2008年11月

私は貝になりたい
(2008)
衝動殺人・息子よ センター・オブ・ジ・アース
3D版(日本語吹き替え版
ホームレス中学生
蜘蛛巣城 東京裁判 天皇伝説 ノモンハン

私は貝になりたい(2008)


日時 2008年11月23日18:20〜
場所 新宿ピカデリー・スクリーン3
監督 福澤克雄

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TBSにとっては宝といえる「私は貝になりたい」の再映画化。
もう今さらだと思うのだがなあ。

高知県の田舎で散髪屋を営む清水豊松(中居正広)。
戦争末期、赤紙により召集。軍隊に行ったがアメリカのB29が部隊の近くに墜落、
その乗組員の捜索に向かわせられる。
その場で捕虜は処刑することになり、豊松はその命令をされた。
戦後、散髪屋を再開し順調にやっていたが、そこへ戦犯として逮捕されてしまう。
罪状はB29の搭乗員殺害の罪だった。
裁判の結果は死刑。
妻の再審のための200名の嘆願書もむなしく、豊松は死刑に。
死の寸前、「もしも生まれ変わるとしたら、海の底の貝がいい。貝なら戦争もない。
妻や子供のことを心配することもない。私は貝になりたい」

2時間20分の大作だ。
前もそんなに長かったかあ?と思って調べてみたらオリジナルドラマ版は約90分、
翌年の橋本忍監督映画版は約110分。
随分と尺を伸ばしたものだ。
小粒だが心に残るそんな小品だったフランキー版だったが、今度は大作にさせれれた。
その分冗漫になった気がする。

妻(仲間由紀江)が豊松の助命嘆願書の署名を200名集まるところなど、紅葉の秋、
雪の大自然などをたっぷりと写し込み、もう橋本忍の代表作「砂の器」に対抗している。
この辺がどう見ても贅肉だ。
やりすぎ。

そして豊松の上官だった司令官(石坂浩二)が同じ巣鴨プリズンで一緒になり、「責任は
自分のみある。部下たちは減刑してもらうよう嘆願した」と語り死刑直前、「何か言い残す
ことは?」の問いに「マッカーサーおよびトールマン大統領に申し上げる。焼夷弾による
住宅地の無差別攻撃は国際法違反だ!」と訴える。
(ここで拍手をしてる観客がいた)
うわっいやだなあ。
オリジナル版にはそんなシーンあったろうか?
特に「国際法違反云々」のシーンがなかった気がする。確認してみなければ。

この無差別攻撃は国際法違反という主張はよく耳にする。
もちろんそれは異論はないのだが、ことさらここだけを強調されるのはいやなのだな。
その奥には「だから東京裁判は間違っているし、日本は全く悪くない。すべてアメリカ側の
陰謀による濡れ衣だ」という主張が見え隠れするのでいやなのだよ。
TBSも「左翼的」という批判をよく受けていた気がするが、そうかこういう映画も作るように
なったか。

そして豊松の最期のシーン。
フランキー版のときは処刑台の階段を昇るシーンで終わっていたが、今回はなんと絞首刑で
吊るされるところまで描いている。
これも東京裁判批判の部分が強調される気がして少し嫌だった。


主演の中居正広。予想したほど悪くなかったというのが本音。
ただし頑張っている、というレベルだが。
仲間由紀江は生活感がなく、よくない。
今さら感もあるこの映画だが、観客はいっぱい。
戦犯などの問題を知ってもらうのはよかったことだろう。



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衝動殺人・息子よ


日時 2008年11月15日19:00〜
場所 テアトル新宿
監督 木下恵介
製作 昭和54年(1979年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


