラマとして復活。しかも生放送
ドラマとしての放送だったそうだ。
(劇場公開はしていないようだ)
ルメット版には遠く及ばないという感想を読んだことがあったので、どんなもんかと
思っていたら、そんなことはない充分な出来栄えだ。

驚いたことに脚本がほとんど同じ。
元の映画は数回見ているので、大体覚えているが基本的には同じだろう。
違うのはオープニングのブラック将軍の夢、グレテシーレ教授が朝までのパーティで
参加者と討論するシーン、空軍基地の将校が自分の両親の家に行くシーンなどがカット。
またジョージ・クルーニーが爆撃機の機長役だが、最後の帰還の呼びかけをするのが
彼の妻ではなく、息子になっているなどなど。

そして脚本だけでなく、セットの基本デザインも同じ。
製作のジョージ・クルーニーは今書いたように爆撃機の機長。
出番が少ないのだが、最後の息子からの呼びかけを無視するシーンなどが見せ場。
目の表情で見せるシーンなどやっぱり貫禄の名シーンだ。

大統領役がリチャード・ドレイファスだとはクレジットを見るまで知らなかったが、
(もちろんルメット版のヘンリー・フォンダには及ばないが)頑張っていた。
しかしグレテシーレ教授は完全にルメット版のウォルター・マッソーには負けていた。
作品を見終わってからの印象がまるで残らないのだよ。
あとラストのNYの原爆投下のときのNYの表情をとらえるカットが少ないのが残念。
そういう画が撮れなかったのがテレビドラマの生放送の限界か。

ラスト、クレジットをバックに大統領のホットラインの部屋をかたずける係員のカットがある。
そういう意図はなかったかも知れないが、「人間はとりあえず目の前の習慣に従ってしまう」
という感じがして、妙に印象に残った。
充分楽しめる作品だった。



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TOKYO!


日時 2008年9月14日13:00〜
場所 シネマライズB1F
監督 ミシェル・ゴンドリー 
   レオス・カラックス
   ポン・ジュノ

(公式HPへ)


ニューヨーク、パリ、ソウルで活躍する3人の外国人監督が「東京」を舞台にした
オムニバス。
変なエピソードばかりが綴られる。
パンフレットの中の映画の紹介文のなかに「この街では物語をじっくり語るよりすこし
ばかり不条理の話を重ね合わせる方がふさわしい」とあるから意図的なっだのかも
知れないが。
「東京は不条理な話のほうが似合う」と思われるぐらい東京というのは変な街に
見えるのかなあ?、外国人にとっては。

1話「インテリア・デザイン」は自主映画を作った若手の映画監督(加瀬亮)とその恋人
(藤谷文子)が二人の高校の同級生で東京で働く子(伊藤歩)の元に転がり込む。
二人は一緒に住むアパートを探しながら加瀬亮は映画の上映会を開き、藤谷文子の
ほうはやがて体が椅子になってしまうという話。
もうわけわからん。
加瀬亮の作った映画だが、映画の上映に合わせて煙の出るシーンではスモークを焚くという
演出をする。
このあたりで私は加瀬亮演じるこの男の才能についてひいてしまう。
まあこの手のことは誰でも思いつく斬新なことで、いまどきやるやつがいるか?
という気分になる。
もちろんそれもミシェル・ゴンドリー演出意図なのだろうが、そういう男が登場すること自体
この「インテリアデザイン」という映画の独りよがりさを感じてしまいます。
なお伊藤歩の恋人役で妻夫木聡が2シーンほど出演。

2話「メルド」は「糞」という意味らしいのだが、東京のマンホールからなぜか怪人が
出現し、人に迷惑を掛けまくるという話。
この怪人が登場すると「ゴジラ」のテーマが鳴り出すという怪獣ファンにとっては
楽しい遊び付き。
でもそれだけ。この怪人、菊の花が好物という設定なのだが作者たちは菊の花が天皇家を
示すことを知っていたのだろうか?
これも理解不能な映画だった。

3話「シェイキング東京」は香川照之演じる引きこもりの男がある日毎週ピザの配達を
してくれる女の子(蒼井優)に恋をするお話。
竹中直人がピザ屋の店長役で出演だが、相変わらずのテンションで好きになれない。
地震が起きたりとにかくこれも意味不明。