横浜で町工場を営む川瀬(若山富三郎)は息子が工場をついでくれることになり、
間もなく息子の結婚も控え今までの苦労がやっと実り、すべてがうまくいっている
思いでいた。
しかしそんな時、息子は通り魔殺人にあって死んでしまう。
「理由なき殺人」犯人は少年であることを考慮され、懲役5年の刑だった。
自分の息子は死んで犯人は懲役5年。
この落差の矛盾に憤った川瀬は工場も人に売り、「いわれなき殺人」の被害者救済の
ための法律を作ってもらうよう同じような事件の被害者を訪ねて回り「被害者の会」
を結成していくのだが。


木下恵介が松竹で久々に撮った映画。
TBSが出資しているのだがこのプロデューサーが「ウルトラマン」の監督で
知られる飯島敏弘さん。飯島監督がイベントでこの映画のことを話題にされていたことが
あったので再見したくなり、今回テアトル新宿での「若山富三郎&勝新太郎特集」で
上映されたので見直してみた。

この映画は私が高校生だった頃に封切りで見ている。
今回29年ぶりの再見。
当時も思ったのだが、くそまじめで面白みのない映画という気がした。
いわゆる映画的な見せ場、というようなものが全くなく、PR映画みたいなのだな。

そんな中でも長年記憶に残っているシーンがあった。
実はセリフだけ覚えていて、それが何という映画かはたまたテレビドラマだったか
忘れていたのだが、今回わかった。

それは同じように女子大生の娘が通り魔に殺された親(藤田まこと)を訪ねるシーン。
若山富三郎が「あなたお子さんは?」「殺された娘の上に二人息子がいます」という
ところ。そこで若山富三郎はつい「いいですね」ということをいてしまう。
そして藤田まことに「川瀬さん、一人殺されたがまだ上に二人いる、そんな風に
思えるもんではありません」とたしなめられる。

観た当時「親の気持ちとはそんなものか」と思ったが、(実は今でも親の気持ちは
わからないが)非常に心に残った。

でラストは川瀬は過労で倒れついに亡くなってしまう。
ラストで「法律はまだ制定されていない」という字幕がでて終わる。
この映画が出来て29年、その後どうなったのだろう?
今の時代、通り魔事件は少なくなっていない。
むしろ増えている気がする。

木下恵介の生真面目な一面を見せられた気がした。



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センター・オブ・ジ・アース 3D版(日本語吹き替え版)


日時 2008年11月12日19:55〜
場所 新宿バルト9・スクリーン3
監督 エリック・ブレビク

(公式HPへ)


地質学者のトレバーは10年前に行方不明になった兄の研究の続きで研究を
進めていたが、成果が出ないので大学の研究室は閉鎖されることに。
そんな時、義理の姉が甥のショーンを1週間預かってほしいとやってきた。
その甥の持ってきた荷物の中に、兄の持っていたベルヌの「地底探検」があった。
その中に書き込まれていた地震計のデータと同じ数値を今地震計は示している。
トレバーはショーンを連れて地震計のありかのアイスランドに直行し、兄の研究
のパートナーの娘で山岳ガイドのハンナとともにその場所へ。
洞窟に入ったがそこで地底世界への入り口を発見した!
彼らの旅はどうなる!

3D映画として話題の本作品。
吹き替え版は嫌いなので字幕で見たかったが、3D版は吹き替えのみ。
おかしいなと思っていたが、すでに見た友人の話では立体映像では字幕が読みにくく
なってしまうかららしい。納得。

洋画を吹き替えで映画館で見るなんて初めてかも知れない。
しかも3D映画なんて20年以上前の「ジョーズ3・3D」以来。
今回は特別料金2000円興行。でも映画としてよりはディズニーランドにある
アトラクションの長編版と思って見に行ったが、実にその通りだった。

映画のはじめの方でヨーヨーを使ったり、歯磨きした水を吐き出すカットをわざわざ
下から撮ったりして3D映画ミエミエだとか、また坑道のトロッコのシーンなど
「インディジョーンズ2」焼き直しでその辺が気になったが、後半になるにつれ
そういうあざといカットもなくなり、実に楽しんだ。

地底旅行に行くのはたった3人。
普通なら5,6人で行き、途中でだれか死んだり、手柄を独り占めしようとする奴が
出てきたり、敵のスパイが紛れ込んでいたりするのだが、そういったドラマは一切なし。
単純に地底大冒険のみ。

このシンプルさがいいし、その辺がディズニーランドのアトラクション映画なのだが。
その辺を薄っぺらいと感じるか、純粋に楽しむかは映画に期待するものの違いだろう。
私なんかは飛び魚のピラニアが出てきたり、首長竜が出てきたり、恐竜も出てきたり
人食い植物が出てきたり、昔ながらのSF映画に出てきたアイテムが続出で実に
楽しい。
それで3Dなんだから尚楽しいわな。

というわけで映画というよりこの「見世物」を実に楽しみました。
映画の中にドラマを求めたりせず、単純の映像を楽しむアトラクション映画です。
そう思ってみれば映画を見ている間は実に楽しい時間でした。

ちょっと付け加えるならはじめの方でショーンのセリフで「チョー〜〜」というような
日本の流行語が連発されたのが気になった。もっと普通に翻訳してくれたほうが好きなのだが
でも後半はそういったこともなくなった。
途中でいやにならず、助かった。



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ホームレス中学生


日時 2008年11月9日11:00〜
場所 新宿ジョイシネマ2
監督 古厩智之

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大阪の中学生、田村裕(小池徹平)は1学期の終業式が終わって家に着いたら
驚いた。なんとマンションの部屋には「差し押さえ」のテープが貼ってあり、
鍵も替わっていて中に入れない。
姉や兄も帰ってきて当惑しているところに父(イッセー尾形)が帰ってきた。
「誠に残念ですが、こういうことになりました。これからは各々が頑張って
生きていってください。解散!」と言い残して行ってしまう。
田村は仕方なく、近くの公園で寝泊りを始めたのだが・・・

昨年からの大ベストセラー小説「ホームレス中学生」の映画化。
テレビドラマにもなったし、今度は映画でとにかく大ヒットだ。
お笑いコンビ「麒麟」の田村裕の実話の小説。
実は「20代の人間が自伝を書く」ってことに抵抗があって原作は読んでいない。
それにまあ「学校へ行こう!」などのバラエティ番組で本人が話しているの
聞いているから大体は話は知っていたのだが。

近所の公園で寝泊りをする可笑しさに最後は友人の親などに助けられて
兄妹3人で住む所を世話してもらう、という「ああ、大阪の人情はあったかい」
見たいな話しだと思っていた。
ところが後半になると民生委員のおばちゃん(いしだあゆみ)が突然死してから
田村は学校にも行かなくなる。
この辺の動機がわからなくて戸惑う(結局その理由は明かされるのだが)。
いしだあゆみの死がショックなわけだが、その前にいしだあゆみがワンシーンぐらい
しか出てこないので、いしだあゆみとそんなに親しかったのか?という気に
なってしまう。
この辺、もうちょっといしだあゆみとの交流のシーンを描いておかないと(例えば
いしだあゆみに母の面影をみつけるとか)この田村の心の揺れ具合がまったく
伝わってこないのだよ。

それに第一、前半のホームレス生活とそこからの抜け出し、そしてこのいしだあゆみ
の死のショックに始まる彼のこころの揺れ具合が映画の中で前半と後半に別れてしまってて
なんとも構成が悪い気がする。
もっと言えばどうして田村は兄弟と別れ一人で公園に住むようにしたのか?
兄はコンビニで働いているのだし、兄と一緒にいたほうが何かとよかったはず。
にも関わらず一人になった心境が伝わってこないので、どうも話を疑問を感じながら
見る結果になったしまった。

原作を読めば解るのかも知れないが、どうも脚本の練がうまく言ってない気がする。

主演の小池徹平、20代だが中学生を好演。
好感の持てる青年ぶりで、今後も期待したい。
頑張っていた。



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蜘蛛巣城


日時 2008年11月8日
場所 TSUTAYAレンタルDVD
監督 黒澤明
製作 昭和32年(1957年)