3本とも私にとってピンと来るものがなく、見ていてつらかった。

でも妻夫木聡は「闇の子供たち」といいこの「TOKYO!」といい、役の大小に関係なく
自分が興味を持った企画なら出演するタイプの方なんだなということを感じる。
映画がホントに好きなんだなあと思える。
これからも応援したい。
また主演作を見たいですね。



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武士道残酷物語


日時 2008年9月13日16:15〜
場所 シネマヴァーラ渋谷
監督 今井正
製作 昭和38年(1963年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


日東建設の飯倉進(萬屋錦之介)は婚約者人見杏子(三田佳子)が自殺を図ったと
連絡を受け病院に駆けつける。
杏子の自殺未遂の原因には心当たりがある。
そして進は以前読んだことがある自分の先祖の日記を読んだときに見た先祖の
武士道世界の理不尽さを思い起こし、自分もまたその歴史から逃れられなかったのだ。
その先祖の理不尽な歴史とは・・・


今井正って独立プロの地味な作品が多いイメージがあったが、これは堂々の大作。
中村錦之助が堂々の七役を演じる。
(もっともこの程度の映画、当時は大作ではなかったかも知れませんが)

関ヶ原の戦い以降、信州の小藩の家来となった飯倉家。
その歴史は殿様のために(そしてそれを支える武士道に)命を捧げる血塗られた歴史。
現代篇では飯倉は会社のために偶然ライバル会社の和文タイピストであった婚約者に入札情報を
盗ませるという形で「自分より会社が大事」という行動にでる。

戦争中の特攻隊も描きながら日本人の中には「個よりも集団、そして集団のためには時には
すべてを捧げることも必要」という思想が今でも生きていると描く。
近現代になれば殿様が国家に変わっただけで、何かに対し自分の命を落としても守り抜こう
という滅私奉公の精神構造は変わっていないのだという映画の主張は日本人の大好きな
「武士道」を完全否定する。

自分自身、20代の働き始めのころ、仕事が滅茶苦茶忙しかったが、忙しいと同時に
非常にやりがいを感じた。そして会社のために数字(売上、利益)を上げることを
非常な喜びを感じたことがある。
このときに思った、「日本人にとって現代の会社は昔の『家』なんだな」と。
会社というそれぞれの藩(殿)に使える精神は変わっていないのだなあと。
そんなことを自分自身でも考えたことがあったので、この映画に描かれている主張は
すんなり受け入れることができた。
これが学生時代に見ていたら「それはこじつけだろう」と思ったかも知れない。


そういう主張とともに語られる映画だが、武士道というものの変化の歴史でもある。
1話は島原の乱で負けてしまった自分の藩を救うため自らが上役の家の前で切腹をして
責任は自分一人にあるとする。2話では殿がなくなり、自分もあとを追って殉死する。
このあたりまではまあ「武士道」らしいといえる。
しかし3話4話になると主君の暴君として暴走する。平和な戦のない時代の武士道は
単なる「何を言われても主君が大事」という形のみになる。

3話では森雅之の好色な殿様に男色の相手として気に入られる飯倉久太郎だがもともとは
男色ではないので、かつては殿のお気に入りだった側室萩の方(岸田今日子)と出来てしまう。
二人の絵を描いている森雅之が二人の見つめあう姿をみて二人の仲を察して描いたばかりの
画に墨を塗って消してしまうシーンは森雅之のメラメラの嫉妬を見事に表現した名カット。
またこのあたりの二人の仲を疑う森雅之の視線がすごい。
この人は「羅生門」といい「浮雲」といい目線だけで人間の愛憎の感情を表現してしまい、
恐れ入る。
4話では残虐性のある暴君江原慎二郎が憎々しい。
この方も「軍旗はためく下に」の将校役といい、一見普通そうに見えて残虐性を秘めた男
というのが実にうまい。
5話では明治維新後のもはや政治制度も変わってしまったがまだ「殿さまがおいたわしい」
とそれに仕える男が主人公だ。
殿さまは座敷牢に入れられたこともあり、実はちょっとおかしい。
そしてこの殿様、主人公の婚約者に手を出すという非道ぶり。
この殿さまが加藤嘉。婚約者を「にや〜」といやらしい目で見つめるあたりは実に凄味がある。
そして特攻隊の話になり(ここはいろんな映画で扱われたから割とあっさり。でも登場した
飛行機がその時代の戦闘機とは思えない現代的な形だった)
現代篇では上司に西村晃。相変わらずのいやらしい上司ぶりを発揮。