(詳しくはキネ旬データベースで)



戦国時代。蜘蛛巣城と言われるこの城の周りには森があり、その森の中は蜘蛛の巣の
様に迷路になっており、それが難攻不落と言われるゆえんだった。
そんな中、城主都築国春の部下が反乱をおこす。その反乱を抑えたのは鷲津武時(三船敏郎)
と三木義明(千秋実)だった。
彼らは勝利の報告を国春のもとへ駆けつける途中、森の中で迷っていまう。
そんな中、物のけに出会い、鷲津と三木の出世を予言する。
そして鷲津はやがては蜘蛛巣城の城主となり、三木の息子も城主となるという。
はじめは笑い飛ばした武時だったが、その予言の通りに出世すると今度は自分が
城主になると信じはじめ、それを実行しようとしてしまう。

いや黒澤映画の人気投票の結果を知っているわけではないが、この映画、
黒澤作品としては人気が低いほうではないか?

まったりとした遅いテンポ、ユーモアない。
「七人の侍」の後としては観客もいささか「黒澤もどうしたんだろう?」という
感想も否めない。
(もっともこの後の「隠し砦の三悪人」で払拭されると思うが)
今回20数年ぶりに再見したのだが、「乱」とか「影武者」に近い作品だと思う。
従って「乱」「影武者」で黒澤映画は変化したようにいわれるが、この「蜘蛛巣城」を
見るとこういう演出の映画も黒澤の演出の引き出しだったとわかる。
シェークスピアの「マクベス」をベースにしたこの映画だから、「乱」に近くなるも
当然なのかも知れないが。

森の中で物の怪の予言を聞いてしまったが故に、逆に疑心悪鬼にとらわれる景時。
自分はその不安を払拭しようとしているのに、マクベス夫人たる妻がどんどん
深読みをしてますます不安に陥っていく。
「ああ、人間は人を、自分を信じることが出来ればこんな破滅はなかったろうに」
という黒澤映画のわかりやすい説教を聞かされる気がして私は好きになれなかった。

それにしてもこの映画、滅茶苦茶音が悪い。
現代風の話し方ではなく、言葉使いがちょっと独特の侍言葉風なせいかも知れないが
とにかくセリフが解りづらい。
DVDで見たから日本語字幕機能がついているので、つい時々巻き戻して字幕ONで
見てしまうことも多かった。
この辺が初見の時に余計にこの映画に対して悪い印象を与えてしまったかも知れない。

でもこの映画の見どころはラスト5分。
景時が弓矢の集中攻撃を浴びるシーンだ。
今ならCGで危険なく出来るだろうが、この当時は真剣勝負で弓矢を放っている。
いくら名人が放つと言っても、指の先5cmといったところに弓矢は命中している。
ちょっと間違えば死なないにしても手ぐらいは大怪我の可能性がある。
三船敏郎と黒澤の不仲の原因になったいううわさのあるシーンだが、それも納得。
以前、最後の景時の首に弓矢が刺さるカット、どうやってやったのかビデオテープを
コマ送りしたことがあったが、三船に向かってくる弓矢の中で首に刺さったカットと
同じ角度で向かってくる矢があるカットをうまくつないでいることを発見したことが
あった。

映画全体はそんなに好きではないが、ラストの弓矢のシーンは映画史上に残る
名シーンだと思う。



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東京裁判


日時 2008年11月6日
場所 DVD(TSUTAYAレンタル)
監督 小林正樹
製作 昭和58年(1983年)

(詳しくはキネ旬データベースで)


太平洋戦争を連合国によって日本の戦争犯罪人を裁いた極東国際軍事裁判、いわゆる
東京裁判をアメリカ側の記録映像を中心にニュースフィルムなども交えて再構成した
ドキュメンタリー映画。
上映時間はなんと4時間37分もある。
初公開時にも見ているが、当時私の周りではあまりの上映時間の長さに寝てしまうのでは
ないかと尻ごみする者もいたような気がする。
しかし当時見た記憶では非常に興味深く面白く見た覚えがある。
それだけ「東京裁判」については初めて知ることが多く、新鮮だったのだろう。
今私が知っている東京裁判の基礎知識はこの映画で得たものだと思う。


映画の方はよくまあここまで裁判を丁寧に(複数のカメラを使って)記録していた
(しかも同時録音で)ものだとアメリカ側の物量を改めて感心させられる。
ロングで捉えられた映像ばかりだが、それでも被告席の被告たちの表情など実に
克明にわかる。
(また佐藤慶のナレーションがいい。このナレーションが映画に緊張感をもたらす)

でテーマとする「東京裁判」。
今は一般的によく言われるが、この裁判は公平さに欠き、連合国側、つまり勝者による
敗者への復讐劇の側面が強かったと説く。
しかしそれは当時から日本側弁護団から(アメリカ人弁護士なども)「日本軍による
残虐行為を裁くなら、アメリカの原爆投下などの行為も裁かれるべきだ」と主張する。
「明日への遺言」のときも思ったが、アメリカ人の弁護士は実に立派。
アメリカ国内では「なんで日本人の弁護なんかするんだ!」と非難を受けたのではないかと
心配になる。
よく凶悪犯の弁護をする弁護士が非難されることが今の日本でもあるがこれと同じ
ことが起きなかったのだろうか?

そしてウェッブ裁判長(オーストラリア)は昭和天皇を被告にできないならせめて
証人として出廷させたかったが、それはマッカーサーなどアメリカ側に意向に沿わないこと
になるので、なんとかやめさせたとか判事側にも一枚岩ではなかったと説く。
そして有名なパル判決書。「日本無罪論」の根拠にされているが、「日本が悪くないから無罪」
というより「この裁判がおかしいので有罪にすることはできない」という趣旨だと私は理解した。

その辺のことはこの映画でなくても東京裁判関連の書籍等を参照すればよくわかることだが、
この映画に出てきたことでちょっと気になったことがあった。
それは最初の方で「日本人は自分の生活に精一杯で、『戦争犯罪』と『戦争責任』の区別も
ついていなかった」とするナレーションが入ることだ。

「あっ」と思った。
「当時の日本人」だけでなく「現在の日本人」もごっちゃにしていないだろうか?

東京裁判否定論者が「東京裁判はおかしい!東條は無罪だ!」と主張するといわゆる左翼は
「何を!」と否定する。(ここでは東條をA級戦犯の代表する代名詞として使用する)
東京裁判は非常に公平さを欠く裁判だった。「平和に対する罪」なんて完全に
事後法でそんな罪で裁くことはおかしい。したがって東京裁判における判決には甚だ
疑問だと僕も思う。
しかしそうすると「東條はまったく悪い人ではなかった」という風に聞こえてしまい
「そんな馬鹿な!何を!」と違和感を感じる人も多いだろう(私がそのひとりだ)

そうなのだ。東京裁判で裁かれた戦争犯罪と戦争責任(あるいは敗戦責任と言い換えてもいい)
は別の罪なのだ。
戦争犯罪者としての東條は無罪であったといえるかも知れない。
しかし明確にされる機会のなかった東條の責任は絶対にあるはずだ。

例えれば「ある会社が倒産した。その会社は別に犯罪を犯したわけではない。しかし結果的に
倒産し、従業員、その家族に多大な迷惑をかけた。従って経営陣はその責任を負うべきなのだ」
ということにはなりはしないか?
東條(もちろん東條だけではないが)はやはり他の戦没者たちと一緒にされて語られるべきではなかろう。
東京裁判を白紙にして、もう一度当時の日本首脳たちの「戦争責任(敗戦責任)」をもう一度論じる
べきだと思う。
それが未来の日本人のためにも必要なことではないのか?