この森雅之、江原慎二郎、加藤嘉、西村晃の4人の殿さまが実に陰険で映画を効果的に
していた。
この4人の悪役ぶりだけでも見ものでしたね。



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ラストゲーム 最後の早慶戦


日時 2008年9月7日16:55〜
場所 新宿バルト9・スクリーン2
監督 神山征二郎

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昭和18年秋、学生の徴兵免除が撤廃され、いよいよ学生たちも戦場に赴くことに。
春には六大学リーグも解消され早稲田の野球部員は試合のあてもないのに練習に
明け暮れる日々だった。
そんな時慶応の塾長小泉(石坂浩二)が早稲田の野球部顧問・飛田(柄本明)を
訪ねてくる。
「早慶戦をやりましょう。戦場に赴く学生たちに最後の思い出を作ってやりたいんです」
一も二もなく賛成した飛田だったが、早稲田の田中学長(藤田まこと)は許可しない。
また野球部員戸田順治(渡辺大)の父・栄達(山本圭)も「この非常時に敵国の
スポーツである野球をやるとは何事か!」と許さない。
戸田たち学生が徴兵される日が近づいてくる。


岡本喜八も同じ内容で「英霊たちの応援歌 最後の早慶戦」を撮っているが同じ素材を扱っては
いるが詳細は違っていたように記憶する。(何しろ学生時代、25年以上前に見たので
はっきり覚えてはいないのだが)
岡本版では学生たちが特攻隊として出撃するまでを描いていたように思う。
出撃する慶応の学生が、出撃までの数日間黒板に銀座の地図を描き、商店街の店を一軒一軒
思い出していくシーンをよく覚えている。

今回の映画では、戦場に赴く直前の学生たちがいかに過ごしたかを描く。
ある者は野球部の合宿所のまかないの女性に恋文を書く。実は彼女に恋文を書く学生が
たくさんいたというオチは面白いようで切ない。
このあたりの描写は戦争映画を見なれた私からするとややパターンで新鮮味に欠ける。

しかし映画全体として学生たちのシーンより大人たちの話が中心だ。
早大の飛田を中心として慶応の小泉、早稲田の田中学長、軍国の父の象徴ともいえる戸田栄達、
この4人の早慶戦に対する対応が描かれる。
早慶戦開催を願う小泉と飛田、「軍部の神経を逆なでする」ことに反対する田中、お国のために
戦うことを願う栄達。
栄達は長男が戦死することにより息子のこと願う妻にほだされて最後は早慶戦に賛成する、
田中も反対し続けるがやがては飛田の熱意に押されて仕方なく承知する。

このあたりの人物の動きは「結局みんないい人」になってしまって映画としてはやや物足りなさ
も感じないではない。
しかしこの大人たちのシーンを見ていると作者たちの真意は「悲劇の学生」を描くことより、
「そういう若者たちに対して大人は何をしてやったか」ひいては「現在の大人は若者を
戦場に送らないために何が出来るか、何をしてやるべきか」を問うているように感じた。
その辺がこの映画を単なる過去の話を描いただけでなく、未来への警鐘になりえているように
思う。

ラスト、試合が終わってから早稲田、慶応の応援団がそれぞれ相手の学校の校歌を歌いあうシーン
では(不覚にも)涙が出てきた。
私なんか戦争映画は見あきるほど見ているが、そういう人ばかりではない。
こういう話は何度も映画化されるべきなのである。



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闇の子供たち


日時 2008年9月6日20:20〜
場所 シネマライズ(2F)
監督 阪本順治

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タイ在住の「日本新聞」の記者・南部(江口洋介)は東京本社からある情報が入り
それを取材してほしいという。
その内容は日本に子供の心臓移植を望む親がいて、タイのブラックマーケットで
お金を払い、タイの子供の心臓を移植しようとしているというものだった。
南部は早速事情に詳しいものに取材を始める。
しかしそこで得た情報は、死んだ子供から心臓を移植するのではなく、生きた
子供を麻酔で寝かせ、その子供から心臓を移植するという驚愕の事実だった。
同じころ音羽恵子(宮崎あおい)はタイの子供をなんとかしたいという気持ちで
タイの施設にボランティアとしてやってきたのだった。