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天皇伝説


日時 2008年11月1日20:00〜
場所 板橋区赤塚公会堂
監督 渡辺文樹


今一部では話題の「天皇伝説」。
ゲリラ的な自主上映で知られる渡辺文樹監督だが、今回は日本のタブー「天皇」を扱った。
ポスターにも「明治天皇は大室という男が入れ替わり大正天皇には子種がなく昭和天皇には
西園寺公望の養子の血が入り、そして平成天皇は裕仁の子ではなかった。さらに秋篠宮も
明仁(現天皇)の子ではなかった。皇室の海外財産とイラク侵攻の背景を追及する!」
という天皇家批判のコピー。

で、肝心の映画。
上映前に監督から前説がある。
「アメリカに現像に出したら(ビデオではなく16mm映画)嫌がらせで(?)で
こんな仕上がりになってしまいました。日本ではいろいろあって現像してくれないもんですから」
と言っていたから何の事かと思っていたらなんと色がめちゃくちゃ。
画面全体がピンクだったり黄色だったり、なんだか何十年も前の退色したカラー映画を
見ているような気になった。

お話は渡辺文樹監督自らが演じる主人公のルポライターの奥さんが狙撃されるところから
始まる。
「私はルポライターとして天皇家の秘密について追っていた」というナレーションが入り、
主人公が逮捕されるシーンへ。
そしてなんとか脱獄し、手錠をどこかの廃工場(?)のグランインダーカッターで手錠を切る。
そして旅に出るのだが、その途中で自分が取材した天皇家の秘密についてナレーションで
明らかにしていく。

橋本龍太郎家は実は天皇家(大室家?)の遠い親戚なんだそうで、明治天皇は途中で
大室寅之助という男が入れ替わり(この話は別の本でも読んだことがある)とか
あとは上のコピーの通りだが、現天皇の話では天皇の女官たちとの乱れた関係に嫌気が
さした美智子さんが宮内省の誰かと結ばれて出来た子供が秋篠宮なんだそうだ。
で、その秋篠宮はタイでよろしくやっていて向こうに子供もいるとか。
だから秋篠宮は天皇家に血は引かないし、ましてやその子の悠仁も血を引かない。
にもかかわらず皇位継承権を持つ。
「ああ天皇家はでたらめだ!」として、しかも皇室の海外財産をアメリカに眼をつけられて
いるのでイラクの戦費などもここから出されているという。
ホンマかいな?

大室に関して言うと先日10月30日の新宿ロフトプラスワンでの渡辺監督と鈴木邦男さんの
イベントの際に鈴木さんは「私も大室の話は何度も聞いたことがる。しかし私はそれはないと
思う。人が入れ替わったら何百人もいる皇室関係者をだまし通せるはずがない」という
意見でした。
なるほど。そうかも知れない。

映画の方は主人公が逃亡者となってなにやら逃げ回っている。
こっちの方が画に変化があって、「ノモンハン」よりはるかに退屈しない。
なにやら途中で女性と子供と合流。
この3人で逃亡生活をしてなぜかロープウエイで逃げるシーンになる。
ロープウエイに追手がやってきてその中でピッケルを使っての戦いのアクションは稚拙ながら
見ていて楽しい。
そして自分のゴンドラに時限爆弾が仕掛けられたと知ると、となりをすれ違う別のゴンドラに
飛び乗る大アクション。
(たぶん元ネタは「荒鷲の要塞」とみた)

で、冒頭の妻が狙撃されるシーンになった。
「えっ、今までのシーンは妻が殺されてその罪を着せられての逃亡劇だったんじゃなかったの?」
という天地がひっくりかえるようなショックを受けた。
今までの大アクションは回想シーンだったのか。

それでその場にいた狙撃した男を発見。
その男は電車で逃げるのだが、線路を並走する道を走っていたトラックを主人公は取り上げて
追いかける!
こんなシーンどっかでみたなあ、と思ったら思い出した。
「フレンチコネクション」だ!
そういえば監督は「私はアメリカのアクション映画が大好きです」と言っていたっけ。

最後にはその妻を狙撃した男を倒し、今までの天皇家の秘密を暴いた証拠のビデオテープ
(DVDじゃないところがますます時代がずれている感じがする)を
「こんなものを公表しても敵対する陣営が得をするだけだ!」と捨ててしまう。

おいおい、そういうあんたは天皇家の秘密を暴露する映画をつくっているじゃん。
なんかすごい自己矛盾してる気がするがなあ。

まあ天皇家についてはここで考えても答えが出るわけではないから、真偽は追及しないけど、
このアクション映画ぶりは実に楽しかった。
画質の退色感といい、昔の自主映画を見たような気がした。
楽しかった。



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ノモンハン


日時 2008年11月1日18:00〜
場所 板橋区赤塚公会堂
監督 渡辺文樹


おどろおどろしいポスターを街頭で無断で張ってゲリラ的上映を繰り返す
渡辺文樹監督。マスコミとか一切扱われないから上映情報がまったくつかめない
この監督、今回は「天皇伝説」が天皇制批判映画ということで右翼の攻撃やら
監督の微罪逮捕(街頭ポスター張りを問題視された)で一部には「言論の自由」の
点で話題を呼んだ。
今回、新宿の靖国通りでポスターを見つけたからやっと見ることができた。
上映開始の15分ぐらい前に会場に到着したが、私服制服の警官が会場を囲んでいる。
「映画を見に来たのですか?住所氏名を言ってください」という職務質問されたら
どうしようと思ったが、そういうことはなかった。

映画の上映開始前から監督自らの前説。
「この映画はノモンハン事件の時にある宮様将校がかかわっていたという話です」と
オチをいちゃってるよ。

で肝心の映画。
驚いたことに・・・・メインタイトルがない。
当然クレジットもなし。いやこれには驚いたなあ。
タイトルぐらいは学生の自主映画だってつけてたぜ。
まあそんなことに予算をかけるよりは・・って心境なのだろうがこれには驚いた。

映画の内容なのだが、ノモンハン事件の戦場に行った渡辺大佐とその息子がいて
息子は戦死したが、父親は生き残り、渡辺大佐の息子の弟の方が陸軍士官学校を
受験しようとしていてフランス語を東久邇の宮様から教わっていたりしたのだが
・・・というような話なのだが、回想シーンが多く、役者がへただから台詞も聞き取り
づらく正直人間関係が最後の方までよくわからなく、非常に話についていきにくかった。

結局最後の10分ぐらいで明かされるのだが、東久邇と渡辺はノモンハン事件に参加。
しかし東久邇は捕虜として捕まってしまう。
それを知った昭和天皇は東久邇を救うためにソ連と突然の停戦を結んだ、つまり
皇族のわがままで戦いが左右されたという天皇批判。
でしかもこの東久邇が渡辺が被差別部落出身でそのことを渡辺の長男の妻が知り
それを内密にして弟の受験を有利にするかわりに渡辺の長男の妻と不義を働いてしまう。
かように天皇家は困ったやつだという話で、ラストは戦後、大人になった渡辺の息子の
娘が病院にいた東久邇を殺してしまうというアクション映画的ラスト。

ノモンハンに関してはそういう皇族の関わりがなくてもソ連と無意味に戦った
陸軍の責任が大きい気がするので、皇族の関わりについてはことさら扱わなくても・・
とも思うのだが、とにかく役者が下手な割にはセリフだらけでそれを話す人物のショット
ばかりで映画としての面白さは少ない。

でラストのノモンハンのシーンでは少なくとも50人ぐらいの兵隊は集めたので
その点は頑張っていた。
ただし戦車のカットが急に自衛隊の演習を盗み撮りしたカットがインサートされ
驚くというより苦笑した。

正直、「天皇伝説」に比べてこっちは面白くない。



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