タイの幼児売春、臓器売買を題材にした今年最大級の問題作。
そこまで描いていいのか?という気にさせられる。
タイは幼児に限らず売春が多いと聞く。日本からの旅行客の中にも売春目的で行く者もいると聞く。
またそれは日本からに限らず、欧米からも来ているらしい。
そんな中で幼児売春の噂は(週刊誌のゴシップ記事程度には)知っていた。
だからそんなに驚きはしないのだが今の日本映画界でこういう社会派的映画を作った
ことがすごい。
(いや本来ならそんなこといちいち褒める必要はないのかも知れませんが)

醜い大人たち(欧米人やロリコンの日本人)にタイの子供がおもちゃにされるシーンを
これでもかこれでもかと描く。
男子幼児愛好者(簡単にいえばホモのロリコン)によって肛門から血を流す少年や
大人のペニスをくわえさせられ、それが終わった後、シーツにつばを吐き続けて
少しでも口から「汚いもの」を吐き出そうとする姿が印象的。

たとえば「ダーウィンの悪夢」で描かれたような「まったく知らなかった世界」では
(僕にとっては)なかったが、女性客などにはかなり強烈だったのではないか?

宮崎あおいのボランティアの恵子が「あなたはいけないんです!」とまるで学級会の
いやな女子のごとく心臓移植をさせる親を非難する。
そんな非難すれば解決する問題でもなかろうに。
そのあたりの性格は(映画中の人物にも指摘されるが)ちょっとうっとうしい。
あそこまで行くと良心の押しつけだ。
悪いけど見ていてイライラした。
そういう彼女のキャラクターをもっと描けば描けたかも知れないが、それはちょっと
別の映画になってしまったかも知れない。

ラストにはボランティア団体に反対するヤクザ勢力による報復も描かれ、ミステリー、
アクション映画としての魅力もあって面白い。

ただねえどうしても納得できないのはラストになって(書いちゃうけど)主人公の南部も
実は男子幼児愛好者だったと説明される。
ここはもう強烈を通り越して「???」状態になる。
「ラストがすごい!」という話を友人から聞いていたがほんとにすごかった。
あれじゃ「シベリヤ超特急」だよ。
どんでん返しのための「無理やり」どんでん返しでしかないですよ。
あそこがなければよかったがなあ。

どうしてもそういうどんでん返しをしたいなら、妻夫木聡か豊原功輔か宮崎あおいが
「幼児愛好者」だったと江口洋介が知り、驚愕を受けるというほうがナンボかよかった気がします。
妻夫木なんかカメラマンだから実は彼の写した写真の中に、男子幼児の裸の写真や妻夫木が
自分のナニをくわえさせてるシーンがラストに出たら・・・
どうせやるならこっちの方がよかった気がします。
江口洋介が男子幼児愛好者だとすると「金田一耕助が犯人だった」と言われたみたいで
後味が悪いというか「それはないだろう」という気になってしまいますから。



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東京ディープスロート夫人


日時 2008年9月6日17:00〜
場所 シネマヴェーラ渋谷
監督 向井寛
製作 昭和50年(1975年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


久美(田口久美)はボクサーと付き合っていたが、そのボクサーは試合で負けたことが
きっかけで喧嘩を起こし別れる。
そこでメインタイトルとクレジットがあって、いきなり久美は日本有数の大金持ち佐久間
コンチェルンの御曹司と結婚したのだが、親父(室田日出男)がこの美人の嫁に手を出すとう
「華麗なる一族」状態。
自分のものをくわえさそうとした室田だが、嫌がって噛まれてしまう。
そこで金の力で高名な医者(渡辺文雄)に無理矢理、久美のクリトリスをのどに付け替える
手術をさせてしまう。(ってもう怪奇マッドサイエンティストものかよ?)
そんなことしたら、ものを食べる時に感じてしまって大変だろう、と思っていると
案の定、食事の度にエクスタシーを感じてしまい、バナナをくわえまくる久美。
それで色情狂になったのか新幹線に乗って関西のトルコ嬢に。
そこの支配人の大泉晃にそのフェラのテクを認められ、早速採用。
しかしフェラすることが目的で、金なんかどうでもいい久美は客から金を受け取らない。
それを妬んだ他のトルコ嬢にリンチにあい東京に帰り、男を求めてホストクラブへ。
そこで冒頭で別れたボクサーと再会する。

というかなり無茶苦茶な展開。
今から見ると面白いが当時見たらまたまた怒っていたかも知れない。
ディープスロートというのは当時話題になったアメリカのハードコア映画の便乗企画。

とにかく突っ込みどころ満載の映画でばかばかしさが楽しめる。
最後には室田日出男のナニを加えていることろを息子に見つかり、息子が怒り狂って
猟銃を持ってきたら、「お、落ち着け!そっちの穴があいてるぞ」とおしりの方を指さす。
そっちっていうのが女性器なのか、アナルなのかよくわからないが、結局は3P状態に。

そうはいっても自分の体をこんなにした室田日出男は憎いわけで、息子がいったん手を離した
猟銃を取ろうとした久美だが、結局は室田日出男も息子も発射された猟銃で死んでしまう。
新聞には暴発した事故と報じられ、久美が佐久間コンチェルンの会長に就任するというラスト。

公開は1975年12月6日という正月映画「トラック野郎」までの完全なつなぎ番組。
同時公開は山下耕作監督の「強盗放火殺人囚」でこっちがメイン作品だろう。

ちなみに田口久美は日活(!)で「東京エマニエル夫人」というシルヴィア・クリステルの
「エマニエル夫人」のパクリ映画でも主演。つまり「東京ディープスロート夫人」はパクリのパクリ
ともいえる。

東映の同時上映作品らしいいかがわしさ満点の映画でしたね。



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暗号名(コードネーム)黒猫(ブラックキャット)を追え!


日時 2008年9月6日14:40〜
場所 シネマヴェーラ渋谷
監督 井上梅次
製作 昭和62年(1987年)


スパイ防止法制定のためのキャンペーン映画として当時製作されたが、上映反対運動が
起り劇場未公開(つまり自主上映だけ)映画。今回シネマヴェーラのカルト映画特集での上映。

大学時代のラグビー部の先輩後輩で今は警視庁外事課の柴俊夫、商事会社の営業部長の榎木孝明
ジャーナリストの国広富之、貧困救済運動の活動家高岡健二らがそれぞれスパイにかかわっていく。

もちろん柴俊夫は捜査する側だが、国広富之は奥さんが病気でその治療費を稼ぐためにB連邦
(ソ連のことですね)の情報提供者(つまりスパイ)にさせられ、活動家の高岡健二は
活動資金欲しさに知らずにB連邦から金を受け取り、またまたそうとは知らずに「北方共和国」
(つまり北朝鮮のこと)から金を受け取って米軍基地の騒音(つまり離発着回数等に関する情報だろう)
を流す。
一方、ブラックキャットと思われる北の工作員(仮の姿はカメラ店の店主)は日本人と結婚し
子供までいるのだが、その妻の兄が国広富之、柴俊夫の父は能登で網元をしていて兄(森次晃嗣)
が船を手放した相手が実は北の工作員。
柴俊夫の父(久保明)は戦後シベリヤ抑留経験を持ち、ソ連の日本人のスパイ化の手口を見ていて
ブラックキャットの正体は?という落ちがつく。

もう完全に柴俊夫なんか友人家族がスパイだらけでこれほど外事課の刑事として不適任な方はなく
不幸のオンパレード。
また高岡健二は「あなたの活動を尊敬します」と言って近寄ってきた自称アメリカ人の若い女性
にメロメロになるのだが(これも実はスパイ)、彼女のシャワーシーンもあっておっぱいを
見せるサービス付き。
でもこの女性がナイスバディならいいのだが、場末のストリップ小屋に登場する金髪女性みたいで
その辺の安っぽさがまたたまらなくいい。

で、北の工作員が警察にばれて出国しようとする。
能登から柴俊夫の兄が売った船に乗って逃亡。それを森次晃嗣の船や海上保安庁の巡視船、石川県警の
ヘリなどで追いかけるシーンは、実は何も起こらないのになかなかの迫力。
さすがは井上梅次だ。


ラストのオチは大体読めちゃうけど、「土曜ワイド劇場」みたいなノリで楽しい映画でした。
出演は他にも三ツ木清隆、本郷功次郎、田中美佐子、北の工作員に伊吹剛、ワンカットのゲスト出演に
山村総などなど侮れない面々。



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